7月17日 日曜日
窓のない部屋なので、明かりを消してしまえば夜が明けても真っ暗で、外は朝なのか夜なのかわからない。そこで携帯電話で目覚ましを6時にセットして目を覚ました。
起きると同時に外へ出て朝食とする。
この宿には食堂がない。
もっとも、私の趣向からして、宿に食堂が付いていたとしても外へ出ただろう。
[青島・旧市街 朝の四方路]
四方路は食事に関してはとても便利だ。
蒸篭や鍋なら湯気を吹いている店があちこちにある。
中国だし、朝食は本場の油條と豆乳をいただきたい。
本場だから期待値も高い。
油條は大きくて太い。
台湾のよりずっと太い。倍くらいはある。
豆乳は丼入り。
ただし、その丼にビニール袋がかぶせてあり、そこへ豆乳が注がれている。
これだと食器を片付ける際にビニール袋だけ捨てて、丼を洗う手間が省けるのだろう。
しかし、食べる方からするとちょっと興ざめである。
平べったいネギ入りの焼餅を食べる。
餅と言っても、日本語の餅ではなく、小麦粉で作ったパンに似たものである。
これはとても美味だった。
生地はパイのようにサクサク感があり、ネギが甘い。
塩加減もちょうどよい。
これで朝食代3元也。
[ビニール袋やプラ籠など、色気が全くない]
宿へ戻ってチェックアウトし、フロントでデポジットの100元を戻してもらう。
部屋のアメニティーは歯ブラシやシャンプーなどあったが手を付けずに残してきた。
質素な宿だったけど、家族的で暖かな雰囲気があり、悪い宿ではなかった。
バスターミナルまで歩く。
7時に宿を出て、30分もあれば着くだろうけれど、途中に何かあれば好奇心から立ち止まってしまう可能性もあるので、このくらいがちょうどよい。
日曜日の朝だけれど、街にはガラガラとキャスター付きのカバンを引きずる旅行者がたくさん歩いていた。夜行で青島へ着いたところなのだろうか。駅が近くなればなるほど、その密度は増してきた。
[鉄道駅の時計塔]
8時発の威海行きバスには乗客がほとんど乗っていなかった。
こんなことなら昨日のうちに切符を買っておく必要もなかったかもしれない。
ターミナルを出たバスは、青島の街中で客を拾いながら進む。
あっちに寄り、こっちに寄り、そっちではしばらく停車。
しかも、昨日空港から来た道とだいたい同じルートを走っている感じだ。
赤錆びた巨大な工場群も見える。
途中2か所ほどバスターミナルのようなところに立ち寄り、それぞれ10分くらいずつ停車したものだから、空港近くまで来たらもう10時になっていた。
[青島駅前のバスターミナル]
その後は高速道路に入り、ところどころ工事中の箇所もあったけれども、順調に走った。
なだらかな丘の続く田園風景。
畑の中の集落にも貧しさを感じさせるようなところはなく、牧歌的で明るい。
それは青島市内と同様にどの家の屋根もオレンジ色をしているからだろうか。
中国の家屋がみんなこんな感じだったかどうか記憶にないが、少なくとも山東省の先っぽはこんな感じだ。
明るくて、穏やかで、とてもいいと思う。
[高速道路上の車窓より 青島から威海への風景]
田園風景の中でバスのスピードメーターは120km/hを指している。
これが制限速度のようだからスピード違反をしているわけではないようだけれど、このバスのサスペンションはあまり良くないようなので、振動は大きい。
それにエンジン音もうるさい。
今の中国は、何かにつけてなりふり構わず急ぎ足でなければ気が済まないのだろうか?
青島ののんびりした雰囲気や、高速沿いの田園風景と比較すると、なんだかそぐわない気もする。
[スピードメーターは120km/hを指している]
振動やエンジン音や負けないくらいのボリュームでバス車内ではビデオが上映されていた。
2本ほど上映され、一本目は中国製の子供が主人公のディズニー映画だった。
中国でもディズニー映画を作っていたとは知らなかった。
ちゃんとは見ていなかったが、子供向けによくできた映画だった。
もう一本はなんとタイの青春映画だった。
主人公はプーケットに住む華僑系の女の子である。
この手の映画にはあんまり興味がないのだが、字幕スーパーは英語で、セリフは中国語に吹き替えられていた。
中国ではタイの映画も一般的に流通しているのだろうか?
高速道路の標識で威海までもう少しであることがわかる。
だんだんと開発途上の都市近郊的建物や工事現場が増えてきて、立体交差や高層アパートも出てくる。
やたらと広い道路、その両脇に建つ巨大な建築群。
威海は青島の旧市街とは全く異なり、情緒と言ったものが全く感じられない。
威海のバスターミナルに到着。
開発途上の都市にありがちなアンバランスを象徴するようなターミナルであった。
思いっきり背伸びをしているような街の真ん中で、ターミナルとは名ばかりのプレハブ建築のような簡易建物だった。
[4時間半もかかって威海のバスターミナルへ到着]
バスを降りたとたん、カバンの肩掛けひもが切れてしまった。
このカバンは手に持って歩き回るには重すぎて、行動意欲が減退してしまいそうだ。
これは修繕するしかない。
バスターミナルの前にしゃがみ込み、針と糸を取り出して修繕作業開始。
屋外でカバン修繕するのなんて、恥ずかしい姿かもしれないが、このアンバランスな街でなら気にならない。
威海の街もバスターミナルがあるあたりが新市街で、きっと旧市街と呼ばれるところへ行けば少しは落ち着きも出てくるのだろう。
ただし、旧市街を探して散歩するほどの時間もない。
時刻はもう1時である。
まるで興味の湧くところがなさそうな威海の新市街だが、昼食を食べたいと思うが、ローカル臭でムンムンするような食堂がちっとも見当たらない。
値段だけは高そうな成金趣味のレストランはいくつかあったが、当然私の趣味ではない。
地図では近くにイオンモールがあることになっている。
そこへ行けばフードコートか何かあって、手軽にローカルフードが食べられるのではないかと考えた。
[真新しい街できれいだけど、面白みがない]
大通りをしばらく歩き、掘割の挟むような大通りを渡ったところに巨大なイオンモールはあった。
敷地に入り建物の入り口までも随分と歩いた。
[威海のイオンモール]
内部は日曜日と言うのに閑散としている。
館内を探してみてもフードコートが見つからない。
ハンバーガーや味千ラーメンなどのファーストフードの店は1階に集まっている。
しかし、ローカルフードがない。
エスカレーターで上へ上がっても専門店ばかり、イオンのスーパーもない。
インフォメーションカウンターも見つけられなかったが、北側の殺風景な壁に張り紙がしてあった。
それによるとイオンスーパーは7月1日で営業停止となっている。
どうやらこの壁の向こうにスーパーがあったようである。
こんなことならイオンモールなんかに用はない。
さっさと船着き場へ向かう方がよさそうだ。
[営業停止を告知する貼り紙]
まったく、青島での印象があまりに良かったので、この威海とのギャップがとても大きい。
それに韓国関係の品物を扱う店が多いし、韓国料理のレストランも多い。
韓国の貿易センターのようなところもある。
大通りのバス停でバスを待つ。
台湾の市内バスと同じで、停留所の案内表示板には各路線の停車する停留所一覧が付いているので港へ行くバスの番号も簡単に探せた。
新しくてきれいなバスが次々にやってくる。
青島のバスも新しくてきれいだったが、青島ではさらにハイブリッドバスやEVのバス、さらにトロリーバスなど電気で走るバスが多くて、大通りにバスが走っていても騒音はあんまり感じなかった。
しかし、威海のバスはディーゼル車ばかりのようだ。
新車のようだがエンジン音はうるさいし、それにクラクションも頻繁に鳴らされる。
港行きと思われるバスに乗り込む。
運賃は1元。
ワンマンカーだが運転手は若い女性だった。
バスにしばらく揺られ、住宅団地が途切れ、殺風景な埋め立て地のようなところを走っている。
停留所の案内放送があるのだがまったく聞き取れない。
左手奥の方に港のようなところが見え、大型コンテナを積んだトレーラーが頻繁に行き交っている。
まだ時間はあるし、この辺で降りてみるかと適当に下車したら、背の高い雑草が生い茂る荒れ地の真ん中であった。
バスが走り去っていった方角へトボトボと歩く。
10分くらい歩いたところに、崩れかかったような民家があった。
そしてこの民家には「蘭州拉麺」と書かれているではないか。
民家の前の路上では荷車にスイカを積んで売っていた。
そう、そうなんだよ。
こんなローカルな店で昼食を食べたかったんだと、喜んでその民家の戸口をくぐったのだが、中は食堂ではなく床屋であった。
なんで床屋が「蘭州拉麺」なんて看板掲げて商売しているのか理解できないが、櫛と鋏を手にした主人に「蘭州拉麺じゃないのか?」と尋ねたら、「もう少し先にあるよ」と教えられた。
移転でもして、その後釜に床屋が入ったということなのだろうか。
さらにあと5分ほど歩いたら船のターミナルが見えてきた。
そのターミナルとは通りを挟んだ反対側に商店街があり、「蘭州拉麺」の店があった。
[港の前にあった蘭州拉麺の店]
モスリムの店らしくメニューに豚肉を使った料理はない。
アルコール飲料もない。
店内には貼り紙がしてあって、「モスリムの習慣を尊重してください」と書かれている。
しかし、店の中には3人の韓国人男性がいて、酢豚のようなものを食べながら盛んにビールを飲んでいる。たぶん、酢豚ではなく、牛肉か羊肉なのだろうが、ビールはどうしたことだろう。
店の主人にビールは飲めるのかと質問したら、「自分で隣の店へ行って買ってきてくれ」との答えが返ってきた。
厳格なモスリムの店ではなく、かなり融通の利く「持ち込みOK」の店らしい。
さっそく隣の店へ行ってみる。
雑貨屋で冷蔵庫の中にビールが冷えていた。
ビールは威海衛ビールと言う銘柄のビールのみ。
中瓶で500cc入りが3元であった。
モスリムの店へ戻り、ビールを持ち込んだが、グラスはサービスしてくれないらしく、瓶のままビールを飲みながら写真入りのメニューをめくる。
店名にもなっている「蘭州拉麺」を注文。
メニューの写真では牛肉のスライスがたっぷり盛られていたが、実際に出てきた拉麺には、日本のラーメン屋で注文する醤油ラーメンに載っているチャーシュー程度の牛肉スライスしか入っていなかった。
これで13元。
[牛肉ちょっぴり パクチー(香菜)たっぷり ボリュームもたっぷり]
高くも安くもないが、味は悪くなかった。
特に山椒の利いた唐辛子ペーストを入れて食べるとビールとの相性がとてもよくなった。
この威海衛ビールも青島で飲んだ生ビール同様にやたらと軽い。
青島では生ビールしか飲まなかったのでビールの成分が確認できなかったが、威海衛ビールのラベルで成分が判明した。
原料は、水、麦芽、米、ホップであり、アルコール度数は3.3%。
麦汁濃度というのがあり9°Pとなっている。
この単位がどのようなものなのかよくわからない。
[威海衛ビール まずくないが とても軽い]
食べ終えてターミナルで乗船手続きを行う。
出港は夜9時なのに、午後3時までに乗船手続きをするように指示されていた。
随分と時間をたっぷりとってくれたものだ。
まるで今日1日が乗船のために費やしてしまうような感じになっている。
[威海新港ターミナル 韓国行の2航路があるらしい]
ターミナル内で制服姿の女性係員に私の予約票を見せたらば、切符売り場の窓口へ案内された。
しかし、すでに窓口に並んでいる人を尻目に、女性係員は私の予約票を強引に窓口の中に押し込んで、中にいる窓口嬢にすぐ手続きするようにと指示してくれた。
窓口に並んでいた方たちは、訳のわからない日本人が突然割り込んできたのだから、とんだ災難なのだろう。
しかも、私の手続きには随分と時間がかかった。
ここでも山東航空のチェックインカウンターと同じように「韓国のビザがないから乗船許可が出ない」と言っている。
「日本人には韓国へ行くのにビザは不要だ」と説明しても、なかなか理解してもらえない。
「以前に韓国へ行ったことがあるのか?」と質問され、「もちろん、住んでたこともある」と答えたが、前回韓国へ行ったのは随分と昔で、6年前に発給を受けた現在のパスポートには韓国の入国スタンプがない。
窓口嬢は私のパスポートに押されているスタンプページをめくっている。
そのうちにパスポートに織り込んである台湾の「優先入国許可証」を見つけ、物珍しそうに見ている。
さらにスマホで写真まで撮っている。
一昔前だったら台湾のスパイと疑われてしまうところだが、別にお咎めを受けることはなかった。
そのうちにあちこちへ電話をし、ビザ不要と言うことが確認できたようで、私は乗船券を手にすることができた。
先ほどの女性係官に礼を言ったところ、「出国手続きは2階で3時半からだ」と教えられる。
まだ30分ほどあるので、先ほどの商店街前の路上で白桃と洋ナシを買う。
3時半からの中国出国手続きでもまた手間取った。
「韓国のビザは持っていないのか」と係官に質問され、先ほどの乗船手続きと同じ儀式が繰り返され、中国の出国印がパスポートに押される。
ターミナルの建物から船までは何百メートルか離れており、この区間はバスに乗せられる。
空港内のランプバスのようなバスに押し込まれる。
このバスは無料ではなく、ターミナル使用料の55元とは別に、バス代として8元も徴収されている。
こんなバスに押し込まれるくらいなら船まで歩いた方が快適な気がする。
それにもうこれ以上乗れないというくらいまで客が乗り込むのを待つものだから、なかなか動き出さない。
満員のバスは船の横で乗客を吐き出した。
私も押し出されるようにバスから降りた。
目の前が巨大な船の横っ腹、つまり麗しのサブリナのウエストになっていた。
やっとサブリナとご対面である。
外観は昔とあまり変わっていないようだ。
写真に収めようとカメラを向けたらば公安係官に制止された。
写真撮影禁止らしい。
こんなことならターミナルからでもサブリナの写真を撮っておくんだったと後悔する。
船内のエスカレーターで6階(Cデッキ)まで上がる。
案内カウンターで乗船券を提示して部屋の鍵を受け取る。
115号室。7階(Bデッキ)の右舷側。
船の係員たちは一概に愛想が良く、また礼儀正しい。
きちんとした丁寧な言葉遣いだった。
しかし、乗船客はあんまり品位が良さそうには見えない。
大きな荷物を引きずり、大声を上げている。
[新金橋Ⅱ号 ロイヤル船室(旧サブリナ一等船室)]
115号室は大きな窓のあるツインルームであった。
私は一人なので、インサイドのシングルベッドの部屋だろうと思っていたので幸運に感謝した。
しかし、ツインのシングルユースである。
洗面台もシャワールームもあり、冷蔵庫とテレビも付いている。
先ほど買った白桃と洋ナシを冷蔵庫に入れる。
冷蔵庫があるんならビールも買っておくべきだった。
いやいや、国際航路だからビールなど免税価格で買えるのではないか?
[部屋に用意されていた案内書にあった船内設備と営業時間のおしらせ]
さて、船内の探検に出かける。
大まかな作りはサブリナ当時と大体同じようである。
ただし、8階(Aデッキ)の多目的ホールは雑魚寝の団体船室になっていたり、乗客定員を増やす改造もされている。
それと船内の照明が暗くなっているようにも感じられる。
メンテナンスも行き届いていない印象を受ける。
以前はプロムナードギャラリーになっていた場所は、今も大きく引き伸ばした風景写真などが展示され、ギャラリー風になっているが、床に敷かれたカーペットやソファーも薄汚れていて、以前のような雰囲気がなくなっている。
3世代、家族4人で冬の道東旅行をした時、長男の優泰はようやく掴まり立ちができるころで、このプロムナードギャラリーで、卒業旅行の女子高生グループに遊んでもらっていた。
いや、あれはプロムナードではなく、キッズルームだっただろうか。
もうNew Golden BridgeⅡ(新金橋Ⅱ)となった船にはキッズルームはない。
[プロムナードギャラリー だいぶ薄汚れてしまっている]
展望浴場はあった。
もう入浴している人もいるらしい。
部屋にあった案内書には「出港後利用可」とあったが、出港までまだ4時間以上時間がある。
中をのぞいてみると、浴槽には湯が張られていないが、シャワーは使えるみたいであった。
案内所へ行って入浴時間を確認すると、もう入浴可能とのこと。
しかし、浴槽に湯がないけど、これは出港後に湯が入るのかと質問したが、「いいえ」とのことであった。
東京から釧路への航路で、はじめてサブリナに乗ったとき、東京港を深夜に出港してすぐこの展望浴場で入浴した。
もちろん、2つに仕切られた浴槽には湯が溢れていた。
用意されている石鹸は、まだ未使用で角の取れていない真新しいものだったことに感動したことを鮮明に覚えている。
しかし、今の船には石鹸が用意されていなかった。
そればかりか、浴槽の入り口に「ここ靴を脱いで入るように」と貼り紙がされているのに、下駄箱に靴は皆無であった。
みんな土足のまま浴室に入っている。
脱衣所だけではなく、洗い場でも靴やサンダルを履いたままだ。
こんな靴を履いたまま入浴するような乗船客相手では、浴槽に湯を張るなんてこと自体がナンセンスなのだろう。
石鹸以外に洗面器や手桶も用意されていない。
シャワーしか使えないから問題はないが、他の入浴客を見てみると、みんな入浴よりも洗濯をしに浴室へきているようだ。
浴室内の唯一の備品であるプラスチック製の丸い風呂椅子をひっくり返し、そこへ青いビニール袋を被せて湯を貯め、洗い桶の代わりとしている。
衣類も洗うし、靴も洗う。
ついでに身体も洗っている。
まったく中国人のバイタリティーには驚かされる。
こんな連中に正面勝負を挑んでも勝てそうにないなと思えてくる。
[Aデッキ後方の甲板 甲板の床も補修だらけ]
私は入浴を済ませて、デッキに出たり、売店をのぞいたり、船内を引き続きウロウロする。
食堂の前にはメニューが大きく張り出してあり、カルビ焼肉やトンカツなどの料理名と値段が掲示されている。
既に食堂の営業は始まっている雰囲気。
入り口立って中を覗いていたら、ちょっとずんぐり体形の女性係員に「7時までの営業だからお急ぎください」と言われる。
外にメニューが掲示されているのに合点のいかないところだが、夕食はバイキングだけらしい。
ひとり6000ウォンとのこと。
私の時計ではまだ5時過ぎ。
まだ空腹ではないし、夕食には少し早い。
もう少し後でと思ったのだが、なんと船内は韓国時間を使うのだとかで、あと7時まで45分しかない。
出港前だけど、時計の針を韓国時間へ1時間ほど進めて夕食にする。
[数百人も乗っている割には食堂には空席が目立った]
食堂の構造は依然とだいたい同じに見えるが、だいぶくたびれきっている。
窓側のテーブルに着いたが、まだ出港前で、窓の外の景色は岸壁。
そこでは大きなコンテナトレーラーが頻繁に行き来し、コンテナの積み替え作業をしていた。
これも巨大なフォークリフトでコンテナを積み替えているのだが、よくぞピタリとトレーラーの荷台に填めこめるものだと感心してしまう。
[窓の外の景色は岸壁で行われているコンテナの積み替え作業]
バイキングのメニューは韓国料理。
ご飯にキムチにサラダ、魚フライ、サバと大根の韓国風炊き合わせ、ジャガイモの細切り炒め、鶏肉粥、スイカ。
6000ウォンだから、こんなもんだろう。
しかも皿は一人一皿で、ご飯もキムチもサバも一緒くたに盛り付ける。
汁が混じり合うので、見てくれも悪くなり、夕食と言うよりエサの時間と言った感じで雰囲気などまるでない。
が、ここでも従業員はよく働いているし、親切でもある。
ビールが飲みたいので注文したが各自持ち込み制とのこと。
売店へ走ってアサヒスーパードライの500ml缶と紙パック入り韓国焼酎を買う。
スーパードライは韓国製なのか、ハングルの表記がある。
値段は3300ウォンと、免税価格を考えていた私には随分と高く感じた。
韓国焼酎は1600ウォン。
[ワンプレートに盛るとキムチの汁が皿全体へ回ってしまう]
バイキングの味については特に感想はない。
とにかく時間がないので大急ぎで食べて、大慌てで飲んだ。
しかも、ちゃっかりとお替りまでした。
が、やはり時間内に食べ終わることができなかった。
時刻は7時になり、団体客がドット雪崩れ込んできた。
私のテーブルにも中国人の中年夫妻が着いた。
どうやら7時までの営業ではなく、7時から団体客の食事時間と言うことらしい。
その団体客は私を含めた先客のバイキング食べ残しを行列作って食べることになるわけで、スイカの補充はなく、魚フライのタルタルソースも品切れ、鶏肉粥はわかめスープに変身していた。
それにしても慌てて食べたので、食べる分量もわからずで、食べ過ぎてしまったらしい。
胃が苦しい。
部屋に戻ってベッドに横になったら眠り込んでしまった。
2時間ほどで目を覚ましたら、ちょうど出港の時間であった。
出港と言っても岸壁に見送り人がいて紙テープを投げるわけでもないし、「蛍の光」が流れるわけでもない。
知らないうちに、静かに岸壁を離れていく。
甲板に出てみる。
もうすっかり夜である。
月も出ている。
威海衛の街の灯が見える。
ときどき韓国語や中国語で船内アナウンスが流れるが聞き取れない。
[もう外は暗くなっていた 月光の下 静かに岸壁が遠ざかる]
後方のデッキでは中国人たちがビールを飲んだり、カップラーメンを食べたり、盛大に食い散らかしている。
これらは船内の売店で調達したものではなく、持ち込み品らしい。
ゴミが風に吹かれて海へ飛んでいく。
現在はNew Golden Bridge Ⅱ (新金橋Ⅱ号)と言う船名に変わっているが、船内はともかく、煙突のファンネルマークこそ変わってしまったが、外観の塗装はサブリナ当時と同じだ。
日本の中古船が海外へ流れた後も、船内に日本語表記があちこちに残っている例が多い。
タイのフェリーなんかでもよくあるケース。
しかし、この船は韓国へ渡って17年にもなるので、船内の表示類はほとんどハングルに変わってしまっている。
そこで、船内で埋もれた日本語表記を探してみることにした。
まず、私の部屋の中だが、日本語表記とは関係ないものの、テレビの横に大きな変圧器が置かれている。
注意書きに「テレビと冷蔵庫専用」と書かれているが、きっと船内の電圧はサブリナ当時と同じ100ボルトのままなのだろう。
それを韓国や中国の家電製品に対応させるために変圧器を用意しているものと推測される。
[テレビの横には大きな変圧器]
部屋のシャワールームもよく見ると、カランに「シャワー」とカタカナ表記があった。
エライぞ。
頑張っているね、と声をかけたくなる。
[見えにくいところにカタカナでシャワーの文字があった]
さらに部屋のインターホンにはメーカーの「アイホン」の文字が。
探せばあるものである。
[インターホンにはアイホンの文字 i Phoneではありません]
廊下の非常口マークも日本のモノのように見える。
文字もハングルでないし、漢字でも中国語だったら「非常口」ではなく「太平門」とか「緊急出口」になっているのじゃないだろうか。
[これもサブリナ当時のままではないかと推測される]
真夜中に再び甲板に出たら星がやたらとたくさん見えた。
これでメガネの度数があっていれば、天の川も見えたのではないだろうか?
こんな星空を見上げたのは久しぶりだ。
[静まり返った闇の中を航行 なんだか哀愁が漂っている]
船内の団体客も寝静まり、フォワードサロンは洗濯物の物干し場と化しており、ソファーで寝ている人もいる。
韓国編へつづく