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最後のイサーン 後編
1月17日(水)、お母ちゃんはまたパートンコーがー食べたいというので、町中へパートンコーを探しに出かける。
前回買ったパートンコーは高かったので、もっと安いのはないかと探したのだけれど、なかなか見つけられず、随分と歩き回ることとなった。
やっと市場のはずれで数個のパートンコーが売れ残っているのを発見し、買い求めて宿へ戻る。

この日の行程はメコン川沿いにルーイ県のチェンカーンまで。
最初に立ち寄ったのはシーチェンマイ。
メコン川を隔てて対岸にビエンチャンをのぞむ田舎町。
川沿いのビューポイント近くにお寺があり、お堂は白く塗られていながら、壁面には青い陶器や陶片が埋め込まれており、なかなか瀟洒な印象。
このお寺も最近のインスタ人気を狙っているのだろうか?
残念ながら私は気に入ったけど、まだインスタには火がついていないようで、ひっそりとして境内では犬たちが昼寝をしていた。

シーチェンマイの白い寺
[インスタ狙いの寺院が増殖中]

昼食はシーチェンマイの国道沿いにあるベトナム料理屋でネームムアンをいただく。
日本風に言えば生春巻きなのだけれど、生春巻きの皮の大きさはシュウマイの皮くらいしかない。
なので、ネームと言う竹輪のような練り物や菜っ葉などを詰め込んで巻くにはちょっと小さすぎる。
むしろサニーレタスでネームを包み、それに添えて食べる方が食べやすい。
ウドンタニにはVTレストランという大きなベトナム料理チェーンの本店があり、そこでの看板メニューもネームムアンとなっている。
タイでベトナム料理と言ったらこのネームムアンなんだろう。
日本では米粉ヌードルのフォーがベトナム料理として有名だけれど、タイにあるベトナム料理屋ではフォーを見かけることはあまりない。

シーチェンマイのベトナム料理屋はとてもローカルな店で、値段も安い。
そして美味しい。
特にピーナッツ風味のソースやチリソースがとても美味しいので気に入っている。
難点はエアコンのなくて大通りに面して開放されているということ。

昼食のあともメコン川沿いにドライブ。
メコン川も川幅広くゆったりと流れているだけではなく、浅くて岩場だらけのところもあったりする。
どこかに本流となって、深さのある場所もあるのかもしれないが、岸から見ているとまるで岩場に堰き止められ、干上がりかかっているかのような印象を受ける。
こんな状態でも水運として利用されているのだろうか?
中国が上流にダムを作ったのでメコンの水量が減っているとも聞いている。

メコン川の岩場
[日本なら鬼の洗濯板とでも名付けそうないわば]

チェンカーンでの宿は中心部近くのバーントーファンという民泊のような宿。
以前にも何度か泊まったことがあり、ここの女性オーナーの気遣いがいいので気に入っている。
宿と言うより、民家で、部屋の中の家具なども普段使いのモノに見える。
でも、掃除は良くされており、チークの床などは磨き上げられすぎて、くつ下で歩くと滑って転びそうだ。

日没をメコン河畔の寺院から眺める。
チェンカーンは夜のウォーキングストリートが観光の目玉になっていて、人気が高いのだけれど、お母ちゃんと歩くと、三分の一も歩かないうちに足が痛くて歩けないということになってしまった。
夕食は宿近くの食堂で食べる。
外国人旅行者に人気のある食堂のようで、値段は安めだし、料理の味も悪くない。
主人がひとりで切り盛りしているためセルフサービスで、出来上がった料理は自分でテーブルへ運ばなくてはならない。
店内には日本人男性が一人いて、隣のテーブルで食事をしているタイ人女性二人組に盛んに話しかけていた。

メコンの夕陽
[ちょっと遅れて落日は見えなかった]

1月18日(木)、チェンカーンでのおすすめ観光場所のひとつがプートーク山からのご来光。
とくにこの季節だと下界に雲海が広がって荘厳な景色が楽しめるのだけれど、お母ちゃんは「別に見なくてもイイ」と言って行きたがらない。
私は飽きるほど見てきており、それでもお母ちゃんに見せてあげたいと思っていたけど、行きたがらないものを連れ出しすと碌なことにならないことは経験上百も承知なので、プートークのご来光はパスすることにした。
そのかわり一人でメコン川沿いの夜明けを見に出かけた。

朝の遊歩道にて
[川沿いの遊歩道でネコを発見]

チェンカーンでは、プートークのご来光の人気が高いけれど、街中での行われる早朝の托鉢風景も観光客に人気が高い。
しかし、観光客に人気が高いということは、観光化されているということで、托鉢喜捨体験としては面白いかもしれないけれど、むかしから続いてきた托鉢風景を期待しているとがっかりさせられてしまう。
実際、托鉢などタイなら毎朝いたるところで見られる光景だと思っている。
市場でパパイヤを買って朝食とする。

托鉢
[フィルムカメラCANON AE-1で撮影]

チェンカーンからピサヌロークまでならその日のうちに行きつける距離だけれど、各駅停車並みにのんびり行程とする。
本日はチェンカーンと同じルーイ県のプールア泊まり。
車で走れば半日行程。
チェンカーンを出てしばらくはメコン川に沿って走るが、タイとラオスの国境はチェンカーン・スカイウォークがあるあたりまではメコン川が仕切っているが、その先はナムフアンという小さな川が国境になっている。
その川沿いに走っていたら右に曲がったらノーンプーと書かれた標識が出ていた。
ノーンプーがどんな所かわからないけれど、時間もあるので立ち寄ってみることにした。

ノーンプーはタイのどこにでもあるような眠ったような田舎集落。
やはりナムフアン川のほとりにあるのだけれど、その川の対岸にラオスの村が見える。
見た感じではノーンプーよりも大きそうだし、小さい川だからそのまま歩いて渡れそう。
川岸からしばらくラオス側の村を眺めていた。

ノーンプー村からラオスを見る

再び国道に戻りそのまま先へ進んでみたらラオス側へ渡る橋への案内標識が出てきた。
その橋の方へとハンドルを切る。
お昼時で日差しが強い。
国境の橋は川の小ささとは対象的に大規模な出入国税関施設があった。
車を止めてイミグレーションでここからラオスへ遊びに行ってくることができるかと聞いたらできるという。
橋は歩いては渡れないので、駐車場で待機しているトゥクトゥクを雇うようにとのこと。
ラオスへ行けるとなれば行ってみたいのだけれど、行った先に何があるのか何も情報を持ち合わせていない。
でも、とにかくトゥクトゥクに乗って対岸へ渡ってみる。
この程度の川には不釣り合いなほど立派な橋を渡ったラオス側は埃っぽくてなんにもない。
あるのは貧弱な国境市場くらいで、歩き回って面白そうなところはなんにもない。
どうやらこの国境は街からだいぶ離れたところにあるらしいことはわかった。

国境にて
[国境の橋は徒歩では渡れずトゥクトゥクを雇う]

また小型トラックを交渉して借り上げ、街までの往復を依頼した。
街に何があるかを聞いたところ、ここより大きな市場があり、食堂もあり、お寺もあるということだった。
舗装はされているけれど埃っぽい道路で丘陵地帯をしばらく走ると、なるほど少しは大きな市場に到着した。
トラックにはここでしばらく待ってもらい市場周辺で食事ができそうなところを探す。
国境の町の市場と言っても、売っているものは雑貨と生鮮食品、衣類や農機具など。
食事ができるような施設はなかなか見つけられない。
地元の人たちは薄暗い市場の中の簡易食堂で何やら食べているけど、いっしょになって食べようと言う気にならない。
一人ならまだしも、お母ちゃんと一緒なので拒絶されることは火を見るより明らか。
市場を抜けてたところにゲストハウス風のコテージがならんだ宿泊施設があったので、食事の提供をしているのではないかと入ってみたけれど、食事どころか営業をしているのかさえ疑わしく、施設内にはだけもおらず、食堂らしいところは埃だらけであった。

ラオス側の市場
[ほこりっぽい市場]

しばらく歩いた先はロータリー式の交差点があり、そのわきに食堂があった。
できますものはラオスの料理。
カオピヤクというラオス風うどんもあれば、ガパオライスもある。
私はカオピヤクと蒸かしたもち米を注文。
お母ちゃんはガパオライス。
カオピヤクの味は、いまひとつだったけれど、もち米のボリュームはすごかった。
タイでもち米を注文しても量はほんの少ししかくれないが、ここでは500グラムくらいあるんじゃないかと思うくらいの大盛りで出してくれた。

昼食後は村のお寺へ連れて行ってもらった。
お堂の屋根の上にはドークソーファーというラオスの寺院独特の飾りが乗っかっている。
なかなか立派なお寺であったのだけれど、お寺の裏へ回ったら川かが流れている。
そしてどこかで見覚えのある景色が広がっている。
何のことはないさっき立ち寄ったノーンプー村ではないか。
お金と時間をかけてさっきの場所から数十メートル先へ来たことになる。

ラオス側からノーンプー村を見る
[お寺の裏からノーンプー村が見える]

お寺周辺は住宅街になっており、小さな商店なども何軒かある。
そんな店でラオスのビールを数本仕入れて土産とする。
しかし、この村の人たちはいったい何を仕事として働いているのだろうか?

ラオスの村
[眠ったように静かな村]

トラックの運転手さんによると毎朝早くこの市場からルアンプラバーン行きのバスが出ているとのこと。
そういう話を聞くと冒険心がそそられて、乗ってみたくなるけど、今回はお母ちゃんが一緒なので無理。
次の機会に挑戦してみたい。

ラオスからタイへ戻り、ナムフアン川からも離れて山の中へ入る。
山の中の景色は良く、坂が急だったリハするけど快適なドライブでプールアに到着。
今夜の宿はプーパーモクバレーリゾートという宿。
谷に面していて景色は良いけれど、どうもほかに宿泊者はいないみたい。

夕暮れ
[宿のテラスでラオス土産のビールを飲む]


1月19日(金)、谷に面している宿なので、下界に雲海が出ていないかと期待したけれど、雲海は見当たらなかった。
宿泊費には朝食が含まれているとのことだったのでにしていたけれど、宿泊客が私たちだけだったからか、タイ式のお粥とインスタントコーヒーだけだった。
そのお粥を周囲が見渡せるテラスで食べた。
日中は真夏並みに暑いけれど、朝のうちは涼しくて気持ちがイイ。
今日の行程も実走行時間は二時間半程度しかないのでのんびり。
お昼ギリギリになってチェックアウトする。

宿の庭
[宿の庭もリゾート風にきれいなんだけど]

ダンサイ村のピーターコン寺へ立ち寄る。
お母ちゃんとは15年くらい前にピーターコン祭りを見に来たことがある。
今回は祭りのタイミングではないので、ワットポーンチャイ寺の境内に置かれたピーターコンのお面をつけて記念撮影などだけを楽しんだ。

ピーターコンの仮面
[毎年お祭りに来てたピーターコン]

昼食はダンサイ村で比較的気に入っているソムタム屋に入る。
ここも色々と紹介されたのか村での人気店となって、観光客が増えてきている。
私たちが入った時も狭い店内はお客さんが何組も入っていた。
ソムタムなどの料理は確かに美味しいし、庭も綺麗なんだけれど、家族経営でやっていて、増えてきたお客に手が回らなくなってきているようだ。
以前と比べて愛想もなくなってきている。

ルーイ県からピサヌローク県に入り、山中にある塩井戸の集落に立ち寄る。
例年塩井戸で製塩は乾期から暑期にかけて行われるのだけれど、今年はまだ塩づくりが始まっていなかった。
2月になったら始めると村の女性は言っていた。
ここも以前と比べて整備が進み、観光客用の展示物なども配置するようになっているけど、まだまだメジャーになるためには改善の余地がたくさんある。
展示して見せるだけではなく、体験させるとかが欲しいところだ。

塩井戸
[塩井戸、珍しいし、もっとメジャーになってもいいはずなんだけどね]

この日の泊りはナコンタイにあるモーテル。
夕方前に到着したため、宿の管理人はどこかへ外出しており、電話で呼び出さなくてはならなかった。
タイではこの手の宿泊施設のことをリゾートなどと呼んでいるけれど、保養施設とは無縁の商人宿。
宿泊客の多くがピックアップトラックの荷台に商品を乗せた行商人たちである。

夕食は宿近くのタイ風のパブレストランで食べる。
名前はリムナー・レストラン。
リムナーとは田んぼ脇と言った意味。
確かに周囲は田んぼに囲まれている。
田舎でも少し金回りのいい人が食べに来ているせいか、お値段はちょっと高め。
この店の名物の「海鮮入り玉子鍋」みたいなものを注文。
これは二人で食べるには量が多すぎた。
エビやイカなどが入った巨大茶碗蒸しみたいなもので、茶碗ではなく「鍋」だから、食べても食べてもなかなか減らない。
タイの茶碗蒸しも日本の茶碗蒸しも味は似たようなもので、酒のつまみにはならないし、そんなに量を食べられるものでもない。

この食堂には何匹ものネコたちがいて、時々テーブルの下を駆け回ったりする。
不本意ながら半分以上食べ残してしまい、店を出た。
夜空には星がたくさん輝いていた。

火鍋風茶碗蒸し
[この量を二人で食べるのは不可能だ]

1月20日(土)、本日もオンライン・ライブを担当する。
しかも朝早くからのスタートのため、夜明け前に出発する。
チェックアウト時刻は昼なので、それまでにまた戻って来るつもりだから荷物は置いたまま。
中継場所はプーヒンロンクラー。
この周辺は人工的に植えられたヒマラヤザクラが数万本もあり、ちょうど花を咲かせているタイミング。
朝5時半に宿を出て、約1時間ほどでロンクラー村に到着。
村の中には日本のサクラよりも色が濃い、ピンクのヒマラヤザクラがあちこちで花を咲かせており大変に美しい。
この景色を村の中を歩きながら中継した。
村の中でホームステイしている人やキャンプをしていた人、そして早朝からやって来た人で山の中の村はお祭り騒ぎになっている。

桜咲く村
[フィルムカメラCANON AE-1で撮影]

観光客相手の露店も稼ぎ時。
海苔巻きサンドウィッチのフライみたいなものを売っていた。
これはどんなものかと言うと、海苔巻きの酢飯の代わりにサンドウィッチ用の薄切り食パンを使ってレタスやツナなどサラダ巻のような具材を巻く。
パンの外側は海苔。
直径5センチ以上になるパンを使った太巻き油で揚げている。
これにトマトケチャップを付けて食べさせるという。
味の方は、悪くはなかったけれど、タイ人は変なものを考え出すなと思った。

ライブ中継をしながら車を走らせ、ドーククラダートの花が咲くキャンプ場へ向かうが、途中で電波が切れてしまったりした。
ドーククラダートを日本語に訳すと「紙の花」で、まるで紙でできた造花の花のようにカサカサした花びらを持つ可愛らしい花で、ピンクや黄色など色とりどりに咲き乱れている。
また急な斜面に飛び出した巨大な岩も迫力がある。
とくに今の時期だとドーククラダートが巨石の周りに花畑のように咲いて取り囲んでするので見ごたえがある。
ドーククラダートだけでなく、奥の方ではツツジも赤紫の花を咲かせていた。
サクラやツツジなど、日本とは違った季節に花が咲く。

ドーククラダート
[絵本の中の世界みたい]

プーヒンロンクラーから宿へ戻ってチェックアウトし、次はヌーンマプラーンへ向かう。
ここでは日没時のコウモリの飛翔をお母ちゃんに見せてやりたいと思っている。
しかし、まっすぐドライブすれば2時間ほどの距離なので、途中で寄り道をしたりノロノロ運転をしたりする。

コウモリを見る前にはバーンムンの洞窟寺院にも立ち寄る。
このあたりはタイの桂林と自称していて、石灰石の山がタケノコのようにニョキニョキと生えている。
それも隙間なく密集して生えている。
そんな石灰質の山なので鍾乳洞も多い。
このバーンムンの寺の奥にも鍾乳洞があり、内部に仏像を祀っている。
日本の鍾乳洞だと色付きの光を当てて演出したりしているけれど、この寺院の鍾乳洞にはそのような演出はない。

バーンムン寺の鍾乳洞
[こういう鍾乳洞こそ色を当てればインスタを狙えるのに]

6時になってコウモリ展望台に人が集まって来た。
タイ人だけでなく西洋人のグルーブもいる。
日没を迎え、西の空が夕焼けとなって間もなくコウモリたちの飛翔が始まった。
石灰の山から噴き出してくる煙のようなコウモリのたちは、次々に流れの向きを変える川のように夕焼け空を西の方角に向かって流れ飛んでいく。
展望台にいる人たちも歓声を上げたりしながらスマホでコウモリの飛翔を追うのに夢中になっている。
たぶんこの情景は誰でも感動してしまうのだろう。
コウモリと言うと薄気味悪がる人も多いけれど、ここで見上げるコウモリはとても幻想的。
コウモリの飛翔は延々と続いていたけれど、太陽が完全に沈み、空が暗くなってしまったら肉眼ではコウモリが飛んでいるのが見えなくなってしまった。

コウモリ
[今夕もコウモリが飛んでくれました]

泊りはピサヌロークのリタイホテル。
私の定宿。
ホテルの中で簡単に夕食を済ませてから、タプティムクローブを食べに行く。
ピサヌロークのオフィスの裏路地に夕方からオープンする氷菓子屋はタブティムクローブが美味しいことで有名。
お値段は少し高めだけれど、いつもお客さんがいっぱい入っている。

タブティムクローブ

[ここのは確かに美味しい]

翌1月21日にはバンコクへ戻る。

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最後のイサーン 前編
年が明け、1月9日の晩にお母ちゃん(妻のこと)がバンコクにやって来た。
これから約2か月ほどバンコクに滞在する予定で、その間にタイ国内を旅行て回ることにしている。
その国内旅行の第一弾
1月12日(金)、車でブリラムを目指す。
日本へ帰る前に、もう一度パノムルン遺跡をしっかり見ておきたかった。
タイにある遺跡の中で一番気に入っており、またネコとも訪れたことがあり、思い出深い場所。

朝、バンコクを出発してピンクのガネーシャとして有名なワットサマーンワタナラームへ立ち寄る。
ピンクのガネーシャなど私の趣味ではなかったが、お母ちゃんの趣味の趣味でもなかったようだ。
それでも日本人旅行者には人気スポットらしく、日本人のグループを見かけた。
しかもそのグループを引率しているのがピサヌロークへ応援に来てもらっていた女性ガイドのノックさんであった。
コロナが明けて、バンコクで仕事にあり付いてからずっと疎遠になっていたので1年ぶりくらいの再会となった。
このワットサマーンワタナラームではケバケバしいガネーシャや観音像などはほとんど素通りして、門前市のような成果物売り場へ立ち寄って、旅行中に食べる果物などを仕入れた。
この寺のあるチャチュンサオ周辺は果物栽培が盛んで、ここの果物などは品質の良いものが多く、しかもバンコクなどより値段も安い。

ピンクガネーシャ
[フィルムカメラ CANON AE-1で撮影]

ブリラムへのルートは南回り、サケオ経由を取る。
途中タピオカ畑くらいしかなく、ほとんど人家がない原野の一本道をひたすらまっすぐに走る。
昼食の時間になり、お母ちゃんに何を食べたいかと聞いたら美味しいクイティアオだという。
彼女が好むクイティアオはナムサイと呼ばれるクリアスープに入ったセンヤイと言う幅広麺。
そして具はルークチンプラーというはんぺんやツミレのような魚介の練り物。
もともと集落さえないような場所で、食堂などなかなかない。
あってもガパオライスのようなブッカケ飯かラープなどのイサーン飯ばかり。
屋台のクイティアオがたまに交差点近くのコンビニに出ていたりするけど、具は肉しかない。
とうとうサケオまで行ってやっとお目当ての魚介練り物のクイティアオを発見。
お昼時間をだいぶ回ってしまった。

カンボジア国境のポイペト近くを素通りして、国境沿いに北上。
ブリラム県へと登る峠道でパッションフルーツとソムオーを買い求める。
この峠道では近所で採れるのか知らないけれどパッションフルーツをたくさん売っている。
パッションフルーツも日本へ帰ったらまず食べられないだろう。
タイにいてもめったに食べたりしない果物だったけれど、嫌いという訳ではなく、あんまり売っているのを見かけず買う機会がなかっただけ。
それに食べられる部分が少なくて、食べ応えがないので、ついほかの果物に走ってしまいがちだった。

ブリラムでの宿は、気に入っているプラコーンチャイにあるホテルデラムール。
ブリラム市内ではなく、ずっと離れたプラコーンチャイの国道沿いにあるホテルで、こんな田舎町にどうしてこんなリゾートホテルを作ってしまったのだろうかと思うようなちょっと豪華なホテル。
その「どうして」が現実にほとんど宿泊客のないホテルとなって、その晩は私たち以外に二組しか宿泊客がなかったようだ。

夕食にはホテル敷地内にあって、別経営のタイ式しゃぶしゃぶブッフェで食べた。
こちらの方は地元の若い人たちを中心に繁盛している。
しかし、閉店時間が早くて、夜8時すぎにはブッフェラインを下げ始められてしまった。
田舎は夜が早い。

ホテルにはプールもあり、誰もいないプールで少し泳いだのだけれど、その後着替えをしたときにどうも更衣室に塗れた海水パンツを置き忘れてきてしまったらしい。
もう長いこと履いてきた海パンで、何年も前にバンコクで毎土曜日に水泳をしていた時にも使い、相当酷使して布が薄くなって、尻のあたりには小さな穴まで開いてしままっていたので、どうやら清掃係にそのまま処分されてしまったようで、探しに戻った時にはもあなくなっていた。
レセプションにも忘れ物として届いていないとのことだった。

1月13日(土)、ブリラムからコンケーンへ
ホテルでの朝食は宿泊客が少ないのでブッフェではなく、セットメニュー。
ホテルのポリシーでは宿泊客が10組以上あればブッフェ対応とのことらしい。
以前宿泊したときはグループツアーたったのでブッフェラインがあり、この中にスパゲティ・クンジョムという一品があって、とても旨かった。
クンジョムは土地の名物で、小エビのペースト。
ちょっと辛くて、けっこうナマ臭いけど、クセになりそうな味。
ガピのようにドロドロのペーストではなく、小エビの姿がはっきり残っている和え物みたいな感じ。
それをスパゲティーに絡ませている。
今回はブッフェではなくセットメニューで、何種類かのセットから選べるようになっている。
アメリカンブレックファストもあるが、タイ料理のセットだけで4種類くらいある。
その中にはグンジョムがアレンジされているメニューもあった。
味もいいし、料理の盛り付けやサービスも良い。

朝食セット
[ホテルの朝食セットメニュー]

ブリラムにあるパノムルン遺跡は、丘の上に建つクメール時代の神殿遺跡で、ほぼ完全な形に復元され、見ごたえがある。
このパノムルン遺跡からオンライン・ライブツアーをすることになっており、その間お母ちゃんは足が痛くて私について歩くことが困難と予想されたのでビジターセンターで待っててもらう。
リハーサルから始まって約2時間の待ち時間の間ずっと英語の勉強をしていたそうだ。
こんなに熱心に勉強してても、上達しないのは、勉強の仕方に問題があるのか、または素質がないんではないかと思うけど、本人はそうは思っていないようで、いつも勉強道具を持ち歩いている。

パノムルン神殿
[東の参道からが最高]

パノムルンを出て、田舎道をコンケーンへ向かう。
田舎道では何度も牛たちに出会った。
牛たちは集団でのんびりと車道を占拠しながら歩いている。
車が来ても無関心。
バイクに乗った牛追いが声をかけるけど、なかなかどいてくれない。
肩に大きなコブのあるタイの牛たちは肝が据わっている。

牛
[牛たちは大胆だ]

コンケーンに着いたらすっかり暗くなっていた。
繁華街近くにあるローマホテルという古い建物の宿。
コンケーンではついものように市内最安値の宿を物色したらこの宿にたどり着いたわけで、部屋の中の調度や備品も相当にくたびれており、WiFiの電波もほとんど使い物にならないの焚けれど、宿泊者には韓国人が多かった。
彼らはグループで来ているようで、聞いてみるとキリスト教関連のミッションでの訪問らしい。
夕食に外へ出たら、宿の並びに屋台が並んでおり、その中で中華鍋を強い火力の中で振っている屋台があった。
なんとなくピサヌロークま空飛ぶ空芯菜食堂の調理法に似ていて、ここなら旨いものを食わせてくれそうな気がした。
事実注文したチャーハンはやたらと旨かった。
チャーハンはやっぱりこのくらいの火力で、中華鍋から放り投げるようにして一気に炒めたものが旨いようだ。
パラっとして、カラッと軽いチャーハンはタイでもなかなか出会えない。
その屋台は歩道にテーブルを並べ、かなり繁盛していた。
隣のテーブルは白人男性が家族で座っており、その嫁さんらしき女性はタイ人であった。
イサーンではよく見かける光景で、男性の方はほとんどタイ語を話せないようで、女性の方が料理を説明し、注文を入れている。
こちらは歩道に置かれたテーブルに着いているので、すぐ横を通行人が通る。
ここでも韓国人の男性グループを見かけた。
さっきのミッションで来ている若い人たちとは雰囲気が違って、アルコールがだいぶ入っている感じだ。
周りを見回したところ、この屋台は韓国料理店の前に店開きをしていた。
たぶん韓国人男性たちはこの韓国料理屋へ食事に来ていたのだろう。


1月14日(日)、コンケーンからウドンタニを経由してノンカーイへ
まだ朝暗いうちの午前6時にコンケーンの宿を出発。
国道を北上してタレーブアデーンへ向かう。
途中で太陽が顔を出し始めてきた。
初めてタイへ来た19歳の時も、このあたりから日の出を見た記憶がある。
あれはバンコクを前夜に出た列車の車窓だったはずだ。

日の出
[イサーンの大地に朝が来る]

まっすぐ北に延びるハイウェイの周りはところどころに木が生えているくらいで、土地の利用はあまりされていない印象。
牛の放牧くらいしか行っていないのか、畑はあんまりないし、田んぼなどは乾期ということもあり全く見当たらない。
畑はキャッサバとサトウキビ。
19の時に見た景色と、40年経ってもあんまり変わっていないように感じる。

タレーブアデーンには8時には到着。
まだ朝食も食べていないので、船着き場前の屋台でカオチーと呼ばれる棒に刺した焼きおにぎり風のものを食べる。
おにぎり風だけど、原料はもち米で、薄い円盤状に整形して串にさし、ナンプラーを少し垂らした溶き玉子汁に浸したものを炭火で焼いたもの。
これも私の好物で、初めて食べたときは薄味過ぎて、もう少し塩っ気があっても良さそうだと感じたけれど、いまはこの味になれてきて、もち米の甘さと卵が焦げた香ばしさが美味しいと感じられるようになった。
これもタイ東北部、イサーンの名物ではあるけど、メコン川を渡ったラオスでカオチーと言うのはフランスパンのこと。
もとは同じ民俗で文化圏でカオチーが別々のモノになってしまっている。

カオチー
[私の味覚としてはもう少ししょっぱい方がイイかな]

この時期のタレーブアデーンは赤く咲く睡蓮で有名。
たしかに感動的に美しく、何度来ても写真に撮りたくなってしまう。
小舟で大きな沼の睡蓮群生地へ。
タイ人にも人気のスポットになっていて、インスタやフェースブックが大好きなタイ人らしく、あちこちでモデル張りのポーズを決めている。
中にはボートを2艘雇って、カメラマンをボートに乗せて、写真を撮ってもらっている女性もいる。
お母ちゃんもここの景色は気に入ったようで、携帯電話のカメラで何枚も写真を撮っていた。

タレーブアデーン
[モデルになり切っている人が多い]

昼食にはウドンタニでお気に入りの飲茶屋へ行く。
町外れの住宅地にある普通のちょっとイイ感じの建売住宅の軒先を食堂にした飲茶屋で、美味しくて、しかも安い。
わかりにくい場所だし、本当に隠れ家的な食堂。
ウドンタニは中国系とベトナム系の住人が多く、街中でも彼らの食堂が多いけれど、こうした民家で食べられるような店を私は他に知らない。

飲茶
[これ全部食べきった]

朝も早かったので早めにノンカーイの宿にチェックインして少し休憩。
まだ1月、タイの冬に当たる季節のはずだけれど、ここノンカーイの午後は真夏のように暑かった。
宿の名前はホワイトインホテル。
まだ比較的新しい建物で、広い駐車場がある。
宿の向かい側には洋食を食べさせる食堂が2軒ある。
それだけでなく、宿のある路地は西洋人相手の飲食店がいくつもあり、年配の西洋人男性が店先のテーブルやカウンターでビールを飲んでいたりする。
ノンカーイはラオスとの国境の街と言うだけで、これといった観光名所があるわけではないけれど、西洋人が多くいる。
なんでもアメリカの退役者に住みたい世界の街の中でトップクラスに選ばれたこともあったようだ。
なにが魅力なのかはよくわからないけど、悪い街ではないし、チェンマイの外国人相手の店のようなケバケバしさもなく、静かで落ち着いてて、それでいて外国人にもなじみやすそうな街だと私も感じる。
でも、私だったらここで暮らすにはちょっと退屈に感じるだろう。

夕刻、暑さも峠を越して、少ししのぎやすくなったのでメコン川沿いの遊歩道を散策する。
遊歩道沿いにはペンションやベトナム料理屋、そして西洋人相手のバーが並んでいる。
インドシナマーケットと呼ばれる国境市場でお母ちゃんはタイの琺瑯びき弁当箱を買った。
小物入れにするのだそうだ。
展望台から夕陽を眺め、宿への帰り道の途中にある粥屋で夕食にする。

ノンカーイの夕陽
[メコンの川べりにて]

1月15日(月)、国境を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ
お母ちゃんは朝食にパートンコーが食べたいという。
パートンコーは中国風揚げパンというか、中国で油条と呼ばれているもののタイ版で、油条は30cmくらいの中さがあって大きくて長いが、タイのパートンコーはずっと小さくて大福もちくらいのサイズ。
よく市場なんかで豆乳と一緒に売られていて、値段も安くて最下級の朝食みたいに考えられていたけれど、最近はどうも違ってきているらしい。
ピサヌロークにいたときから、パートンコーは他の物価と比べて値上がり幅が大きいなと感じていた。
最初は5個で10バーツくらいだったのが、3個で10バーツになっていた。
ここでもパートンコーは最低20バーツで、一袋6個入り。
もう安いとはあんまり感じない。

ノンカーイ発朝10時のバスでビエンチャンへ向かう。
車は宿の駐車場に留め置き。
最初は車を運転してそのままラオスへ入ろうか、そしてルアンプラバーンまで行ってみようかくらいに軽く考えていたのだけれど、調べてみるとラオスの道路事情はとても悪くなているらしい。
とても小型車でルアンプラバーンまでの悪路を進むのは無理らしいということがわかった。
ビエンチャンだけなら問題なさそうだけど、街中は駐車場を探したりするのも面倒だし、それにラオスまで陸続きと言っても別の国で、車の通関手続きや保険などで費用がかかる。
だったらバスで行った方が世話がないという結論に達していた。

ノンカーイからビエンチャンへのバスはたったの55バーツ。
国境の橋もそのまま渡ってくれて、ビエンチャン市内中心部まで運んでくれる。
途中はバスから降りて国境での出入国手続きをタイ側とラオス側でしなくてはならないけど、乗り換えの必要もない。
国境での出入国手続きも簡単に済み、すいすいとビエンチャン市内へ到着。
ホテルは市内バスターミナルから歩いて15分ほどのところにあるビエンチャンプラザホテル。
ビエンチャンでは比較的大きなホテルということになっていて三星クラス。
似たような名前でラオプラザホテルというがあるが、そっちはビエンチャンでも屈指の高級ホテルでランクが違う。
それでも三星クラスのホテルなど私にとっては破格の贅沢で、なんでそんなホテルにしたかと言うと、ここでは無料のレンタサイクルがあると書かれていたから。
しかし、いざホテルに到着してみると、レンタサイクルのサービスは現在やっていないという。
まだ、チェックインして部屋に入るには早すぎるので、私一人市内へレンタサイクル探しにでかける。

国境越え
[後ろのバスがノンカーイからビエンチャンへの国際バス]

ビエンチャンにはレンタサイクル屋などいくらでもありそうに考えていたけれど、探してみるとなかなか見つからない。
ずいぶんと歩き回ってやっと見つけた自転車屋は本業は自転車の販売で、副業に中古自転車のレンタルをしていると言った店だった。
夫婦二人でやっているような店なのだけれど、旦那の方は愛想がいいけど、奥さんの方は不愛想で、自転車の貸し出しなんて面倒くさいと言った感じでの対応をされる。
翌日までのレンタルで120,000キップだという。
だいたい180バーツくらいで、自転車の程度はあまりよくない。
さらに二人乗りをすると言ったら、割増料金だとも言う。
他にも選択肢があったら、パスしたいところだけれど、お母ちゃん一人をホテルのロビーに待たせたまま随分と時間がたち、そろそろお腹を空かせているころだろうから、5割増しと言うところを170,000キップにまけさせて自転車を借り出す。

昼食には借り出した自転車に二人乗りをしてPVOというビエンチャンで有名なベトナム風サンドウィッチの店に行く。
ベトナム風サンドウィッチと言うのはバゲットサンドウィッチなのだけれど、具材がベトナム風でハーブ類がたくさん入っている。
人気店で外国人がたくさん来ていたが、中でも韓国人客は何組も来ており、大声でおしゃべりをしているので目立つ。
ここのサンドウィッチはお母ちゃんも気に入ったようだ。

午後にはビエンチャンの街を自転車で走り回り、凱旋門やタートルアンなども回ってきた。
昔と比べて、車も増えたし、新しい車も多い。
緑色をしたマイクロバスも市内バスとして走っている。
以前はジャンボと呼ばれたバイク改造の3輪車はほとんど見かけなくなった。
その代わり電動の3輪車がチョロチョロと走り回っている。
車は韓国製、日本製が多いけれど、商用車は中国製の車が目立つ。
観光バスは韓国の中古バスを持ってきて走らせているようで、乗っている乗客も韓国からの観光客ばかり。
日本人は全く見かけない。
韓国ではラオス旅行が人気があるのだろうか。
そういえば、ビエンチャンプラザホテルにはJOICAという日本のJICAのような事務所が入っていた。

ラオスの凱旋門
[シルエットになったプラトゥーサイ]

ホテル周辺では夕食を食べさせるようなレストランはほとんどなく、少し歩いたところにある食堂に入った。
ラオビールとタイで言うところのヤムウンセンのようなモノや空芯菜炒めなどを注文したけれど、ラオス料理的なものはメニューにないようだった。
値段は高くもないけど、庶民的な店なのにあんまり安くもない。
そして、出てきた料理でヤムウンセン風のものは、牛の胃袋を刻んだものがふんだんに入っている。
私は自称俄か菜食主義で、特に4つ足は極力食べないようにしているし、内臓系はまったくNG。
こりゃ食えないと出てきた皿を下げるように言ったが、店の人は不満そうで、なぜだという。
私は内臓物は食べられないし、見ているだけで食欲がなくなると伝えたのだけれど、まだ納得してもらえない。
「そんなことは、注文するときに言ってくれなきゃわからない」というが、
タイで内臓系が入っているヤムウンセンなど食べたことがないから、まさか入っているとは思わなかった。
「食べなくても料金は払ってもらうよ」と言われて了承したが、皿をなかなか下げてくれない。
それ以外は感じの悪い店じゃなかったし、私がラオスの食堂での注文の仕方がよく解らなかっただけで、責任は自分にあると納得した。
そういえば、ラオスの料理には内臓物や動物の血を使った料理が多いらしい。
ひとつ勉強になった。

1月16日(火)、ノンカーイへ戻る
ホテルの予約は朝食付き。
朝一番に朝食会場へ下りて行く。
ここの朝食はブッフェスタイル。
洋風、ラオス風、ベトナム風とバラエティがある。
パンはバゲットで焼きたてらしく、皮がパリパリで香ばしい。
タイではなかなか美味しいパンに出会えない(安いパンしか買わないから)けれど、ラオスはパンが常に美味しいみたいだ。
ベトナム風にはフォーというかカオピアクというか、米粉のヌードルスープが美味しい。
おかゆも味付けがしっかりしていて、お代わりしたくなる。
オムレツはまあまあで、サラダの野菜は新鮮。
ハムやソーセージは食べない。
次々にいろんな種類のものをもらってきて食べていたら、ぞろぞろと韓国人観光団も入ってきた。
綺麗に並んでいた料理はあっという間に取り分けられて、見栄えが悪くなってしまった。

寝坊もせず朝一番に朝食にしたのは、この日の朝は凱旋門(プラトゥーサイ)からオンラインツアーの中継が入っていたから。
プラトゥーサイは戦勝門という意味だけれども、別に外国と戦争して勝った記念という訳ではないようだ。
外見はパリの凱旋門によく似ており、門からまっすぐにの大通りはシャンゼリゼがエリーゼ宮へ伸びているように、ビエンチャンでは大統領官邸へと繋がっている。
外観はパリの凱旋門に似ているけれど、細部はラオス風で、ヒンズーの神々が描かれた天井があったり、飾りつけの彫刻も仏教やヒンズー様式で、屋上にはやはり仏塔のような屋根を持つ建物が乗っている。
オンライン中継での解説のため下勉強をしたのだけれど、天井に描かれた4つの絵が、ヒンズーのなんという神様のモノか良くわからなかっつた。
そこで入場券売り場のスタッフに質問したけれど、スタッフはまるで関心がないのか、わからないとのことだった。
また、韓国人や中国人団体観光客を引率してきたガイドに訊ねたけれど、「ヒンズー教の神様だ」としか答えられなかったり、「お釈迦様の化身だ」と変な答えが返ってきた。

インドの神々
[プラトゥーサイの天井画]

仕方なく、自分で絵の特徴を確認しながら考察したところ、多頭の大蛇の上に座っている緑色の神様は手にほら貝とさすまた(三又鉾)を持ているので破壊の神であるシヴァ神と推測した。
片足を下げながら台の上に座っているのは、正面以外にも両脇に顔があり、腕は8本もあるところから、全能の神であるブラフマー神らしい。
3つの頭を持つ白いゾウに乗っているのは、日本で帝釈天と呼ばれるインドラ神だろう。
しかし、ヒンズー教の三大神のひとつビシュヌ神が見当たらない。
最後に残ったもう一面はタイでもよく見かけるラーフであろう。
食いしん坊で、太陽や月を食べてしまい、日食や月食を発生させると考えられている。

この天上絵画を調べるのに苦労したけれど、オンライン中継で取り上げたのはほんの一瞬。
大半をプラトゥーサイの塔の上へ登って、ビエンチャンの街並みの紹介に費やしてしまった。

プラトゥーサイ
[正面から]

昼食にはタートルアン裏へ移転したフランス料理店ナダオへ行く。
ここは昨日のうちに直接出向いて予約を入れておいた。
ビエンチャンでも人気の高いレストランで、オーナーシェフはロブションで修行を積んでいるということになっている。
ランチのメニューは、ビフテキや鴨などの肉料理やサーモンなどから選べるコース料理。
私は以前にビーガンのメニューを注文したことがあるけれど、残念ながら他のメニューと比べると内容的にちょっと劣っていた。
味付けが劣っていたというよりも、メインがパスタと言うのが残念な理由。
ということで、今回はサーモンにしてみた。

ナダオ店内
[ナダオとは星の田んぼという意味]

サーモンの味の方は印象に残るほど美味しいと感じさせてくれるものではなかった。
もちろん不味くはないけど、メインが出てくる前にテーブルに置かれたパンがやたらと美味しくて、パンばかりいくつも食べてしまっていたことも影響していたかもしれない。

以前、市内中心部にあった時と比べると店は大きく立派になっている。
スタッフの数も倍増しているけれど、研修生なのか新人なのか若いスタッフが多くなっており、彼女らはまだまだ修業が足りず、気配りができていない。
突っ立っておしゃべりをして、お客のテーブルの様子などに気を使っていない。
以前の店の方が、良かったかな。

サーモン
[サラダやスープそしてデザートにカラメルも付く]

ランチを食べて、自転車を戻してバスターミナルへ向かう。
ノンカーイ行きのバスまではまだ間があり、早く着きすぎてしまった。
バスターミナルは工事が中断したままのビル建設現場のようなところで、埃っぽくて暑い。
市内を走るバスやタイへの国際バスが発着するが、市内バスは緑色に塗られたものばかり。
日本から送られたマイクロバスもたくさん見かけるが、韓国からのバスも多い。
しかし、韓国からのバスはいずれも新車ながら使われている形跡がない。
バスターミナルの中に留め置きされたままになっている。

ビエンチャンの市バス
[今は日本の援助バスだらけだけど、そのうち韓国になるのだろうか]

ノンカーイでは一昨日と同じホワイトインホテルに宿泊。
夕食は屋台で簡単に済ませる。

屋台飯
[路上で晩御飯]

つづく

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定年退職までの日々
もう前回のアップから数か月も過ぎてしまった。
現在は日本にいて、そして半年前のことを写真を見ながら思い出して書き留めておくことにする。

台湾旅行から戻って、バンコクでの勤務。

バンコクの夕焼け
[オフィスから夕焼けが見えた]

メモも取ってないし、勤務時のメールや行動記録は退職時に消えてしまったか、アクセスができないようになっているので、写真に残っているものからしかいつどこへ行っていたかもわからない。

たぶん、台湾から戻って一週間後の12月26日頃はピサヌローク支店におり、ツアーでカンペーンペットへ行っている。

カーオクルックガピ
[カーオクルックガピ]

この日はカンペーンペット、メーピン川対岸ナコンチュム地区のバーンリムナームと言う食堂で昼食となっており、私はカーオクルックガピを注文して食べている。
なかなかきれいな盛り付けで、卵の薄焼きはまるで黄色いバラのように作ってある。

ガピというタイの塩辛を混ぜ込んだご飯で、独特の臭みがあり、慣れないと食べ難いかもしれないけれど、私は大好き。
それにもともとお子様ランチみたいな盛り付けがもともと好きなので、こうした演出は嬉しくなる。

黄色いバラ
[卵の薄焼きでできている]


そして、その日はスコータイ遺跡近くにあるパーサータイという安宿にピサヌロークのスタッフたちと泊まり込んでいる。
泊まり込んだのは翌朝はみんなスコータイ遺跡でのツアーを担当していたからだけど、あわせてスタッフと忘年会を持った。

会場はスコータイ新市街にあるタオフーンという食堂。
このあたりではピザが美味しいということで評判らしい。
しかし、スタッフ二人と私の三人、あんまり盛り上がらない。
スタッフはただ無言で食べるばかり。
そして、お会計をする段になって、スタッフは追加でハンバーガーやポテトなどの料理を注文した。
まだ食べる気なのかと聞いたら、明日の朝ごはんにするから持ち帰るという。
自分の財布が痛まないとなると、何でもOKというのがタイの田舎ではまかり通るらしい。

ワットマハタート
[赤い睡蓮が咲く、ワットマハタート前の池]

アルコールを飲まないスタッフとでは私が一人でバカ飲みするわけにもいかず、おかげで二日酔いにもならずスコータイとシーサッチャナライのツアーをこなすことができた。

霊力のある石
[シーサッチャナライで売られているサイコロのような石]

この石はカーウトークプラルアンと言うらしく、私にはよくわからないのだけれど、何かの鉱石のようで、土地の人によると霊力があるのだそうだ。
一種のお守りなのだろうか?

12月28日にはバンコクへ戻り、バンコクでの仕事納め。
しかし、年末年始はまたピサヌロークでツアーがある。
タイも年末年始は故郷へ帰省する人たちでバンコクからの道路が大渋滞する。
故郷に帰ろうとする人たちは、渋滞しても先に楽しみが待っているから苦でもないかもしれないけれど、こちらは仕事。
渋滞の中でピサヌロークまで車を運転するのは勘弁してほしいので、汽車で向かうことにする。
その切符を取るのも難しかったけれど、なんとか12月30日の臨時列車のような汽車の切符を確保できた。

夜行列車
[バンコク発チェンマイ行き]

バンコクを夜出発する夜行なので本当なら寝台車に乗りたかったが、取れた切符は二等の座席車。
車両は臨時だからだろうか旧日本国有鉄道の中古車。
14系と言ったかな、日本でも団体臨時列車とかに使われていた車両。

日本語表記
[くずものいれ]

ところどころに日本語の表記が残っている。
しかし、車内の座席は真っ赤なビニールレザーだったりして、日本の車両とはイメージが変わっている。
そしてやたらとエアコンを利かせていて、車内は寒くてしょうがない。
ピサヌロークに着いて降りたときにはメガネが真っ白に曇ってしまうほどだった。

寒い
[ほかの乗客も寒くて頭から毛布をかぶっている]

12月31日、夜明け前にピサヌロークへ到着してそのままオフィスに入って、少し仮眠をとる。
そして、朝6時半には車が迎えに来てスコータイ空港へ向かう。

ツアーの内容は簡単なものだけれど、拘束時間がやたらと長く、終了はニューイヤー・カウントダウン後の午前零時過ぎとなっている。

本当は短波放送のラジオで年末の紅白歌合戦でも聞きたかった。
こんどの紅白では私が中学生時代に熱狂していたキャンディーズのランさんが何十年ぶりかで紅白のステージで歌うというのだから、どんなことになるかと楽しみにしていたけれど、ツアーでお流れとなってしまった。

夜のスコータイ遺跡
[スコータイ遺跡はライトアップされている]

コムローイ
[歴史公園前のワットトラパントーンではコムローイを上げることもできる]

スコータイのカウントダウンは遺跡から少し離れた貯水池の中にあるハート型の島で行われた。
ここでもいろいろなアトラクションが行われていたようだけれど、日本人がわざわざ来て楽しみたくなる内容ではなく、まったくローカルなお祭りだったけれど、花火だけは見ごたえがあった。

ハート島のカウントダウン
[打ち上げ花火が最大に上がった]

年明け一番のツアーはまたカンペーンペット遺跡。
そして昼食はバーンリムナーム。
この食堂で黒猫に出会うことができた。
ここのネコなんだろう。

黒猫
[バンーリムナームの黒猫]

ビロードのように美しい毛の艶をして、私のネコによく似ている。

1月2~3日もツアーにー出る。
これが私が在職中最後のツアーとなった。
カオコーへ行き、スコータイも案内すると言った定番ツアー。
トラブルもなくこなす。

3日の晩は、ナーン河沿いの食堂で夕食。
川沿いのナイトマーケット取り壊し後も、たった一軒残ってゲリラ的に営業を続けていたルンチュアイの店。

ルンチュアイ
[仮設店舗のルンチュアイ]

しかし、張り紙がありこの店も最終的に立ち退きに合意したようで、移転の案内が張り出されていた。
ピサヌローク支店をオープンしたばかりのころは、ここに何軒もの食堂が並び、夜になるとたくさんの人たちで繁盛していたものだ。
私はその中でも「空飛ぶ空芯菜の店」が特にお気に入りだった。
ルンチュアイの店は空飛ぶ空芯菜の店と比べると格段に味は落ちるけれど、川沿いのオープンな雰囲気は残っていて、この一年くらいはピサヌロークへ行くたびに利用していた。

ナイトマーケット跡
[更地となったナイトマーケット]

この店はなぜか料理にネギを使わない。
チャーハンを注文してもネギが入っておらず、ネギを入れてほしいと注文したら、ネギの代わりに玉ねぎを刻んで入れてくれてた。

ルンチュアイでの料理
[定番料理]

いつも私がテーブルに着くとビアチャーンを持ってきてくれる。
そして私が注文する料理は、長なすフライのヤム。
他の店でこの料理を見たことがないから、この店のオリジナルなのかもしれない。
ナスの天ぷらにヤムのタレを和えて食べるもので、なかなか美味しかった。

ナイトマーケットのネコ
[テーブルを回って食べ物をねだるネコ]

もともとこのあたりには何匹もの野良猫たちがいて、食べ物のおすそ分けをもらっていたが、どんどんと店が立ち退き、ネコたちの数も減っていた。
これからこのネコはどこで食べ物をもらっていくのだろうか。

ワットサンプラーン

1月6日はオンラインツアーでバンコク近郊のワットサンプラーンからの生中継。
今年は辰年ということで、アジア各国からドラゴン関連の特集が組まれていたタイからはこのワットサンプラーンが選ばれて、私が担当することになった。

ワットサンプラーンはまだあんまり日本人には知られていないけれど、円柱型をしたピンク色の塔の周りに竜が巻き付いているといった構造。
なかなか迫力がある。

龍
[真下から見上げると竜の頭が良く見えない]

この竜の胴体は空洞になっていて、その中を歩くと塔の上へと登っていけることになっている。

胴体内
[胴体内に窓はなく、ところどころに電灯があり、仏教の教えのような標語が吊るされている]

タイ人の参拝客は息を切らしてゼーゼー言いながら登って来る。
西洋人の観光客も登って来る。
標語の中に"Immortal Eenal Love"と書かれたものがあった。
私の英語力ではこれがどういう意味か解らなかったので、登ってきた西洋人に聞いてみた。
しかし、彼らにもわからないという。
Eenalなんて単語知らないという。
たぶん、Eternalの間違いなんだろうという結論に達した。


塔の上

ワットサンプラーン周辺はターチン川に近い平坦なところ。
塔の上からは周囲の広さがよく解る。

龍の頭
[上まで登ると龍の頭があるけど、ドローンなどで空中撮影でもしないと龍の全体像は確認できなさそう]


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| 日常 | 02:43 PM | comments (0) | trackback (0) |
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