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3年ぶりの台湾
12月20日 火曜日
ほぼ3年ぶりで台湾に入国する。
9月以来、乗り継ぎで台北の空港には何度も降り立っているし、空港での夜明かしもしているけれど、入国までするのは今回が初めて。
成田からバンコクへの帰り、前回11月に利用した成田発が夕方で、夜遅く台北に到着、そして翌朝早くにバンコクへ向かうという切符が値段的に割高となっていた。
そのため、今回は少しでも割安の午後2時半成田発の便で予約し、乗り継ぎも午後の便としたので、台北での乗り継ぎ時間が18時間くらいになった。
これだけ乗り継ぎ時間があると、いままでのようにラウンジで過ごしているだけと言うのはあまりにもったいない。
そこで空港から外へ出て、どこかの安宿に1泊すると言うプランを考えた。
以前ならこうした場合、台北郊外の北投温泉にある格安な月光荘旅社に宿泊してきていたのだけれど、月光荘はこの3年の間で廃業してしまったらしい。
天然温泉もあって、安いので、とても気に入っていたのだけれど残念。
コロナのこともあるけど、ここの女主人は90歳を超える年齢だったりしたので、限界だったのかもしれない。
宿は台北の桃園空港からも比較的近い中壢にあるDukeホテルと言うところを予約した。
agodaを使って950バーツほどで予約できたので、現在の台湾の検疫事情からバストイレ付きの個室にしか宿泊が認められないという条件の中では最低価格帯に属している。

成田からの飛行機は、出発が少し遅れて、3時過ぎに飛び立った。
コロナ前もよく利用していた便で、この便で台北へ到着しても、バンコク行きの最終便に十分に間に合ったので、とても気に入っていた。
成田発夕方の便でも最終便に接続していたのだけれど、午後の便だと乗り継ぎ時間を利用して台湾に短時間入国し、南崁の街で台湾食材の買い物をすることができた。
しかし現在はバンコク行きの最終便には間に合わない。
あと、もう一つ午後の便で気に入っていたのは、航路の関係で右舷側に富士山が望めること。
今回の座席は、翼の上に位置していて、下界を眺めるには今一つではあったけれど、それでも白く雪をいただいた富士山を見下ろすことができた。

富士山
[何度も見ているのに、いつも写真に撮ってしまう]

機内食はハンバーグ。
ソースは照り焼き風。
機内はほぼ満席で、乗客のほとんどが台湾から日本へ観光旅行に来た帰り客。
日本人らしい姿はあまり見かけない。
機内食の盛り付けは、なんとなく日本風に仕立ててあり、それなりにきれい。
すでに飛行機に乗る前にラウンジでシコタマ飲んで、食べ物もいただいていたので、空腹ということもなかったけれど、それでも美味しくいただいた。

ハンバーグ
[照り焼きはあんまり好きではない]

成田のラウンジは、前回11月に来た時はまだ再開しておらず、チェックインカウンターで1500円分の食事券をもらっただけだったけれど、ようやくラウンジがー再開していてうれしい。
今回、バンコクでもラウンジは再開していた。
しかし、成田は再開したと言っても、食べ物は限定的。
サンドウィッチと焼きそばくらいしかなかった。
カップラーメンも、おにぎりもなかった。
私がここで一番気に入っていた稲荷寿司や海苔巻きも並んでいなかった。
飲み物の方は、以前同様に充実しており、それでシコタマ飲むことができた。

生ビールサーバー
[生ビールが飲めてウイスキーは18年もの]

台北に到着し、入国審査場へ向かう。
入国カードに代わって、事前に入国に必要な情報をインターネットで登録してある。
登録だけで、登録完了済みの画像とか受付番号みたいなものはなかった。
入国審査場は台湾人用と外国人用に分かれている。
機内に乗っているのが台湾の人ばかりだったので、外国人用の入国審査レーンは空いているだろうと期待していたのだけれど、期待は外れた。
私の乗ってきた便は台湾人ばかりだったけれど、他の便は外国人も多かったようで、特にシンガポールのパスポートを持った家族連れがたくさんいた。

入国審査を受けたところで、コロナの簡易検査キット(ATK)を受けとる。
キットが入った小箱を渡されるだけで、別にその場でチェックをしなければならないということでもないようだ。
健康関する質問などもなかった。
しかし、豚肉に関するチェックはとても厳しいようだった。

台湾の検疫セット
[このセットが無料とは嬉しい]

税関検査も素通りで、中壢へ向かうためにバス乗り場へ進む。
数年前に開業した空港鉄道も中壢方面へ伸びることになっているが、現在のところは中壢中心部まであとちょっとのところが終点となっている。
その終点からだってホテルまで歩けない距離ではないのだけれど、空港鉄道はバスと比べて少し割高な感じがするので、いままで台北の市内へ行くときも空港鉄道ではなくバスをもっぱら利用してきた。
そして、調べてみたら空港から中壢へ行く直通バスもあるのだけれど、直通バスよりも、途中の台湾新幹線の桃園駅までシャトルバスを利用し、そこでまた中壢市内へのバスに乗り継ぐのが料金的に安いことがわかった。
新幹線駅までのシャトルバスは緑色のバスで、頻繁に発着していたのを見た記憶がある。

しかし、バス乗り場まで来てみると、バスなどまるで見当たらない。
以前は台北をはじめあちこちへ向かうバスが、いろいろなバス会社によって運行されており、すごくにぎやかだったのに、一台もバスの姿が見られない。
いったいどうしてしまったのだろう。
バスの運行路線を見てみたが、新幹線の桃園駅まで行くルートもなくなっていた。
それでは仕方がないので、シャトルバスを諦めて、新幹線の桃園駅までは空港鉄道を利用していくことにする。
バス乗り場と鉄道乗り場はターミナルの端と端にあり、ずいぶんと歩かなくてはならない。

その空港鉄道はまだ真新しい車両であったけれど、台北市内と空港を結ぶ列車は快適そうな座席を配していたけれど、私が乗り込んだ台北市内とは反対方向へ向かう電車は、新しい車体だけどプラスチックのような硬いロングシートなので、やっぱりバスの方が良かったと思う。

中壢のホテルにチェックインしたのは、夜9時近くになってしまっていた。
Dukeホテルは日本で言うところのビジネスホテルだけれど、部屋はそれほど狭くない。
アメニティーも充実しているし、バスタブもある。
ベッド横にはコンドームまで用意されていたので、ラブホテルにもなっているのかもしれない。
それは良いのだけれど、部屋の中がタバコ臭いのにはちょっと閉口した。

アメニティーキット
[歯ブラシや髭剃りなど一式揃っている]

成田空港の遺失物係へ電話をかけたりしてから、夜店を冷かしに出る。
宿から15分くらい中原大学の前あたりが夜市になっているらしい。
ちっとも空腹ではないけれど、せっかく台湾に来たのだから、巷の食べ物を食べておきたい。
食べたい候補は2つあって、ひとつは「臭臭鍋」で、もう一つは「小籠包」。

中原大学前の夜市は、台北市内の観光夜市と比べると規模がずっと小さい。
扱っているのは食べ物ばかり。
小籠包の屋台はその夜市の中心部にあり、屋号が「御冠園」となっており、買い求める人の行列が伸びている。
蒸籠に鼎泰豊の小籠包と比べるとずっつ大き目、一般的な肉まんの半分くらいの大きさの饅頭が6個入って65元。
値段の安さも人気の一つなんだろう。
食べたいけれど、いま食べてしまったら、この先にまた旨そうなものがあっても食べられなくなってしまいそうなので、そのまま先へ進む。

行列のできる屋台
[手作業で饅頭を包み、蒸籠で蒸しあげている]

次に気になったのは「奶奶的熊」という紅茶スタンド。
台湾の紅茶は一時日本でもブームになったタピオカ・ドリンクで、タイでも台湾のタピオカドリンクは人気が高い。
しかし、その本場にあって、この紅茶スタンド「泰式奶茶」と書かれている。
つまりタイ風のミルクティーのこと。
台湾ではタイ式のミルクティーがはやり始めているのだろうか。

タイ式紅茶
[タイの紅茶も台湾で人気があるのだろうか]

夜市の一番奥にあったのが「三媽臭臭鍋」の店。
三媽臭臭鍋は台湾全土にチェーン展開している一人鍋専門店で、本店は員林県らしい。
低価格を売り物にして、それでいて飲み物なども付いてくるので、コスパがいいので私はとても気に入っている。
味もいいと思っている。
海鮮150元、ご飯と飲み物のほかにカレーも付いてくるようなのが気に入った。

鍋のメニュー
[この値段、コスパが良い]

このあたりのバリエーションは各店舗ごとに異なっているようだけれど、台湾のカレーを食べたくなったので、この店に入る。
海鮮鍋を注文する際に、鍋に入れるセットの中から「血のゼリー」を除いてもらうことをお願いした。
タイでも血のゼリーはよくいろいろな食べ物に入っていて一般的だけど、私は苦手。
台湾ではコンビニのおでんにも入れたりしている。

台湾の鍋
[海鮮豆腐鍋]

鍋は一人サイズのアルミ製。
ガスや固形燃料ではなく、アルコールのようなものを使って鍋を温める。
もっとも、テーブルに運ばれてくる以前に、店の前の厨房でガスを使って加熱されてきているので、最初からグラグラと煮えたぎっていて、すぐに食べられる。
海鮮とは言うものの、魚介類はエビとイカ、あとは練り物くらい。
豚肉のスライスが何切れも入っているのは、血のゼリーの代わりとしてサービスで入れてくれたものだろう。
野菜も玉子も入っていて、バランスが良い。
タレは各自が好き勝手に調合できるようになっている。
台湾の人には「沙茶」と呼ばれるタレが人気のようで、スーパーなどでも瓶入りで売られている。
英語表記でバーベキュー・ソースなどともラベルに書かれているが、魚から作ってあるらしい。
私が調合したタレは黒酢をたっぷり入れたものとした。

タレ
[各自好みのタレを自分で調合]

ご飯は大きな炊飯器から各自勝手によそってくることになっているが、茶碗は紙製。
そして、サイズも小さい。
この折り紙のような茶碗にご飯を盛り、カレーをかけるのだから、ちょっと大変。
カレーはやたらと黄色い。
小麦粉がたっぷり入っているのか、どろりとしている。
なんとなく昭和初期の日本のカレーライスと言った感じ。
味の方は、なかなかスパイシーであったが、最近の日本のカレーとは使っているスパイスがの種類が違うのか、一味違っていた。
これはこれで美味しく、お代わりしたかったけれど、そうするととてもあとで小籠包が食べられなくなりそうなので自重する。

カレー
[このカレー、意外とおいしい]

鍋を食べた後のデザートもこの店は用意してあり、アイスクリームも勝手にスコップですくってコーンに盛り付けできる。
他のお客さんたちでアイスを食べている人はいなかったけれど、私はしっかり2スコップのアイスをいただいた。
タロイモ(むらさき芋かも)とミント。

アイスクリーム
[アイスを食べられて満足]

臭臭鍋の店を出た段階でもうこれ以上何かを食べようという気持ちはなくなっていた。
食べてみたいものはある。
さっきの小籠包だって食べてみたいけど、もう胃袋が限界を超えている。
台湾にも普通に入国できることがわかったし、また次の機会もあるだろう。
夜市を眺めるだけでも面白い。

三媽臭臭鍋
[三媽臭臭鍋]

永和豆漿がある。
永和豆漿は台湾のどの街にもあるようだけど、別にチェーン店のような感じではないようだ。
永和と言うのはたぶん台北近くの街の名前で、きっとそこは豆乳や中華スナックの美味しい店があって、みんなそれに倣って永和の屋号を出しているだけに過ぎないのではないかと推測している。
日本で言えば札幌ラーメンみたいなものかと思う。
ここは豆乳以外に饅頭や餃子などが食べられるので、私の好みの店ではあるけど、眺めるだけでパス。

永和豆漿
[永和豆漿]

法國麵包の屋台もある。
法國麵包とはフランスパンのことなのだろうけど、ただのバゲットを売るパン屋ではなく、ベトナム風のサンドウィッチ、バインミーを売る屋台のようである。
これも胃袋が許せば食べたいところ。
中壢のある桃園市は東南アジアからの出稼ぎ労働者の多い土地で、ベトナムやインドネシア、フィリピンにタイといった国々の人をよく見かける。
そうした人たち相手の屋台でもあるし、そうした人たちが持ち込んだ料理が、この土地に定着したのだともいえそうだ。

フランスパン
[バインミー]

各大夜市最好吃的美食と随分と自信たっぷりなコピーを付けた屋台がある。
「起司馬鈴薯」を食べさせる屋台で、日本語に訳せばチーズ・ポテト。
特大のコロッケのような揚げ物にチーズをたっぷりとかけたもので、この夜市の中だけでも他にも同じような店があった。
いままで食べたことがなく、きっと最近考案されたものなのだろうけど、もともとコロッケは好きなので、これもいつかは食べてみたいと思う。

チーズポテト
[コロッケは美味しそうだったけど、チーズはマヨネーズに似ていた]

屋台ではなく、ちゃんとした店構えの食堂だけれどオムライスの専門店があった。
凍みてくるよう日本の洋食屋の定番メニューであるオムライスも、台湾では蛋包飯と言って昔からよく見かけた。
韓国でも軽洋食の店で出されていて、きっと戦前の日本が置いていった洋食メニューの一つなんだろう。
臭臭鍋の店のカレーも日本の昔のカレーにそっくりだった。

オムライス
[小エビ入りのオムライス]

<hr>

12月21日 水曜日
部屋の窓から外を見るとどんよりと曇っていて、今にも雨が降りだしてきそう。
気温はそれほど低くないけれど、湿度が高いからなのか、浸みてくるような寒さを感じる。
台湾の冬らしいちょっと陰鬱な天気。

台湾の冬
[台湾らしい眺めだと思う]

バンコクへの飛行機は昼過ぎの出発なので、朝の街歩きをし、宿から少し行ったところに大きなハイパーマートがあるのを発見。
あとでもう一度立ち寄って、冷凍の餃子を仕入れていくことにする。

このDukeホテル、宿泊料には朝食も含まれている。
昨晩食べ過ぎたので朝になってもあんまり空腹を覚えないが、無料で食べさせてもらえるならやっぱり食べておきたい。
別棟の朝食会場には何組もの先客がいて、ちょっと労働者風の人が多く、身なりが良いとは言えない。
食べられるものは,おかゆとそのおかず類、トーストと言ったところ。
なにも豪華なものや珍しいものもないけれど美味しくいただく。
トースト用にはマーガリンとピーナッツバターが用意されている。
マーガリンは砂糖でも入れてあるのか少し甘く、またジャリジャリとした舌触りがする。
ピーナッツバターは好物なのだけど、こっちも少し甘い。
ピーナッツバターと言うより子供のころ食べたピーナッククリームのような食感であった。

朝がゆ
[美味しい]

朝食後、さっそくハイパーマートへ向かう。
巨大な売り場には、家電製品から食料品まで揃っている。
お目当ての冷凍餃子は、鍋貼という焼き餃子と水餃子のパックをそれぞれ一番安いものを探し出す。
どうせなら、ちょっと高くても美味しいものをと言った発想は私にはない。
少しでも安く、少しでもボリュームがあることが最優先事項。

店内はクリスマスよりも先、新年向けの装飾品を売るコーナーが目立っていた。
台湾の新年だから、旧暦の正月のことということになるので、随分と気の早いことだと思えてくる。
赤い色のオンパレードで、キンキンキラキラももある。
来年の干支であるウサギのデザインも多いけれど、私が気になったのはお札。
日本の千円札や韓国のウォン、アメリカドルのお札が印刷されて売られている。
紙銭として燃やし、冥土へ付け届けにするのかもしれないけれど、全くのコピーなので偽札ということにもなるだろう。
当然台湾のお札なんかも並んでいるけれど、台湾のお札にはサンプルと赤く刷り込まれていた。

正月飾り
[赤い色は縁起がいいのだろう]

ハイパーマートの駐車場わきで、なかなか可愛らしい壁に描かれた絵があった。
黒猫がスクーターのかごに乗っていたりする絵で、メルヘンチックでもある。

黒猫スクーター
[黒猫と言うだけで心惹かれる]

この絵が描かれている壁の建物の表に回り込んだところ、電動バイク用のバッテリースタンドであった。
バイク王国台湾では、バイクの電動化も進みだしているようでフードデリバリーのライダーたちがやって来てはバッテリーの交換をしていた。
車にしてもバイクにしても、バッテリーの充電には時間かかかる。
一回の充電で走行距離を伸ばそうとすれば、バッテリーの容量を増やさなくてはならないし、そうすれば重量もかさんでしまう。
効率を考えたら、このような交換スタンドを設置して、手軽に短時間でバッテリーの交換ができるのが良いはず。
いろいろとまだインフラの問題とかもあるだろうけど、とにかく始めなければ、時代に取り残されるだけ。
タイでの普及がどうなるかは別問題として、日本でも早くこのようなシステムを導入していくべきだと思う。

バッテリー交換スタンド
[無人のスタンドで、バッテリーはカセットになっている]

宿からバス乗り場へ向かって歩く途中で小雨になった。
傘をさすほどではないけれど、霧雨のような雨で、少しずつ濡れてくる。
来るときと逆のルートで空港へ向かう。
ごく短時間の台湾での滞在だったけれど、やっぱり台湾は面白い。

機+酒
[「機+酒」とは何だと思ったら、機は航空券、酒はホテルのことらしい]

台湾のテレビのニュースで、台湾の人たちの一人当たりのGDPは、日本人のそれを超えたそうだ。
台湾の人たちが、それだけ豊かになってきたのはうれしい反面、日本の停滞には情けない思いがする。

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この3か月間のあれこれ
12月05日 月曜日

本日先代タイ国王、ラーマ9世の誕生日で祝日。
昨日チェンマイから帰ってきて、昼過ぎまでオンラインツアーを担当し、その帰り道でソムタムを買った。
そしてそのソムタムと一緒にビールを飲みはじめ、タイの米焼酎へと進んで、その後に昼寝。
結局夜まで眠りこけてしまう。

そして今日は、しっかり早起きをして朝の運動。
朝食にうどんを茹でて食べ、クリスマスツリーを部屋に飾る。
このツリー、私が結婚した年に買ったもので、それから毎年この季節になると部屋に飾ってきた。
なので、今年は30回目のツリーと言うことになる。
その間に電飾は何度かダメになり、交換してきた。
現在のものも、すでに数年が経過して、今朝ツリーに巻き付けて点灯した際も、ランプの一つが切れてしまっていて、ランプを交換するまで点灯しなかった。
交換用のランプもこれが最後なので、こんど切れたら交換もできない。

30回、30年間でツリーを飾る雪に見立てた綿も、「積雪3日目、道端の残雪」と言った感じに、純白だったものが、黒ずんできてしまった。
綿のフワフワ感もなくなってきている。
新婚のころ、子供が小さかったころ、家族でツリーを飾ったころ、ネコとツリーを眺めたころ、そして今年はたった一人でのツリーも3回目。

30年目のクリスマスツリー
[クリスマスツリー点灯]

さて、前回のブログまはずっと連載で9月に行った旅行のことを書いてきた。
随分長くなってしまったので、連載期間も長引き、もう旅行から3か月。
その間にもいろいろと飛び回ったり、身の回りにいろいろなことが起こっていた。

まず10月。
これは今思い出しても不愉快になことがあった。
大きなツアーを抱えて、深夜までその手配作業や準備に追われる日が続いていた。
睡眠時間は足りず、食べるものもインスタントとフードコートの簡単に腹を満たすだけの食事ばかりで、とうとう途中で体調不良に陥ってしまった。
週末だったこともあり、まだまだ休み返上でやるべき仕事があったけれど、体力的に無理と判断して部屋で寝ていたけれど、体力はちっとも回復してこない。
それどころか熱はどんどん上がって40℃近くにまで達してしまった。
これはマズイと判断して、バンコク市内の有名私立病院へ小雨降る中をバイクで駆け込む。
週末だったからなのか、患者が多かったからなのか、それともコロナ対策なのか、病棟内へは入れてもらえず、屋外の仮設検査場へ回される。
まず体温測定から。
「熱はなし」と看護婦が電子検温系を当てて医者に伝える。
そんな訳はないんだけれど、、
私は扁桃腺が腫れて高熱を出すことが時々ある。
特に過労が重なると扁桃腺に来るタイプ。
今回も扁桃腺だろうと思っていた。
しかし、口内を見た女医は、「扁桃腺の腫れもない」という。
「念のため血液検査をしてみましょう」ということで採決される。
検査結果には2時間くらいかかるので、結果が出たら電話で連絡すると言われたのだけれど、
結果が出てまた診断や治療を受けるために病院まで往復できる自信がなかったので、そのまま仮設診断所のベンチで待たせてもらうことにした。

息をするのも苦しくなり、意識もだんだん遠ざかって、ベンチで眠り込んでしまったらしい。
既に採血してから2時間以上は過ぎているが、結果はどうなったのだろう。
それに仮設検査場には、患者も医者も看護婦も誰もいなくなっている。
守衛が回ってきたので、「検査結果を待っているが、みんなどこへ行ったのか?」と質問したところ、
ここは5時までだけれど、そのまま座って待っていてもイイとのこと。
やがて、あたりは暗くなり、小雨も吹き込んで、ものすごい悪寒がする。
こりゃヤバイと感じて、病院の受付へ回って、事情を説明したら救急用の待合室へ行って待つように指示される。
ここでもひたすら待つだけ。
通りかかる看護婦に「検査結果はまだか」と聞いても、結果が出たら知らせると言われるだけで相手にしてもらえない。
7時過ぎに、携帯電話のベルが鳴った。
検査をした女医からで「デング熱とかではない」と言われる。
しかし、まだ他の検査の結果が出ていないので、結果が出たら知らせるという。
8時になって、再び電話。
コロナの検査で陽性になったから薬を出すのと言う。
しかし、もうこの時点で体力の限界を超えて、意識朦朧状態。
「このまま入院させてほしい」と頼んだけれど、「ベッドに空きがない」と却下される。
「今晩中に病院から薬を自宅まで届けに行かせる」ともいう。
いやいや、こっちは昼過ぎからずっと病院で待っているのだぜ、薬なら今ここでもらっていくよと言ったことを伝えたところ、女医は私が帰宅しているものと思い込んでいたらしい。
そのまま薬の準備ができるまで待っているように指示され、待つこと1時間で薬代を払って薬を受けとる。
薬代と検査代で2万バーツを越える請求を受けた。
医療保険のカードを提示したが
「この保険の対応金額をオーバーしている」と鼻で笑われてしまった。
意識が遠くなりながらバイクで家路につく。
雨に打たれ、寒さに震えて、アパートの部屋へ入ったとたんにベッドに倒れこんでしまった。

高熱
[こんなに高い熱が出るのは何年かぶり]

翌日、女医からまた電話があった。
しかし、ほとんど声が出ない。
喉が痛いわけではなく、ただ声が出ないだけなのだけれど、
必要もないのに通訳と称するスタッフが取り次いでいる。
この通訳が全然だめで、
女医:「喉の痛みはありますか」
私:「痛みはないけれど声が出ません」
通訳:「はい、喉が痛いそうです」
といった具合。
どうやら、私の声の感じや息遣いで、女医も「こりゃマズイ」と感じたらしく
「入院した方がイイですね」と言ってきた。
なんだい、昨日は何の治療もしないで病院から放り出したくせに、、、
「いいえ、結構です。もう病院まで行く体力もありませんから」と言って電話を切った。
本当は、これで入院したらこんどはいくら請求されるかと心配だっただけ。

そして、よくわかったのは、以前はほぼ無制限に治療が受けられる海外旅行保険だったのだけれど、先年に限度額付きの医療保険に変えられてしまっていた。
どうも、この病院は保険の限度額によって患者への対応を変えているらしい。

それから熱が引くまでの数日間、冷蔵庫の食べ物を食べつくし、買い置きのインスタントラーメンを食べつくし、炊いたお米に醤油をかけて食べることで飢えをしのいだ。

自宅療養中も、在宅で仕事をこなした。
在宅と言うのは、出勤退社がないので、仕事がエンドレスになってしまう。
おかげさまで病院から処方されたタイレノールという解熱剤がよく効いて、3日目にはほぼ平熱まで下がり、5日目の自主隔離期間を終えて出社する。

これが今思い出しても不愉快な思い出だけれど、たぶん来年になれば、酒飲み話のタネにはなってくれるだろう。

10月と11月は大きなツアーがあって、大変であったのだけれど、その中でも10月のツアーはガイドのことで悩まされ続けた。
もともとタイの地方にはガイドがおらず、ガイドの手配には苦心するのだけれど、今回はまたいつも以上に苦労した。
仕事を引き受けたガイドが次々と直前になって業務ができないと言い始めてきた。
①息子の公務員試験に付き合ってバンコクへ行くことになった・・・おいおい、息子ったって大人でしょ、一人でバンコクへ行けないようでどうするの
②通信教育の期末試験とぶつかった・・・まぁ、タイの学校は間際になって試験の日程を発表するから仕方ないか
➂ツアーへ家族も一緒に連れて行きたい・・・ダメと断ったら、仕事やらないと言いだしてきた
④お父さんが死んでしまった・・・ご愁傷さま
➄バイクで事故って入院・・・とんだご災難で
ということで、最後の④と➄は不可抗力で、運が悪かったとしか言えず、同情もするが、予定していた6人のガイド中の5人が入れ替わるという異常事態となった。
当然ガイドの質も大幅に低下して、現場に立つ私は相当に苦労をする羽目となった。
こういうことが続くと、もうこんな人たちと仕事をするのは嫌だと思えてくる。

コムローイ
[コムローイのイベント関連のツアー、いろいろあったけどコムローイは無事に上げられた]

11月も大きな仕事があり、こちらもイベント会社がいい加減であったことで、ツアーが滅茶苦茶になるところをギリギリのラインで持ちこたえることができた。
そして、そのツアーが終わった翌日。
それも早朝の午前5時。
日本から電話が入る。
「事務作業のミスで今日のオンラインツアーをやってもらうことになった」という。
私はちょうどそのときチェンマイにいて、オンラインツアーの中継場所はメーホンソン県のメーウーコー。
もともと以前に私の方で、この季節メーウーコーではワイルドサンフラワーと言う花が咲いて綺麗ですよと日本へ紹介していた。
しかし、日本も私も、その話はそのまま没になっていたと思っていたのだけれど、当日の朝になってそのオンラインツアーが催行決定済みで申込者へ案内されていることが判明してしまった。
携帯電話を握ったまま、大慌てでベッドから飛び起きて、着替えをしながら電話で打ち合わせ。
オンエアーは5時間後の午前10時から。
とにかく中継場所へ急がなくては、
「これからハンドル握るので直前まで連絡つかない」と申し送りして、車を走らせる。
メーホンソンまでは200キロ強ほどでしかないけれど、山岳道路でタイ最高峰のドイインタノン山の中腹を回り込むようにして、隘路が続いている。
Google Mapでも所要5時間と表示されるが、私の車だと急坂を登る馬力がないので、もっと時間がかかるだろう。
下り坂でスピード出して所要時間を短縮するしかない。
午前5時半過ぎにスタートして、ジョムトーン村からドイインタノンの山道に入る。
まだ夜が明けきっていないけれど、黄色い乗り合いトラックのソンテオが走っている。
ソンテオと抜きつ抜かれつしながら山道を登り、メーチェム村への三叉路を曲がると途端に道が悪くなる。
簡易舗装で道幅が狭い。
しかも、上り下りが非常に急でカーブも多い。
右に左にとハンドルを回しながらコーナーを一つずつつぶしていく。
途中でメーチェムの方向にきれいな雲海がかかっているのが見えた。
時間があれば車を止めて眺めたいような景色だったけれど、そんな時間はない。
綺麗な雲海をちらりとだけ眺められたのは良かったけれど、雲海とはつまり霧や靄のことで、メーチェムの村へと下っていくと、深い霧の中に入ってしまって、視界が効かなくなってしまった。

雲海
[ドイインタノンから下ってくると行く手に雲海]

このルート20年前にも走ったことがある。
まだチェンマイに住んでいたころ、やはりメーウーコーのワイルドサンフラワーを見に行った時だ。
あの時の車はビートル。
あの車は山道に強かった。
馬力はないが、山道をグイグイと登ってくれた。
それに比べると、今の車はオートマなんでギアチェンジの必要もないが、山道でのレスポンスは少し劣るようだ。
道路の方は、この20年間で簡易舗装ながら舗装されて、谷底の川にかかる仮設橋もしっかりしたコンクリートの橋に変っていた。

オンエア直前、ギリギリにメーウーコーへ到着。
急いで送信準備をして、なんとか間に合わせる。
こんな遠いところなのに、タイ人の観光客はたくさん来ている。
途中で観光客らしい車を見かけなかったから、みんなメーホンソンの街かクンユアムの方から登ってきたのだろう。
ワイルドサンフラワー、まだ満開までは少し早いようだったけれど、山の斜面を黄色く染めて、とても美しい映像を届けることができたようだ。
ツアー後の参加者からのアンケートでも高い評価をいただけた。

ワイルドサンフラワー
[和名はニトベギクだそうだ、新渡戸稲造が米国から持ち込んだらしい]

そのメーウーコーからの帰り道。
こんどはさほど急ぐ必要もない。
上り坂ではノロノロと登り、コーナーもゆっくり回る。
そんなわけで、復路は3時間近くかかってもやっと行程の半分ほどのメーチェム近くまでしか来ていない。
が、ここで私の悪い癖が出てしまった。
往路ではドイインタノンの南側を回ったけれど、Google Mapをよく見ると、細いながらもドイインタノンの北側にも道があることを発見していた。
しかし、経路検索をしても提示されないが、細かく調べてみると南回りよりも50kmほどチェンマイまでの距離が短いようだ。
いっちょ、試しに走破してみるかと、Google Mapを睨みながら道の入り口を探す。
道路上にもチェンマイへの近道とかの表示はされておらず、入り口を見つけるのに苦労した。
まさに関係者以外立ち入り禁止の林道と言った感じの道で、未舗装は当然ながら砂利も敷かれておらず、ただの森の中に無理やり道を開いただけの土の道。
轍も深い。
時速20キロ以下のノロノロで、轍に落ちないように、慎重にハンドルを切りながら進む。
対向車などは皆無で、自動車が走ってた形跡も見られない。
轍は車輪の跡ではなく、雨が降って水流が道を川のようになって流れたときに削り取ったものらしい。
尾根に出ると右手にドイインタノンが見える。
土の道ではあるが、粘土質の土なのか、礫のように硬く固まった土で、急坂を登ろうとすると車輪が空回りして、前へ進むはずがズルズルと右や左に流されてしまう。
やっぱり、こうした坂道では最近のコンパクトカーのようなFFより、リアエンジンで後輪駆動のビートルの方が粘り強いようだ。

とんでもない轍
[轍が深すぎる]

悪戦苦闘しながら、10km程度進んだであろうか。崖に貼り付くような峠道となった。
轍は道路と並行に溝を刻んでいるだけではなく、道路と垂直にも流れるようになっている。
平行な轍だけなら何とか落ちないように進めそうだけれど、道路と垂直では轍を乗り越えなくては前へ進めない。
轍は深いところでは30cmはゆうにあり、車輪を落としたら脱出は困難。
まして一人での運転だから、遭難ものである。
諦めて、もと来た道を引き返すことにしたが、狭い道でUターンするのにも一苦労。
空転する車輪が流されて、轍に前輪を落としてしまった。
アクセルを踏んでも轍の中で車輪が空回りして土ぼこりを巻き上げるだけ。
轍の中に小石や木の枝を放り込んだりして、なんとか脱出したが、まったくもってすごい道だった。
しかし、4輪駆動車なら何台かでキャラバンを組んで走り抜けられそうだし、オフロードのバイクでも抜けられそうな気がする。
いつかまた挑戦したくなるようなワイルドな道だった。

11月16日からは日本へ一時帰国してきた。
ようやくコロナでの移動制限もほぼなくなり、行き来がしやすくなってきているが、私の愛用する中華航空はまだ台湾で少し制限が残っているためか、フライトの便数が依然と比べて減っており、行きも帰りも台北での当日乗り換えができなくなってしまっている。
それでも中華航空にこだわって、バンコクを夕方に飛び立ち、台北の空港で一晩夜明かしをして、翌朝の便で成田へ向かった。

ネコの写真集
[機内ではネコの写真をスライドショーで見ていた]

台北の空港での夜明かしは以前にも経験があり、以前はリクライニングができる大きなマッサージチェアのようなソファーで寝たものだったけれど、今回は誰でも利用できるという無料ラウンジを中華航空のスタッフに教えてもらい、壁際に置かれた長椅子に横になって眠ることができた。しかも、そのスタッフからは毛布も貸してもらえた。

ベンチでゴロ寝

丸1日かかって到着した成田空港だけれど、以前は成田から格安シャトルバスを利用していた。
そのシャトルバスも値上がりしており、しかも東京での下車ポイントが日本橋側から東京駅の南口に移っている。日本橋側だったら、そのまま地下鉄東西線に乗れて便利だったけれど、南口だと延々と歩かなくてはならず不便この上ない。
そこで、代案として京成電車で日暮里へ向かうことにした。
電車に乗る前から駅のアナウンスで午前中に発生した事故のためダイヤが乱れているとは言っていたけれど、まるで各駅停車のように一つずつ駅に停車をしていく快速電車が船橋まで来たところで、「この先の東中山から不通になっているので、船橋でJRに乗り換えるように」とアナウンスが入る。
振り替え輸送もしているという。
が、振り替え輸送と言うのは、定期券を持つ人だけのようで、私のように交通系カードの利用者は空港から船橋までの料金をしっかりチャージされた。
そして重たい荷物を引きずってJRの駅までたどり着いたら、またJRの通常運賃がチャージされている。
むかし、紙の切符を使っていたころは、ちゃんと振り替え乗車券と言うのをもらって、目的地まで運んでもらえてた記憶があるが、今は違うようだ。

そんなトラブルがあって、東京の自宅に帰宅したのはすっかり日が暮れてから。
日が暮れようが、なんだろうが帰宅してまず一番にすべきことは墓参り。
ネコの遺骨はベランダの下に眠っているので、すぐに線香を立てに降りる。
2020年の2月に埋めたときは、桜の咲くころにはまた来るからねと約束したのに、すでにその桜の季節を3回も見送ってしまった。

そして母の墓のある小平霊園へ。
自転車なら15分ほどで行けるのだけれど、自転車のタイヤがペシャンコになっている。
たぶん長いこと乗らなかったので空気が抜けただけで、パンクはしていないと思うのだけれど、自転車の空気入れポンプもダメになっていた。
仕方がないのでホームセンターまでポンプを買いに行く。
そして、たぶんチューブの虫ゴムもダメになっていると思って、虫ゴムも買って帰る。
自転車のタイヤに空気を入れて、夜道を小平霊園へ急ぐ。

翌日は朝から銀行回り。
どうも前回一時帰国して以降、日本の預金通帳や印鑑が見つからなくなってしまっていた。
どこかに仕舞い込んだのかと思って、長男に来てもらって探してもらったり、妻が日本へ一時帰国で滞在しているときにも探してもらったが見つからなかった。
バンコクのアパートももちろん探した。
前回の一時帰国の時は、ネコのことで頭がいっぱいで、銀行の通帳などが入った封筒をどこかに落としたのかもしれない。
そんな訳で銀行を回って印鑑の再登録や通帳の再発行をしてもらうことにしていた。
自転車に乗って、向かう銀行は3つの支店。
ひばりが丘、吉祥寺、そして調布。
どこも自転車で行けない距離ではないが、特に調布はちょっと遠い。
幸い天気には恵まれて、風もほとんどない。
最初にひばりが丘の支店へ行って、手続きに1時間くらいかかり、手数料で千円ほど支払う。
銀行の窓口に来ているのは高齢者ばかり。
私と同じように通帳が見つからないと訴えているおばあさんもいた。

続いて吉祥寺へ向かう。
吉祥寺には普通預金のほかに外貨預金もある。
ちょうど空前の円安で、今外貨を円に戻したら大きな利益が出そうである。
しかし、通帳もキャッシュカードもなくしているのでは、お金の動かしようもない。
ここもさっさと再発行してもらわないと。

水道道路沿いの木々はだいぶ紅葉、黄葉しているが、まだ少し後の方が綺麗になるだろう。
イチョウもまだ黄緑色の部分がある。

吉祥寺の支店でも簡単に再発行してもらえるものと思ったが、事は簡単には進まなかった。
窓口の係員が言うには、「日本国内に居住していない人は当行に口座を持つことができません」ということであった。
別に住民票とかの居住証明が必要と言うわけではないらしいが、新しいキャッシュカードを郵送した際に、誰も受け取らず返却されると、問題になって口座の強制解約ということもあるという。
そんなことになっては一大事なので、係員の提案に従い、日本へ本帰国した後で紛失再発行手続きを取ることにする。
なお、調布の支店も同じ銀行なので、調布支店で手続きしても同じことを言われるでしょうとのことだった。
うーむ、まったく困ったものだけど、自業自得。

とここで、昼の時間となり、また調布へ行く必要もなくなったので、水道道路をそのまままっすぐ自転車に乗って進んでみることにする。
信号の多い水道道路だけれど、自転車で走っている分には気持ちがいい。
しかし、あんまり先まで行っても何なので、途中で右折して久我山駅の方へ向かうことにした。
なんで久我山駅かと言えば、Google Mapで検索したところ久我山駅前には牛丼(牛めし)の松屋がある。
物価の高い日本でランチ代を節約するには牛丼が一番。
しかも松屋は味噌汁付き。

水道道路から久我山駅への道を下っていくと、見覚えあるスクーターが並んでいる。
しかも何台も。
修理屋の店先に並んでいるのはラビットスクーターたち。
そこへちょうど店主と思われるがっしりした体つきの男性が奥から出てくるのが見えた。
自転車を止て「伊藤さんですか」と尋ねてみるとそうだという。
伊藤さんの経営する伊藤自動車は宮前の方にあって、20年以上も前になるがラビットスクーターの電装系を修理してもらったことがある。
また、下呂温泉でのラビットスクーターの集まりでも一緒させてもらった。
さすがにちょっと老けられたが、当時の印象がよみがえってくる。
以前にラビットスクーターを修理してもらったものだと告げたのだが、どうやらこの店主は私のラビットを見てくれた伊藤さんの弟さんなんだそうだ。
それでも、再来年に私は日本へ戻ってきたら、一生乗り続けられるようにラビットを整備たいと考えていることを話し、さび落としや再塗装などにかかる費用のおおよそを教えてもらった。
ざっくりと60万円くらいらしい。
新車を買うよりもずっと高いわけだけれど、しかし、一生乗り続けられるとしたら投資する価値は十分あると思う。
もっともあと何年乗り続けられるかかわからないが、、、。
しかし、私が所有する二台のラビットのどちらも整備するとなると、ちょっと費用が掛かりすぎ。
「だったら、一台は下取りしますんで、それを整備費に充てたら」と提案を受ける。
なるほど、そういう手段もあるわけか。

修理屋の前でしばしラビット談義をしてから、駅前で牛丼を食べる。
紅しょうがを山盛り載せて食べるが、牛丼そのものはあんまり美味しいものでもないことを再確認する。
320円也。

家に帰る前にまた小平霊園で墓参りをしてくる。
やはり水道道路をまっすぐ走っていけば小平なので楽なものだ。
田無から先は遊歩道になっているので、まったく快適。
日差しもやわらかく、小春日和と言った陽気。

吊り橋の絵
[前回のブログで書いた吊り橋を描いた絵、これを見てもハルだったのか確証が持てない]

3日目も朝一番に墓参り。
そして、カバーをかぶって冬眠中のラビットスクーターのバッテリーを新しいものに交換してエンジンを始動してみる。
3年近くも放置してきているのでなかなかエンジンがかからないが、
キャブレターの吸気口を手のひらで塞いでセルを回したらすぐにエンジンがかかりモクモクと白い煙を噴き上げた。
世の中急速に変化して、車さえもガソリンエンジンから電気へとスイッチしているこのご時世。
混合オイルを燃やしながら走るツーサイクルのスクーターなどいったいいつまで走らせられることだろうか?
そもそも、ツーサイクルオイルなど簡単に手に入るのだろうか?

午後からは長男がやって来た。
そして弟もうな重と父親を連れてやって来た。
3年ぶりにあった父だが、このコロナ禍でほとんど外出をしていなかったと見えて、すっかり足腰をダメにしてしまっていた。
以前は一緒に歩く者のスピードも考えずにスタスタと一人勝手に歩いて行ってしまっていたのが、杖をついても満足に歩けない。
もうすぐ90歳という年齢ではあるけどと、衰え方には驚いた。
しかし、こうして息子ふたりに孫まで加え、男ばかりでうな重を食べるのはよほど嬉しかったようで、「なんだオマエ、昼間っから」と叱りつけてきたものの、いざグラス注いだハイボールを前に置いたら、旨そうに飲み干した。
そして、お代わりを催促し、そのうち手酌でボトルからウイスキーを注ぎ始めた。
「ちょっと珍しいものがあるよ」と言って、私が梅酒を小さなグラスに入れて差し出したら
「なんだこれはぁ」と言うので
「死んだおふくろが漬けてた梅酒だよ、だから少なくても13年ものだね」と答えたら、父の目に涙が浮かんでいた。
結局父はウイスキーのボトルを1/3くらい飲んでしまった。
ちょっと飲ませすぎたようだ。
あとで父を送っていった弟は「タローさんにあんまり飲ませないように言ってください」と警告を受けたらしい。

その後、長男がこのまま夕食を食べに行こうというので、すし屋に入った。
ふだん全く寄り付かない長男が私のところへ自分からやってくるのは、きっとなんかあるなとは思っていたが、
どうやらいま同棲している女性との結婚を考えているらしい。

4日目。
やっぱり朝一番に自転車で墓参り。
これまで3日間晴れていたけど、この朝は今にも雨が降ってきそうな空モヨウ。
小平霊園から戻ってきて仏壇周りを整理していたら、なくしたはずの預金通帳などが丸ごと出てきた。
オイオイ、なんだありきたりなところにあったんじゃないか。
みんな真剣に探してくれたのかなぁ。
でも、また出てきてよかった。

帰りの飛行機は成田発が夕方なので昼過ぎに家を出れば良く、それまでバンコクへ持ち帰る食料品などを買い出しに行く。
ふだんはドン・キホーテで仕入れて免税手続きをしてもらうのだけれど、買っていこうと思っているものを合計しても五千円に満たない。
そうすると免税にならないので、ドン・キホーテではなく、格安の食料品が揃う業務スーパーへ仕入れに行く。
しかし、ここも物価高騰の影響か、以前と比べると値段が上がっていたり、パッケージの量が少なくなっていたりする。

食料品の仕入れも終わってしまえばもうあとは何もやることはない。
早めに成田空港へ行ってラウンジでビールを飲んだり大好きな稲荷寿司を食べさせてもらおうと思って、午後1時前にはベランダ下のネコの墓(?)に線香を供え、それが燃え尽きるのを確認して家を出る。

そうして早めに到着した成田空港ではあったのだけれど、中華航空のラウンジは営業していないそうで、1500円の食事クーポンをもらう。

1500バーツ分の食事券
[早くラウンジを再開してほしい]

成田空港内の食堂で1500円のクーポンで食べられるものなど多寡が知れている。
生ビールなんか飲んだら、それでおしまいになりそう。
それにまだ空港内の食堂は店を閉めているところも多い。
ソバ屋にでも入ろうかと思ったが、行列ができている。
これから海外に行くから最後に日本の味を求める人なんだろうか?
ハンバーガー屋も行列。
これは空港内で一番安く食べられるからかな。
そして、すぐに入れる店は中華料理屋だった。
ファミレス風の食堂で、ラーメンと餃子を注文。
何の変哲もないラーメンと、小ぶりの焼き餃子5個。
そして、お会計の時に1500円のクーポンを提示したら、消費税分が足りないと言われてしまった。

ラーメン餃子

飛行機の機内はディズニーランドの土産袋とか抱えた観光客で満席。
行きの飛行機もほぼ満席だったけれど、日本のインバウンド需要は旺盛のようだ。
しかし、機内には一目で日本人観光客とわかる姿は一人も見かけなかった。
日本のアウトバウンドの回復はどうやらまだまだらしい。

帰りも台北の空港で一晩夜明かし。
翌朝一番の飛行機でバンコクには午前中に到着。

朝粥
[台北のラウンジはプッフェが再開、朝の芋粥をいただきました]

バンコクで乗っているバイクもこのところ電装系が不調。
エンジンが停止するとすべての電気が止まる。
エンジンを始動しても、ホーンが鳴らない。
ウインカーが点滅しない。
私はヒューズが飛んだんだろうと思っていた。
バンコクへ戻ってもまだ昼前なので、さっそくバイクの点検をしてみるが、ヒューズに異常は見当たらない。
これでは私の手に負えないので、ディンデーンにあるバイクの修理屋持ち込んでみる。

そして、電装系が動かないのはバッテリーがダメになっているからと結論付けられた。
新しいバッテリーに交換されて、電装系も作動するようになったが、修理工はまだいぶかしげな顔をしている。
そして、「ちょっとこっち来てこれ触ってみろ、熱くなってんだろ」という。
指先で触ってみると確かに放熱板から熱を放っている。
これはレギュレターで、発電機からの電気をバッテリーへ充電させるものと教えてくれる。
そのくらいは、私も知っている。
ちょうど日本でラビット談義した際に、純正のレギュレターはもう入手困難なんで、みなさん最近のバイクで使っている半導体式のレギュレターに交換してるそうですなんて話をしてきたばかり。

このレギュレターの放熱板が低速で回っているエンジンでも熱くなっているのは、レギュレターが故障している可能性が高く、放置すればまたバッテリーがダメになると指摘された。
しかし、レギュレターも安いものではなく、当面取り替えたばかりのバッテリーがダメにならない限りは交換を考えないことにする。
バンコクで乗っているバイクも走行9万キロを超えて、車齢も30年程度。
最近はクラッチ板も擦り切れて、クラッチが切れなくなっているし、あちこちガタが来ている。

12月に入って、ピサヌロークへ行ってきた。
先月の中旬に私の代理をしていたスタッフが退職したので、その残務整理をしなくてはならない。
また、12月から学生のインターンが2名来るので、彼らに毎日の業務を指導しておかなくてはならなかった。
本当に地方の支店は、人材を確保するのが難しい。
良い人材はみんな都会へ出て行ってしまう。
バンコクの人たちにはこの辺の苦労がなかなか理解してもらえない。

火曜日の勤務を終えてから、夜行列車でピサヌロークに夜明け前に到着。
そのままオフィスに入って、7時過ぎに朝食を食べに外へ出る。
そして散髪をしてからまたオフィスへ戻って、経理を見る。
嫌になっちゃうことに、金庫にカギがささったまま。
現金の出納帳も前回チェックしたあとは白紙のママになっていて、ツアーの清算伝票などが現金と一緒に無造作に放り込まれている。
これを一つずつデータベースに打ち込んで現金の収支を見てみたが、どうも4,000バーツほど不足している。
金庫が開けっ放しだったんたせから、誰かが持って行ったとしても不思議はないし、出納帳も付けてないのでツアーの清算が間違っていてもわからない。
これは金銭事故に該当し、処罰の対象となるが、こんなことでゴタゴタに巻き込まれるのは御免なので、財布から不足額を補填する。
たった一人になったスタッフに金庫のカギの扱いについて言い聞かせるが、今一つピントがずれている。
現金の出し入れにいちいち2つもカギを開けるなんて面倒くさいし、帳面に書き込むのも面倒。
この土地の人の気質である。
自分の家の金庫なら厳重にカギをかけてるはずなんだけど。

チムチュム
[ピサヌロークでは最近川沿いのサップバーと言う店が安くてお気に入り]

金曜日の昼の特急でチェンマイへ向かう。
バンコクからやってくる特急でピサヌロークへ到着した時点で30分ほど遅れていた。
ロッブリーとナコンサワンの間で路線の改良工事をしている関係で、このところ列車の遅れは日常化している。
しかし、私がピサヌロークで乗り込んだあとも遅れは広がった。
1時間ほど走ったウータラディット駅で遅れの原因は工事ではなく、車両の故障であることが判明。
エンジニアたちが集まって部品の交換などをしようとしている。
しかし、どうにも直らなかったようで修理を断念して、特急ディーゼルカーの前に機関車を連結して、客車列車のように機関車に牽かれてウータラディットを出発した。
まぁ、車で言ったら故障車のレッカー移動みたいなもの。
そんな訳で、その晩はチェンマイ支店のスタッフと一緒に夕食でも食べようと思っていたが、到着時間が遅くなりすぎて、夕食時間を逸してしまった。

特急のレッカー移動
[列車に関ぎらずタイの社会はメンテナンスに弱い気がする]

土曜日の午前中に、業者とお金に関する値引き交渉をする。
先方は弁護士まで連れてきていたが、タイの弁護士などどんな大学でも法学部さえ卒業すれば資格が取れてしまうというもので、たいていの場合恐れるに足りない。
今回の場合も弁護士クンは契約書の内容を読み上げただけで、だから全額払うべきだというだけだった。
2時間ほどかけての交渉で、3割強の値引きを呑んでもらう。
ちょっと脅したり、懐柔したり、演技力と精神力を使う2時間だった。
そしてそのまま午後3時半のバンコク行き急行に乗り込んでバンコクへ向かう。
忙しくて昼食を食べる時間もなかったので、汽車の中で何か売りに来たら買った食べようと思っていたけれど、バンコクまでの15時間、とうとう車内販売は一切回って来なかった。
途中ランパーンの駅ではホームに降りて弁当売りを探したが、弁当売りの姿もなかった。
いったいどうしたんだろう。
以前なら食堂車も連結していたが、コロナのパンデミックになってから食堂車はタイ国鉄から消えてしまった。
私の席の周りはミャンマー人の大家族とおそらく台湾人と思われる夫婦だったけれど、みんなちゃんと食べ物を用意して乗り込んでいた。
まぁいいさ。
ちょっとだけダイエット。

そして、日曜日の朝、つまり昨日の朝6時半にバンコクに到着。

今週は水木とチェンライ、土日でウドンタニが待っている。
いずれも往復は夜行バスなどで、今週もアパートのベッドで寝れるのは幾晩もない計算になる。

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| 日常 | 05:38 PM | comments (0) | trackback (0) |
蘭英旅行 その7
9月13日 火曜日

朝7時に起床。
ロッテルダム港到着予定は8時半。
毎度同じことを書くけど窓がないので、時計を見ないと朝になったかどうかがわからない。
後部甲板へ出てみると、やっぱり夜明けが遅いみたいで、やっと空が明るくなってきたところ。
少し雲はあるけれど、まずまずのお天気のようだ。
そして空にはたくさんの飛行機雲。
空に定規でやたらと線を引いたように飛行機雲が走っている。

飛行機雲
[飛行機雲と朝焼け]

部屋に戻って朝食。
いつもの通りパンをかじるが、今朝はプラムのデザート付き。
甘酸っぱくておいしい。今日の予定はロッテルダムの港から船会社のバスでアムステルダムへ入り、隣町のハーレムの宿に落ち着くことになっている。
アムステルダムまでのバスはすでに先日予約済みで切符も買ってある。
その後、ハーレムまでどうやって行くかで少し悩んだ。
便利さよりも金額を重視。
オランダは電車賃が高いようだけど、バスなどはフリーパスなどが充実していることがわかった。
ブログなどをのぞいても、アムステルダムの中は市電やバスが自由に乗り降りできるパスが便利でお得だと書いてある。
確かにパスがあれば、宿までの移動だけでなく、観光巡りにも使えて便利そう。
しかし、調べてみるとパスはアムステルダム市内でしか使えず、ハーレムまではカバーしていないことがわかる。
結局、電車で行くのが一番早くて安いようだ。

定刻に下船ができた。
オランダへの入国審査も簡単で「これからどこへ行く?」との質問に対して「ハーレム」と答えただけ。

ターミナル前にはすでにバスが迎えに来ていた。
アムステルダム行きは大型バスで下船してきた乗客が続々と乗り込んでいる。
同様にロッテルダム行きのバス停もあるのだけれど、こちらはバスがまだ来ておらず、乗客はバスを待っている。
私はさっさと下船してしまったけれど、まだ下船してくる人はいるようで、ターミナルからバス停へと歩いてくる人がちらほら。
バスの運転手は乗客名簿を持っており、乗る人を一人ずつチェックしている。

P&Oフェリーのバス
[このバスを待つ人たち以外の大半の乗船客は車で海を渡ったのだろう]

バスが出発したのは09:15。
私の座った席の前には、若い女性とその母親と思われる初老の女性が座っていた。
どうやらオランダは初めての様子で、いろいろと調べ物などしているのがわかる。
この若い女性、髪型や化粧がなんとなくダイアナ皇太子妃に似ていた。
ダイアナ皇太子妃と言えば、むかしロンドンのトラファルガー広場に人だかりがすごくて、何かのお祭りでもしているのかと思ったら、「もうすぐレディー・ダイアナが来るんだ」と教えられた。
ダイアナ皇太子妃がイギリス国民を熱狂させるのを見て、日本の皇室メンバーの場合、目立つのは警護ばかりではないだろうかと思ったことを思い出した。
そのダイアナ皇太子妃もゴシップが原因で事故死してしまい、エリザベス女王も逝去されてしまった。
再婚されたチャールズ新国王の王妃、カミラ王妃はどのくらいイギリス国民に支持されているのだろうか?

ダイアナ妃似
[前の座席はダイアナ妃似の母子]

バスの運転手は黒人で、アムステルダムまでは1時間くらいで到着するよと陽気に車内アナウンスをしていたが、港から高速道路へ入ったとたんに大渋滞に巻き込まれる。
高速道路は洋上コンテナを積んだトレーラーでいっぱい。
高速道路の脇には鉄道線路もあり、旅客用ではなく貨物線のようで、こちらもコンテナ列車が行き来している。
ヤードがあって凸型をした小型のディーゼル機関車が入れ替え作業なんかをしているのが見れて、私なりに渋滞を楽しむことができた。

港湾地区
[渋滞もまた楽し]

ロッテルダムを過ぎたらば渋滞も解消して、バスはスムースに走るようになった。
オランダに着いた最初の日に見た景色と同じ感じで、緑の牧場が続いている。
そのうちに空港が見えて、だんだんと市街地に入って、2時間後にアムステルダム中央駅の裏側に到着した。

裏口からまっすぐ駅に入ってしまえば簡単に電車に乗れるのだけれど、東京駅のモデルとなったというアムステルダムの駅舎を正面から見てみたいと思い、キャリーバックを引っ張って歩き出す。
駅周辺は古い建物が多く、レンガ色をした建物の屋根は尖がり帽子だったりドームだったりする。
十字架を載せた屋根の建物は教会なのだろうか。
どの建物も、日本やタイへ持って来たら、観光客を集められそうに思う。
新しい建物もあるが、古い建物と調和がとれるような設計になっている。
建物だけでなく、運河も入り込んでいて、大きな運河から細い運河まであり、そうした運河には跳ね橋がかかっている。
バンコクにもパクロン花市場側から暁の寺側へ渡るプッタヨファー橋が跳ね橋で、王宮前の海軍本部へ軍艦が入れるようにするため跳ね橋としたようだ。
また、王宮近くにあるロープクルン運河には、このアムステルダムの細い運河にかかっている跳ね橋と似た構造の跳ね橋、サパンホックがある。
このロープクロン運河は、ほかにもいくつも橋が架かっているけれど、跳ね橋はこれだけなので、本気で運河を航行する船のために跳ね橋構造にしたとは俄かに信じがたい。

跳ね橋
[小さな跳ね橋]

一方、アムステルダムの跳ね橋はどうやら現役でもあるようで、駅前からはたくさんの運河めぐりの遊覧船が発着している。
東京駅の丸の内側バスターミナルのようなところに運河が入ってて、そこをボートが行きかっているのだから、面白い。
アムステルダム中央駅は確かに東京駅がモデルとしただけあって、全体的にはよく似たスタイルをしているが、もっと彫刻類などの装飾が多くて、豪華で華やかな印象を受ける。
駅前は一般の自動車は入って来ないが、3両編成の市電が走っている。
バスもやって来れば、自転車も来る。
なかなかにぎやか。

アムステルダム中央駅
[鉄道駅と言うより水の駅のようだ]

さて、実は尿意をもよおしている。
駅の中へ飛び込めばトイレくらいあるだろうと考えたが、正面から入ってもトイレが見つからない。
探しているうちに、裏口へまた出てしまった。
そして、トイレを見つけたが、嫌なことに有料。
駅のトイレでも、切符を買ってホームの方へ行けば、無料のトイレがあるのではないかと考えて、アプリを使ってハーレムまでの切符を買う。
ハーレムまで4.70ユーロ。
たくさんあるホームの中から、ハーレムの方向へいく電車を探すが、トイレも探す。
トイレは正面側のホームに面してちゃんとあった。
しかし、これも有料。
しからば、電車の中のトイレなら絶対無料のはずと確信して、黄色い2階建ての電車に乗り込む。
トイレを無事に無料で済ますことができて一安心。
イギリスの電車はどれも綺麗だったけれど、このトイレを借りた電車は通勤電車なのか、あまりきれいではなかった。
トイレの掃除がされてなくて汚いのではなく、落書きがいっぱいで、備品もなくなっていたりして、あんまり大切にされていないイメージ。

黄色い電車
[電車にはトイレがあってよかった]

駅舎は東京駅に似ているが、構内はバンコク中央駅にも似て、天井が蒲鉾型になっている。
ここもやはり次々に電車が発着している。
黄色い2階建て電車が多いけれど、ドイツ国鉄から乗り入れている新幹線なんかも見える。
陸続きのヨーロッパは国境を越える鉄道網が発達しているのがよく解る。

ドイツ新幹線
[ドイツの新幹線]

ハーレムへ行く電車も黄色い2階建て。
しかし、最初は2階建て電車に喜んだのだけど、2階建てと言うのは、荷物の多い旅行者には不便だということがわかった。
免税店で買った24本の缶ビールが重いので、狭い電車の階段の上り下りは大儀になる。
ドアの周辺だけ階段を使わなくてよいスペースになっているので、そこに座る。
缶ビールで階段を断念するような私以外にも、このスペースは自転車を持ち込む乗客に利用させているようだ。
オランダは自転車が多いところだけれど、自転車ごと電車に乗るのも一般化しているようだ。
特別に自転車持ち込み用の車両があるわけでもない。

ハーレム駅
[ハーレム駅到着]

アムステルダムからハーレムまではすぐだった。
駅から宿までは1キロほど。
宿は旧市街の真ん中にある大きな教会に面しているらしく、名前をカリロンという。
予約サイトを調べていて、ここが一番安かったので、ここを予約した。
値段は40.85ユーロであったけれど、チェックイン時に市税として5ユーロを払えとなっていた。

ハーレムの旧市街もブリーレ同様におとぎ話に出てきそうなかわいらしい町並みをしていた。
街の規模はブリーレよりも断然大きくて、にぎやかでもある。
そして、ちょっとエスニックなところもあって、タイ料理の店、インドネシア料理の店、日本料理の店が並んでいたりする。

ハーレムの街
[駅から宿への道]

イギリスではフィッシュ&チップスをイギリス名物大衆食として味わったが、オランダではコロッケを食べておきたいと思っている。
どこかにコロッケを売っていないものかと宿までの道をキョロキョロと探してみたが見つけられなかった。

宿は聖バフォ教会という古くて大きな教会の隣に位置していた。
教会周辺は旧肉市場広場と呼ばれる広場になっており、周囲にはテラス席を出したレストランやカフェが取り巻いている。
今夜の宿カリロンもそんなレストランの2階より上の部分に位置していた。
レストランの帳場でチェックインをしたが、東洋系で利発そうな顔立ちのスタッフは大変に親切であった。
ここでも電源に差し込むプラグがないかと聞いてみたのだけれどないとのこと。
しかし、スマホを充電したいなら、この帳場でできると言ってスマホ用のケーブルを貸してくれた。
これで当座はOK。

カリロンホテル

部屋は4階に位置していて、屋根裏部屋。
たぶん、もともとホテルとして作った建物ではないからなのかもしれないが、階段が急で、しかも狭いものだから、荷物を運びあげるのに2往復もしなくてはならなかった。
部屋は3畳間くらいで、洗面台はあるけれど、トイレやシャワーは部屋の外で共用。
しかし、部屋には2面に窓があり、教会が見えるし、窓から外を見れば広場も見えるという好立地。

屋根裏部屋
[屋根裏部屋でも部屋からの眺めは一級品]

さっそくハーレムの街歩きに挑戦。
ハーレムの旧市街も一般の自動車は進入禁止となっているのか、石畳の道はどこも歩行者天国のようになっているけれど、自転車だけはたくさんやってくる。
それも結構スピードを出してやってくるのでヒヤリとさせられる。
日本のママチャリなんかとは違って、重量級の自転車が多い。

ハーレムの路地
[こんな道を進んでいく]

北東方向へ歩いていき、運河に突き当たったところに風車があった。
オランダ的な風景にマッチする風車だと思ったのだけれど、これは昔からずったあったものではなく、最近観光用に復元したものらしい。
この風車を眺めながら、運河べりのベンチに座ってパンをかじる。
キャベツも千切って食べる。
運河には遊覧船も行きかうし、自家用のボートも係留されている。
自家用ボートはどれも趣味で保有しているものだろうけど、ずいぶんと贅沢な趣味だと思う。
ここら辺の人にとっては、これらのボートってのは別荘のようなものなのだろうか。

ハーレムの風車
[オランダと言ったらやっぱり風車なんだろう]

Mさんからハーレムには世界最古の薬屋があり、その薬屋のシンボルは口を開けたムーア人の顔で、店の入り口のところからニョッキリと飛び出していると教えてもらった。
そして、Mさんたちがオランダにいたころはその顔の色は黒かったけれど、その後黒いムーア人は人種差別的だということで、色を青く塗り替えたのだそうだ。
ムーア人は北アフリカの人たちだから、黒と言うより茶色い肌だろうけど、肌の色のことで差別とか言っている方が、変なコンプレックスや心の底の差別意識の表れのような気がするけど、今の世の中では、まだ触れない方が無難なのだろう。

さまざまなムーア人
[窓に並んだ様々な肌の色をしたムーア人]

そんな最古の薬局も見てきた。
ムーア人は確かに青い顔をしていたが、なんだか病的な感じも受ける。
黒い方が元気になれそうに感じるのだけれど。
自分自身で体調の悪いところもないので、薬は必要なくて、薬局の中には入らずにムーア人の写真だけを撮ってまた歩き出す。

青い顔したムーア人
[これが薬屋のムーア人]

次に向かったのはMさんご推奨のクラフトビール工房。
オランダもベルギー同様に地ビールは盛んなようで、修道院ビールなんてものもあるらしい。
ベルギーではそうしたビールを飲んだことがあり、ピンク色とか果物味のビールとか口にしたけれど、私としては普通のビールの方がすっきりしてて美味しいという印象が残っていた。
しかし、これも名物。
そして今はクラフトビールが人気らしい。
ハーレムでMさんはJopenというビール工房がお気に入りだったそうで、私もそこへ向かってみる。
Jopenのビール工房は、古い廃墟となった修道院を改装したものだそうだけれど、ビール工房としての歴史は古くなく、まだ開業して10年ほどらしい。
しかし、ビールの作り方自体は、14世紀頃のレシピを参考にして作っているそうで、現代のビールとは風味が全く違うのだそうだ。
とくに14世紀はまだビールにホップを使ってなかったそうで、ホップ以外のハーブ類などで風味付けをしたものらしい。

Jopen`k
[ハーレムのクラフトビールJopen]

Jopenは古い修道院を改修したそうだけれど、まったく新しい建物のように感じる。
スタイルは修道院だけれど、古さは感じない。
建物の前にもテラス席があって、食事をしている人がいる。
店内に入ると銅色の大きな蒸留器が聳えている。店内にもテーブル席があり、カウンター席もある。
私はカウンター席に座って周りを見回してみる。
常連さんが多いのか、カウンターのスタッフと談笑している人もいる。

jopen`k
[蒸留釜を見ながらビールが飲める]

この店に関する下調べとしてブログなどを読んでみたら、3種類のテイスティングセットがあり初心者にはお勧めとあった。
素直にお勧めに従い「テイスティングセット」と注文した。
ところが「どれをテイスティングしたいんだ」と聞かれてしまった。
こっちはもともと3種類のテイスティングセットという定番があるものと認識していたので面食らってしまう。
「いや、あの、ええと、だから3種類のテイスティングを、、、」と言うと、
「で、どれと、どれと、どれをテイスティングしたいんですか」と畳みかけてくる。
カウンターの前には20種類もの「本日のビール」見たいのが掲げられており、アルコール度数や特徴などが表示されている。
そんなの見ても、チンプンカンプン。
「お勧めの3種で頼みます」と注文をなんとか済ませる。

3種類のテイスティング
[Jopenのビールは缶入りもあってスーパーでも売られているらしい]

出てきたビールは150ccくらいのグラス入りで、色がそれぞれ異なっている。
一番左の色が薄いのが、ADRIAAN WITと言うそうで、アルコール分5%
お値段2.90ユーロ
真ん中は、MOOIE NEL IPAで、アルコール分6.5% 3.10ユーロ
右側の色が濃いのがJOHANNIETERで、アルコール分9% 3.50ユーロ

ビールの種類
[各ビールの説明はあるのだけれど]

で、味の違いとか、香とかはよくわからない。
普段飲みつけているビールとはまるで風味が違うことはよくわかるけど、それより値段の方がもっと気になってしまう。
クラフトビールと言うのも趣味の世界のものなのだろう。
私はテイスティングだけで退散する。
宿に戻れば愛しいフォスターが待っているんだから。
ここでのお会計、9.50ユーロ也。

クラフトビールの次はコロッケ。
あちこち歩き回って見つけたのが聖バフォ教会の裏にある小さな店。
観光客向けの立ち食い屋みたいな店で、店の前で観光客たちが大口開けて食べている。
もっとも、食べているのはコロッケではなく、ほとんどの人がフレンチフライを食べている。
フレンチフライにはマヨネーズのようなものをべっとりとかけてある。
コロッケは1個2ユーロ。
安くない。
観光地だからだろうか、それともこれが一般的なのだろうか。
バーツ換算で70バーツくらいもする。

コロッケ屋
[コロッケよりフレンチフライが名物らしい]

コロッケは俵型で、クリームコロッケかと思ったけれど、中はしっかりジャガイモが詰まっていた。
これにソースではなくマスタードを付けて食べる。
味の方は、普通にコロッケであった。

コロッケ
[本場?オランダのコロッケ]

コロッケ
[マスタードで食べるのも旨い]

コロッケを食べていたら、そのままビールが飲みたくなり、部屋へビールを取りに戻り、教会前の広場に腰掛けてビールを飲み始める。
飲んでるうちに、何か食べたくなりスーパーJUMBOへ行く。
お惣菜を買おうかと迷ったけれど、惣菜類は概して高かった。
そんななかで、あれれと思ったのが総菜売り場にあった餃子。
日本風の焼き餃子なのだけれど、ラベルにはSUSHI寿司と書かれている。
一応値札のところにはGYOZAと書かれてはいたけれど、オランダでは日本風の惣菜の総称としてSUSHIが使われているのかもしれない。
ちなみに5個入りで4.50ユーロ。

寿司と書かれた餃子
[餃子も寿司も市民権を得ているようだ]

このスーパーで買ったものはイワシのトマト煮缶詰 1.56ユーロ
サンポーランというチーズ 1.00ユーロ
そして、JUMBOと言ったら詰め合わせて1ユーロのパン。
しかし、いざレジで精算してみると、3.70ユーロで私の計算より若干高くなっている。
私の計算だと3.56ユーロなのに、変だなぁと思いながらまた教会前へ行って、イワシをパンに挟んでかじり、ビールを飲んではチーズを齧りしながら、レシートをチェックしてみた。
わかったことは、私の計算ミスではなく、レジのミスでもなく、ただ私の買い物が下手だったことが判明した。
JUMBOのパンは4種類詰め合わせて1ユーロなのに、私はパンを3つしか買っていなかった。
なので、パン一つずつで計算されて、4つ買うより高くなっていたことが判明。

旧食肉市広場
[ヨーロッパの人はこうした屋外のテーブルが好きみたいだ]

たっぷりある缶ビールをプシュ、プシュと開けながら、ノドに流し込む。
バンコクではなかなかチーズなんて食べられないので、とても幸せに感じる。
私がビールを゜飲んでいる横では、恋人同士なのだろうか、男女が抱き合ったままずっと動かない。

黒猫ポシェット
[今回の旅行に同行してもらった黒猫さん]

これで、今回の旅行はお終いとなるわけで、明日の朝は空港へ向かわなてはならない。
ハーレムからもスキポール空港へ行くバスがあるようなのだが、Google Mapで時間を調べようと思ったら、ストライキで運休と表示される。
ここへきてまたストなのかよ、、しかし、念のために確認しておこうとハーレムの駅前にあるバスターミナルへ行ってみた。
そして、わかったことは、「もうストは終わってるから、明日もバスは走るよ」ということであった。
アムステルダムのバスもクレジットカードで乗れるということなので、これで一安心。

日が陰ってきたら、急に寒くなってきて、ビールの続きは部屋に戻ってからということにした。
夜9時を過ぎても教会前の広場からは人の声が聞こえてきたし、教会の鐘の音も聞こえてきた。

窓からの夜景

[部屋の窓から見える夜景も一級品]

<hr>
9月14日 水曜日
スキポール空港を11時に出る飛行機に乗るために、朝7時過ぎに宿を出発しようとした。
チェックアウトをして、部屋の鍵を返さなくてはならないが、スタッフが誰もいない。
レストラン側の扉も鍵が閉まったまま。
しかたなく、カギは部屋の中のテーブルの上に置いてきた。

カギはテーブルに置いた
[カギはテーブルに置いたとメッセージを残しておいた]

空港方面行のバスはすぐにやって来た。
赤い連接バスで、ほぼ満席だったけれど、運よく空席があった。
どこをどう走っているのかわからないが、航空会社のスタッフのような制服を着た人が次々に乗り込んでくるから空港へ行ってくれるのは間違えなさそう。
郊外を30分ばかり走って、空港が見えてきた。
バスから降りてターミナルへ歩くが、到着した時もそうだったけれど、空港と駅が完全に融合していて、どこからが空の旅用で、どこからが汽車の旅用の施設なのかよく解らない。

スキポール空港
[空港前は歩道と車道の区分もあいまいみたいだ]

それでも、表示を確認しながら航空会社のカウンターまで行く。
カウンター前は長蛇の列ができている。
私はプレミアレーンを使わせてもらったので、ほとんど並ばずにチェックインできたが、出国審査は大変だった。
カウンター近くの出国審査場は定員オーバーで閉鎖され、隣のターミナルまで歩かなくてはならなかった。
そして、そちらの出国審査場も長い行列ができている。

チェックインカウンター前
[チェックインカウンター前の行列]

空港に到着したのが8時だったのに、出国審査を終えてKLMのラウンジにたどり着いたのは9時を回っていた。
KLMのラウンジも混雑しており、座れる席を探すのにちょっと苦労する。
ラウンジ内は朝食時だからか、朝食用の食べ物ばかりしか見当たらなかった。
ビールはハイネッケンの生ビールサーバーが置かれていた。
サーバーで生ビールをグラスに注ぐなんてやったことがない、初体験である。
恐々とチビチビとレバーを引いたら泡しか出てこない。
見かねた次の人が、「こんなもん、スピードで注げばいいんだぜ」と教えてくれて、思いっきりレバーを引いたらば、今度は泡がグラスの半分程度で収まってくれた。
まぁ、半分でも構わない。
何杯飲んだっていいんだから。
しかし、オランダでオランダを代表する世界ブランドのハイネケンビールを飲むのが、帰りの空港が初めてとなるとは思ってもいなかった。

ハイネケンの生ビール
[やっと上手にグラスへ注げるようになった]

生ビールも2杯目、3杯目とスキルが上達して、いい具合に告げるようになってきた。
少し離れたところにチーズのコーナーがあり、いろんなチーズが並んでいた。
ゴーダもあれば、エダムもある。
先月医者からは悪玉コレステロールの値が高すぎるから、パンやチーズなんかは控えるように言われているけれど、やっぱり、ここではチーズが美味しい。

ワインのコーナーもあって、冷蔵庫にはスペインの発泡ワイン、カヴァがあった。
辛口のカヴァは大好きなので、これもグラスに注いでいただく。
こちらは生ビールと違って、チビチビと注いだ方が泡だらけにならない。
飛行機に乗る前、朝からいい気分になってしまった。

CAVAもある
[カヴァなんて飲むのは何年ぶりだろう]

搭乗時間が近付き、搭乗ゲートまで延々と歩く。
大きな空港なので、歩く距離も長くなる。ゲート前もたくさんの人でいっぱい。
飛行機に乗り込んだら、やっぱり満席。
だいぶ飲んでいて、トイレが近くなっているから通路席が確保できていて良かった。

機内食ではタイのグリーンカレーが出た。
久々のタイ料理。
味の方は機内食としては、なかり本格的な味付けで美味しかった。
スプーンやフォークは環境に配慮してか木製であった。
使いやすいかどうかは別として、意気込みは感じられる。

グリーンカレー
[1週間ぶりのタイ料理]

もともとは窓側の席を予約していたのだけれど、往路で予想外の満席となったことに肝を冷やし、もし通路側でなかったらトイレを我慢しなくてはならないとの不安からこちらに到着した後に座席を変更しておいて正解だった。
窓側に席を取っていたのは、窓から黒海やクリミア半島が見えるかもしれないと思ったからだったけれど、いざ飛び立ってしまったらすべての窓のブラインドが下げさせられ、窓から外を眺めることなどもともと無理だったことがわかった。

黒海上空
[エアショウでは黒海上空を飛行していることを示していた]

<hr>

9月15日木曜日の早朝、14時間のフライトで台北に到着し、またラウンジでお好み弁当風のものを食べてバンコク行きに乗り継ぐ。

お弁当
[今度はベジタリアンではなく、お肉が入っていた]

2年半も延期になっていた今回の旅行も無事完了することができた。


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