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追悼、ウドンタニのネコたち
またウドンタニ通いが始まりました。
ウドンタニでお気に入りの宿は、V1ルームとコテージホテル。
コテージホテルの方が、設備も良いし、新しく、サービスも良い。
特にシャワーは熱いお湯がふんだんに出て、おまけにレインシャワーもあるので、ずっといつまででもシャワーを浴びていたくなるほど気持ちがイイ。
入口には食パンとトースター、インスタントコーヒーがあって、24時間無料で提供されているのも嬉しい。
これで毎度プロモーション料金だと、500バーツ前後なのだから、とてもお値打ちである。

一方、V1ルームは古い建物を改装したホテルで、ちょっとアートな部分もあるけど、使い勝手としては普通のタイによくある安宿のレベル。

Before After
[V1ルームの改装前と改装後の比較写真を展示している]

しかし、とても気に入っている。
その理由は、ホテルに黒いメス猫がいること。
私のネコの若い時にそっくり。
毛並みも目の色もよく似ている。

ロビーのクロネコ
[このネコももともと捨てネコだったらしい]

このネコに会いたいからV1ルームに泊まりたくなるくらいだ。

既に12月にも書いたはずだけれど、このV1ルームの周りはネコだまりになっているらしい。
ホテルで正式に飼っているのは、このクロネコと、クロネコが生んだ仔猫二匹だけだが、どうやら捨て猫と思われるネコたちも、ホテルの建物にこそ入ってこないけれど、いつも周辺にいて、ホテルの従業員や警備員から食べ物をもらったりして、とても良くなついている。
私もここのネコたちを見ると、癒された感じになる。

駆け寄るネコたち
[私の姿を見ると駆け寄ってきてくれた]

しかし、先週の2月12日にV1ルームへ泊りに行ったらば、とてもショッキングな話をホテルの人から聞いてしまった。
ひと月ほど前に、ホテルの前でネコが車にはねられて、ケガをしてしまったらしい。
それでホテルの人が動物病院へ連れて行って治療を受けさせて、退院してきたのだけれど、どうもその病院でネコ・ジステンパーに院内感染してしまったらしく、退院してきたそのネコだけではなく、ここに住み着いていたネコみんなに感染を広めてしまったらしい。

外ネコ
[もともと外ネコなので、道端に住んでいる]

急いでネコたちを病院へ連れて行ったけれど、みんなバタバタと死んでしまい、生き残ったのは黒いメス猫一匹だけだったそうです。

ディジャブーというか、ちょうど一年前、ピサヌロークのオフィスでケガをしていた子猫を保護して、動物病院へ連れて行って治療をしたところ、やっぱりネコ・ジステンパーに院内感染させてしまった。
奇跡的に仔猫はネコ・ジステンパーから生還したけれど、ネコ・ジステンパーの怖さが身に染みた私は、私のクロネコにネコ・ジステンパー予防のためのワクチン注射を打ってもらいに同じ動物病院へ連れて行った。

私のネコの死因を私は確かめていない。
ワクチン注射をして、一週間もたたずに私のネコは死んでしまった。
あのとき、病院で院内感染させてしまったのか、それともネコ・ジステンパーにかかった仔猫からウイルスが私の衣服に付着していて、私がキャリアーになったのか、その辺はわからないし、死因がネコ・ジステンパーによるものかもわからない。

しかし、それがちょうど一年前の出来事であったことは、なにかの因果があってのことなのだろうか?

まだらネコ
[なんとなく、寂しげな表情、このネコももうこの世にいない]

タイ、それも地方では動物病院での院内感染が、日常的に発生してしまっているらしいことはよくわかった。

人間界でも新型コロナウイルスの蔓延が起こって、すでに一年になった。
これがいつまで続くのかさえよくわからない。

誰を待つのか
[外ネコたちは中に入ることが認められてませんでした]

V1ルームの周りにいたネコたちの命を奪っていったウイルスが憎い。
あの可愛らしかったネコたちに、会えなくなってしまって、とても悲しい。

一匹残った黒いメス猫は、そんな一か月前のことなど忘れてしまったように、V1ルームのロビーのソファーでくつろいで昼寝をしている。
ネコは死んでいったもののことを思い起こすことがあるのだろうか?
ネコは死がどんなものであるのか、わかるのだろうか?

ソファーで寝る内ネコ

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| | 04:14 PM | comments (0) | trackback (0) |
ネコの一周忌
ネコの一周忌を迎えた。
本当のところは、ネコを孤独死させてしまったので、命日がいつなのか分かっていない。
去年の2月4日の夜に体調不良でぐったりしているネコを残して、バンコクに向かい、翌5日の昼にウェブカメラで、ネコがベッドの上で寝ているのを確認したのが最後。
6日の夜にピサヌロークの部屋へ戻ったらベットの下で死んでいたのです。

なので、命日の可能性は、2月5日または6日と言ことになります。
その命日をピサヌロークで迎えるべきか、バンコクで迎えるべきか考えましたが、たぶんピサヌロークにいるとまた仕事でネコのことを偲ぶ時間が取れないだろうと考えバンコクで過ごすことにしました。
また、もしネコの霊魂と言うものがあるのならば、きっといつも私の周りに漂っていてくれているものだと思っています。
であれば、ネコはピサヌロークよりもバンコクのアパートが好きだったので、私がバンコクに行けば、ネコの霊魂もバンコクで過ごせるのだろうと思うことにしました。

今回は、お金を節約するために、ピサヌロークから鈍行列車に乗ってバンコクへ向かいました。
コロナで色々と制限が出ている中で、鉄道で移動するとどうなるのかも興味がありました。

バンコク行き鈍行
[午前6時はまだ暗い]

しかし、別段何か物々しいことなどなく、乗客が少ないくらいで、普通に移動することができました。
それでも、やっぱり鈍行の三等車は埃っぽくてやっぱりちょっと乗っているだけで大変でした。

バンコクに来ていることはオフィスには内緒にして、ほとんど部屋に籠っていた。
部屋の中で何をしていたかと言うと、大掃除をしていた。
めったに戻ってこないバンコクの部屋は、さらにめったに掃除をしていない。
そのため部屋の中でも靴を履いて歩きたいくらいに床は埃だらけ、棚も埃が層をなしている。
窓ガラスも、まるで曇りガラスではないかと思うくらい汚れている。

時間もあるし、他にやることもないので、マスクをはめて徹底的に掃除をすることにした。
それと、先日から気になっていることも一つあった。
日本で使っている銀行の預金通帳二冊が、ふだん置いている棚にないのである。
たぶん、前回この通帳を手にしたのは、ほぼ一年前にネコの遺骨を東京に埋葬しに行った時だったはず。
あの時はまだ、ネコのことで精神的にも不安定であったから、どこかに置き忘れてきたりしている可能性もある。
しかし、バンコクの部屋のどこか違う場所にしまい込んでいること経って考えられるので、掃除をすれば見つかるのではないかと言う期待もしていた。

不在がちのバンコクの部屋に誰かが侵入して盗んで行ったりすることも考えられるけど、他に外貨などの現金などはそのまま置きっぱなしのようでもあり、警察などに届ける必要はないかと判断した。

結局は、2日間にわたって大掃除をしたけれど、通帳は出てこなかった。
その代わり、もう長いことスイッチを入れたこともない巨大なブラウン管テレビが乗っかっている棚を動かしたところ、棚の後ろからネコが大好きだったチュールの類似品が埃まみれになって出てきた。
これもネコの霊魂が、一周忌と言いながら、ネコの遺影に好物のチュールを供えようともしない私に、「ほら、ここにあるだろがニャン」と示したものかもしれない。
さっそく、埃を掃ってネコの遺影の前にお供えする。

大掃除で出てきたチュールもどき
[賞味期限が切れているかもしれませんね]

ネコが生きているうちに、食べさせてあげればよかった。
これを食べたら、ネコがどんなに喜んだか知れない。

滞在中、ほとんど外出をしなかったけれど、朝のジョギングは続けていた。
アパート前のソイをずっと奥まで走るのだけれど、ここを走る楽しみは、途中でたくさんのネコたちに出会えること。
飼いネコばかりではなく、捨てネコも時々いて、そんなネコに泣きつかれると、心がとても痛む。
年末にもシャムの血が混じったと思われる白いネコが捨てられていて、喧嘩でもしたのかケガをして少し弱っているように見えたのが、あとあとまでずっと気にかかり、「どうして動物病院へ連れて行って治療を受けさせなかったんだろう」と心を痛めていた。

その捨てネコがいた、貯水池脇の植え込みをよく見たらば、キャットフードが置かれていた。
タイには野良ネコや野良犬に食べ物を配って回る人が結構いる。
あの時、動物病院へ連れて行ってあげらけなかったけれど、この場所なら飢え死にしてしまうことはなさそうに思えて、少し安心した。
そして、その翌日だったかスクーターでキャットフードを補充して回っている男性を見かけた。

お寺にはしばしばネコを捨てに来る人がいる。
捨てる人はお寺ならネコを捨てても食べ物に不自由しないだろうと思ってのことだと思うけれど、ほとんどのお寺の場合、同様に捨てられる犬たちがたくさんいて、ネコが安心して住みつける環境になっていない。
寺の犬たちは、野犬化していたりして、ネコを襲ったりもする。
日没後などは、人間にも集団で吠え掛かって威嚇する。
寺の境内には、「寺に動物を捨ててはいけない」とポスターまで張り出しているけれど、境内の至る所で寝そべっている犬たちを見ていると、お寺にネコや犬をいてる人は相当数いるのだと思う。

ラマ9寺の捨てネコ
[ラマ9寺の前で泣きついてきたネコ]

このネコもどうやらお寺に捨てられたばかりのようで、「拾ってくれよ」と泣きついてくる。
拾ってあげられないけど、ポケットにはキャットフードを入れた小袋があったので、キャットフードを食べてもらう。

この周辺には、以前はたくさんの建設労働者たちのバラックが立ち並んでいましたが、きれいさっぱりなくなって、更地になっていました。
彼が移転する際に、置いてきぼりを喰ったネコもたくさんいたのかもしれません。

大掃除も終わり、法事をするわけでもなくネコの一周忌は終わってしまいました。
ピサヌロークへの帰りもまた鈍行で節約。

ピサヌローク行きの鈍行
[フアラーンポーン駅にて]

週明けに出社したら、ショックなニュースが入ってきました。
二年ほど前にピサヌロークの事務所前で保護した白い仔猫がいまして、その後スタッフの親戚がチェンマイで飼ってくれていました。
その白いネコ、幸せに暮らして、モリモリ食べて大きな白いネコになっていたそうなんですけれど、近所の犬にかみ殺されて死んでしまったと聞きました。

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| | 04:56 PM | comments (0) | trackback (0) |
ネコの49日
日本の仏教では、ヒトは死んだ日から数えて49日に極楽浄土へ行けるかどうかが決まる大切な日とされているそうで、普段信仰心のない私も、49日は大切な日だと先日来ずっと気にかけてきていました。

もっとも、お裁きを受けて極楽浄土へ行けるか、地獄へ落とされるかが決まるのは人間だけのことのようです。
ヒト以外の動物たちは、ヒトのような悪さをしません。
動物たちが、人間の基準から見て、悪いことをしたとしても、それは悪いことではなく、本能の命ずるところの行為であり、ヒトの犯す悪さとは性質が異なるから、悪いことをして地獄に落ちる心配はないそうです。

なので、ネコはこの49日をもって、成仏し極楽浄土の仲間入りということになると思うことにしています。
ネコが極楽浄土へ行けば、そこで私の母が待っていてくれるはずです。
もう成仏して、ヒトもネコもなく、魂だけの世界でしょうから、ネコも母と一緒に美酒に酔いながら、私がやってくるのを待っててくれるものと信じることにしています。
もっとも、私の49日は地獄行きを宣言される日の可能性も高いのも気になります。

で、ネコの49日がいつに当たるのかは、実際にネコが死んだ日付が確定しないので、はっきりとはわかりません。
ネコが生きていることを確認した最後は、2月5日のお昼で、死んでいるのを発見したのが翌6日の夜です。
もし、5日ならば49日は、3月24日、そして6日ならば3月25日となります。

49日に関して、調べたところ、49日の法事関係は、多少早めに行うことは構わないが、日が過ぎてはいけないそうなので、ネコの49日は3月24日に行うこととしました。

49日と言っても、お坊様にお経をあげていただくわけではなく、私の自己満足だけの問題で、本当はネコと母の遺影を抱いてイギリスの湖水地方を旅してこようと計画していたのです。
しかし、昨今のコロナウイルスの問題で、海外旅行は禁じられてしまい、身動きができなくなってきてしまいました。

ネコとの思い出の場所を回るのも良いのだけれど、心がますますブルーになりかねない。
ネコとの思い出の場所、例えばプラチュアップキリカンの海へ行っても、とても泳ぐ気になれないだろうし、イサーンで遺跡や観光地巡りをする気分にもなれない。
ネコとの思い出が強すぎるのだろう。

そこで、あれこれ考えているうちに、半年前の昨年9月に、バンコクからサモートーン温泉を経由してピサヌロークへ戻る途中で、夜になってしまい、田舎道でやっと見つけたモーテルに飛び込んだところ、子猫2匹が飛び出してきて歓迎してくれたり、翌朝モーテル周辺が自然にあふれて、とても景色が良かったので、いつかまたネコとゆっくり泊りがけで来てみようと思ったまま、ずっと果たせていなかったことを思い出した。

半年前の写真
[半年前にネコと来たモーテルの部屋で]

古い歌謡曲で、狩人の「あずさ2号」みたいで、いつかあなたと行くはずだった、、、と言ったイメージ。
もっとも、「あなたの知らない人と二人で」と言うわけではなく、イギリスの湖水地方へ連れて行ってやれなかった母と、ネコの遺影の三人行である。

イギリスの湖水地方は、30年前に母を連れて行き、母がとても感動して喜んでくれて、一生の思い出としてくれていたので、きっともう一度訪ねてみたいと思っているだろうと、死後10年目にして計画したもので、それが流れてしまって、やたらと暑いタイ内陸部の、モーテルでは申し訳ないが、コロナ騒ぎなので勘弁してもらうことにする。

朝、9時前にピサヌロークを出発する。
田舎のモーテルなので飲食施設はない、周辺にも食堂も、商店もないので、滞在中の食事は自炊しようと、電気鍋や調味料などを持参する。

昨年、12月にカンペンペットのプラルアン温泉へネコと行ったときに、温泉のバンガローで小豆を茹でた。
その時の小豆がまだ半分残っているはずなので、持って行って茹でることにする。

急ぐ旅ではないし、距離も160km程度しかないので、のんびり時速70km以下で走る。
これもコロナの影響か、交通量も普段よりずいぶんと少ないようだ。
特に狂ったようなスピードで走り抜けていく車がほとんどいない。

ナコンサワンへのハイウェイからわき道にそれると、ますます交通量が減ってくる。
タイ中北部の田園風景の中をのんびり走るのは、気持ちがいい。
窓を開けて、吹き込む風を楽しんでいたけれど、だんだんと日差しも強くなり、エアコンのスイッチを入れた。

助手席側にもネコの遺影
[助手席側のドアにもネコの写真を飾ってます]

マンゴーの季節でもあり、道端でマンゴーを買う。
3粒で1キロ少々。
30バーツ。
今年もマンゴーが豊作で、値段が安い。
たぶん、私がチェンマイに住み始めた20年ほど前だって、こんなに安くなかった気がする。

田園の中をくねくねと伸びる田舎道の両脇には、ゴールデンシャワーやコガネノウゼンが花盛りで、黄色い花が満開に咲き誇っている。
30年前に行ったイギリスの湖水地方も、この3月下旬にはスイセンが黄色い花を咲かせていたっけ。
東京ではサクラが満開になったとか。
先月、ネコの骨をテラスの下に埋めたときに、「サクラの季節にはまた来るからね」とネコに約束したけれど、こんなに早くサクラが咲くとは思わなかった。
それに、葉桜の季節になっても、まだまだ東京へは行けそうにない。
先月、ネコの骨を埋葬してよかったのか、悪かったのか、、、。

沿道の木々が花盛り
[ゴールデンシャワー、コガネノウゼン、オオバナサルスベリ]

正午を少し回ったところでドークラックリゾートに到着。
これが先刻よりのモーテルで、ドークラックとは直訳すると「愛の花」ということになる。
日本では何と呼ばれているか知らないけれど、タイでは仏様にお供えする花輪によく使われる白い花。
なんだか、49日にふさわしい名前のような気もする。

ドークラック・リゾート
[ドークラック・リゾート]

愛の花リゾートではあるが、所詮は田舎の道端にある安モーテル。
こんな真昼間に車で単身乗り付けたものだから、モーテルの人が出てきて「何の用ですか?」と聞いてくる。
こちらが、以前ここに泊まったことがあり、気に入ったのでまた来たといったらやっと納得してくれた。

前回泊まった部屋が何号室か記憶にないけど、たぶんこの辺りと感で7号室へ入れてもらう。
そう、部屋に入ってみたら、あの時と同じ部屋だったような気がする。
ここに泊まることになるとはあの時考えておらず、キャットフードを持参しないで来てしまい、夜になってもネコに食べさせるものがなく、このモーテルで飼われている子猫たちのエサを失敬させてもらった。
こんどはそのお返しで、子猫たちにキャットフードやチュールモドキをふるまってあげるつもり。

その子猫も、半年の間にすっかり大きくなっていて、どうやらお腹に赤ちゃんがいるようだ。
もうすぐお母さんネコになるらしい。
しかし、よく見るとお腹をケガしているようで、直径1センチほどの穴が空いてしまっている。
ひょっとしたら、ケガの炎症でお腹に膿が溜まって膨らんでいるのかもしれない。
別に痛そうにはしていないし、食欲もあるようだから、大丈夫だろうと思うけど、傷口が化膿したらかわいそうだ。

お腹が大きくなってた仔猫
[まだ一歳になっていないと思うけど、もうお腹が大きくなっている]

部屋の中に遺影を飾り、私は庭にある東屋風でランチとする。
ランチはスパゲティーを茹でて食べるだけ。
味付けは塩コショウにオレガノとチリでオリーブオイルを絡めたシンプルなもの。
ついこの間まで、食欲不振だったけれど、このところ食欲が出てきて、食べる量が増えてきた。
スパゲティーだけでは食べ足りず、明日の朝食用にと持ってきた食パンを1枚かじる。

遺影
[テーブルの上に遺影を飾る]

その後、小豆を煮はじめる。
たっぷり2時間くらいかけて煮る。
甘みはココナツ砂糖を使うので、ちょっとココナツの香りと風味が出て、前回作った時から気に入っている。
ただし、前回は塩を入れすぎたので、すっきり感よりしょっぱさが残る味になってしまったので、今回は塩を控えめにする。

小豆
[真ん中の塊がココナツ砂糖]

このモーテル内にはたくさんの種類のマンゴーの木があり、どれもたくさんぶら下げている。
どれが食べごろなのかは見た目ではわからないし、種類もはっきりしないが、マンゴーは種類によって実の形や大きさが違うだけでなく、葉っぱの形も違うことを知った。

マンゴー
マンゴー
マンゴー

夕暮れ時、でもまだまだ暑いのだけれども、東屋でビールを飲み始める。
小豆も完成。
味見をしたところ、甘さもちょうどよく、今回はしょっぱいということもなかった。
そのままこの東屋でビールを飲みながら夕食にしたいところだけれど、こんなところで日没後に明かり灯してたら、周辺から虫たちがたくさん飛来してきて、食事どころではなくなりそうなので、日が暮れたところで部屋へ引っ込む。

黄昏どき
[野焼きの煙で少し霞んでいる]

夕食は白菜鍋。
本当はチキンを入れるつもりであったけれど、持ってくるのを忘れてしまった。
豆腐も白い豆腐がなく、玉子豆腐。
鍋には粉末チキンスープを入れ、タレには台湾で買った牛頭牌の沙茶醤。
台湾ではバーベキューソースの定番になっているようだけど、私は鍋に使うのが好み。
部屋の中は、照明が薄暗いし、食卓もないのだけれど、テーブルに大きな旧式ブラウン管テレビが乗っかており、そのテレビを床に下ろして、テーブルを確保する。
テーブルの上にはネコの遺影を飾る。

白菜鍋
[締めにうどんを投入]

仔猫は私の部屋が気に入ったのか、ずっと部屋に入り浸っている。
そして、夜もそのまま居続けていたが、トイレにでも行ったのだろう明け方、目を覚ましたら部屋からいなくなっていた。
でも、朝になったらまた部屋へ戻ってきた。
仔猫が部屋を気に入ったのは、私がキャットフードを食べさせるからのようで、このモーテルで飼い主からもキャットフードをもらっているが、私が持参したキャットフードの方が美味しいらしく、喜んで食べている。

ベッドの上で
[我が物顔でベッドを占領]

朝食には、昨日茹でた小豆をパンに載せて食べる。
一種のアンパンということになる。
朝食後、仔猫にチュールの類似品を与える。
ここのネコもチュールに感動しているようだ。
目を点にして夢中でしゃぶりついてくる。
その表情は、私のクロネコとそっくり。

チュール
[うちのネコにも、もっとチュールを食べさせてあげればよかった]

午前中のんびりと仔猫と過ごし、ちょっと名残惜しいけど、ピサヌロークへ戻った。
また次に来る機会があったら、この仔猫はお母さんネコになっているかもしれない。
もしもその生んだネコの中に、クロネコがいたら、私のネコの生まれ変わりと思えるかもしれない。

東屋

タイでは非常事態宣言が発令されるらしく、これで行動の自由も制限されるようだし、飲食店も閉めさせられるところが多くなるようだ。
零細な飲食店など、長期間も店を閉めたら資金ショートを起こして、廃業しなくてはならなくなるだろう。
ピサヌロークに来たばかりのころ、ネコと一緒によく食事に来た筏の上のレストランへ夕食を食べに行く。
いつも賑わっていた店もすっかり閑散として、お客がほとんど入っていない。
ひょっとするとここでの食事も、今日が最後になってしまうかもしれないと思う。

さて、ネコは今頃、天国にたどり着いているはず。
今夜も、ネコに乾杯。

ネコに乾杯

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