9月9日 金曜日
午前5時くらいには目を覚ます。
まだ外は真っ暗。
そして少し雨も降っているようだ。
今日は夜の船に乗るので、夕方には船着き場に向かう予定。
それまで、ブリーレの街の見学などして過ごすつもり。
そして、朝一番に行うべきことは、夕方乗ろうと思っているバスの確認。
船着き場はユーロポートと言うとんでもなく大きな港の一角にあり、そこまでの公共交通機関がない。
一番近い街がブリーレだけれど、それでも20キロメートルほどある。
船会社の方で専用のシャトルバスを運行しているとのことだったけれど、船会社のウェブページから乗船券を買わないと予約ができない仕組みになっているのか、私が船の予約にかかったダイレクト・フェリーのサイトでは予約は電話での予約が必要で、しかりシャトルの利用料金が70ユーロととても高いことを言われ、シャトルの予約を断念した経緯がある。
では、どうやって船着き場へ行くかだけれど、調べてみたら船着き場から6キロほどのところにあるBP石油会社前と言うバス停までバスがあることが調べていた。
そのバス停から6キロくらいなら歩いて行ける自信がある。
ただこのルート903というバスがちょっと変わっている。
平日の朝夕しか運行していない。
たぶん港湾地区で働く人のための通勤用バスなのだろう。
それは日本でもよくあることだけれど、バス会社のホームページに書かれた注意書きでは、事前予約が必要となっている。
ちょっとよくわからないけれど、一応メールで予約をお願いしておいた。
が、もう一つ気がかりなことがある。
支払いは現金ではダメで、オランダの交通系スマートカードだけのようなことが書いてある。
そんなカードは持っていないし、どうしたらよいかよく解らないので、早朝のバスをつかまえて、バスの運転手さんに相談してみることにした。
そんなわけで朝6時過ぎには宿を出て、903番バスの始発となるBusstation Ruggeというところへ出かけてみた。
真っ暗な夜明け前の道を昨日買ったパンを咬みちぎり、ブルーチーズを齧りながら歩く。
この時間はまだ町は眠っていて、見かけるのは清掃車くらいであった。
Busstation Ruggeまでは1キロほどで、ほどなくして到着。
そして903番のバスが止まっていた。
小型のバスで、ハンドルを握っているのは黒人男性だった。
とても親切な人で、やさしい英語で、ゆっくりと説明してくれた。
バス代の支払いはクレジットカードでできること、私の予約したバスは最終の一本前だから、乗り遅れないように早めにバス停にくることなど教えてくれた。
さらに「たぶん自分がそのバスを担当すると思うよ、だからそれまでもう一眠りして大丈夫だよ」と笑わせてくれた。
[あと10分ほどで7時、ようやく白み始めた。朝が少し遅いようだ]
これで安心。
でも、宿へ戻ってきたらば、もう外は明るくなっておりもう一眠りなどするのはもったいない。
部屋で一休みしたら小雨は降っているけれど、外へ出かけてみる。
昨日は風車を見に出かけたりしてブリーレの街はまだ何も見ていない。
宿のある場所はブリーレの中心にあり、また城壁に囲まれたブリーレそのものもそれほど大きな町ではないようだ。
城壁には12の防塁が飛び出しており、全体としては楕円形をしている。
城壁や防塁の感じは函館の五稜郭にも似ている。
ただ、街の中心部まで運河が入り込んでいる。
運河にはヨットなどが係留されており、また運河にかかる橋は跳ね橋となっている。
[橋の欄干だけでなく、あちこちに花の鉢がある]
中心部にはゴシック風の大きな聖堂かあり、街に‐鐘の音を響かせている。
1時間ごとに‐なるのかと思ったら、15分間隔くらいで鐘の音が聞こえてきた。
こうした鐘の音が響くのもヨーロッパに来ているといった印象を強くさせる。
日本でもお寺の鐘がゴーンとなったりすると、情緒を感じさせるが、タイのお寺ではあんまり鐘をついたりしないようで、タイに住んでいてもお寺の鐘の音を聴いた覚えがないような気がする。
[街の中心には教会、ヨーロッパらしい]
大聖堂の近くに貴族の館風の建物があった。
大きな立派な建物で、説明文はオランダ語なのでチンプンカンプン。
花壇のある広くて綺麗な庭が開放されていたので入らせてもらう。
ベンチが置かれ、バラの花が咲き、ちょっと腰を下ろしたいところだけれど、雨が降っているので、傘をさして歩き続ける。
庭にはフランス革命の絵に出てくる自由の女神のような銅像が立ったおり雨に打たれていた。
[雨の庭園に立つ自由の女神像]
このブリーレの街に関する知識が何もないので、どこに何があるんかもわからず、歩き回る。
街全体が観光用に保存されているように、昔風の街並みが続いている。
建物のほとんどは二階建てで、屋根にも窓が飛び出しているので、屋根裏部屋があるのだろう。
教会のトンガリ屋根も見える。
道はレンガを敷き詰めたもので、雨は降っているけれど水たまりはできていない、レンガの道は情緒はあるけどキャスター付きのキャリーバックを転がすには不便だし、車が走ると騒音も響く。
それにオランダに多い自転車だとスリップもしそう。
歩いて見て歩くための観光用として街並み保存の一環なのだろうか。
[こういう道をレンガ舗装とでも呼ぶのだろうか]
宿をチェックアウトしたのちも荷物は宿に預けたままなので、手ぶらで歩けるのだからよいけれど、雨が降っているので傘は手放せない。
傘をさしながら12ある防塁を結ぶように、城壁の内側を歩いてみる。
舗装はされていないけれど、散歩道のような感じで歩道が整備されている。
犬の散歩をしている人が多い。
日本でも犬の散歩をする人をよく見かけるけれど、私が住んでいるタイでは犬の散歩などほとんど見たことがない。
だいたい犬はリードにつながれず放し飼い状態。
[左はユニコーン、右は犬だろうか、それとも中年男性?]
ブリーレにも風車があった。
もともと風車はブリーレにあったそうだけれど、現在あるものは最近復元したものだそうだ。
つまりこれも観光用の風車ということなのだろう。
少し雨が小降りとなったので、風車の近くにあったベンチに腰掛けて昼食にする。
昼食は、昨日からずっと同じようにパン。
ブルーチーズをかじり、ネギ風味のバターを塗りつけて食べる。
3食連続してくると、飽きてくる。
それに雨に濡れて寒いから、温かい食べ物を食べたくなってくる。
でも我慢我慢。
ブリーレの風車は、首の部分に風格がない。
なんとなく巨大な扇風機のような形をしている。
[わざわざ復元するのだから外国人たけの観光用だろうか]
パンを食べた後も、防塁を結びながら歩き続ける。
時々雨も降り肌寒い。
相変わらず犬の散歩には良く出会う。
そして、城壁とお濠との間の草地には羊が放牧されている。
羊も雨に濡れてぐっしょりしている。
ウールが水を吸って重たいんだろうと、羊に同情してしまう。
[防塁には大砲もおかれている]
あんまりに寒いのでいったん宿へ戻って預けた荷物から防寒用のジャンパーを取り出してくることにする。
城壁側から街の中心部に戻る途中で、DIY用品の大型店舗があった。
今回の旅行で忘れ物をしていた。
こちらヨーロッパのコンセントに差し込むプラグの先を変換するアダプターを持って来るのを忘れていた。
イギリス用は持ってきている。
ずっと以前にマレーシアへ行ったとき、コンセントがイギリス仕様で、持参していたパソコンが使えず地元のスーパーで買ったものである。
しかし、ヨーロッパ仕様のものには思いが至っていなかった。
タイではいろいろなプラグが使われている。
イギリス仕様こそないが、日本や米国の様式、ヨーロッパ様式、細棒、太棒とマルチに対応するコンセントが一般的なので、ヨーロッパ仕様のことをすっかり失念していた。
携帯の充電器も、ノートパソコンも日本式のプラグでホテルの部屋の電源にはそのまま差し込めなかった。
ホテルでは運よく変換アダプターを貸してくれたが、今晩の船の中がどうなっているのかわからない。
そこてこのホームセンターみたいな店でアダプターを探してみたのだけれど、売っていないようだった。
携帯電話のアダプターは売っていたが、日本やタイのアダプターと違って、プラグの部分が大きいこともあり、やたらとゴツイ作りになっていた。
そして値段も高かった。
まぁ、どうにかなるだろうとそのまま店を出る。
[ブリーレは楕円形をして周囲に12の防塁を配置]
ジャンパーは息子のお古。
古いのでゴムの部分が溶け出してベトベトしているが、仕方ない。
しかし、このジャンパーだけではまだ寒いので、ビニールでできたポンチョ型ののレインコートもかぶる。
マスクも着用する。
南国のタイから来たので、冷たい雨には震えてしまう。
しかし、行きかう人たちは私のような寒がりではないようだ。
半袖で平気な顔して歩いている人もいる。
しかも傘などさしていない人の方が多い。
レインコートだって着ていない。
寒さに強いのか、温度に関する感覚がマヒしているのがわからない。
[宿の脇は広場になっており、ビールやコーヒーを屋外で楽しめるようになっているが、外は雨]
ふたたび城壁に沿って防塁を結んで歩く。
まだ時間はたっぷりあるし、急ぐ必要もない。
時間つぶしで歩いているようなもの。
カフェとかに入る趣味もないし、そんなところでお金も使いたくない。
城壁巡りはブリーレの街の北側からスタートし、すでに3分の2ほど回って、南西側に至っている。
この南西側は、古い街並みではなく、普通の住宅が立っている。
学校もあって下校時刻なのか子供たちも三々五々歩いている。
一戸建ての家もアパートもあるが、裕福そうに見える。
城壁の外側は牧草地が広がっている。
[城壁の外側の景色]
ブリーレの城壁を一周したところで時刻は2時になる。
雨はまだ降ったりやんだり。
街の中心部側へまた回り込み、目的もなく路地を歩いたりする。
やはりブリーレは観光保存されている街なのか、ウォーキングツアーのグループを見かける。
ガイドが案内して回っている集団がいた。
参加者は年配の西洋人たち。
タイではあんまりこの手のガイドツアーはないようだ。
少なくとも日本人相手では聞いたことがない。
史跡などを案内するスキルを持ち合わせているガイドもいないし、第一に歩きたがらない。
そして、関心もあまりない。
写真撮って終わり、でもその写真はその後どうなっているのだろう。
昔のようにアルバムに記念写真として貼ったりなんかしないだろうし。
[古そうな建物には、きっと歴史があって、解説聴きながら歩いたら面白いだろう]
城壁を回り始める前に立ち寄った貴族の館風の建物のところへ戻ってきた。
そこでタイでは見かけないものを発見。
黄色地に耳の垂れた西洋犬の顔がシルエットになった絵の描かれた箱が電柱に取り付けられている。
そして、その箱からは赤いビニール袋状のものが見えている。
イメージとして日本のスーパーなどで雨の日によく置かれている雨傘を入れるビニールのようだけれど、屋外にあるのは少し変。
[緑の電柱に取り付けられた緑の箱]
よくよく観察してみると、犬の散歩時に使うフン袋のようである。
犬の散歩でフン袋など各自が用意すべきと思うけど、こんなに手厚く犬の飼い主のためにサービスしているから犬を飼う人が多いのかもしれない。
日本では犬の飼い主も飼われている犬も少し肩身の狭い思いをしているのではないだろうか。
タイでは「犬にフンをさせるな」の看板などを公園で見かけるけど、フン処理は飼い主の責任とは書かれていなかった気がする。
そして犬たちはもともとつながれていないので、どこへでも立ち入り、勝手にフンをする。
犬は看板に書かれたタイ文字が読めない。
[貴族の館風建物も、現代で言う船員クラブといったところだろうか]
貴族の館風と書いたが、あとで調べてみたら"Asyl voor Oude en Gebrekkige Zeelieden"と言って、船員たちの施設だったそうだ。
そして自由の女神風の像は、確かに自由の女神であり、スペインからの独立を記念するもののようだ。
[なんだかドラクロワのフランス革命の構図に似ている]
で、ここで三毛猫を見つける。
庭園で遊んでいるが、ひとなつこくて中腰になって呼んだらば寄ってきた。
一般的なタイのネコと比べると体格が立派で、二回りくらい大きい。
動作も風格を感じさせる。
しかし、やっぱりネコなので愛嬌のあるしぐさをする。
[オランダの三毛猫]
4時前、ブリーレ滞在3回目のJumboスーパーへ。
今晩これから乗る船の中での食料買い出し。
もとろん船の中にはレストランなども充実しているらしいが、私の懐は充実していない。
節約するためには、スーパーで税金の安い食料品を買い込んでおくのが一番。
[JUMBOが私の生命線]
買ったものは、まず野菜が食べたかったので、カット野菜の入ったサラダ。
そして、オランダはチーズの国でもあるので、カマンベールのようなチーズと
パンももちろん買う。
クロワッサンや丸くて固いパン以外にフランスパンのように長いパンも。
昨日よりお気に入りの特売4つで1ユーロのパンと比べて、フランスパン風のはちょっと高くて、一本で1ユーロ以上の値段。
飲み物は1リットルの紙パックに入った赤ワイン。
これが安くてたったの2ユーロ。
あと、プリンみたいなものが食べたかった。
いろいろと迷って冷蔵ガラスケースから取り出したカップに入ったプリンらしきもの。
これがなんだかよくわからない。
イチゴみたいな絵も描かれている。
一番懸念したのはヨーグルトみたいなものではないかということ。
このところヨーグルトのような乳製品を食べるとよくお腹を壊す。
しかし、書かれているのはオランダ語ばかりで、手に取ったプリンカップみたいなものが何なのかよく解らない。
ひとめでヨーグルトとわかるカップと見比べてみたりする。
そして、意を決して買い物かごに投入。
買い物は全部で6.39ユーロ。
スーパーを出てからすぐに、プリンらしきものをベンチに座って食べてみる。
懸念していたヨーグルトではなかったが、期待したプリンでもなかった。
どうやらイチゴ風味のババロアのようなものであった。
ババロアなんて小学校の給食で食べて以来の気がする。
嫌いではなかったが、財布を開いてまで食べたいと思うものでもなかったので、半世紀近くも縁がなかった。
で、久々に食べてみたが感想としては「退屈な味」と言った感じだった。
[広場に立っていた銅像、このひとはどんな人?]
宿へ荷物を取りに戻り、16:55発の903番バスに乗るために出発。
雨も上がって、これなら港まで歩くのに支障はなさそう。
ブリーレの石畳の道をキャリーバックをガタガタ言わせながら歩く。
街の中でもいろいろな自転車を見かける。
日本のママチャリのような自転車は見かけない。
いずれもしっかりとした頑丈そうな自転車ばかり。
重そうにも見えるけど、町中をビュンビュンと快走している。
オランダ人は脚力があるのだろう。
そして、二人乗りの人転車も見かけるが、自転車の前にダンプカーの荷台を小さくしたようなものを取り付けた自転車もある。
この荷台に荷物を載せたり、人が乗っていたりする。
前輪は二輪で、なんとなくベトナムのシクロにも似ている。
[重量があってペダルが重そう、坂道は無理だね]
4時半にはバス停に到着。
まだバスは来ていないようだ。
ミニバンタイプのタクシーが一台止まっているだけ。
時々バスは入ってくるが私が乗ろうとする903番はやって来ない。
903番はこのバス停が始発なのだけれど、私以外にバスを待つ人の姿も見えない。
朝、「早く行って待っておくべきだ」とアドバイスをバスの運転手からもらっていたけれど、そんな早く来る必要もなかったのかもしれない。
16:45になったら、朝のバス運転手が赤い小型バスを運転してやった来た。
やれうれしや、これで安心。
運転者も「ちゃんと来ていたか」といった感じに手を上げて応えてくれる。
が、バスの運転手はドアを開けて私を招じ入れてくれることなく、バス停に止まっていたタクシーの運転手と話し始めた。
そして、私にもわかるような英語で説明してくれたところによると、「16:55のバスにお客はお前さん一人しかいない、だからバスは走らない。そこのタクシーが代わりに運んでくれるよ」という。
タクシー料金ではなくバスの代行をタクシーがするだけなので、運賃はバス代と一緒らしいので安心する。
もちろんバス代行なので、バスの運行区間までしか行ってくれず、その先の港まで乗り続けるとしたらタクシー代を払わなくてはならないのだろう。
バスの出発時刻を待たずに私がタクシーに乗り込んだらすぐに出発。
田園の中のハイウェイを快調に飛ばして、ものの10分ほどでユーロポート地区のBP石油事務所前のバス停まで運んでくれた。
もちろん、バスの代行での運行なので運賃メーターも倒すことはなかった。
さて、運賃の支払いをクレジットカードでしようとしたところタクシードライバーは、「クレジットカード、、、運賃はいらないよ」と言う。
交通系カード用のスキャナーは車内にあるようだけど、クレジットカードが使えないということなのだろうか。
しからば現金で払うからいくらかと聞いたらば、「いいよ、フリーだ」と言う。
これはいったいどういうからくりなのかよく解らないが、運転者たちの親切に感謝。
[バス代行タクシーをBP石油前で降りる]
かつての東京湾埋立地のように草が茂るだけの荒涼とした中に続くハイウェイをとぼとぼ歩く。
自転車用の道も付いているが自転車はほとんど走って来ない。
ときどき自転車道をスクーターが走り抜けていく。
霧雨のような雨が降ったり止んだりするので、レインコートを着て、雨か降ると傘をさす。
車道は大型トレーラーばかりがひっきりなしに走っている。
高圧線がハイウェイを横切ったり、並行したりする。
とにかく、船着き場まで歩くしかない。
[ハイウェイに歩道はなく、自転車道を歩く]
船着き場まで、直線距離にしたら2キロくらいしかないかもしれないが、その間には大きな運河があり、橋もかかっていないので、橋のある所まで大きく迂回しなくてはならない。
歩き始めて30分ほどで運河にかかる橋を渡る。
橋の下を大きな船も航行するのだろうか、橋が水面から随分高いところを通っている。
つまりそこまで登って、そこから下らなくてはならない。
上りはいいは直線であったが、下りは半径数百メートルもありそうなループになっている。
相当な距離を回り込んで、橋の直下へ降りてくるわけ。
階段でもあれば一気にショートカットできそうでけれど、もともと歩行者のいない道なので階段も梯子もない。
草地になっている崖を下ろうかとも考えたが、こんなところで転んでも面白くないので、素直にループを回り込む。
そうして歩いているうちに雨が本降りになってきた。
風も強まってきた。
[ずっと先にある橋を渡る]
これから乗る船はとにかく巨大なので、まだ何キロも先にあるのに、その船体が見える。
大型トレーラーが疾走していくと、疾風とともに水しぶきも上がる。
歩くだけならいくらでも歩けるが、もう靴もびしょびしょ。
ズボンも濡れて重くなってきた。
歩くこと1時間15分。
ようやくP&Oフェリー乗り場へ到着。
青い色をしたターミナルはディスに‐ランドのようにやたらと広い駐車場の先にあった。
チェックインカウンターには数組の乗船客が並んでいた。
これから乗る船にどのくらい乗客が乗るのか知らないけれど、船の大きさの割にはチェックインカウンターが少ないように感じた。
もともとカーフェリーだから、ほとんどの乗船客は車専用のゲートか何かで手続きをしているのかもしれない。
[P&Oフェリーターミナル ]
しばらく待って、私の手続きの順番になった。
Direct Ferryというサイトからプリントアウトしたバウチャーを見せたら、乗船券と紙でできたルームキーを渡された。
受付の女性スタッフに数日後にまた船でここへ戻ってくるけれど、この港から街までのシャトルバスに乗せてもらえないかと聞いたところ、OKだという。
ロッテルダムとアムステルダムまで行くバスがあるがどっちがイイかと言うので、アムステルダムまでのバスにする。
バス代は12ユーロであった。
この金額なら何キロも歩き、バスや地下鉄、電車と乗り継いでいくより断然安上がり。
「もう乗船できるよ」と言われたので、オランダの出国審査を簡単に受けてターミナル4階に上り、そこからそのまま長いブリッジを渡って船内に入った。
[巨大な船だ]
入ったところが船の8階になっていて、インフォメーションなどがある。
乗船券を見せたら私の部屋への行き方を説明してくれた。
同じ8階で、左手に行くとバーがあるから、その先に部屋があるとのことだった。
私の買ったチケットは一番安いインサイド二人部屋というタイプのもので、部屋は巨大な船の中ほどに位置しており部屋に窓がない2段ベッドの部屋。
自分の部屋まで迷路のような廊下を歩いてたどり着き、今夜のルームメイトが先に入っているかもしれないと、まずはドアをノックしてみる。
反応なし。
しばらく待って、もう一度。
どうもまだ誰も入っていないようだ。
[今夜のねぐら]
ビジネスホテルのシングルルームの様な広さと設備の部屋。
2段ベッドだけれど、上の段のベッドは折り畳み式で壁に収容されているので、見た目は全くのシングルベッド。
日本でもカーフェリーに何度も乗ったが、安いクラスはだいたいがカーペットで雑魚寝が一般的だったので、二人部屋とはいえベッドで寝れるとは嬉しい。
しかも、日本だったら一等船室でもないことが多い、シャワールームも船室内にある。
[上質なタオルとかも用意されてる]
出港までまだ2時間もあるので、同室者がこれから来るだろうけど、私は先住権ということで下の段のベッドを使わせてもらうことらする。
そして、雨に濡れて冷え切った体を熱いシャワーを浴びて温める。
[大きめのシャワーからは熱い湯がたっぶり噴き出す]
船内探検。
そもそもこの船は、イギリスの大手海運会社P&Oのフェリーで、8,850トンのプライドオブロッテルダムという。
250台の車と410ものトレーラーを積み込めそうだ。
40フィートのコンテナで20~30トンくらいあり、それが410本となると、10,000トンくらいを一晩で運んでしまうわけで、これは貨物列車にしたら20本分くらいボリュームに相当しそうだから、日本の青函トンネルでの輸送量に匹敵するのではないだろうか。
私がこれまでに乗ってきた船の中で最大だったのが北欧でのシリアライン。
それもでかくてすごかったけれど、この船はさらに倍近い。
日本郵船の飛鳥も家族で乗って、おおきい船だと思ったけど、その3倍ほど。
エレベーターは12階まであり、まずは最上階へ上がってみる。
12階にあるのはスカイラウンジ。
すでに広いラウンジに置かれたソファーではアルコール飲料を楽しんでいる先客が散見される。
豪華な作りのラウンジでグラスも高級そう。
飲み物の値段はチェックしなくても高そうだと一目でわかる。
いや、国際航路で免税価格だから、市中よりも安いかもしれないが、私には2ユーロで買った1リットル入りのワインが船室で待っている。
[下の方の階は車両甲板のようだ]
ラウンジの先にデッキがあった。
このデッキにもスタンドバーがあり、ビール片手にデッキに出ている人がいる。
船が沖に出てしまったらインターネットにつながらにまなってしまうだろうから、デッキの隅のベンチに腰掛けてパソコンを開いて少しお仕事。
バーのボーイさんが飲み物の注文を取りに来たけれど、なにも注文しなくても追い出されることはなかった。
[最後部にあるデッキ、雨に濡れてて座れない]
一区切りつけて、船室に戻ってみるが、まだ同室者は来ていなかった。
この船、レストランやバー、免税店など何軒もあり、設備が充実しているのだけれど、ただ一つ日本のフェリーが勝っているのは、日本の船なら貧相でもだいたいある無料で弁当を広げられるスペースが、この船にはない。
どこもかしこも値札付きの空間ばかり。
後部のデッキは無料開放されているものの、船全体の大きさからみたらお話にならないくらい狭い。
そんなわけで、窓のない船室のベッドに腰掛けてパンをかじることにする。
菜っ葉とチーズ、そしてワイン。
ワインはとても軽いワインだけれど、飲み口がイイ。
飲みやすい。
ワインとチーズと固いパン。
タイであこがれた食事を楽しむ。
出港時刻となったが、とうとう同室者は現れなかった。
つまり今晩は二人部屋の船室が個室になるということらしい。
安いワインで祝杯を挙げる。
再び後部デッキへ出てみる。
ちょうど船が岸壁を離れたところで、時刻は夜8時半。
少し小雨が吹き付けてきたりするが、デッキに出てきている人は多い。
雨も気にしていないみたいだ。
港の中の巨大な水路を進んでいく。
後部デッキなので、前方に何があるのか、どっちへ進んでいくのかはわからないが、すっかり日が暮れて暗くなっても、船の後ろに白く引いた航跡ははっきり見える。
30分ほど航行して港の外へ出たようだ。
つまりヨーロッパを離れたということだろう。
[日本のように「蛍の光」は流れてこなかった、原曲は目的地ハルに近いスコットランド民謡だったと思うけど]
大きなレストランはバイキングになっているようで、ほかにもトラックドライバー専用のレストランやバーもあった。
一般乗客より安い値段で飲食できるようになっているのかもしれない。
ドライバー専用のバーの周りではビールの小瓶を手にした大男たちが立ち話をしていた。
これであとは寝るだけ。
低気圧で海は時化ているかかもしれないけれど、大きな船なのでほとんど揺れも振動も感じない。
快適に眠れそう。
[リネン類が白いのがうれしい]