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台湾一周旅行➂
12月15日 (金)
嘉義には2泊して、今日は南回りに台湾をぐるりと半周して東部の玉里まで鉄道旅。
早起きをして市場へ果物を仕入れに行く。
台湾ではこの季節にあまり果物の種類がないらしい。
日本でもこの時期の果物はミカン程度だろうけど、台湾でもそうらしくオレンジを少し買う。
昨日も来たけれど、昨日買ったのは梨と釈迦頭。
いずれもタイと比べると果物の値段が高い。

朝食は駅に向かう前に朝食屋でサンドウィッチを仕入れる。
テイクアウトの店で、サンドウィッチやハンバーガーなどを作りながら売っている。
若いスタッフ数人で回していて、きびきびとして手際がいい。
見ていて気持ちがいいくらいだ。
行列ができるほどの人気店のようで、出来上がりまで少し待たされたけれど、店員の動きを見ているだけで飽きない。

嘉義から乗り込んだ特急は台東までで、新型の自強号。
そんなに混んでないだろうと油断していたけれど、2週間くらい前に3人分の予約をしようとしたら既に一緒の並び席は確保できず、私だけ隣の車両となってしまった。
途中にいくつもの駅に停車し、そのたびに降りる人がいる。
空席ができてもすぐそこに乗り込んできた人が座ってしまう。
チケットの予約コントロールが上手くやっているのだろう。

私の隣の席は男性で、ノートパソコンで営業会議をやっていた。
電車の中から会議に参加するなど、時代が変わったようだ。
私は車窓を眺めていたけれど、台湾南部の南国らしい光景は減って、近代的な建物が増えている。
以前ならこの季節にサトウキビ列車が見られたりしたものなんだけど、まったく見られない。
そんな沿線風景のなかで、黒い貨車を見かけた。
昔の日本でもよく見かけた2軸の小型有蓋車。
日本ではワムとよばれた貨車。
台湾ではまだ現役でこのような旧型の貨物列車が現役なようだ。

和夫妻とは別々の車両であったけれど、台東に近づくにつれてようやく車内に空席が目立つようになった。
車窓には太平洋が青く見える。
特急は遅れもなく順調に走っている。
我々の目的地は玉里で、台東で乗り換える必要がある。
乗り換えようと思っている列車への乗り継ぎ時間は3分しかない。
しかも、和男さんの足も心配で、数分でも特急が遅れたら乗り継ぎに失敗しそう。
そんな心配があったので、台東から玉里までの切符は事前に予約してこなかった。
でも、台東まであと少しの距離に来たけど、特急に遅れは出でいない。
乗り継ぎできる可能性も高まっている。
ネットを使って台東から先の切符の予約を試みる。

3人分の予約は簡単にできたけれど、電子式の切符はスマホ一台に一人分しか対応していないらしく、和女さんのスマホにも急いで台湾鉄道のアプリをダウンロード・インストールする。
和男さんのスマホへも同じことをしようとしたけれど、どうもうまくいかない。
和男さんの分は私の予備スマホを使って対応させる。

慌ただしくバタバタしたのだけれど、台東駅に到着するまでには3人分の切符を確保できた。
そして、有難いことに乗り継ぐ列車は到着ホームのすぐ向かい側に停車しており、心配していた乗り換えも楽々だった。
台東からの列車は急行の莒光号。
電気機関車が引っ張る客車編成で、クリーム色とオレンジの車体。
昔はデラックスな車両として、ちょっと割高な印象だったけれど、今では一般の列車の運賃が高くなったからか、割安な印象。
台東から玉里まで一人119元。
古い車両だけれど車内は綺麗にしてあり、シートはさっき乗った最新式の特急と比べるとずっとゆったりしている。

車内はガラガラで、座席の予約が必要なかったんじゃないかと思えるほど。
3人一緒に座れるけど、台東から玉里までは海沿いではなく、両側を山に囲まれていて、特別景色が楽しいと言った感じではないのが残念。
そんな風景の中をのんびり走り、ときどき駅に停車。
池上と言う駅では、下り列車との交換でしばらく停車する。

池上駅で列車交換
[オレンジ色のが莒光号]

お昼過ぎに玉里駅に到着。
新しくて大きな駅だけれど、駅前は眠ったような街だった。
車もあんまり走っていない。
この玉里で昼食をとってから安通温泉に向かうわけだけれど、玉里には玉里麺という名物がある。
台湾の人以外には、玉里麺が普通の台湾の麺とどう違うのかよくわからないけど、口コミ評価の高い馬蓋先美食玉里麺という店を探して入った。
普通の食堂だけれど、眠ったような玉里の街の中にあって、この店内だけはほぼ満席と言うくらいにお客さんが入っていた。
一昨日の奮起湖での駅弁もそうだけれど、台湾ではこの手のB級グルメが流行らしい。
もっとも、この店のメニューは玉里麺一杯が70元とそれほど高くない。
太めの中華麺に煮卵とチャーシュー、青菜などが乗っている。
私は乾という汁なし麺にした。
丼の底に濃厚なタレがあり絡めていただく。

玉里駅前から安通温泉まで、宿に電話をしたら迎えに来てくれると思っていたけれど、電話をしても送迎サービスはないと言われる。
駅前で玉里温泉へ行くバスを待つけれど、バスがいつ来るのかよくわからない。
Google Mapでは、すぐにバスがくるように表示されるけれど、しばらく待ってもバスが来る様子がない。
そのうちに和男さんが痺れを切らして、「タクシーじゃダメなの」と不満を漏らす。
温泉までちょっと距離もあり、旅費を節約しようと思ったけど、タクシーに乗ったところでそんなに高いわけでもない。

タクシーの運転手は前回の嘉義での運転手に輪をかけたくらいに日本ビイキ。
日本語は単語をいくつかくらいしかわからないようだけど、一生懸命玉里の説明をしようとするし、日本のことを話題にしようとする。
玉里温泉まで255元をメーターが示していたけれど、250元でイイと言う。
そればかりかタクシーから荷物を降ろすときに「地元のオレンジ」と言って和女さんにオレンジを何粒か手渡した。

安通温泉は大きな温泉宿で、片言の日本語がわかる女性スタッフがおり、チェックイン開始時間は3時からだという。
部屋にはまだ入れないけれど、外にある露天風呂には入れるというので、荷物を預かってもらい露天風呂へ向かう。
露天風呂は宿泊者以外に日帰り客の利用もできるようになっている。
設備はメンテナンス不足のところはあるけれど、湯量は豊富。
遊戯施設みたいに滑り台なんかもある。
浴槽はいくつもあり、お湯の温度も熱いものから温いものまである。
ここでは水着着用で、男女一緒だから温水プールか小さめのサマーランドって感じ。
でも、椰子の木があったりして、野趣味もあり、雰囲気は悪くない。
脱衣所の横には内湯の大浴場もあり、こちらは男女別で水着不要。
ちゃんと洗い場もあり、ちょっと薄暗い銭湯みたいな感じ。

安通温泉の露天風呂
[椰子の木がある露店風呂は台湾情緒だね]

時間になり部屋へ通される。
夫妻の部屋は露天風呂に面したツイン部屋。
私の部屋は内部屋で、窓と浴槽がない。
夫妻からはお部屋にあるお風呂が凄くよかったからとお風呂に呼ばれたけれど、私は外の露天風呂だけで満足なので辞退する。

宿は街道に面しており、通りの反対側には公衆浴場があった。
ここも露天で地元の人だろうかたくさんの男女で賑わっていた。
脱衣所のような施設は見当たらなかったけれど、みんなどこで着替えてるのかと気になった。

夕食前にも露天風呂に入る。
夕方になり、少し薄暗くなってからの方が浴場利用者が多いようだ。
子供連れも目立ち、嬌声が響く。
この浴場にはネコもいて、浴槽の縁でじっとしている。
台湾も少し気温が下がってきたので、ネコも温泉のそばで暖を取っているのだろう。

観猫乃湯
[ネコを眺めながらの入浴なんて日本でも人気になりそう]

夕食は「鍋」。
台湾の温泉宿での夕食は鍋が定番なのだろうか?
この夕食会場へ移動する前に、和夫妻と日本時代の温泉宿当時の建物を見に行った。
木造の建物は和風のカフェ風に改装されており、その実そこでは豚骨ラーメンを食べさせるラーメン屋になっていた。
畳敷きの個室があったり、大正ロマン風の部屋があったり、なかなか趣向を凝らしている。
和女さんはこのラーメン屋がすごく気に入ったようだけれど、夕食は選べない。
予約するとき夕食なしのプランにしておくべきだった。

安通温泉の旧館
[もとは警察の保養所]

宿の夕食会場には団体客がいて、大騒ぎであった。
その片隅に案内されるが、まますます夕食はラーメンにしておくべきだったとまた感じる。
その鍋は豚肉のしゃぶしゃぶのようなもので、やはり一人ずつの個人鍋。
タレだのご飯だのはバイキング式のセルフサービス。
私は嘉義で買って飲み残していた紹興酒を晩酌代わりとする。

食後にもまた露天風呂に向かう。
温泉宿は、好きなだけ大きな風呂に入れるのは嬉しい。
しかし、裸で入れる内湯は日中だけの営業だそうで、入浴できなかった。
夜に入り屋外露天風呂利用者は家族連れやグループを中心にますます混雑してきて、騒がしくなっている。
露天風呂ビューの部屋になっている和夫妻は露天風呂からの騒音でうるさい思いをしていないだろうか。

戦前の安通温泉
[昔は川のすぐ近くにあったようだ]

12月16日 (土)
今日はのんびり、チェックアウトは10時までで、それまで宿にとどまる。
ただ残念なのは、昨日までずっと好天に恵まれていたのに、今朝は今にも泣き出しそうな空模様。
気温もぐっと下がって肌寒い。

朝食前に前日下見をしておいた川沿いにある公衆露天風呂へ行ってみる。
宿を出る前に水着を着こんでおく。
タオルは宿のモノを借り出す。
朝早くから利用者が集まっている。
年齢層は高め。
どうやら車で車中泊している人もいるようだ。
台湾の人がこれほど温泉好きだったとは知らなかった。

公衆露天風呂
[無料の公衆浴場としてはかなりレベルが高い]

お湯の温度は適温で、熱すぎず、ぬる過ぎず。
素っ気ない四角い大きな浴槽の縁にみんな並んで入浴しながら台湾語でおしゃべりしている。
台湾語なので何を話しているのかわからないが、常連同士のおしゃべりもあるようだし、見知らぬもの通しのちょっと遠慮がちなおしゃべりもあるようだ。

温泉は温かいが、外気温は冷たい。
河原でもお湯が湧いていて、河原の石を使って河原に自前の浴槽をこしらえようとしている人もいる。
わざわざ作らなくてもちゃんとした公衆浴場があるのに、キャンパーとしては自分専用の温泉を楽しみたいのだろう。
その気持ち、わからないでもないけど、できあがるころには身体が冷え切っているのではないだろうか。

風呂上り
[更衣室がないのがちょっと難点]

朝食は台湾式のバイキング。
パンもあるけど、おかゆ関連の方が充実している。
そして、朝食会場では昨晩の団体と一緒になり、空いている席へ適当に座るように指示される。
特別美味しいものもなく、印象に残るものもなかった。

チェックアウトは午前10時で、それまでまた宿の大露天風呂で入浴。
昨晩と同じネコがまた温泉脇にたたずんでいる。
ちょっと小雨も降りだしてきて、ますます肌寒い。

朝風呂
[小雨降る中で、ネコと入浴]

この日のスケジュールは、バスを乗り継ぎながら台湾東海岸沿いに花蓮まで出て、そこから特急で台北へ向かうというもの。
昼食は長濱と言うアミ族の村にある「一耕食堂」と言うところで予約を入れてある。
また、花蓮から台北への特急もグリーン車に相当する騰雲というシートを予約済み。
気になるのはバスで、どうやらGoogle Mapで示されるバスのスケジュールはあんまりあてにならないようだ。
以前は台湾のバスの動向をチェックできるアプリを入れていたけれど、いまは使えなくなっている。
温泉宿前にバス停があって、バスの時刻が掲載されているけど、始発のバス時刻だけで、何時にバスがやってくるかは記載されていない。
宿の人に聞くと10:50頃に来るはずと言う。

ジャンパーを着ても寒く感じるような、小雨降るバス停でバスを待つ。
本当に来るのか不安もある。
以前に台湾中部横貫公路にある大禹嶺というところでバスの待ちぼうけをしたという経験もあるので、バスの利用は半信半疑。
台湾東部の海岸線や青い太平洋は感動的にきれいだから和夫妻に是非とも見せたいと思って、わざわざ遠回りのルートで花蓮へ向かうことにしたけど、雨模様なので景色は期待できなさそう。

安通温泉
[宿の前でバスを待つ]
バスはやっぱり来なかったかな、仕方ないから昨日乗ってきたタクシーを呼ぼうかなと思ったところでバスがやって来た。
バスは小さなマイクロバス。
乗客は私たち以外に一人しか乗っていない。
しかし、このバスには運転手と乗客以外になんとバスガイドが乗っている。
このガイド嬢、残念ながら日本語はわからないそうだけど、韓国語のガイドもしているとかで韓国語は話せるそうだ。
そして、中国語と韓国語のチャンポンで沿道の説明をしてくれる。
山の高さが何メートルあるかとか、山を越えると花蓮県から台東県になるのだとか、我々三人に対して説明してくれる。
私はその通訳を担当する。

30分ほどで東海岸の寧埔と言う集落へ下る。
海岸線は寒々として、灰色をした大きな波が打ち寄せている風景は私が考えている台湾東海岸とは別物で、まるで冬の日本海かオホーツク海のようだ。
集落も小雨にけぶって色がなくモノクロームの世界。
そんななかにあって、ところどころに黄色い花を咲かせている畑が見える。
そこだけが色が着いている感じで印象的。
バスガイド嬢にこの黄色い花が何なのか教えてもらうと、「太陽麻」とのこと。
太陽麻とは言っても、麻の仲間ではなくマメ科だそうだ。
あとで調べてみたら、これを栽培して収穫を期待するものではなく、土地改良に使うもので、輪作の合間に植えるらしい。

長濱郷公所という村役場前でバスを降りる。
一耕食堂近くには安通温泉から乗ってきたバスは停車しないそうで、ここが最寄りのバス停となる。
最寄りと言っても食堂までは1キロ以上の距離があり、和夫妻に歩いてもらうにはちょっと遠い。
これもあてにならないけど、20分後くらいあとで一耕食堂近くへ行くバスが来ることになっている。
それまだの間にセブンイレブンを覗いたり、トイレを借りたりする。
バス停の隣に黒糖を売る小さな店があり、覗いてみる。
このあたりでサトウキビの栽培が盛んなのかどうかわからないけど、この店では手作りの黒糖を販売しているとのことで、和女さんは土産用にと黒糖を買う。
この店の女主人も愛想が良く、いろいろと話しかけてくる。
そして、我々がこれから一耕食堂へ行くためにバスを待っていると言ったらば、その食堂とは友達だから妹の車でそこまで送らせるという申し出を受ける。

その妹さんの車は小さい車で我々3人がなんとか乗り込める程度のサイズ。
荷物やカバンも抱えるようにして座らなくてはならない。
そんな車を妹さんは荒っぽい運転をする。
急発進して、タイヤを軋ませてUターン。
別に機嫌が悪くてそんな運転をしているのではなく、どうやらイキがっての沙汰のようだ。
「どうだ」と、つまりは自慢したいだけ。
そんな運転なのですぐに一耕食堂へ着いてしまう。

ところがどうしたことか、一耕食堂では予約してあるはずの私たちのテーブルが用意されていなかった。
前日にも予約の再確認をしていたのだけれど、どうしたことだろう。
どうもオーナーは私たちの予約を夕食での利用と勘違いしていたらしい。
スマホで予約のやりとりのメッセージを見せて誤解が解け、急遽テーブルをしつらえてもらう。

一耕食堂はアミ族の郷土料理をアレンジした創作お任せメニューで有名らしい。
値段はランチで一人600元と安くない。
店内には私たち以外に若いカップルが二組来ていた。
アミ族の料理素材として豚肉を漬けて発酵させたりしたものや、近海でとれるトビウオを使ったものなどが懐石風というかコースで供される。
一品一品運んでくる前にオーナーがその料理の由来などの講釈を述べる。

豚漬け握り
[お寿司みたいなお米の上に発行した豚肉がのっている]

残念ながら私の中国語力ではどんな説明をされているのか聞き取れない。
どれも珍しくはあるが特別美味しいという訳ではない。
そんな中で南蛮カラスウリのスープを和女さんは気に入られたそうだ。
特に南蛮カラスウリにはトマトの何倍ものリコピンが含まれているというのが響いたようだ。
昼食後にバス停近くの地域物産センターのようなところでバスを待つ間、和女さんは南蛮カラスウリの入った商品を探される。
食堂で袋入りの南蛮カラスウリ入りスナックが売っていたが、オーナーから「物産店に行っても売ってるよ」と言われていた。
しかし、店の中を探してみたけれど同じようなものは売っていない。
こりゃ私がひとっ走り食堂まで行って買って来るべきかと考え始めたところ、隣のセブンイレブンに売っていると店員さんが教えてくれた。
セブンイレブンなら全国チェーンで、台湾のどこでも買えてしまうものなのかもしれない。
和女さんは南蛮カラスウリ・スナックをまとめ買いされていた。
なお、南蛮カラスウリは台東の特産品で木虌果と呼ばれているらしい。
タイのピサヌロークでも時々見かけるが、スナックになっているものは見たことがない。

バスが来るまで霧雨が降り、風が吹く中、バス停に立って待つ。
気まぐれなバスを待つというのは、引率側として肩身が狭い。
早く来てくれよと願うばかり。
和男さんが「あ、あれバスじゃない」と遠くを指さすけど、それは団体観光バスなので止まってくれない。
じっと我慢の子で、ひたすらバスを待つ。
実際には15分程度しか待ってなかったかもしれないけど、とても長く感じた。

花蓮方向へのバスは二階建てのように大きなバスだったけれど、乗客はほとんど乗っていなかった。
そして、ローカルバスだからかバスの乗り心地はあんまり良くない。
このバスも乗車時間はそれほど長くなく、台東県と花蓮県の県境にある静浦という集落まで乗る。
この静浦でバスを乗り継ぐことになっていて、乗り継ぎ時間は一時間近くある。
バス停前には立派な建物の郷土資料館兼物産館がある。
事前情報では、この中でアミ族の織物の展示があったりカフェがあったりして、手工芸好きの和女さんに喜んでもらえるはずだった。
しかし、なんともケシカランことに、この建物が閉鎖されている。
どこからも中へ入れない。
開いているのはトイレだけ。
このあたり、秀姑巒渓という川の河口に面していて、もともとは景色の良いところ。
この川は急流でラフティングでも有名。
しかし、今日は赤いアーチ形の綺麗な橋が雨に濡れているだけ。
橋の上を水溜りの水を跳ねながら車が走り去っていく。
バス旅は天気が悪いととても惨めだ。
建物の軒先を借りて雨宿りする。

秀姑巒渓
[雨にけぶった景色も悪くないけど、とにかく寒い]

3時過ぎ、花蓮行きのバスがやってくる。
これも大きなバスだけど、我々以外に乗客がいない。
そして、やはり乗り心地は良くない。
小さな集落を抜け、海岸線に沿った峠道をクネクネと登る。
眼下に太平洋が見える。
相変わらずの時化模様。
並みが岩に砕けて、白い飛沫が飛び散るのが見える。
寒さから解放されたからか、和夫妻は揺れるバスの中で白河夜船。

花蓮の街に差し掛かるころにはもう暗くなっていた。
町中のバス停にもひとつひとつ止まり、乗客の乗り降りがある。
信号も多くて、花蓮駅前への到着はスケジュールより30分ほど遅れた。

台北へ向かう特急まで乗り換え時間はあまりなかったので、トイレだけ済ませてホームへ向かう。
以前の花蓮駅よりまた大きくなっていて、電車の乗り場がどこなのか少し迷ってしまう。
発着する電車の便数が多く、これまた昔の閑散とした花蓮駅とは印象が大きく変わっている。
ホームにも人が多い。
まるで都会の駅と変わらない。

台北へ向かう特急はまた新型自強号で、先にも書いたけど騰雲座艙というグリーン車相当の特別車両。
普通車よりも3割くらい割高だけれど、電車賃そのものが日本と比べたらまだまだ割安なので、台北までの切符代は796元ほど、日本円でも4,000円に満たない。
しかもお弁当と飲み物のサービスも付いている。
そのお弁当だけれど、これまた奮起湖弁当と似たような弁当で、どんぶり飯風にご飯の上におかずが何品か乗っかている。
メインは排骨と言う大きな豚のスペアリブ。
私のは素食と呼ばれる精進料理なので、豚肉の代わりに肉に似せた豆腐の加工品が乗っかっている。
飲み物は韓国製スターバックスの缶コーヒー。
味の方は、これまた特別旨いというほどではなく、また昔みたいに油の臭いで食べる前から胸焼けしてしまうということもなかった。

汽車弁
[素とあるのは精進料理のこと]

和男さんは「揺れる乗り物の中では良く消化ができないんだ」と言われて、弁当を半分くらい残された。
そのまま捨ててしまうのはもったいないので、「それ、私が食べていいですか」とお伺いを立てる。
人が食べてた食べ残しを、他人が食べるなんてNGを出されそうだけれど、「どうぞどうぞ」と快く弁当箱を回してくれた。
これで1週間ほど夫妻と一緒に旅してきたけれど、この弁当をいただいてもう家族の一員みたいに思ってもらえているのかなと嬉しくなった。

台北までの車中は、外は暗いから、車窓からは何も見えない。
トンネルも多いはずだけど、それもさっぱりわからない。
台北まで2時間足らず。
昔と比べると格段に速い。
騰雲座艙のシートはゆったりしていて快適だけど、むかしの汽車の方が情緒はあった気がする。

台北駅の一つ手前、松山駅で下車してしまう。
今夜の宿は、汐止区にある富信大飯店と言う大きくて新しいホテル。
汐止区は台北の東側にあり、汐止駅と言う電車の駅もあるけれど、この特急は停車しない。
その先の松山駅まで乗り越して、そこから通勤電車に乗り換えて南港駅まで戻った。
南港駅は地下駅になっていて、地下1階のようなところにタクシー乗り場があった。
台北もまだ雨が降り続いているからだろうけど、タクシー乗り場には行列ができていた。
和夫妻とは台北の夜市でも行こうかと電車の中で話したりしていたが、すでに時刻は8時になっているし、小雨も降り、荷物もありなので、駅からホテルへタクシーで直行となった。

富信大飯店は今回の旅行で唯一ホテルらしいホテルだった。
台北のホテルとしては比較的手ごろな金額だけれど、汐止という中心部からはちょっと離れたところにある。
今夜はここに寝るだけで、明日の朝早く空港へ向かうのだから、立地はあんまり問題ではない。
しかし、和男さんは駅弁をほとんど食べていないし、お腹もすいているだろうから何か食べさせたいのだけれど、ホテルの周辺には飲食店もない。
それに外は雨が降っている。
和女さんはチャーハンが食べたいというので、コンビニへ夜食になりそうなものを買い出しに行って届ける。

12月17日 (日)
朝6時にはチェックアウト。
ホテルらしいホテルで快適に眠れた。
今日が最終日で、あとは空港へ和夫妻を見送るだけ。
和夫妻は台北市内の松山空港からの羽田行き。
私は昼過ぎに桃園空港からのバンコク行き。

記念写真
[ホテルのロビーで和夫妻と一緒に]

松山空港まではタクシーに乗る。
昨日もタクシーに乗ったけれど、台北のタクシーは大型の車が多い。
昔は小さな車ばかりだったけど、台湾も豊かになって、大きな車があたり前になっているのかもしれない。
タクシーの色はどれも黄色。
ホテルから空港まで直線距離だと近いはずだけど、あちこちクネクネと曲がったりしながらで、運賃は300元少々。
このタクシーの運転手はずっと無言のままだった。

松山空港の国際線カウンターは小さくて、行先も羽田、ソウル、上海くらいしかないようだ。
それでも中華航空の羽田行きカウンターには行列ができている。
並んでいる人に日本人はいないみたいだ。

和女さんは空港内の土産物店でパイナップルケーキを何箱も買われていた。
いろいろなメーカーが並んでいるけど、だいたいどこもひと箱が数百元もする。
台湾土産として人気だからなんだろうけど、随分と高いなぁと感じる。

和夫妻とは手荷物検査場前で別れる。
そして私は桃園空港へバスで向かう。
1週間の台湾旅行、とっても楽しかった。

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台湾一周旅行②
12月13日(水)
朝目を覚まして、そのまま温泉に浸かる。
昨晩は赤湯だったけれど、今朝は無色無臭のお湯。
外はまだ夜明け前。
この部屋のバスルームは広くて、そして大きなガラス扉でテラスに出られるようになっている。
2棟あるコテージで、私と和男・和女夫妻がどっちのコテージに入るかという段になった時、和女さんはバスルームが外から丸見えだから嫌だといわれて、私がこの大きなバスルームのあるコテージを使わせてもらう事になった。
このバスタブはほぼ正方形で、一辺の150cmくらいあるだろうか。
しかも源泉かけ流し。
のんびりとお湯に浸っているうちに、山の稜線が見えてきて、空の色が明るくなってきた。

贅沢な入浴
[こんな温泉を独り占めできるんだから贅沢なものだ]

朝食はまた食事場所まで下りなくてはならない。
下りは和男さんも問題ないけれど、また部屋まで戻ってくるときが上り坂になって苦労するから、荷造りを整えて、朝食会場からそのまま出発してしまうことにする。

朝食の内容は私好みで、ビーガンというか精進料理で、肉類が含まれていない。
その料理を皿の上に飾るようにきれいに並べてある。
ボリュームの面ではちょっと食べたりないのだけれど、和男・和女夫妻には適量とのこと。
この宿にはネコがたくさん住み着いていて、ネコ好きには居心地がよい。

ヘルシーな朝食
[このくらいが腹八分目]

宿のオーナーがふもとの埔里の町まで車で送ってくれることになった。
その車というのがアメリカ製の電気自動車のテスラのSUV。
大きな車で、ドアも横に開くのではなく、上に跳ね上がるようになっている。
車内も未来の車のようで、和男・和女夫妻ともスゴイねと感動している。
パワーもあって急な坂道も簡単に登ってしまう。
しかも、当然ながらエンジンが唸るなんて事もない。
オーナーはこれから台中まで所要で行く所だといっていた。

埔里からはバスに乗り換えて日月潭へ向かう。
バスはほぼ満席。
前日に乗ったバスも日月潭行きで満席になっていた。
平日なのに観光地へ向かう人が多いのには驚いてしまう。

日月潭で、和女さんはラルーへ行きたいと言っていた。
恥ずかしながら私はラルーが何なのか分かっていなかった。
和女さんの説明によれば、もと蒋介石の別荘で、リゾートホテルになっているとのこと。
なんのことはない涵碧楼のことではないか。
もともとは日本統治時代からある保養所だったものを接収して蒋介石の別荘にしたもの。
それが私の知らないうちにリゾートホテルに変わって、一般人も利用出来るようになっている。
一般人と言っても、高級リゾートで富裕層向け。
調べてみたらマネージメントは超高級志向のアマン・グループ。

日月潭のバス停にあるコインロッカーに荷物を入れて、湖畔沿いの遊歩道を歩いてラルーへ。
日月潭の湖畔などを歩くのは何十年ぶりだろう。
台湾にはずいぶんたくさん来ているし、埔里から日月潭はすぐだけど、あんまり日月潭へ行きたいという気にならずにいた。
台湾の人気観光地である九份も実は行ったことがない。
風光明媚と言われているけど、感動的というほどでもないように思えるし、それより観光地化しすぎていて嫌らしさを感じる。

でも、湖畔の「文学散歩道」みたいな演出がされている遊歩道は歩いていて気持ちがいい。
天気がよくて青空の下、湖水は緑色に見える。

文学散歩道
[文学とは縁がないので、これらはただのオブジェ]

遊歩道のまわりもよく整備されていて、足元が気になる和男さんでも問題なく歩いてもらえる。
さざなみがきらきら光る湖面を眺めながら、そろそろラルーの真下に来ているはず、どこかにラルーへの入り口はないものかと見回していたら、重厚で立派な入口の扉が目に入った。
この扉の向こうにはきっとエレベーターがあって、高台の上のラルーまで行けるだろうと思ったのだけれど、扉の前には「宿泊者専用」と書かれた札がある。
扉はオートロックになっているようで、どうやらルームキーでもかざさないと入れない構造のようだ。

少し霞んだ日月潭
[遊歩道からの景色は穏やか]

もと来た遊歩道を戻るのも悔しいので、そのまま先へ進んでいくことにする。
昼食時間にはまだ少し早いし、その先は遊歩道も湖畔から少し離れるが喰わず芋などの大きな葉が茂る緑のトンネルのような遊歩道も歩いていて気持ちがいい。
酸素の濃度が高いような気がしてくる。

やがて茂みの中から階段が見えてきた。
先遣隊として私一人まずはその階段の上に何があるかを偵察に出る。
およそ百段ほどの急な階段を上りきったところは教師会館という保養所になっており、その先にラルーへの入り口があることを発見。
二人が待つ遊歩道までもどり、和男さんの手を引いて階段を登る。

こうして苦労してたどり着いたラルーだけれど、やっぱり宿泊者以外はあんまり歓迎されていないような雰囲気も漂う。
たぶん私の身なりが貧乏くさそうなので、「あっち行けシッシッ」見たいになってしまっているのかもしれない。
「ランチを食べたいんだけど」と言ったら「ご予約はされてますか?」とちょっと慇懃に聞き返される。
予約なんてしていないと入れてくれないのだろうか。
それでも強引にレストランの場所を聞き出す。

ラルーからの眺め
[さすが高級リゾートは景観も違う]

が、ここで食べたいと思っていた中華料理のレストランでも門前払いを食らってしまった。
「予約で満席です」
時刻はまだ11時を少し回ったくらい。
店内には誰も先客など来ていない。
「ご予約のお客さんが来る前にさっと食べるからさ」と言ったものの相手にしてもらえない。
しかし、「洋食レストランなら1テーブルだけまだ予約できますよ」と教えてくれた。
全面的なシッシッではなかったようだ。

洋食レストランも店内に先客の姿は見られになった。
メニューはセットメニューからオーダーする。
和男さんはステーキを、和女さんは鴨を、そして私はビーガンを注文。
税金とサービス料合わせて一人前が二千元ほどになる。
「うーむ」と唸ってしまう。
先にも書いたけど、今回の旅費は和男・和女夫妻が全額出してくださっている。
それなのに、こんな贅沢をしてしまってよいのだろうか?
私はコースメニューではなく、スパゲティーの一皿でも良かったのではないかと反省。

レストランからの眺め
[レストランも日月潭に面して大きなガラス窓越しに景色が楽しめる]

レストランからの日月潭の眺めは美しかった。
レストランのサービスも良かった。
しかし、私のビーガン・コースは失敗だったようだ。javascript:pins(0);
料理の演出は見事なんだけど、ボリュームがステーキや鴨と比べると1/10くらいしかない。
全七品をいただいたけれど、ぜんぜん満腹とは程遠い。
一方、ステーキや鴨はボリュームがスゴイ。
「食べきれないわ」という和女さんから鴨を半分いただいてしまう。

小さな揚げ団子
[ゴマ団子の中にクリームシチュー]

石の上に花
[花びらも食べます]

バラの花
[皿の上のアート]

焼き石スープ
[原住民のスープだそうです]

メインディッシュ
[植物由来のハンバーグ]

コーヒー
[コーヒーはコーヒーだった]

フルーツ
[フルーツもふつうにフルーツだった]

高級レストランだからか、昼食に2時間近くも時間がかかってしまい、日月潭のバス停にあるコインロッカーで荷物を取り出そうとしたら時間オーバー(3時間ごとの計算)で、料金が倍額になっていた。
結構イイ金額になっているなと思いながらも荷物を取り出して大失敗。
次の目的地は台湾鉄道集集線の水里駅。
そこへ行くバスはあと1時間近く待たなくてはないなかった。
荷物を引き出さなかったら、また湖畔の散策でもして時間がつぶせたはずなのに、バス停のベンチでぼんやりとバスを待つしかなかった。

水里行きのバスは小さなマイクロバスで、ほぼ満席。
なんとか狭いながらも座る場所は確保できたけれど、荷物を持ち込んでだととても窮屈に感じた。
日月潭の西岸に沿ってしばらく走り、湖畔が遠のいたら山を下り始めた。
水里までの乗車時間は30分ほど。

水里駅は1999年の大地震の震源地に近い。
それまで水里駅の駅舎は戦前に建てられた木造建築で、高台の上に鎮座していたが、被災して現在はコンクリート製の四角い建物になってしまっている。
台湾でも赤字ローカル線はずいぶんと廃止になってきているけど、この集集線は廃止を免れている。
しかし、近年また自然災害が発生して、水里までは列車が通じておらず、隣の集集駅までバス代行となっている。
そのことは事前にネット情報で確認していたが、駅で切符を買おうとしたら駅員さんが一生懸命に不通になっている事を説明しようとする。

高台の上の水里駅
[コンクリート駅舎になった水里駅]

窓口から出て来てスマホを使って自動翻訳でしてシャトルバスに乗るようにと示す。
そのことは承知の上で、切符を買いたかったのだけれど、「嘉義までの切符」と私が言うと、また列車は来ないからシャトルバスに乗れと伝えようとする。
親切は嬉しいのだけれど、私は代行バスで隣の駅まで行き、そこから列車に乗る事を承知で切符を買いたいのだという事を伝えるのにちょっと苦労した。

水里駅のネコ
[駅のトイレ前で寝ているネコ]

隣りの集集駅までの代行バスは満員で、こんどは座ることができなかった。
和男さん、和女さんともバスの通路に立ってもらわなくてはならない。
隣り駅までだから15分くらいのものだけれど、荷物を持って満員のバスに揺られるのは楽ではない。

バスと列車を乗り継いで嘉義に到着したら5時半過ぎていた。
台湾は公共交通機関が発達していて便利という事になっているけど、乗換えや待ち時間で時間が結構かかる。
嘉義で和男さんと和女さんは駅近くのメガ・ホテルというビジネスホテルに泊まっていただく。
私はお金を節約する意味で、近くの旅社「義興旅館」という所に宿をとる。
メガホテルの半額以下。
義興旅館と書いて英語ではYes Hotelという事になっているらしい。
昔ながらの旅社に泊まるのは久しぶり。

嘉義駅前の安宿通り
[嘉義駅前には昔ながらの格安旅社が健在]

和女さんは夜店街を歩いて買い食いがしてみたいという。
ホテルの部屋に荷を卸してすぐに夜店街へ向かう。
歩けない距離ではないけど、和男さんも疲れているだろうからタクシーで向かう。

向かった先の文化路観光夜市は台北の士林や華西街の夜市と比べるとずっとローカルでにぎやかさに欠けていて、観光客向けというより地元住民の夜店街と言った感じ。
和女さんは串焼肉を食べてみたいと言う。
前回タイへ来た時にムーピンという豚肉の串焼きを食べて、感動してしまい、また食べたいと思っているらしい。
他にもピザのような蔥油餅を焼く屋台に行列ができていたので、並んで買い求める。
焼き上がりは円盤型でピザそっくりだけど、生地のこね方はタイのロティによく似ている。
そして、焼きあがったものは一口サイズに切り刻んでしまう。
なんとなく韓国のチヂミやお好み焼きにも似た食感。
さらにワンタンメン(饂飩麺)も食べてみたいと言う。
夫妻は横浜にある台湾食堂へワンタンメンをよく食べに行くそうで、その店は行列ができる店なのだそうだ。
それで本場(?)のワンタンメンに挑戦したいらしい。
屋台ではなく、ちゃんと建物の中に入っている大衆食堂風の店に入ってみる。
店内はお客さんでいっぱい。
従業員はテキパキとお客さんをさばいているし、店頭では大鍋で麺を茹でたりワンタンを包んだりと活気がある。
私はワンタンメンではなく麻醤麺というゴマたれ風味のヌードルをいただいた。
麺が白くて腰があり、讃岐うどんと良く似た麺だった。

食後に「台湾に来たらマンゴーカキ氷よね」と和女さんが希望されるが、この季節はまだマンゴーが出回っていない。ネットで調べるとちょっと歩いた先にコテコテのカキ氷を食べさせる店があるようだけど、もう歩きたくないので、夜店街の中のカキ氷屋に入ってしまった。
これが大失敗。
どこも混雑している夜店街にあって、この店はがらんとしている。
店員もやる気なし。
私と和女さんは氷アズキを注文したのだけれど、私と和女さんとでアズキの量がまるで違う。
和女さんのアズキは普通よりちょっと少な目と言った感じ。
そして私のは、アズキがスプーンでひとさじ分くらいしか入っていない。
ほとんど、無味な氷だけをひたすら食べる感じで、ちょっと食べただけで嫌になってしまった。
やっぱり台湾でも繁盛していない店には入るものではないようだ。

12月14日(木)
朝の7時に夫妻と待ち合わせて朝食を食べに行く。
向かった先はホテルから歩いてすぐにある庶民向け朝食屋。
既に事前に下見をしてあり、この店が朝7時にオープンすることも確認済み。
特に行列ができ長時間待ち有名店という訳ではなく、確かに店の前には行列ができているものの、それは持ち帰り注文の人たち。
そんな店にオープンと同時に向かったのは、店内にテーブルが一卓しかなかったから。
その一卓と言うのも、もともと店内での飲食用と言うよりか、作業台みたいなそっけないテーブル。

家族経営と思われる店内では、豆乳を絞り、肉まんを包み、卵を焼き、客さばきをすると言った大忙しの様相。
注文したのは肉まん、饅頭、餃子、煎餅など、搾りたての豆乳も飲んだ。
繁盛するはずで、値段は安くておいしい。
私が豆乳と一緒に食べたいと思っていた油条は店のメニューに入っていなかった。

豆乳絞り機
[大豆から豆乳が絞られていく]

さて、待望の阿里山鉄道に乗るため駅へ向かう。
数年前の災害で、嘉義から阿里山までの本線は、途中の十字路という駅から先が不通になっている。
今回阿里山鉄道を利用する目的は阿里山に行くためではなく、ただ阿里山鉄道に乗りたいだけなので、阿里山へ宿泊せずに途中までの日帰り。
終点は十字路駅だけれど、十字路駅周辺には何もないとのことなので、少し手前の奮起湖駅まで乗車する。
奮起湖は小さいながら老街と呼ばれる昔風の街並みが残っており、最近は奮起湖弁当という駅弁が人気になっている。
和女さんも奮起湖弁当を食べたいと企画段階からリクエストをしていた。
朝9時、赤い小さな客車を連ねた阿里山号に乗り込む。
エアコン、リクライニングシートの観光列車。

阿里山鉄道嘉義駅ホーム
[鉄オタでなくてもみんな写真を撮ろうとする]

乗客は観光客ばかり。
ゴロゴロゴロと車輪がレールの上を転がる感覚がわかるような車体で、周囲の軒先をかすめるようにして嘉義の住宅街の裏側を走る。
最初の停車駅は「北門」のはずだけれど、工事中とのことで通過。
竹崎を過ぎると田園風景、そしてやがて山の中へと入って行く。
車内は満席。
この切符を予約するのには苦労した。
発売と同時にオンライン予約を試みたけれど、復路の切符しか取れなかった。
それがたまたま数日後にダメもとでオンライン予約に空席が出ていることを見つけて、慌てて予約した。
乗客の大半がツアー客みたいだから、きっと団体予約のキャンセルでも出たのかと思う。

車内の様子
[通路を挟んだ反対側の方が景色が良いみたい]

車内ではアナウンスも入る。
中国語以外に英語や日本語でも案内が流れる。
森林鉄道としての役目を半世紀も前に終えてしまった阿里山鉄道も、観光列車としてはまだまだ現役でいるようだ。
しかし、平日は一往復しか走らず、切符の入手が困難では、観光客の誘致にも限界がある。
せっかく人気があるのだから、もっと増発すべきではないかと思う。

独立山のループ線を登り、標高を上げていく。
私が初めて阿里山鉄道に乗ったのは40年前の1983年の夏。
観光列車ではなく、木造の客車を使った普通列車で、エアコンもなく、窓を全開にしていた。
そんな車窓から竜眼の実がたわわに実っている光景が印象的だったけれど、今回乗ってみて竜眼の木を確認できなかった。
途中駅でもたまにハイカーが乗り込んでくる。
しかし、満席なので通路に立っての乗車となる。

独立山ループ線
[眼下にさっき通過した集落が見える]

2時間半ほどで奮起湖に到着。
阿里山号はまだこの先の十字路駅まで行くけれど、大半の乗客が奮起湖駅で下車したので、小さな駅は人でいっぱいとなる。

阿里山号
[機関車は後ろで、客車が前]

早速「奮起湖弁当」の店へ向かう。
弁当で有名になったので、駅前には何軒もの弁当を食べさせる店が並んでいるけど、せっかくなので本家の奮起湖大飯店に入る。
ここが一番人気のようで、本業の旅館業より弁当で賑わっている。
店内は弁当を求める人、弁当を食べる人で満員。
私たちは屋上へ登って食べるように指定される。
弁当はもともと駅弁で、日本の駅弁とは違って労働者が食べるような弁当。
楕円形をしたアルミの弁当箱に飯を詰め、その上に肉や野菜の炒め物、味付け玉子が無造作に乗っかっているというもの。
特別に美味しいというほどではないけど、ブームになっていて、阿里山鉄道で来た人たちだけでなく、車で登ってきた人も多そうだ。
そうな人気弁当のせいか、お値段もちょっと高めの設定となっている。

奮起湖弁当
[アルミの弁当箱は食べ終わったら回収される]

奮起湖の老街を散策するべきだったけれど、坂の多いところで、人も多い。
ちょっと和男さんに歩いてもらうには厳しそうだと判断。
それに帰りの切符は奮起湖より先にある始発駅、十字路から買ってある。
ちょうどうまい具合に奮起湖から阿里山へ迎うバスが十字路を通るので、そのバスに乗って十字路へ向かうことにする。
阿里山鉄道では不通区間があって、阿里山まで登れないけど、バスだと所要時間も短く、運賃も半額ほどで阿里山に到達できてしまう。
阿里山鉄道で奮起湖まで来た人もここでバスに乗り換えて阿里山へ向かう人も多いようで、奮起湖バス停からはたくさんの人が乗りこみ、バスは満席になった。
30分ほど乗って、十字路バス停に到着。
ここで下車したのは私たち3人だけ。
嘉義へ戻る阿里山鉄道の出発まで20分ほどあるけど、駅はバス停から急な坂道を上ったところにあるので、それほど時間に余裕はない。
それでも、バス停前の雑貨屋で客家伝統の餅菓子を売っていたので購入する。
和女さんによると、和女さんが買おうとしたら、先客が大量に買い占めてしまって、ほとんど残ってなかったのよとのこと。
この客家の伝統菓子、草仔粿というそうで、芋やピーナッツなどの餡を餅で包んで蒸したもの。
味は餅の表面に油っ気があるけれど、薄味で美味しかった。

赤い機関車
[十字路駅]

十字路駅からは車内に空席が目立ったけれど、奮起湖からまた満席となった。
やはり途中の駅から時々ハイカーが‐乗り込み、また途中の駅で降りて行く。
線路に沿ってハイキングコースがあるのかもしれない。

車窓が楽しい
[たぶん平均速度は 20km/hくらいか、この鈍さが面白い]

嘉義へ戻ってきて、その足でそのままタクシーに乗って檜意森活村と言うところへ向かった。
ここは戦前の木造官舎群が残っており、そうした建物を利用した日本統治時代へタイムスリップしたような場所になっている。
元の官舎はカフェや土産物店などになっており、日本の浴衣などを貸し出して、記念撮影なんかもできるようになっているらしい。

檜意森活村
[日本情緒を演出しているけど、日本にはないだろうなこんなの]

すでに日没時間が近く、薄暗くなっていたけれど、敷地内を少し歩き、和女さんは木彫りをするための檜材が売っていないかと探されたけれど、適当なものが見つからず、代わりに土産としてハチミツを買われていた。

夕食には町外れに近い小籠湯包を食べさせる店へ行くことにした。
嘉義で一番うまい店として紹介されていた豆豆湯包という店。
そこまでもタクシーを利用したが、その運転手、我々が日本人だと知ってなぜか大喜び。
一生懸命説明をしようとするし、車内で日本の懐メロ風歌謡曲を流したりする。
なんでそんなに歓迎されているのかよくわからないけど、嫌な気分ではない。
降りるときは運賃を5元値引きしてくれた。

豆豆湯包は人気店らしく、行列ができていた。
素直に行列に並び、順番が回ってくるのを待つ。
その順番もすぐには回ってきそうにないので、和夫妻に並んでもらい、私は列から離脱した。
離脱の目的は紹興酒を買いに行きたいから。
小籠湯包と一緒に紹興酒が飲みたいと思っている。
しかし、店の周辺を回ってみるけれどどこにも紹興酒は売っていない。
紹興酒とよく似た「黄酒」を置いているコンビニはあるけど、紹興酒が欲しい。
でも、探し回ってあんまり和夫妻を待たせても心細いだろうから、途中で紹興酒探しをあきらめる。

豆豆湯包は間口は狭いけれど、店の奥が倉庫のように広い空間となっており、そこに素っ気ないテーブルが並んでおり、みんな小籠湯包を食べている。
和夫妻は酸辣湯も注文。
醤油や酢、針生姜はセルフサービス。
湯気の立つ小籠湯包はあっさりとした薄味で美味しい。
と、食べている途中で大失敗。
小ぶりの肉まんに齧りついたら薄皮が裂けて、中のスープが弾けだしてしまった。
ズボンには小籠湯包のスープがシミを作っている。
あっさり味だけど、豚の脂が含まれているだろうから、履いているズボンの上から飲料水をかけてシミ取りを試みる。
今回の旅行で替えのズボンを持ってきていないので、小籠湯包のスープと水でズボンがビショビショになっているけど履き替えることもできない。

豆豆湯包は町はずれにあるため、駅前のホテルへ戻ろうにもタクシーが捕まえられそうにない。
路線バスの方が確実かと思いバス停までしばらく歩く。
その途中で酒屋を見つけたけれど、最初に入った酒屋にも紹興酒は置いてなかった。
2軒目に入った店ではかろうじて紹興酒の瓶を見つけたけれど、それは貯蔵期間の短い普及品の紹興酒。
私としてはせっかくなので、少し寝かせてある陳年紹興酒を飲みたかったのだけれど、陳年は置いてないとのこと。
店の主人は、息子らしい若主人に「日本人は紹興酒が‐好きだから」と説明しているのが聞こえた。
本当に今の台湾の人は紹興酒を飲まなくなってしまったようだ。

バスに乗る前、和女さんはスーパーに立ち寄って、キクラゲを土産用にと買い込まれた。
日本ではキクラゲが高級品で高いけど、台湾では安く手に入るとのこと。
タイでもキクラゲなんかは安食堂の野菜炒めにも入っているくらいの食材。
キクラゲが南国の特産品だからか、それとも中華食材だからなのかわからないけど、キクラゲが土産として喜ばれることを初めて知った。

バスの中はネコだらけ
[市内バスの車内、なんでネコなんだろ]

[つづく]

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台湾一周旅行①
12月11日(月)~17日(日)にかけての一週間、台湾へ行ってきた。
コロナ後にも何度か台湾へ立ち寄っているけれど、本格的に旅行したのはこれが最初。
今回の旅費は同行の5Linesさん(仮名)夫妻が全額負担してくださっているので、私はその分を案内役兼荷物持ちとなる。
しかし、5Linesさんでは、なんだかしっくりこないので、ご主人を和男さん、奥さんを和女さんとさせてもらうことにしよう。
もちろんこれも仮名。

夫妻とは成田空港での待ち合わせ。
私は始発電車で向かったけれど、横浜からリムジンバスを利用されてきた夫妻の方がずっと先に到着されていて、私が成田に着いた時にはすでにチェックインまで済まされていた。

空港バス
[午前6時過ぎには東京駅からバスに乗っていた]

台北まで夫妻はビジネスクラス、私はエコノミーなのだけれど、メンバーの特権でラウンジが利用できる。
しかも、ファーストクラス用のラウンジ。
だけど中華航空はちょっとしけてて、私と一緒のラウンジを利用できるのは同伴一名までとなっているそうで、三人一緒にファーストラウンジは使えないそうだ。
もっとも、成田空港の中華航空ラウンジではファースト用では食べ物などをテーブルに係が運んできてくれるサービスがあるくらいで、食べ物のメニューはビジネス用と何ら変わらない。
むしろ自分の目で見て好きなものを好きなだけ皿に盛ってくることのできるバイキング式の方が私の好みにあっているとも言える。
好物の稲荷寿司を食べ、紹興酒や生ビールもいただく。

台北までの4時間、機窓から富士山が少し見えたり、映画「ラーゲルより愛を込めて」を見て過ごす。
夫妻の席への行き来ははばかられたのだけれど、後で聞いたら機内食で「中華と洋食のセット」を希望したけど、品切れで和食になったとのことだった。
朝早い便だからか機内では半分くらいが日本人だった。
こんなに日本人の多い飛行機は久しぶりな気がする。

台北、桃園空港に到着し、優先レーンを使わせてもらったので、スムースに入国。
更にそのまま台中行きの高速バスにも好接続。
和女さんはこのバスが気に入られた模様。
3列シートだからゆったりしているし、乗り心地も良い。

今夜は台中で一泊。
ホテルはパークシティーホテルというビジネスホテル。
荷物を降ろして、さっそく街歩き。
和男さんは最近だいぶ足腰が弱くなってしまって、あんまり歩けない。
台湾の街も以前と比べて随分とモダンになってきているけど、ホテル周辺は街の中心に近いとはいえ、まだまだ古い建物も多い。
そうした場所では歩道が歩きにくい。
段差は多いし、バイクが歩道をふさいでいたりする。
注意しながら歩いていたつもりだけど、和男さんが転んでしまった。
脛を打ってしまったようだけれど、「大丈夫」と言う。
それからは段差があるごとに手を取るようにして歩く。

和女さんが足つぼマッサージを受けたいという。
台中駅へ向かっている途中でマッサージ屋を見つけたが、マッサージ師が一人しかいないという。
和男さんは私と同じ体質でマッサージが好きではないから、マッサージ師が一人しかいなくても、自分は待っているから構わないという。
しかし、マッサージ屋の看板には「足裏マッサージ」と書かれていたけれど、このマッサージさんは足裏はできないという。
それでもせっかく来たからと和女さんは全身マッサージを受けることにする。
その間に私はひとり台中駅へ走って、こんかいの台湾旅行で乗る電車の切符を受け取りに行く。
電車の予約と支払いはすでにインターネットで済ませてあったので、窓口で受け取るだけ。

切符も受け取り、マッサージ屋へ戻って、また3人で台中駅まで歩いてみる。
好奇心旺盛な和女さんは新しくなったモダンな台中駅に興味津々。
大きくてすごいという。
そんな駅のコンコースから夕陽が見えた。
夕陽の写真を撮っていたら「何しているんですか?」と日本人の男性グループに声をかけられた。
夕陽が綺麗だから写真を撮っていたんだと答えたけれど、こんどは「あっ、テレビかなんか、この方は女優さん?」などと言ってくる。
なんか、随分となれなれしい男性たちだけれど、和女さんはニコニコ。

台中駅での夕陽
[尖がり屋根は旧台中駅の時計塔]

夕食は台中駅近くの「宮原眼科」という店で予約してある。
ここは台中の観光名所にもなっているところで、1階はお菓子を売る店、上の階はレストランになっている。
台湾土産で人気のパイナップルケーキで成功した「日出」という企業が、戦前の建物を改装したものなんだそうで、戦前は宮原眼科と言う本当に眼科医の建物だったらしい。
以前にもちょっと立ち寄ったことがあるけど、大きくて高級感のある菓子屋で観光客であふれており、店の周辺でもアイスクリームを食べている人がたくさんいた印象が残っている。

今回来てみると、店内はクリスマスの装飾であふれていた。
以前の印象と異なり、店内の広さはそれほど広いとは感じなかった。
上の階に通されてテーブルに案内される。
日本人客も多いのかメニューは日本語も用意されているし、スタッフにも日本語で通じる。
前菜から選び始めて、魚料理、鶏料理、豆腐料理、それにチャーハンなどあれこれと注文してしまう。
だいたいどれも一品が300元くらいのものばかり。
特別豪華なメニューは注文していない。
基本は台湾料理らしいけれど、創作料理的な感じも受けるし、盛り付けも洒落ている。
店内の印象やスタッフの服装も金色と赤のコテコテな中華料理屋とは違って、西洋料理の店のようなスマートさがある。
来店客は普段着のままの人が多い。

宮原眼科
[クリスマスの雰囲気を出している宮原眼科]

料理の味の方は、超美味で感動と言うほどのことはなく、味付けはあっさり系で、麻婆豆腐などもあんまり辛くなかった。
それよりも、料理を注文し過ぎて、デザートなどを注文することができなかった。

2日目、12月12日。
朝食会場はホテルの2階でバイキング。
料理の種類は充実している。
会場内には日本人が半分くらい占めている。
若い学生風が多いので、聞いてみたら大学の研修旅行で滞在しているそうだ。
タイだったら卵をオーダーで料理してくれるコーナーがあったり、ヌードルを茹でてくれる模擬店風があったりするけど、ここでは料理が綺麗に並んでいるだけ。
台湾に来たら棍棒みたいな油条を豆乳と一緒に食べたいと思っていたけれど、このバイキングの中に油条はラインナップされていなかった。

8時過ぎにホテルを出て、埔里へ向かうため駅前のバス停からバスに乗る。
バスは埔里経由の日月潭行き。
観光ルートを走るバスで、途中で新幹線の台中駅にも立ち寄る。
乗車したときは空席があったけれど、新幹線の台中駅で満席となり、積み残しも発生。
乗客はほとんどハイキングルック。
平均年齢は比較的高くて夫婦ものが多い。
平日の火曜日に遊びに行こうというのだから、仕事をしている世代が乗っていないのは当然かも。

埔里からは今晩の宿を通じて車を手配してある。
一日借りて、5,500元。
ちょっといい金額。
ドライバーは王さんという退役軍人。
日本語はわからない。
聞けば外省人で両親は山東省から台湾へ渡ってきたのだそうだ。

こちらの希望ルートは埔里から武界、萬大、霧社、武陵、合歓山、清境農場、蘆山温泉、宿と回ってもらうように伝えてあった。
車はレクサスのSUV。
新車ではなく、あちこち傷が付いているけど、ドライバーの王さんの自慢の車らしい。
台湾は高級車に乗っている人の割合が日本より高いような気がする。

埔里の街から武界へ向かう途中、王さんはなんどか車を止めて道を尋ねたりしている。
どうも武界へ行ったことがないようだ。
私も武界へは足を踏み入れたことがない。
しかし、武界へは一度行ってみたいと思っていた。
山地民の蜂起事件である昭和5年霧社事件よりさかのぼって、領台初期のころ日本官憲の策動により霧社のセイダッカ族が当時カンタバンと呼ばれていた武界のブヌン族により多数殺害された事件があった。
姉妹が原という場所におびき寄せられた未帰順のセイダッカをブヌンが襲撃したもので、日本官憲によりブヌン族を使ってセイダッカの勢力を削ごうとしたもので「毒をもって毒を制する」とされた。
その武界は交通の便が悪くて、一度行ってみてみたかったけれど、ずっとかなわなかったけれど、こんかいやっと行けることになった。
和男・和女夫妻には、武界に行くとこの季節に川の苔が紅葉して川が赤く見えるらしいと言って誘ってあった。

埔里から武界へは舗装こそされているけれど急な峠道。
峠を越えて下り坂となり、あと少しで武界というところで和男さんが車酔いをしてしまった。
車を止めてしばし具合が良くなるのを待つ。

武界の濁水渓では苔の紅葉がまだ始まっていなかった。
そして、この先で道路工事をしているので萬大方面へは通行止めとなっているとのこと。
せっかくここまで来たけれども、ふたたび同じ道を埔里へ向けて引き返す。
戻り路でもまた和男さんは酔ってしまい、埔里へ戻ったところで薬局に立ち寄って酔い止めを買う。
和女さんはあちこちにあるビンロウ売りに関心を示して、ビンロウを作っているところを見てもらう。
好奇心にあふれているということは、若さを保つ秘訣かもしれない。

武界の橋より
[濁水渓の紅葉はまだ早かったようだ]

だいぶ時間をロスしてしまった。
埔里から霧社へ入った時には、もう12時を回っていた。
霧社の町の簡易食堂で、簡単な昼食を済ませたいと思っていた。
学生のころによくここの簡易食堂で玉子チャーハンと豆腐のスープを昼食に食べたものである。
あれは霧社飯店というなの店だったように記憶している。
その店はすでにないが、隣の名蘭飯店はまだGoogle Mapに表示されている。
そこで玉子チャーハンと豆腐のスープを食べてみたかった。

しかし、名蘭飯店のシャッターは閉まっていた。
似たようなほかの店でも構わないと思ったけれど、ドライバーの王さんはこの先に安くていい店かあるからそこへ行こうという。
霧社を過ぎるとリゾートのような場所ばかりで、大衆食堂のような店は周辺に集落がないこともあって、ありそうにない気がする。
そして車が止まった店は、私の志向するような大衆食堂ではなく、観光客向けの飲食店。
伊拿谷景観餐飲天。
王さんの知り合いの店らしい。
大きな水槽には鱒が泳いでおり、最近このあたりで名物としてどの店でも看板にしている甕缸鶏という甕焼きローストチキンの甕が並んでいる。
景観餐飲と言うだけあって、テラスに出ると春陽や蘆山の集落が眼下に見える。
しかし、テーブル席からは景観など何もない。
メニューを見たが、昨晩の宮原眼科とほぼ同じくらいの価格帯が並ぶ。
そのなかでもなるべく低価格の料理を選んだら、切り干し大根のオムレツ、キャベツ炒め、豆腐のスープなどとなった。
他のテーブルは、鱒やチキンを盛大に食べている。
店の人や王さんも進めてくれたけど、頑として簡単なものだけを注文。
和男さんにも和女さんにも、この手のメニューは好評だった。

食後はさらに山へ登っていく。
薬が効いているのか和男さんの車酔いは止まっているようだ。
このあたりは民宿と呼ばれる宿泊施設が多い。
民宿と言っても日本の民宿とはだいぶイメージが違う。
高級ペンションと言った感じ。
なかでもイギリス・チューダー様式のまるで貴族の館のような宿泊施設なんかもある。
その辺のホテルなんかよりずっと値段も高いようだ。
ほかにもヨーロッパ風やスイスの山小屋風など台湾とは思えないような宿屋が並ぶ。
昔からこのあたりは風光明媚で、観光客に人気があったけれど、宿泊施設はあんまりなかった。
それがいまや一大リゾートになっている。

松岡、翠峰と登り、標高は2,000メートルを超えたところで、霧に包まれて視界が悪くなった。
合歓山からの絶景を和男さんと和女さんに見せたいと思っているのに、まったく真っ白の世界になってしまった。
標高が高くなってきているので、周囲の木々も針葉樹が目立ってきた。
道は一車線のところもあったりするけど、対向車も多い。
大型バイクで登っている人もいれば、自転車の人もいる。
車はやはり高級車が多い。
鳶峰あたりまで来たら雲の上に出たのか、霧は消えて青空が広がった。

青空
[雲の上に出たら空が近くなった]

台湾山脈の山岳美。
一大パノラマが見渡せる。
前方には荒々しい山肌を見せる奇莱山が聳え、また道はこんもりとした三角形の峰が続く合歓山へと横一文字、少し斜めに切り込みを入れたように続いているのが見える。
空は青く、透明感があり、太陽が白銀色の光を放っている。
空と言うより手を伸ばせば宇宙空間に届いてしまいそうだ。

奇莱峰
[荒々しい山肌を見せる奇莱峰]

午後3時前に合歓山の駐車場に到着。
標高は3,000メートルを超えている。
空気が薄いためか和男さんは展望台への階段を登るのにも苦しそう。
和女さんは元気で、階段も楽々。
展望台からの絶景を楽しんでもらった。
下界は雲海に包まれて、一面の銀世界。
この景色を見せることができて良かった。

山岳美
[下界には雲海が広がっているのが見える]

標高が高いので、日影に入ると寒い。
風も冷たい。
12月なんだから当然で、ここでは雪も降る。
かつてはスキー用のリフトまであったけれど、地球温暖化のせいだろうか、最近はほとんど雪も降らないらしい。

山から下りる途中で、和女さんが烏龍茶をお土産に買って行きたいという。
このあたりは高山茶の産地。
品質の良いお茶が栽培されている。
茶畑も多いけれど、むかしと比べると茶畑が減って果樹園が増えているように感じられる。

松岡あたりまで来るとお茶を売る店がポツポツと現れてきて、そのなかの一軒に立ち寄ってみた。
若い奥さんが点茶をたててくれて、烏龍茶の入れ方や飲み方を説明してくれる。
すこし日本語もわかるようで、高校生の時に勉強したという。
お茶の葉はくるくると丸めて正露丸の粒のようになっているけれど、これをお湯に浸すと開いてきて、きれいな茶の葉に戻る。
もどった葉は欠けているところもない。
手作業で一粒ずつ作っているのだそうだ。
そのぶん値段も高い。
このあたりの霧社高山茶と山の裏側にある梨山のお茶の二種類を和女さんは買われた。

烏龍茶
[烏龍茶は香りも大切]

蘆山温泉まで来た時にはもう夕方5時半近くになっていた。
この夏に蘆山温泉はまたも大水害に襲われて、川沿いは壊滅的な被害を受けていた。
以前から蘆山温泉は温泉街の閉鎖が決められており、移転して廃業した宿が目立っていた。
さらに追い打ちをかけるようにコロナで私の定宿だった蘆山園も廃業。
コロナ後も残っていたのは殆どなかったところへ大水害で、温泉宿の建物ごと押し流し、水没させてしまった。
写真や動画などでその様子は見てきたけれど、実際の眼前に展開する被災した様子を見たらば悲しくなってしまった。
私が通っていた蘆山温泉もとうとう止めを刺されてしまった感じである。
そんな中で、吊り橋のたもとで粟餅を打売っていた店は、まだ廃業もせず、いつ来るかともわからない観光客を待って店頭で粟餅を並べていた。

水害の爪痕
[土砂を埋め尽くしてしまった]

さて、今夜は温泉のある宿なので、温泉で暖めた紹興酒を飲みたいと思って、山から下ってくる途中でコンビニに立ち寄ったけれど売っていなかった。
寂れてしまった蘆山温泉でかろうじて店を開けている土産物屋兼雑貨屋で聞いてみたけれど紹興酒は置いていないという。
これはどういうことだろうか。
ここ南投県は台湾で一番の紹興酒を産する土地。
しかるに、売られていない。
紹興酒を買えずにそのまま宿へと向かう。

今夜の宿は戦前には桜温泉と呼ばれたところで、タロワン大地を下ったところにある森之秘湯というロッジ風の宿。
山の斜面にロッジ式の建物が点在していて、フロントやレセプションなどと言ったものはない。
ドライバーの王さんは勝て知ったるが如く私たちを道端のコテージへ案内した。
そこには宿の従業員だという林さんと言う男性がいて、「夕食は6時半まで」という。
時刻はすでに6時を回っている。
そして、食事はこの先の谷の方へ歩いたところだという。
しかし、すでに夕闇の中で、道は真っ暗。
食事は温泉から出た後でと考えていたけれど、急がなくてはなるまい。
ドライバーの王さんが食事場所まで車で送ってくれるという。

夕食場所には先客が2組いた。
そして夕食のメニューは鍋。
台湾の流儀で、鍋は一人鍋が、私たち3人に3つの鍋が用意されている。
私は失礼して缶ビールをいただくことにする。
3人で食事をしていると一人の老人が現れて日本語で話しかけられた。
昭和5年生まれで、長く電力会社で働いてきたという。
日本語はしっかりしており、また年齢とは思えないくらい話し方もしっかりしている。
先年図書館で転んで足を怪我してから、歩くのが困難になったとも言っていた。
その老人が和女さんの年を聞いて、「信じられない、そんな年には見えない、いゃ、とってもかわいいのに」と言うものだから
和女さんはまたまた上機嫌。
台湾に来て女優と言われたり、アイドルみたいにかわいいと言われたり、、、

宿舎は二棟続きのコテージで、リビングがドア一つでつながっている。
2階建てで1階にはリビングとバスルーム。
2階が寝室になっている。
とても広くて私には贅沢すぎる空間。
お風呂も巨大で、ちょっとした旅館の浴場くらいあり、数人が一度に入浴できるくらい。
ここの湯は、2種類あって、真夜中までは赤い色をしたお湯で、夜中過ぎからは透明な湯に変るそうだ。
赤い湯は鉄分でも入っているのかよく温まり、温泉に浸かったらまたビールが飲みたくなって、食事場所に併設されているキッチンまで真っ暗な中を缶ビールをもらいに行く。

森之秘湯の部屋
[こんな部屋に一人で占有するなんて身分不相応]

つづく


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