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蘭英旅行 その3
9月9日 金曜日

午前5時くらいには目を覚ます。
まだ外は真っ暗。
そして少し雨も降っているようだ。
今日は夜の船に乗るので、夕方には船着き場に向かう予定。
それまで、ブリーレの街の見学などして過ごすつもり。

そして、朝一番に行うべきことは、夕方乗ろうと思っているバスの確認。
船着き場はユーロポートと言うとんでもなく大きな港の一角にあり、そこまでの公共交通機関がない。
一番近い街がブリーレだけれど、それでも20キロメートルほどある。
船会社の方で専用のシャトルバスを運行しているとのことだったけれど、船会社のウェブページから乗船券を買わないと予約ができない仕組みになっているのか、私が船の予約にかかったダイレクト・フェリーのサイトでは予約は電話での予約が必要で、しかりシャトルの利用料金が70ユーロととても高いことを言われ、シャトルの予約を断念した経緯がある。
では、どうやって船着き場へ行くかだけれど、調べてみたら船着き場から6キロほどのところにあるBP石油会社前と言うバス停までバスがあることが調べていた。
そのバス停から6キロくらいなら歩いて行ける自信がある。
ただこのルート903というバスがちょっと変わっている。
平日の朝夕しか運行していない。
たぶん港湾地区で働く人のための通勤用バスなのだろう。
それは日本でもよくあることだけれど、バス会社のホームページに書かれた注意書きでは、事前予約が必要となっている。
ちょっとよくわからないけれど、一応メールで予約をお願いしておいた。
が、もう一つ気がかりなことがある。
支払いは現金ではダメで、オランダの交通系スマートカードだけのようなことが書いてある。
そんなカードは持っていないし、どうしたらよいかよく解らないので、早朝のバスをつかまえて、バスの運転手さんに相談してみることにした。

そんなわけで朝6時過ぎには宿を出て、903番バスの始発となるBusstation Ruggeというところへ出かけてみた。
真っ暗な夜明け前の道を昨日買ったパンを咬みちぎり、ブルーチーズを齧りながら歩く。
この時間はまだ町は眠っていて、見かけるのは清掃車くらいであった。
Busstation Ruggeまでは1キロほどで、ほどなくして到着。
そして903番のバスが止まっていた。
小型のバスで、ハンドルを握っているのは黒人男性だった。
とても親切な人で、やさしい英語で、ゆっくりと説明してくれた。
バス代の支払いはクレジットカードでできること、私の予約したバスは最終の一本前だから、乗り遅れないように早めにバス停にくることなど教えてくれた。
さらに「たぶん自分がそのバスを担当すると思うよ、だからそれまでもう一眠りして大丈夫だよ」と笑わせてくれた。

早朝の903番バス
[あと10分ほどで7時、ようやく白み始めた。朝が少し遅いようだ]

これで安心。
でも、宿へ戻ってきたらば、もう外は明るくなっておりもう一眠りなどするのはもったいない。
部屋で一休みしたら小雨は降っているけれど、外へ出かけてみる。
昨日は風車を見に出かけたりしてブリーレの街はまだ何も見ていない。
宿のある場所はブリーレの中心にあり、また城壁に囲まれたブリーレそのものもそれほど大きな町ではないようだ。
城壁には12の防塁が飛び出しており、全体としては楕円形をしている。
城壁や防塁の感じは函館の五稜郭にも似ている。
ただ、街の中心部まで運河が入り込んでいる。
運河にはヨットなどが係留されており、また運河にかかる橋は跳ね橋となっている。

城内の運河
[橋の欄干だけでなく、あちこちに花の鉢がある]

中心部にはゴシック風の大きな聖堂かあり、街に‐鐘の音を響かせている。
1時間ごとに‐なるのかと思ったら、15分間隔くらいで鐘の音が聞こえてきた。
こうした鐘の音が響くのもヨーロッパに来ているといった印象を強くさせる。
日本でもお寺の鐘がゴーンとなったりすると、情緒を感じさせるが、タイのお寺ではあんまり鐘をついたりしないようで、タイに住んでいてもお寺の鐘の音を聴いた覚えがないような気がする。

大聖堂
[街の中心には教会、ヨーロッパらしい]

大聖堂の近くに貴族の館風の建物があった。
大きな立派な建物で、説明文はオランダ語なのでチンプンカンプン。
花壇のある広くて綺麗な庭が開放されていたので入らせてもらう。
ベンチが置かれ、バラの花が咲き、ちょっと腰を下ろしたいところだけれど、雨が降っているので、傘をさして歩き続ける。
庭にはフランス革命の絵に出てくる自由の女神のような銅像が立ったおり雨に打たれていた。

自由の女神
[雨の庭園に立つ自由の女神像]

このブリーレの街に関する知識が何もないので、どこに何があるんかもわからず、歩き回る。
街全体が観光用に保存されているように、昔風の街並みが続いている。
建物のほとんどは二階建てで、屋根にも窓が飛び出しているので、屋根裏部屋があるのだろう。
教会のトンガリ屋根も見える。
道はレンガを敷き詰めたもので、雨は降っているけれど水たまりはできていない、レンガの道は情緒はあるけどキャスター付きのキャリーバックを転がすには不便だし、車が走ると騒音も響く。
それにオランダに多い自転車だとスリップもしそう。
歩いて見て歩くための観光用として街並み保存の一環なのだろうか。

レンガ舗装
[こういう道をレンガ舗装とでも呼ぶのだろうか]

宿をチェックアウトしたのちも荷物は宿に預けたままなので、手ぶらで歩けるのだからよいけれど、雨が降っているので傘は手放せない。
傘をさしながら12ある防塁を結ぶように、城壁の内側を歩いてみる。
舗装はされていないけれど、散歩道のような感じで歩道が整備されている。
犬の散歩をしている人が多い。
日本でも犬の散歩をする人をよく見かけるけれど、私が住んでいるタイでは犬の散歩などほとんど見たことがない。
だいたい犬はリードにつながれず放し飼い状態。

壁に埋め込まれたエンブレム
[左はユニコーン、右は犬だろうか、それとも中年男性?]

ブリーレにも風車があった。
もともと風車はブリーレにあったそうだけれど、現在あるものは最近復元したものだそうだ。
つまりこれも観光用の風車ということなのだろう。
少し雨が小降りとなったので、風車の近くにあったベンチに腰掛けて昼食にする。
昼食は、昨日からずっと同じようにパン。
ブルーチーズをかじり、ネギ風味のバターを塗りつけて食べる。
3食連続してくると、飽きてくる。
それに雨に濡れて寒いから、温かい食べ物を食べたくなってくる。
でも我慢我慢。
ブリーレの風車は、首の部分に風格がない。
なんとなく巨大な扇風機のような形をしている。

扇風機風の風車
[わざわざ復元するのだから外国人たけの観光用だろうか]

パンを食べた後も、防塁を結びながら歩き続ける。
時々雨も降り肌寒い。
相変わらず犬の散歩には良く出会う。
そして、城壁とお濠との間の草地には羊が放牧されている。
羊も雨に濡れてぐっしょりしている。
ウールが水を吸って重たいんだろうと、羊に同情してしまう。

防塁からの眺め
[防塁には大砲もおかれている]

あんまりに寒いのでいったん宿へ戻って預けた荷物から防寒用のジャンパーを取り出してくることにする。
城壁側から街の中心部に戻る途中で、DIY用品の大型店舗があった。
今回の旅行で忘れ物をしていた。
こちらヨーロッパのコンセントに差し込むプラグの先を変換するアダプターを持って来るのを忘れていた。
イギリス用は持ってきている。
ずっと以前にマレーシアへ行ったとき、コンセントがイギリス仕様で、持参していたパソコンが使えず地元のスーパーで買ったものである。
しかし、ヨーロッパ仕様のものには思いが至っていなかった。
タイではいろいろなプラグが使われている。
イギリス仕様こそないが、日本や米国の様式、ヨーロッパ様式、細棒、太棒とマルチに対応するコンセントが一般的なので、ヨーロッパ仕様のことをすっかり失念していた。
携帯の充電器も、ノートパソコンも日本式のプラグでホテルの部屋の電源にはそのまま差し込めなかった。
ホテルでは運よく変換アダプターを貸してくれたが、今晩の船の中がどうなっているのかわからない。
そこてこのホームセンターみたいな店でアダプターを探してみたのだけれど、売っていないようだった。
携帯電話のアダプターは売っていたが、日本やタイのアダプターと違って、プラグの部分が大きいこともあり、やたらとゴツイ作りになっていた。
そして値段も高かった。
まぁ、どうにかなるだろうとそのまま店を出る。

ブリーレの地図
[ブリーレは楕円形をして周囲に12の防塁を配置]

ジャンパーは息子のお古。
古いのでゴムの部分が溶け出してベトベトしているが、仕方ない。
しかし、このジャンパーだけではまだ寒いので、ビニールでできたポンチョ型ののレインコートもかぶる。
マスクも着用する。
南国のタイから来たので、冷たい雨には震えてしまう。
しかし、行きかう人たちは私のような寒がりではないようだ。
半袖で平気な顔して歩いている人もいる。
しかも傘などさしていない人の方が多い。
レインコートだって着ていない。
寒さに強いのか、温度に関する感覚がマヒしているのがわからない。

宿の前
[宿の脇は広場になっており、ビールやコーヒーを屋外で楽しめるようになっているが、外は雨]

ふたたび城壁に沿って防塁を結んで歩く。
まだ時間はたっぷりあるし、急ぐ必要もない。
時間つぶしで歩いているようなもの。
カフェとかに入る趣味もないし、そんなところでお金も使いたくない。
城壁巡りはブリーレの街の北側からスタートし、すでに3分の2ほど回って、南西側に至っている。
この南西側は、古い街並みではなく、普通の住宅が立っている。
学校もあって下校時刻なのか子供たちも三々五々歩いている。
一戸建ての家もアパートもあるが、裕福そうに見える。
城壁の外側は牧草地が広がっている。

城壁の外側
[城壁の外側の景色]

ブリーレの城壁を一周したところで時刻は2時になる。
雨はまだ降ったりやんだり。
街の中心部側へまた回り込み、目的もなく路地を歩いたりする。
やはりブリーレは観光保存されている街なのか、ウォーキングツアーのグループを見かける。
ガイドが案内して回っている集団がいた。
参加者は年配の西洋人たち。
タイではあんまりこの手のガイドツアーはないようだ。
少なくとも日本人相手では聞いたことがない。
史跡などを案内するスキルを持ち合わせているガイドもいないし、第一に歩きたがらない。
そして、関心もあまりない。
写真撮って終わり、でもその写真はその後どうなっているのだろう。
昔のようにアルバムに記念写真として貼ったりなんかしないだろうし。

古い建物
[古そうな建物には、きっと歴史があって、解説聴きながら歩いたら面白いだろう]

城壁を回り始める前に立ち寄った貴族の館風の建物のところへ戻ってきた。
そこでタイでは見かけないものを発見。
黄色地に耳の垂れた西洋犬の顔がシルエットになった絵の描かれた箱が電柱に取り付けられている。
そして、その箱からは赤いビニール袋状のものが見えている。
イメージとして日本のスーパーなどで雨の日によく置かれている雨傘を入れるビニールのようだけれど、屋外にあるのは少し変。

フン始末袋
[緑の電柱に取り付けられた緑の箱]

よくよく観察してみると、犬の散歩時に使うフン袋のようである。
犬の散歩でフン袋など各自が用意すべきと思うけど、こんなに手厚く犬の飼い主のためにサービスしているから犬を飼う人が多いのかもしれない。
日本では犬の飼い主も飼われている犬も少し肩身の狭い思いをしているのではないだろうか。
タイでは「犬にフンをさせるな」の看板などを公園で見かけるけど、フン処理は飼い主の責任とは書かれていなかった気がする。
そして犬たちはもともとつながれていないので、どこへでも立ち入り、勝手にフンをする。
犬は看板に書かれたタイ文字が読めない。

船員クラブ
[貴族の館風建物も、現代で言う船員クラブといったところだろうか]

貴族の館風と書いたが、あとで調べてみたら"Asyl voor Oude en Gebrekkige Zeelieden"と言って、船員たちの施設だったそうだ。
そして自由の女神風の像は、確かに自由の女神であり、スペインからの独立を記念するもののようだ。

自由の女神とネコ
[なんだかドラクロワのフランス革命の構図に似ている]

で、ここで三毛猫を見つける。
庭園で遊んでいるが、ひとなつこくて中腰になって呼んだらば寄ってきた。
一般的なタイのネコと比べると体格が立派で、二回りくらい大きい。
動作も風格を感じさせる。
しかし、やっぱりネコなので愛嬌のあるしぐさをする。

三毛猫
[オランダの三毛猫]

4時前、ブリーレ滞在3回目のJumboスーパーへ。
今晩これから乗る船の中での食料買い出し。
もとろん船の中にはレストランなども充実しているらしいが、私の懐は充実していない。
節約するためには、スーパーで税金の安い食料品を買い込んでおくのが一番。

JUMBO
[JUMBOが私の生命線]

買ったものは、まず野菜が食べたかったので、カット野菜の入ったサラダ。
そして、オランダはチーズの国でもあるので、カマンベールのようなチーズと
パンももちろん買う。
クロワッサンや丸くて固いパン以外にフランスパンのように長いパンも。
昨日よりお気に入りの特売4つで1ユーロのパンと比べて、フランスパン風のはちょっと高くて、一本で1ユーロ以上の値段。
飲み物は1リットルの紙パックに入った赤ワイン。
これが安くてたったの2ユーロ。
あと、プリンみたいなものが食べたかった。
いろいろと迷って冷蔵ガラスケースから取り出したカップに入ったプリンらしきもの。
これがなんだかよくわからない。
イチゴみたいな絵も描かれている。
一番懸念したのはヨーグルトみたいなものではないかということ。
このところヨーグルトのような乳製品を食べるとよくお腹を壊す。
しかし、書かれているのはオランダ語ばかりで、手に取ったプリンカップみたいなものが何なのかよく解らない。
ひとめでヨーグルトとわかるカップと見比べてみたりする。
そして、意を決して買い物かごに投入。
買い物は全部で6.39ユーロ。

スーパーを出てからすぐに、プリンらしきものをベンチに座って食べてみる。
懸念していたヨーグルトではなかったが、期待したプリンでもなかった。
どうやらイチゴ風味のババロアのようなものであった。
ババロアなんて小学校の給食で食べて以来の気がする。
嫌いではなかったが、財布を開いてまで食べたいと思うものでもなかったので、半世紀近くも縁がなかった。
で、久々に食べてみたが感想としては「退屈な味」と言った感じだった。

広場に立っていた銅像[広場に立っていた銅像、このひとはどんな人?]

宿へ荷物を取りに戻り、16:55発の903番バスに乗るために出発。
雨も上がって、これなら港まで歩くのに支障はなさそう。
ブリーレの石畳の道をキャリーバックをガタガタ言わせながら歩く。
街の中でもいろいろな自転車を見かける。
日本のママチャリのような自転車は見かけない。
いずれもしっかりとした頑丈そうな自転車ばかり。
重そうにも見えるけど、町中をビュンビュンと快走している。
オランダ人は脚力があるのだろう。
そして、二人乗りの人転車も見かけるが、自転車の前にダンプカーの荷台を小さくしたようなものを取り付けた自転車もある。
この荷台に荷物を載せたり、人が乗っていたりする。
前輪は二輪で、なんとなくベトナムのシクロにも似ている。

ダンプカー風自転車
[重量があってペダルが重そう、坂道は無理だね]

4時半にはバス停に到着。
まだバスは来ていないようだ。
ミニバンタイプのタクシーが一台止まっているだけ。
時々バスは入ってくるが私が乗ろうとする903番はやって来ない。
903番はこのバス停が始発なのだけれど、私以外にバスを待つ人の姿も見えない。
朝、「早く行って待っておくべきだ」とアドバイスをバスの運転手からもらっていたけれど、そんな早く来る必要もなかったのかもしれない。
16:45になったら、朝のバス運転手が赤い小型バスを運転してやった来た。
やれうれしや、これで安心。
運転者も「ちゃんと来ていたか」といった感じに手を上げて応えてくれる。
が、バスの運転手はドアを開けて私を招じ入れてくれることなく、バス停に止まっていたタクシーの運転手と話し始めた。
そして、私にもわかるような英語で説明してくれたところによると、「16:55のバスにお客はお前さん一人しかいない、だからバスは走らない。そこのタクシーが代わりに運んでくれるよ」という。
タクシー料金ではなくバスの代行をタクシーがするだけなので、運賃はバス代と一緒らしいので安心する。
もちろんバス代行なので、バスの運行区間までしか行ってくれず、その先の港まで乗り続けるとしたらタクシー代を払わなくてはならないのだろう。

バスの出発時刻を待たずに私がタクシーに乗り込んだらすぐに出発。
田園の中のハイウェイを快調に飛ばして、ものの10分ほどでユーロポート地区のBP石油事務所前のバス停まで運んでくれた。
もちろん、バスの代行での運行なので運賃メーターも倒すことはなかった。
さて、運賃の支払いをクレジットカードでしようとしたところタクシードライバーは、「クレジットカード、、、運賃はいらないよ」と言う。
交通系カード用のスキャナーは車内にあるようだけど、クレジットカードが使えないということなのだろうか。
しからば現金で払うからいくらかと聞いたらば、「いいよ、フリーだ」と言う。
これはいったいどういうからくりなのかよく解らないが、運転者たちの親切に感謝。

タクシー
[バス代行タクシーをBP石油前で降りる]

かつての東京湾埋立地のように草が茂るだけの荒涼とした中に続くハイウェイをとぼとぼ歩く。
自転車用の道も付いているが自転車はほとんど走って来ない。
ときどき自転車道をスクーターが走り抜けていく。
霧雨のような雨が降ったり止んだりするので、レインコートを着て、雨か降ると傘をさす。
車道は大型トレーラーばかりがひっきりなしに走っている。
高圧線がハイウェイを横切ったり、並行したりする。
とにかく、船着き場まで歩くしかない。

港への道
[ハイウェイに歩道はなく、自転車道を歩く]

船着き場まで、直線距離にしたら2キロくらいしかないかもしれないが、その間には大きな運河があり、橋もかかっていないので、橋のある所まで大きく迂回しなくてはならない。
歩き始めて30分ほどで運河にかかる橋を渡る。
橋の下を大きな船も航行するのだろうか、橋が水面から随分高いところを通っている。
つまりそこまで登って、そこから下らなくてはならない。
上りはいいは直線であったが、下りは半径数百メートルもありそうなループになっている。
相当な距離を回り込んで、橋の直下へ降りてくるわけ。
階段でもあれば一気にショートカットできそうでけれど、もともと歩行者のいない道なので階段も梯子もない。
草地になっている崖を下ろうかとも考えたが、こんなところで転んでも面白くないので、素直にループを回り込む。
そうして歩いているうちに雨が本降りになってきた。
風も強まってきた。

港への道2
[ずっと先にある橋を渡る]

これから乗る船はとにかく巨大なので、まだ何キロも先にあるのに、その船体が見える。
大型トレーラーが疾走していくと、疾風とともに水しぶきも上がる。
歩くだけならいくらでも歩けるが、もう靴もびしょびしょ。
ズボンも濡れて重くなってきた。

歩くこと1時間15分。
ようやくP&Oフェリー乗り場へ到着。
青い色をしたターミナルはディスに‐ランドのようにやたらと広い駐車場の先にあった。
チェックインカウンターには数組の乗船客が並んでいた。
これから乗る船にどのくらい乗客が乗るのか知らないけれど、船の大きさの割にはチェックインカウンターが少ないように感じた。
もともとカーフェリーだから、ほとんどの乗船客は車専用のゲートか何かで手続きをしているのかもしれない。

P&Oフェリーターミナル
[P&Oフェリーターミナル ]

しばらく待って、私の手続きの順番になった。
Direct Ferryというサイトからプリントアウトしたバウチャーを見せたら、乗船券と紙でできたルームキーを渡された。
受付の女性スタッフに数日後にまた船でここへ戻ってくるけれど、この港から街までのシャトルバスに乗せてもらえないかと聞いたところ、OKだという。
ロッテルダムとアムステルダムまで行くバスがあるがどっちがイイかと言うので、アムステルダムまでのバスにする。
バス代は12ユーロであった。
この金額なら何キロも歩き、バスや地下鉄、電車と乗り継いでいくより断然安上がり。
「もう乗船できるよ」と言われたので、オランダの出国審査を簡単に受けてターミナル4階に上り、そこからそのまま長いブリッジを渡って船内に入った。

プライドオブロッテルダム
[巨大な船だ]

入ったところが船の8階になっていて、インフォメーションなどがある。
乗船券を見せたら私の部屋への行き方を説明してくれた。
同じ8階で、左手に行くとバーがあるから、その先に部屋があるとのことだった。
私の買ったチケットは一番安いインサイド二人部屋というタイプのもので、部屋は巨大な船の中ほどに位置しており部屋に窓がない2段ベッドの部屋。
自分の部屋まで迷路のような廊下を歩いてたどり着き、今夜のルームメイトが先に入っているかもしれないと、まずはドアをノックしてみる。
反応なし。
しばらく待って、もう一度。
どうもまだ誰も入っていないようだ。

船室
[今夜のねぐら]

ビジネスホテルのシングルルームの様な広さと設備の部屋。
2段ベッドだけれど、上の段のベッドは折り畳み式で壁に収容されているので、見た目は全くのシングルベッド。
日本でもカーフェリーに何度も乗ったが、安いクラスはだいたいがカーペットで雑魚寝が一般的だったので、二人部屋とはいえベッドで寝れるとは嬉しい。
しかも、日本だったら一等船室でもないことが多い、シャワールームも船室内にある。

パスルーム
[上質なタオルとかも用意されてる]

出港までまだ2時間もあるので、同室者がこれから来るだろうけど、私は先住権ということで下の段のベッドを使わせてもらうことらする。
そして、雨に濡れて冷え切った体を熱いシャワーを浴びて温める。

大きめのシャワー
[大きめのシャワーからは熱い湯がたっぶり噴き出す]

船内探検。
そもそもこの船は、イギリスの大手海運会社P&Oのフェリーで、8,850トンのプライドオブロッテルダムという。
250台の車と410ものトレーラーを積み込めそうだ。
40フィートのコンテナで20~30トンくらいあり、それが410本となると、10,000トンくらいを一晩で運んでしまうわけで、これは貨物列車にしたら20本分くらいボリュームに相当しそうだから、日本の青函トンネルでの輸送量に匹敵するのではないだろうか。
私がこれまでに乗ってきた船の中で最大だったのが北欧でのシリアライン。
それもでかくてすごかったけれど、この船はさらに倍近い。
日本郵船の飛鳥も家族で乗って、おおきい船だと思ったけど、その3倍ほど。

船の概要

エレベーターは12階まであり、まずは最上階へ上がってみる。
12階にあるのはスカイラウンジ。
すでに広いラウンジに置かれたソファーではアルコール飲料を楽しんでいる先客が散見される。
豪華な作りのラウンジでグラスも高級そう。
飲み物の値段はチェックしなくても高そうだと一目でわかる。
いや、国際航路で免税価格だから、市中よりも安いかもしれないが、私には2ユーロで買った1リットル入りのワインが船室で待っている。

エレベーター
[下の方の階は車両甲板のようだ]

ラウンジの先にデッキがあった。
このデッキにもスタンドバーがあり、ビール片手にデッキに出ている人がいる。
船が沖に出てしまったらインターネットにつながらにまなってしまうだろうから、デッキの隅のベンチに腰掛けてパソコンを開いて少しお仕事。
バーのボーイさんが飲み物の注文を取りに来たけれど、なにも注文しなくても追い出されることはなかった。

屋外のデッキ
[最後部にあるデッキ、雨に濡れてて座れない]

一区切りつけて、船室に戻ってみるが、まだ同室者は来ていなかった。
この船、レストランやバー、免税店など何軒もあり、設備が充実しているのだけれど、ただ一つ日本のフェリーが勝っているのは、日本の船なら貧相でもだいたいある無料で弁当を広げられるスペースが、この船にはない。
どこもかしこも値札付きの空間ばかり。
後部のデッキは無料開放されているものの、船全体の大きさからみたらお話にならないくらい狭い。
そんなわけで、窓のない船室のベッドに腰掛けてパンをかじることにする。
菜っ葉とチーズ、そしてワイン。
ワインはとても軽いワインだけれど、飲み口がイイ。
飲みやすい。
ワインとチーズと固いパン。
タイであこがれた食事を楽しむ。

出港時刻となったが、とうとう同室者は現れなかった。
つまり今晩は二人部屋の船室が個室になるということらしい。
安いワインで祝杯を挙げる。

再び後部デッキへ出てみる。
ちょうど船が岸壁を離れたところで、時刻は夜8時半。
少し小雨が吹き付けてきたりするが、デッキに出てきている人は多い。
雨も気にしていないみたいだ。
港の中の巨大な水路を進んでいく。
後部デッキなので、前方に何があるのか、どっちへ進んでいくのかはわからないが、すっかり日が暮れて暗くなっても、船の後ろに白く引いた航跡ははっきり見える。
30分ほど航行して港の外へ出たようだ。
つまりヨーロッパを離れたということだろう。

出港
[日本のように「蛍の光」は流れてこなかった、原曲は目的地ハルに近いスコットランド民謡だったと思うけど]

大きなレストランはバイキングになっているようで、ほかにもトラックドライバー専用のレストランやバーもあった。
一般乗客より安い値段で飲食できるようになっているのかもしれない。
ドライバー専用のバーの周りではビールの小瓶を手にした大男たちが立ち話をしていた。

これであとは寝るだけ。
低気圧で海は時化ているかかもしれないけれど、大きな船なのでほとんど揺れも振動も感じない。
快適に眠れそう。

ベッド
[リネン類が白いのがうれしい]

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蘭英旅行 その2
9月8日 木曜日

オランダ時間の7時半、台北から14時間半飛び続けて、そしてバンコクを出てから26時間くらいかけてアムステルダムのスキポール空港に着陸。
通路側の席なので、窓から外の様子が良く見えないけれど、どうやら外は雨が降っているらしい。
今回は歩く旅行のつもりでいるけれど、雨が降られると足を奪われるので困る。

スキポール空港
[雨のスキポール空港に到着]

スキポール空港は20年以上前に来たけれど、やっぱり大きな空港で、たくさんの飛行機が発着し、到着したゲートの関係から入国審査場まで延々と歩いていく途中で、次々と別の到着ゲートから出てきた人たちが合流してくる。
そして、入国審査場ではEUからの到着とEU以外からの到着で分けられており、EU以外からの審査場には長い列ができていた。
オランダに入国するのに手続きの書類とかはパスポート以外に何も提示を求められなかった。
コロナの関係の誓約書みたいなものを用意するよう案内にあったけれど、そんなものも求められなかった。
「どこいくの、何日いるの、オランダだけ?」と簡単な英語で、簡単な質問のみで入国印を受ける。

これからの予定は、ロッテルダムへ向かうこと。
翌日の夜の船でロッテルダムからイギリスに渡るつもりなので、今日明日はロッテルダム周辺をウロウロする予定。
宿はロッテルダムから川を渡った対岸にある古い要塞都市のブリーレに安い宿を予約してある。
で、ロッテルダムへどうやって行くかだけれど、空港からロッテルダムへは電車が直通している。
乗れば1時間くらいで着くらしいが、タイと違って公共交通機関の運賃は高い。
14ユーロほどするらしい。
バーツに換算したら500バーツくらいだろうか。
それに宿のあるブリーレはロッテルダムから地下鉄とバスを乗り継いだ先にあって、それも交通費が結構かかりそう。
このあたりのことは旅行前に調べておいてあって、ロッテルダム周辺なら南ホーランドのツーリスト・デイパスと言うのを使うと、地域内の交通機関が1日乗り放題らしい。
このパスが買えるところは、スキポール空港から一番近いところがライデンのようであり、そこまで電車で行くことにする。
電車の切符も事前にオランダ国鉄のアプリで買っておいた。
駅の自動券売機で切符を買うと1ユーロの発行手数料がかかるけれど、アプリを使って買えばカード決済で、しかも手数料も不要とのことであった。
スキポール空港からライデンまで6.50ユーロ也。

QRの乗車券
[アプリでの乗車券]

アプリの切符はQRコードになっており、これが表示されてる画面を改札機にかざすだけということだったけれど、いざ空港ターミナルの電車乗り場へ行ったらば改札機も改札口も見当たらない。
階段を下りたら電車のホームで、次々と電車が発着している。
私が乗ろうと思ったライデンに行く電車も、ススーっとやって来て、ピューっと出発していってしまった。
他にもパリ行きの新幹線とかも出入りしている。
改札をすり抜けて、電車に乗ったら罰金とも聞いていたので、もう一度ホームから階段を登って、あたりを見回し、二人組の警備員らしい体格が良い男性に聞いてみた。
そしたらば、「改札なんか降りるときにQRチェックするだけでイイんだぜ」と教えてくれた。

黄色と紺色の電車は2階建てで、なんだか昔の近鉄ビスタカーを思い出させる。
東京育ちの私は実際には乗ったこともないのだけれど、のりものの絵本に橋を渡るビスタカーの絵が出ていて、2階建て電車にあこがれたものだった。

オランダの電車
[2階建て電車に子供のころあこがれた]

ライデンまではすぐで、乗って15分くらいで到着してしまった。
降りるときには簡単な改札機があって、みんなカードのようなものをかざしてピピーっと音をさせて通り抜けていった。
私おっかなびっくりスマホをかざしたらピピーと音がした。
バンコクや日本の自動改札のように、改札機のゲートが閉まるなんてこともない。
なので、駅への出入りはとってもスムースなようだ。

ツーリスト・デイパスは駅を出てすぐのところにある観光案内所内で売っているとのことだったので、そこへ向かう。
空港では感じなかったけれど、駅を降りて、街の真ん中に立ってみると、ヨーロッパだなぁと初めて感じた。
建物も、行きかう人の歩き方も。
そして、空気までも。

ライデンの観光案内所
[LEINDENの文字がなんとなくハングル風だけど、よく見れば鍵のイメージらしい]

観光案内所はすぐわかり、ツーリスト・デイパスもクレジットカードですぐ買えた。
14.50ユーロ
カードで買えたというより、現金の取り扱いはしていないのだそうだ。
カードを持っていない人などどうするのだろう。
係の人はロッテルダムまで行くなら、駅前から45番のバスでハーグまで行って、そこから地下鉄に乗ればいいと教えてくれた。

ライデン駅前のバス乗り場
[小雨が降ってもカサをささない人が多いようだ]

オランダで路線バスに乗るのは初めて。
乗り方は日本と同じで、乗降口のカードリーダーへ乗るときと降りるときにカードをかざすだけのようだけど、私が買ったパスは紙でできているので、こんな紙のカードでもかざして読み取れるのかと思った。
しかし、バスの運転手さんは、パスは見せるだけでなくリーダーへかざせとゼスチャーで指示した。
ピッ
不思議だけれど、紙のパスをリーダーは読み取ってしまった。
特殊なインクでも使っているのだろうか、発展途上国のタイにいると世界の進歩に着いて行けてないと感じた。
※後でパスを光にかざしてみたら、パスは極薄の電子回路を2枚の紙で挟み込んで作られていた。

ツーリストデイパス
[見た目はただの紙でできたツーリストデイパス]

綺麗な街並みから少し郊外に出たかなと思う間もなく、またどっとりした街並みに入っていき、そこがハーグらしい。
仕事で観光ツアーの途中で立ち寄っているはずだけど、印象が何も残っていない。
地下鉄と接続するというバスターミナルは、近代的でガラス張りの明るい建物だった。
建物全体が透明で綺麗ではあるけれど、なんとなく殺風景な印象も受ける。
ハーグの街も歩いてみたいけれど、まずはさっさと宿へ行って、荷物を置いてきたいのでそのまま地下鉄乗り場を探す。
地下鉄の乗り場は当然ながら地下にあるものと思って建物の周りをウロウロ探したが見つからない。
オランダ語なんてわからないけど、地下鉄乗り場など見りゃわかるだろうと甘く考えていた。

地下鉄乗り場は、地下ではなく空中にあった。
空中と言うか、建物の上から発着していた。
東京だって地下鉄銀座線は渋谷のバスターミナル上から発着しているから、地下鉄の乗り場が上にあっても不思議ではないし、探しているときに建物の上に電車のホームがあることにも気づいていた。
だが、その電車が地下鉄とは思わなかっただけである。
その電車は地下鉄と言うよりも路面電車と言った感じの小さい電車であった。
日本の路面電車とは少しイメージが違うが、最近日本でも導入され始めているライトレールといった感じのものだった。

地下鉄はハーグを出てしばらくは地上を走り、ロッテルダムの中心部で地下へもぐった。
私の宿のあるブリーレは地下鉄のスパイケニッセと言う駅でバスに乗り換えていくことになっている。
そこまでは途中で一回乗り換えるだけで行けるようなので、ロッテルダムの街はそのまま地下で素通りしてしまう。

スパイケニッセは東京郊外の私鉄沿線にある新興住宅地入り口の駅と言った感じで、ちょっと殺風景だけど近代的な駅であった。
バス乗り場も整然としており、日本のバスより大きな車体でピカピカのバスが発着している。
私の知っているヨーロッパは古い町並みで、バスや電車も古くて、日本の昭和40年代のような印象だったけれど、中心部の街並みは別として、乗り物に関しては全く変わってしまっている。
郊外の街並みも、あまりにもみんな整然としていてピカピカで、タイからやって来た私には違和感すら感じる。

ブリーレで宿をとったのは、先にも書いたけれど、宿泊料が安いこと、そして翌日乗るイギリス行きの港に比較的近いことが理由で、ブリーレがどんな街であるかなんて、宿の予約をするまで街の名前すら知らなかった。
しかし、いったん宿の予約をして、ブリーレについて調べてみると歴史的に重要な場所であることがわかってきて、ブリーレに興味が出てきた。

宗教改革など高校の世界史で習った出来事の舞台でもあったし、16世紀の終わりまで、オランダはスペインの植民地であり、そのスペインからの独立が宣言された場所がブリーレであった。
16世紀の終わりまでオランダがスペインの統治下にあったなんてことすら、高校時代に習っていたはずなのに記憶がおぼろになっている。
記憶にあるのは16世紀の終わりから17世紀にかけてオランダは貿易を通じて世界中に進出していたこと。
オランダ東インド会社、バタビア建設などなど。
江戸時代に日本が西洋へ開かれていた窓口もオランダだったり、タイでもアユタヤ時代にオランダは政商としてアユタヤ王朝に深く入り込んでいた。
ちょうどそのころ、オランダ本国はスペインとの80年戦争の渦中にあったなどということは、歴史年表とか見ればわかるはずなのに、まったく抜け落ちていた。

スパイケニッセの駅を出てバスは少し走るとすぐに田園地帯となった。
田んぼがないのは当然だけれど、畑として耕作されている感じでもなくて、牧場のようなところで、緑がきれい。
道もとてもコンディションが良くて、アスファルト舗装道路には凸凹もないし、補修工事の跡も見られないからまったく新しい道を走っているような気がする。
事実、新しい道なのかも知れない。
道路に沿って続く並木の木々はプラタナスだろうか、まだ樹齢が若いようだ。

スパイケニッセからブリーレへ
[バスからの車窓]

オランダは自転車の国だとは知っていたけれど、自転車のための側道もしっかりしている。
車道脇におまけのように仕切られている自転車レーンではなく、専用のサイクリングロードが車道と並行して走っている。
また、バスも優先レーンが多いようで、交差点などでもバスが優先されているようだ。
なので、とっても快適にブリーレまで行くことができた。
ブリーレのバス停到着はちょうど12時。
スキポール空港に着いた時の雨はすっかり上がって、青空も広がり始めている。 <br />ブリーレのバス停は街の中ではなく、堀と城壁に囲まれたブリーレの街の堀の外側にあった。
堀を渡り城壁の入り口から見たブリーレは、物々しい響きのある要塞都市とは反対にアンデルセンのおとぎ話の絵本に出てきそうなロマンチックな街並みのようだ。

href="http://www.chiangmaikk.com/blog/files/IMG_3652.JPEG" target="_blank">ブリーレの入り口

[かわいらしい街の入り口]

ここでの宿はフレッチャーホテルと言って、旧市街の真ん中に位置しているらしく、街の‐メインストリートのような道を進む。
さっきバスが走ったアスファルト舗装の道と異なり、レンガと言うか石畳の道なので、キャリーバックを転がすとゴロゴロ、ガタガタと音を立てて振動する。

宿はすぐに見つかったけれど、ホテルと言うよりレストランになっている。
ちょうど昼食時なので、ランチ客がテーブルに着いている。
そんな中、キャリーバッグをゴロゴロ言わせながら、店内の奥でウエイトレスにホテルのレセプションはどこかと聞いたら、さらに店の奥を指さした。

どうやらホテルの利用者は、駐車場に面した裏口から入るべきであったようだ。
レセプションは裏口のすぐ近くにあった。
レセプションの係は黒人女性でまだチェックイン時間に早いという。
荷物だけ預かってもらって、そのまま外へ出る。

ホテル入口
[宿泊者はこの建物裏側からホテルへ]

今日は一日乗り放題のパスがあるので、風車が並んだ風景が楽しめるというキンデルダイクへ行ってみようと思っていた。
またバスに乗って行くことになるので、バス停まで歩いていく途中にスーパーを見つけた。
JUMBOと書かれたスーパーなのだけれど、地下鉄の入り口みたいなものしか見当たらない。
やたらと広い駐車場はある。
そしてその地下鉄乗り場のようなところから人が買い物カートを押しながら出入りしている。

スーパーはすべて地下になっていた。
ここは城壁の外側で、たぶん景観維持指定の対象外だとは思うけど、仮に外であってもこうして景観維持をしているのかもしれない。
地下に入れば、タイや日本のスーパーとおんなじ。
タイで見かけないものは、カート置き場にワイヤレスQRコードリーダーのようなものがたくさん並べられていたこと。
買い物客の半分くらいはこのリーダーを持って売り場へ入っていく。
説明書きはオランダ語なので(オランダ語かどうかも不明)、英語に似た単語を拾いながら適当に想像してみると、陳列棚の商品の値段を確認したり、レジで使ったりするものらしい。
私は、リーダーを持たずに売り場へ向かう。

タイの即席麺
[タイの即席麺もタイの倍くらいの価格で多数売られている]

スーパーに入った理由は、昼ごはんの調達。
さっきも書いたけれど、宿の一階はレストランになっており、そこで食べるのが通常の旅行者であろうけれど、私は節約旅行を決心しているので、レストランでは食べない。
ランチの看板に15ユーロと書かれていても、それは私にとって安くない。
そこでスーパーで出来合いのお惣菜やサンドウィッチでも買えば安上がりだろうと安易に考えた。

しかし、安易だった。
お惣菜やサンドウィッチも安くない。
日本の海苔巻きみたいなものやチャーハンなんかでも7ユーロくらい。
なんか安く食べられるものはないかと店内を物色したらありました。
パンの特売コーナー。
パン4つで1ユーロとなっている。
これとネギ風味のバターを買う。
有人のレジでキャッシュで会計する。
合計 1.79ユーロ
2ユーロのコインを渡して、小さなコインのお釣りを受けとる。
タイパーツ換算して60バーツ少々。
このパン、バンコクで1個10バーツじゃ買えない。
バターも安い。
とたんに嬉しくなる。

このパンをそこらへんにいくらでもある緑の牧場で食べたらピクニックみたいで美味しいだろう。
でも、あんまり人目に付かないところがイイなと、スーパーから少し離れたところにある牧草地で食べようとしたけれど、牧草が雨が降っていたからなのか、濡れていて諦め、そのままバス停に向かう。

バス停はガラス張りのシェルターになっておりベンチもある。
ここでパンをかじる。
スーパーの安売りのパンだけど、スーパーの中にパン釜があって、そこで焼いているからなのか、バンコクのスーパーで売っているパンより美味しく感じる。
パンの外側がしっかり歯ごたえがあってカリカリで、中はふんわり。
食いちぎるときには、顎が疲れるくらい。
こういうパンが好きなのである。
クロワッサンもサクサクでポロポロと表皮がこぼれ落ちてしまうので困ってしまうくらい。
ネギ風味のバターを塗りつけ、飲み物はペットボトルに入った水。

ランチのパン
[パンが旨い]

バスを待つ間にパン3つを食べてしまい満腹。
そろそろバスが来る時間と、残ったパンをカバンにしまい、胸ポケットに入れたフリーパスを取り出そうとしたら、ポケットにパスが入っていない。
財布を探したがない。
ズボンのポケットにもない。
ない、ない、ない、、、みつからない。
どこかに落としたらしい。
このところこの手のトラブルが多い。
先月はバンコクのフードコートでランチを食べた際にカバンをテーブルに置き忘れた。
お金やパスポートなど入ったカバンで、夕方までカバンの置き忘れに気が付かなかった。
気が付いた時には顔が真っ青になっていたことだろう。
だいたい、その時はなぜカバンが手元にないのかもよくわからないくらいだった。
カバンを探しにフードコートへ戻ったら、ランチを食べたテーブルの上に、私のカバンがそのまま乗っかっていた。

そして、今朝もライデンの観光案内所でフリーパスを買った際に、財布を落としてしまいそのまま立ち去ろうとしてしまった。
出口を出ようとしたときに係員に呼び止められて、床に落ちている財布に気が付いた。
クレジットカードや現地通貨が入っている財布で、これがないと悲惨なことになるところだった。

こうして困ったときに、救われているのは、私のネコが天国から私を守ってくれているからだろうと信じている。
なので、いつもネコには手を合わせて感謝をしている。
そして、またまたフリーパスを落としてしまった。
落としたものがフリーパスだから、大したことはないし、キンデルダイクを諦めて、ブリーレの街を歩き回ればよいだけのことだけど、フリーパス14.50ユーロの元を取れていないことが悔しい。
また手を合わせてネコにお願いする。

フリーパスを落とした場所として考えられるのは、先ほどの牧草地。
地面の状態とか確認するためにかがみこんだりしたし、フリーパスと同じく胸のポケットに入れていたスマホを出し入れしていた。
牧草地へ戻ってみたら「ありました」。
緑の牧草の上に、白いパスが光っていました。
またまた手を合わせてネコに感謝。
「ネコや、いつも守ってくれてありがとう」

出直しでバスに乗り、地下鉄に乗り換えて、再びキンデルダイクへ行くバスに乗り継ぐ。
こうしてオランダの地方都市の近郊を公共交通機関を利用して移動しているけど、とても快適で、乗り継ぎもスムース。
タイとはまるで違う。
日本だってこんなに便利じゃなかったと思う。

キンデルダイクには午後3時前に到着。
天気はますます良くなってきている。
キンデルダイクは水郷地帯と言った感じのところで、水路がたくさん走っている。
そんななかにオランダの観光ポスターでよく見かける風車が何台も並んでいる。
つまり絵のような景色。

キンデルダイク到着
[バスを降りてすぐ、脇道へ入った風景]

帆を張って回転している風車もある。
観光客が何組も歩いている。
自転車に乗ってやってくる観光客もいる。
水路には遊覧船が行き交っている。
みんな「これぞオランダ」といった景色を求めてやって来ているのだろうけれど、確かに風車はオランダの名物だけど、すでに過去の遺物でもあるわけで、こんな景色が見られるのもオランダではここだけなわけだから、オランダでも「珍しい」景色ともいえるわけだと思う。

水郷と風車
[そのまま絵葉書になりそう]

ここはオランダの中でもキューケンホフのチューリップ畑に次ぐくらいの観光地で、たくさんの観光客を熱るているようだけれど、日本でもタイでもよく見られる観光客相手の店はあんまり目立たない。
見つけたのは巨大な木靴のオブジェを飾った小さな土産物屋が一軒だけ。
なので、風車がならぶ散歩道を歩いていても、観光地にやって来ていると言う気がしない。
並んだ風車のある光景が、作り物ではなく、そのまま景色にマッチしている。
多少の違和感を感じさせるのは、水路を行きかう遊覧船から聞こえてくる観光案内のマイクの声くらい。

遊覧船が行きかっています
[船での水郷巡りも気持ちよさそう]

天気に恵まれ、やっばりキンデルダイクへ来てよかった。
それにここは入場料を徴収されるわけでもないので、お金を節約旅行をしている私には最適である。
オランダへ以前来た時も風車は見てきているけど、ここには来ていない。
あの時はたった一基の大きな風車があって、その風車の中がレストランになっていた。
そこでカマスのような魚の美味しいグリルを食べさせてもらった記憶がある。
食べ物の記憶があっても、風車自体の記憶が薄いところを見ると、やっぱり風車はキンデルダイクに限るのかと思う。

水路には睡蓮も
[バンコクの水路とあまりにも違い過ぎる]

なかなか、良い景色の中で過ごさせてもらったけれど、散歩コースは距離にして1キロ半程度。
風車を眺めながらでも1時間とはかからない。
遊覧船乗り場まで歩いたところまででおしまい。
ひとりで旅していると、景色の良いところへ来ても、ほかにやることがなくなってしまうと、景色だけいつまでも眺め続けてもいられなくなる。

散歩道
[こんな道をのんびり歩きました]

そろそろブリーレの宿へ戻っても良いかと思うけど、来た時と同じルートで戻るよりも、水上バスにも乗ってみたい。
キンデルダイク入り口近くに桟橋があり、その周辺には2階建てくらいの大きな客船が係留されている。
これらの客船は宿泊施設になっているようで、川を航行するクルーザーのようなものなのかもしれない。
地図を見るとこのあたりから入り組んだ水路をたどればライン川にもつながっているようだ。

桟橋からロッテルダム行きの水上バスは出ていないようで、対岸とを結ぶフェリーが発着しているだけだった。
水上バス乗り場はキンデルダイクの先にあるようで、そこまではバスで向かう。
住宅団地や分譲住宅が並ぶようなところで下車して、水上バス乗り場まで歩く。
ここでオランダに来て初めてのネコに出会う。
タイでよく見る斑のネコ。
タイから時間した固形のキャットフードを与えてみたら、お義理程度に少し口をつけただけだた。

オランダで見かけた最初のネコ
[タイでもよく見るブチの雌猫]

ロッテルダムへ向かう水上バスは大きな船で、タイでもサムイ島などへ向かうスピードボートに似ている。
自動車は載せないが、自転車で乗り込んでくる人は多い。
水上バスで川沿いの景色を楽しめるかと思ったけれど、川沿いの景色はそれほど面白いものは見当たらなかった。
川を航行する運搬船や艀は多いけれど、なんとなくバンコクのチャオプラヤー川と似ていて、岸は倉庫などが並んでいる程度で殺風景。
ロッテルダムの市街地が近付き始めて、変わった形の建物や橋が出てきて、目を楽しませてくれるが、それもあっというまで終点に到着。

水上パスの船内
[水上バスの船内]

ここから地下鉄にすぐ乗れるようなのだけれど、路面電車にも乗ってみたいと思い、川にかかる大きな橋のたもとで、これから橋を渡ろうとする路面電車に乗り込んだ。
3両編成(もっと長いのも走っている)、連接車体のライトレール風の路面電車で、近代的過ぎてなんだか味気ないのだけれど、便利ではある。カードリーダーでバスをピっとやるだけ。
乗り心地も悪くない。
しかし、この路面電車ではブリーレへ行く起点となるスパイケニッセへは行けないので、途中で降りてバスに乗り換え地下鉄駅のあるところまで行く。
地下鉄にさえ乗れば、スパイケニッセへは簡単に行ける。

ロッテルダムの路面電車
[昔のチンチン電車とは全然イメージが違う]

路面電車、バス、地下鉄、またバスと乗り継いでブリーレの街へ戻ってきた。
宿に入る前にもう一度JUMBOのスーパーで食材を仕入れる。
またパンコーナーへ行ったが、4つで1ユーロのパンは選べる種類が少なくなっていた。
ここで買ったもの
4つで1ユーロのパン
フランス風のバゲット
ブルーチーズ
イワシのトマト煮缶詰
紙パック入り赤ワイン(1リットル)
缶ビール(500cc)
以上、10.36ユーロ。
昼のバンも残っているし、明日の朝も食べられそう。

宿に着いたらもう7時過ぎ。
でもまだ外は明るい。
宿賃を52.50ユーロ払ってカギを受けとる。
予約をしたときはタイ・バーツで1,805バーツだった。
少し現地払いが割高かなと思ったが、2.50ユーロの市税が別にかかるのだそうだ。

部屋はシングルベッドが一台で、広さも三畳くらいしかないけれど、屋根裏部屋によくある窓があり、外が見える。
トイレはシャワーは共同だけれど、部屋を出てすぐのところにあるからそれほど不便でもない。
そして、安宿と言っても清潔で、快適。
この日は二万歩ほど歩いたことになっていた。

宿の部屋
[こういう部屋は妙に落ち着く]

夜8時を過ぎてもまだ窓から明かりが差し込んでくるけれど、ベッドに腰かけて、昼と似たような夕食を食べる。
しかし、ブルーチーズと赤ワインがあるので、とっても贅沢をしている気持ちがする。
缶ビールも特売品で0.50ユーロとお値打ち価格だったけれど、ノド越し良くて旨い。
オランダ第一日目、満足度が高い1日だった。

夕食
[質素だけれど、美味しい夕食]

つづく

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蘭英旅行 その1
9月7日より9月15日までオランダとイギリスへ旅行へ行ってました。
そのことを書きたいのですが、たぶん書きたいことがたくさんあるので、かなり長くなりそうです。
連載のような形で書き進めて行きます。

そもそも、事は2020年の3月に行く予定で計画されていたものでした。
その時は、全体で7日間の予定で航空券やホテルなどの手配をすべて済ませていた。
コロナがそろそろ世界中で感染爆発を起こして、会社から渡航禁止を命じられて泣く泣くキャンセルをしたのだけれど、旅行を計画していた1月ごろはまだそんなことになるなどと、ちっとも考えていなかった。

そのころ気になっていたのは、7日間も旅行に出てしまったら留守中、ネコをどうするかということだった。
5日間くらいなら私が日本へ一時帰国するたびごと、ネコに下宿の部屋で留守番していてもらうのは、毎度のことだったし、一度は日本からの戻りの飛行機が台風で欠航となって、6日も留守にしたかことがあった。
しかし、7日間はまだ未経験。
どうしたものか、動物病院へ預けることも考えたけれど、ネコは動物病院が大嫌い。
ストレスで病気になってしまいかねず、かわいそうなのであんまり考えたくなかった。
誰かに頼んで、留守中に毎日様子を見に来てほしいところだけれど、頼める人もいないし、ネコも他人にはなつかない。
そんなことを悩んでいたら、2月6日にネコを、私が3日間バンコクへ行って留守にしている間に死なせてしまった。
ネコの死は全く私の落ち度によるものだけれど、私は「ネコが私が後顧の憂いなく旅行に行けるよう旅立ってしまった」とも感じていた。

そんな環境下にあって、結局は出発間際に渡航禁止となり、すべてキャンセル。
当座は切符などの払い込み済み予約のキャンセルはできず、半年以内の別の日に振り替えられるとの連絡があり、一部追加料金(夏のシーズンなので割増料)を払い込んで同じ2020年の9月に行くべく手配の変更をした。
変更をかけたその時はまだコロナが半年以上も続くなどとは考えていなかったが、4月以降は会社からの渡航命令でなくても、どこへも出られなくなってしまった。
そしてそのまま9月の旅行もキャンセルせざるを得なくなった。
もっとも、ほとんどの予約は払い戻しに応じてもらえた。

それからが長かった。
当時、海外旅行の計画はこれだけではなく、中国の青島へも行こうと航空券を手配していたが、こちらの方は、払い戻しを受ける前に航空会社の方が先に倒産してしまい、全くの泣き寝入りとなった。
そして、今年8月になりタイから海外へ行くのも、海外からタイへ入るのもほとんど面倒な手続きが不要になった。
旅行の計画を復活させたのが8月下旬。
急いで飛行機の手配などをして、出発を迎えることになった。
2年半遅れの旅行となったわけ。

もともとは7日間の予定であったけれど、コロナは収束し始めても、ロシアのウクライナ侵攻にともなっての飛行機の飛行ルート変更などで、往復に時間がかかるなどして、旅行期間は9日間と長くなってしまった。

旅行の行先はオランダとイギリスだけれど、本来の目的地はイギリス中北部の湖水地方。
30年ほど前に、母親を案内して連れて行き、その風光明媚さに母がとても感動し、喜んでいたので、母の没後10年の節目にもあたっていたから、遺影を抱いて再訪しようと考えてのことだった。
それが結局13回忌も過ぎてしまい、今回の旅行には母の遺影だけではなく、ネコの遺影まで抱いていくことになってしまった。

遺影は2つ、宿の窓辺に
[遺影は2つ、宿の窓辺に]

いつもながら前置きが長くなってしまった。
9月7日、朝8時前にアパートを出る。
中ぐらいのキャリーバッグ一つを転がしてエアポートリンクのフアマーク駅まで歩く。
このキャリーバッグは何年か前に息子の優泰が買ってくれたもの。
もともと使っていたものは、これより少し大きかったが、それも妻からのおさがり品で、20年以上使いこんできて、あちこちヒビ割れが生じ、補修に補修を重ねてきている、
それだけに愛着もあるけれど、老体なので酷使には向かない。
駅までは3キロ近い道のりだけれど、今回の旅行はとにかく歩くことにしているので、雨上がりで水たまりの多い道をキャリーバッグ転がして歩く。

歩いていれば、そのうちに靴下に穴が開く可能性がある。
靴下など消耗品みたいなものかもしれないが、私は穴が開けば補修して耐久品とみなしている。
そのため、靴下の補修(裁縫)用に針と糸を持って来るのを忘れたことを歩き出して気づく。
針と糸など、雑貨屋で買えるだろうと思って歩いていたが、駅までの道には雑貨屋などなかなか出てこなかった。
ようやくカンボジア国境へ続くタイ国鉄の踏切を越えたところに雑貨屋を見つけたので、店の主人に「針と糸が欲しい」と伝えたのだけれど、ぶっきらぼうに「ない」と一言。
ときどきタイではこの手の対応を受ける。
針と糸ぐらいあって当然なのに、面倒だから「ない」といって追い払おうとする。

フアマーク駅で空港までの切符を自動券売機で買おうとして、コインがないことに気づく。
少しでも身軽になろうと、財布の中は紙幣だけにしてコインを置いてきたのだけれど、紙幣も100バーツ以上のものしかない。
空港まで30バーツ。
100バーツ札でも使えるのだけれど、おつりは20バーツや50バーツなどの紙幣では出てこない。
全部10バーツのコイン。
この10バーツコインは日本の500円玉以上に重いコインで、財布の中に3枚もあると財布がかさばってしまうのだけれど、癪に障ることに自動券売機は切符のお釣りとして10バーツコインを7枚も、チャリン、チャリンと吐き出した。

ホームに上がって、電車を待つ間、ネコのことを思い出した。
このホームで電車に乗るのは、いつも日本へ一時帰国するために空港へ向かうときぐらいで、ネコはアパートの部屋でお留守番。
そのなネコの待つアパートにはパソコンにカメラをつなげて、部屋の中の様子を出先からも見えるようにしていた。
そして、以前はこのホームに上がってくるとまずはネコがどうしているだろうかとスマホで部屋からの映像を確認したものだった。
しばしば部屋のネット環境が悪くて映像確認ができなかったり、パソコンが落ちていたりとトラブルもあったものだ。
しかし、もう今は部屋の中にネコはいないので、パソコンも棚にしまってしまったし、カメラも中空を剥いたまま放置されている。

スワンナプーム空港の中は、以前と比べたら全然人が少ない。
出国審査の行列もほとんどなく、2年半ぶりにパスポートに出国印が押された。
台北経由アムステルダム行きの中華航空往復航空券代は31,865バーツ。
バンコクからアムステルダムなど直行便も飛んでいるけれど、自分は中華航空好きなので、遠回りでも運賃が割高にさえならなければ気にしない。
それに、今回の旅行を思いついたのも、長らく台北空港でのトランジットがコロナで禁止され、台湾自体も入国禁止されていたものが、やっと先月から第三国へ向かうならトランジットが可能になったので、やっと中華航空に乗れるようになったからでもある。
なんで中華航空が良いかと言えば、マイレージ会員の特典が利用でき、空港のラウンジが利用できるから。
バンコクも成田も中華航空専用ラウンジがあって、小さいけれど食べ物も美味しいしサービスも良いのでものすごく気に入っている。
乗り継ぎの台北空港も大きなラウンジがある。
しかし、中華航空の専用ラウンジは閉まっていた。
これはとても残念。
代わりに案内されたのがミラクルビジネスラウンジという有料ラウンジ。
コロナでまだ多くの航空会社の専用ラウンジは再開していないようで、みんなこうした有料ラウンジへまとめられているようだ。
そのためラウンジ内のソファーは半分以上が埋まっている。
そして、食べ物はタイの田舎にある三流ホテルの朝食会場にも劣るような品ぞろえでバイキング。
サンドウィッチも機内食の残りみたいなラップに包まれた小さなものを置いてあるだけ。
空港ラウンジでの食事を楽しみにして朝食を抜いてきたけれど、当てが外れた。
ビールなどのお酒類は充実していて、こちらは申し分ない。
ビールをいただき、大好きなカンパリソーダも飲ませてもらう。
ウイスキーはジョニーウォーカーがあったけれど赤ラベルだけ。

搭乗時刻となりターミナルのはずれ近くにあるゲートから11時発の台北行きの飛行機に乗り込んだら、これがほとんどガラガラ。
エコノミークラス全体でいったい何人待っているのだろうかといったレベル。
私の席(10H)があるブロックには10人と乗っていない。
※あとで確認したら後方のブロックには出稼ぎ労働者のような人たちが50人くらい乗っていたみたい。
台湾はまだ入国制限しているし、トランジットが再開したといっても、やっぱりこんなものなんだろう。
今晩乗り継ぐアムステルダム行きもどうせガラガラだから3人掛けのシートを占有して、横になっていけるんじゃないかと期待してしまった。

エコノミー
[乗客より乗務員の方が多そう]

機内ではマスクの着用が義務となっているということだったし、機内食など以前のようにサービスされるのだろうか、お酒類は無理かもしれないなくらいに思ったりしたけれど、飛んでしまえばサービスは以前のとおり。
スチュワーデスさんたちは、マスクを着け、制服の上に薄いビニール製の防護服のようなものをかぶっているが、機内食もちゃんと配ってくれた。
機内でもビールをいただく。
銘柄は台湾ビール金牌。
これも2年半ぶり。
ちょっと残念だったのは、イヤホンで聴いた機内音楽サービス。
中華航空の機内音楽プログラムで「日本ゴールド」というのがあり、以前は1970年代から最近までの歌謡曲を集めたもので、ときどき大好きなキャンディーズの歌が聞こえたり、懐かしい歌謡曲があったりと、楽しみにしていたけれど、「日本ゴールド」というプログラムは残っていたけれど、1970年代からの・・というくくりがなくなり、ほとんどが最近の歌謡曲になっていた。
つまり全然知らない歌ばかり。
唯一古い曲が由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」。
この曲、古いし、知っているけど、懐かしいという感じではない。
1960年代(1969年らしい)の大ヒット曲なので、思い出が伴わない。

機内食
[ミートソース風だけどたぶん炸醤麺で大人の味]

台北の空港ではそのまま中華航空のラウンジへ直行。
バンコクの空港も人が少なかったけれど、台北の空港は全然乗客の姿を見かけない。
ラウンジもとても大きいのだけれど、ほとんど誰もいない無人状態。
入ってすぐに係の人がメニューを持って食事はどれがイイかと聞いてくる。
こちらは機内食を食べているので、空腹ではないので、後でほしくなったら注文するということにした。
なんたって、乗り継ぎ時間が7時間もあるのだから。

ラウンジ
[貸し切り状態のラウンジ]

このラウンジで食べ物の注文を取りに来ると言っても、食べられるものはお弁当のようなものらしい。
本来ならばバイキングながらオープン・キッチンもあり、東京の駅にある立ち食いソバのようなカウンターもあったりしてとても楽しいのだけれど、すべて閉鎖。
飲み物の冷蔵庫だけは開放されていたけれど、ビールの銘柄は台湾ビールのみ。
台湾だから台湾ビールで問題ないのだけれど、いつもはここにサッポロビールがあって、久々に日本銘柄のビールが飲めると楽しみにしていたのにこれも残念。

7時間と長い乗り継ぎ時間だけれど、ここのラウンジにはシャワールームも個室の仮眠室もあるから楽勝と考えていたけれど、これも甘かった。
シャワー室、仮眠室いずれもコロナのためサービス中止。
結局大きなソファーで過ごすことになる。
さらに、平日水曜ということもあり、会社からのメールやメッセージはどんどん入ってくる。
さっきのフライト中に貯まっていたものが、一時に配信されてきた。
バンコクの業務時間が終わるまでは、ノートパソコンにー向かう。
ウェブを使ったインタビューまでこなしてしまうが、ラウンジ内にはほかに乗客がいないから、周囲を気にしなくても済むので助かる。

メールもひと段落したころからビールを飲みはじめ、ワインも飲ませてもらう。
そうしているうちに、少しお腹もすいてきたので弁当を注文。
メニューを見せてもらったが、当然ながらどれも台湾風の弁当で、台湾風の内容になっている。
つまり、ドカベン風にご飯の上にドーンと大きなお肉が乗っかている。

弁当のメニュー
[左はチキンのホワイトソースかけパスタ、右は排骨飯]

昔の私だったら喜んで食べただろうけど、いまは俄かベジタリアンなので、そんな弁当は遠慮させていただきたい。
そこで「これなら」と提示された弁当の写真は、パッケージは日本のお弁当みたいで、なかなか良い。
実際に運ばれてきた弁当も期待を裏切らなかった。
中は小さなマスに仕切られて、松花堂風に惣菜が入っている。
しかもすべて精進料理。

おぺんとう
[パッケージのプリントもイイ感じ]

味付けも100%和風かと言うと、そうでもなく、台湾風味のものもある。
片隅に小さな焼き芋が入っているのも台湾らしい。
大正解の弁当で、ますますビールが美味しい。
精進料理にはあっさりした台湾ビールがよく合うようだ。

菜食弁当
[俄かベジタリアンであることに感謝したくなねような内容]

夜になってくると無人だったラウンジにも乗客が増えてきた。
以前のように満席になるわけではないけれど、あちこちのボックスに西洋人が座り込んで、弁当を食べたりパソコンで仕事をしたりしている。
壁のモニターに表示されている出発案内を見てみると、たくさんの出発便が表示されているが、よく見ると「客機載貨 Cargo Only」と書かれており、お客を載せないで飛ぶ便ばかりのようだ。

出発案内
[欠航になっている便もある]

この中で、ヒトを載せるのはトロント行き、パリ行きそしてバンクーバー行きのエバーグリーン航空、中華航空は私の乗るアムステルダム行き以外にブリスベン行きがあるだけ。
あとエミレーツのアブダビ行きがあった。
中華航空のラウンジ利用の対象便がたった2便しかないのに、このラウンジには30人以上人がいる感じになっている。
ということは、乗客はビジネスマンたちばかりだから、ビジネスクラスはそこそこ乗客が乗っているけれど、エコノミーはガラガラなんだろうとの確信してしまう。
実は飛行機の切符を買うとき、プレミアムエコノミーに片道5000バーツ程度でアップグレードできるとなっていた。
マイルもエコノミーの倍付で、随分と心が動いた。
しかし、切符を買い時点でエコノミーの座席表を見たところ、埋まっている席は10%もなかった。
ということは、ひじ掛けが邪魔になってゴロ寝に不便なプレミアムエコノミーより、3席占有してゴロ寝ができるエコノミーの方が絶対に快適と解釈して、そのままアップグレードしなかった。

搭乗開始時刻が近付いたので、ゲートへ向かって歩き始める。
A9番ゲートと遠い道のりだけれども、ターミナルの通路に人影がない。
時間が遅いこともあるだろうけど、店もほとんど閉まっている。
アムステルダムまで約15時間もかかるロングフライト。
メールもメッセージも届かないから、今夜はぐっすりと眠って日頃の寝不足解消をしたいと思う。
一度にそんな長く眠れないだろうから、強制的に眠ってしまおうと先日病院へ行ったときにお医者さんから睡眠薬をもらって来てある。
こいつを飲めば朝までぐっすり、なんたってアムステルダム到着は朝7時半過ぎの予定。
ほんとうに長い夜になるわけで、ここで眠っておくかどうかで、時差ボケへの順応力にも差が出るだろうと、適当なことを考えているうちにゲート前にの入り口へ到着。

しかし、ゲートへ降りる階段から搭乗待合室を見て愕然としてしまった。
広い待合室が人でいっぱいになっている。
いくつものゲートで共通の待合室を使っているので、ほかの便の乗客と言う可能性もあるけれど、、、それにしても、この人たちはどこから湧いてきて、いったい何でここにいるだろう?
が、私が乗るCI073便の搭乗開始の案内が流れると、改札口には長蛇の列が瞬時に形成されたのが確認された。
いったい、ジャンボでもない飛行機にこんなに人が乗れるものだろうか?

搭乗ゲート前
[搭乗ゲート前の様子]

機内に入って、私の目論見が完全に失敗したことを理解した。
満席。
ゴロ寝をしていくはずの15時間など、霧散してしまった。
アムステルダム行きだから当然だろうけど、乗客の多くが身体の大きい西洋人。
なんで、こんなことになってしまったのだろう。
私の隣りの中間席も西洋人男性。
狭いエコノミーでしかも両側から挟まれた中間席、15時間なんて乗っていたらさぞ苦しいだろう。
私は通路席を事前指定したいたからまだ救われた。
いや、これも地獄と紙一重だったようで、実は座席を指定する際に、3列席の中間席などをわざわざ選ぶ人は普通いないはず。
特にたいていは長いフライトなど特に通路席が選ばれる傾向がある。
窓側を選ぶ人もいるだろう。
また、できれば隣りに人がいない席に座りたいというのもよくあることで、座席表から選ぶときに、なるべく隣りが空席のところを探すもの。
私は逆転の発想で、私が中間席を抑えてしまえば、通路側にも窓側にも誰も来ない確率は高まるのではないかと理論を立てた。
しかし、自分の理論を自分をモルモットにして立証する勇気がなくて、通路席を選んでいたが、結局これがせめてもの救いとなった。
私の理論は満席だったら通用しない。

満席
[機内は満席]

本来、台北からアムステルダムまで15時間なんてかからないはずだが、今年の初めにロシアがウクライナへ侵攻してから、シベリア上空を飛ばなくなり、南ルートで飛ぶようになっている。
昔は、日本からもヨーロッパへ行くのに南周りが良く使われて、バンコクからインドから中東を経由して、アテネなどへ抜けていたもので、24時間くらい時間がかかっていた。
ジェット機のスピードなど`昔も今も大して変わらないけれど、一度に飛べる航続距離が大幅に伸びているので、途中どこにも降りることないから15時間に時間が縮まったのだろう。

座席のモニターで確認すると、台北を飛び立った飛行機は、南西に向かっていた。
香港近くまで来たところで、機内食になる。
台湾の時間だともう深夜12時過ぎだけれど、夕食ということらしい。
私はまたビールを注文。
またまた台湾ビール。
他の乗客たちでビールを注文している人はほとんどいなかった。
日本行きの機内と違うのは、ビールなんて飲まない客層なのかもしれないけど、トイレに立つのも大変な夜のフライト、ビールなんて飲んだら苦しい思いをしたくないだけか。
私は通路席なので、トイレの心配なく深夜のビールを美味しくいただく。

昆明上空
[ロシア上空は飛べなくても台湾を威嚇する中国上空は飛べるらしい]

海南島から中国内陸部へ入り、昆明の近くまで来たところで機内は消灯となった。
薄暗い機内の中で、座席の液晶モニターだけが青白くチラチラと光を発している。
長いフライトなので映画を見ている人が多いようだ。
私はなんとか寝てしまおうと、ピンク色の小さな錠剤を飲み下し、耳栓をし、アイマスクを付ける。
ゴロ寝ができないのはとても残念。
私は横にならないと寝付けない体質、特に足を下に降ろしていると、落ち着かないので、`足をなんとか上に上げようと、ヒザを前の座席の背もたれに寄りかからせるようらしたりと工夫したけれど、なかなかうまくいかない。

それでも、トイレに立ったついでにモニターを見て、インドの上あたりだなと確認をしたところで記憶が途切れて、途中何度か目を覚ましたようだけれど、睡眠剤か効いて、また寝込み、結局トルコ上空あたりで朝食の機内サービスが始まった。
既に台北を飛び立って10時間くらい過ぎているはずで、台湾の時間では午前9時過ぎのはず。
しかし、まだそとは真っ暗で、深夜なのだろう。
朝食の時にもまたビールをいただく。

迂回ルート
[ぐるりと半円を描くように飛んできています]

つづく

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