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馬祖島旅行 ① 基隆出港まで
5月12日 土曜日

朝一番の中華航空に乗るためにアパートから空港へ向かう。
しかし、今回はいつもの一時帰国ではなく、日本へは行かない。
今回の目的地は、台湾海峡を渡った馬祖島。
まだ行ったことのない場所である。

インターネットでチェックインを済ませてあったが、荷物を預けたり搭乗券を受け取るためにカンンターに寄る。
今回はカメラをいくつも持って行く。
カメラは今回初めて使うキヤノンAE1と言う40年前の一眼レフ。
もちろんフィルム式。
もともと妻のものであるが、妻はただ持っていただけで、使い込まれた形跡はない。
つまり新品みたいなもの。
実際に使えるかどうかわからないが、馬祖島で「青の涙」という現象を撮影するには、一眼レフは必須とのことなので今回引っ張り出してみた次第。
そのほかにも古い光学ズーム機能のあるデジカメも2台。

キヤノンAE-1
[バンコクではフィルムや専用電池購入も簡単ではなかった]

馬祖島は寒いこともあるというのでジャンパーも持って行く。
帰りに冷凍食品も買ってきたいので保冷用の発泡スチロールも持って行く。

チェックインカウンターでは、搭乗券と一緒にイミグレーション用のファーストトラックチケットまでもらってしまった。

ファーストトラックチケット
[せっかくもらったけど、通関が混んでいなかったで今回は使わなかった]

いつも台湾が目的地の時は、中華航空に乗らず、格安航空会社のノックスクートを毎度利用させてもらってきた。
はじめは往復で三千バーツ台と激安であったのだけれど、だんだんと値段も上がってきて、前回はなんだかんだで六千バーツを越えてしまっていた。
中華航空との差額も小さくなってきたが、中華航空で受けられるサービスや特典も含めて比較すると、利用価値も小さくなってきている。
と言うことで、今回は中華航空の切符を買った。

馬祖島へ行く計画を思い立ったのは一年前。
台湾山脈を越えて、花蓮を経由して、夜遅く基隆に到着。
無謀にも基隆で宿賃を惜しんで、港町で夜明かしした際に、港で馬祖島への連絡船が出ていることを発見したのが始まり。
もともと、台湾海峡の向こう側、馬祖島や金門島などは、徴兵された若者たちが送り込まれるところと言った認識しかなかった。
30年以上前、学生の頃に台湾へ遊びに行き、そこで知り合った同世代たちは、みんなこれらの島で厳しい二年間の兵役に就いていた。
そこは民間人が簡単に行けるところではなく、外国人の立ち入りも禁止されていたし、それに観光目的で行くべきところとも思っていなかった。
それが、時代が変わって、島は外国人でもいけるようになり、小三通とか言って、島には中国大陸からの観光客がたくさん来ているということは聞き知っていた。
しかし、基隆の港から、夜の連絡船で渡れるとは知らなかった。
もともと船旅は大好きなので、島へ渡ってみたいという気になってきた。
もともとは昨年の11月に行こうと思っていたのだが、そのころはどうも時期が悪いらしく、季節風の影響で連絡船の欠航が続いていた。
そこで、もう少し良い時期にと計画の練り直しをしたところ、5月には霧が出て、飛行機は欠航することもあるが、船はほぼ運行しているらしいと判明。
しかも、この時期には「青の涙」が見られるシーズンと言うことだ。

スカイチーム塗装
[今日機材はスカイチーム塗装]

台北行の機内では、私が勝手に指定席と思い込んでいるシート、いつもの8Dに座る。
エコノミークラスの8割がたの席はふさがっているが、このシートのある列は4席とも丸々空席のまま。
前に座席もなく、足元広々。
やはりノックスクートよりちょっと高くても、それだけのことはある。
それに、ラウンジで朝からしこたまお酒や食事もいただいているのでご満悦である。
音楽プログラムの日本金曲(ニッポンゴールド)は、先月とまた内容が変わっていた。
残念ながらキャンディーズは含まれておらず、私の知っている曲はテレサテンと松田聖子の2曲だけであった。

お気に入り8列目中央の席
[最近、この8D席が取れないことも時々あったりする]

この便の機長さんは日本人であった。
現在の日本ではパイロット不足が深刻になっているらしいが、こうして台湾の航空会社で操縦桿を握られているというのは、ひょっとして元日本航空組なのだろうかと、なんとなく同じ修羅場をかいくぐってきたように感じて、おせっかいなことを想像したりする。

台北にはほぼ定刻に到着したようで、通関もスムース。
基隆を出る船までまだだいぶ時間がある。
ネコ村へ行ってみようか、金瓜石へ行ってみようかと、いろいろと考えていたのだが、荷物もあるので動き回るのも不便。
荷物は基隆駅のコインロッカーにでも預け、基隆の街はずれにあり景勝地とされる和平島へでも行ってみようかと考えた。
基隆まで桃園空港から直通のバスはないようで、googleで調べると、桃園の町まで出て、そこから電車で行くのが一番安いらしいので、そのルートをとる。
空港から桃園までのバス代は44元。
距離もそれほどないはずだけれど、市街地を走るので時間もかかり、午後2時過ぎにバスに乗ったが、1時間以上かかって桃園駅前に到着したのは3時すぎ。
しかも、駅前と言っても駅までは少し歩く。

駅のトイレに入っていたら電車を一本乗り過ごしてしまった。
電車の運行は20分間隔くらいのようで、ホームのベンチに腰かけて次の電車を待つ。
やってきた電車は土曜日の午後だからか、それともいつものことなのか、思いのほか込んでいて、空いている席はなく、吊革につかまって立つ。
乗っている人は、若い人半分と中高年が半分と言った構成で、バンコクのBTSなどと比べると年齢層が高い。
外国人出稼ぎ労働者も多い。
中国大陸からの人もいるかもしれないが、これは判別できない。

緑の多い丘陵地帯を抜けて、だんだんと建物の密度が増してきたと思ったら、地下へ潜り台北駅。
ここで乗客がどっと降りて、やっと席に座ることができた。
ここまで45分ほど立ちっぱなしだった。

基隆行き電車車内
[台北駅を過ぎたら車内も空いてきた]

さらに基隆まで乗り続けて、基隆に到着したら夕方5時を回っていた。
もうこんな時間となっては和平島観光へ向かうには遅すぎる。
空港からここまで最安のルートできたが、時間は3時間以上かかってしまった。
まぁ、どうせ時間つぶしのために和平島へ行こうと思っていたのだから、お金もかからず時間も潰せて、一石二鳥だったと思うことにする。
桃園から基隆まで76元。

しかし、それでもまだ時間がある。
乗船手続きまでまだ3時間ある。
とりあえず重たい荷物だけはコインロッカーへ放り込む。
コインロッカーなど風呂屋などでしか使ったことはなく、コインを投入し、扉を閉め、鍵を回すと、コインが下へチャリンと落ちる音がして、鍵がかかるといった旧式のものしか知らなかったが、ここのは電子ロックになっていて、いちいち使い方の説明を読まなくてはならない。
利用は3時間まで20元。
預ける荷物をロッカーへ入れて扉を閉め、中央のテーンキーで利用するロッカー番号を入力し、コインを入れると、自動で鍵がかかり、解錠するための暗証番号が書かれた紙切れがプリントアウトされて出てくる仕組みであった。

コインロッカーの暗証番号
[この紙切れを紛失する心配があるで写真に撮っておく]

身軽になって、岸壁沿いを歩き始める。
対岸に大きな白い客船が停泊している。
船腹に"PEACE BOAT"と書かれている。
あぁ、ピースボートが寄港しているんだ。
このピースボートも30年以上続いていると思う。
昔、蘆山温泉の碧華荘にも霧社事件について山の古老たちの話を聞きにツアーで来ていた。
私も会場に闖入させてもらって、話を聞かせてもらった。
今回も霧社事件のツアーはあるのだろうか?
しかし、もうすでに霧社事件当時のことを知っている生存者はいないだろう。
碧華荘もなくなってしまって久しい。

対岸にピースボート
[ピースボートが停泊している]

駅寄りの埠頭周辺は、戦前の基隆港の風情を残した建物が多く残っている。
旧大阪商船の赤レンガの建物も健在。
そうした港町風情の中で自撮りをしている人たちが多い。
デートをしている若い人ばかりでなく、年配者もよく見かける。
が、よく耳を澄ませてみると、年配者たちが話している言葉は日本語である。
確かに昔の台湾なら日本語を話す年配者はどこにでもいた。
しかし、いまではそうした日本語世代を見かけることは稀になっている。
どうやら、今ここで日本語を話している年配者たちは、本物の日本人らしい。
台湾へ観光旅行に来る日本人が増えていることは知っていたが、こんなに多いとは驚きである。
しかも、ゴールデンウイークも終わったシーズンオフと言うのに。

旧大阪商船ビル
[元大阪商船の建物は現在税関になっている]

海に張り出した広いボードウォークの公園にはたくさんの家族連れが来ている。
外国人労働者のグループもいる。
ストリートパフォーマーもいれば、楽器を持ち込んで演奏している人もいる。
ここでも日本の年配者の姿を見かける。

港のボードウォーク
[風船を使ったパフォーマンスをやっていた]

太陽がだいぶ西の低いところに来ている。
夕方の港を高いところから眺めてみようかと、港の東側にある丘の上の中正公園へ向かって歩き出す。
丘は停泊しているピースボートの裏にあり、岸壁沿いをピースボートの方へ向かって歩く。
歩いて行けばいくほど、日本人年配者の密度が濃くなってくる。
どうやらこの年配者たちはピースボートの乗船客のようだ。
私はピースボートに乗るのは若い人たちだけだと思っていたが、いまのピースボートの乗船客の年齢層は随分と高くなっているようだ。
それと昔ピースボートが使っていた船はギリシャあたりで使っていて、廃船間近の老朽船だったような記憶があったが、いま目の前に見えている船は3万トンくらいありそうな豪華客船である。

オーシャンドリーム
[船名はオーシャンドリームとなっていた]

これに比べて、今夜乗船する馬祖島へ向かう「台馬之星号」がすでに港へ入って接岸していたが、いかにも小さな船に見える。
小さいと言っても、五千トンの貨客船であり、立派なものだが、やはりこうして見比べてしまうと、貧弱に見えてしまう。

馬祖への連絡船 台馬之星
[馬祖南竿までの運賃は1050元]

中正公園のある丘へはどこから登ってよいやらよくわからないが、古い裏町のようなところを歩いて行くと、密集した住宅の間の路地に公園への方向を標識が出ていた。

基隆の裏町
[坂の途中に中正公園への標識]

中正公園へ続く細い路地
[民家の軒先を縫って歩くのは楽しい]

坂道を下ってきた人に聞くと、この道を行けば中正公園にたどり着けると教えてくれた。
狭い路地裏のような坂道を登っていくと、如何にも台湾の廟と言った屋根越しに夕暮れの港が見えてきて、中正公園に到着。
公園内には立派な三連の中国風塔が聳えており、この塔にも上ってみたいと思ったが、登り口がどこなのか塔の周りをまわってみたが見つけられなかった。
もう時刻は6時を回っており、入り口を閉じてしまっていたのかもしれない。
この中正公園にも日本人のグループが来ていたが、年配者ではなく若い人たちだった。

中正公園
[もうだいぶ暗くなってきてしまった]

コンテナ埠頭
[コンテナ埠頭にも照明が入り始めた]

この丘の北側に巨大な観音像が立っているので、そちらへも回ってみる。
2匹の狛犬風に守られた観音像は白く巨大で、港を見下ろしている。
額のところには赤い電球も光っていて、足元には「慈航普渡」と書かれている。
港町らしい名前である。

基隆の丘の上の観音像
[実際の空はもううす暗に近いのに写真だとなぜか青空]

すっかり日が暮れてしまったが、この丘の上からの夜景もなかなかきれいであった。
基隆は雨の多い土地と言うことになっているが、きょうは良く晴れている。

ハーバーライト
[大きな四角い建物はエバーグリーンホテル、オーナーはコンテナ船会社]

乗船する前に夕食を済ませなくてはならないが、夜の基隆の名物と言ったら廟口の夜店街であろう。
とくにここの夜店街はB級グルメを集めるところとして知られているが、しかし私はそんなミーハーなところよりも、ローカルな餃子屋へ行きたい。
以前に見つけた慶安宮という廟の境内にある「曾記」という餃子屋が良かった。
しかし、残念なことに店は閉まっていた。
時刻は7時を回っている。
夕食時は営業しないのだろうか。

仕方ないので、廟口の夜店街へ向かう。
週末の夜と言うこともあるのだろうけれど、身動きもろくにできないほどの大混雑の大賑わいである。
ここに来ている人の大半が観光客なのだろうけれど、有名な露店の前あたりはいっそう人混みが激しくなる。

基隆廟口夜市
[食べ歩きしている人や自撮りしている人、順番を待つ人]

基隆名物の天ぷら、味噌汁、うどん、おでん、寿司となんだか日本食ばかりのようだが、いずれも台湾化している。
また、栄養三明治というサンドウィッチやカキ氷などの台湾スイーツも流行っているようだ。
そんな名店がひしめく中で、これも基隆廟口名物のカレーライスの屋台のベンチに座る。
混雑していて、せまっ苦しいが、これもここの風情なんだろう。
黄色いカレーが入った大鍋から、お玉ですくってご飯の上へ無造作にぶっかけ、やはり黄色い沢庵漬けを二枚のっけて出来上がり。
値段は50元で、ここの夜店街の食べ物の中では安い方。
具は豚肉、玉ネギ、ニンジン、ジャガイモで、色はやたらと黄色い。
香辛料は弱めで、辛さも控えめ。
なんとなく、戦前の日本の家庭で食べられていたカレーライスとはこんなものではなかったかと想像される代物だった。
できれば昔風に、お冷のガラスコップにスプーンを差してサービスしてほしいところだが、この屋台ではお冷は出ないで、味噌汁を注文している人が多かった。

基隆のカレーライス
[このカレーライスの店に限らずどこも大繁盛している]

なんとなく物足りないような気がしたので、煎餃と呼ばれる餃子も買ってしまう。
これは日本の一口餃子のようなもので、12粒で50元。
座って食べる場所はなく、箱に詰めてもらう。

煎餃の夜店
[煎餃は日本の餃子に近い感じ]

その隣の屋台では豚の丸焼きが売られていた。
バンコクの中華でよく見かける生まれたばかりの乳のみ子豚ではなく、もう少し大きくなった豚だが、やはり北京ダックのように飴色に焼いたパリパリの皮をモチ皮に包んで食べるもののようだ。

豚の丸焼き
[高級中華の豚の丸焼きもここなら気軽に食べられるようだ]

時刻は8時を回ったので、乗船ターミナルへ向かって歩き出す。
途中のコンビニで紹興酒を一本仕入れる。
175元也。
これは今夜船の中で飲むものではなく、島に渡ってから飲もうと思っている。
馬祖島は離島だから、こうしたものの輸送コストがかかり、島では高いのではないかと言うセコイ発想から基隆で仕入れていくことにした。

乗船ターミナル
[定期航路の乗船ターミナル 右は馬祖行きの連絡船]

コインロッカーから荷物も引っ張り出し、鉄道駅の先へ進んだところがターミナル。
入り口は薄暗いが、中に入ってしまえば、明るく、カウンターや待合室があり、乗船を待っている人がたくさんいる。
船の予約はすでにインターネットで2か月前に行っており、その際にカードで支払いも済ませてあるが、このカウンターで乗船手続きをすることになっている。
手続きには番号札をとって順番を待つことになっているそうなのだが、どこで番号を配っているのかわからず、カウンターで尋ねたところ、順番など関係なくさっさと乗船手続きをして、乗船券を用意してくれた。
言葉のよくわからない日本人に説明するより、さっさと手続きしてやった方が面倒がないと考えたのか、それとも外国人への便宜のつもりで配慮してくれたのか、実際のところはよくわからないか、おかげで楽させてもらった。
ただし、乗船券に指定されていたのは、Cデッキ、9号室、13番ベッドとあまり縁起の良くない番号がふられていた。

チェックインカウンター
[馬祖航路は兵隊さんが多いと聞いていたがあまり目立たない]

広い待合室で待たされている間、柱の電気コンセントを使わせてもらって携帯電話に充電をさせてもらう。
同じことを考えている人はたくさんいるようで、ほとんどの電気コンセントには携帯電話のアダプターが差し込まれている。

9時過ぎに乗船開始。
空港と同じように手荷物検査があるが、液体物の持ち込み規制などはないようで、さっき買った紹興酒が没収されることはなかった。

ブリッジで乗船
[ちゃんと船腹とブリッジでつながれて乗船できる]

指定された9号室は30人以上収容する大部屋で、2段ベッドが並んでいる。
窓がないため、ちょっと圧迫感も感じる。
ベッドにはシーツの代わりにゴザのようなものが敷いてあり、カーテン、枕と掛布はある。
ベッドに入って起き上がると上のベッドの頭がつかえる。
読書灯はあり、ちゃんとスイッチは入るが電源コンセントはない。
まぁ、タイの寝台車と同じレベルくらいだろうか。
船内はエアコンが効いていて少し寒いくらい。

エコノミークラスの二段ベッド
[カーテンが開いているのが私のベッド]

出港前に船内の探検に出てみる。
デッキではカップラーメンを食べている人が目立つ。
船内にはいくつもの給湯器が用意されており、カップラーメンを食べるには便利なようだ。
またビールを飲んでいる人も多い。
ビールを売る自販機は船内になく、売店で売っている。
また乗船前に買い込んでも、船内には共用の冷蔵庫も用意されていた。

売店がある場所は、船首側の"餐庁"と呼ばれるところで、窓もあり、ゆったりしたシートもあって快適そうだが、餐庁とは言うものの、料理の提供はしておらず、みやげ物、袋菓子やカップ麺、飲料などを売っているのみ。
なお、この"餐庁"だけは船内で唯一無料のWiFiが使えるようだ。

夜10時、出港。
ドラが鳴るわけでもなく、蛍の光のメロディーが流れるわけでもなく、飛行機がゲートを離れるときのように味気ない出港であった。
しかし、夜の港を海上から眺めるのは、旅情をそそる。
港明かりが水面に揺れていたかと思うと、巨大なクレーンがせわしなく動いて、大きなコンテナーを積み上げたり、船から降ろしたりしている。
軍艦も停泊している。
これらも昔なら写真撮影厳禁であったものが、今ではまったく好き放題に写真が撮れる。

船上からの港明かり
[港の夜景は海上からの方がきれいに見えるようだ]

巨大な発電所のような施設を過ぎたあたりで、港の外へ出たようだ。
夜釣りをしているのか、明かりをともしたプレジャーボートも何隻も見える。
東の方の山の上に、黄色い小さな明かりが密集したところが見える。
夜なので山の稜線も定かでないし、距離感もつかめないが、なんとなく九份のあたりではないだろうかと想像した。

基隆港外航行中
[薄ぼんやりと、小さな明かりが山の中腹に密集しているのが見える]

夜11時。
ベッドにもぐりこみ、耳栓をし、アイマスクをして寝ることにする。
横になっていても、船が揺れているのがわかる。

つづく

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