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ビエンチャン、ショートトリップ
3月18日 (土)
コンケーンでの仕事が午前中で終わり、時間ができたのでタイ-ラオス友好橋を渡ってビエンチャンへ行ってみた。
昨年末にも行ったばかりだけれど、一人で友好橋を渡ってラオスへ渡るのは30年ぶりくらいじゃないかと思う。

国道2号線を北上し、午後1時にノンカーイにある国境に到着。
夕方には戻ってくるつもりで車は道端に路上駐車。
ちゃんと国境を渡る人向けに有料駐車場もいくつもあるけれど、数時間のことだし、それに路駐している車も道端にずらりと並んでいる。
有料駐車場代は1日100バーツ。

パスポートにタイ出国のスタンプが押されて、国境の橋を渡るバスを待つ。
バス代は週末追加料金5バーツが加算されて35バーツ也。
距離にして2キロあるかないかくらいの距離だから、ちょっと割高。
年末に利用した鉄道は確か20バーツだったと記憶しているけれど、便が少なくて利用しづらい。

国境の橋の下を流れるメコン川の色は少し青みがかっている。
もともとは茶い色だったと思うけど、最近は青く見えていることが多い。
乾期ということもあるけど水量も減っている。

国境の橋
[メコン川、左がタイで右がラオス]

バスに乗り込んでいるのはほとんどが地元の人。
商売人だろうか、慣れた感じでキョロキョロすることなくバスに乗っている。
満員の乗客を乗せたバスがラオス側に到着して、ラオスの入国審査を受ける。
バスから降りた人の大半はパスポートではなくボーダーパスと言うものを持っていて、入国審査も簡略化されている。

私はパスポートを使うので入国カードへの記載も求められる。
事前にバスに乗るときにでも配ってくれれば、手間が省けるのだけれど、そういうサービス精神はなさそうだ。
しかし、入国審査にも20バーツがかかる。
これは週末・時間外サービス料金だそうだ。
飛行機で到着する人にもこんな風にして集金しているのだろうか。

ラオスの入国スタンプをもらって、先に進むと両替所があったけれど素通り。
数時間の滞在とほとんどお金も使わないし、ビエンチャンだけならタイバーツでもそのまま使える。
だいたいラオス通貨1万キップが20バーツくらいのようだ。
さっきのラオス入国審査での請求が1万キップか20バーツと言われた。

タクシーの客引きを無視してバス停へ進む。
クリーム色と緑のボディーをしたバスはなんとなく都バスを連想させる。
メーカーはいすゞ製で、JICAの援助みたいなことが書かれている。
午前中にコンケーンでお会いした方は、もとJICAの所長さんで、「むかしのJICAでは現地に赴いたら、まず現地の人の友達を作れと教えられたものだ」と言われていた。
しかし、それが最近は現地の人との交わりをあまり持とうとしておらず、また援助をしてやるんだという意識が先に立ってしまっているともぼやかれていた。

ビエンチャン市内行きのバス
[色の塗り分けが都バスによく似てる]

バスに乗り込んだのが午後1時半。
まずは順調と思ったのだけれど、乗り込んだのはいいけれどなかなか走りださない。
一応はエアコン付きのバスなのだけれど、エアコンの効きが悪い。
暑さを我慢すること20分。
ようやくバスは走り出した。
ビエンチャン市内タラート・サーオのバスターミナルまで12,000キップ。
タイバーツだと30バーツだそうだ。
タイ語とラオス語はよく似た言葉で、もともとがおんなじ語源らしいのだけれど、数字の数え方が異なっているようだ。
12000も、タイ語だと「ヌンムーン・ソンパン」と言い、日本語に直訳すると、1万・2千となる。
タイ語では、10万や100万の単位を表す単語もある。
これに対してラオス語では12000を、「シプソーン・パン」と発音していた。
日本語で直訳すると12・千。
つまり、万の単位の単語を使わない。
ラオス語について知識がないので、万や10万といった単位の単語がないのか、ただあまり使わないだけなのかわからないけど、千の単位を使うというのは、お金の単位としては理解しやすくて便利だ。
とにかくラオスの通貨では単位が大きくなりすぎて、ほとんど1000キップ以下のものがないから、シプソーン・パン・キップのところをパンキップが通貨単位として理解すれば、桁の多さが気にならなくなる。
なお、ラオスの旧国名は「ラーン・シャーン」で、意味は「100万のゾウ」ということになる。
つまり、100万の単位もちゃんとラオス語には昔からあるわけで、きっと万や10万を表す単語もあるのだろう。

ビエンチャンへの道は片側二車線の道路なのだけれど、道路の状況はタイと比べると格段に劣る。
走っている車は韓国車と中国車が目立ち、日本車もよく見かけるけど、タイのように圧倒的多数派と言うわけではないようだ。
高級車乗用車は日本車、コンパクトカーは韓国車、そして軽トラみたいな車は中国車とマーケットが分かれているようにも感じられる。
そして、運転マナーもタイより劣るようだ。

30年前はほとんど車は走っていなかった。
当時国境からビエンチャン市内まで利用したタクシーは大型のベンツだった。
しかも、そうとうの年代物で、丸みを帯びたダルマのような車だったことを覚えている。
いまは、道には車やバイクがあふれている。

2時半近くにビエンチャン市内に到着。
まだ昼食を食べていなかったので、ビエンチャンへ行ったら食べたいと思っていたバゲット・サンドウィッチを食べることにした。
路地奥に入ったところにあるPVOという食堂に入る。
ネットで調べた有名店だそうで、こじゃれててきれいな食堂だった。
ベトナム料理屋ということになっているようで、メニューもタイでよく見るベトナム料理が並んでいた。
しかし、やっぱり看板料理はバゲットのサンドウィッチで、カオチーと呼ばれている。
ネットで調べるとベトナム風にバインミーと紹介されているものが多かったけれど、バインミーはベトナム語であるから、ラオスならカオチーと紹介すべきかとも思う。
しかし、ラオス語のカオチーと言うのも厄介で、タイの東北部で食べられているカオチーというものもある。これは五平餅と言うか焼きおにぎりのようなモノで、私の好物でもある。
そしてラオスでもよく屋台で売られている。
カオチーの意味はカオがご飯で、チーが焼く。
なので焼きおにぎりがカオチーなのはよくわかるが、バゲットがカオチーなのは、パンも「ご飯」と同一視して、しかも窯で焼くからカオチーと言うことらしい。
ラオスでは米食もパンもカオらしい。
ヌードルもやっぱりカオで、汁そばのことをカオピヤクと呼んでる。
ピヤクはタイ語風に理解すれば、「濡れている」という意味に当たる。

PVO食堂
[路地奥だけど人気の店らしい]

で、ここのカオチー・サンドウィッチだけれど、確かに美味しかった。
パクチーをはじめとしたハーブ類がたくさん入っておりラオスらしさを感じさせる。
ラオスの人は豚肉などを入れたり、フランス風にパテを挟んだりするのが人気のようだけれど、私は肉を食べたくないので卵を入れてもらった。
テーブルには激辛の唐辛子ペーストもあり、これもトッピングと塗りたくった。
刺激的な味で、ビールがひときわ旨くなる。
私はラオスビールのプレミアと一緒にいただいたけれど、メニューにはビールがなかったで、最初はビールを出さない店かと思った。
他のテーブルでもビールを飲んでいる人はいなかった。
しかし、ウエイターにビールを頼んだら、愛想よく持ってきてくれた。
グラスにはタイと同じように氷が入っていた。
カオチーのサンドウィッチも美味しいけれど、ラオスはやっぱりビールがうまい。
さっき国境から乗ってきたバスの沿道に見えた道端の看板広告などもラオスビールのものが多数派だった。
アルコール飲料の宣伝が禁止されているタイから来て、こんなにビールの宣伝広告ばかり見せられたら、ビールが飲みたくなって仕方がなくなりそう。

カオチーのサンドウィッチとラオスビール
[サンドウィッチのサイズがやたらと大きい]

フルサイズのサンドウィッチと大瓶のビールで95バーツだった。
大満足。
サンドウィッチはメニューに3万キップみたいに提示されていたから、これで60バーツなんだろう。
そして、95-60=35だから、ビールは35バーツということになる。
タイのコンビニで買う缶ビールよりも安い!
ラオスはいい国だ!

満腹となり、食堂を出てメコン川の川岸へ向かって歩いてみる。
ツアーでなんども立ち寄っているメコン対岸のシーチェンマイを眺めてみたかった。
いつもはシーチェンマイの側からビエンチャンを眺めてきたけれど、今度はビエンチャン川から眺めてみようとの算段。

メコンの川岸近くにある公園に銅像が立っている。
いまから200年前、ビエンチャンを繁栄させ、そしたビエンチャン王国最後の王となったアヌウォンの銅像。
タイでアヌウォンは「裏切者」「侵略者」として悪名高いが、ラオスにしてみれば英雄なのである。
この王の生涯は、タイによって翻弄され続けていた。
子供のころはタイで人質として過ごし、成人してからはタイのために戦争に参加し、タイの推挙でビエンチャン王になり、善政を布いてラオスを発展させた。
そして、ビエンチャン王国をタイから独立させるために挙兵したが、結局タイに負けて、捕らわれて死んでしまう。
タイではこの挙兵の部分が、タイへの侵略者として誇張されており、このアヌウォンを反撃した女傑スラナリーは今でもタイの英雄として映画やドラマとなっているようだ。

アヌウォンの銅像
[アヌウォン王はメコン川の方向、つまりタイ側を向いて立っている]

20年前、長男と二人でビエンチャンへ来たときに泊まったホテルがランシャンホテル。
戦前からある古いホテルで、高級ホテルというよりもただの古めかしいホテルに成り下がっていたけれど、もともとはラオスを代表するホテルで、バンコクのオリエンタル、サイゴンのマジェスティック、ヤンゴンのストランドなどと並ぶインドシナにある著名なホテルだった。
そんなホテルに私が以前泊まったのは、1にも2にも値段が安かったから。
そして、朝食のブッフェが美味しかったから。
そんなランシャンホテルへ今から10年ちょっと前に家族3人で泊まろうと予約したことがあった。
ビエンチャンにある旅行会社へ全額前払いで代金も払い込んでいたのだけれど、いざホテルへ到着してみると予約が入っていなかった。
予約が入っていないどころか、ホテルのスタッフによればホテルは全面改装中で宿泊そのものの受付をしていないという。
スタッフを通じて予約を入れた旅行会社へ連絡してもらい、1時間ほど待たされて旅行会社のスタッフがやって来た。
「工事中だから泊まれない」と言う。
まったく、ぜんぜん責任感がないと言うか、怒っても埒のあきそうにない相手だった。
「クレジットカード払いだから返金はできない」との理由で、
その代わりおんなじくらいの金額のホテルに部屋を用意するからと言われて、スタッフは引き上げて行った。
待つこと1時間ほどで、ランシャンホテルのスタッフを通じて「別のホテルの用意ができた」とのメッセージを受け取る。
その代替ホテルの場所を教えてもらい、とぼとぼと向かったのだけれど、ランシャンホテルとは全然レベルの違うバックパッカー向けのゲストハウスだった。

そのランシャンホテルも改装が終わって、少しは高級ホテルらしくなっていたそうなのだけれど、その後ビエンチャンに来て泊まる用事もなく、どんなホテルになっていたかはよくわからないが、今回そのランシャンホテルを見てみようと行ってみた。

ランシャンホテルは再び改装中だった。
単なる改装と言うよりも、立て替え作業の真っ最中の様であった。

ランシャンホテル跡地
[ランシャンホテルは建て替え工事の真っさなかだった]

メコン川の対岸にシーチェンマイが小さく見える。
シーチェンマイからビエンチャンを眺めるときはいつも一国の首都だというのに、ビエンチャンには大きな建物もほとんどなくて、全くの田舎町だなと感じていた。
今回は反対にビエンチェン側からシーチェンマイを眺めたらば、「シーチェンマイなんてまったくなんにもない所だな」と感じた。
よく目を凝らしてみると昼食でときどき利用するマヨン食堂の赤い屋根らしきものが見えたり、大きなナーガの像がある公園がかすんで見える。

メコン対岸のシーチェンマイ
[霞んでいるのはたぶんPM2.5の影響]

ビエンチャン市内のスーパーに入ってラオスビールの缶ビール6本パックを買う。
これは土産用。
ラオスビールにはいろいろな種類があるのだけれど、買ったのはさっき飲んだプレミアムという種類の500cc。
あと一本だけ黒ビール風も買ってみる。
これは冷蔵庫で冷やされていたもので、歩きながら飲むつもり。

スーパーで買ったビール代として200バーツを出したら、お釣りとして12,000キップが返ってきた。

黒ビールはギネスなんかと比べるとライトな感じだけれど、そのぶん飲みやすい。
コクが深いので、歩きながらゴクゴクと喉に流し込むよりも、どこかに座って飲みたくなるが、座る場所もないので、歩き続けながら飲み干す。

そろそろ国境へ戻るバス乗り場へ向かう時刻と思い歩いていたらタートダムと呼ばれる古い仏塔が左手に見える交差点に出た。
この交差点を渡ったところには古い屋敷を改装したラオス料理のレストランがある。
この景色、見覚えがある。
はじめてラオスへ来た時に宿泊した宿が、この交差点に面して建っていた。
この宿に入ったとき従業員がフランスパンを刻んだものを丼に入れ、スライスチーズと一緒に食べていたのにショックを受けた。
フランスパンを千切って丼に入れ箸で食べているのにも驚いたが、きっと中国系だったのだろう。
それより驚いたのは、当時タイではデパートの食品売り場で輸入品として売られているくらいだったスライスチーズをこんな宿の従業員が何食わぬ顔で食べていることだった。
当時はまだラオスは鎖国に近い国で、タイよりもソ連の方が近いと感じさせる国情だった。

タートダム
[奥に見えるのがタートダム、左手の囲いがかつて泊まった宿の跡]

その宿はすでに取り壊されて更地になっていた。
また、交差点の反対側にあったラオス料理のレストランは当時と変わっていないようだった。
ここでもショックを受けたのは、レストランの入り口に物乞いの少女が二人しゃがみ込んでいたこと。
貧しいながら、貧富の差がなく、平等な社会と宣伝されていた共産圏で物乞いの少女がすがるように手を伸ばしてくる。
物乞いだけでなく、身体も売りそうな感じであった。

ラオス料理レストラン
[この店は今も変わらずラオス料理の高級店らしい]

バスターミナルのあるのはタラートサーオと言うところで、ビエンチャンの中心。
もともとは朝市の開かれていた場所で、むかしは建物などなく、露天でゴザに野菜や魚、雑貨などを並べて売っていたのを見た記憶がある。
今は大きなショッピング・コンプレックスのような建物になって大通りに面して立っている。
大通りの先の方には凱旋門、反対側には大統領官邸が見えるラオス切っての道幅の広いメインストリートなのだろうけど、このショッピング・コンプレックスは田舎臭いデパートの様だった。
むかしの市場がそのまま大きな建物に入ったような印象。


凱旋門
[差し詰めビエンチャンのシャンゼリゼ通りか]

バスターミナルはこの建物の裏側にあった。
バスターミナルと呼ぶにもおこがましいような建設途中で放棄されたビルのような建築物の下がバスの発着所になっている。
むかしはコンクリートの構造物などなくて、露天であって、そこを発着するバスと言うのが、日本やタイで目にするバスのイメージを大きく裏切るもので、古いダンプカーであった。
ダンプカー改造してバスに仕立てたのではなく、ダンプカーそのままをバスとして使っているというものであった。
砂利を載せる荷台に乗客はよじ登って乗り込んでいた。
屋根があるわけではなく、当時の悪路で揺られるのは相当大変なことだったろうと想像される。
しかし、冒険心をそそられてルアンプラバーンまでダンプカーに乗ってみたかったけれど、当時は外国人が地元の人に交じって乗せてもらえるものではなく、私は双発の飛行機でルアンプラバーンまで飛んでしまった。
ビエンチャンの空港も空港と言うより、飛行機待合所と言った感じだった。
格納庫の前には何十年前のものかと思われる複葉機さえ並んでいた。

バスターミナル
[現在は市内バスとタイ行きの国際バスだけが発着しているようだ]

バスターミナル横の屋台で、バゲットパンを買う。
5本入って25バーツとのこと。
しかし、このパンを後でタイに戻ったから食べてみたけど、昼に食べたのと比べて全然美味しくなかった。

ビエンチャンから国境の橋までのバス代として、さっきビールを買ったときの釣銭とてもらった12,000キップで支払う。
今回のラオスで使った最初で最後の現地通貨。


ラオス側からタイ側へ戻るバス、こんどは週末の追加料金がかかっておらずバス代は30バーツだけだった。

メコン川
[夕闇迫るメコンを渡ってタイへ戻る]

18:30 夕暮れですっかり暗くなったタイ側へ到着。
数時間のラオス旅行だったけど、なかなか濃い時間だった。


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ピサヌロークでの新生活
1月20日にピサヌロークのバーンミースコーで部屋を借りたので、そろそろ一ヶ月がたつことになる。
部屋を借りる際に冷蔵庫をもう少し大きなものにしてもらうことと、洋服だんすかラックを用意してもらうように依頼したのだけれど、2月18日現在までいまだに用意してもらえていない。
「冷蔵庫は新しいのを買うからね」とは何度もいわれているのだけれど、まだ使える冷蔵庫がなくて不便をしている。

冷蔵庫も洋服だんすもやってないなままだけれど、ネコたちは我が物顔で部屋へやってくる。
ネコがやってきてくれるのは大歓迎。
私のネコが生きていた3年前もウォッカというオスネコがグァウォン、グァウォンと甘い声を出しながら、私のネコのところへ通ってきては、ネコパンチを浴びせられていた。
そのオスネコのウォッカもまだ健在で、部屋へやってくる。

ウォッカ
[古株ネコのウォッカ]

このアパートには何匹ものネコが住み着いている。
部屋にやってくるネコもいれば、来ないネコもいる。
やってくるネコのうち、一番部屋に来る頻度の高いネコはブラウニー。
小柄なメスで私のネコが死んだ後にアパートへやってきたネコである。
その当時はまだ小さな子ネコだったけれど、三ヶ月もしたらウォッオの子を孕んでいた。

ブラウニー
[ブラウニー]

ブラウニーは、たぷん私に一番なついているネコで、このところ私がアパートへ帰ってくるのを待ち構えていて、部屋の扉を開けると一目散に飛び込んでくる。
他にも部屋にやってくるネコにはウォッカそっくりなネコがいて、たぶんこのそっくりネコはウォッカがブラウニーに産ませた子ネコたちだったと思われるが、いまではブラウニーより大きくなっている。
これらが、私の狭い部屋を占領して遊びまわってくれるのだけれど、よく考えてみると、これらのネコは血縁関係のある親子という事になる。
しかし、部屋の中での様子を見る限り「家族」らしさはちっとも感じられない。
少なくともブラウニーはもうウォッカとの関係が切れているようで、ウォッカが近づくと威嚇して追い払ったり、ネコパンチを食らわしたりしている。

猫たち
[一家団欒ということになるのかも]

ネコたちは朝まで部屋で過ごしていくことも多い。
私と一緒にベッドで寝ている事もあるし、部屋の隅やベッドの下にいたりする。
しかし、私が寝ている間、ずっと静かに寝ててくれているわけでもないらしく、朝になって目を覚ますと部屋の中にトイレットペーパーが散乱している事がある。
ウチのネコも時々やってくれていたのだけれど、トイレットロールと格闘するのがネコにとって楽しくてしょうがないらしい。

トイレットペーパー
[床に散乱するトイレットペーパー]

不便で狭い部屋だけれども、こうしてネコとの共同生活ができるのはこのアパートの最大のアドバンテージになっている。

タイではコロナも終わって、ふたたび街が活気を取り戻してくれてよいはずなのだけれど、どうも私の目に見えている範囲、行動範囲では、あんまり良くなっているように見えない。
すでに2年も前に私が贔屓にしていた「空飛ぶ空芯菜食堂」は閉店してしまい、ナーン川沿いの食堂街も寂しくなっていたのだけれど、それでもまだ何店舗かは営業を続けていた。
それが2月になったらすっかり取り壊されてしまっている。

ナイトバザール無残
[無残な姿になったナイトバザール食堂街]

オフィスのスタッフに事情を聞いたら、ナイトバザールを取り壊して、ナイトマーケットにするのだそうだ。
ナイトバザールとナイトマーケットがどう違うのか良く分からないが、更地にして週末の夜に屋台を誘致するのだそうだ。
この手のウイークエンドだけの夜店街が流行しているとのことらしいけど、本当だろうか。
なんか安直に過ぎる気がする。

そんな無残な姿をさらしていたナイトバザール食堂街に、ルンチュアイという店がゲリラ的に復活した。
もともと、ここで店を張っていたのだけれど、取り壊されてしまっていた。
そこへテントを張っての営業再開。
当局の許可があるのか不明だけれど、なんとなく応援したくなったので、夕食を食べに行ってみる。

ルンチュアイ
[ルンチュアイ]

営業再開した場所は、もともと空飛ぶ空芯菜の店があった場所。
川沿いにテーブルを並べてほしいところだけれど、テーブルは川沿いではなく通り沿い。
しかし、ここで空芯菜が空を飛んでいたかと思うとなんとも感慨深い。
いつまで営業できるのか分からないけれど、ときどき食べに来たいと思う。

***

1月25日から30日にかけてピサヌローク支店の常連さん二人とウドンタニからチェンセーンをへてピサヌロークまでぐるりと回ってきた。
スタートはバンコクからで1月25日はバンコクのアパートへ一泊だけ戻ていた。
翌朝はバンコクのオフィスへ出社するの際、通期なにクロンタン駅からアソーク(マッカサン)まで汽車に乗った。

通勤
[東部線の列車]

以前、首の手術をした頃、しばらくバイクに乗ることを禁じられていたので、朝はこの列車にひと区間だけ乗って通勤していたことがある。
オンボロ客車を寄せ集めでつなげて走っているが、車内は満員。
乗降デッキにも人があふれている。
もっとも、あふれているのは殆どが男子高校生で、わざとデッキにぶら下がっての乗車を楽しんでいるようにも思える。

この常連さんたちからの土産として「助六寿司」の折をいただく。
横浜の稲荷寿司で有名な店のものだそうだ。

助六
[泉平の助六]

26日のランチにいただいたけれど、なるほど名店と言われるだけあって、私が作る稲荷寿司とはまた9味が違う。
お揚げの中にギッチリと酢飯が詰まっている。
こんなに詰めたら揚げがはち切れるのではないかと思われるほど。
しかも、詰め具合が絶妙。
均一になっていて、スカスカもない。
味付けは甘辛の濃いめで、酢飯の中には加薬は何も入っていない。
私が作るのは五目稲荷が多い。

そして夜はバンコクからウドンタニまで寝台特急に乗る。
本当は一等寝台にしたかったのだけれど、予約しようとしたときにはすでに満員で、2等寝台しか予約できなかった。
私の印象では、一等は値段も高く、最後まで売れ残っていたと思っていたのに、どうも様子が違うらしい。
一等車から売れて行くようになっている。
こんなに一等が売れるのならもっと一等車の車両を増やすべきだと思うのだけれど、長い編成に一等車は一両きりしかない。

翌朝6時前にウドンタニに着き、お二人曰く「2等でもまったく快適だった」とのこと。
そのまま差回しの車に乗り込み、タレーブアデーンで朝日を眺めたりした。
タレーブアデーンでの朝日だけれど、どういうわけか人気がある。
確かに日の出は綺麗なんだけれど、タレーブアデーンのピンク色の睡蓮の花の色がほとんど見えない。
それに睡蓮そのものもほとんど花を開いていない。
だから、タレーブアデーンだから朝日が特に綺麗にみられるという感じが私はしない。

タレーブアデーン朝日
[タレーブアデーンでの日の出]

むしろ、太陽が昇って、十分に明るくなり、睡蓮も花を開いてからの方がずっときれいだと思う。
タレーブアデーンの朝日が神秘的とか言われているけど、それは普段は寝坊されてて、めったに日の出を見たことのない人のセリフなんじゃないかと思えてくる。

タレーブアデーン睡蓮
[青空の下のピンク色の方が絶対きれいだと思う]

シーチェンマイからチェンカーンへ向かう途中で昼食に立ち寄った食堂がちょっと変わっていた。
名前がHISO。
これでハイソーと読む。
ハイソサエティー、上流階級ということになるのだけれど、タイ人はこのハイソーと言う言葉が大好きなようで、様々なところで耳にする。
実際のところ、成金趣味と言った感じのものが多いのだけれど、タイの人はそれらをとても好んでいるように感じられる。

ハイソー
[ハイソー・レストラン]

この店、表通りから見ると、何の変哲もない田舎の食堂。
店内に入ると、ちょっとこじゃれた感じ。
料理は西洋風の肉料理が中心で、値段は田舎食堂としては高めの設定。
ここまでなら、田舎でもありえそんなのだけれど、我々がテーブルに着いたらマスターがあいさつに来て、「もしよければ個室がありますので」みたいんことを言う。

正直なところエアコンのない、道端の食堂で、戸を開け放った環境より個室の方が良いので、そちらへ入ってみたら、なるほどハイソーとはこのことかと納得してしまった。

別室
[これはオーナーの趣味なのだろうか、ちょっとドン引きしそうになった]

マスターに夜は営業していないのかと聞いたら、昼間しか営業していないという。
理由は夜になって、暗くなると、何の変哲もない田舎食堂の外観なので、お客さんが店を見つけられないのだそうだ。

チェンカーンではリバー・アンド・マウンテン・リゾートに2連泊。
ここの朝食は私にとって特に美味しいと感じられるので、とっても気に入っている。
豪華な輸入食材とかは全くなく、地元の食材だけだけれど、味付けも内容もとても良い。
オレンジジュースなんか、あまりの美味しいので、何杯もお代わりをしてしまった。

ただ、チェンカーンで3年だったのはプートーク山から、日の出は見れたけど、雲海が見られなかったこと。
何度もここに来ているけれど、雲海が見られなかったのは、これが初めて。

そして残念だったのはもう一つ、プーロムローのサクラ。
ほとんどの木で花が散り、葉桜になってしまっていた。
山へ案内してくれたトラックの運転手は、見ごろは1週間くらい前までだったねと言う。

サクラ
[かろうじて花を付けていたサクラの木]

*****

ラビットスクーターの整備で、手に負えなくなっているものに燃料コックの中に入っているコルクの部品がある。
ピサヌロークのバイク屋に作ってくれるように依頼したが、初めは「簡単簡単、3日でできる」と言っていたのだけれど、結局1週間たっても作ることはできなかった。
そこで、日本でラビットのレストアを趣味にされているラビットハウスさんへ連絡してみる。
ラビットハウスさんでは、レストアだけではなく、部品の再生販売もしていて、コルクの部品もあるという。
タイよりも費用はかかるけれど、これが確実。
そのラビットハウスさんよりバイクのピストンをタイで探してほしいとの依頼が入る。
スズキのTS125というバイクのピストンがラビットに流用できるらしい。

10年以上前にもラビットハウスさんから依頼を受けて探したことがある。
あの時はバンコクのバイク部品問屋街で簡単に入手できた。
しかし、あれからもう時間もだいぶたっている。
ピサヌロークのバイク部品屋でも一つ見つけ出す。
手に入ったピストンはHONSAIというメーカーのモノらしいが、"Made in Japan"と書かれている。
日本にHONSAIなどと言うメーカーがあるのか知らないし、ネットで検索しても出てこない。
タイでよくある疑似日本メーカーみたいな気がする。

ピストン
[Made in Japanと書かれているが極めて疑わしいピストン]

ネットショップでも探したところいくつかヒットしたので、発注をかけてみる。
しかし、ネットショップなどこれまでほとんど利用したことがない。
タイ人の間ではかなり普及しているようなのだけれど、いま一つ現物を見ないで買うというのに抵抗を感じている。
オフィスのスタッフに代理で発注をかけてもらったのだけれど、必要数を一度に納品できるところがなく、いくつかに分散することになった。
その中には、発注後翌々日には商品を届けてくれたところもあった。

通販
[ネットショップから届いたピストン、製造元の記載はなかった]

しかし、発注したショップのうち3店は最後まで商品を送ってこずに、最終的には通販サイトに返金を求めることになった。


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2023年、新しい年の始まり
1月20日(金)、ピサヌロークのワットチャンタワンオーク裏にあるバーンミースコーへ移ってくる。
つまり、ここに生活の拠点を置くことにする。
一年数か月前まで住んでいたところであるが、以前住んでいた部屋は他の人が住んでるということなので、別の部屋へ入った。
以前の部屋も狭かったが、今度の部屋はそれよりも二割くらい狭い。
冷蔵庫は半分くらいの大きさしかなく、机やイス、クローゼットやハンガーもない。
部屋にあるのはベッドぐらい。
それでも、部屋に窓があるのが気に入った。
他の空き部屋はどれも部屋に窓がない。
タイの人は窓などなくても気にならないのだろうか。

部屋
[バーンミースコーの部屋]

バーンミースコーは以前住んでいたのだけれど、快適な生活空間だったとも言い切れなかった。
西日で暑いし、廊下などの共通部分の掃除はされていないし、かといって家賃が安いわけではない。
ときどきビサヌロークへ出張してくるたびに利用してきたリタイゲストハウスも、月決めの家賃は同額か少し安いくらいで、しかも部屋の掃除もしてくれる。
オフィスへも近いし、車の駐車場もある。
でも、バーンミースコーにしたのはネコとの思い出があるから。
そして、ここにはここで飼われているネコたちがいて、ネコが身近だということ。
まだ今日はここに入って三日目だけど、またそのうちにここでの不便さがネコのアドバンテージを上回ってくるときも来るだろう、そうしたらまた別に部屋を探せばいい。

クリスマスパーティー
[ピサヌロークのスタッフとクリスマスパーティーをトップランドホテルで行う]

2023年になったわけだけれど、大みそかの晩は、夜9時過ぎにはベッドに入って寝てしまった。
タイ東北部やちょっとだけラオスへ行ったりして、12月31日の朝にバンコクへ戻ってきたので、疲れと寝不足があった。
日付が変わる深夜零時に外から打ち上げ花火が上がる音が響いてきたけれど、うるさいなぁぁと思うだけで、見ようともせずまた眠ってしまった。

凱旋門
[ビエンチャンの凱旋門]

年明けはその代わり早起きをして、ジョギングなどいつも通りの朝を迎えた。
朝食には2週間前に一時帰国したときに買ってきた餅を使って雑煮を作ろうとしたが、買ってきた餅がことごとく緑色にカビが生えていた。
日本ならこの時期は寒い冬だし、カビもそんなに生えないのだろうけど、やっぱりタイは暑いので、カビも良く繁殖するようだ。
切り餅の表面をカビもろとも削り取ったら、餅の大きさが半分くらいに小さくなってしまった。
なので小さくなった餅を4つ入れて雑煮を作って食べる。
お屠蘇にも、飲み残しの日本酒を飲む。
正月の三が日は仕事もないので、アパートの部屋の中でダラダラと過ごす。
そして、早く餅を食べきってしまわなくてはならないと、餅を食べ続ける。

クジラ岩の夜明け
[年末ぎりぎりまでツアーがあり、クジラ岩での日の出も見た]

1月3日に車を運転してピサヌロークに入る。
ピサヌロークへ向かう道は問題なかったが、上り車線は大渋滞になっている。
これまでコロナで移動制限があったりして、正月でも規制できなかった人が一気に動き出して、そして帰ってきているのだろう。

ピサヌロークの町に入る手前の整備屋でオイル交換をする。
1万キロごとの交換ということになっているが、もうだいぶオーバーしてしまっている。
オイル交換をしていた整備士がタイヤにトラブルがあるという。
一緒に確認してみると、タイヤの側面にタンコブのようなモノができている。
整備士によると、何かに乗り上げたり、ぶつけたショックでタイヤの中のワイヤのようなモノが切れてしまったのだろうという。
このまま放置すると破裂することもあるという。
タイヤを交換すべきと言うんだけれど、このタイヤは2年前に交換したばかり。
まだそれほど走っていないし、溝もすり減っていない。
タイヤは一本が3千バーツほどらしいけれど、一本だけの交換は、バランスが良くないから4本全部交換すべきと言う。
走行中にタイヤが破裂したら事故の元だけれど、整備士が言うには、前輪の破裂は危険だけれど、後輪なら破裂しても大きな事故にはならないはずと言うので、タイヤのローテーションだけをしてもらう。
時限爆弾を抱えたような感じだけれど、スピードさえ出さなければ、何とかなりそうな気もする。

塗装
[ラビットスクーターの一部の板金塗装をしてもらったが、塗装仕上がりの満足度は低い]

1月10日の夜からはまた日本へ向かう。
いつも通りの台北経由の中華航空。
台北で仮眠して、翌朝はラウンジからネット経由で会議に参加。
このラウンジのネットは時々切れるので、熱弁ふるってても一人芝居になっていたりしていた。
それと会議ということなのでラウンジにいるにも関わらずビールも飲めなかった。

成田へ向かうフライトでは伊豆半島の沖上空から小さく富士山が眺められた。
12月の時は飛行機が満席だったけれど、今日は空席が目立つ。
そして、成田に着いたらもう日が暮れていて、1日がとっても短かったような気がする。
さて、成田の空港では、先月トラブルがあって飛行機に載せられなかったラビットの燃料タンクは無事に空港側から返却してもらえた。
あの時の航空会社係員には感謝でいっぱい。

富士山
[遠くに頂上を見せている富士山]

今回の一時帰国の目的も銀行での手続き。
朝から自転車をこいでひばりが丘の銀行支店へ行く。
銀行の人たちも親身になって対応してくれるのはうれしいのだけれど、銀行のルールと言うのはなかなか厳しくて、いつでも連絡の付く電話番号を登録しなくてはならないらしい。
しかも、登録できるのは日本の携帯電話番号だけ。
タイの携帯ではだめなわけで、仕方なくひばりが丘駅周辺の家電量販店や携帯電話を販売店を軒並み訪ねてみたけれど、タイのようなプリペイドの簡単なSIMはないと言う。
しからば、仕方ないので携帯電話の契約をして、SIMを買おうとしたのだけれど、こちらも販売員が熱心に手続きを進めてくれたのだけれど、最後の身元確認書類で味噌が付いた。
マイナンバー、運転免許、健康保険などの書類でなくては身元確認できないという。
パスポートの場合は、ほかに住民票を添付しなくてはならないらしい。
まったくルールがやかましすぎる。
最終的に、手続きはまた来月に持ち越し。
来月24日にアポイントを取り付ける。
これで結局半日潰れてしまう。

午後からはラビットの補修作業。
先月はスパークプラグがかぶるだけで、プラグを磨けばエンジンは一瞬回り、またすぐ止まりの状態だったけれど、こんどはまるでエンジンがかからない。
スパークがかぶるということは、キャブレターの目詰まりか何かのはずで、キャブレターをガソリン洗浄してやる必要がある。
ガソリンはもともとラビットスクーターのタンクに入っていた古ガソリン。
ガソリンは茶色く変色しているのは、もともとオイルの混ざった混合ガソリンということもあるけれど、錆が大量に混じりこんでいるため。
こんなガソリンだからキャブレターも目詰まりを起こすのだろう。
しかし、この汚い古ガソリンではどうも洗浄したことにならなかったようだ。
キャブレターを組みなおしてエンジンに取り付けてみたけれど、やっぱりエンジンはかからない。
キレイなガソリンを買いに行かなくては。

ラビット修理
[気長に修理するしかない]

手にガソリンタンクをぶら下げて、ガソリンスタンドまで歩いてガソリンを買おうとしたけれど、ガソリンは売ってもらえなかった。
車やバイクに給油することはできるけれど、それ以外のタンクとかへの給油は消防法で規制されているのだそうだ。
ここでも日本のルールの厳しさに立ち往生。
ならば、ラビットにタンクを取り付けて、押して来れば、不動車には給油してはならないという規制はないらしく、ガソリンを売ってもらえるようだ。
しかし、もう時刻は3時を回っている。
もう少ししたら暗くなり始めてしまい、作業はできなくなってしまう。
もはやこれまで。
本当は日が暮れたら銭湯へ行きたいと思っていたのだけれど5時からまたネットで会議に召集される。

日本での3日目、朝からラビットの補修を再開。
12月と比較して、車体の錆がより深刻になってきている。
シート下のボディー鉄部は、錆が深くなりすぎて穴がたくさん空いてしまっている。
このまま放置はできないけれど、板金屋にでも持ち込まないと、とても素人には手に負えなさそう。
ネットのオークションなどを見ると分解されてバラバラの部品となったラビット残骸が売られていて、その中には私のラビットよりずっと程度の良いボディーが1万円くらいで出ている。
それを買えば簡単だけれど、でももともとのラビットをなるべくそのままで復活させてやりたい。
タイなら仕上がりに問題はあるにしろ板金など簡単にやってもらえるけど、今の日本ではコツコツと板金修理してくれるところは少なさそうだし、値段も張りそう。
昼から1時間ほどまたネットでの会議参加のために作業を中断する。
燃料タンクを取り付けたラビットを押してガソリンを200円分だけ買ってくる。
100円ショップへも行って小さなスポイトも買ってくる。
スポイトでキャブレターの中の小さな穴へガソリンを吹き付けて洗浄する。
丁寧に何度もガソリンをピュッピュと吹きかけて、ゴミもだいたい出てこなくなったところで組みあげ。
最初はなかなかエンジンがかからなかったけれど、しばらくしたら快調にエンジンが回るようになった。
でも、連続して回るのも1分が限度。
ガソリンタンクに取り付けるフューエルコックがダメになっているので、タンクからのガソリンを引いてくることができず、キャブレターにはスポイトでガソリンを送り込むという苦肉の策。
そのため少量のガソリンしか補給されないのですぐにエンジンが止まってしまう。
しかし、これでエンジンだけは復調できそうなことが判明して嬉しい。
フューエルコックは、中のコルク部分が萎縮しており、コルクの交換が必要。
ネットで調べてみるとラビット愛好家諸氏はワインのコルクを削ったりして、自作しているらしい。
しかし、自作するにはいろいろと工具が必要なようだし、腰を据えた作業となりそうなので、ワインなら何本でも空にしてコルクを用意することができそうだけれど、自作する自信がない。

錆穴
[ここまでくると錆穴どころではない]

と、こんなことをしている間に日没となる。
スーパーでおでんセットを買って夕食とする。
セットの具材だけでは寂しいので大根と厚揚げも買って鍋に入れる。
飲み物はウイスキーのお湯割り。
日本の大根は大きいので食べきれず、半分はタイへ持ち帰ることにする。

最終日、気温はそれほど低くないのだけれど天気は良くなく、今にも雨が降りそうな空模様。
毎日欠かさ自転車でず墓参りに行ってくる。
いつ雨が降りだしてきてもおかしくない天気なので、ラビットの補修は中断してまた次回と言うことにする。

昼に高田馬場で待ち合わせて息子に会う。
雨が降っている。
大学時代によく食べたという鳥そばを食べようという。
駅から歩いて20分ほどのところにある小さいけど小ギレイな店。
店の前には傘をさして順番を待っている人が列を作っている。
もともとラーメン屋でラーメンを食べると言った経験は久しくない。
ラーメンが好きではないというわけではなく、インスタントラーメンを食べれば満足してしまうタイプなので、何百円もするラーメン屋のラーメンなどもったいなくて注文する勇気がないだけ。
しかも、この鳥そば、一番安いものでも千円を超えている。
自分ひとりだったら絶対敬遠してしまうはずだ。
味の方は、スープに鶏の脂を強く感じた。

成田から台北へはプレエコノミーと言うシートへ案内された。
普通のシートより少し広いし、座り心地も悪くない。
しかし、隣の席とを仕切るひじ掛けが上げられないのは、ちょっと残念。
隣も空席なのでゴロリと横になりたいところだった。

機内
[座っている分には快適]

帰りも台北の空港で夜明かし。
ラウンジは朝5時半からの営業で、6時過ぎにはバンコク行き便の搭乗開始だから、ラウンジで朝粥くらいしか食べられないなと思いながら仮眠を取っていた。
深夜でも便の発着があり、アナウンスが流れてくるけれど、気にせず寝ていた。
少しずつ周囲が騒がしくなり、腕時計を見たらば5時半を少し回っている。
そろそろラウンジへ行くかと、起きだして、ラウンジに入りそのままトイレへ入ってしゃがみこんだ。
そはたらアナウンスで私の名前を呼んでいる。
どうも去年から飛行機に乗るたびに呼び出しを喰らっている。
さて今回は何だろうと思って受付カウンターへ行ったら、もうバンコク行き便のファイナルコールだから急いでゲートへ行くようなと言われた。
なんだ、まだ搭乗開始時刻まで30分くらいあるはずなのに変だなぁと思いながらも、ゲートへ向かって歩いていたら大変な失態に気が付いた。
腕時計はタイ時間のまま。
タイと台湾には1時間の時差があるので、当然もう搭乗完了していなければならない時刻。
これは寝ぼけているからなのだろうか?
最近は物忘れがひどくなり、自分でもなにボケてんだろうと思うことが多くなったが、ここまでひどくなっているとはショックである。

バンコクへ到着して、日曜日ではあるけれどオフィスへ行って仕事をする。
翌日からチェンライ支店に東京の本社から監査が入るので、その準備と対策をしなくてはならない。

で、明けて月曜日。
朝5時前にタクシーに乗って空港へ急ぐ。
チェンライ行きの飛行機は6時半発。
空港はこんな早朝と言うのにすごく混雑している。
タイ人と同じくらいたくさんの西洋人観光客がいる。
手荷物検査も長い列ができていて、またもやファイナルコールで急き立てられる。

チェンライには2泊3日の滞在で、監査では大きな問題も指摘されずに済み、次の目的地のピサヌロークへバスで向かう。
いままでチェンライからピサヌロークへはキンダムツアーと言う会社のバスを利用していた。
このバスはチェンライの出発が午前8時。
しかし、今回はそれより一本遅いウィンツアーというバス会社のバスを利用してみた。
キンダムツアーより運賃が100バーツ以上も安い。
更にうれしいことに、キンダムツアーでは立ち寄らないピサヌローク市内のバスターミナルが終点となっている。
いままでキンダムツアーを利用してきて、郊外のバスターミナルで降ろされ、そこで長い時間ソンテオを待つか、タクシーを奮発しなくてはならなかったけれど、ウィンツアーだと市内のバスターミナルへ行ってくれるので、費用的にも、さらにうれしい。
チェンライからピサヌロークまで所要時間は7時間半ほどであった。

そして、ピサヌローク3日目にしてバーンミースコーへ落ち着くことになった。
ここで、良かったと思えるのは、やっぱりネコたちがいるということ。
夜になると部屋に遊びに来てくれる。

1月23日は誕生日。
ピサヌロークのスタッフからメモ帳などのプレゼントをもらうがパーティー費用は私が負担のタイルール。
安上がりに抑えるためにまたまたトップランドホテルのブッフェ・ディナー。
4人で860バーツ也。
食べ物も値段相応だけど、満腹にはなった。
そして59歳になった。

ワットチャンタワントク
[ネコを焼いてくれたこのお寺が近くにあるのも部屋を選ぶポイントだった]

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| 日常 | 01:30 PM | comments (0) | trackback (0) |
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