1月20日にピサヌロークのバーンミースコーで部屋を借りたので、そろそろ一ヶ月がたつことになる。
部屋を借りる際に冷蔵庫をもう少し大きなものにしてもらうことと、洋服だんすかラックを用意してもらうように依頼したのだけれど、2月18日現在までいまだに用意してもらえていない。
「冷蔵庫は新しいのを買うからね」とは何度もいわれているのだけれど、まだ使える冷蔵庫がなくて不便をしている。
冷蔵庫も洋服だんすもやってないなままだけれど、ネコたちは我が物顔で部屋へやってくる。
ネコがやってきてくれるのは大歓迎。
私のネコが生きていた3年前もウォッカというオスネコがグァウォン、グァウォンと甘い声を出しながら、私のネコのところへ通ってきては、ネコパンチを浴びせられていた。
そのオスネコのウォッカもまだ健在で、部屋へやってくる。
[古株ネコのウォッカ]
このアパートには何匹ものネコが住み着いている。
部屋にやってくるネコもいれば、来ないネコもいる。
やってくるネコのうち、一番部屋に来る頻度の高いネコはブラウニー。
小柄なメスで私のネコが死んだ後にアパートへやってきたネコである。
その当時はまだ小さな子ネコだったけれど、三ヶ月もしたらウォッオの子を孕んでいた。
[ブラウニー]
ブラウニーは、たぷん私に一番なついているネコで、このところ私がアパートへ帰ってくるのを待ち構えていて、部屋の扉を開けると一目散に飛び込んでくる。
他にも部屋にやってくるネコにはウォッカそっくりなネコがいて、たぶんこのそっくりネコはウォッカがブラウニーに産ませた子ネコたちだったと思われるが、いまではブラウニーより大きくなっている。
これらが、私の狭い部屋を占領して遊びまわってくれるのだけれど、よく考えてみると、これらのネコは血縁関係のある親子という事になる。
しかし、部屋の中での様子を見る限り「家族」らしさはちっとも感じられない。
少なくともブラウニーはもうウォッカとの関係が切れているようで、ウォッカが近づくと威嚇して追い払ったり、ネコパンチを食らわしたりしている。
[一家団欒ということになるのかも]
ネコたちは朝まで部屋で過ごしていくことも多い。
私と一緒にベッドで寝ている事もあるし、部屋の隅やベッドの下にいたりする。
しかし、私が寝ている間、ずっと静かに寝ててくれているわけでもないらしく、朝になって目を覚ますと部屋の中にトイレットペーパーが散乱している事がある。
ウチのネコも時々やってくれていたのだけれど、トイレットロールと格闘するのがネコにとって楽しくてしょうがないらしい。
[床に散乱するトイレットペーパー]
不便で狭い部屋だけれども、こうしてネコとの共同生活ができるのはこのアパートの最大のアドバンテージになっている。
タイではコロナも終わって、ふたたび街が活気を取り戻してくれてよいはずなのだけれど、どうも私の目に見えている範囲、行動範囲では、あんまり良くなっているように見えない。
すでに2年も前に私が贔屓にしていた「空飛ぶ空芯菜食堂」は閉店してしまい、ナーン川沿いの食堂街も寂しくなっていたのだけれど、それでもまだ何店舗かは営業を続けていた。
それが2月になったらすっかり取り壊されてしまっている。
[無残な姿になったナイトバザール食堂街]
オフィスのスタッフに事情を聞いたら、ナイトバザールを取り壊して、ナイトマーケットにするのだそうだ。
ナイトバザールとナイトマーケットがどう違うのか良く分からないが、更地にして週末の夜に屋台を誘致するのだそうだ。
この手のウイークエンドだけの夜店街が流行しているとのことらしいけど、本当だろうか。
なんか安直に過ぎる気がする。
そんな無残な姿をさらしていたナイトバザール食堂街に、ルンチュアイという店がゲリラ的に復活した。
もともと、ここで店を張っていたのだけれど、取り壊されてしまっていた。
そこへテントを張っての営業再開。
当局の許可があるのか不明だけれど、なんとなく応援したくなったので、夕食を食べに行ってみる。
[ルンチュアイ]
営業再開した場所は、もともと空飛ぶ空芯菜の店があった場所。
川沿いにテーブルを並べてほしいところだけれど、テーブルは川沿いではなく通り沿い。
しかし、ここで空芯菜が空を飛んでいたかと思うとなんとも感慨深い。
いつまで営業できるのか分からないけれど、ときどき食べに来たいと思う。
***
1月25日から30日にかけてピサヌローク支店の常連さん二人とウドンタニからチェンセーンをへてピサヌロークまでぐるりと回ってきた。
スタートはバンコクからで1月25日はバンコクのアパートへ一泊だけ戻ていた。
翌朝はバンコクのオフィスへ出社するの際、通期なにクロンタン駅からアソーク(マッカサン)まで汽車に乗った。
[東部線の列車]
以前、首の手術をした頃、しばらくバイクに乗ることを禁じられていたので、朝はこの列車にひと区間だけ乗って通勤していたことがある。
オンボロ客車を寄せ集めでつなげて走っているが、車内は満員。
乗降デッキにも人があふれている。
もっとも、あふれているのは殆どが男子高校生で、わざとデッキにぶら下がっての乗車を楽しんでいるようにも思える。
この常連さんたちからの土産として「助六寿司」の折をいただく。
横浜の稲荷寿司で有名な店のものだそうだ。
[泉平の助六]
26日のランチにいただいたけれど、なるほど名店と言われるだけあって、私が作る稲荷寿司とはまた9味が違う。
お揚げの中にギッチリと酢飯が詰まっている。
こんなに詰めたら揚げがはち切れるのではないかと思われるほど。
しかも、詰め具合が絶妙。
均一になっていて、スカスカもない。
味付けは甘辛の濃いめで、酢飯の中には加薬は何も入っていない。
私が作るのは五目稲荷が多い。
そして夜はバンコクからウドンタニまで寝台特急に乗る。
本当は一等寝台にしたかったのだけれど、予約しようとしたときにはすでに満員で、2等寝台しか予約できなかった。
私の印象では、一等は値段も高く、最後まで売れ残っていたと思っていたのに、どうも様子が違うらしい。
一等車から売れて行くようになっている。
こんなに一等が売れるのならもっと一等車の車両を増やすべきだと思うのだけれど、長い編成に一等車は一両きりしかない。
翌朝6時前にウドンタニに着き、お二人曰く「2等でもまったく快適だった」とのこと。
そのまま差回しの車に乗り込み、タレーブアデーンで朝日を眺めたりした。
タレーブアデーンでの朝日だけれど、どういうわけか人気がある。
確かに日の出は綺麗なんだけれど、タレーブアデーンのピンク色の睡蓮の花の色がほとんど見えない。
それに睡蓮そのものもほとんど花を開いていない。
だから、タレーブアデーンだから朝日が特に綺麗にみられるという感じが私はしない。
[タレーブアデーンでの日の出]
むしろ、太陽が昇って、十分に明るくなり、睡蓮も花を開いてからの方がずっときれいだと思う。
タレーブアデーンの朝日が神秘的とか言われているけど、それは普段は寝坊されてて、めったに日の出を見たことのない人のセリフなんじゃないかと思えてくる。
[青空の下のピンク色の方が絶対きれいだと思う]
シーチェンマイからチェンカーンへ向かう途中で昼食に立ち寄った食堂がちょっと変わっていた。
名前がHISO。
これでハイソーと読む。
ハイソサエティー、上流階級ということになるのだけれど、タイ人はこのハイソーと言う言葉が大好きなようで、様々なところで耳にする。
実際のところ、成金趣味と言った感じのものが多いのだけれど、タイの人はそれらをとても好んでいるように感じられる。
[ハイソー・レストラン]
この店、表通りから見ると、何の変哲もない田舎の食堂。
店内に入ると、ちょっとこじゃれた感じ。
料理は西洋風の肉料理が中心で、値段は田舎食堂としては高めの設定。
ここまでなら、田舎でもありえそんなのだけれど、我々がテーブルに着いたらマスターがあいさつに来て、「もしよければ個室がありますので」みたいんことを言う。
正直なところエアコンのない、道端の食堂で、戸を開け放った環境より個室の方が良いので、そちらへ入ってみたら、なるほどハイソーとはこのことかと納得してしまった。
[これはオーナーの趣味なのだろうか、ちょっとドン引きしそうになった]
マスターに夜は営業していないのかと聞いたら、昼間しか営業していないという。
理由は夜になって、暗くなると、何の変哲もない田舎食堂の外観なので、お客さんが店を見つけられないのだそうだ。
チェンカーンではリバー・アンド・マウンテン・リゾートに2連泊。
ここの朝食は私にとって特に美味しいと感じられるので、とっても気に入っている。
豪華な輸入食材とかは全くなく、地元の食材だけだけれど、味付けも内容もとても良い。
オレンジジュースなんか、あまりの美味しいので、何杯もお代わりをしてしまった。
ただ、チェンカーンで3年だったのはプートーク山から、日の出は見れたけど、雲海が見られなかったこと。
何度もここに来ているけれど、雲海が見られなかったのは、これが初めて。
そして残念だったのはもう一つ、プーロムローのサクラ。
ほとんどの木で花が散り、葉桜になってしまっていた。
山へ案内してくれたトラックの運転手は、見ごろは1週間くらい前までだったねと言う。
[かろうじて花を付けていたサクラの木]
*****
ラビットスクーターの整備で、手に負えなくなっているものに燃料コックの中に入っているコルクの部品がある。
ピサヌロークのバイク屋に作ってくれるように依頼したが、初めは「簡単簡単、3日でできる」と言っていたのだけれど、結局1週間たっても作ることはできなかった。
そこで、日本でラビットのレストアを趣味にされているラビットハウスさんへ連絡してみる。
ラビットハウスさんでは、レストアだけではなく、部品の再生販売もしていて、コルクの部品もあるという。
タイよりも費用はかかるけれど、これが確実。
そのラビットハウスさんよりバイクのピストンをタイで探してほしいとの依頼が入る。
スズキのTS125というバイクのピストンがラビットに流用できるらしい。
10年以上前にもラビットハウスさんから依頼を受けて探したことがある。
あの時はバンコクのバイク部品問屋街で簡単に入手できた。
しかし、あれからもう時間もだいぶたっている。
ピサヌロークのバイク部品屋でも一つ見つけ出す。
手に入ったピストンはHONSAIというメーカーのモノらしいが、"Made in Japan"と書かれている。
日本にHONSAIなどと言うメーカーがあるのか知らないし、ネットで検索しても出てこない。
タイでよくある疑似日本メーカーみたいな気がする。
[Made in Japanと書かれているが極めて疑わしいピストン]
ネットショップでも探したところいくつかヒットしたので、発注をかけてみる。
しかし、ネットショップなどこれまでほとんど利用したことがない。
タイ人の間ではかなり普及しているようなのだけれど、いま一つ現物を見ないで買うというのに抵抗を感じている。
オフィスのスタッフに代理で発注をかけてもらったのだけれど、必要数を一度に納品できるところがなく、いくつかに分散することになった。
その中には、発注後翌々日には商品を届けてくれたところもあった。
[ネットショップから届いたピストン、製造元の記載はなかった]
しかし、発注したショップのうち3店は最後まで商品を送ってこずに、最終的には通販サイトに返金を求めることになった。