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懐かしの味「豆腐そぼろ」
7月25日 土曜日

中学生の頃、学校では給食ではなく弁当であった。
母子家庭で、仕事を抱えていた母はそれでも毎朝弁当を作ってくれていた。
晩御飯の残り物が入っていることもあったけれども、「豆腐そぼろ」をご飯の上に敷き詰めた弁当はしばしば登場していた。
豆腐そぼろから染み出した汁が、包んである新聞紙を濡らし、教科書にシミを付けたことも何度かあった。

その後、豆腐そぼろを食べる機会はなかった。
あれは弁当だけのものだったのだろう。
食卓に上ることはなかった。

あれから40年以上も過ぎて、なんとなく懐かしくなって、また食べてみたいと思うようになった。
しかし、作り方がわからない。
ネットで調べても、母が作ってくれた豆腐そぼろとは全然違うものばかりしかヒットしない。
母も他界してもう10年。
作り方を尋ねることもできない。
中学生当時の記憶を思い起こしてみるしかない。

ピサヌロークのオフィスの近くにタラート・ターイと言う市場がある。
ここは朝しか開いていない市場で、その中に豆腐屋がある。
このところ、ここの豆腐屋が気に入っている。
豆腐一丁が10バーツ。
四角い豆腐で、絹豆腐よりちょっとしっかりしている。

豆腐
[豆腐屋の手作り豆腐]

タイのスーパーなどで売っている豆腐はだいたいチューブに入ったもので、絹豆腐より柔らかい。
それでも10バーツ。
ということで、豆腐の味噌汁に使う豆腐は、このところもっぱらこの豆腐屋で仕入れるようにしている。

市場の豆腐屋
[にぎやかな朝市の豆腐屋]

ここでは豆腐以外にも、饅頭(まんとー)や餡饅(あんまん)も売っていて、これも一つ10バーツ。
タイでは中華饅をサラパオと言って、庶民のスナックになっているけれど、ここのは中国風で、この饅頭や餡饅と一緒に豆乳をすすると中国風の朝食を食べているような気がする。
これに油条や煎餅のようなものでもあったら、台湾の朝食屋台のようだ。

中華饅頭
[豆腐以外にも饅頭や湯葉巻きを並べて売っている]

この豆腐屋で豆腐を仕入れて、「豆腐そぼろ」に挑戦。
豆腐以外に、ニンジンやネギのみじん切りが入っていたような気がする。
それとシイタケの出汁に生姜を聞かせていたような気がする。
味付けは醤油と味醂と酒だろう。

かなりいい加減だけど、ニンジン、長ネギ、玉ねぎ、シメジをみじん切りにして豆腐と一緒に炒める。
豆腐をつぶすように炒めていき、汁気が減ったところで調味料を加え、さらに干しシイタケの戻し汁も入れて煮込む。
戻した干しシイタケも小さく刻んで入れる。
生姜をすりおろして、汁を入れる。

煮汁が半分以下になったところで味見。
うーん、こんな味だったかなぁ?
もうちょっと味が濃かったような気もするけど、高血圧対策で塩分控えめを実践中なので、醤油の追加は思いとどまる。

煮汁もほとんどなくなったところで完成。
さっそく炊き立てのご飯に載せて食べてみる。
上に紅ショウガも散らす。
ちょっと一味足りない気がするけど、懐かしい味には違いない。
そう、中学生の時にはしなかったけど、これに唐辛子も振りかけたら刺激的になっておいしそうだ。
飛び切り辛いピッキーヌー唐辛子の粉を振る。
唐辛子の辛さが、味醂の甘さを引き立て、醤油の香ばしさを演出してくれる。
美味しい。

食べるのに夢中になってしまい、写真に撮っておくのを忘れてしまった。
でも、豆腐を一丁半も使ったので、まだたっぷり残っている。
これを容器に入れて冷蔵庫で保管することにしよう。

豆腐そぼろ
[弁当箱風の容器に入れた豆腐そぼろ]

たぶん冷蔵庫で一晩寝かした方が、豆腐に出汁がしみ込んでもっとおいしくなっていることだろう。
40年ぶりに食べた味、懐かしい味だった。
母の苦労も分からずに、弁当を作ってもらうのが当たり前と思っていた自分を今頃になって反省してみる。

母が作る料理の味付けは一概に味が濃かった。
そして、母は高血圧であった。
私も高血圧体質で、このところ食べ物にかなり気をつかっているけれど、先月まで改善していた血圧が再び上昇し始めている。

血圧
[高血圧イエローゾーン]

運動もして食べ物も節制しているのに、この血圧数値。
考えられるのは、仕事の上でのストレス。
特にスタッフに関するストレスが大きいようだ。
母の血圧を高めたのは、出来の悪い息子のストレスだったのかもしれない。


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150日が過ぎて
7月5日 日曜日 (ネコが死んで150日目)

月初なので金曜日からバンコクに入っていた。
通常は日曜日にピサヌロークへ戻るのだけれど、明日はカオパンサーで祝日。
せっかく時間があるので、ピサヌロークまで一泊二日のドライブをしながら戻ろうと思っている。
もう少し時間があれば、キリチュアップキリカンの海に出も行きたいところだけど、行ったら最後、そこからピサヌロークまで運転して戻る自信がない。
とりあえず、ちょっとだけ回り道。

歴史センター
[建物は立派なピサヌローク歴史センター]

先週ピサヌロークの歴史センターと言うところを見学してきた。
ほとんどがパネル展示だけで、建物にお金をかけている割には、展示物がちょっとお粗末だった。
そこでは地元が輩出したヒーロー、ナレースワンに多くのスペースを割いており、ビデオ上映もあった。
もっとも、ロケやスタジオ撮影で、役者を使ってのビデオではなく、絵とジオラマを動画で撮影しただけのものであった。
でも、ジオラマは良くできていた。
このジオラマはスパンブリー県のドンチェディーにあるものと察しられ、そこを実際に見てこようと思った。
このドンチェディはノーンサライという古戦場で、16世紀にナレースワンがミャンマーの皇太子、ミンチットスラとゾウで一騎打ちして、勝利した場所で、タイでは聖地のような扱いになっている。
何年か前に、すぐそばを通ったことがあったが、その当時はナレースワンに関心もなく、素通りしてしまっていた。
今回は時間もあるし、じっくり解説を読みながら、ジオラマや展示物を見て回ってこようと考えた。

朝早くから出かけようと思ったけれど、出発したのは9時半。
バンコク市内の道は日曜日ということもあり、スムースであったが、スパンブリ街道に入ったら、交通量も増え、おまけに道路工事も重なって、ところどころでひどい渋滞にはまってしまった。

ドーンチェディ
[ドーンチェディー]

ドンチェディーに到着したのは、もう正午を回っていた。
純白の大きな釣り鐘型仏塔があり、その前にナレースワンが騎乗するゾウの巨大な銅像が立っている。
ナレースワンはゾウの首に跨って、槍を構えている。
その後ろの輿のようなところに座って、采配のような吹き流しの付いた棒を打ち振っている者がいる。
以前、私はこの采配を持っているのが、如何にも偉そうにしていて、大将に相当するのだろうと思っていたが、大将は首のところで太刀持ちのように槍を構えている方であることを最近知った。
さらにゾウの腰のところにも、もう一人いる。
つまり、一騎打ちだが、一頭のゾウに三人で乗っていることになる。

騎象像
[ゾウの首にまたがっているのがナレースワンということになる]

連休ということで、ドンチェディにはたくさんの参拝者が来ている。
ナレースワンの人気の高さがわかるのだけれど、私かお目当てにしているジオラマなどがある資料館が見当たらない。
参拝に来ている人の動きを追えば、資料館の場所もわかるだろうと思ったのだけど、車で来た人は、ナレースワンの騎乗像に参拝し、ナレースワンの銅像に金箔を貼り付け、願い事をして、また車に乗っていなくなってしまう。
みんなおんなじパターンの行動で、動きを追っても資料館の場所は確認できなかった。
白い仏塔の上に登れば少しは何んわかるかと思い、仏塔の階段に向かったところ、何のことはない、仏塔そのものがお目当ての資料館であった。
しかし、閉まっている。
張り紙も何もない。

ナレースワン資料館
[せっかく来たのにナレースワンの資料館は閉鎖中]

表の土産物を売っている女性に、資料館はどうなっているのか確認したところ、改修工事中でずっと閉まっているということらしい。
学生生徒を引率しての見学なら、見学の受付をしてくれるのではないかという。。
どうやら、私を学校の先生とでも思ったらしいが、とにかく今日は見学できないらしい。

ナレースワン像
[ナレースワンの銅像も金箔貼りの対象]

またの機会もあるだろうから、今回は見学を諦めよう。
それと、せっかくここまで来ただから、久しぶりにサモートーン温泉に立ち寄ってみることにしよう。
浴場は新型コロナウイルスの感染防止のために、長いこと営業が禁止されていたが、今月から規制が解除されたので、久々に温泉に浸かりたい。
もし、ロッジも営業再開してたら、そのままロッジに泊まってもいい。

ふたたび田舎道を北上すること2時間半。
途中、ダーンチャーンの街はずれ、国道沿いの食堂でランチにする。
「カーオパット・カイ(玉子炒飯)」を注文したのだが、気の利かなそうな店の男の子は「センレック(細麺)センミー(極細)センヤイ(平麺)?」と聞いてくる。
クイティアウと勘違いしているらしい。
もう一度、「カーオパット・カイ」と念押しする。

サモートーン温泉も観光客であふれていた。
これじゃ個室の入浴小屋が空くのに待たされるかなと思いながら受付に行くと、
「温泉の入浴はまだ禁止されたまま」とのこと。
せっかく来たのに、何にもならない。
ここに来ている大勢の観光客たちは、ここへ何しに来ているのだろう。
ロッジも宿泊できないとのこと。
もっとも、温泉に入れないのに、ロッジに泊まる気にはなれない。
湖の景色だけは、以前と変わらずに美しい。
ここの温泉に浸かって、ロッジに泊まったのは何年前だろうか?

サモートーン温泉の景色
[風呂上がりにこんな景色眺めたら爽快なのに、残念]

サモートーン温泉の島をぐるりと一周散歩して、真ん中にある金色の大仏を見上げたら、あご髭の様なものが見える。
あご髭をはやした大仏など見たことがない。
大仏の真下まで行ってよく見たら、あご髭のように見えたのは、巨大なハチの巣であった。

あごひげ
[大仏のあごの下に大きなハチの巣]

午後3時半。
このままピサヌロークへ向かえば、そう遅くならないうちに到着できるだろうけれど、せっかくの休日の1日を使って、スパンブリーの資料館見学できず、サモートーン温泉は入浴できずでは、まったく立つ瀬がない。
それに疲れた。
このままもう少し北上して、ネコの49日の時に泊まったネコのいるモーテルへ向かうことにした。
もし、あの時と同じ、7号室が空いていたら泊まろう。
7号室に泊まれないなら、そのままピサヌロークへ戻ることにしよう。

数キロおきに開拓村の集落が現れるだけの田舎道を走る。
田舎道だけど、道はよく整備されている。
走ってくる車は少ないけれど、車はほとんど時速100キロ以上の猛スピードで飛ばしている。
バイクも然り。
しかし、整備された道と言っても、周囲は開拓部落なので、農作業のトラクタや牛も出てくる。
ニワトリが道を横断するなんてのは、普通の光景。
犬や猫の轢死体も多い。
たぶん、人身事故なら重大事故となる確率がとても高いだろう。
命が軽く扱われてしまっているようだ。

開拓集落の周りは畑作が見られるが、それが尽きると荒地や疎林地帯になる。
集落の家々も、トタン屋根だったり、廃材を打ち付けただけのような家屋が多く、ミャンマーあたりの風景とあまり変わらないような感じがする。
そんな環境なので、沿道には小さな雑貨屋以外に店はほとんどない。
食堂もなければ、屋台など皆無である。
タイはどこへ行っても屋台があって、食べ物に不自由しないと言われるけれど、それは町の中だけのことなのだろう。

夕方5時にはドークラック・リゾートに到着。
リゾートとはおこがましい簡易宿舎というかモーテルであるが、大きな山ではないけれど、正面に山が迫り、敷地内には木々や花が咲いている。
ネコもいて、ネコがノビノビとしている。
部屋は薄暗いし、匂いもあって、お世辞にも快適とは言えないけれど、ネコとの思い出があるので、また来てしまった。
ネコとの思い出と言っても、ネコと来たのは、ちょうど10か月前の、去年の9月。
そして、49日にも泊まりに来た。

さっそくここのネコの歓迎を受ける。
去年はほんの仔猫だったけれど、もうだいぶ大きくなっていて、抱きあげるとずっしりと重たい。

ドークラックのネコ
[ここにはオス・メスと2匹の猫がいる こちらは三毛のメス]

そういえば、今朝バンコクのアパートの周囲をジョギングしていたら、以前は倉庫の横に2匹でいた子猫が、一匹だけになっている。
これは先々週にも気が付いていて、どうしたのだろうかと思っていた。
今回はちょうど倉庫の警備員の男性がいたので、もう一匹はどうしたのか尋ねてみる。
この警備員が、いつもここのネコにエサを与えたりして世話をしているのは知っていた。
「どこへ行ったのかわからないよ、オスの方はいなくなっちゃったね。」と言う。
別に失踪したネコのことを気にかけている風もない。
なんとなく冷淡にも感じられるが、こうした無関心はこの土地では一般的なのかもしれない。
ピサヌロークの下宿でも、この2年近くにいったい何匹のネコが失踪しては、また新しいネコを迎えてきたことだろう。

日没前に夕食へ出かける。
最近の日没タイムはだいたい19:00少し前。
この辺りでは食堂を見つけるのは至難の業。
しかも、夕食時に営業している店となると、見つかるかどうかは運次第となるが、去年来た時に運よく「粥屋」を見つけた。
今回も、そこへ行こうと思うのだが、場所がうろ覚え。
この先に行った交差点を右折したところだったとは記憶しているが、交差点は2カ所ある。
最初の交差点へ行って捜したが見つからず。
ふたつ目の交差点へ行ったけれど、やはり見つからない。
もういちど最初の交差点へ戻って探してみる。
前回の粥屋ではないけれど、小さな簡易食堂があった。
しかし、もう閉店済み。
スマートフォンで去年の写真をさがし出す。
スマートフォンなので夕食の時にネコを撮影した写真に位置情報が出ているはず、、、
写真の位置情報では、先の方の交差点であった。
またも交差点間を往復したが、交差点周辺には食堂が見当たらない。
もう商売をやめてしまったのだろうか?

交差点を右折して少し走ったところで、「粥屋」を発見。
交差点のすぐ脇と記憶していたが、記憶違いだったようだ。
しかし、もう薄暗くなっているのに、店の中は真っ暗。

「真っ暗だけど、食事はできるかね」と店内に声をかけると、
「できるよ、これから明かりをつけるころだ」という。
そう、この店。
去年と同じ。
10カ月前にここに来たんだ。

「干し魚とカナー菜の炒め物」と「干しエビのヤム」を注文。
店の女主人が「干しエビを切らしているよ」と答えたが、その横からその亭主が「大丈夫買ってくるからできるよ」という。
そして、バイクに乗って走っていったが、5分ほどで戻ってきた。
しかし手ぶら。
そして、そのままピックアップトラックに乗り換えて、再びさっきとは反対方向へ入っていた。
そのうちに外は土砂降りの雨に変わった。

土砂降り
[スコールのような雨]

たぶん隣町へでも干しエビを買いに行ってくれたのだろう。
おかげで「干しエビのヤム」にありつくことができた。
しかし、このヤム、投入されている唐辛子の量が半端じゃない。
さらに、生姜の細切りもたくさん入っている。
今回発見したこととして、生姜は唐辛子の辛さを増幅する作用があるということ。
もうめったやたらと辛い。
しかし、わざわざ干しエビを買ってきてくれたヤムなので、鼻水をふきふき完食する。
痺れた舌に「干し魚とカナー菜の炒め物」が優しく感じられる。

ヤムクンヘーン
[これが激辛の干しエビのヤム]

<HR>

翌朝は青空であった。
雨期なので快晴と言うわけではなく、雲も浮かんでいるけれど、空は青く雲は白い。
中庭の東屋でインスタントコーヒーをいただく。
そのうちにここのネコたちがやってくる。
ネコが庭で遊ぶ姿を眺める。
ネコたちは幸せそうだ。
走り、気のよじ登り、虫を追いかける。

ドークラックの朝
[私のネコにもこんな環境でくつろがしてあげたかった]

9時過ぎに出発してピサヌロークへ向かって走る。
田舎道、のんびり走る。
空は青と白のコントラストがきれいだ。

空、雲、山、
[空気が澄んでる]

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| 日常 | 11:55 AM | comments (0) | trackback (0) |
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