6月25日(日)
パリでの2日目。
今日は夜のバスに乗るまでたっぷりと時間がある。
計画としては、午前中はまたホテルで自転車を借りて、サクレキュール寺院まで行ってきたいと思っている。
そして、午後はパリの中を歩き回る。
[ホテルの中庭に自転車があり、宿泊者は勝手に乗り回してよいらしい]
07:40に本館にあたるソーラーホテルの一海で朝食をいただく。
バイキングではなく、ちゃんと着席でテーブルまで朝食を運んでもらえる。
しかし、朝食で出されるのは小さなバゲットパン半分、クロワッサン一個、バターとジャムが二種類、ヨーグルトにジュースとコーヒーだけ。
チーズも卵もない完全なコンチネンタル・ブレックファスト。
バンは美味しいけど、もう少しボリュームが欲しかった。
[これがパリの一般的朝食スタイルなんだろう]
9時前に自転車を借り出して、パリの街を北上。
リュクサンブール公園の脇を抜けて、カルチェラタンの坂道を下りセーヌ河畔に出る。
昨日の午後のパリも良かったけれど、今朝のパリもいい。
お金を徹底的に使わない主義で、パリで買いたいものも、食べたいものもないけれど、この街並みの中にいるだけで、気持ちがウキウキしてくる。
華やいだ雰囲気など無縁と思っているはずなのに、ここはやっぱり「花の都パリ」なんだと思う。
そう思わせるのは、青空の広がる天気ににもよるのだろうか、
金子光春の描くパリは、寒く、薄暗く、霧に霞んでいる情景が多い。
その金子の文章の中に「もとより都会という場所は、他人のはなやかさにまぎらかされて、誰もがじぶん自身のむなしさを忘れていることのできるところなのだ。つまり、誰かが、どこかでありついているらしい、この世のたのしい目に、捲きこまれているおもいだけで、いっしょにお振舞いにあずかっている気がしていられるのだ。」と書いている。
[パリはどこへ行ってもパリなんだ]
9時半、サクレキュール寺院のあるモンマルトルの中腹までやって来た。
坂道ばかりで、自転車で登っていくのは体力的に無理がある。
果物屋の間の道端に自転車を乗り捨てて、住宅と住宅の間に続く狭い坂道を登っていく。
途中から階段の続く小径となった。
[坂が急]
登りつめたところはサクレキュールの裏側だった。
見上げると、とにかく無駄なくらい贅沢に青い空の下に、明るい朝の陽ざしに照らされたややベージュかかったドームを持つ建物が聳えていた。
[今回の旅は天気に恵まれた]
この建物の上部、壁面の上端あたりにも、ノートルダムのような怪獣の上半身が伸びだしているのが見える。
4つ足をコーナーにそろえてしゃがみ、遠吠えをするように頭を前に突き出してい、口を開いている。
[この怪獣たちの顔を近くで見たくなる]
正面へ回り込む。
アーチのゲート、ドームの屋根、直線と彫刻、ベージュ色だったのが、色はより白っぽく見える。
建物正面の両端、コーナーの上に騎馬像があるが、銅がさびているのか、薄いエメラルドグリーンをしていて、やたらと目立つ。
建物は柵で覆われ、内部は入場料を取って公開しているようだ。
もちろん、中には入らない。
[サクレキュールの正面にて]
建物も壮麗で良かったけれど、やっぱりここはモンマルトルの丘の頂上でもあり、ここからの眺望が良かった。
建物前の広い階段にはたくさんの観光客が来て写真を撮っている。
視界の右側にひときわ高いビルが見えているが
モンパルナスタワーなのだろう。
宿のあるダゲールからモンパルナスは近いから、あのあたりから自転車をこいで来たことになる。
[パリが眼下に見える]
それにしても、どこから見ても絵になる構図ばかり、小便臭いブリュッセル中央駅のような光と闇みたいな部分はちっとも見られない。
手入れは行き届き、明るく、金子の描く、パリはだいたいが寒い冬のパリで、そこにある暗さはこの6月の晴天のパリとは対極にあるように感じる。
[金子が感じていたパリの暗さは感じることができない]
時刻は10時となり、そろそろ宿へ戻ってチェックアウトの準備をしなくては。
下り坂が多いから、自転車でも楽々なのだけれど、このモンマルトル周辺はパリの下町なのだろう、地理不案内の身には、五差路に出くわすたびに、さてどっちへ行くべきかと迷ってしまう。
自転車だから、交差点ごとに止まって方向を確認してもたいした問題がないけれど、これが車だったら後ろからクラクションを鳴らされてしまうことだろう。
普通の交差点なら直進か左か右かで目的地への行き方もなんとなく自然にわかるのだけれど、五差路だと、直進はなく、右は手前側の右と奥の右の2つがあり、左も然りで、迷子になりそう。
それにどの建物も5階建てか6階建てくらいで、整然と並んでいて、みんな同じように見えてしまう。
そんな下町を走っていると、日本料理の店をたくさん見かけたが、同様にタイ料理のレストランもずいぶんとたくさんあった。
むかしはタイ料理なんて、ほとんど見向きもされない料理だったのに、なんでこんなにブームになっているのだろうか。
日本料理の店は殆どが日本人経営ではなく、韓国人や中国人が厨房で働いていると聞いたけれど、タイ料理屋はどうなんだろう。
[スコータイという名のタイ料理屋]
五差路で迷いながらもやがて凱旋門へ出る。
凱旋門まで来れば、あとは目印になるような場所も多いのでもう迷うことはない。
凱旋門からシャンゼリゼの通りを下る。
[日曜日の午前中だからか車は少ない]
そしてジョルジュサンクへ入って行けば、やがてセーヌ河に出てエッフェル塔が見えてくる。
今回の旅行で、防寒対策として長袖は何枚も持ってきたけれど、暑さ対策はまるで考えていなかった。
下着兼寝間着替わりのTシャツがあるだけ。
しかし、昨日も暑かったけれど、今日のパリもやたらと暑い。
長袖のシャツで自転車をこいでいると汗だくになってしまう。
[パリはどこも絵になりそう]
エッフェル塔は今日もたくさんの観光客がエッフェル塔へ向かって流れていく。
路地のようなところにも観光客が溜まってガイドが説明をしている。
ガイドはいったいどんな話を聞かせているのだろうか。
観光客たちも浮かれている。
[パリはどこも観光客だらけ]
宿には11時ころに戻り、汗をかいたのでぬるめの湯をバスタブに張って入浴する。
ビールも一本飲む。
金子光春がパリで暮らしたこの宿では、あんまり部屋でゆっくりする時間もなかったけれど、快適な滞在ができた。
チェックアウトを済ませ、荷物を夜まで預かってもらうように依頼して、ダゲールと通りを端から端までゆっくりと歩いてみる。
通りは庶民的な雰囲気もあり、八百屋や魚屋、パン屋などもあったけれど、レストランなどの飲食店もおおく、観光客相手と思われる店の方が多いと感じた。
[ここは玩具店らしい]
今夜のバスは夜10時なのでまだまだ時間がありすぎる。
金子光春はパリの街をメトロにも乗らずひたすら歩き回っていたというので、それに倣って私もパリをほっつき歩いて見るつもりにしていたが、ダゲール通りを往復しても時間は30分と流れていない。
流れたのは汗だけ。
それにちょっと疲れた。
昨晩、夕食にパンをかじりワインを飲んだカタコンブ裏の市民公園のベンチに座り込む。
そして、また夕食と同じようにパンをかじり、リンゴをかじる。
[パリで飲んだビールとワイン]
日曜日だから公園で遊んでいる子供たちの姿が目立つ。
この辺に住んでいるのだろうから、やっぱりこの辺は観光客だけのエリアではなく、生活感のあるエリアなんだろう。
この公園には水飲み場があった。
日本の公園なんかにもある水飲み場で、子供たちも水を飲んでいる。
ヨーロッパでは水道水を飲まないと言うけれど、どうしてどうして子供だけでなく大人も飲んでいる。
ここではタイのように飲料水は安くない。
私はケチなので水を買ってまで飲みたくない。
買うならビールだと思っているのが、しかし水を飲まないというわけにもいかない。
みんなが飲んでいるなら、私も飲めるはずと思い水を空のペットボトルに詰める。
木陰のベンチにゴロリ横になって1時間ほど昼寝をする。
そのうちに、木陰になっていた場所が移ってしまい、日に照らされ、暑いもんだから公園から撤退することにした。
気温は32℃まで上昇している。
なんだ、タイと変わらないじゃないか。
公園を出てから昨日は閉園後のため入れなかったモンパルナス墓地へ入る。
墓地には地図が用意されていて、有名人の眠る墓の場所などを示しているが、私は芸術家にしろ政治家にしろ、名前を聞いてもわからないので、そうした有名人の墓めぐりはせず、ただうろつくだけ。
金子はモンパルナスの墓地に関して「西洋風な墓地としては、横浜をはじめ、上海静安寺墓地などと比べてみても、どこかしめっぽく、どこかの片隅の石をもちあげて、屍体が這い出してきそうな気配があった」と書いているけれど、今日の墓地にはそんな気配はまるでない。
それに日本的に墓石と呼ぶのが妥当ではないくらい、墓の上の石造やコンクリート製の構造物は巨大で、重機でも使わなくては、とてもじゃないが石を持ち上げることなどできそうにないように思われた。
[モンパルナスタワーが墓地の向こうに見える]
ここモンパルナス墓地では公衆トイレを使わせてもらった。
パリ市内にも若干だけれど公共のトイレはあるが、ほとんどが有料。
それも私にとって安くない金額。
無料のトイレを見つけたら使わないという手はない。
墓地から出て、裏通りのような道を歩いてルクサンベール公園に入る。
ここも金子の本の中によく登場する公園で、金子が持て余している時間をつぶしたりするのに立ち寄っている。
私ももったいない貴重な時間だけれど、時間つぶしのためにルクサンベール公園の中を歩く。
運動公園のようなところもあり、木立の下のベンチで休憩している人もいる。
屋外演奏会でもするのか、楽器を持ち込んで音合わせをしているグループは正装している。
しかし、ほとんどの人の服装は、海にでも遊びに来ているのではないかと思うほどの軽装。
タンクトップにショートパンツ。
宮殿前の花壇と芝生があるあたりは、日影がないのであんまり人影は多くないけれど、木立のあるあたりは人でいっぱい。
私もベンチに座りたいけれど、日影になるようなところにあるベンチはどこもふさがっている。
空いているのは日向のベンチだけ。
ヨーロッパの人たちは、日光浴が大好きだと聞いていたけれど、芝生の上にマットを広げて寝転んでいる人もいるにはいるが、相対的にここでは日向より木陰の方が好まれているようだ。
[木陰のベンチには空きがない]
また、朝と同じようにカルチェラタンの街並みを抜けて、シテの方向へ歩く。
シテが近付くと、観光客の密度が高くなってくる。
観光客相手の店も多い。
絵葉書を店先で売っていたりする。
最近はスマホのカメラやSNSなどで、旅先から絵葉書を書いて送るようなことも減っているのではないかと思う。
旅先からのSNSは便利だけれど、あとになるとやっぱり形として残っているものの方が良かったと思うんじゃないだろうか。
そんな絵葉書も1枚が1ユーロなので安くない。
[ネコのカード]
ネコのイラストの描かれたカードも並んでいる。
どのネコも黒猫たち。
ル・シャ・ノワールのデザインもあった。
でも、まだパリに来てから一匹も本物のネコに出会っていない。
パリのネコたちはどこにいるのだろう。
[ノートルダムの修復現場]
ノートルダムの修復工事現場の横を歩く。
修復の様子をパネルにして防護壁に提示している。
ノートルダムは石造りの建物だけれど、内部の梁などは大きくて太い木材を使っているようで、その木の伐採の様子なども写真展示していた。
[なるべく元々の工法で修復しているらしい]
時刻は5時、セーヌ右岸に渡りサンジャニック塔横に腰掛ける。
やっと日陰で座ることができた。
とにかく、6月のパリがこんなに暑くなるとは思わなかった。
私と同じように木陰で休憩している若者が何人もいる。
お金を使うことに躊躇さえしなければ、パリにはたくさんのカフェテラスもあり、冷たい飲み物でも飲みながら、通りを行き来する人たちを眺めながら休憩もできるが、お金を使うことを躊躇すると、忍耐力も必要になってくる。
[パリにはこうした建物ががあちこちにある]
サンジャニックの裏へ歩いていくとパリ市役所があった。
日本の四角いだけのコンクリート製市役所と違って、宮殿のように重厚感のある建物になっている。
来年はパリでオリンピックが開催される。
この役所の中でもオリンピックで忙しくしているのだろう。
それとも、ここでは手狭で、どこか別のところに近代的なオフィスビルで作業が行われているのだろうか。
[今日は暑いけど市役所にエアコンはあるんだろうか]
市役所横のオテル・ドゥ・ヴィル(パリ市庁デパート)へ入る。
タイのデパートならガンガンにエアコンが効いているが、ここではそれほど涼しくない。
そもそもエアコンなどあるのかわからない。
ここに立ち寄ったのは、別に土産物を買いに来たのではない。
金子光春もこのデパートへ足を運んでいる。
金子によれば、「庶民向けで、値安く、そのうえ、よそのデパートではない大工道具や、段ボール、釘、金物のたぐいまで、なんでもまにあう」らしい。
いまも店内は庶民向けと言うか、あんまり高級雰囲気はただよっていない。
金子がデパートでどんな買い物をしていたのかはわからないが、金子はリヨンのデパートへ絵具を万引きしに行っている。
私はこのパリのデパートに買い物をしに来たのでも、万引きしに来たのでもなく、ただトイレを使いたくて入った。
日本やタイなら各フロアーにトイレがあるが、ここでは上の方の階まで上がらないとトイレを見つけることができなかった。
[金子も通ったパリ市庁デパート]
まだ明るく日も高いので、夕方になったような気がしないけれど、時刻は6時を過ぎている。
そろそろ宿に向る時間。
来るときと同じようにノートルダムの前を通り、カルチェラタンからパンテオンの坂道を登り、リュクサンブール公園を抜ける。
公園にはまだたくさんの人がいたけれど、空いたベンチをやっと見つけることができたので、ちょっとだけ座って休憩。
太陽が西に傾いて、日影になる面積が増えたから、日影ベンチの供給量も増えたようだ。
ここまで来て時刻は7時。
しかし、まだ午後4時くらいの感じがする。
でも、早く宿に戻って荷物を受け取り、夕食用のパンと冷えたビールを買わないと。
もう手持ちの食料は食べつくしている。
[このロータリーの横に地下鉄乗り場がある]
ダンフォルロシュロウの胸をそらしたライオンの象があるロータリーを回り、ダゲール通りの入り口に差し掛かったところでネコを発見。
道端のカフェの前に座り込んでいた。
さっそくキャットフードの小袋を手に近づいてみたら、すり寄ってきた。
そしてキャットフードを夢中でカリカリと食べている。
首輪はしているけど、ちょっと痩せたネコで、お腹を空かせていたようだ。
シャノワールではなくちょっとシャムっぽい毛並みのネコだった。
パリでもネコに遭えた。
[お腹を空かせていたようだ]
ダゲールの通りではすでに路上に並べられたテーブルで夕食を楽しんでいる人でいっぱいになっていた。
毎食、毎食パンばかりを食べているから、最後くらいは店に入って食事をしてもイイかなと言う気になった。
そう、イタリー広場周辺のベトナム料理屋でフォーでも食べてみようか。
以前来た時に、そこでフォーを食べたが、大衆食堂風で、一人でテーブルに着いても違和感はなかった。
[ダゲール通りは夕食タイム]
8時前、カバンを受け取りバスターミナルへと歩き出す。
イタリー広場まで来て、そこから横道に逸れてみた。
以前は公団住宅みたいな集合住宅がならんでいて、その1階部分に大衆食堂やスーパー何かが入っていたような記憶がある。
しかし、25年ぶりに来てみるとちょっと様子が変わっていて、ずっとおしゃれな街になっていた。
フォーを食べさせるような大衆食堂も見当たらなかった。
仕方なく、またバスターミナルへ向かって進み、ガソリンスタンドに併設されているスーパーでバゲットパンと缶ビールを購入。
メトロの高架下にあったベンチに腰掛けて最後の晩餐とする。
バゲットパンには醤油を少し垂らして食べる。
バゲットそのものにもともと塩味は少しあるけれど、醤油を垂らすことで旨味がぐんと増してくる。
バターやジャムなんかよりパンと醤油の相性はとてもいいと思っている。
そして冷えた缶ビールも旨い。
ずっと冷えてないビールばかり飲んできて、ヨーロッパでは冷えてないビールでも旨いと思って来たけれど、やっぱり冷えたビールの方が美味しい。
白ワインも少し残っていたので、それも旨い。
白ワインは冷えてないけど、旨いものは旨い。
こうしてバゲットをかじっていると、パンくずがこぼれる。
そうすると、それを目当てにハトたちが私の周りを取り囲んで争奪戦を始める。
[醤油を垂らしたパンをいただく]
こうしてハトと一緒に晩餐を楽しんでいたら、私の前を黒人男性が足早に通り過ぎようとした。
その男性、手に持っていたバゲットサンドウィッチとラズベリーパイをベンチで私が腰かけているすぐ横に置いて、コレコレって指さし、「食べろよな」って感じでウインクして立ち去って行った。
うーむ、私は彼から食べ物を施されたことになるらしい。
好意は嬉しいんだけど、長さが50センチくらいある私が買ったバゲットはもう大半を食べており、そろそろ満腹状態。
彼が置いていったサンドウィッチはサーモンや生ハムが入っていて、私の醤油バゲットより断然豪華なのだけれど、でもいつ作られたものかはっきりしない。
傷んでいたりして、腹を壊すようなことになったら大変である。
今晩は夜行バスに乗らなくてはならないからトイレが心配。
彼には感謝しながらも、バゲットサンドとラズベリーパイはハトたちに進呈することにした。
パリのハトはサーモンや生ハムを食べるということを始めて知った。
そのせいか、タイのハトよりも羽の艶がイイみたいだ。
[せっかくだけど、ごめんなさい]
時刻は既に9時半になった。
まだ暗くないので、時間が何時なのかわからなくなる。
10時少し前、セーヌを渡る。
これでパリもお終い。
あとはスキポール空港まで夜行バスに乗るだけ。
[夜9時半に夕焼けが]
22:15にブラブラバスはほぼ満員のお客さんを乗せて走り出した。
利用者はほとんどが若い旅行者で、アジア系の顔も見える。
私の隣は西洋人としては少し小柄の男性で助かった。
ようやく暗くなり始めたパリ郊外へ向かう高速道路に入り、シャルルドゴール空港へ立ち寄り、何人かのお客を拾った。
そのあとは一日中歩き回って疲れたのか、バスの狭い座席でも良く眠ることができた。
[夜行バスはタイでも乗り慣れている]
深夜にブラッセルの駅前に到着、ここで半分くらいの乗客が降りて行った。
こんな時間にバスから降りて、明け方までどうするつもりなんだろうか?
私の隣の席の男性も降りてしまったので、私はゆったりと座ることができるようになった。
6月26日(月)
次に目が覚めたのは、もうロッテルダムの近くであった。
ロッテルダムも昨年来た街。
時刻は5時を回っていて、空は明るくなりはじめていた。
朝焼けの中に風力発電の風車が回る景色の中を30分ほど走ったらもうスキポール空港へ到着した。
時刻は05:45で、定刻よりも30分くらい早い到着。
[一夜を過ごしたパリからの紅いバス]
帰りの飛行機は11時過ぎなので、チェックインまでもまだだいぶ時間がありそう。
空港内にスーパーマーケットがあったので、土産用に缶ビール6本パックを買った。
無人のレジと有人のレジがあったけれど、有人のレジへ並び現金で支払いをした。
そうしたら、ビール代以外に1ユーロほどなにかチャージが付いている。
これは税金なのだろうか、それとも有人レジでサービス料なのだろうかと考えてしまった。
8時にチェックインとなり、そのままラウンジでハイネケン生ビールとスペインの発泡酒カヴァを飲み、パンとチーズを食べる。
去年から数えて3回目のスキポール空港だけれど、とりあえずこれからはもうこの空港を利用する予定はない。
これが最後となるかもしれない。
[久しぶりに温かい食べ物を口にした]
帰りの飛行機は満席で、私の隣にも中国系の男性が座った。
私はまたまたすっかり眠り込んでしまって、長いフライトもあんまり気にならなかった。
私の隣の男性は私が眠り込んでいたのでトイレに立ちにくかったことだろう。
バンコクに着いて、荷物がなかなか出てこなかった。
どうやらロストバゲージになったらしい。
手続きの書類にサインをして帰宅したが、電話がかかって来て荷物は台北にあって、次の便でバンコクヘ送られてくるから、夕方には届けると言われた。
台北での乗継時間が短すぎたようだ。