今年の桜は開花が例年よりもずっと早かったそうで、散るのも早まってしまったようだ。
八重桜はまだ少し花を残しているが、枝に花よりも、地面に散った花びらが散らばり、ピンク色で敷き詰められ風情がある。
[まだ八重桜の枝には花が少し残っている]
[関東ローム層の黒土にピンクの花びらのコントラストが鮮やか]
今回の東京滞在中は、毎日のように雨が降った。
雨降りの合間を縫って草むしりをする。
まだ雑草でジャングルにはなっていないけれど、ドクダミ、ノウゼン、スギナなどたくさん伸び始めている。
いずれも根が深くて、採っても取ってもキリがなさそう。
でも、今のうちに取っておかないと、もっとすごいことになるだろう。
それに、こうして土に触れる機会はバンコクではなかなかないし、この季節はまだ蚊がいないので、蚊に刺される心配もない。
暑くもない。
しかし、しゃがみこんでの作業なので曲げた腰は、立ち上がろうとすると痛みが走る。
[かわいそうだけどタンポポも抜き取る]
ラビットスクーターも体調不良らしい。
原因は燃料がエンジンにまわらないため。
燃料タンクが錆つき、コックが詰まってしまっている。
今の日本では燃料タンクの錆が取れる化学薬品が市販されているらしい。
それを使えば、ラビットスクーター体調不良の原因を解決してあげられそうなのだけれど、この作業のためには燃料タンクをフレームから外さなくてはならない。
そのような作業はいまだかつてやったことがない。
車体カバーだって外したこともなく、さびたネジを回せるかどうかも自信がなかった。
それに、化学薬品を使っても、錆取りには数日かかるそうだし、洗浄や乾燥なども何度もしなくてはならないらしいので、今回の雨続きではとても行えそうにない。
とりあえず、応急的に燃料コックを外して詰まっている錆を穿り出してみることにする。
[ラビットの鉄製ボディーをフレームから外す]
[燃料タンクから抜き取ったガソリンを空き瓶に詰める]
もう一台の赤ラビットは今回もエンジンをかけることもなく、休眠させたまま。
一年以上も放置したままで、バッテリーも死んでいるだろうし、タイヤも空気が抜けてぺしゃんこになっている。
再び動かせようにするにはかなりの時間がかかりそうなので、こちらの整備も次回以降に順延となる。
ラビットスクーター以外に、自転車でも近所を走り回った。
この季節、雨さえ降らなければ自転車で住宅街を走るのは気持ちが良い。
駅前の銀行へ向かう途中で、庭に二匹の黒猫がいる小さな古い家があった。
この二匹の黒猫は軒先で向かい合って座り、まるで鏡にでも映っているかのように見える。
他家の庭先の写真を撮ったりするのは問題かもしれないけれど、なかなか絵になっている情景であったので、キキーっとブレーキを軋ませてネコを驚かせないように自転車を静かに止めて、写真を撮らせてもらう。
[この二匹は兄弟なのだろうか]
二匹の黒猫の横にももう一匹軒先に白黒のネコがおり、また植え込みにも別にもう一匹寝ていた。
そのネコもやはり白黒のネコであった。
[この白黒ネコも兄弟なのだろうか]
銭湯にも行ってきた。
市内には2軒の銭湯が残っているそうだけれど、これまで「第二喜多乃湯」にしか行ったことがない。
またスーパー銭湯と言うのも近所にあるのだが、そこへも行ったことはない。
浮気をしない性格と言うか、マンネリ好きと言うか、変化をあまり求めない生き方を志しているつもりである。
その銭湯へ行く途中の旧市役所前通りに「くるめでんき」がある。
前回一時帰国した際に近所の郷土資料室に案内説明もなく展示されていた一枚の白黒スナップ写真が気になっていた。
日立の特約電気店、オート三輪、、、見覚えのある景色であった。
[郷土資料室に説明もなく展示されていた市内の古い白黒スナップ]
私の記憶ではカネヨシマーケット前から撮影した写真ではないかと思った。
今回、カネヨシマーケットが昔あった場所へ行ってみる。
カネヨシマーケットは何十年も前、たぶん西友ストアができた頃にはなくなっていたと思われるが、このマーケットには小学校へ上がる前、母との買い物の思い出など、切れ切れになりながらも懐かしく残っている。
樽に詰められた味噌の臭い、八百屋ではゴムで吊り下げた笊のつり銭用小銭がジヤラジャラ音を立てていた。
オート三輪は当然見当たらない。
当時の木造二階建てではないが、日立の特約電気店の「くるめでんき」は健在であった。
電気店の向かいのお茶屋さんも健在のようだ。
それ以外は、もうすっかり景観が変わってしまっている。
バス停の位置も動いているようだ。
カネヨシマーケットがあった場所には、大型ドラッグストアがあった。
[オレンジ色の建物が「くるめでんき」で健在らしい]
懐かしいといえば、もうひとつ。
今から50年前の4月に、私は久留米神明幼稚園に入園した。
その幼稚園を再訪してみた。
セキュリティーのこともあり、部外者は入れないことになっているそうなのだが、対応してくださった園長先生に特別に許可していただき園内へ入れさせていただいた。
園舎は建て替えられることもなく、50年前と変わっていない。
幼稚園児だった頃に泣き虫だったが、どうも年をとってきて、また涙腺が甘くなってきてしまっているようだ。
懐かしさに涙が出そうになる。
年少組のときは「もも組」だった。
「もも組」の教室も、健在であった。
[もも組の教室も健在だった]
教室内もほとんど変わっていない。
黒板横には、今月誕生日を迎える園児の名前が飾られているのも昔のままだ。
教室の壁際の棚には、園児一人ひとりの道具箱などを入れるようになっている。
教室の中で変わったものといったら、天井のエアコンくらいではないだろうか。
昔にエアコンがないのは当然で、当時は教室の真ん中に大きなストーブが置かれ、まわりを金網の柵で覆ってあった。
冬場はこの柵に弁当をぶら下げてもらい、弁当を温めてもらった。
弁当箱もプラスチック製ではなくアルミ製であった。
[教室内も昔と変わっていないようで、50年前の記憶がよみがえってくる]
砂場も砂場の上の藤棚も昔と同じ場所にある。
プールも同じ場所。
遊具類は見覚えのないものに変わっている。
私の記憶では砂場の隣に箱型のブランコがあったのだが、園長先生の説明によれば、現在は安全上の問題から箱型のブランコは撤去されたそうだ。
校長先生は園庭の真ん中にある桜の大木がご自慢のようであったが、私には桜の木の印象はない。
市の名木にも指定されている桜の大木なのだが、たぶん50年前は大木ではなく、まだ幼木で目立たなかったのかもしれない。
[幼稚園の園庭としてはとても広いほうだと思う]
今回の一時帰国、ちょっとしたセンチネンタルジャーニーになったようだ。
バンコクへ戻る最終日も雨降りであった。
[中華航空の成田便にジャンボが復活したようだ]
昨年、もう乗る機会もないだろうと思っていたジャンボジェットの2階席へ。
もともとビジネスクラスの席なので快適で得した気分。
昨晩から花粉症になりかけたのか、体調が思わしくなく、ゆっくり寝て行くべきところであったが、往路で途中まで見ていた映画、映画リトルフォレストの続編を飛行中ずっと見続けてしまった。
居眠りをしなかったのと、さらに成田を出る前から稲荷寿司やシュウマイ、カップヌードルなど食べすぎ飲みすぎで台北に到着したときはかなりグロッキーであった。
[箱根を越えたあたりで雨雲も切れて、機窓から富士山を眺められた]
いつもなら5時間もある乗り継ぎ時間を利用して台湾に入国して、街歩きをするのだが、今回は来るときに極短時間ながら大園の街に行っていたので、今回は台湾に入国をせず、乗り継ぎ時間に休憩をとらせてもらう。
台北空港第一ターミナルの中華航空ラウンジには"Sleeping Room"なるものがあることは知っていたが、覗いたことはなかった。
この機会にそこで居眠りをさせてもらうことにした。
部屋は2室あり、鍵はかからないが個室になっている。
寝椅子の他に小さなテーブルや棚もある。
照明の調節もできるが、スピーカーの音量調節はできない。
そのため、スピーカーからは常にBGMのような音楽が流され、ときどき搭乗アナウンスが入る。
熟睡するにはあまりよい環境ではないけれど、薄暗い部屋で横になれるので、3時間ほど休ませてもらった。
バンコクへのフライトでは機内食に「フルーツミール」と言うものを予約しておいた。
これは大正解で、ソンクラン休暇明けでバンコクへもどるタイ人で満席の機内にあって、一番最初に機内食は運ばれるし、内容も果物尽くしで、胃の負担も軽かったのか、食べ終わってすぐにバンコクまで狭いエコノミー席でも寝ていくことができた。
[前菜も、メインも、デザートも果物 ドリンクは白葡萄酒]
なお、バンコクの入国審査は中国人観光客で大混雑し、1時間以上並ぶことになった。
バゲージターンテーブルの横に私の荷物が他のスーツケースなどと一緒にまとめて置かれてあった。
時刻は午前3時になっていた。