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ナコンサワン旅情(前編)
3月6日と7日の2日間でナコンサワンへ泊りがけで出かけてきた。
ナコンサワンはバンコクとの行き来で、いつも通過している街、この街に前回泊まったのはチェンマイに住んでいた時、2001年10月20日に家族とドライブ旅行の途中に泊まっていることになっている。
今回は、バンコク在住のIさんとナコンサワンの駅で合流してナコンサワンをめぐることになっている。
以前から戦記物好きのIさんに、ナコンサワンには軍馬の慰霊碑があるから行きましょうと誘っていたのが、今回実現することとなった。
Iさんはバンコクから列車で、私はピサヌロークから車で。
待ち合わせ時刻は列車の到着時刻、11:36。

ナコンサワン駅
[ナコンサワン駅は街から随分と離れている]

少しは遅れるだろうと思っていた列車が定刻にやってきた。
さっそく向かうのは、軍馬の慰霊碑。
軍馬の慰霊碑は、ナコンサワンの駅から西に進み、国道一号線との交差点も突っ切り、陸軍の歩兵隊駐屯地の先にある。
ちょうどお昼時ということもあり、地元では評判らしい駐屯地裏門前のクイティオ屋に入る。
なかなか繁盛しているようで、兵隊ばかりかと思ったが、家族連れも来ている。
味もまずまずで、値段も30バーツと手ごろ。

食後に軍馬慰霊碑のあるワット シーサワーン サンカーラームへ。
暑い昼下がりである。
寺院境内には、ほとんど人気がなく、寺の犬ばかりが激しくほえたててくる。
境内奥に軍馬慰霊碑がある。
二体あり、向かって右側が古くからあるもので、左側は1990年に建立されたもので、こちらには碑文もしっかり記載がある。
終戦後、タイにいた日本兵はナコンサワンで武装解除を受けた。
その際に、日本軍が連れていた軍馬も軍装として扱われ、連合軍から射殺を命じられたので、その軍馬たちを慰霊するために、建てられたものである。

軍馬慰霊碑
[1990年に建てられた軍馬の慰霊像]

人気のない境内であったけれども、慰霊碑の周りをウロウロしていたら、たぶん寺院のお世話をしていると思われる女性が現れて、4時になったらご住職が帰ってくるので、詳しい話を聞かせてくれるという。
今日はこのあとカオノーという山へ登ってくるつもりなので、4時まで待っていられないのと、詳しい話をしてもらっても、それを理解しきれるだけのタイ語に自信がない。

その女性によると、以前はしばしば日本人が訪れていたという。
しかし、もう戦後も75年が過ぎ、ここで軍馬たちが射殺されたことの記憶もほとんど消えてしまっているのだろう。
いまでは、ほとんど慰霊に訪れる人はいないらしい。

慰霊碑の後ろに倉庫のような建物がある。
先ほどの女性が、この辺りで以前馬の骨が土の中から出てきたそうだ。
その骨をどこに保管しているのか分からなくなってしまったという。
この倉庫にあるのではないかと聞いたが、そうかもしれないがわからないという。
窓から薄暗い倉庫を覗いてみたらば、馬ではなく巨大なゾウの頭蓋骨が置かれていた。

寺院内には仏塔があり、内部が見学できるというので、見学させてもらった。
とくに軍馬に関する資料は内容だったけれど、先代の住職がミイラになって横たわっていた。

慰霊碑のある寺を出て、国道1号線の交差点手前、陸軍の駐屯地正門に古い小さな戦車が置かれていた。
保存状態もあまり良くないようだけれど、詳細に見て回ったところ車輪に漢字らしきものが書かれているのを発見。
なんども分厚くペンキを塗られてきているために、何と書かれているのか判然としない部分が多いのだけれど、最後の4文字は「株式會社」と読める。

株式会社
[なんという会社名かは読みとれない]

つまり日本製らしい。
ネットでよくよく調べてみると、どうやら戦前の日本陸軍の九五式軽戦車らしい。
この戦車は戦時中に日本からタイ国軍へ納品された戦車と思われる。
もし、日本軍がタイに持ち込んだ戦車だったらば、終戦時の武装解除で破壊されていたはずである。

九五式軽戦車
[案内看板くらい用意してあっても良さそうなものだ]

軍馬は射殺されて、戦車は破壊を免れたとは、運命のいたずらにしては、ちょっと度が過ぎている気がする。

カオノーへは車で走ること30分ほど、このカオノーは昔から気になっていた。
チェンマイからバンコクへ向かって走っていると、平野の真ん中で横一列に並んだ岩山が見えてくる。
岩山に近づくにつれて、横一列に並んでいた岩山が重なりだし、最後は全部が重なり合って一つのとんがった山のように見えるのである。
面白い景色だとは、ずっと思って来たのだけれど、最近になってこのカオノーへ登れることを知った。
しかも、頂上からの景色は絶景らしい。

縦一列に並んだカオノー
[岩山がすべて重なって、一つの岩山になってしまう]

カオノーの入り口にはイチゴ農園があった。
タイでイチゴは、北部山岳地帯のモノと思っていたけれど、このあたりでも栽培しているらしい。
外気温は35℃くらいあるのだろうか、真夏とイチゴ園というのはなんだかチグハグな印象がある。

観光いちご園
[カオノー入口の観光いちご園、イチゴの粒は小さめ]

カオノーの登山口にはワットカオノーというお寺があり、そのお寺の周辺にはおびただしい数のサルが住みついている。
正直なところ、サルはあんまり得意ではない。
サルと相性が良くないのかもしれない。
なんかイタズラをされそうな気がするし、目が合うと飛び掛かってきそうな殺気を感じる。
そんなサルだらけのところを歩いて、山に登るというのは、ちょっといい気持ではないのだけれど、ここのサルたちは、比較的おとなしく、穏健派らしい。
たぶん、このお寺にはたくさんの人たちがサルにエサを与えていて、食べ物が豊富だから、サルも人間との共存が自分たちにとって必須であることを理解しているようだ。

ワットカオノーのサル
[食べ物はふんだんに与えられているようだ]

そんなサルたちの中でカオノー登山を始める。
最初はひたすら階段が続く。
階段は延々と続く。
登れば、登るほど階段は急になってくる。

約700段の階段
[階段は約700段とのこと]

ところどころに、腰を下ろせるような鉄パイプ製ベンチがある待避所が用意されているけれど、ここに座ったらば、さらに登り続けようという意思がくじけてしまいそうなので、休憩も取らずに登り続ける。
同行のIさんには、災難みたいなもので、相当に息が上がっているのがわかる。
「先に登っててくださいよ」と言われ、私が一緒にいると、休憩も取りにくいだろうと思い、一人先に進む。

長い階段が終わり、少しガレ場を歩いた後は、鉄パイプ製のハシゴ段の連続。
このハシゴ段の一段一段がやたらと高い。
そして、このハシゴ段も登れば登るほど、傾斜が急になってくる。
手すりがあるので、両手で手すりを引っ張るようにして、一段一段登っていく。
階段よりもハシゴの方が、短時間に高度を稼げる気がする。

鉄パイプ製のハシゴ段
[一段一段の間隔が広い]

尾根の部分まで登ってこれた。
このあと尾根沿いに山頂まで少しの距離なのだけれど、尾根の部分がとても怖い。
とんがった岩の上を歩くわけだけど、遮蔽物がないので、下が見える。
足元の岩のすぐ横が断崖。
風にでもあおられてバランスを崩したり、躓いたりしたら真っ逆さまだ。
ちゃんと手すりこそあるのだけれど、尾根は日当たりが良すぎるようで、鉄パイプの手すりが火傷しそうなくらい熱くなっている。
それでも、鉄パイプを握らなくては、高さが怖くて一歩たりとも前へ進めない。
パイプの熱さを我慢し、手のひらを真っ赤にしたところで、頂上へ到達。

カオゲーオ
[山頂からは隣に聳えるカオゲーオの峰が見える]

頂上には仏像が2体と、小さなお堂があった。
登ったけれども、まだ高さにビビッて、立ち上がれない。
四つん這いみたいにして、お堂の脇の日陰に逃げ込む。

カオノー頂上
[二体の仏像があり、旗がはためいていた]

しばらく安静にして、高さにも多少は慣れたところで、頂上からの景色を眺めてみる。
なるほど、絶景。
岩の連なりが一直線に伸びている。
麓からの高さは約180メートルほど。
前方と後方に一列ずつ岩山が並んでいて、左右は真っ平らな平地になっている。
さっき登り口にあったお寺も眼下に見下ろせる。
絶景を楽しんでいるうちにIさんも登ってきた。
Iさんに高所恐怖症で、四つん這いになっている醜態を見られなくて助かった。

カオノー山頂にて
[顔が引きつっている]

お堂の中には仏足石があり、コインが何枚も投げられていた。
仏像を含めてお供え物もあったりして、参拝のためにここまで登って来る人もいるらしい。

仏足石のお堂より
[仏足石の置かれた小さな祠の窓から]

登りと比べると、下りは楽である。
あとで膝関節がガクガクになる心配はあるけど、息が上がって苦しいということがないだけ楽だ。

快調に下山して、時刻はまだ5時。
このカオノーでは日没時刻にコウモリが洞窟から飛び立つところも観光名所になっているようで、その見学ができる場所にはたくさんの出店が並び、観光客たちの車が並んでいた。
コウモリの飛翔も見たいけれど、今の時期だと日没は6時半ころ。
まだ1時間半もある。
コウモリは見たいけれど、それより早くシャワーも浴びたいし、ビールも飲みに行きたい。
西日を浴びるカオノーの山並みだけを見て、ナコンサワンの街へと向かう。

コウモリを見学するスポット
[西日を浴びたカオノー]

ナコンサワンでの宿は病院街のような場所にあるグランド ウィサヌ ホテルという古いホテル。
むかしは学校の校舎だったのではないかと思われるような建物だったけれど、部屋の中は普通の安宿であった。

夕食には、ここから徒歩圏の鳳凰酒楼(ホンファー)という中国料理屋で食べることに決めていた。
ナコンサワンは華僑の街だし、この鳳凰酒楼というのは老舗格の食堂らしい。
病院と棺桶屋が並ぶ道をしばらく歩いたところに鳳凰酒楼はあった。
ちょっと見は、営業しているのか閉まっているのかわからないような入口。
タイの中華料理屋なら入口に調理場があったり、アヒルのローストなどがぶら下がっていたりするものだけれど、この店はガラス戸があるだけ。

店の中に入っても、大きなホールがあって、円卓が並んでいるわけでない。
廊下があり、その廊下の両側に個室が並ぶスタイル。
こんなタイプの中華料理屋はチェンマイの謝桐興レストランにも似ている。
個室では宴会が入っているらしく、子豚の丸焼きなどが運ばれていく。
そんな廊下の奥の方にホールと言うか、一般用のテーブルが並んだ部分があり、そこへ案内されるが、我々二人以外には誰も客が入っていない。
エアコンも入れられてなかったけれど、私たちがテーブルに着くとエアコンのスイッチも入れられた。

メニューには写真も入っていて分かり易い。
でも、料金が書いてあるものがほとんどないのが怖い。
タイ語で書かれたものの一部には値段が付いたものがあるが、そうしたものには写真がない。
一応、タイ語のメニューを読んでみると、タイの食堂で供されるようなワン・プレート料理ばかりが並んでいた。

料理を数品にチャーハンやビールを注文。
Iさんはアルコールと唐辛子を受け付けないので、炭酸飲料。
Iさんは香港や中国での駐在が長く、店員に中国語で注文を通そうとしていたけれど、店員の方は中国語などチンプンカンプンのようす。
で、料理なんだけれど、盛り付けもきれいだし、味も良い。
華僑の街の老舗中華だけのことはある。
ちょっと注文しすぎた様で、チャーハンなどは食べきれなかったけれど、値段は心配するほどのこともなく、大変良心的。
ビールも2本飲んだけれど、600バーツ台だったように記憶する。

クワイの炒め物
[これは特に旨かった、タロイモで作った器にクワイとクリなどを炒めて盛り付けてある]

つづく

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| | 10:18 AM | comments (0) | trackback (0) |
寂しいシャトー・ド・ルーイ
2月28日にルーイ県、プールアにあるシャトー・ド・ルーイへ立ち寄る機会があった。
シャトー・ド・ルーイと言えばかつてタイを代表するワインとして脚光を浴びたことがある。
ちょうどタイでワインがブームとなり始めた20年ほど前になるだろうか。
フランスのミッテラン大統領のお墨付きをもらったという噂もある。
ミッテラン大統領は九州の焼酎「森伊蔵」にもお墨付きを与えており、日本で森伊蔵のブームが巻き起こった。

タイのワインブームは、そろそろワインがタイに定着し始めたこともあり、ワイン、ワインと騒ぐより、インスタなどへの投稿に中心が移り始めている。
いまでもあるかもしれないが、かつてタイではワインは白も赤も関係なく冷蔵庫で冷やしたものである。
そして、タイでのビールの飲み方と同じように、ワインに氷を知れて飲んだりする。
もう、何年も前になるけれど、パタヤへ社員旅行に出かけ、夕食にワインが付いていた。
ホテルはハードロックという外資系ホテル。
しかし、給仕たちのワインの配り方は、ピッチャーでワインを注いで回るというものであった。
そのピッチャーにはワインだけでなく氷もたっぷり入っていた。

タイのような熱帯では、ワインの保管も問題が起きやすい。
以前務めていた会社が閉鎖となり、事務所内を整理をしていたらロッカーから頂き物のワインが出てきた。
たぶん支店長が、隠していたものと思われるが、さっそく栓を抜いて飲んでみることにした。
しかし、ワインはすべて酢になっていた。

しっかりとワインセラーで温度管理しないと、ワインもダメになってしまうのだろう。

シャトー・ド・ルーイをバンコク市内のアトランタホテルのダイニングでいただいたことがある。
このホテルは1950年代に建築されたバンコクで最初にプールのあるホテルとして開業したらしいのだけれど、現在ではバンコクで最も古めかしいホテルだと思っている。
しかし、そこに味があって、私が好きなホテルなのだけれど、そのダイニングも宿泊者以外立ち入り禁止で、騒がしくなく、ムードも良かった。

アトランタホテル
[いい雰囲気です、この日はたしか私の誕生日だったかも]

値段はボトルで確か700バーツくらいだったと思うけれど、すっきりした味わいの白であった。
当時、いまもそうだけれど、バンコクでワインはやたらと高い。
日本ではテーブルワインとして大容量パックやボトル1000円以下のワインでも、平気で高級ワイン並みの値段を取る。
このアトランタホテルは、料理もワインも良心的な値段だった。

シャトー・ド・ルーイはボトルにニワトリのイラストが付いているのもタイらしい。
タイでブドウがどの程度栽培されているのか知らないが、むかしはブドウなど輸入果物で高級品。
当時は国内栽培などほとんどしていなかったのではないかと思う。
隣国ミャンマーでは30年以上前にブドウを食べた記憶がある。

そんなシャトー・ド・ルーイ、ピサヌロークから車で3時間くらい。
タイを代表するワインということもあり、日本人のワイン好きをターゲットにしてシャトー・ド・ルーイのワイナリーとプールアをめぐるツアーなどできるのではないかとも考えた。

国道沿いにシャトー・ド・ルーイの販売所があり、ワインだけでなくルーイ県の土産物などを売っているらしいが、そこは素通りして、未舗装の細い脇道へ入り込んでワイナリーを目指す。

脇道の両側はブドウ畑ではなく、ドラゴンフルーツの畑であった。
そして、脇道の奥にブドウ棚が見えたが、ブドウは枯れて、相当に朽ち果てた印象。

そこから少しの場所にワイナリーはあった。
無人かと思ったら、販売所があって女性販売員がひとりいた。
隣はワイナリーになっていたが、日曜日なのでお休みとのこと。

ワイン工場
[説明板などあり、平日なら見学できそう]

試飲ができるということであったけれど、試飲に供されるのはパイナップル・ワインでブドウ100%のワインは試飲できないらしい。
何種類かのボトルが並べられているし、壁にはシリントーン王女が来訪された際の写真も飾られている。

しかし、この売店も寂れている。
ワインを並べているけれど、エアコンもないので、温度管理ができていない。
白ワインだけは冷蔵庫に冷やしてあるが、赤ワインはたぶん30度を超える常温に置かれている。

荒廃したブドウ畑について販売員に聞いてみると、もう4年前からブドウの栽培はしていないとのこと。
ここで生産しているワインに使うブドウは他から持ってきているのだそうだ。

販売コーナー
[品ぞろえはこれだけです]

国道沿いのショップにはもっと品ぞろえがあるのかと質問したが、「タイ人はワインを買わないので、あまり置いてない」とのこと。
そうそう、見栄っ張りのタイ人はレストランでワインの栓を抜くけれど、自宅でワインを飲む人は少数なのだろう。

かつての栄光はどこへ行ってしまったのかと思うような、没落ワイナリーの印象がある。

あとでシャトー・ド・ルーイに関する最近のブログなどを検索したけれど、あまり良い評価はされていないようだ。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=183 |
| | 12:26 PM | comments (0) | trackback (0) |
追悼、ウドンタニのネコたち
またウドンタニ通いが始まりました。
ウドンタニでお気に入りの宿は、V1ルームとコテージホテル。
コテージホテルの方が、設備も良いし、新しく、サービスも良い。
特にシャワーは熱いお湯がふんだんに出て、おまけにレインシャワーもあるので、ずっといつまででもシャワーを浴びていたくなるほど気持ちがイイ。
入口には食パンとトースター、インスタントコーヒーがあって、24時間無料で提供されているのも嬉しい。
これで毎度プロモーション料金だと、500バーツ前後なのだから、とてもお値打ちである。

一方、V1ルームは古い建物を改装したホテルで、ちょっとアートな部分もあるけど、使い勝手としては普通のタイによくある安宿のレベル。

Before After
[V1ルームの改装前と改装後の比較写真を展示している]

しかし、とても気に入っている。
その理由は、ホテルに黒いメス猫がいること。
私のネコの若い時にそっくり。
毛並みも目の色もよく似ている。

ロビーのクロネコ
[このネコももともと捨てネコだったらしい]

このネコに会いたいからV1ルームに泊まりたくなるくらいだ。

既に12月にも書いたはずだけれど、このV1ルームの周りはネコだまりになっているらしい。
ホテルで正式に飼っているのは、このクロネコと、クロネコが生んだ仔猫二匹だけだが、どうやら捨て猫と思われるネコたちも、ホテルの建物にこそ入ってこないけれど、いつも周辺にいて、ホテルの従業員や警備員から食べ物をもらったりして、とても良くなついている。
私もここのネコたちを見ると、癒された感じになる。

駆け寄るネコたち
[私の姿を見ると駆け寄ってきてくれた]

しかし、先週の2月12日にV1ルームへ泊りに行ったらば、とてもショッキングな話をホテルの人から聞いてしまった。
ひと月ほど前に、ホテルの前でネコが車にはねられて、ケガをしてしまったらしい。
それでホテルの人が動物病院へ連れて行って治療を受けさせて、退院してきたのだけれど、どうもその病院でネコ・ジステンパーに院内感染してしまったらしく、退院してきたそのネコだけではなく、ここに住み着いていたネコみんなに感染を広めてしまったらしい。

外ネコ
[もともと外ネコなので、道端に住んでいる]

急いでネコたちを病院へ連れて行ったけれど、みんなバタバタと死んでしまい、生き残ったのは黒いメス猫一匹だけだったそうです。

ディジャブーというか、ちょうど一年前、ピサヌロークのオフィスでケガをしていた子猫を保護して、動物病院へ連れて行って治療をしたところ、やっぱりネコ・ジステンパーに院内感染させてしまった。
奇跡的に仔猫はネコ・ジステンパーから生還したけれど、ネコ・ジステンパーの怖さが身に染みた私は、私のクロネコにネコ・ジステンパー予防のためのワクチン注射を打ってもらいに同じ動物病院へ連れて行った。

私のネコの死因を私は確かめていない。
ワクチン注射をして、一週間もたたずに私のネコは死んでしまった。
あのとき、病院で院内感染させてしまったのか、それともネコ・ジステンパーにかかった仔猫からウイルスが私の衣服に付着していて、私がキャリアーになったのか、その辺はわからないし、死因がネコ・ジステンパーによるものかもわからない。

しかし、それがちょうど一年前の出来事であったことは、なにかの因果があってのことなのだろうか?

まだらネコ
[なんとなく、寂しげな表情、このネコももうこの世にいない]

タイ、それも地方では動物病院での院内感染が、日常的に発生してしまっているらしいことはよくわかった。

人間界でも新型コロナウイルスの蔓延が起こって、すでに一年になった。
これがいつまで続くのかさえよくわからない。

誰を待つのか
[外ネコたちは中に入ることが認められてませんでした]

V1ルームの周りにいたネコたちの命を奪っていったウイルスが憎い。
あの可愛らしかったネコたちに、会えなくなってしまって、とても悲しい。

一匹残った黒いメス猫は、そんな一か月前のことなど忘れてしまったように、V1ルームのロビーのソファーでくつろいで昼寝をしている。
ネコは死んでいったもののことを思い起こすことがあるのだろうか?
ネコは死がどんなものであるのか、わかるのだろうか?

ソファーで寝る内ネコ

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=182 |
| | 04:14 PM | comments (0) | trackback (0) |
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