■かれんだー■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
<<前月 2024年11月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

結婚25周年旅行 ①
結婚25周年と言うことになった。
4月6日より17日まで妻をバンコクへ呼び寄せ、サムイ島などへも行ったりした。
もう別居生活も7年になるわけで、25周年と言っても相当の虫食いである。

この12日間の主なスケジュールは大体次のような感じだった。

4月6日木曜日
妻は全日空機で夜到着。
空港で出迎えた妻は髪を短く切っていた。
そのままナサベガスホテルへ宿泊。
我がアパートには、ネコがいる。
ネコと妻とは相性が悪いというか、三角関係のようになってしまうので、バンコク滞在中もホテルに泊まり込むことになる。
ナサベガスホテルは、ラムカムヘン駅前で、値段も格安だからか、インドネシア系や中国系の宿泊者が多い感じ。
たぶん、1か月前なら日本からの安いツアー客でいっぱいだったと思うが、オフシーズンなので日本人客はまばら。
安ホテルで、お湯の出は今一つながらバスタブが付いていた。

4月7日金曜日
ホテルの食堂で妻と一緒に朝食を食べる。
朝食の内容は、この金額なのでこの内容と言った感じ。
ホテルに妻を残して私は仕事に向かう。
妻は今日はゆっくりするつもりで、気が向いたらタイマッサージにでも受けると言っていた。
しかし、私が仕事に出た後、早速バンコク在住の友人に電話をかけて、会いに出かけたらしい。
陽が暮れてから私のところに電話がかかってきて、「マッカサンの駅だけど電車に乗せてもらえない」と言ってきた。
ラッシュの時間帯にはまって、きっと改札規制でもしているのだろう。
「30分ほど待てば迎えに行くよ」とは言ったのだが、30分後には「もうタクシーに乗ってるから大丈夫」と電話をしてきた。

4月8日土曜日
早起きして、ひとりアパートへ戻って、サムイ島へ行く荷造りをする。
着替えと水着程度だけで、あとはネコに留守番をさせるための準備だけ。
つまり、十分なエサとトイレの準備。
またナサベガスホテルへ戻って、妻を車に乗せて出発。
朝食はクロンタン市場入り口のクオッティオの店。
この店は以前家族のお気に入りの店で、週末の朝食はよくここまで買いに来ていた。
私は一人暮らしを始めてから、めったに食べることが亡くなったが、久しぶりに食べると、やはりこの店のクオッティオは美味しい。
クロンタン市場そのものは、知らないうちに無くなっており、何か大きな建物の建築工事をしていた。
バンコクも市場が中心に生活が回っていた時代もだんだんと遠くなってきているようだ。

朝食を済ませて進路を南に取り、スラタニまでの700キロを走り始める。
天気が良いので、朝から日差しがとても強い。
道路は比較的スムースで渋滞もほとんどない。
しかし、700キロは遠い。
フアヒンをバイパスで通過し、ブランブリの街へ入ったところで、街道沿いの食堂に入って昼食。
エアコンもない、簡易食堂だったが、味は良かった。
バジル炒めライスとヤムウンセンを食べる。
国道を南下していたら、ピックアップトラックがココナツを満載して走っていた。
そのトラックの後ろには、サルが2匹2台にぶら下がっていた。
きっとこのココナツはこのサルたちが椰子の木に登って採ってきたものなのだろう。
国道の両脇にはヤシの木とゴムの木が目立つ。

ココナツとサル
[よく見るとトラックの荷台、左右それぞれにサルが乗ってます]

スラタニの街に入った時にはもうとっぷりと日も暮れていた。
今晩のホテルはワンタイホテルと言うホテル。
予約サイトを見ると、川沿いで、街の中心部にも比較的近い豪華ホテルのようになっていたが、実際は相当な老朽ホテルであった。
しかも、めぐりあわせが良いのか悪いのか、ホテルの横の空き地で大きなお祭りを行っていて、やかましいこと半端じゃない。
予約の際に追加料金を払ってリバービューのデラックスルームにしたのだが、あてがわれた部屋は2階であった。
「これでリバービューなんかいな」と思ったが、夜なので川など見えない。
なんとなく、窓の下はホテルの中庭のように感じ。

4月9日 日曜日
夜が明けてみたが、やはりリバービューではなかった。
窓から見えるのはプール。
しかも、プールは工事中で、水も張られていない。
ホテルのレセプションに「予約内容と違う」と訴えたが、
「デラックスルームは2階にしかなく、川の見える部屋などない」とのことであった。
どうやら予約サイトがいい加減らしい。
いつも宿泊後に予約サイトからアンケートが届くので、アンケートで指摘してやろうと思っていたが、いまだにアンケート依頼は届かない。

ホテルでの朝食は、田舎のホテルらしい内容であったけれど、味は変に外国人向けの中途半端にしていないので、それなりに美味しかった。
でも、ソーセージやサラダのドレッシングなど、洋朝食のパーツは、どうにも行けてなかった。

パートンコー
[朝食には揚げたてのパートンコーもあった]

サムイ島へ渡るフェリー乗り場まで、スラタニに街から70キロ近く離れている。
昔は、サムイへの船もスラタニの街の中心、タピー川のバンドンから出ていたので便利だったし、タピー川を河口まで延々と進んでいく際、両脇のマングローブの茂みも見事であった。
今回、スラタニでリバービューの部屋にこだわったのも、このタピー川のマングローブの片鱗でも眺められるのではないかと期待してのものであった。

新しい港はナコンシータマラートとの県境に近く、沿道には油椰子の畑とニョキニョキと奇怪な形をした石灰石の山が多くみられた。

サムイ島へ渡るフェリーターミナルには、黒い子猫がいた。
首輪もしていて、ここで飼われているらしい。
よく懐くネコだった。
出港時刻まで1時間近く待たなくてはいけなかったので、それまでネコに遊んでもらった。

船着き場の黒ネコ
[タイは黒猫の割合が高い気がする]

サムイ島へ渡るフェリーは船内表示に「りつりん丸」と書かれていた。
宇高航路からでもやって来たのだろうけど、日本の船だった面影は随所に残るものの、もうほとんどタイの船になり切ってしまったようだ。
船内案内図には、展望席に噴水があることになっているが、展望席も噴水もなくなっている。
そしてエアコンの効きが悪い。

りつりん丸船内案内図

25周年記念のツーショット
[甲板に登って、25周年記念のツーショット]

1時間半の航海を終えて、11時半にサムイ到着。
ずいぶんと長い道のりでした。
飛行機で飛べば1時間だけど、こうして陸上を走り、海を渡ってくると、はるばる来たという感激を覚える。
海の色、空の色が青い。
緑も新鮮な色だ。

港から見てホテルは島の反対側に位置している。
のんびりと島の北側を回ってホテルへ向かう。

昔のサムイ島とはまるで別の場所に来たように、道沿いが随分と賑やかになっている。
道でも車やバイク往来が多い。
昔はココナツ畑があって、集落近くには田んぼもあり、水牛が泥まみれになっていたが、水牛などまったく見かけない。
店だって、小さな雑貨屋が集落に数軒あるくらいだったのに、コンビニや大きなスーパーマーケットまで、バンコク近郊と変わらないくらいだ。
そうした巨大スーパーに立ち寄って、少し買い物をし、フードコートでお昼ご飯を食べる。
お昼はカウマンガイ。

午後2時頃にホテルに着いたが、まだ部屋が準備できていないとのこと。
3時過ぎまで待ってほしいと言われる。
それに部屋番号でリクエストしていた114号室は先客がいるので用意できないとのこと。
なんだか、ちょっとがっかり。

結局代替の部屋へ通されたのは3時半過ぎ。
25年前に新婚旅行で泊まった時は、インペリアルホテルの経営で、タイらしさが随所に取り入れられ、室内の装飾も可愛らしさがあった。
ベッドには天蓋もあって、籐の家具や置物も多かったが、シェラトンホテルの経営になって、随分とすっきりしたデザインになってしまった。
つまり、機能的だけど面白みの少ない部屋。

115号室
[通された部屋は115号室]

しかし、一番がっかりしたのは、ホテルの敷地内で咲き誇っていたブーゲンビリアがすっかりなくなっていたこと。
10年前に来た時、その時は宿泊は別の場所だったけれど、見学だけしに来たのだが、その時はまだインペリアルホテルの経営で、敷地内には見事なブーゲンビリアを見せてくれていた。
今回も、このブーゲンビリアを楽しみにしていたのに凄く残念。
是枝裕和監督の映画で、「ワンダフルライフ」と言うのがあり、人が死んで永遠の世界に旅立つとき、人生で最も美しかったシーンを再現して送り出すというものだった。
もし私なら、椰子の木が茂る斜面に白い南欧分の建物が点在し、その白い建物が、まるでキャンバスになり、紫からピンクのブーゲンビリアが濃淡を輝かせている景色を使いたいと思っていた。
そのシーンを存命中に、また楽しめそうだと、期待していたので、その分ショックも大きい。
インペリアルからシェラトンに変わって、建物の色も純白から薄いグレーがかった白になっていた。
そのほか、ロビーやレストラン、プールなど、ほとんど大きな変化もなかったのに、ブーゲンビリアは消えてしまった。
掃除や手入れが大変なのだろうか、
虫が発生して、苦情でもあるのだろうか、、、。

10年前のブーゲンビリア
[10年前のブーゲンビリアがこんな感じだった]

ブーゲンビリア
[10年前の眺め]

ブーゲンビリアが消えた
[現在の眺め]

プール
[ビーチ側のプールは岩などを配して自然を演出]

プールは昔のまんま、しかし、モノは変わっていないが、環境は大きく変わっている。
以前の宿泊客の大半は、欧米からの年配者が多かった。
それに若干の日本人とタイ人。
それが、今は中国人たちでいっぱいである。
小さな子供連れの中国本土からの宿泊客が多い。
プールはリゾートのプールではなく、遊園地のプールの様相を見せていた。
浮き輪とバタ足と、プラスチックのおもちゃ。

中国の人が多いからか、ブーゲンビリアの消えたバルコニーには、たくさんの洗濯物が干されていた。
そういえば、シェラトンホテルもマリオットホテルと合併し、しかも中国資本傘下に入ったようだし、このあたりはもう諦めなくてはいけないのかもしれない。

テラスに干された洗濯物
[ブーゲンビリアに代わってバルコニーには洗濯物]

夕食には外へ出た。
30年前、サムイ島でよく宿泊していたのは、島の北側にあるボプットビーチ。
このビーチに臨んだブーンバンガローと言う1泊30バーツの簡易宿泊施設を定宿としていた。
当時は、電気も水道もなく、電気は日没後に数時間自家発電機を回して、電灯に明かりがともり、水は雨水を貯めて使っていた。
小さな漁村だった。

そんな風景がまだあるとは思っていなかったけれど、ボプットは随分と賑やかな場所になっていた。
ブーンバンガローのような簡易宿泊施設は消えてしまい、その代わりシーフードレストランやステーキハウスが立ち並び、土産物屋が道に張り出している。
若い観光客が押し寄せて、大賑わいであった。
シーフードの店では、大きなエビが氷を敷いた台の上に並べられていた。

ボープットは懐かしいけれど、こんな感じのところで夕食を食べたくない。
ホテルに戻る途中のレストランに立ち寄り、タイ料理をいただく。
このレストランもメニューの大半はシーフードやピザなど、外国人観光客向けの内容になっており、メニューにも英語以外に中国語表記もされていた。
食事をしているお客も半分は中国人で、タバコを吸いながら食事をしている。

ホテルの部屋に戻ると、部屋にシャンパンとチョコレートケーキが届けられていた。

スタッフたちから差し入れ

メッセージカードが添えられていて、会社のスタッフたちからであった。
ケーキを一口いただいてから寝る。

だいぶ長くなったので、次の回へ続く。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=68 |
| | 04:31 PM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑