■かれんだー■
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30    
<<前月 2025年04月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

蘭英旅行 その4
9月10日 土曜日

窓のない船室なので、夜が明けて朝になっても気が付かない。
身体の方が自然に目覚めて、時計を見ると午前6時。
すぐに部屋から飛び出して甲板へ出てみる。

海上の夜明け
[船の上で迎える朝はちょっと特別な感じがする]

外はもうだいぶ明るくなってきている。
雲が低く垂れこめている。
グーグルマップで位置を確認してみると、もうハンパー川の河口に入ろうとしているところを示している。
長い防波堤のようなものが伸びてきていて、さらにたくさんの巨大な風力発電の風車が並んでいる。
オランダでも風力発電がたくさん行われていたけれど、イギリスでも風力発電は盛んなようだ。
雲が低くて見られないと思っていた朝日も、水平線と雲の間のわずかな隙間からのぞいてくれた。

朝日
[夏時間だからなのか、夜明けが遅い気がする]

午前8時にハルの港に入港。
下船まで昨晩はバーとして賑わっていたラウンジのソファーに座って待つ。
さほど待たされることなく、下船させてもらう。
たぶん混雑を避けるためなのか、100人くらいを一区切りにして下船させている。
たぶん、99人まで下船の区切りをして、あと一人の枠ができたらしく、「あと一人、すぐ下船できるよ」と係員が声をかけている。
この船には一人旅の人がいないのか、だれもそれに応じる人がいない。
それならばと、前に出て100人目の下船グループに混ぜてもらった。

下船を待つ
[等級によって下船の順番が決まるわけではなさそうだ]

船からローディングブリッジを渡り、ターミナル建物の4階に入り、エスカレーターを乗り継ぎながら1階へ。
ここでイギリスの入国審査。
パスポートを見せ、滞在期間や旅行先に関する質問に答えるだけで、入国カードもなければ入国スタンプも押されなかった。
コロナに関する特別な手続きとかも何もなかった。
入国審査場の脇に、飲料水のサーバーが置かれていたので、空になっていたペットボトルに水を詰めさせてもらう。
スーパーで売っている飲み水は安くない。
もともとアルコール分を含有しない飲み物にお金を払うのが好きではないので、こうして飲料水の補給ができるのは大変うれしい。

ターミナル内
[エスカレーター以外にエレベーターもあるが、エスカレーターの方が面白い]

ターミナルからは8時半前に出ることができた。
今回の旅行の目的地は、イギリス湖水地方。
ハルから湖水地方まで直線距離にしたら200km足らずのようなのだが、交通の便はあんまりよくない。
鉄道を利用して最短で行く方法はハルからマンチェスターを経由していくルートらしいのだけれど、どうもマンチェスター近くで不通区間があるらしく、迂回ルートをとらなくてはならないらしい。
さらに9月になってイギリスでは鉄道職員のストが頻発して、電車が予定通り動かないケースも多いらしい。
前売りの往復切符を買ってあるのだけれど、その切符に記されたスケジュールは次のようになっている。
ハル11:06-12:04リーズ12:18-14:09ランカスター14:21-14:33オクセンホルム・レイクディストリクト14:39-14:55ウィンダミア
ウィンダミアと言うのが湖水地方の入り口となる駅。
乗り継ぎ回数も多いのだけれど、乗り継ぎ時間さほど長くもなく、うまくいけば3時間半で到達できる。
しかしこれがストで運休なんかが一区間でも発生すると、スケジュールがめちゃくちゃになってしまう可能性が高い。
そんなことを想定して、一本でも早い電車に乗り込んでしまうのがリスク回避に役立ちそうだと考えて、ハルの鉄道駅へ向かって歩き始める。

P&Oフェリーターミナル
[敷地の外に出るには外周通路をぐるりと半周させられる]

フェリーターミナルと言うのはどこの国でもそうなのだろうけど、だいたい町の中心部から離れた不便なところにある。
フェリーの利用者そのものが車でやってくるわけだから、町外れでも支障はないのだろうけど、私のような車を利用しないものにとっては、ターミナルまでの行き来が不便である。
ハルのターミナルはロッテルダムと比べればまだ中心部に近いが、それでも直線距離で5キロほどもある。
歩けば1時間少々のはず。
5キロ程度なら毎朝のジョギングと同じ距離なので、たいしたことはないけれど、荷物を持っているのが負担になる。
とんでもなく広いターミナルの敷地外へ出れば路線バスのバス停もあるようなのだけれど、どうもイギリスの路線バスの運賃は安くないらしい。初乗りが2~3ポンドくらいのようだ。
たぶん、日本のバスと比べたら少し高いくらいなのだろうけれど、私が普段利用しているバンコクのバス代と比べると異常に高く感じる。
なので、歩いてバス代を節約。

喪中
[一昨日なくなられたエリザベス女王]

港周辺の道路と言うのは、殺風景で、広い道路をトレーラーが行きかうばかり。
道端には雑草が生えていたり、歩道もガタガタだったりする。
そんな中を30分ほど歩いて、やっと趣のあるレンガ造りの堅牢な建物に出くわす。
あぁ、やっとイギリスらしさを感じられたと思える重厚な建物。
周囲を威圧感のある高い塀が囲んでいるのも、権威を感じさせる。

重厚感のある塀
[やっとイギリスらしい建物が見えてきたと思ったが]

この建物は裁判所だろうか、それとも古いお城だろうか。
ハルの正式な街の名前はキングストン・アポン・ハルと言うそうで、これは「王様の街ハル」という意味らしい。
エドワード1世が13世紀の終わりに命名した町だそうだ。
タイではスコータイ時代の名君、ラムカムヘーン大王が君臨していたころらしい。
そんな歴史を感じさせる建物の正面まで来たら、やはり重厚な門扉があった。
が、その入り口に書かれている英単語を拾い読みしたら、この建物は刑務所のようだった。

刑務所
[刑務所の中はどんな感じか覗いてみたい気もする]

高い壁と威圧感。
たぶん、歴史的な建物かもしれないけれど、この手も施設は町はずれに作られるものらしい。

刑務所を過ぎて歩いていくと、車の部品屋、洗車屋や町工場のようなごちゃごちゃとした地区に入った。
やっぱり、あんなり雰囲気のある所ではない。
しかも土曜日の朝ということもあって、ひと気も全くない。
こんなところはさっさと通り抜けてしまおうと歩いていくと、かわいらしい小型の赤い乗用車が道端に止まっていた。
この小型車は3輪の乗用車。
30年前にイギリスの田舎町の住宅街でトコトコとかわいらしく走っているのを見かけたことがある。
そのころでもクラシックな車だなと感じ、面白そうだと思ったけれど、こうしてまた間近で見てみると、3輪で小型ではあるけれど、とても洗練されたスタイルをしている。
こんな車で街を走ったら楽しいだろう。

3輪乗用車
[クラシックな3輪乗用車]

1時間ほど歩いてハル川にかかる橋の袂までやって来た。
この古い橋も跳ね橋となっているようだ。
現在も跳ね橋として稼働するのかはわからないけれど、橋の手前に遮断機と信号があるので、橋が上がるときもまだあるのかもしれない。
一度見て見たいものだ。

ハル川にかかる橋
[川の対岸は景色が一変する]

この橋を渡ると雰囲気が一変して、ハルの旧市街に入る。
こんどこそ本物のレンガ造りで歴史を感じされる重厚な建物群が道の両側にならんでいる。
建物にはイギリス国旗が半旗で掲げられている。
このあたりが旧市街で、歴史地区にでも指定されているのだろう。
やっとイギリスに来たなと感じられ、こんどこそ裏切られることはなかった。

重厚な建造物
[やっと本当のイギリスらしい街になった]

鉄道駅には10時前に到着。
ここで汽車の切符を受け取らなくてはならない。
インターネットで購入しているのはバウチャーで、実際に汽車に乗るには本物の切符が必要ということだった。
駅構内の切符売り場の窓口に並んで、バウチャーを提示したが、自動券売機のようなものを指さされ、あれで自分で手続きして切符を受け取れといわれる。

ハル中央駅
[この駅はバスターミナルも兼ねている]
この自動券売機の操作方法がよく解らないが、スクリーンに表示される英単語を読んでみると、予約番号を入力して、クレジットカードを入れろと説明されている。
既にカードで支払い済みなのに、またチャージされるのではないかと不安もあったけれど、とりあえず指示に従ってみる。
そうしたら、ちゃんと切符が往復分出てきた。
途中何度も乗り換えがあるのだけれど、乗り換える電車ごとの切符と、ウィンダミアまで通しの乗車券などバラバラとたくさんの切符が出てきた。
ちなみに事前購入した往復切符の代金は 89.10ポンド。
タイバーツに換算して4,000バーツほど。
安くない。
バンコクからチェンマイまで一等寝台で往復するよりも高い。
でもまぁ、日本の新幹線と同じくらいの金額だろうか。
これだから発展途上国の安月給取りがヨーロッパなんかに来ると、お金のことで肝をつぶしてばかりになる。

駅の構内
[櫛形にホームが並んだ典型的な終着駅]

予定よりも1時間も早くハル駅に到着できたので、予定よりも1時間早い電車に乗り込むことにした。
とにかく、ストだとかのリスク回避をするために、乗れる電車があれば、ちょっとでも早く先に進んでおくべき。
このハルから出発する電車は、電化されていないためディーゼルカーでちょっと旧式の車両もあるが、新式のスマートな車体の電車もある。
これも30年前に、場所がハルだったのか、どこかほかのイギリス東海岸沿いだったのか記憶があいまいなのだけれど、荒涼とした海岸線を短い編成のディーゼルカーが走っている風景が記憶に残っている。
まるで北海道のサロベツ平原で海沿いを走るディーゼルカーみたいだと感じたものだ。

私が乗り込もうとした電車は新型で、トランスペインという運行会社の車両。
切符には乗る列車が指定されているが、座席番号は入っていない。
そして、どうやら指定されている以外の電車にも同じ区間なら乗っても問題ないらしい。
しかし、ホームにはたくさんの人が電車に乗り込もうと、ドアが開くのを待っている。
週末なので、どこかへ遊びに出かける人たちなのだろう。

トランスペインの電車
[スマートな電車、ホームで乗車を待つ人が多い]

私も並んでドアが開くのを待つ。
そして、ドアが開き、どっと車内へ流れ込む。
イギリスの電車にも、指定席と言うのがあるようなのだけれど、日本と違い、指定席車と自由席車が分かれていない。
座席に"Reserved"と書かれた札が付いていたら、誰かがその座席を予約しているということらしい。
私もなんとか空席を見つけて座ることができたが、その座った席の背もたれのところに、"Reserved"の札が付いていた。
札に書かれている内容を読んでみると、セルビーと言う駅からさきで誰かがこの席を予約ているらしい。
セルビーがどこなのかよく解らないが、そこで予約者がやってきたらば、当然席を明け渡さなくてはならない。
通路にはたくさんの人が立っていて、下車予定のリーズまでは1時間ほどだから、途中から立って行っても大したことはないはずだけれど、やっぱり座っていけるものなら、座って車窓を楽しみたい。

ハンパー川沿いに電車は走る。
私の記憶にあったのは、海岸ではなくハンパー川だったのかもしれない。
ハンパー川はとても川幅が広いので、まるで入り江のようにも見える。
そしてハンパー川にかかる巨大な吊り橋が見えてくる。

ハンパー川
[ハンパー川、電車のスピードが速く、どんどん遠ざかって小さくなっているが吊り橋が見える]

セルビーはなんとハルの次の停車駅だった。
私は荷物をまとめて電車から降りてしまう。
満員の電車の通路に立つよりも、このあと来るだろう電車にはあるかもしれない空席に賭けてみることにした。
それに、新型の電車ではなく、旧式のディーゼルカーの各駅停車なんかに乗れたらば、それも情緒があって楽しいだろう。
セルビーは田舎の駅で、ホームのベンチに座って後続の電車を待つ。
後続は、間もなくやって来た。
どうやら期待した各駅停車ではないようだけれど、電車の外観はさっきよりもだいぶ野暮ったい。
この野暮ったさは、タイの国鉄で使われているスプリンターと呼ばれる特急車両によく似ている。
あれも今から30年ほど前にイギリスから輸入したことになっているから、今から乗る電車も30年ものなのかもしれない。

スプリンターのような外観
[セルビーで乗り換えた電車、下膨れした外観が特徴的]

しかし、乗り込んだ車内は、タイの特急のようなオンボロさはなく、とてもスマートで明るかった。
ほぼ満席に近い乗車率であったけれど、空席を見つけることができた。
車内にはやはり行楽に出かけるグループがたくさん乗り合わせており、午前中と言うのにもうお酒が入っている女性たちもいた。

車内の様子
[イギリス女性は濃いめの化粧が一般的らしい]

11時半前、リーズに到着。
ここでランカスター行きの電車に乗り換える。
いままでリーズと言うイギリスの街の名前は耳にしたことがあったけれど、それがどんな街であるのか全く印象がなかった。
ヨークシャームーアにある田舎町だろうくらいにしか思っていなかったけれど、電車がリーズの街に差し掛かって、車窓に見えてきた街の景色は、ゴシック風の大きな建物があったりして、中世的な雰囲気の残る趣たっぷりの街であった。
ここからランカスター行の電車の出発時間までは30分ほどあり、そのかんちょっと街歩きをしてみたいと思ったのだけれど、ハルやセルビーの駅には見かけなかった改札口がリーズの駅にはあった。
つまり駅の出入りには改札口を抜けなくてはならないが、私の切符は途中下車が認められるものなのかがわからない。改札を出たとたんに切符を回収されたら大事になる。
そこで街歩きは断念し、駅のホームでちょっと早めのランチにすることにした。

ランチと言っても持参のパンと菜ッぱ、そしてイワシの缶詰。
冷たいランチであるが、イワシの缶詰は、チーズ以外では久々の動物タンパクでもある。
つまり、私にとっては御馳走のようなもの、
丸いパンをかじり、菜っ葉にイワシのトマト煮を包んで食べる。
こんなモノでも美味しいと感じられるのは、やっぱり幸せなんだろう。
今の世の中には美食があふれ、飽食だの、フードロスだの言われているけれど、こんな素食を口にして、美味しい、食べられて幸せだと感じられることは良かったと思う。

ランチ
[キャリーバッグは食卓にもなる]

パンをかじっている最中にもリーズの駅には次々と電車が発着している。
交通の要所うというのか、電車の発着ぶりや、人の流れを見ていると新宿駅のように感じられてくる。
新宿は東京でももっとも混雑する駅の一つだけれど、リーズは首都ロンドンから遠く離れた、地方都市である。
にもかかわらず、こうしてたくさんの人が乗降し、電車が出入りしているというのは、イギリスでは鉄道が交通機関としてまだまだ王道を走っていることを示しているのかもしれない。
出入りする電車は、通勤電車風から先鋭的な特急まである。
そのな特急を見ていたら、AZUMAと車体に書かれた特急も入ってくる。
うる覚えだけど、数年前に日本の日立がイギリスに売り込んだ特急だと思う。
こんなところで日本製の電車に出会えるとは思わなかった。

日本製特急アズマ
[日本製特急アズマ]

ハルを1時間早い電車で出発したものの、けっきょくリーズからは予定通り、12:18発の電車に乗ることになった。
これもディーゼルカー。
ローカル線を走る各駅停車のようだけれど、車内はここまで乗ってきた電車と比べて遜色ない。
ランカスターまでの約2時間。
ヨークシャームーアの丘陵地帯をのんびりと走る。
ヨークシャームーアでは季節になるとヒースと呼ばれる丘を覆うように茂る低木に紫色をした花が咲いて、一面が紫色に染まりとても美しいと聞いたことがあるが、まだこの目で実際に見たことがない。
一度見てみたいと思っている。
きっとこのランカスターへ向かうローカル線の車窓からもそんな景観が楽しめるのではないだろうか。

ローカル線の車窓
[ヨークシャームーアの荒涼とした土地にも集落が見える]

ヨークシャームーアではもう一つ、ブロンテの「嵐が丘」の舞台ということでも記憶がある。
実は嵐が丘の小説そのものを読んだことさえないのだけれど、ヨークシャームーアの荒涼とした土地が嵐が丘の小説の舞台であることは聞き知っていた。
母はこの嵐が丘の小説を若いころに読んでいたそうで、この小説の中で描かれているヨークシャームーアの荒涼としたイメージは恐ろしいほどだったと話して聞かせてくれたことがある。
また作中の人物たちの人間関係もヨークシャームーアの情景に劣らないくらい荒涼としたもの、そしてその底流に愛憎が流れていることなどを話してくれたことがある。

ランカスターでは10分ほどの待ち合わせで、電車を乗り換えることになっている。
ランカスターの駅に北側から入る手前に、川が流れており、そこにかかる橋から眺めたランカスターの街はとても情緒があった。
丘の上には、大聖堂がそびえ、川沿いにはグレーの屋根とレンガ色の濃淡でシックな街並みで中世的景観が広がっていた。
このランカスターもちょっと歩いて回ってみたいと感じさせたが、10分の乗り継ぎでは時間が足りない。

しかし、定刻通りにランカスターに到着したものの、乗り継ぎする先の電車はストで運休と電光掲示板に表示されていた。
この電車はロンドンからスコットランドへ向かう全席指定の特急列車であったけれど、運休となっては指定席も意味がない。
さて、どうしたものかと呆然としていると、しばらくして別の特急列車が隣りのホームにホームに入ってきた。
アナウンスに耳を傾けてみると、グラスゴーへ向かう特急らしい。
ということは、私が乗れなかった特急と同じ方向へ向かう後続列車らしい。
大慌てで跨線橋を渡り、出発しようとしている特急のホームで駅員を探す。
しかし、ホームに駅員の姿は見えない。
ならば運転手に聞いてみるまでと、荷物を抱えてホームの先端まで走る。
が、しかし私が乗って行きたかったオクセンホルム・レイクディストリクトには停車しないそうであった。
オクセンホルム・レイクディストリクトへ行く次の電車は3時少し前だそうだ。
そうするとしばらく時間があるので、駅の外へ出てみる。
この駅にはリーズのような改札口がないので出入り自由のようだ。

ランカスターの教会
[ランカスター駅裏の丘にそびえる大聖堂]

駅のすぐ裏の丘の上には、大きな教会があり、観光名所にもなっているらしい。
石造りにゴシック風の建物に入るには入場料もかかるようだけれど、外から眺めるだけでも満足できる。
それから丘を下り旧市街の街へ入る。

丘からの眺め
[なんとなく中世風の趣のある街並み]

旧市街の奥には教会の尖塔も見えるし、土曜日だからか、石畳の道ではなにか催事で見やっているのかテントが張られ、横断幕や旗がかかっていた。なんとなく誘われる雰囲気もあるが、電車に乗り遅れては困るので、駅へと戻る。
わずかな時間ではあったけれど、ランカスターと言う町の散歩も面白かった。
だいたい今まで、ランカスターと言う町がイギリスのどこにあるのかさえ知らなかった。
バンコクで通勤する途中に数年前、ランカスターと言う名前のホテルがオープンしていたのでランカスターという名前は身近に感じていた。
スクンビット通りのランドマークホテルと同系列のホテルで、ランドマークホテルもイギリス風の印象が強いホテル。
ビールのグラスもパイントとなっていたりする。

中世のお城のイメージ
[丘の上の教会へ通じる門]

ランカスターからの特急はたったひと区間だけの利用。
乗車時間も10分ほどと短い。
車両は"Avanti"と書かれた高速列車で、車内は新幹線のようだ。
新幹線よりも、もっとゆったりした雰囲気がありのは、大きなテーブルを挟んだ席があったり、シートもゆったりしているからかもしれない。
しかし、座席は固定式のため私は10分ほど進行方向に対して背中を向けていることになった。

Avantiの車内
[特急Avantiの車内]

ハルをスタートしたのは、予定よりも1時間早かったけれど、オクセンホルム・レイクディストリクトへ到着したのは午後3時過ぎ。
予定よりも30分遅れている。
このあと最後の行程となりウィンダミアへ行く電車は、ローカル線なので1時間に一本あるかないかで、次の出発は3時半過ぎと時刻表にある。
つまり、予定より1時間の遅れが出ることになる。
しかも悪いことに、電光掲示板には運休と表示されている。
これもストの影響らしい。
駅の係員に相談したら、3時半過ぎに代行バスが来るから、それに乗れという。
ほんとうはこの湖水地方へ向かう電車に乗るのを楽しみにしていたので、バスよりも電車に乗りたかったが、電車は5時過ぎまで来ないそうだ。

オクセンホルム・レイクディストリクト
[予定より30分遅れてオクセンホルム・レイクディストリクト駅へ到着]

30年前に母と湖水地方へ行った時も、この駅で電車を乗り換えた。
ロンドンからのHSTという特急列車でやって来て、ここからはレールバスのようなかわいらしいディーゼルカーにコトコトと揺られた。
それがとても情緒があってよかった。

ウインダミア行きのホームは30年前と変わっていないようで、いまにも小さなディーゼルカーが丘の向こうから弧を描いて入ってきそうな気がするが、ストで運休。
駅裏で代行バスを待つ。

15:40にバスは来た。
他にも湖水地方へ向かう乗客を乗せる。
そして、ウインダミアへ直行するのではなく、集落ごとに街道を外れてはもともとの電車の駅のある方へ回り込んで乗客を乗り降りさせるので時間がかかる。
そして大きなバスが走るには集落の中の道は細すぎるようだ。
道路の両脇はこのあたりの土地に多いのだと思われるスレート風の石が積まれた壁になっている。
もっとも、スーっと走り抜けてしまう電車と比べて、バスは集落の中をウロウロするので、窓から外を眺めている分には十分に面白い。

代行バス
[ウィンダミアへの代行バス]

16:20、当初予定より1時間半遅れでウィンダミア駅前に到着。
駅舎はBoothsというドラッグストアのチェーンになってしまっているが、なんとなく懐かしい。
ここから今夜の宿、ホークスヘッドのユースホステルまで歩く。
距離にして約10km。
途中でウインダミア湖をフェリーで渡るが、順調に歩けば日没までには宿へ到着できそう。
それにしても、直線距離200kmほどなのに、丸1日がかりの移動になるとは、これも旅の楽しみ。

丘の上にあるウィンダミア駅から坂を下るように観光地らしい町並みを歩いていく。
ペンションやレストラン、土産物屋などが道の両側に続く。
そこを歩く人も観光客と一目でわかるような人たち。
ここは日本の軽井沢みたいな感じなのだろうか。
30年前に母と来た時は、見栄もあってウインダミア湖の湖畔にあるオールドイングランドホテルという古い石造りのホテルに泊まった。
しかし、今回は一人旅だし、なにより節約旅行を楽しんでいるので、少しでも宿賃や交通費、食費を節約するべく、ここ湖水地方ではユースホステルに泊まることにした。
イギリスのユースホステルの嬉しいことは、安いだけではなくキッチンがあって自炊することが可能らしいということ。
鍋や食器類はキッチンにあり、宿泊者が自由に使えるらしい。
ならば究極の節約で自炊するのが一番だけれど、残念ながら自炊するには食材、それも調味料の調達が必要となる。
結論として、冷凍食品を持ち込むことを考えた。

湖畔へとダラダラと続く道を歩いていく途中に、COOPがあった。
つまり生協。
生協会員でなければ利用できないのではないかと思ったが、だれでも買い物ができるらしい。
この生協で、今夜の夕食をそろえることにする。
電子レンジもあることだろうから、久しぶりに温かい食べ物も食べられそうだ。

ウィンダミアの生協
[コンビニと同レベルの生協だけど、周囲の景観に配慮している]

イギリスの生協はオランダのJUMBOより値段が高いのだろうか?
それともここは観光地料金ということなのだろうか?
期待した冷凍食品も、思っていたより値段が高い。
5ポンドとか平気で表示されている。
結局買えたのは、小さなCOOPピザ2枚。
小さいだけではなく、とても貧弱だけど、1枚が0.90ポンドで冷凍食品の中では群を抜いて安い。
フォスターの缶ビール4本セット。
フォスターと言ったらオーストラリアのビールのイメージだったが、イギリスでもメジャーらしい。
これは1パイントの缶ビールで4本が4.25ポンドだから、タイのチャーンビール並みで嬉しい。
最後にパンをひとつ。
細いフランスパンみたいなもので、JUMBOがもう懐かしくなる。
〆て6.50ポンド。

この湖水地方へ来るのは今回が3回目。
しかし、ウィンダミアの駅から湖畔まで歩くのは今回が初めて。
以前はバスやタクシーを使っていた。
湖畔ならフェリー乗り場までは何度か歩いたことがあり、歩いてもたいした距離ではなかった記憶があるのだけれど、今回感じたのは、湖畔からフェリー乗り場が記憶に反して意外と遠いということ。
たぶん駅から湖畔まではほんどどが緩やかな下り坂だったので、距離があっても楽だったのに対して、湖畔ではアップダウンがあり、しかも荷物を持っているので、歩いても歩いても、あれへんだな、まだ着かないぞ、フェリー乗り場が移転したのかと訝りながら歩いたためだろう。

オールドイングランドホテル
[以前宿泊したオールドイングランドホテル、左手にそっけない新館を増築していた]

そのフェリー乗り場へは5時少し過ぎに到着。
ちょうど
対岸へ渡るフェリーが出たばかりであった。
このフェリーは20分間隔で運行しており、乗り場でしばし待つ。
フェリー乗り場の近くにはヨットハーバーがありたくさんのヨットが係留されていた。
こんなところにヨットを持っているなんて、このあたりにはお金持ちの別荘がたくさんあるのだろう。

ヨットハーバー
[ここはお金持ちの避暑地なんだろう]

フェリーには車も自転車も乗り込む。
これも軽井沢と似ていて、この町にはレンタサイクルもあるようで、駅前でも自転車を貸していたけれど、どうして自転車を借りるのにこんなに高いのかと思うほどレンタル料が高かった。
スコータイのレンタサイクルほど安い必要はないが、手ごろな金額なら借り出そうと思ったけれど、1日の借り賃で日本ならママチャリの一台も買えてしまいそうなくらい高かったのであきらめた。
対岸までの乗船料は1ポンド。チャオプラヤ川の渡し船が最近値上げをしたけれど、ここのフェリーと比べると1/4の金額。
そして、支払いは現金不可とのことで、たった1ポンドだけれどクレジットカードで支払う。
タイならばたいてい200バーツ以下はカード利用不可とかなのに、こちらでは少額でもカードがあたり前のようだ。

フェリーボート
[対岸から戻ってきた渡し船]

このフェリーはケーブル式と言う推進装置で、スクリューを使わない。
対岸との間にケーブルが伸びていて、そのケーブルを手繰り寄せるようにして前へ進むタイプだそうだ。
乗船客の船室、と言っても壁際にベンチがあるだけだけれども、それが船体の片側に寄っている。
そして、その上に操舵室がある。
船の説明書きが書かれているので読んでみたら、この渡し船は30年以上前から使われているそうだ。
つまり前回来た時もこの船に乗っていたことになる。
そういえば、あの時もこんな船だった記憶がうっすらわいてくる。

船内の様子
[こんなベンチに母と並んで座った記憶がある]

対岸へ渡ったところにトイレがあった。
しかも無料。
こちらへ来て、トイレがほとんど有料なので、いつも無料のトイレを探している。
電車に乗っているときは電車のトイレが無料で使えるので問題ないが、駅のトイレは有料が多い。
運よくこれまでのところトイレにお金を払うことなくここまでこれた。

対岸に渡ってからが長い道中となる。
最初の丘を越えてピーターラビットのふるさとソーリー村。
さらに進んでまた丘を越えるとエストウェイトウォーターと言うウインダミア湖より小さな湖になり、その南岸を回り込んで西側へ回り北上したところで今夜の宿があるホークスヘッドに至る。
時刻は5時半を回っており、まだまだ日照時間が長いので日没の心配はないが、歩く距離としてはまだ半分も来ていない。

湖水地方はなだらかな丘の連続
[湖水地方はなだらかな丘の連続]

ウインダミアの旧軽井沢的な雑踏は対岸にはなく、なだらかな丘陵は牧場となっており、羊が飼われていたりする。店とかも少なく、その代わり農家がある。
ちょっと華やかな建物があったりすると、だいたいがペンションのような宿屋だったりする。
丘の上には教会がある。
30年前は牧場の中を歩いたものだった。
牧場や緑の丘にはトレイルがあり、散策できるようになっている。
こんなところをトレッキングしたら気持ちよさそうだけれど、こちらはキャスター付きの荷物を引きずっているので未舗装の土の道や牧草の上は歩けない。
舗装された細い自動車が行きかう道を歩くことになる。

宿屋
[INNと書かれたペンション風の宿屋]

30分ほど歩いてソーリー村。
ピーターラビットを書いたベアトリクスポターの家があったヒルトップ農場に至る。
ここは第一級の観光地であるのだけれど、ポターが推奨したナショナルトラスト運動が定着しているのか、もともとの景観を崩すような宣伝物などはまったくない。
土産物屋なども見当たらない。
ここには花の咲く鉢植えで飾られたペンションがあり、ポターの博物館がある。

ソーリー村
[ソーリー村、どこも美しすぎる]

30年前も母とここまで歩いてきた。
もう午後も遅い時間だったけれど、まだ昼食も食べていなかった。
小さなペンションに入って、何か食べるものはないかと尋ねたら、ちょうどお茶の時間だというので、今でいうアフターヌーンティーのようなものをいただいた。
母はスコーンと言うものを始めて食べたが、美味しいねぇと言っていた。
私はこんなものじゃ少しも胃にたまらないなと感じながら食べた。
あの頃と風景は変わっていないようだけれど、観光客の姿は今の方が何倍も多い。
観光客と反比例して、以前はよく見かけた野兎を、今回は一匹も見かけていない。

ソーリー村のペンション
[あの時入ったペンションがどれだったのかはっきりしない]

そろそろ太陽も西の方に沈みかけてきて、木立ちとかの影がだいぶ長くなってきた。
エストウェイトウォーターからホークスヘッドまでの道はメンテナンスが今一つなのか、舗装がガタガタなところが多い。
路面が滑らかでないとキャリーバックを引っ張るのに要する労力が何倍にもなるので、少しでも路面の良い側へと、小道を左右に揺れるようにして歩く。
車はほとんど走って来ない。

湖水地方の道
[どうして、どこもかしこも綺麗なんだろう?]

7時少し前。
なんとかギリギリ日没前にユースホステルに到着。
ここはBooking.comというホテル予約サイトから予約したのだけれど、ここと明日のウィンダミア・ユースホステルの2泊分でタイバーツで2,342バーツであった。
それぞれの宿がいくらずつだったかはまとめてカードを切ったのではっきりしないが、明日の宿は個室で、今夜はドミトリーと呼ばれる相部屋だから、今夜の宿は一泊当たり700バーツくらいではないかと思う。
つまり今回の旅行で一番安い宿ということになる。

YHA Howkshead
[ホークスヘッドのユースホテスル入り口]

しかし、まるで地方の郵便局みたいなしっかりした建物で、庭も広い。
庭ではキャンプをしている人たちもいる。
今夜の部屋は8人くらい収容できる部屋で、すでにいくつかのベッドには荷物が置かれていたが、みんなまだ外へ出ているのか部屋の中には誰もいなかった。

ユースホステルの宿泊棟
[レセプションのある宿泊棟以外にキッチンやラウンジは別棟にあり、キャンプ場もある]

さて、今日はたっぷり歩いたので、まずは街で買った缶ビールで乾杯とする。
冷蔵庫で冷やしていないけれど、気温が高いわけではないし、それにこの常温で飲むフォスタービール、なかなか美味しい。
ビール本来の味や香りを感じられというほどのビール通ではないけれど、タイでは絶対に感じられない常温ビールのうまさを感じた。

フォスタービール
[ファスタービールで乾杯]

ビールを飲んだら続いて夕食。
キッチンへ行ってみると、たくさんの人でごった返していた。
みんな食材や調味料持参で、料理をしている。
サロン風のところでは盛大に食べて、飲んでいる。
ユースホステルなんかに泊まるのは、高校生の時以来だから40年ぶりということになるが、このキッチンで調理をしている人たちは、ほとんど40歳以上と見受けられる。
若者と言える人は子供を除いてほとんどいない。
それに日本のユースホステルも今は昔のように飲酒禁止とは違うかもしれないが、ここではみんな盛大にビールを飲んだりワインをつぎあったりしている。

そんな中で、私一人、電子レンジで質素なピザを温めて食べる。
ビールも飲む。パンもかじる。
久しぶりに温かいものを口にした。
しかし、周りの本格的なテーブルと比べて、なんてささやかな夕食なのだろう。
周りと比較できてしまうというのは、人生の幸せを奪うことになるのかもしれない。

使った皿を洗っていると、スパゲティーのミートソースが入った鍋の中身をゴミ箱へ惜しげもなく捨てている女性がいた。
きっと食べきれなかったのだろう。とても美味しそうな匂いをキッチンの中にまき散らしていたが、こうして捨ててしまうとはもったいない。
捨ててしまうのなら、私が鍋を洗うから食べ残しを分けてほしいと言いたいくらいだった。
しかし、どのように英語で伝えたらいいのか、頭の中で構文を考えているうちにゴミ箱のふたは閉じられてしまった。

夜9時、外に出てみると丸い月が山の稜線から登ってくるところだった。
やっと念願の湖水地方へたどり着けた。
月に向かって手を合わせて感謝する。

月夜
[今宵は十五夜、お月見の晩であった]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=221 |
| | 06:35 PM | comments (0) | trackback (0) |
蘭英旅行 その3
9月9日 金曜日

午前5時くらいには目を覚ます。
まだ外は真っ暗。
そして少し雨も降っているようだ。
今日は夜の船に乗るので、夕方には船着き場に向かう予定。
それまで、ブリーレの街の見学などして過ごすつもり。

そして、朝一番に行うべきことは、夕方乗ろうと思っているバスの確認。
船着き場はユーロポートと言うとんでもなく大きな港の一角にあり、そこまでの公共交通機関がない。
一番近い街がブリーレだけれど、それでも20キロメートルほどある。
船会社の方で専用のシャトルバスを運行しているとのことだったけれど、船会社のウェブページから乗船券を買わないと予約ができない仕組みになっているのか、私が船の予約にかかったダイレクト・フェリーのサイトでは予約は電話での予約が必要で、しかりシャトルの利用料金が70ユーロととても高いことを言われ、シャトルの予約を断念した経緯がある。
では、どうやって船着き場へ行くかだけれど、調べてみたら船着き場から6キロほどのところにあるBP石油会社前と言うバス停までバスがあることが調べていた。
そのバス停から6キロくらいなら歩いて行ける自信がある。
ただこのルート903というバスがちょっと変わっている。
平日の朝夕しか運行していない。
たぶん港湾地区で働く人のための通勤用バスなのだろう。
それは日本でもよくあることだけれど、バス会社のホームページに書かれた注意書きでは、事前予約が必要となっている。
ちょっとよくわからないけれど、一応メールで予約をお願いしておいた。
が、もう一つ気がかりなことがある。
支払いは現金ではダメで、オランダの交通系スマートカードだけのようなことが書いてある。
そんなカードは持っていないし、どうしたらよいかよく解らないので、早朝のバスをつかまえて、バスの運転手さんに相談してみることにした。

そんなわけで朝6時過ぎには宿を出て、903番バスの始発となるBusstation Ruggeというところへ出かけてみた。
真っ暗な夜明け前の道を昨日買ったパンを咬みちぎり、ブルーチーズを齧りながら歩く。
この時間はまだ町は眠っていて、見かけるのは清掃車くらいであった。
Busstation Ruggeまでは1キロほどで、ほどなくして到着。
そして903番のバスが止まっていた。
小型のバスで、ハンドルを握っているのは黒人男性だった。
とても親切な人で、やさしい英語で、ゆっくりと説明してくれた。
バス代の支払いはクレジットカードでできること、私の予約したバスは最終の一本前だから、乗り遅れないように早めにバス停にくることなど教えてくれた。
さらに「たぶん自分がそのバスを担当すると思うよ、だからそれまでもう一眠りして大丈夫だよ」と笑わせてくれた。

早朝の903番バス
[あと10分ほどで7時、ようやく白み始めた。朝が少し遅いようだ]

これで安心。
でも、宿へ戻ってきたらば、もう外は明るくなっておりもう一眠りなどするのはもったいない。
部屋で一休みしたら小雨は降っているけれど、外へ出かけてみる。
昨日は風車を見に出かけたりしてブリーレの街はまだ何も見ていない。
宿のある場所はブリーレの中心にあり、また城壁に囲まれたブリーレそのものもそれほど大きな町ではないようだ。
城壁には12の防塁が飛び出しており、全体としては楕円形をしている。
城壁や防塁の感じは函館の五稜郭にも似ている。
ただ、街の中心部まで運河が入り込んでいる。
運河にはヨットなどが係留されており、また運河にかかる橋は跳ね橋となっている。

城内の運河
[橋の欄干だけでなく、あちこちに花の鉢がある]

中心部にはゴシック風の大きな聖堂かあり、街に‐鐘の音を響かせている。
1時間ごとに‐なるのかと思ったら、15分間隔くらいで鐘の音が聞こえてきた。
こうした鐘の音が響くのもヨーロッパに来ているといった印象を強くさせる。
日本でもお寺の鐘がゴーンとなったりすると、情緒を感じさせるが、タイのお寺ではあんまり鐘をついたりしないようで、タイに住んでいてもお寺の鐘の音を聴いた覚えがないような気がする。

大聖堂
[街の中心には教会、ヨーロッパらしい]

大聖堂の近くに貴族の館風の建物があった。
大きな立派な建物で、説明文はオランダ語なのでチンプンカンプン。
花壇のある広くて綺麗な庭が開放されていたので入らせてもらう。
ベンチが置かれ、バラの花が咲き、ちょっと腰を下ろしたいところだけれど、雨が降っているので、傘をさして歩き続ける。
庭にはフランス革命の絵に出てくる自由の女神のような銅像が立ったおり雨に打たれていた。

自由の女神
[雨の庭園に立つ自由の女神像]

このブリーレの街に関する知識が何もないので、どこに何があるんかもわからず、歩き回る。
街全体が観光用に保存されているように、昔風の街並みが続いている。
建物のほとんどは二階建てで、屋根にも窓が飛び出しているので、屋根裏部屋があるのだろう。
教会のトンガリ屋根も見える。
道はレンガを敷き詰めたもので、雨は降っているけれど水たまりはできていない、レンガの道は情緒はあるけどキャスター付きのキャリーバックを転がすには不便だし、車が走ると騒音も響く。
それにオランダに多い自転車だとスリップもしそう。
歩いて見て歩くための観光用として街並み保存の一環なのだろうか。

レンガ舗装
[こういう道をレンガ舗装とでも呼ぶのだろうか]

宿をチェックアウトしたのちも荷物は宿に預けたままなので、手ぶらで歩けるのだからよいけれど、雨が降っているので傘は手放せない。
傘をさしながら12ある防塁を結ぶように、城壁の内側を歩いてみる。
舗装はされていないけれど、散歩道のような感じで歩道が整備されている。
犬の散歩をしている人が多い。
日本でも犬の散歩をする人をよく見かけるけれど、私が住んでいるタイでは犬の散歩などほとんど見たことがない。
だいたい犬はリードにつながれず放し飼い状態。

壁に埋め込まれたエンブレム
[左はユニコーン、右は犬だろうか、それとも中年男性?]

ブリーレにも風車があった。
もともと風車はブリーレにあったそうだけれど、現在あるものは最近復元したものだそうだ。
つまりこれも観光用の風車ということなのだろう。
少し雨が小降りとなったので、風車の近くにあったベンチに腰掛けて昼食にする。
昼食は、昨日からずっと同じようにパン。
ブルーチーズをかじり、ネギ風味のバターを塗りつけて食べる。
3食連続してくると、飽きてくる。
それに雨に濡れて寒いから、温かい食べ物を食べたくなってくる。
でも我慢我慢。
ブリーレの風車は、首の部分に風格がない。
なんとなく巨大な扇風機のような形をしている。

扇風機風の風車
[わざわざ復元するのだから外国人たけの観光用だろうか]

パンを食べた後も、防塁を結びながら歩き続ける。
時々雨も降り肌寒い。
相変わらず犬の散歩には良く出会う。
そして、城壁とお濠との間の草地には羊が放牧されている。
羊も雨に濡れてぐっしょりしている。
ウールが水を吸って重たいんだろうと、羊に同情してしまう。

防塁からの眺め
[防塁には大砲もおかれている]

あんまりに寒いのでいったん宿へ戻って預けた荷物から防寒用のジャンパーを取り出してくることにする。
城壁側から街の中心部に戻る途中で、DIY用品の大型店舗があった。
今回の旅行で忘れ物をしていた。
こちらヨーロッパのコンセントに差し込むプラグの先を変換するアダプターを持って来るのを忘れていた。
イギリス用は持ってきている。
ずっと以前にマレーシアへ行ったとき、コンセントがイギリス仕様で、持参していたパソコンが使えず地元のスーパーで買ったものである。
しかし、ヨーロッパ仕様のものには思いが至っていなかった。
タイではいろいろなプラグが使われている。
イギリス仕様こそないが、日本や米国の様式、ヨーロッパ様式、細棒、太棒とマルチに対応するコンセントが一般的なので、ヨーロッパ仕様のことをすっかり失念していた。
携帯の充電器も、ノートパソコンも日本式のプラグでホテルの部屋の電源にはそのまま差し込めなかった。
ホテルでは運よく変換アダプターを貸してくれたが、今晩の船の中がどうなっているのかわからない。
そこてこのホームセンターみたいな店でアダプターを探してみたのだけれど、売っていないようだった。
携帯電話のアダプターは売っていたが、日本やタイのアダプターと違って、プラグの部分が大きいこともあり、やたらとゴツイ作りになっていた。
そして値段も高かった。
まぁ、どうにかなるだろうとそのまま店を出る。

ブリーレの地図
[ブリーレは楕円形をして周囲に12の防塁を配置]

ジャンパーは息子のお古。
古いのでゴムの部分が溶け出してベトベトしているが、仕方ない。
しかし、このジャンパーだけではまだ寒いので、ビニールでできたポンチョ型ののレインコートもかぶる。
マスクも着用する。
南国のタイから来たので、冷たい雨には震えてしまう。
しかし、行きかう人たちは私のような寒がりではないようだ。
半袖で平気な顔して歩いている人もいる。
しかも傘などさしていない人の方が多い。
レインコートだって着ていない。
寒さに強いのか、温度に関する感覚がマヒしているのがわからない。

宿の前
[宿の脇は広場になっており、ビールやコーヒーを屋外で楽しめるようになっているが、外は雨]

ふたたび城壁に沿って防塁を結んで歩く。
まだ時間はたっぷりあるし、急ぐ必要もない。
時間つぶしで歩いているようなもの。
カフェとかに入る趣味もないし、そんなところでお金も使いたくない。
城壁巡りはブリーレの街の北側からスタートし、すでに3分の2ほど回って、南西側に至っている。
この南西側は、古い街並みではなく、普通の住宅が立っている。
学校もあって下校時刻なのか子供たちも三々五々歩いている。
一戸建ての家もアパートもあるが、裕福そうに見える。
城壁の外側は牧草地が広がっている。

城壁の外側
[城壁の外側の景色]

ブリーレの城壁を一周したところで時刻は2時になる。
雨はまだ降ったりやんだり。
街の中心部側へまた回り込み、目的もなく路地を歩いたりする。
やはりブリーレは観光保存されている街なのか、ウォーキングツアーのグループを見かける。
ガイドが案内して回っている集団がいた。
参加者は年配の西洋人たち。
タイではあんまりこの手のガイドツアーはないようだ。
少なくとも日本人相手では聞いたことがない。
史跡などを案内するスキルを持ち合わせているガイドもいないし、第一に歩きたがらない。
そして、関心もあまりない。
写真撮って終わり、でもその写真はその後どうなっているのだろう。
昔のようにアルバムに記念写真として貼ったりなんかしないだろうし。

古い建物
[古そうな建物には、きっと歴史があって、解説聴きながら歩いたら面白いだろう]

城壁を回り始める前に立ち寄った貴族の館風の建物のところへ戻ってきた。
そこでタイでは見かけないものを発見。
黄色地に耳の垂れた西洋犬の顔がシルエットになった絵の描かれた箱が電柱に取り付けられている。
そして、その箱からは赤いビニール袋状のものが見えている。
イメージとして日本のスーパーなどで雨の日によく置かれている雨傘を入れるビニールのようだけれど、屋外にあるのは少し変。

フン始末袋
[緑の電柱に取り付けられた緑の箱]

よくよく観察してみると、犬の散歩時に使うフン袋のようである。
犬の散歩でフン袋など各自が用意すべきと思うけど、こんなに手厚く犬の飼い主のためにサービスしているから犬を飼う人が多いのかもしれない。
日本では犬の飼い主も飼われている犬も少し肩身の狭い思いをしているのではないだろうか。
タイでは「犬にフンをさせるな」の看板などを公園で見かけるけど、フン処理は飼い主の責任とは書かれていなかった気がする。
そして犬たちはもともとつながれていないので、どこへでも立ち入り、勝手にフンをする。
犬は看板に書かれたタイ文字が読めない。

船員クラブ
[貴族の館風建物も、現代で言う船員クラブといったところだろうか]

貴族の館風と書いたが、あとで調べてみたら"Asyl voor Oude en Gebrekkige Zeelieden"と言って、船員たちの施設だったそうだ。
そして自由の女神風の像は、確かに自由の女神であり、スペインからの独立を記念するもののようだ。

自由の女神とネコ
[なんだかドラクロワのフランス革命の構図に似ている]

で、ここで三毛猫を見つける。
庭園で遊んでいるが、ひとなつこくて中腰になって呼んだらば寄ってきた。
一般的なタイのネコと比べると体格が立派で、二回りくらい大きい。
動作も風格を感じさせる。
しかし、やっぱりネコなので愛嬌のあるしぐさをする。

三毛猫
[オランダの三毛猫]

4時前、ブリーレ滞在3回目のJumboスーパーへ。
今晩これから乗る船の中での食料買い出し。
もとろん船の中にはレストランなども充実しているらしいが、私の懐は充実していない。
節約するためには、スーパーで税金の安い食料品を買い込んでおくのが一番。

JUMBO
[JUMBOが私の生命線]

買ったものは、まず野菜が食べたかったので、カット野菜の入ったサラダ。
そして、オランダはチーズの国でもあるので、カマンベールのようなチーズと
パンももちろん買う。
クロワッサンや丸くて固いパン以外にフランスパンのように長いパンも。
昨日よりお気に入りの特売4つで1ユーロのパンと比べて、フランスパン風のはちょっと高くて、一本で1ユーロ以上の値段。
飲み物は1リットルの紙パックに入った赤ワイン。
これが安くてたったの2ユーロ。
あと、プリンみたいなものが食べたかった。
いろいろと迷って冷蔵ガラスケースから取り出したカップに入ったプリンらしきもの。
これがなんだかよくわからない。
イチゴみたいな絵も描かれている。
一番懸念したのはヨーグルトみたいなものではないかということ。
このところヨーグルトのような乳製品を食べるとよくお腹を壊す。
しかし、書かれているのはオランダ語ばかりで、手に取ったプリンカップみたいなものが何なのかよく解らない。
ひとめでヨーグルトとわかるカップと見比べてみたりする。
そして、意を決して買い物かごに投入。
買い物は全部で6.39ユーロ。

スーパーを出てからすぐに、プリンらしきものをベンチに座って食べてみる。
懸念していたヨーグルトではなかったが、期待したプリンでもなかった。
どうやらイチゴ風味のババロアのようなものであった。
ババロアなんて小学校の給食で食べて以来の気がする。
嫌いではなかったが、財布を開いてまで食べたいと思うものでもなかったので、半世紀近くも縁がなかった。
で、久々に食べてみたが感想としては「退屈な味」と言った感じだった。

広場に立っていた銅像[広場に立っていた銅像、このひとはどんな人?]

宿へ荷物を取りに戻り、16:55発の903番バスに乗るために出発。
雨も上がって、これなら港まで歩くのに支障はなさそう。
ブリーレの石畳の道をキャリーバックをガタガタ言わせながら歩く。
街の中でもいろいろな自転車を見かける。
日本のママチャリのような自転車は見かけない。
いずれもしっかりとした頑丈そうな自転車ばかり。
重そうにも見えるけど、町中をビュンビュンと快走している。
オランダ人は脚力があるのだろう。
そして、二人乗りの人転車も見かけるが、自転車の前にダンプカーの荷台を小さくしたようなものを取り付けた自転車もある。
この荷台に荷物を載せたり、人が乗っていたりする。
前輪は二輪で、なんとなくベトナムのシクロにも似ている。

ダンプカー風自転車
[重量があってペダルが重そう、坂道は無理だね]

4時半にはバス停に到着。
まだバスは来ていないようだ。
ミニバンタイプのタクシーが一台止まっているだけ。
時々バスは入ってくるが私が乗ろうとする903番はやって来ない。
903番はこのバス停が始発なのだけれど、私以外にバスを待つ人の姿も見えない。
朝、「早く行って待っておくべきだ」とアドバイスをバスの運転手からもらっていたけれど、そんな早く来る必要もなかったのかもしれない。
16:45になったら、朝のバス運転手が赤い小型バスを運転してやった来た。
やれうれしや、これで安心。
運転者も「ちゃんと来ていたか」といった感じに手を上げて応えてくれる。
が、バスの運転手はドアを開けて私を招じ入れてくれることなく、バス停に止まっていたタクシーの運転手と話し始めた。
そして、私にもわかるような英語で説明してくれたところによると、「16:55のバスにお客はお前さん一人しかいない、だからバスは走らない。そこのタクシーが代わりに運んでくれるよ」という。
タクシー料金ではなくバスの代行をタクシーがするだけなので、運賃はバス代と一緒らしいので安心する。
もちろんバス代行なので、バスの運行区間までしか行ってくれず、その先の港まで乗り続けるとしたらタクシー代を払わなくてはならないのだろう。

バスの出発時刻を待たずに私がタクシーに乗り込んだらすぐに出発。
田園の中のハイウェイを快調に飛ばして、ものの10分ほどでユーロポート地区のBP石油事務所前のバス停まで運んでくれた。
もちろん、バスの代行での運行なので運賃メーターも倒すことはなかった。
さて、運賃の支払いをクレジットカードでしようとしたところタクシードライバーは、「クレジットカード、、、運賃はいらないよ」と言う。
交通系カード用のスキャナーは車内にあるようだけど、クレジットカードが使えないということなのだろうか。
しからば現金で払うからいくらかと聞いたらば、「いいよ、フリーだ」と言う。
これはいったいどういうからくりなのかよく解らないが、運転者たちの親切に感謝。

タクシー
[バス代行タクシーをBP石油前で降りる]

かつての東京湾埋立地のように草が茂るだけの荒涼とした中に続くハイウェイをとぼとぼ歩く。
自転車用の道も付いているが自転車はほとんど走って来ない。
ときどき自転車道をスクーターが走り抜けていく。
霧雨のような雨が降ったり止んだりするので、レインコートを着て、雨か降ると傘をさす。
車道は大型トレーラーばかりがひっきりなしに走っている。
高圧線がハイウェイを横切ったり、並行したりする。
とにかく、船着き場まで歩くしかない。

港への道
[ハイウェイに歩道はなく、自転車道を歩く]

船着き場まで、直線距離にしたら2キロくらいしかないかもしれないが、その間には大きな運河があり、橋もかかっていないので、橋のある所まで大きく迂回しなくてはならない。
歩き始めて30分ほどで運河にかかる橋を渡る。
橋の下を大きな船も航行するのだろうか、橋が水面から随分高いところを通っている。
つまりそこまで登って、そこから下らなくてはならない。
上りはいいは直線であったが、下りは半径数百メートルもありそうなループになっている。
相当な距離を回り込んで、橋の直下へ降りてくるわけ。
階段でもあれば一気にショートカットできそうでけれど、もともと歩行者のいない道なので階段も梯子もない。
草地になっている崖を下ろうかとも考えたが、こんなところで転んでも面白くないので、素直にループを回り込む。
そうして歩いているうちに雨が本降りになってきた。
風も強まってきた。

港への道2
[ずっと先にある橋を渡る]

これから乗る船はとにかく巨大なので、まだ何キロも先にあるのに、その船体が見える。
大型トレーラーが疾走していくと、疾風とともに水しぶきも上がる。
歩くだけならいくらでも歩けるが、もう靴もびしょびしょ。
ズボンも濡れて重くなってきた。

歩くこと1時間15分。
ようやくP&Oフェリー乗り場へ到着。
青い色をしたターミナルはディスに‐ランドのようにやたらと広い駐車場の先にあった。
チェックインカウンターには数組の乗船客が並んでいた。
これから乗る船にどのくらい乗客が乗るのか知らないけれど、船の大きさの割にはチェックインカウンターが少ないように感じた。
もともとカーフェリーだから、ほとんどの乗船客は車専用のゲートか何かで手続きをしているのかもしれない。

P&Oフェリーターミナル
[P&Oフェリーターミナル ]

しばらく待って、私の手続きの順番になった。
Direct Ferryというサイトからプリントアウトしたバウチャーを見せたら、乗船券と紙でできたルームキーを渡された。
受付の女性スタッフに数日後にまた船でここへ戻ってくるけれど、この港から街までのシャトルバスに乗せてもらえないかと聞いたところ、OKだという。
ロッテルダムとアムステルダムまで行くバスがあるがどっちがイイかと言うので、アムステルダムまでのバスにする。
バス代は12ユーロであった。
この金額なら何キロも歩き、バスや地下鉄、電車と乗り継いでいくより断然安上がり。
「もう乗船できるよ」と言われたので、オランダの出国審査を簡単に受けてターミナル4階に上り、そこからそのまま長いブリッジを渡って船内に入った。

プライドオブロッテルダム
[巨大な船だ]

入ったところが船の8階になっていて、インフォメーションなどがある。
乗船券を見せたら私の部屋への行き方を説明してくれた。
同じ8階で、左手に行くとバーがあるから、その先に部屋があるとのことだった。
私の買ったチケットは一番安いインサイド二人部屋というタイプのもので、部屋は巨大な船の中ほどに位置しており部屋に窓がない2段ベッドの部屋。
自分の部屋まで迷路のような廊下を歩いてたどり着き、今夜のルームメイトが先に入っているかもしれないと、まずはドアをノックしてみる。
反応なし。
しばらく待って、もう一度。
どうもまだ誰も入っていないようだ。

船室
[今夜のねぐら]

ビジネスホテルのシングルルームの様な広さと設備の部屋。
2段ベッドだけれど、上の段のベッドは折り畳み式で壁に収容されているので、見た目は全くのシングルベッド。
日本でもカーフェリーに何度も乗ったが、安いクラスはだいたいがカーペットで雑魚寝が一般的だったので、二人部屋とはいえベッドで寝れるとは嬉しい。
しかも、日本だったら一等船室でもないことが多い、シャワールームも船室内にある。

パスルーム
[上質なタオルとかも用意されてる]

出港までまだ2時間もあるので、同室者がこれから来るだろうけど、私は先住権ということで下の段のベッドを使わせてもらうことらする。
そして、雨に濡れて冷え切った体を熱いシャワーを浴びて温める。

大きめのシャワー
[大きめのシャワーからは熱い湯がたっぶり噴き出す]

船内探検。
そもそもこの船は、イギリスの大手海運会社P&Oのフェリーで、8,850トンのプライドオブロッテルダムという。
250台の車と410ものトレーラーを積み込めそうだ。
40フィートのコンテナで20~30トンくらいあり、それが410本となると、10,000トンくらいを一晩で運んでしまうわけで、これは貨物列車にしたら20本分くらいボリュームに相当しそうだから、日本の青函トンネルでの輸送量に匹敵するのではないだろうか。
私がこれまでに乗ってきた船の中で最大だったのが北欧でのシリアライン。
それもでかくてすごかったけれど、この船はさらに倍近い。
日本郵船の飛鳥も家族で乗って、おおきい船だと思ったけど、その3倍ほど。

船の概要

エレベーターは12階まであり、まずは最上階へ上がってみる。
12階にあるのはスカイラウンジ。
すでに広いラウンジに置かれたソファーではアルコール飲料を楽しんでいる先客が散見される。
豪華な作りのラウンジでグラスも高級そう。
飲み物の値段はチェックしなくても高そうだと一目でわかる。
いや、国際航路で免税価格だから、市中よりも安いかもしれないが、私には2ユーロで買った1リットル入りのワインが船室で待っている。

エレベーター
[下の方の階は車両甲板のようだ]

ラウンジの先にデッキがあった。
このデッキにもスタンドバーがあり、ビール片手にデッキに出ている人がいる。
船が沖に出てしまったらインターネットにつながらにまなってしまうだろうから、デッキの隅のベンチに腰掛けてパソコンを開いて少しお仕事。
バーのボーイさんが飲み物の注文を取りに来たけれど、なにも注文しなくても追い出されることはなかった。

屋外のデッキ
[最後部にあるデッキ、雨に濡れてて座れない]

一区切りつけて、船室に戻ってみるが、まだ同室者は来ていなかった。
この船、レストランやバー、免税店など何軒もあり、設備が充実しているのだけれど、ただ一つ日本のフェリーが勝っているのは、日本の船なら貧相でもだいたいある無料で弁当を広げられるスペースが、この船にはない。
どこもかしこも値札付きの空間ばかり。
後部のデッキは無料開放されているものの、船全体の大きさからみたらお話にならないくらい狭い。
そんなわけで、窓のない船室のベッドに腰掛けてパンをかじることにする。
菜っ葉とチーズ、そしてワイン。
ワインはとても軽いワインだけれど、飲み口がイイ。
飲みやすい。
ワインとチーズと固いパン。
タイであこがれた食事を楽しむ。

出港時刻となったが、とうとう同室者は現れなかった。
つまり今晩は二人部屋の船室が個室になるということらしい。
安いワインで祝杯を挙げる。

再び後部デッキへ出てみる。
ちょうど船が岸壁を離れたところで、時刻は夜8時半。
少し小雨が吹き付けてきたりするが、デッキに出てきている人は多い。
雨も気にしていないみたいだ。
港の中の巨大な水路を進んでいく。
後部デッキなので、前方に何があるのか、どっちへ進んでいくのかはわからないが、すっかり日が暮れて暗くなっても、船の後ろに白く引いた航跡ははっきり見える。
30分ほど航行して港の外へ出たようだ。
つまりヨーロッパを離れたということだろう。

出港
[日本のように「蛍の光」は流れてこなかった、原曲は目的地ハルに近いスコットランド民謡だったと思うけど]

大きなレストランはバイキングになっているようで、ほかにもトラックドライバー専用のレストランやバーもあった。
一般乗客より安い値段で飲食できるようになっているのかもしれない。
ドライバー専用のバーの周りではビールの小瓶を手にした大男たちが立ち話をしていた。

これであとは寝るだけ。
低気圧で海は時化ているかかもしれないけれど、大きな船なのでほとんど揺れも振動も感じない。
快適に眠れそう。

ベッド
[リネン類が白いのがうれしい]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=220 |
| | 05:05 PM | comments (0) | trackback (0) |
蘭英旅行 その2
9月8日 木曜日

オランダ時間の7時半、台北から14時間半飛び続けて、そしてバンコクを出てから26時間くらいかけてアムステルダムのスキポール空港に着陸。
通路側の席なので、窓から外の様子が良く見えないけれど、どうやら外は雨が降っているらしい。
今回は歩く旅行のつもりでいるけれど、雨が降られると足を奪われるので困る。

スキポール空港
[雨のスキポール空港に到着]

スキポール空港は20年以上前に来たけれど、やっぱり大きな空港で、たくさんの飛行機が発着し、到着したゲートの関係から入国審査場まで延々と歩いていく途中で、次々と別の到着ゲートから出てきた人たちが合流してくる。
そして、入国審査場ではEUからの到着とEU以外からの到着で分けられており、EU以外からの審査場には長い列ができていた。
オランダに入国するのに手続きの書類とかはパスポート以外に何も提示を求められなかった。
コロナの関係の誓約書みたいなものを用意するよう案内にあったけれど、そんなものも求められなかった。
「どこいくの、何日いるの、オランダだけ?」と簡単な英語で、簡単な質問のみで入国印を受ける。

これからの予定は、ロッテルダムへ向かうこと。
翌日の夜の船でロッテルダムからイギリスに渡るつもりなので、今日明日はロッテルダム周辺をウロウロする予定。
宿はロッテルダムから川を渡った対岸にある古い要塞都市のブリーレに安い宿を予約してある。
で、ロッテルダムへどうやって行くかだけれど、空港からロッテルダムへは電車が直通している。
乗れば1時間くらいで着くらしいが、タイと違って公共交通機関の運賃は高い。
14ユーロほどするらしい。
バーツに換算したら500バーツくらいだろうか。
それに宿のあるブリーレはロッテルダムから地下鉄とバスを乗り継いだ先にあって、それも交通費が結構かかりそう。
このあたりのことは旅行前に調べておいてあって、ロッテルダム周辺なら南ホーランドのツーリスト・デイパスと言うのを使うと、地域内の交通機関が1日乗り放題らしい。
このパスが買えるところは、スキポール空港から一番近いところがライデンのようであり、そこまで電車で行くことにする。
電車の切符も事前にオランダ国鉄のアプリで買っておいた。
駅の自動券売機で切符を買うと1ユーロの発行手数料がかかるけれど、アプリを使って買えばカード決済で、しかも手数料も不要とのことであった。
スキポール空港からライデンまで6.50ユーロ也。

QRの乗車券
[アプリでの乗車券]

アプリの切符はQRコードになっており、これが表示されてる画面を改札機にかざすだけということだったけれど、いざ空港ターミナルの電車乗り場へ行ったらば改札機も改札口も見当たらない。
階段を下りたら電車のホームで、次々と電車が発着している。
私が乗ろうと思ったライデンに行く電車も、ススーっとやって来て、ピューっと出発していってしまった。
他にもパリ行きの新幹線とかも出入りしている。
改札をすり抜けて、電車に乗ったら罰金とも聞いていたので、もう一度ホームから階段を登って、あたりを見回し、二人組の警備員らしい体格が良い男性に聞いてみた。
そしたらば、「改札なんか降りるときにQRチェックするだけでイイんだぜ」と教えてくれた。

黄色と紺色の電車は2階建てで、なんだか昔の近鉄ビスタカーを思い出させる。
東京育ちの私は実際には乗ったこともないのだけれど、のりものの絵本に橋を渡るビスタカーの絵が出ていて、2階建て電車にあこがれたものだった。

オランダの電車
[2階建て電車に子供のころあこがれた]

ライデンまではすぐで、乗って15分くらいで到着してしまった。
降りるときには簡単な改札機があって、みんなカードのようなものをかざしてピピーっと音をさせて通り抜けていった。
私おっかなびっくりスマホをかざしたらピピーと音がした。
バンコクや日本の自動改札のように、改札機のゲートが閉まるなんてこともない。
なので、駅への出入りはとってもスムースなようだ。

ツーリスト・デイパスは駅を出てすぐのところにある観光案内所内で売っているとのことだったので、そこへ向かう。
空港では感じなかったけれど、駅を降りて、街の真ん中に立ってみると、ヨーロッパだなぁと初めて感じた。
建物も、行きかう人の歩き方も。
そして、空気までも。

ライデンの観光案内所
[LEINDENの文字がなんとなくハングル風だけど、よく見れば鍵のイメージらしい]

観光案内所はすぐわかり、ツーリスト・デイパスもクレジットカードですぐ買えた。
14.50ユーロ
カードで買えたというより、現金の取り扱いはしていないのだそうだ。
カードを持っていない人などどうするのだろう。
係の人はロッテルダムまで行くなら、駅前から45番のバスでハーグまで行って、そこから地下鉄に乗ればいいと教えてくれた。

ライデン駅前のバス乗り場
[小雨が降ってもカサをささない人が多いようだ]

オランダで路線バスに乗るのは初めて。
乗り方は日本と同じで、乗降口のカードリーダーへ乗るときと降りるときにカードをかざすだけのようだけど、私が買ったパスは紙でできているので、こんな紙のカードでもかざして読み取れるのかと思った。
しかし、バスの運転手さんは、パスは見せるだけでなくリーダーへかざせとゼスチャーで指示した。
ピッ
不思議だけれど、紙のパスをリーダーは読み取ってしまった。
特殊なインクでも使っているのだろうか、発展途上国のタイにいると世界の進歩に着いて行けてないと感じた。
※後でパスを光にかざしてみたら、パスは極薄の電子回路を2枚の紙で挟み込んで作られていた。

ツーリストデイパス
[見た目はただの紙でできたツーリストデイパス]

綺麗な街並みから少し郊外に出たかなと思う間もなく、またどっとりした街並みに入っていき、そこがハーグらしい。
仕事で観光ツアーの途中で立ち寄っているはずだけど、印象が何も残っていない。
地下鉄と接続するというバスターミナルは、近代的でガラス張りの明るい建物だった。
建物全体が透明で綺麗ではあるけれど、なんとなく殺風景な印象も受ける。
ハーグの街も歩いてみたいけれど、まずはさっさと宿へ行って、荷物を置いてきたいのでそのまま地下鉄乗り場を探す。
地下鉄の乗り場は当然ながら地下にあるものと思って建物の周りをウロウロ探したが見つからない。
オランダ語なんてわからないけど、地下鉄乗り場など見りゃわかるだろうと甘く考えていた。

地下鉄乗り場は、地下ではなく空中にあった。
空中と言うか、建物の上から発着していた。
東京だって地下鉄銀座線は渋谷のバスターミナル上から発着しているから、地下鉄の乗り場が上にあっても不思議ではないし、探しているときに建物の上に電車のホームがあることにも気づいていた。
だが、その電車が地下鉄とは思わなかっただけである。
その電車は地下鉄と言うよりも路面電車と言った感じの小さい電車であった。
日本の路面電車とは少しイメージが違うが、最近日本でも導入され始めているライトレールといった感じのものだった。

地下鉄はハーグを出てしばらくは地上を走り、ロッテルダムの中心部で地下へもぐった。
私の宿のあるブリーレは地下鉄のスパイケニッセと言う駅でバスに乗り換えていくことになっている。
そこまでは途中で一回乗り換えるだけで行けるようなので、ロッテルダムの街はそのまま地下で素通りしてしまう。

スパイケニッセは東京郊外の私鉄沿線にある新興住宅地入り口の駅と言った感じで、ちょっと殺風景だけど近代的な駅であった。
バス乗り場も整然としており、日本のバスより大きな車体でピカピカのバスが発着している。
私の知っているヨーロッパは古い町並みで、バスや電車も古くて、日本の昭和40年代のような印象だったけれど、中心部の街並みは別として、乗り物に関しては全く変わってしまっている。
郊外の街並みも、あまりにもみんな整然としていてピカピカで、タイからやって来た私には違和感すら感じる。

ブリーレで宿をとったのは、先にも書いたけれど、宿泊料が安いこと、そして翌日乗るイギリス行きの港に比較的近いことが理由で、ブリーレがどんな街であるかなんて、宿の予約をするまで街の名前すら知らなかった。
しかし、いったん宿の予約をして、ブリーレについて調べてみると歴史的に重要な場所であることがわかってきて、ブリーレに興味が出てきた。

宗教改革など高校の世界史で習った出来事の舞台でもあったし、16世紀の終わりまで、オランダはスペインの植民地であり、そのスペインからの独立が宣言された場所がブリーレであった。
16世紀の終わりまでオランダがスペインの統治下にあったなんてことすら、高校時代に習っていたはずなのに記憶がおぼろになっている。
記憶にあるのは16世紀の終わりから17世紀にかけてオランダは貿易を通じて世界中に進出していたこと。
オランダ東インド会社、バタビア建設などなど。
江戸時代に日本が西洋へ開かれていた窓口もオランダだったり、タイでもアユタヤ時代にオランダは政商としてアユタヤ王朝に深く入り込んでいた。
ちょうどそのころ、オランダ本国はスペインとの80年戦争の渦中にあったなどということは、歴史年表とか見ればわかるはずなのに、まったく抜け落ちていた。

スパイケニッセの駅を出てバスは少し走るとすぐに田園地帯となった。
田んぼがないのは当然だけれど、畑として耕作されている感じでもなくて、牧場のようなところで、緑がきれい。
道もとてもコンディションが良くて、アスファルト舗装道路には凸凹もないし、補修工事の跡も見られないからまったく新しい道を走っているような気がする。
事実、新しい道なのかも知れない。
道路に沿って続く並木の木々はプラタナスだろうか、まだ樹齢が若いようだ。

スパイケニッセからブリーレへ
[バスからの車窓]

オランダは自転車の国だとは知っていたけれど、自転車のための側道もしっかりしている。
車道脇におまけのように仕切られている自転車レーンではなく、専用のサイクリングロードが車道と並行して走っている。
また、バスも優先レーンが多いようで、交差点などでもバスが優先されているようだ。
なので、とっても快適にブリーレまで行くことができた。
ブリーレのバス停到着はちょうど12時。
スキポール空港に着いた時の雨はすっかり上がって、青空も広がり始めている。 <br />ブリーレのバス停は街の中ではなく、堀と城壁に囲まれたブリーレの街の堀の外側にあった。
堀を渡り城壁の入り口から見たブリーレは、物々しい響きのある要塞都市とは反対にアンデルセンのおとぎ話の絵本に出てきそうなロマンチックな街並みのようだ。

href="http://www.chiangmaikk.com/blog/files/IMG_3652.JPEG" target="_blank">ブリーレの入り口

[かわいらしい街の入り口]

ここでの宿はフレッチャーホテルと言って、旧市街の真ん中に位置しているらしく、街の‐メインストリートのような道を進む。
さっきバスが走ったアスファルト舗装の道と異なり、レンガと言うか石畳の道なので、キャリーバックを転がすとゴロゴロ、ガタガタと音を立てて振動する。

宿はすぐに見つかったけれど、ホテルと言うよりレストランになっている。
ちょうど昼食時なので、ランチ客がテーブルに着いている。
そんな中、キャリーバッグをゴロゴロ言わせながら、店内の奥でウエイトレスにホテルのレセプションはどこかと聞いたら、さらに店の奥を指さした。

どうやらホテルの利用者は、駐車場に面した裏口から入るべきであったようだ。
レセプションは裏口のすぐ近くにあった。
レセプションの係は黒人女性でまだチェックイン時間に早いという。
荷物だけ預かってもらって、そのまま外へ出る。

ホテル入口
[宿泊者はこの建物裏側からホテルへ]

今日は一日乗り放題のパスがあるので、風車が並んだ風景が楽しめるというキンデルダイクへ行ってみようと思っていた。
またバスに乗って行くことになるので、バス停まで歩いていく途中にスーパーを見つけた。
JUMBOと書かれたスーパーなのだけれど、地下鉄の入り口みたいなものしか見当たらない。
やたらと広い駐車場はある。
そしてその地下鉄乗り場のようなところから人が買い物カートを押しながら出入りしている。

スーパーはすべて地下になっていた。
ここは城壁の外側で、たぶん景観維持指定の対象外だとは思うけど、仮に外であってもこうして景観維持をしているのかもしれない。
地下に入れば、タイや日本のスーパーとおんなじ。
タイで見かけないものは、カート置き場にワイヤレスQRコードリーダーのようなものがたくさん並べられていたこと。
買い物客の半分くらいはこのリーダーを持って売り場へ入っていく。
説明書きはオランダ語なので(オランダ語かどうかも不明)、英語に似た単語を拾いながら適当に想像してみると、陳列棚の商品の値段を確認したり、レジで使ったりするものらしい。
私は、リーダーを持たずに売り場へ向かう。

タイの即席麺
[タイの即席麺もタイの倍くらいの価格で多数売られている]

スーパーに入った理由は、昼ごはんの調達。
さっきも書いたけれど、宿の一階はレストランになっており、そこで食べるのが通常の旅行者であろうけれど、私は節約旅行を決心しているので、レストランでは食べない。
ランチの看板に15ユーロと書かれていても、それは私にとって安くない。
そこでスーパーで出来合いのお惣菜やサンドウィッチでも買えば安上がりだろうと安易に考えた。

しかし、安易だった。
お惣菜やサンドウィッチも安くない。
日本の海苔巻きみたいなものやチャーハンなんかでも7ユーロくらい。
なんか安く食べられるものはないかと店内を物色したらありました。
パンの特売コーナー。
パン4つで1ユーロとなっている。
これとネギ風味のバターを買う。
有人のレジでキャッシュで会計する。
合計 1.79ユーロ
2ユーロのコインを渡して、小さなコインのお釣りを受けとる。
タイパーツ換算して60バーツ少々。
このパン、バンコクで1個10バーツじゃ買えない。
バターも安い。
とたんに嬉しくなる。

このパンをそこらへんにいくらでもある緑の牧場で食べたらピクニックみたいで美味しいだろう。
でも、あんまり人目に付かないところがイイなと、スーパーから少し離れたところにある牧草地で食べようとしたけれど、牧草が雨が降っていたからなのか、濡れていて諦め、そのままバス停に向かう。

バス停はガラス張りのシェルターになっておりベンチもある。
ここでパンをかじる。
スーパーの安売りのパンだけど、スーパーの中にパン釜があって、そこで焼いているからなのか、バンコクのスーパーで売っているパンより美味しく感じる。
パンの外側がしっかり歯ごたえがあってカリカリで、中はふんわり。
食いちぎるときには、顎が疲れるくらい。
こういうパンが好きなのである。
クロワッサンもサクサクでポロポロと表皮がこぼれ落ちてしまうので困ってしまうくらい。
ネギ風味のバターを塗りつけ、飲み物はペットボトルに入った水。

ランチのパン
[パンが旨い]

バスを待つ間にパン3つを食べてしまい満腹。
そろそろバスが来る時間と、残ったパンをカバンにしまい、胸ポケットに入れたフリーパスを取り出そうとしたら、ポケットにパスが入っていない。
財布を探したがない。
ズボンのポケットにもない。
ない、ない、ない、、、みつからない。
どこかに落としたらしい。
このところこの手のトラブルが多い。
先月はバンコクのフードコートでランチを食べた際にカバンをテーブルに置き忘れた。
お金やパスポートなど入ったカバンで、夕方までカバンの置き忘れに気が付かなかった。
気が付いた時には顔が真っ青になっていたことだろう。
だいたい、その時はなぜカバンが手元にないのかもよくわからないくらいだった。
カバンを探しにフードコートへ戻ったら、ランチを食べたテーブルの上に、私のカバンがそのまま乗っかっていた。

そして、今朝もライデンの観光案内所でフリーパスを買った際に、財布を落としてしまいそのまま立ち去ろうとしてしまった。
出口を出ようとしたときに係員に呼び止められて、床に落ちている財布に気が付いた。
クレジットカードや現地通貨が入っている財布で、これがないと悲惨なことになるところだった。

こうして困ったときに、救われているのは、私のネコが天国から私を守ってくれているからだろうと信じている。
なので、いつもネコには手を合わせて感謝をしている。
そして、またまたフリーパスを落としてしまった。
落としたものがフリーパスだから、大したことはないし、キンデルダイクを諦めて、ブリーレの街を歩き回ればよいだけのことだけど、フリーパス14.50ユーロの元を取れていないことが悔しい。
また手を合わせてネコにお願いする。

フリーパスを落とした場所として考えられるのは、先ほどの牧草地。
地面の状態とか確認するためにかがみこんだりしたし、フリーパスと同じく胸のポケットに入れていたスマホを出し入れしていた。
牧草地へ戻ってみたら「ありました」。
緑の牧草の上に、白いパスが光っていました。
またまた手を合わせてネコに感謝。
「ネコや、いつも守ってくれてありがとう」

出直しでバスに乗り、地下鉄に乗り換えて、再びキンデルダイクへ行くバスに乗り継ぐ。
こうしてオランダの地方都市の近郊を公共交通機関を利用して移動しているけど、とても快適で、乗り継ぎもスムース。
タイとはまるで違う。
日本だってこんなに便利じゃなかったと思う。

キンデルダイクには午後3時前に到着。
天気はますます良くなってきている。
キンデルダイクは水郷地帯と言った感じのところで、水路がたくさん走っている。
そんななかにオランダの観光ポスターでよく見かける風車が何台も並んでいる。
つまり絵のような景色。

キンデルダイク到着
[バスを降りてすぐ、脇道へ入った風景]

帆を張って回転している風車もある。
観光客が何組も歩いている。
自転車に乗ってやってくる観光客もいる。
水路には遊覧船が行き交っている。
みんな「これぞオランダ」といった景色を求めてやって来ているのだろうけれど、確かに風車はオランダの名物だけど、すでに過去の遺物でもあるわけで、こんな景色が見られるのもオランダではここだけなわけだから、オランダでも「珍しい」景色ともいえるわけだと思う。

水郷と風車
[そのまま絵葉書になりそう]

ここはオランダの中でもキューケンホフのチューリップ畑に次ぐくらいの観光地で、たくさんの観光客を熱るているようだけれど、日本でもタイでもよく見られる観光客相手の店はあんまり目立たない。
見つけたのは巨大な木靴のオブジェを飾った小さな土産物屋が一軒だけ。
なので、風車がならぶ散歩道を歩いていても、観光地にやって来ていると言う気がしない。
並んだ風車のある光景が、作り物ではなく、そのまま景色にマッチしている。
多少の違和感を感じさせるのは、水路を行きかう遊覧船から聞こえてくる観光案内のマイクの声くらい。

遊覧船が行きかっています
[船での水郷巡りも気持ちよさそう]

天気に恵まれ、やっばりキンデルダイクへ来てよかった。
それにここは入場料を徴収されるわけでもないので、お金を節約旅行をしている私には最適である。
オランダへ以前来た時も風車は見てきているけど、ここには来ていない。
あの時はたった一基の大きな風車があって、その風車の中がレストランになっていた。
そこでカマスのような魚の美味しいグリルを食べさせてもらった記憶がある。
食べ物の記憶があっても、風車自体の記憶が薄いところを見ると、やっぱり風車はキンデルダイクに限るのかと思う。

水路には睡蓮も
[バンコクの水路とあまりにも違い過ぎる]

なかなか、良い景色の中で過ごさせてもらったけれど、散歩コースは距離にして1キロ半程度。
風車を眺めながらでも1時間とはかからない。
遊覧船乗り場まで歩いたところまででおしまい。
ひとりで旅していると、景色の良いところへ来ても、ほかにやることがなくなってしまうと、景色だけいつまでも眺め続けてもいられなくなる。

散歩道
[こんな道をのんびり歩きました]

そろそろブリーレの宿へ戻っても良いかと思うけど、来た時と同じルートで戻るよりも、水上バスにも乗ってみたい。
キンデルダイク入り口近くに桟橋があり、その周辺には2階建てくらいの大きな客船が係留されている。
これらの客船は宿泊施設になっているようで、川を航行するクルーザーのようなものなのかもしれない。
地図を見るとこのあたりから入り組んだ水路をたどればライン川にもつながっているようだ。

桟橋からロッテルダム行きの水上バスは出ていないようで、対岸とを結ぶフェリーが発着しているだけだった。
水上バス乗り場はキンデルダイクの先にあるようで、そこまではバスで向かう。
住宅団地や分譲住宅が並ぶようなところで下車して、水上バス乗り場まで歩く。
ここでオランダに来て初めてのネコに出会う。
タイでよく見る斑のネコ。
タイから時間した固形のキャットフードを与えてみたら、お義理程度に少し口をつけただけだた。

オランダで見かけた最初のネコ
[タイでもよく見るブチの雌猫]

ロッテルダムへ向かう水上バスは大きな船で、タイでもサムイ島などへ向かうスピードボートに似ている。
自動車は載せないが、自転車で乗り込んでくる人は多い。
水上バスで川沿いの景色を楽しめるかと思ったけれど、川沿いの景色はそれほど面白いものは見当たらなかった。
川を航行する運搬船や艀は多いけれど、なんとなくバンコクのチャオプラヤー川と似ていて、岸は倉庫などが並んでいる程度で殺風景。
ロッテルダムの市街地が近付き始めて、変わった形の建物や橋が出てきて、目を楽しませてくれるが、それもあっというまで終点に到着。

水上パスの船内
[水上バスの船内]

ここから地下鉄にすぐ乗れるようなのだけれど、路面電車にも乗ってみたいと思い、川にかかる大きな橋のたもとで、これから橋を渡ろうとする路面電車に乗り込んだ。
3両編成(もっと長いのも走っている)、連接車体のライトレール風の路面電車で、近代的過ぎてなんだか味気ないのだけれど、便利ではある。カードリーダーでバスをピっとやるだけ。
乗り心地も悪くない。
しかし、この路面電車ではブリーレへ行く起点となるスパイケニッセへは行けないので、途中で降りてバスに乗り換え地下鉄駅のあるところまで行く。
地下鉄にさえ乗れば、スパイケニッセへは簡単に行ける。

ロッテルダムの路面電車
[昔のチンチン電車とは全然イメージが違う]

路面電車、バス、地下鉄、またバスと乗り継いでブリーレの街へ戻ってきた。
宿に入る前にもう一度JUMBOのスーパーで食材を仕入れる。
またパンコーナーへ行ったが、4つで1ユーロのパンは選べる種類が少なくなっていた。
ここで買ったもの
4つで1ユーロのパン
フランス風のバゲット
ブルーチーズ
イワシのトマト煮缶詰
紙パック入り赤ワイン(1リットル)
缶ビール(500cc)
以上、10.36ユーロ。
昼のバンも残っているし、明日の朝も食べられそう。

宿に着いたらもう7時過ぎ。
でもまだ外は明るい。
宿賃を52.50ユーロ払ってカギを受けとる。
予約をしたときはタイ・バーツで1,805バーツだった。
少し現地払いが割高かなと思ったが、2.50ユーロの市税が別にかかるのだそうだ。

部屋はシングルベッドが一台で、広さも三畳くらいしかないけれど、屋根裏部屋によくある窓があり、外が見える。
トイレはシャワーは共同だけれど、部屋を出てすぐのところにあるからそれほど不便でもない。
そして、安宿と言っても清潔で、快適。
この日は二万歩ほど歩いたことになっていた。

宿の部屋
[こういう部屋は妙に落ち着く]

夜8時を過ぎてもまだ窓から明かりが差し込んでくるけれど、ベッドに腰かけて、昼と似たような夕食を食べる。
しかし、ブルーチーズと赤ワインがあるので、とっても贅沢をしている気持ちがする。
缶ビールも特売品で0.50ユーロとお値打ち価格だったけれど、ノド越し良くて旨い。
オランダ第一日目、満足度が高い1日だった。

夕食
[質素だけれど、美味しい夕食]

つづく

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=219 |
| | 03:42 PM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑