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金子光春を追って(前編)
6月22日(木)から五日間の旅行に出る。
夕方の中華航空に乗って台北へ飛び、そこからアムステルダム行きに乗り継ぐ。
4月の旅行の時はオランダだけ、しかもハーレムに3泊滞在するのんびりとしたものだったけれど、今回はアムステルダムからベルギー、フランスと回る駆け足旅行。
それぞれの移動区間のバスもすでに手配済みなので、どこかでスケジュールが崩れると身動きが付かなくなってしまう懸念がある。
その試練第一歩が初日の台北での乗り継ぎ。
乗り継ぎ時間が1時間しかない。
飛行機が遅れるのはしょっちゅうなので、ここで乗り継ぎに失敗したらどうにもならない。
数日前から飛行機のフライト状況を確認すると、だいたい15分くらいの遅延で台北へ到着しているが、1時間近く遅れている日もあった。

そんな懸念を抱きながらも台北には15分ほどの遅延で到着し、無事に乗り継ぎに成功。
しかも、ラウンジにも立ち寄って缶ビールをいただく余裕まであった。
コロナからずっとラウンジに置かれたビールは台湾ビールだけだったけれど、今回覗いてみたらサッポロビールも置かれていた。
ここも少しずつサービスがコロナ前に近付いてきている気がする。

台北からアムステルダムまでは14時間のフライト。
機内はほぼ満席。
私の隣は運よく空席になっている。
機内では機内食を食べて、狭いシートでうつらうつらして過ごす。
今回の旅行に出る前の数日間も忙しく飛び回っており、睡眠不足になっていたから機内ではぐっすり眠れるだろうと思っていたけれど、どうもうまく眠りに入れない。
機内は照明が消されて暗いのだけれど、半分くらいの人は起きて映画を見ているらしく、シートのスクリーンが青白い光を放っている。

6月23日(金)
アムステルダムにはほぼ定刻の7時過ぎに到着。
入国審査も簡単に終わり、荷物を受け取り税関前にあるトイレへ入る。
トイレへ入った時、手洗い場に女性がいたので、最初入り口を間違えたかと思った。
が、入り口を間違えたわけではない。
次に女性用が混んでいるから男性用に回ってきた人かと考えたけれど、よく観察してみたらここのトイレ、入り口は男性と女性が分かれているが、中に入ると男女一緒になっている。
日本でもタイでもまだこのような仕組みのトイレは見たことがない。

スキポール到着
[台北での乗継含めて20時間かかって到着]

さて、次の目的地はベルギーのブリュッセルなのだけれど、ここスキポール空港からなら電車で直接ブリュッセルへ行けるようになっている。
オランダは電車が発達していてとても便利。
しかし、ヨーロッパの交通機関は運賃が高い。
ブリュッセルまで早割りで25ユーロと言う金額。
タイから来た身には、ちょっと高く感じたので、もう少し安くいく方法はないかと調べたらBlaBlaバスという会員制のようなバスが走っていて、これがやたらと安い。
スキポール空港からブリュッセルまで11ユーロほどの金額。
所要時間は電車よりかかるけれど、値段が安いので09:48発のバスを予約しておいた。
バスの出発時刻まで時間があったけれど、空港内のベンチに座って、ブリュッセルに着いた後の行動予定などについてスマホを使って計画を立ててみる。

今回の旅行の目的は、金子光春の足跡をたどってみようというもので、以前にもマレーシアのバトパハを訪ねている。
画家であり、詩人である金子光春は、マレー蘭印紀行、眠れパリ、西ひがしの3冊の旅行記の傑作を残しており、90年の時を隔てても、色あせない情景を再現してくれている。
しかし、90年の間に、世界中いたるところが変わってしまい、当時と今とでは全く違っているところの方が多い。
バトパハでは、金子が滞在していた日本人倶楽部の建物は健在で、すでに倶楽部ではなくなっているが、ここの一室の藁布団で金子は寝泊まりしていたのかと思うと、タイムスリップしたような気になれた。
今回、この3冊の旅行記に加えて、「マレーの感傷」という作品集を読んでみた。
その中には、ブリュッセルやパリで過ごした住所番地まで記されていた。
それを頼りにして、ブリュッセルとパリを訪ねてみたかった。

スキポール空港からのBlaBlaバス、チケットにバス乗り場は「スキポール空港」と書かれているだけで、何番のバス乗り場とかの表示がない。
ターミナルを出たところでタクシーの客引きをしている男性に確認したら、タクシー乗り場の隣で待っていれば来るよと教えてくれた。
バスの出発1時間前には、バスの座席番号を知らせるメールも届いた。
座席は6Aだそうだ。

バスは少し早めにやって来た。
車内は空席が目立つ。
空港を出て、牧場の中を走るハイウェイを快調に走る。
ホルスタイン種の白と黒の牛が緑の中に群れている。
集落には教会の尖塔が見える。
風車小屋を見るとオランダに来ていると言った実感がわいてくる。

空席が目立つ
[車内は空席が目立つ、乗り心地も悪くない]

30分ほど走ってユトレヒトに到着。
ここで数名乗車してくるけど、まだまだ車内は空席が目立つ。
さらに30分ほど走って国境を越えてオランダからベルギーに入った。
国境には高速道路沿いにここからベルギーみたいな看板が一つ立っているだけで、国境となるような川だとか、山の尾根なんてものはなにもない。
もともといったいどのようにして国境を定めたものなのだろうか。

ユトレヒトのバス停
[ユトレヒトのバス停]

国境を越えてすぐガソリンスタンドに立ち寄る。
スタンドにはスーパーが併設されていたので、バスから降りて覗いてみる。
コンビニのようなスーパーで、奥の方に惣菜が売られている。
コロッケのような揚げ物が売られているが、値段が高い。
ひとつ3ユーロ前後になっている。
このところユーロが値上がりしていて、1ユーロが38バーツくらいになっているから、3ユーロだと120バーツ近い金額。
日本円でも500円くらいだろうか。
ベルギーはオランダよりも物価が高いのかもしれない。
それにしても、500円のコロッケとは驚いた。
むかし、日本が世界で一番物価が高いと思っていた。
アメリカでもヨーロッパでも、物価が高いとはあんまり感じなかったけれど、どうやら世の中変ったようだ。
東南アジアの発展途上国に20年も沈没していたので、浦島太郎になってしまった。

コロッケが3ユーロ
[無駄遣いはしません]

バスはアントワープでたくさんのお客を載せて、ほぼ満席となった。
このバスの最終目的地はパリということしい。
みんなパリへ行くのだろう。
アントワープは金子光春の妻、森美千代が金子と別れて船賄事務所で働いていた場所。
大きな港町で、大型船の入れる運河があるけれど、バスの車窓から見る限りでは、港町と言った印象は受けない。

アントワープ
[バスの窓から見たアントワープ]

ハイウェイを走る車はほとんどが欧州製で、ベンツやシトロエン、ワーゲンなど。
日本車の占める割合は1割くらいではないかと思われるくらいの少数派になっている。
それもコンパクトカーばかり。
ここでも世界の中から日本の影が薄くなっているのを感じる。
そんな欧州車ばかりのハイウェイも所々で渋滞する。
特にブリュッセル近くは交通量も多いようで、もうとっくにブリュッセルに到着している時刻なのにまだハイウェイの上。
1時間遅れてブリュッセルに到着。

今夜の宿は、ユースホステル。
先ほどスキポール駅で計画を練っているときに、ブリュッセルの移動にはバスや市電に乗り放題となるフリーパスが便利でお得であるということを調べた。
24時間使えて8ユーロほどらしい。
とりあえず地下鉄の駅へ行けば買えるだろうと思って、地下鉄駅へ。
駅のキオスクで買えました。
確かに8ユーロ。
「24時間使えますよね」と念押し確認したら、
「ちがう、今日だけだ」と言われる。
うーむ、買うキップを間違えたかな。

1日乗車券
[一日乗車券]

とにかく、地下鉄に乗り込んでユースホステルへ向かう。
バンコクや東京の地下鉄と比べるとぐっと小さな車体で、エアコンがないので窓も開けている。
そのため車内は狭くて騒音も大きい。
イスラム系の女性や黒人、アラブ系の男性など、車内はいろんな人種の人が乗っている。
駅と駅の間隔は短くて、500メートルくらいだろうか?
ドアは半自動で、取っ手を引くとガラガラと開く。

ユースホステルは小さなロータリーに面した建物で、時刻はすでに3時を回っていたのですぐにチェックインさせてくれた。
受付の女性は片言の日本語を話し、香港出身で日本が大好きだと言っていた。
部屋は8人部屋だけれど、私以外はまだ誰もチェックインしていないようなので、窓よりのベッドを確保させてもらう。
宿泊料には朝食も含まれており、また共用のキッチンもある。
夕食には冷凍食品でも買ってきて食べようかと思う。

ユースホステルの建物
[なかなか立派な建物のユースホステル]

金子光春の住んでいたエリアはユースホステルから北に1キロほどの場所。
歩いても行けるところだけれど、せっかくフリーパスがあるので、ちょっと遠いところへ行ってみようと思った。
金子光春がブリュッセル滞在中に、いろいろと面倒を見てくれていたベルギーの東洋趣味コレクターのルパージュ氏が空港に近いディーガムというところに住んでいて、金子はそこへ頻繁に通っていたらしい。
そのディーガムのルパージュ氏の住所も「風車小路の7番地」と書かれており、だいたいの場所も見当をつけ、宿近くからバスが出ていることも判明した。
さっそく、そこから行ってみようとバスに乗り込む。
パスを読み取り機にかざしたけれど、ピピーという信号音がならない。
変だなと思ったけれどドライバーはイイから乗り込めという仕草を見せる。
が、どうも乗ったバスは目的地とは反対方向へ向かうバスだったことが判明する。
次のバス停ですぐに降りて、バスを乗り換えることにする。
フリーパスなので、こうして乗り間違えしても問題ないから良かった思う。
が、乗り換えようとしたバスの読み取り機もピピーっという信号音がならない。
そして、こんどのドライバーは「イイから乗れよ」という仕草をしない。
"Can you speak English?"と聞いてくる。
自信はないけど、イエスと答えたらば、
「そのパスではこのバスに乗れない、別の会社のバス用だ」と教えられた。

どうやらブリュッセルには2つかそれ以上のバス会社があるらしく、このフリーパスは共通で使えるものではないらしい。
しかも、ディーガム方向へ行くバスはいずれも別会社のバスらしい。
それでは仕方がない、別の場所へ行くとするか。

ブリュッセルの街
[バス会社がいくつもあることまで確認していなかった]

「マレーの感傷」の中には金子が歩き回った土地の名前がたくさん出てくる。
ワーテルローやビールセルなどを金子は森美千代と歩いている。
そんななかにテルビウルンと言うのがあった。
大きな森の公園らしく、白領コンゴー殖民博物館があるとなっている。
ブリュッセルの街の南東側にあるのだけれど、そこまでなら地下鉄と市電を乗り継いで行けそう。

モンゴメリと言うところから乗った市電が良かった。
2両編成でちょっと旧型の市電は、最初乗り場を探すのにウロウロとしたけれど、乗り込んでしまうと市電とはいっても東京の荒川線のようにほとんどが専用軌道を走り、その軌道は両側から包み込んでくるような緑の茂みに覆われいる。
この緑のトンネルの中を進む雰囲気がメルヘンチックで、ディーガムへは行けなかったけれど、なかなか雰囲気の良いところへやってくることができたと思った。

テルビウルンへの市電
[緑の中を走っているのは爽快]

終点がテルビウルンの公園前になっており、そのまま公園へ入っていくと、堂々たる建物があり、アフリカ博物館となっている。
これが元の白領コンゴー殖民博物館で、金子もこの明るい森の中の道を歩いたのだろう。
大きな長方形をした池があり、そり回りは手入れの良い芝になり、そして森となっている。
金子は日本の森と西洋の森は違ってて、日本の森はジメジメしているが、西洋の森は明るいと言ったようなことを書いていたけれど、この公園の中の森は深いけれど、確かに明るい森であった。
長方形の池や芝など、幾何学的に設計された公園で、美しいけれど、その美しさは人間によって作られ、管理されている美しさで、日本のような自然そのものの美しさとは別物だとわかる。
多くの画家がここで絵を描いたということだけれど、日本と西洋では描く絵でも被写体への向き合い方が違っているのではないだろうか。

アフリカ博物館
[広々として壮大な博物館]

ふたたび、緑の中を市電に揺られてモンゴメリへ戻る。
調べてみるとモンゴメリからブリュッセル市の外周を走って、ディーガムの近くまで行くバス路線があることを発見した。
私が買ったフリーパスはブリュッセル市の交通局のパスで、ブリュッセルにはブリュッセル市以外の近郊からもバスが乗り入れており、そうしたバスは交通局のバスではないから乗れないということらしい。
モンゴメリからディーガム近くへ行くバスは、ブリュッセル市から外へ出ないようだ。

目論見は当たって、ディーガムまで1キロほどのアーレンという町までバスで行くことができた。
近郊住宅街と言った感じのところで、ちょっと歩くと麦畑になっている。
そこから歩いて風車小路へ向かう。
大きな幹線道路を越えてすぐのところに風車小路と金子が呼んでいた"Watermolenstraat"はあった。
大型のトラックが行きかう幹線道路と違って、昔ながらの曲がりくねった小道で、道の両側にレンガ造りの住宅が並んでいる。
7番地もすぐに見つかった。

風車小路
[風車小路の入り口]

通りの左側が奇数番地で、右側が偶数番地。
なので通りに入って4件目がもう旧ルパージュ氏の邸宅ということになる。
ルパージュ氏は代々区長の名誉職にあり、本人も実業家で手広くビジネスをしていたようなのだけれど、実際風車小路7番地に建っている建物は邸宅と言うイメージからは遠く、庶民階級の住宅と言った印象を受ける。

旧ルバージュ邸
[旧ルバージュ邸と思われる]

たぶん、建物自体90年前と同じではないかと思われる古い作りで、ここにルパージュ氏が住んでいて、金子はここを頻繁に訪ねていたのに間違いはないだろう。
いまもここにはルパージュ氏の縁続きの人が住んでいるのかどうかはわからない。
日本の住宅と違って、表札などは出ていない。
どんな人が住んでいるのかはわからないが、子供用の自転車が庭にあったので、きっと子供のいる家庭なんだろうと思われた。

旧ルバージュ邸
[いまはどんな人が住んでいるのだろうか]

これでディーガムも確認できたし、あとはブリュッセル市内の金子の旧居3か所を探すだけ。
これも本に書かれており、
Rue De L'Hoecht の113番、八百屋の2階
Rue De La Poste 183番地、牛乳屋の3階
Rue Ver Bochkaven 23番地 洗濯屋の4階

居所番地
[金子光春の居所番地が書かれている]

最初の家は、八百屋の2階ということになっていたけれど、現在は八百屋ではなく肉屋になっているようで、"Foungee 1978 Boucherie Abdel"と書かれている。
路地と路地の交差する角に立っており、西側へ続く路地は下り坂でブリュッセル北駅へ向かっている。
金子はここは広い部屋と書いていたけれど、外から見ただけでも一面に窓が3つもあり確かに広そうだ。
現在のこの店の名前からも推測できるように、このあたりはトルコ人がいになっていた。
時刻は7時過ぎで、通りにはトルコ料理の店がテーブルを並べていた。

Rue De L'Hoecht の113番、八百屋の2階
[現在は八百屋ではなく肉屋になっているようだ]

そこから少し北に歩いたところ、サンマリ教会の裏側の路地が、リュウデラポスト(郵便局通り)で、183番地はクリーム色の壁に深緑の扉と言ったこじゃれた3階建て。
このあたりは住宅街なのか。商売をしている建物ではない。
所番地は間違えないけれど、瀟洒な建物は牛乳屋だった面影はない。
既に建て替えられたものなのだろうか?

Rue De La Poste 183番地、牛乳屋の3階
[牛乳屋には見えない]

3軒目は、少し離れていて、郵便局通りの建物と比べると一格落ちるようなレンガ建ての住宅で、当時は洗濯屋だったのかもしれないけれど、現在は商売をしているようには見えない。
そして、金子が住んでいたのは4階となっているけれど、このあたりの家並はどこも3階建てで4階のあるものは見かけない。
金子が言っている4階と言うのは屋根裏部屋のことなのだろうか。
通りかを見上げても、屋根裏部屋にあるはずの出窓は見えなかった。

Rue Ver Bochkaven 23番地 洗濯屋の4階
[3軒の中で一番小さい建物]

ここまで回って、いったんユースホステルの部屋に戻った。
時刻は8時半を回っている。
部屋にはもう若者たち数人が入っていた。
私はシャワーを浴びて、夕食材料を買いにスーパーを探そうとGoogleMapで調べてみるのだけれど、この周辺には大型スーパーはなく、どこもコンビニに毛の生えた程度の店しか表示されなかった。
しかも、コンビニ並みなのにどこも夜8時閉店で、すでに店が閉まっている。
サマータイムでしかも緯度の高いところなものだから、夜9時になっても外は明るい。
どうも時間の感覚がずれてしまっている。
しかたなく、機内食などで食べ残したパンなどを持って外へ出る。

ブリュッセルの下町のようなところを歩く。
ブッシェ通りと言う路地を進んでいくと料理屋が連なっている。
どこも繁盛していて、店の外にまでテーブルを並べている。
デリリウムというピンク色のゾウのマークがあるビール屋の奥に「小便少女」がいた。
小便小僧のパロディーということらしい。
有名なベルギービールの店ということで、店の中も外もお客でいっぱい。

小便少女の路地
[この奥に小便少女像がある]

そこから少し歩いたところで、ネコを一匹発見。
ベルギーで見かけた最初のネコ。
このネコがやたらとジャンボ。
毛が長くて大きく見えるということもあるけど、普通のネコの3倍くらいのサイズ。
カバンに忍ばせておいたキャットフードを取り出して与えた大喜びで食べて、あとはスリスリ。

ベルギーのネコ
[ネコはどこでも人気者]

夜10時、グランプラスに到着。
旧ギルドの壮麗な建物に囲まれた世界一豪華な広場と言われる場所だそうで、この広場の石畳の上に寝転んで取り囲む建物を見上げるとよいというので、早速やってみる。
この広場で機内食の残りのパンや飲茶とともにビールを飲んで、ちょっといい気分になる。
貧しい食事だけれど、目に映るのは豪華な建物。

グランプラス
[エビシュウマイ]

それにビールも飲茶も美味しい。
ヨーロッパに来て思うのは、ここで飲むビールは冷えてなくても美味しく感じられること。
日本やタイだと冷えてないビールなど飲めたものではないけれど、ヨーロッパなら美味しく感じる。
湿度など気候と関係しているのだろうか。

グランプラス
[ベルギーで台湾ビール?]

この時間になってやっと少し薄暗くなってきて、建物に明かりがともり始めているけれど、まだまだ明るい。
夜空の下で見上げた方が、より感動的なんだろうけど、もう時間的には夜も遅い。
ユースホテスルの門限も気になる。
しかし、小便小僧の像にも挨拶しなくては。

小便小僧
[世界三大ガッカリの一つらしいけど]

グランプラスからバスや地下鉄を乗り継いでユースホステルに帰る。
時刻は11時を回っており、地下鉄から外に出たらばさすがに暗くなっていた。
ユースホステルのルームメイトたちもすでに明かりを消して眠っているらしい。

白夜かな
[夜11時でもまだ少し明るい]


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暑さの峠を越える
今年のタイは例年以上に気温の高い日が続いていたそうだ。
自分でも毎日嫌になってしまうくらい暑くて、特に週末ピサヌロークの下宿で過ごすときなど、午後の時間が暑すぎてとても苦痛だった。
先月日本から戻ってきてから、今日まで何があっただろうかと思いだそうとしても、あんまり記憶がない。
前回も書いたけど物忘れが多くなっていることもある。
思い出すためにスマホに残っている写真を見返してみたけれど、写真そのものをほとんど撮っていない。
つまり、ブログに書くようなことはなんにもしてこなかったということらしい。

赤いマンゴー
[赤い象牙と言う名のマンゴー、そろそろマンゴーの季節も終わり]

そんな中でも、写真こそ撮影していないけれど、週末を利用してバンコクへ一度行ってきた。
行かなくてはならない理由もなかったけれど、ピサヌロークの下宿より部屋が広いので、居心地が良い。
月に何日も滞在するわけでもないからバンコクのアパートなど解約してしまい、バンコクへ行って宿泊しなくてはならないときは、安手のホテルに部屋を取った方が安上がりな気もするけれど、自分の部屋があるというのは、気分的に落ち着くので、解約もせず家賃を払い続けている。

そのバンコク行きは、06月09日金曜日の夜にピサヌロークを出て、11日日曜日の夜遅くに戻るというもので、往復ともヤンヨンツアーのバスを利用した。
そしてバスは往復とも満席だった。
人の往復が以前のように活発になってきたんだと思う。
でも、バスに乗っている人の大半がマスクを着用している。
まだコロナを引きずっているらしい。
人の往来は活況を呈するようになってきているけど、ピサヌロークとバンコクの間の移動手段はコロナ前と比べると随分と減ったままになっている。
バスの便数も鉄道の便数も減っている。
飛行機も半減したままで、私の業務範囲としての朝の飛行機でピサヌロークへ来てもらって観光ツアーに乗ってもらうというプランが立てにくくなってしまった。

バンコクへのバスは23:45に出発して、翌朝6時にバンコクのモーチット・バスターミナルに到着するというスケジュールだったけれど、途中ノンストップで走って午前5時にはまだ夜が明けていないバンコクへ到着した。
バスターミナルからアパートまでは517番の市内バスに乗れば乗り換えなしの一本で行けるのだけれど、市内バスの乗り場へ行ったけれど517番のバス乗り場を示す看板がなくなっている。
最近517番のバスには青い車体の電気バスが投入され始めているけれど、この青いバスはモーチット・バスターミナルへは行かず、戦勝記念塔域になっていて、使い勝手が悪い。
とにかく、ここ数年バンコクの市内バスは新車を投入し始めているけれど、運行ルートが変わったり、本数が減ったりして、以前より使いにくくなっている。
517番のバスを諦めて、赤い136番バスに乗り、フォーチュンタウンで137番バスに乗り換えてアパートへたどり着いた。

それでもまだ朝早い時間だったので、身体はだるいのだけれどジョギングにでる。
ジョギングのルート上の何か所かでネコたちに挨拶して回る。
ネコたちは半分ノラみたいなのもいたりして、そうしたネコはいつの間にか姿を消してしまったり、また新顔がやってきたりする。
ネコと言うのは、風来坊みたいなところがあるのかもしれない。

午前中にバンコクのオフィスへ行って少しだけパソコンに向かって仕事をする。
土曜日はスタッフがほとんど出社しておらず、ガランとしている。
バンコクのパソコンもピサヌロークのパソコンのあんまり調子が良くない。
起動して、まともにキーボードを叩けるようになるのに20分くらい待たされる。
さらにパフォーマンスを見てみるとCドライブの稼働が100%を示して、折れ線グラフが天井に貼り付いたままになっている。
つまり、ものすごく処理に時間がかかったりすぐにフリーズしたりする。
きっと探せば何か解決策もあるのかもしれないけど、探してもなかなか見つけられないのでそのまま放置している。
最近はAIだか何だか知らないけれど、ネットで解決策を探そうとしても、的確な回答を得られないことが多い。
おんなじ使えない回答が繰り返し表示されるばっかりだ。

ターミナル21のクーポン食堂で昼食にする。
ここはこの界隈で一番安く食事ができるところということもあり、空き席がないくらいの大盛況。
タイ人もいるけれど、中国系と韓国系の利用者が目立つ。
そして、食べ終わった食器類を下げずにテーブルに置きっぱなしで席を立つ人も多いのも困りもの。
テーブルは食べ散らかしや汁がこぼれていたりする。

今月はまたヨーロッパへ遊びに行く予定にしている。
前回4月には現地での支払いにクレジットカードをもっぱら使っていたのだけれど、カードで支払うと後日請求される際のレート換算率が良くないことが判明したので、事前にユーロの現金を用意して、なるべくカードを使わないようにしたいと考えた。
そこでアソーク交差点に面した小さな両替屋で数千バーツほどユーロに両替する。
レートは1ユーロが37.20バーツだった。
前回までの使い残したユーロもあるので、これで何とかなるだろう。
同じくアソークにある両替屋で、BTS改札口近くにあるオレンジ色のスーパーリッチには長い行列ができていた。
そこは別にレートが格別良いわけでもないのに、いつもみんな辛抱強く列に並んで順番を待っている。

午後からは部屋の掃除をする。
もう何か月も掃除をしてきておらず、部屋の中をはだしで歩くと足の裏がすぐに真っ黒になるほど汚くなっていた。
アパートの近くにはセメント工場もあり、それでなくても埃っぽい。
部屋にいると鼻水が出たり、くしゃみの連発が出たりするので、相当部屋の中が埃っぽくなっているのだろう。
バケツに水をためて雑巾で床を拭く。
棚のほこりを払う。
広くもない部屋なのに、あんまりに汚れているので何度もバケツの水を交換しなくてはならない。
こんな苦労するなら、やっぱりバンコクではホテルに泊まった方が楽かもしれないと思ってしまう。

翌日は昼過ぎま部屋の中で過ごす。
バンコクにおいてあるノートパソコンの電源を入れようとしたが全く反応しない。
バッテリーは以前からダメになっているのだけれど、AC電源につないでもウンともスンとも言わない。
このパソコン、もうあちこち故障していているのだけれど、ハードの中にはまだ必要なデータもたくさん入っている。
前回はちゃんと起動できていたのに、どうしたんだろう。
パソコン本体の故障だとちょっとお手上げだけれど、以前からアダプターが使用中とても熱くなるという事象があったので、まずはアダプターを疑ってみる。

アダプターのケースを開けるのは容易でないことは経験している。
ネジとかでセットされているのではなく接着剤のようなモノで上下のカバーがくっつけられている。
ケースを綺麗に開くことは諦めてノコギリで切ってしまうことにした。
その作業も根気がいる作業だったけれど、なんとかカバーを上下に分離することに成功。
ケースの中の基盤を見たらあちこちが焼け焦げて煤で黒くなっている。
ヒューズらしきものも断線している。
これはそもそもアダプターが故障していたことが判明。
パソコン側にも問題があるかもしれないけれど、まずはアダプターを交換する必要がありそうだ。
このパソコンはメーカーものではなく、ヤマダ電機のオリジナル製品なので、アダプターもメーカーの汎用品に対応していない。
DC側の出力が20ボルトとなっている。
まぁ、こんな変則的なものでもネットショップとかで探せば似たようなものが見つかるかもしれない。

5バーツのアイスキャンディー
[ピサヌロークで見つけたアイスキャンディー屋にて5バーツのアイス]

今月はまたヨーロッパへ遊びに行くと書いたのだけれど、飛行機の切符は去年のうちに手配したもの。
まだコロナで飛行機の需要もあんまり高くないときだったからか往復で3万バーツ以内で買えた。
しかし、半年以上も先の切符を買ってしまうというのはリスクもあり、どうしたわけか、6月は全体的に仕事が甘かったのに、私がー旅行に出ている週末だけやたらと仕事が忙しくなっている。
不在中に手配のミスが発生しないように、あれこれと手を尽くさなくてはならないのでちょっとバタバタする。
トラブルが発生しても自分が直接采配を振るうことができれば、なんとか乗り越えさせる自信はあるのだけれど、それができずスタッフに任せるというのは不安で仕方がない。
もう少し機転が利いて、ちゃんと動くスタッフがいてくれたらと、毎度ながらに痛感する。

06月17日、また週末となる。
前の晩、ナーン川沿いのルンチュアイの店で夕食を食べたが、料理3品を注文したけれど、食べ残してしまった。
料理を食べ残すというのは、めったにないこと。
以前と比べて食が細くなっているようなんだけれど、体重は去年と比べて数キロも増えている。
残したのは、量が多すぎたこともあるかもしれないが、料理がしょっぱ過ぎたこともある。
特に「カナー菜の塩魚炒め」がしょっば過ぎた。
リタイホテルの朝食で好んで注文していた「カナー菜の芽と塩魚のチャーハン」のイメージでルンチュアイの店で注文したのだけれど、まったく味が違っていた。
塩魚はしょっぱいだけでなく、骨がやたらと多くて食べ難くもあった。
ルンチュアイの店は安いし、オープンエアで気持ちがいいので気に入ってはいるけれど、これからは一人で食べるときは料理は2品にしておくのが妥当なようだ。
それにしても「空飛ぶ空芯菜の店」があればどんなに良かっただろうと思われる。

そして朝になり、夜中に雨も降ったこともあり、気温は27℃。
少し風も吹いていて、なかなか気持ちのいい朝。
ピサヌロークの中で私が出歩く場所はほとんど決まっていて、何年も住んでいるけれど、ほとんど探検してきていない。
そんな中で、つい最近地図で見つけたのがワニ園。
ピサヌロークにワニ園があるなんてちっとも知らなかった。
地図で調べてみたら下宿から12キロほどの距離にある。
暑さも知れているので、午前中のうちに自転車でワニ園へ行ってみることにした。
下宿がある場所からしてもう市街地の外なのだけれど、さらに郊外へ向かって自転車のペダルをこぐ。
雨季が始まり田んぼに水を張ったところが多い。
このあたりは田植えをせずに直播の田んぼが多いので、若々しい黄緑色の稲がチョボチョボと水面に顔を出していたりする。
アップダウンもなく平坦な田舎道で、しかもちゃんと舗装されているから自転車で乗ってサイクリング気分となる。
しかし、小さなママチャリでの12キロはちょっと遠かった。
1時間近くかかってピサヌロークのワニ園、パタマーン・フォームに到着。
入り口にはアーチ形の門があり、広い駐車場になっているけれど車は一台も止まっていない。

ワニ園の入り口
[園内に高圧線鉄塔が立っている]

園内には大きな池があり、親子連れが魚にエサをまいていた。
この池にはワニはいない。
奥に建物があってカフェとなっており、ワニを見るにはこのカフェを通り抜けなくてはならない。
なんとなくアイスコーヒーの一杯でも注文しないといけないのかなと言う気になったけれど、別に何も言われることはなく、むしろカフェの女性スタッフは「ワニはこの先の階段を下りたところ」と教えてくれた。

その階段を下りたところに大きなコンクリート製のプールがありワニたちがウジャウジャいる。
発泡スチロールの大きなボックスがあり、その中にワニのエサが砂遊び用のプラバケツむに入っていた。鶏のガラで一つ20バーツ。
その発泡スチロールの蓋を開け閉めしたら、その音を聞きつけたワニたちが続々とプールから上がって、こっちに向かってノシノシと歩み寄てくる。
これはなかなかの迫力もの。
数十匹が柵の下で早くくれよと催促して口を半開きにしている。
私はエサをやるつもりもなくただのぞき込んでいたら、その中の一匹、それも特に巨大なワニが私の方に向かって1メートル近くもジャンプして飛び上がってきたのには思わず仰天してしまった。

エサを催促するワニ
[ワニは100匹以上いるらしい]

この施設の中には小さなステージ風のものもあったのでワニのショーなども上演する計画があったのかもしれないが、ショーをするにはあまりにも来園者が少ないようだ。
カフェではワニ肉の入ったクイティアオのポスターが貼られていたけれど、それも提供していないのか在り来たりのコヒーなどしか提供していないように見受けられた。
併設してワニ革製品の販売コーナーもあったけれど、とてもささやかなもので、展示数も少なかった。
つまり、このワニ園、観光施設としては全然うまくいっていないようなのだけれど、たぶん本業はワニの養殖で、観光客の受け入れは趣味程度なのかもしれない。
そして趣味程度だからこそ、こんなに人が来ないのに園内は随分とよく手入れされている。
ワニ以外にも鶏やシカなどの動物たちがいるし、芝は良く刈り込まれ、木々の手入れもしっかりしている。
つまり、意外と穴場なのかもしれない。

園内
[のんびりするにはいいところ]

お昼となり、また自転車で下宿へ向かってペダルをこぐが、やっぱりこの時間になるとさすがに暑い。
そして、途中で左足の膝が少し痛みだしてきた。

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物忘れ頻発
5月になってもピサヌロークはやたらと暑い。
気温が40度を超える日もしばしば。
この季節に暑いのは例年と一緒なのだけれど、今年はどうにも耐えられなく感じるほど。
年齢的に体力が落ちてきて、暑さに対する抵抗力が落ちているのかとも思う。
ピサヌロークの下宿先近所で時々野菜を買う店の女主人に「歳のせいか暑さに耐えられなくなってきてる」とぼやいたら、私とほぼ同年代と思われる女主人は「今年は特に暑いからだ」と言った。
それにピサヌロークの下宿の部屋は西日に焼かれるので、午後から夕方にかけての暑さたるや尋常じゃない。
それに窓が1か所しかないので風通しも悪い。
エアコンを付ければ問題解決するはずだろうけど、3年前にこの部屋の暑さの中で死んでいったネコのことを思うと、意地でもエアコンのスイッチは入れたくない。

ネコのウォッカ
[下宿のネコ、ウォッカは暑くないのだろうか?]

そんな訳で週末など仕事がなくてピサヌロークの部屋にじっとしているのはとても苦痛。
その苦痛から逃げ出すために、4月29日から5月1日の2泊3日でバンコクのアパートへ避暑にでかけた。
バンコクは内陸部ピサヌロークほどの過酷な熱さではないし、それにバンコクのアパートは東向きで2面に窓があって風通しが良い。
ただ、ちょっと問題は先日から扇風機が故障して回らなくなっていること。

バンコクまで鈍行列車で向かう。
これもエアコンなしで硬いシートの3等車。
しかし、運賃が安いのと、旅情がたっぷりあることで、気に入っている。
朝6時にピサヌロークを出て約8時間半でバンコクへ。
バンコクも1日で最も暑い時間である午後3時。
駅前のラマ4世通りでバスに乗り換える。
バンコクの市内バスは最近電気で走る新型が走りだしたりしているけれど、バスの運行便数は随分と減ってしまっているように感じる。
バス停でバスを待つ時間がやたらと長く、いつ来るともわからないバスを待つのは長時間の長旅のあとでは一層疲れる。

随分待ってやってきたバスに乗り込んで、気づいたのは、バスの車掌のキップの切り方。
バンコクでは新型の電気バスが走り出したとはいえ、バスはいまだにワンマンカーではなく車掌がいちいちキップを切って回るスタイル。
その車掌は細長い金属製の筒でできた集金箱をジャラジャラさせながら集金し、ロール状に巻かれた切手風の切符を切って回っているのがバンコクのバスの特徴だった。
それが今回乗ったバスは筒形料金箱の代わりにスマートカード読み取り式切符発行機を首から下げている。
大きさはちょっとした弁当箱くらいのサイズで、集金金額を入力してスマートカードをかざせば切符がプリントされて出てくる仕組みになっている。
しかし、バンコクの交通系スマートカードは電車、地下鉄、バスなど統一されておらず、あんまり便利でない。
ましてバスなどではほとんど普及しているとも思われず、ほとんどの乗客が従来通り現金払い。
可愛そうなのはバスの車掌で料金リーダーは切符の発行はできても、現金を入れる機能はなく、コインは車掌の着ている上着のポケットに無造作にジャラジャラと放り込まれ重そうであるし、出し入れも面倒そう。
クレジットカードでの支払いにも対応できるみたいなことを聞いたことがあるけど、バスの利用者はクレジットカード加入審査を通らない低所得者が多いので、あんまり意味がなさそう。

バスの車掌さん
[揺れる車内で端末操作とお釣りの出し入れ、車掌さんは大変な仕事だ]

バンコクには避暑以外にも目的がちょっとだけあって、ひとつは故障した扇風機を修理に出すこと。
この故障した扇風機はバンコクに15年ほど前に中古でもらったもの。
以前にもスイッチが故障したりしてたけど、今回はどこかで断線している感じ。
いつもバンコクで朝のジョギングをするルート上にある修理屋へ持ち込む。

目的はもう一つあって、バイクの車検更新。
去年は陸運局へバイクを持ち込んで更新したけれど、今回は民間車検場で代行してもらう。
陸運局は週末休みでも、民間車検場は週末も朝早くから受け付けてくれる。
前輪のブレーキは油圧ポンプが故障しているらしく、ちょっとトラブルを抱えていたけれど、検査は合格。

避暑にやって来たバンコクではあるけれど、扇風機がないとやっぱり暑い。
ひたすらベッドにひっくり返って、じっとしながら時間を過ごす。

二晩バンコクで過ごしてピサヌロークへ戻るには高速バスを利用することにした。
バンコクからも安い鈍行列車はあるけれど、ピサヌローク到着が夕方6時と遅く、特に午後の暑い時間帯に窓から吹き込む埃を含んだ熱風にさらされ続けるのは耐え難いのでエアコンのあるバスとした。

通常ピサヌロークへ向かうバスはヤンヨンツアーと言うピサヌローク地盤のバス会社かウィンツアーと言うスコータイ地盤のバス会社を利用するが、今回はチャートチャイツアーというバス会社の便を予約した。
この会社のピサヌローク行きは1日一往復だそうで、バンコク発が昼の12時半で、ピサヌヌローク着が6時半。

予約するとき、座席はガラガラだったので、一番前方のシートを予約した。
タイでは事故の時、一番危険なシートとも言われるけど、私は前のシートがリクライニングで倒れてくることがないので、気に入っている。

しかし、バスに乗り込んで指定した最前方の席に座ろうとしたら何やら荷物が置いてある。
隣りの人の荷物だろうと思って脇に寄せていたら運転手がやって来て「ここはオレが寝る場所、どこか空いてる席に座れよ」と言う。
長距離なので交代の運転手がいるのはわかるけど、この対応に気分を少し害する。

車内では水と薄っぺらい揚げ物を挟んだハンバーガーのようなモノが配られる。
あんまりサービスも良いとは言えないようだ。
もっとも、他社のバスも最近はサービスが良くない。

チャートチャイのバス
[外見と比べて車内は相当くたびれている]

3時間半ほど走ってナコンサワンの手前のドライブインに入る。
ここではよく食事休憩ということで立ち寄り、バスのチケットを見せるとブッカケ飯などを食べさせてくれたりしてたけれど、このバスにはそのようなサービスはないらしく、20分の休憩時間はトイレを済ませたら、ただ暑い中出発を待つだけ。

そのドライブインを出発して間もなく、ガシャーンと言う大きな音がした。
どうやら並行して走っていたトラックと接触したらしい。
ぶつかったトラックはそのまま前方へ走り去っていく。
バスは乗客の安否確認をするでもなく猛然とトラックを追いかけはじめカーチェイス。
赤信号で止まったところで、運転手同士の話し合いとなるが、乗客には何の説明もないし、詫びの一言もない。
そのうち保険屋がきたりとかで、1時間以上も暑い中待たされる。
腹に据えかねたのは私だけではないらしく、女性客が運転手に何か言いに行ったが、どうもマイペンライで終わってしまったようだ。

ピサヌロークには結局夜9時に到着。
なんのことはない鈍行列車と所要時間はほとんど一緒だ。

5月2日はピサヌロークで勤務をしたが、ちょっと気になることがあった。
バンコクのアパートにある冷蔵庫の扉が開いたままになっているのでははないか? アパートの部屋のドアをロックしていないのではないか、、、。
このところ物忘れが激しい。
それに冷蔵庫ももう15年以上使用しており、扉をしっかり押さえつけるように閉めないと再び開いてしまうことがよくある。
次にバンコクへ行く予定までまだ3週間ほど日があり、その間に冷蔵庫の食料がダメになってしまう。
そんなことを考えていたら、いろいろと気になりだしてきた。

そこで昼過ぎに仕事を早めに切り上げて、バンコクへ向かうことにした。
午後3時前の特急に乗れば4時間でバンコクへ到着できるタイムテーブルになっている。

ところが、この特急、チェンマイからやってくるのだけれど、ネットで確認すると大幅に遅れているらしい。
途中駅での遅れが2時間を超えており、結局ピサヌロークへやって来たのは、私の勤務時間が終わった夕方6時近くになってから。
しかも、特急の遅れの原因は車両故障らしく、ディーゼルカー3両編成の前に機関車がくっ付いて引っ張ってきた。

タイの鉄道も近代化事業を進めて高速鉄道を作るとか、華やかな話が飛び交っているけど、バンコクとピサヌロークの間の利便性はちょっとも良くなっていない。
コロナで減便した列車の本数がまるで元に戻らない。
理由は運休中に放置していた車両が整備不良で動けなくなったかららしい。
なんとか動く車両をフル回転で稼働させているので、こちらも整備する時間がなくて、故障が頻発。
バスにしても鉄道にしても、公共交通機関として目指すべきところがずれている気がする。

結局バンコクには6時間遅れの午前1時に到着。
バンコクの駅は今年になって移転した郊外の駅で、この時間帯に本来発着する電車はない。
結果として特急から降ろされた乗客は行き場を失う。
電車の発着する時間帯でないからタクシーもやって来ない。
誘導する係員もいない。
路頭に迷うとはまさにこのこと。
私は大きくてやたらと広い敷地の駅を後にして、夜道を1キロほど歩いたカンペーンペット通りまででて流しのタクシーを拾うことができた。

深夜のバンコク到着
[列車から降りた人は無言で出口へ向かって歩く]

そうしてたどり着いたバンコクのアパートだけれど、部屋のドアはカギを差し込まなければ開かなかった。
つまりロックのし忘れはしていなかった。
また冷蔵庫の扉もちゃんと閉まっていた。
つまりわざわざバンコクまで来る必要がなかったということ。

翌、3日にはピサヌロークへ戻るバスに乗る。
とんぼ返りとはこのことで、その晩はピサヌロークからウドンタニへ向かう夜行バスに乗らなくてはならない。
まったく、移動ばかりの毎日。

4、5、6と3日間ウドンタニからノンカーイ、ビエンチャン、ブンカーンとツアーで駆け回る。
こちらはツアーと言う仕事なので、手配に抜かりはない。
それでも、またも心配事。
ピサヌロークのバスターミナル脇に車を留め置きしてきたのだけれど、車の窓を開けっぱなしにしているのではないか、ふだん窓を開けて走っており、今回車から降りるとき窓を閉めた記憶がない。
こういうのはストレスになりがち。

ピンクの睡蓮が咲く沼
[ツアー自体は問題なく進行、今シーズンのピンクの睡蓮もこれが見納め]

さらにストレスを増す事態も発生。
5月6日にウドンタニの空港でツアーが終わる予定が午後3時。
そしたら大急ぎでウドンタニ市内のバスターミナルへ行ってピサヌローク行きのバスの飛び乗ろうと考えていた。
しかし、事前に空席のチェックをしてみたところ、ウドンタニからピサヌローク方面へのバスはいずれも満席となっている。
7日は休日なので、最悪は翌日のバスと言う手もあるけど、なるべく早く帰りたい。
もっと早く切符を手配していなかったのは、ウドンタニ発午後4時のバスがあり、このバスはナコンパトムという町からチェンライまでを結ぶ路線で、その途中の区間だけでは事前予約ができず当日に空席があれば乗せると言ったもの。
しかし、こうして他の便が満席だとも、4時のバスに乗れる可能性はほとんどない。

ビエンチャンの凱旋門
[メコン川を渡ってビエンチャンへも行ってきた]

結局、どうなったかと言うと、4時のバスはやはり満席で、それ以外の便も2日後まで全部満席と言われた。
粘った結果、ウドンタニから車で2時間ほどのところにあるコンケーンからならピサヌロークまで一席空きがあることが判明して、その切符を買い求めることができた。

ピサヌロークのバスターミナルへは午前2時過ぎに無事到着。
気になっていた車の窓もちゃんと閉まっており、なにか盗られたりするようなこともなかった。

物忘れが多くなってから、いろいろなとこに疑心暗鬼となっているけれど、最終的にはなんとかなってしまっていることが多い。
これは運が良いというのではなく、きっと私のネコがいつも天国から私のことを見守ってくれているからだろうと思っている。
なので、ご飯を食べるときや、様々なシーンで手を合わせて「ネコ様や、ネコ様、いつも守ってくれてありがとうございます」と念じている。

5月13日、朝早くからオンラインツアーを担当する。
今回は遠出をせずピサヌローク市内からの中継なので気軽。
アランイクにある古い寺と住宅街を散策しながらのトーク。
天気は曇り空のため、絵としてはあんまりきれいな色に映っていなかったと思うけど、カオマンガイ屋も紹介できた。
パンキーという屋号の店で、ピサヌロークでは一番うまいとされている店。
午前中の4時間ほどで売り切れてしまうという人気の店だけれど、店構えは何十年前のまんまで古臭い。
ふだんカオマンガイなんてめったに食べないのだけれど、この朝はこのパンキーでオンラインツアー後にカオマンガイを食べてみた。
ふだん食べつけていないので、特別に旨いのかどうか判断がつかなかったけれど、なんとなく鶏や飯の味云々ではなく、タレの味で評価されているのではないかと感じた。
この店では味噌風味のタレと唐辛子とニンニクソース風のタレの2種類があった。
タイではタイスキなどの鍋の店でも、具の味よりタレの味が店の評判を左右しているような気がする。

カオマンガイ
[人気店だけどキュウリの切り方が雑だな]

5月19日より23日までの5日間、日本へ一時帰国する。
今回は何年かぶりで家族3人が顔を合わせることになる。
前々回だったか一時帰国したときに私がタイから食材を持ち込んでタイ料理を作って息子に食べさせたところ好評だったので、今回もタイから食材や調味料などを持ち込むことにした。

空芯菜、玉ねぎ、ナス、バジルなどの安い類に玉子も買って、保冷材と一緒にカバンに詰め込んだつもりだったが、空港へ向かう途中で「玉子はカバンにまだ入れずにベッドの上に置きっぱなしになっているんじゃないか」と思われ始めた。
ちょっとカバンの中を探ってみたが、玉子らしいものは見当たらない。
あぁ、しまった。また忘れた。と、思って駅へ向かう途中の雑貨屋で玉子を3個買う。
3個で20バーツ也。
ちょっと高い気がする。
でも、まぁいいか。

空港で預け荷物の整理をする際に、さっき買った玉子をカバンに詰めようとしたら、カバンの中からもともと買ってあった玉子が出てきた。
まったく、ドジだ。

今回は嫁さんに渡すまとまった金額の生活費も持参するので空港の出発ビーにある税関で外貨持ち出し申請をする。
タイからまとまった現金を持ち出しする人はあんまりいないのか、窓口に係員はいなかった。
そのまま税関の扉を開けて中を覗いたら女性の係官がちょうど朝食の弁当を食べているところだった。
それでも、「食べ終わるまで待ってて」とは言われず、すぐに対応してもらえた。
やっぱり国際空港だから係員もしっかりしているみたいな印象を受ける。

いつもの台北経由の中華航空。
いままでは台北での同日乗り継ぎができず、台北の空港で夜明かしをしてきたが、今日は夜8時過ぎには成田に到着できる。
ちょっと到着時間が遅いのが気になるけど、同日乗り継ぎできるようになって良かった。

機内食
[機内食で出たヤムソムオーの前菜とタイ菓子のデザート]

さて、玉子の件だけれど、東京の自宅に真夜中近くにたどり着いて、カバンを開けたところ、カバンの中が何か濡れている。
どうもカバンの中で玉子が割れたらしい。
もともと準備していた玉子は割れないように包んできたけれど、朝買い足したものは、ほとんど何の対応もしておらず割れてしまった。
嫁さんからは「玉子なんて日本にだってあるのに、何でわざわざ買ってくるの」と私の滞在中に事あるたびに言われ続けることになってしまった。

それでも、タイ料理の方はまずまず本格的で本場の味を再現してグリーンカレー、バジル炒め、空芯菜炒めを作ることができた。
味の方も好評で、食べ残しの大半を息子が持ち帰っていった。
日本のスーパーで調達したのは鶏肉類とタケノコの水煮程度。

タイ食材
[タイから持参した食材]

今回の一時帰国も、帰国しなくてはならない用事はほとんどないのだけれど、ラビットスクーターのグリスアップをしておきたいと思っていた。
ラビットスクーターは古いスクーターなので、車体のあちこちにグリースを注入してやる必要がある。
もう長いことグリースを注入してきておらず、前回ようやくエンジンも快調に回り始めて、やっと乗り回せる状態に近づいてきたので、グリースアップを是非しておこあと思っていた。
公道も走れるように国際免許もピサヌロークでとってきた。
グリースもタイで買っていこうと、ピサヌロークで随分と探したのだけれど、どうしても見つけることができず、日本のホームセンターなどにも売っているだろうと期待して戻ってきた。
グリースは確かに近所の島忠ホームセンターに売っていた。
価格もそんなに高くなかった。

さっそく注入器にグリースのチューブを装填して、注入しようとしたところ、なんと注入器にはまだ未使用と思われるグリースのチューブが入っていた。
なんだ、わざわざ探したり買ったりする必要はなかったんだ。

グリースも注入し、エンジンも始動できたので、早速近所を走り回ってみる。
ちょっとアイドリングが不安定な気もするけど、ラビットで走れるのは嬉しい。
そうして、ラビットで走り回っていたのだけれど、3日目にトラブル発生。
嫁さん関連の年金や保険料の手続きがあって市役所まで二人乗りして向かったのだけれど、手続きが終わって帰ろうとしたところエンジンがかからない。
セルモーターが全然回ってくれない。
キック式のスターターをなんども踏み下ろしたけれど、まったく動かない。
このラビットスクーターは、バッテリーの電圧が下がるとセルが回らないだけでなく、キックでも始動できなくなることが良く以前からあった。
市役所に留め置いているうちに、バッテリーが放電してしまったのかもしれない。
しかたなく、嫁さんはバスで帰ってもらい、私はラビットを押して帰ることにした。
5月とはいえ、天気が良かったこともあり日差しが強く、大汗をかいてしまった。

咲き残りの八重桜
[自宅前の八重桜の老木にまだ少し花が散り残っていた]

帰宅してバッテリーを充電してみた。
セルモーターは回るけれどエンジンは始動しない。
点火プラグの火花も散っているし、また燃料系のトラブルらしい。
キャブレターを取り外してガソリンで洗う。
目に見えないどこかの穴が詰まっているのだろう。
綺麗に洗浄したつもりでキャブレターを取り付けてみるが、やっぱりエンジンは始動しない。
それどころかキャブレターの中でオーバーフローしているようで燃料がしたたり落ちてきている。
もう一度分解して洗い直しをしようかと思ったところで雨になってしまった。
万事休す。
やっと前回までに走行可能な状態に近づけたつもりで、これから各部の整備や外装に取り掛かろうと思っていたのに、またもとの木阿弥となってしまった。
これからしばらく一時帰国する予定はないし、まったく手のかかるスクーターだ。

23日も朝からずっと雨が降り続いている。
ラビットもシートカバーをかぶったまま雨に濡れている。
こうして、放置しているうちにもどんどん朽ちてしまうわけで、来年の本帰国が待ち遠しくなってくる。

昼過ぎに嫁さんと一緒に家を出て、成田空港へ向かう。
私は6時過ぎの飛行機で、嫁さんはその一時間後。
ターミナルも違う。

日暮里から乗った京成電車は佐倉止まり。
佐倉で後発の電車2本を待ってやっと成田空港行き。
その電車を待っている間がとても寒かった。
雨も降り続いており、気温は13度しかないらしい。
前日は夏の様だったのに、気温の差が大きくて風邪をひきそうだ。

成田空港のラウンジに「稲荷寿司」が復活していた。
ここの稲荷寿司が特別美味しいわけじゃないけど、私は稲荷寿司が大好きなので、ここで食べられるのが嬉しく、ずっと復活を待ちかねていた。
以前は稲荷寿司以外にも太巻きや干ぴょう巻もあったけれど、これらの巻きずしはまだ復活していない。

稲荷寿司とビール
[ビールはなんとキリンのハートランド]

バンコクの空港に到着したのは午前2時近く。
機内では3人掛けの席を独占して横になって来られたので、少しは眠れたけど、こうして寝ていけるときは、飛行時間がもっと長い方が良かったとも感じてしまう。

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