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長時間列車の旅、ガンタンへ(前編)
5月13日 (金)
汽車旅に出る。
目的地へ行って何をするという目的があったわけではなく、長距離列車に長時間乗っているというちょっと自虐じみた目的から、タイ南部へ行くことにした。
タイで最も長時間を要する長距離列車は、バンコク発スンガイコロク行きで、23時間ほどかかる。
しかし、タイ深南部の治安の悪さから、旅行自粛が求められているので今回は見送って、次に長時間の汽車はガンタン行きとなる。
ガンタンはタイの鉄道で唯一アンダマン海側に位置する終着駅。
しかも、ガンタンには一日一往復の列車しか発着しない辺鄙な駅。
さらに、長らくコロナで列車の運行が止まっていたのが、つい先日から運行再開したばかり。
所要時間も約18時間で、長時間乗車の目的にかなっている。
乗車するのは二等普通寝台車。
エアコンの付いていない旧式の寝台車。

二週間くらい前から、ガンタン行きの計画を立て始めていたのだけれど、実際に週末に休みがとれるかどうか、不安要素があり、切符の手配をしたのは数日前。
間際まで実現できるのか、わからなかったのだけれど、なんとか往復の切符を手に入れることができた。

タイ国鉄の二等普通寝台は、現在絶滅危惧種と言っても良いような存在になって来ている。
1980年代にはエアコン付きの寝台車はわずかしかなく、寝台車の大半がこの普通寝台だった。
そのため現存する車体はまだまだたくさん残っているようだけれど、営業用に連結して運行している列車は少ない。
タイの北部チェンマイ行きの列車からは数年前から消えていたし、東北方面もなさそうである。
それが南部行きだけはまだ健在で、このガンタン行もスンガイコロク行きにも二等普通寝台車が連結されているらしい。

バンコク駅コンコース
[このバンコク中央駅も昨年末で終了のはずが、現在も使われています]

18:30、ホアランポーンのバンコク中央駅をほぼ定刻に出発。
ディーゼル機関車を先頭に、鉄道職員用の三等車、荷物車と続き、そのあと番号が飛び飛びながら、2号車、3号車、6号車が三等座席車、8号車は二等座席車、9号車、10号車は二等普通寝台車、11号車、12号車は二等エアコン付き寝台車。
一等車と食堂車はない。
先頭のディーゼル機関車
[先頭のディーゼル機関車]
三等座席車
[三等座席車]
二等座席車
[二等座席車は車内中央にトイレがある変わった構造]
二等普通寝台
[二等普通寝台も旧型の客車]
最後尾
[冷房付二等寝台車は最後尾に二両のステンレス車両]
一等車がないのは、ロットレオと言う快速列車で、特急列車とかではないからだけれども、食堂車がないのは、どうもコロナが影響しているように思われる。
特急や急行を含めて、食堂車を連結している列車を全く見かけなくなった。
食堂車
[列車に連結されなくなった食堂車もバンコク駅のはずれで見ることができる]
そんなわけで、ガンタンまでのひもじい思いをしないようにと、チャーハンを事前に仕入れておいた。
また、タイの列車は車内でお酒を飲むことが数年前から禁じられてしまっているので、ホアランポン脇の運河沿いで、事前にビールの大瓶を一本飲み干してから乗車した。
バンコク駅
[駅の隣りの運河は以前はドブ以下だったのが、きれいに整備されていた]

私の席と通路を挟んだ反対側に西洋人女性が座っている。
この女性に限らず、この車両の中には西洋人旅行者が随分とたくさん乗り込んでいる。
タイは観光客の受け入れを本格化して、こうしたバックパッカー風の旅行者をバンコクの街中でも随分と見かけるようになった。
このガンタン行きは列車はタオ島への船が出るチュンポンやサムイ島とパンガン島への船が出るスラタニを通るので、西洋人旅行者の利用が多いのだろう。
15日は満月でパンガン島ではフルムーンパーティーも行われるはず。
お隣り
[隣の席は西洋人女性]

その西洋人女性が「英語はわかるか」と聞いてきた。
少しはねと答えたところ、隣の車両に連れがいるのだが、席を替わってくれないかと言う。
なんとなく厚かましい気もしたけれど、意地悪しても角が立つだけだろうから、検札が終わったら、隣の車両にいるという連れと交代してあげることにした。

センセープ運河の橋
[この運河の周りにはスラムが続いている、初めて見たときは少し衝撃的だった]

センセープ運河を渡り、北へ向かう線と別れるバンスー駅に着いた頃には外は暗くなっていた。
車内販売の弁当売りが乗り込んできて、鶏ひき肉のガパオライスを購入する。

バンスーグランドステーション
[新しいバンコクの始発駅となっているはずのバンスーグランドステーション]

持参のチャーハンもあるけれど、夜食用に取っておくことにして、先にガパオライスを食べる。
値段は50バーツで、ピサヌロークへ向かう列車の車内販売の弁当類が20~30バーツくらいなのと比べると倍くらい高い。
量は少し多めに入っているようだけれど、西洋人観光客が多く乗っている列車なので、車内販売の弁当も観光客向け料金になっているのかもしれない。
値段だけではなく、味の方も唐辛子控えめで、ちょっと間が抜けた味になっているのも外国人向けなのかもしれない。
ガパオライス
[車内で売りに来た弁当はこの一種類だけ]

弁当を食べ終わったころに検札が回ってきたので、隣の車両へ引っ越すことにする。
引っ越してしばらくしたら、夜8時前ながら寝台係が回ってきて、シートを2段ベッドに作り替えてくれる。
寝台準備
[各寝台車両には一人ずつ寝台係が乗り込んでいる]

エアコンのない車両なので、窓は開けたまま。
窓にカーテンはないけれど、金属製の鎧戸があり、その鎧戸は網戸も兼ねている。
そのため鎧戸を閉めても、窓からの風は少しは入ってくる構造になっているが、車窓を流れる夜景を楽しむことができない。
そのため、鎧戸は半分開けたままにして、外を見れるようにした。
寝台
[珍しく読書灯のランプが点いた]

ナコンパトムを過ぎて、バーンポーンあたりで、夜食用のチャーハンを食べ始める。
ベッドのシーツの上で、こぼさないように注意しながら食べる。
チャーハンはやたらとニンニクが入っていて、私がちょっと苦手とするタイプのチャーハンであった。
こうして寝台の上であぐらをかきながら、通路との仕切りのカーテンに隠れて食べるというのも、ちょっと貧乏くさいけれど、なんとなく旅の情緒は感じられる。
ウイスキーの小瓶でも忍ばせてきて、チビチビやりたい気がする。
チャーハン
[職場近くターミナル21のフードコートで買った40バーツのチャーハン]

この普通寝台は旧式で定員が32名と少ない。
新型は40名だから、きっと車体の長さが2メートルくらい短いのではないかと思う。
乗降口は車体の片側1か所で、トイレは両端にあって計2か所。
洗面台は乗降口とは反対側の車端、トイレの向かい側に3つ並んでいる。
このあたり、昔の日本の寝台車の構造とよく似ている。
三つ並んだ洗面台
[洗面台はステンレス製]
この洗面所のある側のトイレは少し広めで、シャワーが付いている。
お湯は出ないし、ちょっと錆くさい匂いのする水がチョロチョロとしか出ないけれど、汽車の中でシャワーが使えるのはありがたい。
就寝前に、シャワーを浴びておく。
車内シャワー
[シャワーの水圧はとても低くて、チョロチョロとしか出ない]

11時半、ホアヒン着。
タイの寝台車は盗難防止のため、夜中でも車内の照明を落とさない。
車内ではほとんどの人が寝静まっている。
通路側のカーテンを開けたまま、寝姿丸見えの人もいる。
2段ベッドの上段は、窓もなく、風は天井で回る扇風機だけだから、カーテンだって開けなければ寝苦しくてたまらないのだろう。
逆にエアコン付きは、天井の冷気吹き出し口から直接冷やされるので、寒くて仕方がない。
ホアヒン
[ホアヒンの王族用待合室]

このあたりで、私も眠り込んだのだけれど、どうも時々目が覚める。
うつらうつらしていると、どうも列車は動いていないようだ。
どこかの駅にでも止まっているらしい。
駅じゃないかもしれないが、とにかく動いていない。
扇風機が回る音だけが聞こえる。
開けたままの窓から、蚊が入ってきているようで、あちこち刺されてカユイ。

夜中のチャムアン駅
[どこかの駅に止まっているなと思っていると、しばらくしてディーゼル機関車の爆音が通り過ぎていく、そしてまた動きだす]
午前4時半、チャムアンと言う駅に停車している。
時刻表と照らし合わせると1時間くらい遅れているらしい。
このガンタン行きの列車、運行の遅れが常態化しているタイの列車の中でも、特に遅れがひどい列車のようで、連日のように2時間くらい遅れている。
こちらは長時間列車に乗っているのを楽しみに来ているのだから、遅れなどは問題ないのだけれど、ガンタンまではできればあまり遅れてほしくない。

というのも、ときどき一緒に旅行する岩さんに、今回の旅行の話をしたらば、「自分もガンタンへ行ってみたい」と言い出した。
しかし、片道18時間もの汽車旅であると知って、同道は無理と判断されて、自分は飛行機で飛んでいくという。
そのため、汽車がガンタンに到着するのが14日の正午過ぎの予定なのに、同じ日の朝の飛行機に乗る岩さんが、午前中のうちにガンタンへ到着してしまい、私のことを待つという。
なので、往路はなるべく汽車には遅れてほしくない。

6時前、空が明るくなってきた。
まだ黒いシルエットになっている椰子畑が見える。
タイならどこでも椰子くらいあるのだけれど、やっぱり椰子の木を見ると南国に来たといった印象が強くなる。
窓から吹き込む朝の風がさわやかに感じられる。
乾いた風ではなく、しっとりとした湿り気を含んだ風である。
夜明け

6時半、チュンポン到着。
1時間半の遅れ。
バックパックを担いだ西洋人旅行者が何組か列車から降りてホームを歩いていくのが見える。
その西洋人へタオ島行きの船が出る港までの車の案内をしているタイ人男性がいる。
この手のタイ人が話す独特の英語で、8時の船が出る港へ行く車の説明をしている。
チュンポン駅
[バンコク出てもう12時間なのに、まだチュンポン]

バンコクからチュンポンまで、鉄道路線の改修工事を大規模に行っている。
駅をすべて新しくしているし、線路も新しく敷きなおしたり、橋の架け替えなども行われている。
駅のホームなどは、いままでの低いものから、日本の電車のホームのように嵩の高いものになるようだ。
駅舎も新しくコンクリートで作っている。
新しく便利になるのはよいことだけど、古いものがなくなってしまうのは、少し旅情がそがれる気がする。
そんな工事の関係だろうか、南へ向かう列車は遅れがちになっている。
99分遅れ
[99分遅れと表示されている]

7時過ぎ、サウィという小さな駅に停車。
駅前の通りにパトンコーの屋台が出ている。
窓から呼んでパトンコーと豆乳を買う。
汽車の窓から買えるというのは、昔話みたいになってしまったけれど、ここではまだまだ商売の形態として現役らしい。
パトンコーは4つで10バーツ、豆乳も一袋10バーツ。
併せて20バーツが今朝の朝食ということになる。
パトンコーは少し小ぶり、豆乳もビニール袋に入れてくれているが、マグカップ一杯分くらいの量。
これらも以前と比べると、随分と高くなってきた。
パトンコーの屋台
[車窓越しに屋台から朝食を取り寄せる]

ベッドの上で20バーツの朝食。
こんみみっちい贅沢、ベッド脇の窓から朝食を取り寄せて、それをそのままベッドで食べるなんて、考えようによっては、随分横着なはなしだ。
テーブルはないので、ビニール袋入りの豆乳は、窓の取っ手に吊るしておく。
豆乳
[これぞタイスタイル]

ランスワンあたりからおおきな石灰岩の山が見え始めてくる。
にょきにょきとした山を見るとマレー半島部に入ったなと感じる。
こんな景色もベッドでゴロ寝しながら眺められる。
エアコン付きでも、窓からの景色を楽しめないわけではないけれど、エアコン車は窓が開かない。
その窓ガラスにはスモークが入っているので、外の景色がどんよりとして見える。
さらに窓ガラスが汚れているので、よけい綺麗に見えない。
車窓を楽しむなら、エアコンがなく、窓の開けられるのが一番。
ただし、窓から景色を楽しめる代わりに、窓から埃もたくさん入ってくる。
白いシーツに埃や煤の吹き溜まりができてしまっている。
石灰の山
[埃や煤以外にも、タイの車窓から入ってくる不快物質はいろいろある]

9時過ぎ、スラタニ到着。
車内の西洋人が全員降りる。
タイ人もここで下車する人が多い。
昨晩席を交代した西洋人女性二人もスラタニで下車してホームを歩いているのが見える。
西洋人女性二人が下車したのを確認したので、もともとの席へ戻ることにする。
すでにベッドはシートに組みなおされている。
スラタニ駅
[スラタニ駅のホームや駅舎はこれと反対側]

もともとの席へ戻ったのには理由がある。
昨晩交替した席は、南下する汽車の進行方向に向かって左側に位置している。
つまり、東向き。
当然ながら太陽は東から昇って、西に沈むので、東に面した席は日が差し込んで暑い。
もともとの席は、進行方向右側、西に面しているので、日は差し込まない。
そして景色も逆光にならない。

スラタニを過ぎると車内は空席が目立つ。
岩さんからメッセージが入る。
ガンタン最寄りのトラン空港へ着陸する予定が、急遽ハジャイ空港へ降りてしまったそうだ。
理由は天候と説明があったらしい。
この時期に悪天候で、ハジャイへダイパードするなんて考えにくいけど、岩さんはハジャイの空港から再びトランへ向けて飛び立つのを待っているらしい。
座席
[ガランとした車内はのんびりムード、遅れにいら立っている人はいないみたい]

11時半、トンソン駅到着。
ここで南本線と別れて、トランそしてガンタンへと続く支線に入る。
日立製ディーゼル機関車
[日立製の旧式機関車は現役ではなさそう]
私の40年近い昔の記憶では、トンソン駅は大きな駅で、広い操車場には無数の貨車が並んでいて、また側線には廃車となって赤さびた蒸気機関車が何両も並んでいた。
その廃車となった蒸気機関車の群れは、ちょうどその数か月前に台湾の宜蘭で見た蒸気機関車の廃車群を彷彿とさせるものがあった。
しかし、当時の記憶と違い、トンソン駅は、構内こそ広いが、駅自体は大きな駅ではなかった。
操車場はあるけれど、当時見た無数の灰色をした2軸の小さな貨車の代わりに、コンテナ車が並んでいる。
灰色の小さな貨車たちは、廃車となって駅のはずれに長々と連なって放置されていた。
貨車の廃車群
[タイでも貨物列車はコンテナと石油タンクだけになったようで、こうした有蓋貨車は引退したらしい]
トンソンの駅でフライドチキンともち米を買う。
35バーツだったけれど、もち米の量は少なく、チキンも大きくない。
ちょっと高いなと思ったけれど、仕方がない。
他に売っている弁当はガパオライスしかない。
ガパオライスは昨晩も食べたし、そんなに続けて食べたいとは思わない。
しかし、タイの人たちは毎食ガパオライスでも問題ないのだろうか。
フライドチキン売り
[トンソン駅のフライドチキン売り、売り物は頭の上に乗せるスタイル]

岩さんはすでにガンタンのホテルへチェックインを済ませたとメッセージが届く。
こちらは1時間遅れで、ガンタン到着は1時くらいの見込み。
携帯電話のバッテリー残量がほぼゼロになってしまった。
いつも予備のバッテリーを持ち歩いているのだけれど、今回は持っていない。
忘れたわけではない。
旅行に備えて予備バッテリーを職場で充電させていた。
そして、いざ持っていこうとしたら、USBに差し込んでいた予備バッテリーが見当たらない。
どうも誰かに盗られたらしい。

1か月前も、USBと携帯をつなぐケーブル、それも5種類くらいの携帯電話のタイプに適用するようなケーブルが、盗まれたばかり。
最近職場内の消毒と称して夜間業者が入ってくるので、その時にやられたのかもしれないが、USBに差し込んだまま放置していた私も迂闊であった。

トラン駅
[トランのシンボルはジュゴンとストリートアート]

冷房なしの普通寝台は車内に電源がない。
隣の冷房付寝台は、通路に2か所の電源がある。
トランを出てから荷物をまとめて隣の冷房車へ移って、携帯電話の充電をさせてもらう。
隣の冷房車にも乗客はほとんどおらず、乗務員が眠りこけていた。

ガンタンまで乗り通す客は皆無
[トランを出るともう車内に乗客は乗っていない]

午後1時半、バンコクを出てから19時間かかってガンタン駅に到着。
車内はガラガラだったけれど、ホームでは記念写真を撮る人たちであふれていた。
この人たちはどこから湧いてきたのだろうか、、。
ガンタン駅
[ガンタン駅到着]

ノスタルジックな木造の駅舎は柱は茶色に塗られ、壁はマスタード色。
木造駅舎
[ペンキを厚塗りした木造駅舎]
記念写真用のオブジェが置かれていたりして、車でやってきて、記念写真を撮ろうとしていた人たちは、遅れてきた列車の到着を今か今かと待っていたのだろう。
撮影用オブジェ
ホームの端には、"Kantang. The end of the Andaman route railway"との碑まで建てられていた。
アンダマン海の終着駅
つまり、この駅はかつての北海道、帯広からの支線、広尾線にあった「幸福駅」みたいな観光スポットということらしい。
機関車付け替え
[折り返しバンコク行きとなるので、すぐに機関車の付け替えが行われていた]

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| | 04:08 PM | comments (0) | trackback (0) |
この一か月に出会ってきたネコについて
タイはますます暑い日が続いている。
ピサヌロークからバンコクへ拠点を戻して半年が過ぎたけれど、バンコクでの職場環境になれない。
お客さん的な居心地で、仕事に対するやる気が起きてこない。
やるべきことが見つからないなんてわけではなく、やるべきことはわかっているし、大して難しいことでもないけれど、気力が湧いてこない。

休みの日などは、もっと気力がなく、1日の大半をベッドに寝転んで過ごしている。
外は暑くて、外出する気にもならないし、早く夕方になってビールを飲みたいと思うだけ。
つまり、生活に対して張り合いがない。
そもそも元気がない。

毎日楽しくない。
これじゃ、生きてても意味ないなとも感じる。
ときどき、さっさと死んじまって、あの世に先に行ってしまったネコに会いに行きたくもなったりする。

そんな毎日の中で、あちこちで見かけるネコに出会うと、ちょっとは元気が出てくる。
それも、幸せそうにしているネコを見ると、こっちまで嬉しくなってくる。
ネコなりに、環境に順応して、健気に生きている姿を見ると、少しは元気な気分にもなってくる。

そんなわけで、この1か月間に私が出会ってきたネコたちについて、書き留めてみたいと思う。

足にまとわりつくネコ
[足にまとわりつくネコ]

基本的には、だいたい毎日朝6時前から5キロほどをジョギングしている。
以前は30分を目安に走っていたが、だんだんと時間が長くかかるようになってきてしまった。
気力がないから、体力も落ちているのかもしれない。
しかし、少しぐらい走るのが遅くなったって別にどうってことはない。
それに沿道のネコたちにあいさつしながら、時に立ち止まって、ネコをなでたりする方が精神衛生的に良いということを経験的に知っている。

そんなネコの中でも、このところ一番気になっているのがこの黒ネコ。
まだ若いメスで、どうやらこの1か月ほどの間に捨てられた感じのノラである。

私のネコにそっくり
[尻尾がすっきりしているところなど、私のネコによく似てる]

私を見かけると、駆け寄ってきてくれる。
毛のツヤも悪くなく、お腹を空かせているわけではないようなので、きっと誰かから常に食べ物がもらえる環境なんだと思う。
駆け寄ってきて、足の周りにまとわりつく。
抱かれるのはあまり好きではないようで、抱き上げると、「降ろせ、降ろせ」とバタバタする。
そのくせ、私がまた走りだそうとすると、走って追いかけてくる。
なので、スズメとかにネコが気を奪われている隙に、そっと立ち去らなくてはならない。

一時は、あんまりに可愛いし、このネコをアパートへ連れ帰って飼おうかとも考えたことがあったけれど、いったん外の生活を覚えたネコを狭いアパートに閉じ込めるのは、かわいそうだとも思うようになった。

ちょっと気まぐれなところもあるネコ
[貯水池の近くの空き地が棲家らしい]

そしてそのうちに、ネコの方でも、そんなにべたべたとすり寄ってこなくなった。
きっと最初の頃は、捨てられたばかりで、とにかく人恋しくて必死だっただけかもしれない。

ジョギングでは、ポケットにうちのネコの遺影に供えた後のドライキャットフードを小袋に入れて忍ばせてある。
このきっとフードを毎朝楽しみにしているネコがいる。

食いしん坊ネコ
[毎朝律儀なネコ]

去年くらいか、ひょっとしたらもう少し前くらいから時々見かけていたメス猫なのだけれど、このところ毎朝おんなじところで、私が走ってくるのを待っている。
しかも、私の姿を見かけると、ニャニャニャニャニャと言いながら小走りでかけてくるようになった。
さっきの黒ネコと異なり、こちらはただ食べ物がもらえるから喜んで寄ってくるようなのだけれど、それでもネコが喜んでいるのを見るのは悪くない。
縁台のようなところで、キャットフードを少し食べさせる。

お腹に大きな瘤あり
[食いしん坊なだけかもそれとも本当に空腹なんだろうか]

このネコは、お腹のところに腫瘍でもあるのか、おおきな瘤がぶら下がっている。
触るとほんのりと冷たいのだが、別に痛そうでもない。
以前からずっとコブが目立っていたから、悪性と言うわけでもなさそうだけれど、ちょっと気になるので、獣医のところへ連れて行ってみたいけれど、いちど獣医のところへ連れて行くようなことになったら、また元居た場所へ戻すことができなくなってしまいそうで、躊躇している。

食べ物を待っているネコはほかにもいて、ラマ九世寺に住み着いている黄色いネコも、私を見かけると、何かもらえると思って寄ってくる。
お寺のネコは、だいたいのところお寺から何らかの食べ物をもらっているようで、飢えているようではないのだけれど、たぶんお寺でもらうものより、ドライキャットフードの方がおいしいのだろう。

お寺の黄色いネコ
[お寺の黄色いネコ、目はブルー]

私もネコの背中を撫でながら、
「おしいしかい、これはウチのネコちゃんのご飯なんだよ、おいしいだろ」と声をかけている。

このネコはさっきのネコのように必ず毎朝同じ場所で私を待っているというわけでもないけれど、いるとしたらばだいたいお寺の入り口の門の前でウロウロしていることが多い。

お寺では、猫や犬にも食べ物を与えていることもあってなのか、お寺にネコを捨てていく人も多い。

この黄色いネコは、うまくお寺に住み着くことができているようなのだけれど、ときどき捨てられたばかりと思われる首輪をつけたネコがニャーニャーと鳴いているのを見かける。
しかし、同じネコを3日と続けてみることはなく、姿を消しているので、どこかへさまよって出て行ったのか、何らかの事故に巻き込まれたのではないかと思って心が痛む。

ちょっと気の弱いネコでした
[まだ若いオス、ちょっと気が弱かった]

この子猫は、やはり捨ネコらしかったが、お寺から消え失せてしまうことなく、なんどかお寺の入り口で見かけた。
若いオス。
少しお腹も空いているようで、キャットフードを喜んで食べてくれた。
それでも、力の関係からか黄色いネコがやってくると遠慮して、私の陰に隠れたりする。
また、ときどき黄色いネコに威嚇されたりしていた。

が、しばらく黄色いネコしか見かけない日が続いた。
子猫の方はどうしたんだろうかと思いながら、黄色いネコにキャットフードを分けていたら、寺男に「子猫は犬に噛み殺されたよ」と知らされた。

犬もネコも好きだけれど、しかし、こういう話を聞くと犬が嫌いになってしまう。
それにタイの犬は、一匹の時は尻尾を巻いて逃げ腰なのに、徒党を組むとやたらと吠えかけてきたりして性根が良くない。

アユタヤの蒸気機関車
[アユタヤへも行きました]

3月下旬に仕事でアユタヤへ行った。
SLの運行日で、その実況をした。
そのアユタヤ駅でネコたちにあった。

アユタヤ駅のネコ
[日本ならネコ駅長とかにしてもらえそう]

このネコは駅舎内の切符売り場で見かけた。
この駅で飼われているのかはわからないけれども、どうやらその堂々たる態度から、ここを縄張りにして住み着いているネコらしい。

またホームの方にも別のネコたちがいた。
こちらはケージに入った純白のネコたちばかり。

ウイーっと伸びをする
[伸び伸びネコ]

ネコの入ったケージはいくつもあり、まだ乳ばなれしていない子猫も母ネコと一緒に入っていた。
ケージに入っているから、ここで飼育されているネコで大切にされているのだろうけど、狭いケージの中の世界にいるのは、ネコとしては不憫なんじゃないだろうか。

兄弟だろうか
[この2匹は兄弟だろうか]

無防備に昼寝をしている姿を見る限りにおいては、ネコは不憫なんて感じてなさそうにも思えても来る。

好奇心旺盛なネコ
[スラムへの闖入者に興味津々の子猫たち]

ジョギングコース周辺から、運河沿いは、湿地帯で、バラックのような建物が密集したスラムのような環境になっている。

こんな環境にもネコたちは幸せそうに暮らしている。
飼い猫なのか、地域ネコなのか、野良なのかも判然としないけれど、昼下がりに狭くくねった路地を歩くと、何匹ものネコたちに出会うことができる。

無防備な寝相
[しあわせなんだろな]

ここで生活している人間たちの生活レベルからして、ネコたちも贅沢な食べ物など食べれてはいないと思われるのだけれど、毛のツヤの悪いネコはあまり見かけないし、怪我をしているネコも見かけない。
このあたりはコミュニティーと呼ばれるモスリムの人たちの居住地なので、犬があんまりいないからなのかも知れないし、人ひとりが歩けるくらいの狭い路地奥なので、自動車も走ってこないから、ネコたちも安心して暮らしていられるのかもしれない。

入り組んだ細い路地
[路地はネコたちの遊び場]

4月の中旬はソンクラーンと言うタイの正月休み。
私は仕事でピサヌロークとウドンタニなどへ飛び回った。
そうした先でもネコたちに出会うことができた。

いつもピサヌロークの定宿はリタイ・ゲストハウスに泊まっていたのだけれど、こんかいぼやぼやしていたら、満室とかで泊まることができなくなってしまった。
しかたなく、ちかくにあるサマイニヨムという1970年代のホテルへ泊まることにした。

たぶん40年前くらいは、それなりの格式あるホテルだったんだろうと思われる作りの宿で、なんとなく部屋の中は3年前にクローズしたアマリンナコンホテルによく似ていた。
ロビーやレセプションの体裁は、ちゃんとしたホテルなのだけれど、そこにいるのはホテルのスタッフではなく、ネコと犬。

ホテルロビーの犬と猫
[あんまりお客様を歓迎しているといった態度ではありません]

ホテルのオーナー家族は、きっと動物好きなのだろう。
レセプションの奥の部屋から出てきて、私に吠え掛かってきた犬を制止した。
犬数頭とネコもメスが2匹とオスが1匹いるそうだ。
ネコも良くなつくのはオスだけで、メスのうちの1匹はフーフーと威嚇してくるし、もう1匹も警戒心が強い。

このオスネコは馴れている
[レセプションの台もネコの昼寝場となっている]

たぶん、このネコたち。
生まれたときから、ここで飼われてきたのではなく、元は野良だった時があり、それが拾われてここで飼われるようになったために、威嚇したり、やたら警戒したりする性格が抜けきれていないのではないだろうか。
そうしたネコたちを、こうして自由にホテルの中で飼っているのを見て、
「よかったね、いい人たちに拾われて」とネコたちに祝福の言葉をかけたくなる。

ビクターのマスコットか
[ビクター蓄音機のマスコット、ニッパーのネコバージョン]

もっとも、宿泊する人たちもみんながみんな動物好きとは限らないようで、ネット上にはひどいコメントも掲載されていたけれど、私はとても気に入りました。

ソンクラーン水かけ祭り
[4月14日、ブンカーン県ワットプートーク山門前にて]

ソンクラーンのタイ正月は水かけ祭りで知られているけれど、新型コロナウイルスの蔓延により2020年から水掛け合いが禁止されている。
今年も禁止されてしまったのだけれど、田舎では禁止されても、やっぱり水掛け合いをしている人たちはいる。
もっとも、ほとんどが子供たちなので、大目に見られているのかもしれない。
娯楽の少ない田舎で、数少ない子供たちの楽しみにしていた祭りなのだから。

ワットプートーク
[ワットプートーク全景]

ブンカーン県のワットプートークは、例年ソンクラーン期間中の入山を禁止してきていたけれど、今年は禁止されなかった。
ワットプートーク山門前の簡易食堂で昼食を食べていたら、食堂を黒ネコが徘徊していた。
チッチッチッチッと呼び寄せようとしたが、関心は示すものの警戒して近くには寄ってこない。
しかし、ガイヤーンと言う焼き鳥などを盛大に食べている隣のテーブルの下にちょこんと座って動かない。

テーブルの下の黒ネコ
[きれいな黒ネコ]

どうやら食べ物が欲しいらしい。
しかし、焼き鳥を手にして、呼んでみても、欲しそうに近くまでは来るけれど、けっして手からもらおうとしはない。
床に置いてやると、引っさらうよう咥えて、店の裏へ駆けて行った。
あとを追ってみたらば、店の裏のゴチャゴチャとしたところに3匹ほどの子猫がいた。
この黒ネコはお母さんネコだったようだ。

ネコの親子
[子猫は黒ではない]

子育ての真っ盛り。
子猫は食べ盛りなのだろう。
焼き鳥の食べ残しをもらうたびに、店の裏へと飛んで行っている。
ネコとはほんとうに母性愛の強い生き物だと思う。

ウドンタニのネコ
[ウドンタニ空港でも黒ネコに出会う]

黒ネコと言えば、ウドンタニの空港でも1匹見かけた。
この空港で時々見かけるネコで、去年のシーズンにも見た記憶があるし、今年の1月には写真にも撮っている。
ターミナルの建物から出たところにいて、人に馴れている。
毛のツヤも良さそんなので、食べ物にも苦労はしていないのだろう。
しかし、ここは空港へ出入りする車も多く行きかう場所なので、事故に遭わないだろうかと気にもなる。
だから、こうしてまた会えると
「ちゃんと元気にしててくれたかぁ」と声をかけてしまう。
さて、ネコのことをいっぱい書いたし、私も少し元気出してみるとするか。

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日帰り海水浴
3月19日(土)
何年ぶりかで海へ行くことにした。
日帰りで、海辺で過ごす時間は短いけれど、海で泳ぐことにした。
2年前にネコが死んでしまってから、どこか遠くへ遊びにいく気があまり起きなくなっていた。
どこへ行ってもネコとの思い出があるし、1人で出かけても面白くないと思っていた。ネコにすまないなとも感じていた。

しかし、2年が過ぎて、少し1人ででもどこかへ行ってみたくなってきた。
行き先はホアヒンの先にある軍の海水浴場、スアン・ソンプラディパット。
タイ国鉄の海水浴列車を利用していく。
前回ここへ行ったのは2017年3月だったので、5年ぶりという事になる。

切符はインターネットで買えるようになったので、前々日にエアコンつきの2等車を予約する事か出来た。
エアコンはなくてもかまわないし、エアコンが寒すぎるはずなので、海水浴に行くのに防寒着を用意しなくてはならないけど、3等車だとシートが固いプラスチック製だったりして長時間の乗車にはきつ過ぎる。

朝6時半出発の海水浴列車、出発時間は昔と同じようだけれど、帰着時間が夜遅くなっている。
もどりは21:40バンコク着で、以前より2時間くらい遅くなっているようだ。
それにこの海水浴列車、カンチャナブリの方へ行く行楽列車と併結して行くのだけれど、帰りはバラバラに戻るスケジュールとなっている。

スケジュールをよく見てみると、行きも帰りも所要時間が延びいてる。
だいたい片道で1時間くらい余計に時間がかかっている。
海水浴場のあるスアン・ソンプラディパット到着が11:33の予定で、5時間以上もかかる事になっている。

これは実際に乗ってみて分かった事だけれど、ラチャブリあたりから工事区間が多くにってノロノロ運転が多くなっている。
たぶん複線化工事もしているのだろうけど、駅も新しく改築中のところばかりになっている。
どの駅もホームの高さを高くして新しく作っている。

ナコンパトムで観光休憩が約30分ほど設定されており、駅から数百メートル離れた大仏塔へ参拝できるスケジュールが組まれている。
スコータイ王朝成立以前、先住民モン族のドゥヴァラバディ王国の昔から仏塔があったとされる町で、駅前からもその仏塔の威容は真正面に迫ってくる。
そんな仏塔へ参拝する事なく、駅前の食堂でワンタン麺をすする。
朝食の代わりというわけだけれど、ここのワンタン麺はあっさりしたスープで、なかなか美味しく、以前にも食べたことがある。
小粒のワンタンもしっかり入っていて、気に入っているのだけれど、値段は50バーツ。
以前がいくらだったかは記憶にないのだけれど、このところタイの物価値上がりが激しくなっている事は、肌身で感じている。
とくに食べ物については、値上がり幅が大きくなっているように感じる。

タイの列車で冷房車の窓にはスモークが入っている。
かなり濃い目のサングラスをかけているような感じで、しかも窓ガラスの汚れもあるから、車窓の眺めはあんまり綺麗に見えない。
私は窓側の席だったのだけれど、窓はちょうどドアの戸袋にあたるようで、戸袋内は誇りだらけで、げんなりしてしまう。
車窓を楽しむのならエアコンのない車両の方が良さそうだ。

さて、この海水浴列車の戻り時間は海水浴場発が16:28でバンコク着が21:40と夕食時間にかかっている。
普通の列車のように車内販売も回ってこないし、食堂車もない、駅売りの飲食物を買うことも出来ないという事で、車掌たちが弁当の注文を取りに回ってきた。
チャーハンでもガパオライスでも50バーツという事で、私は弁当ひとつでは食べたりないかもしれないと思って。イカのガパオライスと、もうひとつ玉子チャーハンを注文した。

11時半を過ぎ、少し遅れてスアン・ソンプラディパットに到着。
もう何度か来ているので、ビーチまでの歩き方はよくわかっている。
まごまごしているほかの乗客を尻目に、さっさとビーチへ向かって歩き出す。
ここも駅の改築が行われており、改築工事の関係でか、駅の位地が少し動いていた。

天気は晴れ。
少し波があるけれどたいした事はない。
ちょうど引き潮時間帯なのか、波打ち際が遠くなっている。
つまり、ビーチがやたらと広い。
ビーチ沿いをスタスタと歩いてマットを敷く場所を探す。
モクマオウの木陰で適当なところを見つける。

軍のビーチ
[浜辺の先に見える丘の向こうがホアヒンビーチ]

ビーチに来ている人たちには西洋人の姿を多く見かける。
バンコク在住者か、それともホアヒンあたりのリタイヤ組みだろうか、年齢層は比較的高い。
ここのビーチは静かだし、物売りもいなくて、清潔。
ちょっとした穴場だと思う。
そうした穴場を見つけるのが西洋人たちは上手なようだ。

さっそく海に入ってみる。
遠浅なので、腰の辺りまでの深さになるにはだいぶ沖のほうまで歩いていかなくてはならない。
ごく浅瀬では、海水の透明度がとても高くて、まるで真水ではないかと思うほどだったけれど、少し深くなってくると透明度は落ちてきて、底がかすんで見えなくなった。
汚れているというよりも、砂か土を巻き上げてしまって透明度が落ちてしまっているのだと思う。
水の底が見えなくても、底は砂だけのようで、石や異物などが足の裏に当たることもない。
タイの人たちは波打ち際で水遊びをするばかりで、泳ぐ人はほとんどいないようだ。
なので、沖の方でのんびりとプカプカと仰向けになって浮かんでいても誰にも邪魔されないし、誰の邪魔にもならない。

波打ち際
[白砂青松と言いたいところだけど、松に見えるのはモクマオウ]

久しぶりで海で泳いで見ると、やっぱり海の水はしょっぱいのと、波があるので息継ぎのタイミングが上手く合わせられないことを思い出した。
そして、もうひとつ大事なことを思い出した。
海で泳ぐと日焼けをしすぎてしまうこと。
サンクリームや日焼け止めなどを使わないので、30分も海に入っていたら肌がチリチリし始めてきた。
まいど日焼けのし過ぎでひどい目にあっている。
数日間は火傷のような症状で、夜寝てても痛くて目が覚めてしまうことの繰り返し。
今回も、ひどいことになりそうな予感がする。

少し海から上がって、日陰で少し休憩。
砂浜には小さなカニの穴が一面に広がっている。
その穴の周りには、無数の小さな砂団子が取り巻いている。
じっとして穴の周りを見ていると、穴の中から砂団子を抱えたカニが出てくる。
大きさは1センチにも満たない小さなカニたちが、あっちでもこっちでも、穴から出たり入ったりしている。
少し大きな穴には、やはり少し大きなカニが出入りしている。
波打ち際には貝殻も少し落ちている。
砂を掘ったら貝も出てくるのだろうか。

浜辺のカニ
[蟹は甲羅に似せて穴を掘る]

タイの人たちは、Tシャツを着たまま海に入る人がほとんどで、上半身裸というのは西洋人くらいしか見当たらなかった。
私も以前サッタヒープの海軍ビーチで泳いでいたら、公共の場所ではちゃんとシャツを着るようにと叱られたことがある。
もっとも、シャツを着て泳げは、日焼けで痛い思いをしないで済むという事もあるが、シャツ着たまま泳ぐというのは、どうにも違和感がある。

午後1時過ぎには早くも撤収。
マットをたたんで、シャワーを浴びにいく。
シャワーは有料で1回15バーツ。
実質、海辺にいた時間は一時間少々だと思う。
半日がかりでやってきて、一時間くらいで撤収というのも勿体無い話だけれど、日焼けの後遺症が深刻になり過ぎないようにしないといけないし、何より午後2時を過ぎたらばビールを飲めなくなってしまうのではないかという恐怖心から撤収を急いだ。

1時半にビーチのレストランに入る。
先客は数組だけで、空きテーブルが目立つ。
ほとんどが外国人のようで、タイ人客はほとんどいない。
タイの人たちは弁当持参で、ビーチで飲み食いしている。
私が陣取っていたマットの横でもタイウイスキーのソーダ割りを飲み交わしているグループがいた。
注文した料理はヤムウンセンと鶏とカシューナッツ炒め。
以前いくらだったかの記憶はないのだけれど、メニューではヤムウンセンが180バーツになっている。
ずいぶんと値が張っているという印象を受けるが、タイの海辺ではヤムウンセンが食べたくなる。
ビールは別のカウンターでセルフサービス。
チャーンビールで80バーツなのは、比較的良心的といえるだろう。

ビーチのビール
[タイはビールの販売制限時間があるのが困る]

180バーツのヤムウンセン、味の方は、可もなく、不可もなしと言った、妥当な味付け。
強いて言えば、エビがもう少し新鮮な感じだったら良いのにと言ったところ。
辛さは、以前とんでもなく辛かった印象があったけれど、今回は比較的マイルド。
鶏とカシューナッツ炒めも、ちょっと味が濃い目ではあったけれど、それなりに美味しかった。

ヤムウンセン
[180バーツのヤムウンセン、ちょっと高すぎだな]

2本目のビールを取りにカウンターへ立ったところ、ハトたちが私の皿を突きにテーブルへたかっていた。
そして戻ってくる私に驚いたのか一斉に飛び立ち、鶏とカシューナッツの皿をひっくり返してしまった。
まだ、ほとんど箸をつけていないのに、テーブルの上に中身が飛び散ってしまった。
仕方なく、テーブルに散らかった鶏肉や野菜類を集めて処理していたら、係りが来て皿を下げて行った。
あぁぁ、これまだ少し残っているから食べようと思っていたんだけどなぁと思ったけれど、呼び止めるのも恥ずかしいのでそのまま下げさせて、ヤムウンセンで2本目のビールを飲んでいたら、先ほどの係りが新しい鶏とカシューナッツ炒めの皿をもって来てくれた。
二重請求にでもなるのではないかと気になっていたけれど、支払い時の伝票には1皿分しかチャージされていなかった。

鶏とカシューナッツ炒め
[平和の象徴のハトもここではギャングと紙一重]

食事を終えても、まだ帰りの列車には時間がある。
食堂でそれまで休憩をさせてもらう。
海風が心地よく、2本のビールを飲んで、少し酔ってもいる。
もう一本ぐらいビールを飲んでしまいたいところだけれど、あんまり飲んで、酔っ払ってしまったら醜態なので、ほどほどにしておく。

昼下がり
[白いテーブルがまぶしい]

4時過ぎに席を立って、駅へとふらふら歩いていく。
途中で頭に大きなカンムリのようなものの乗った鳥を見かける。
今まで見たことのない鳥だ。

カンムリを載せた鳥
[この鳥の名前、調べておかないと、、、]

駅まで、数百メートルほどだけど、午後の日差しはとても強く、ビールを飲んだからか、余計に暑く感じる。
目の前に蜃気楼でも浮かんできそうなくらい、目がチカチカする。
10分前に駅に着いたが、すでに列車はホームに待機していた。
車内に入るとエアコンが効いており、やっぱりエアコン車でよかったと思う。
他の乗客たちもすでに大半が戻ってきており、定刻の16:28には動き出した。
ホアヒンの駅を出て少ししたら車掌たちが注文済みの弁当を配り始めた。
全然空腹でもないし、今すぐ食べる気にもならず、弁当はそのままにし、私はビールの酔いも手伝って、すぐに眠り込んでしまった。
なんどか途中で目が覚めたりしたのだけれど、目が覚めたときは大体がどこかに停車中であった。下り列車との交換のために停車しているのだと思うが、動き出す前にまた眠りに付いてしまった。

もうすっかり暗くなってからやっと目が覚めた。
このときもやはりどこかの駅で停車中なのだけど、黒塗りの窓ガラスから外は何にも見えない。
そして、エアコンが効きすぎて、寒くてしょうがない。
海水浴で使ったバスタオルを引っ張り出して、毛布代わりに被って震える。

8時半を回り、バンコクの近郊までやってきた。
どうして弁当を2つも注文してしまったのだろうか、そのまま持ち帰るにも荷物になると思い、空腹ではないけれど、玉子チャーハンを食べてしまうことにした。
もともとチャーハンなどは冷めてしまうと味が落ちるものだけれど、このチャーハン弁当はとてもまずかった。
油も悪いようだし、米も悪いようだ。
そして、やたらとニンニクを入れてあり、ニンニク臭がキツイ。
まずいチャーハンを食べるたびに、ピサヌロークにあった空飛ぶ空芯菜食堂のチャーハンを思い出す。
あそこのチャーハンは冷めても美味しかった。

定刻の21:40を少し過ぎてバンコクに到着。
エアコンで冷え切った身体にムワッとまとわり着くようなバンコクの蒸し暑さが、かえって気持ちよく感じる。
あぁ、あったかくて生き返る。

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