11月03日 木曜日
タイの出国審査を受けているときに日付が変わった。
午前2時過ぎのノックスクートで台湾へ向かう。
毎度台湾旅行では格安LCCのノックスクートにお世話になりっぱなしである。
とにかく、プロモーション運賃が安い。
今回も往復で4千バーツ台である。
ドンムアン空港へ向かうためアパートを出た時、外は雨が降っていた。
バンコクに暮らして、傘などさした経験がほとんどないが、インフルエンザの病み上がり、濡れてまた体調を崩してもいけないので、傘をさすことにした。
雨と言えば、今回の台湾旅行の目的は徒歩による合歓山越えであり、天気がとても気になっていた。
しかも、台湾の天気予報を見ると、いまひとつすっきりしない天気が続いている。
特に合歓山を越えた花蓮港側はこの1週間ほぼ毎日雨が降っているらしい。
空港までなら傘さして行っても良いが、山越えに雨は辛すぎる。
さらに今回の旅行で先日大きな番狂わせな情報を発見してしまった。
山越えをして花蓮港側へ降りた後、その晩の夜行列車で台北へ向かって空港へと言うパターンを考えていた。
前回、6月に高雄から桃園まで夜行列車に乗って、そのまま空港へ向かったのであるが、その台湾縦貫線の夜行列車はこの夏に廃止されてしまい、現在の台湾で夜行列車が運行しているのは、この東部台湾の路線のみになっていた。
それも、つい先日確認したときまでは土曜と日曜の週末だけの運行と、こちらも「風前の灯」状態になっていたのだが、いざ切符の予約をネットでしようとしたら、何度トライしてもエラーになってしまう。
よくよく調べたら、さらに減便になって日曜の晩にしか運行しなくなっていた。
そのため、私が利用したいと思っていた日とは曜日が合わなくなってしまっていた。
この夜行列車が、翌朝早くに空港へ行くにはとても都合が良かったのに残念。
山越えして花蓮港へ降りてもまだ最終の台北行きの特急に間に合うだろうけど、それではなんだかつまらない。
搭乗ゲートで搭乗開始を待つが、ゲート周辺の人たちはみんな黒い服を着ている。
先々週の国王の逝去に伴う服喪でタイ人は黒い服を着るように指導されているからなのだろうけど、海外へ旅行するにも黒い服を着るらしい。
そして、この真っ黒さ加減からすると乗客の大多数がタイ人らしい。
[薄暗い搭乗口に集まる黒衣の乗客たち]
チェックインカウンターでは前回同様に極力前方の席を希望したら、22Dと言う席の搭乗券をもらった。
実際に機内に乗り込んでみたら、最前方ではなく、エコノミーの前から2番目と言う配置であった。
しかし、この席がとてもよかった。
この航空会社でスーパーシートと名付けている黄色いシートで、シートピッチが35インチもある。
これはいつもの中華航空より広い。
そして、最前方ではないので、シートの肘掛けを上げることができ、しかも私の列は4人掛けなのに私しかいない。
つまりフルフラットでゴロリと横になれる。
便がガラガラと言うわけではなく、8割がたは席が埋まっているが、タイ人たちはグループで旅行するからか、後ろの方の座席に隙間なくピッチリ座っている。
[最低料金の切符ながら、スーパーシート、しかも4人掛け一列を独占]
で、台北までの数時間、ぐっすり眠れたかと言うと、実はよく眠れなかった。
原因は「寒さ対策」が不十分だったため。
とにかくLCCなので毛布のサービスもないのに、やたらとクーラーを利かせている。
ポロシャツの上に長袖シャツまで着込み、さらにウインドブレーカーまで羽織っているのにまだ寒い。
LCCなんだから、クーラーなんか止めて有料の卓上扇風機貸し出しサービスにしてほしいくらいだ。
台北にはほぼ定刻の7時少し前に到着。
WiFiのためのiTaiwanの設定をし、バス乗り場に向かったらちょうど台中行きバスの乗車案内がアナウンスされていた。
次のバスは8時だろうと思っていたが、7時半にも便があったらしい。
急いで切符を買ってバスに乗り込む。
航空機のビジネスクラス並のソファーのようなシートでゆったりと座って2時間少々で台中市内へ。
いまのところ、曇り空ではあるが雨は降っていない。
高速道路沿いの景色は、昔とはずいぶんと変わって、工場が増えた。
それに道路も随分と整備されて、高架道路や立体交差が当たり前になっている。
水牛が田んぼを耕していた昔の景色など全く見当たらなくなっている。
昔と変わっていないのは、やたらと広い河川敷くらいだろうか。
終点の台中駅前でバスを降りる。
台中駅もつい先日新しくなり、線路も駅も高架になった。
時計塔のあるレンガ造りの駅舎はまだそのまま残っていたが、駅前の市内バス発着所も移転していた。
この時計塔のある台中駅、台湾の駅の中でもっとも素晴らしい駅だと思っているが、もうひとつこの駅を見て思い出すのは、もう50年近く昔に、インスタントラーメンで「駅前ラーメン」と言うのがあった。
そのパッケージには弁慶号を思わせる様な汽車と、時計塔のあるレンガ造りの駅のイラストが描かれていた。
汽車が大好きだった私は、そのイラストからこのラーメンのパッケージが好きであった。
この台中駅を見たらそんな昔のインスタントラーメンを思い出した。
[つい先日お役御免になったばかりの台中駅舎]
[駅前ラーメンのパッケージ(日本即席食品工業協会のHPより転載)]
埔里行きのバスは以前のまま旧台中駅前ロータリーが乗り場であった。
ほとんど待つことなく南投客運バスがやってくる。
こちらは田舎バスなのでシートもゆったりとはしていないが、車内で無料WiFiが使えるようになっていた。
試しに接続してみるとちゃんとネットにつながる。
田舎のバスも進歩しているらしい。
そのWiFiも市街地では快調であったが、郊外へ出ると全くネットに接続できなくなってしまった。
バスの運転手の求人募集が車内の電光掲示板で流れていたが、給料は4~6万元とあった。
現在の台湾の物価水準からすると、バスの運転手の暮らしも楽ではなさそうに思える。
[埔里行きのバスはまだ旧台中駅前ロータリーから乗車可能]
紹興酒の工場前を過ぎてまもなく埔里のバスターミナル。
現在は工場見学もできるらしいのだが、紹興酒を飲むことは大好きなのだが、工場見学にはそれほど興味がなく、まだ一度も工場へ足を向けたことがない。
埔里では蘆山温泉行きのバスまで30分ほど時間がある。
まだ今日になって何も食べずにいるので、この時間に何か食べておきたい。
以前に「臭臭鍋」と言う風変りな名前の鍋料理を食べたことがあり、安くておいしかったから、また食べてみたいと思って臭臭鍋の店まで歩いてみたが、店はまだ営業開始前だった。
結局「四海游龍」と言う台湾焼き餃子のチェーン店に入る。
焼き餃子チェーンとしては「八方雲集」を何度か利用してきたが、緑の看板の四海游龍は今回初めて。
チェーン店だから冷凍モノだろうと思っていたら、店員さんたちが店の真ん中のテーブルに集まって、餃子の餡を皮にせっせと包んでいる。
なんと予想外の手作り餃子であった。
10個入りで50元とは安いのだが、味の方は八方雲集の方が私には美味しかったように感じた。
[焼き餃子の内容はともかく、チェーン店の四海游龍で手作りしていたことに感動]
11:25分のバスで蘆山温泉に向かう。
途中、霧社で5分ほど時間調整があった。さっきの焼き餃子だけでは食べ足りず、バス停近くの店で、小籠包を買う。
たぶん、安物の冷凍を蒸しただけと思われ、具がほとんど入っていないが、もともと肉好きではないので、こうしたスカスカ中華まんも嫌いではない。
それに40元と格安でもある。
蘆山温泉には12時半に到着。
そのまままっすぐ前回も利用した蘆山園ホテルへ歩く。
田舎の温泉、平日の昼間と言うこともあり、行楽客の姿はほとんどなく、しかも営業していない旅館が多いので、温泉街のメインストリートはゴーストタウンのようになっている。
しかし、今晩の蘆山園ホテルは団体客があるらしく、受付で宿泊希望を伝えたら、宿の主人は宿泊台帳をペラペラとめくりながら空室を探し始める始末。
ようやく部屋を部屋を見つけたようで、部屋の写真を見せながら「1799元」と言う。
「いやいや、一人なんだけどね」と言ったらば、
「1500元ね、食事も朝晩ついて、高くないよ」と言う。
確かに高くはないが、前回は1200元と超お得だったのと比べると、300元ばかり高い。
しかし、1500元でも妥当だと思っていたし、ほとんど満室なのだから、値下げ交渉もせず、2泊分の3,000元を支払った。
2311号室で、前回同様に渓谷側の部屋。
エアコンはなくても、もともと涼しいところなので問題はない。
むしろ夜など寒いくらいで、暖房が欲しいけれど、暖房器具もやはりない。
さっそく周辺を歩き回ってみることにする。
昨晩は寝ていないので、昼寝でもしようかと思ったが、今寝てしまうと夕方まで起きられそうにない。
ちょっと足慣らしに裏山を歩いた方が山歩きの感覚を取り戻せそうだ。
宿を出て今は廃業してしまった好望山荘の横を抜けてマヘボ古戦場へ、さらにマヘボ溪の谷を渡って、対岸の斜面を登り続ける。
山の斜面も農地になっているところが多い。
急傾斜だから、農機具も入らないだろうし、雨でも降ればすぐに表土が流されてしまって、決して農業に適した環境ではなさそうだけれど、冷涼な気候を利用した野菜と果樹栽培が行われている。
以前は高山茶の産地としてお茶の栽培がとても盛んで、斜面に茶畑が広がっていたが、今は相対的に茶畑の占める割合が減っているようだ。
野菜では露地栽培のキャベツとハウス栽培のトマトやインゲンが目立つ。
果物は、以前は梨やリンゴが多かったけれど、今は柿が多くなっている。
ちょうど柿の実が実る季節だから余計に目立つのかもしれないが、丁寧に柿の実には袋がかぶせられていた。
実も大きいようだ。
[こんな急な斜面での農作業、とても苦労が多そうだ]
[提灯のようなランタンのような花]
[こうしてみるとコムロイが空に昇っていくようにも見える]
ところどころに桜が植えられており、緋桜が枝に赤い花を咲かせているものもある。
一重のものもあるし、八重のものもある。
まだ桜の季節には早すぎるが、このあたりではこうした狂い咲きもよくあることなのだろう。
去年の今頃も咲いていたし、6月も咲いているのを見かけた。
もっとも、花の盛りになったらきっともっときれいなのだろう。
[ここの桜は濃いピンク色をしている]
[小さいけれど、八重咲の桜も咲いていた]
休むことなく坂道を上り続けた。
だいぶ標高も高いところまで来たようだけれど、霧が立ち込めてきて、下界が見えなくなってしまった。
まだ山の斜面では野菜や果樹を栽培しているところがあるけれど、こんなに高いところまで上り下りしなくてはならないのだから大変だろう。
ときどき農作業からの戻りだろうか小型の青いトラックが山道を下ってくる。
[急な斜面に農道が続く]
人が住んでいるのか、それとも作業小屋か判然としないが、霧の中からバラック風の建物が見えてきた。
近づいてみるとネコが何匹かいる。
ネコがいるのだから、きっと誰か暮らしているのだろう。
[誰か住んでいるらしい]
[ミー、ミーと可愛い声をしていた]
時刻は3時を回っている。
そろそろ宿に戻って温泉に浸かることとする。
夕食は6時からと言われているので、いまから戻ればちょうど良さそうだ。
ここまで2時間ちょっとかけて登ったけど、下りはもう少し早く降りられるかもしれない。
[だいぶ下ってきたら温泉街が眼下に見えてくる]
下っていくと霧は晴れてくる。
森の中と農地が交互に続く。
大きなクワズイモの葉っぱが伸びている。
昔、台北の圓山ホテルが気に入っていて何度か泊まったことがあるが、圓山ホテルから士林側へ丘を下る道が、とても良いハイキングコースのようになっており、その道沿いにも大きなクワズイモがたくさん生えていた。
特に若々しい緑色をした大きな葉っぱは立派で、見惚れてしまうほどであった。
[この山道でもところどころでクワズイモを見かける]
帰りはもとの碧華荘の前を通った。
吊り橋前の急な坂道を登っていたら、碧華荘の斜面に白いネコがいた。
この斜面には以前たくさんの黄色いユリに似た金針花が咲いていた。
この金針花のスープを碧華荘では毎日のように作ってくれていた。
温泉場の土産物屋でも金針花を乾燥させたものをお土産に売っていたから、このあたりの名物だったのかもしれない。
しかし、今はまったく咲いていないし、売られてもいないようだ。
[昔はこの斜面に金針花がたくさん咲いていた]
蘆山園ホテルに戻ると、なるほど宿の前庭にはたくさんの団体客がうろうろしている。
これでは風呂も混雑しているかなと、すこし覚悟をして、部屋から手ぬぐいとバスタオルを持って大浴場に向かう。
しかし、拍子抜けするほど誰も温泉に入っていない。
貸切風呂みたいな感じで、ちょっと温めながら、まずまずの湯加減で、のんびりと温泉を楽しめた。
温いといっても、さすがは温泉だけあって、しばらく浸かっているとも上気てきてしまう。
しかし、用意のいいことにちゃんと飲料水が用意されており、また木製の安楽椅子があって、火照った体を冷ませるようになっている。
1時間近くかけて入浴をし、フロントで缶ビールを一本買って、グイーっと飲み干してから、夕食会場に入る。
夕食会場内も団体さんでいっぱいになっていたが、私には4人掛けのテーブルをひとつ用意されており、おかずをプレートにセットされた給食スタイルの夕食をいただく。
晩酌には温泉に浸けて温めておいた紹興酒もいただく。
やはり台湾に来たら紹興酒が美味しい。
巨大な肉団子や家鴨のローストや野菜炒めなど6品の料理が仕切りのあるプレートに盛られ、別に蒲鉾と細切り生姜の薄味スープが付く。
独り者は私だけで、団体客の他に中年夫婦と高校生くらいの3人家族がいて、私の隣のテーブルで食事をしていた。彼らはプレートではなく、一品一品が皿に盛られており、私のところにはないサラダもあった。
夕食の料理の中では、ピーナッツと川エビを揚げたものがあり、それが酒の肴にとてもよくあった。
ご飯もお替りしてしまった。
夕食後にまた温泉に入る。
こんどはサウナにも入ってみる。
サウナの温度は60度低く、ちっとも熱くないが、寝不足に加えて、満腹にほろ酔いが重なって、サウナの中で少しウトウトしてしまった。
夜はもう出歩くこともなく、9時にはベッドに入った。
つづく