■かれんだー■
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30    
<<前月 2025年04月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

最後のイサーン 前編
年が明け、1月9日の晩にお母ちゃん(妻のこと)がバンコクにやって来た。
これから約2か月ほどバンコクに滞在する予定で、その間にタイ国内を旅行て回ることにしている。
その国内旅行の第一弾
1月12日(金)、車でブリラムを目指す。
日本へ帰る前に、もう一度パノムルン遺跡をしっかり見ておきたかった。
タイにある遺跡の中で一番気に入っており、またネコとも訪れたことがあり、思い出深い場所。

朝、バンコクを出発してピンクのガネーシャとして有名なワットサマーンワタナラームへ立ち寄る。
ピンクのガネーシャなど私の趣味ではなかったが、お母ちゃんの趣味の趣味でもなかったようだ。
それでも日本人旅行者には人気スポットらしく、日本人のグループを見かけた。
しかもそのグループを引率しているのがピサヌロークへ応援に来てもらっていた女性ガイドのノックさんであった。
コロナが明けて、バンコクで仕事にあり付いてからずっと疎遠になっていたので1年ぶりくらいの再会となった。
このワットサマーンワタナラームではケバケバしいガネーシャや観音像などはほとんど素通りして、門前市のような成果物売り場へ立ち寄って、旅行中に食べる果物などを仕入れた。
この寺のあるチャチュンサオ周辺は果物栽培が盛んで、ここの果物などは品質の良いものが多く、しかもバンコクなどより値段も安い。

ピンクガネーシャ
[フィルムカメラ CANON AE-1で撮影]

ブリラムへのルートは南回り、サケオ経由を取る。
途中タピオカ畑くらいしかなく、ほとんど人家がない原野の一本道をひたすらまっすぐに走る。
昼食の時間になり、お母ちゃんに何を食べたいかと聞いたら美味しいクイティアオだという。
彼女が好むクイティアオはナムサイと呼ばれるクリアスープに入ったセンヤイと言う幅広麺。
そして具はルークチンプラーというはんぺんやツミレのような魚介の練り物。
もともと集落さえないような場所で、食堂などなかなかない。
あってもガパオライスのようなブッカケ飯かラープなどのイサーン飯ばかり。
屋台のクイティアオがたまに交差点近くのコンビニに出ていたりするけど、具は肉しかない。
とうとうサケオまで行ってやっとお目当ての魚介練り物のクイティアオを発見。
お昼時間をだいぶ回ってしまった。

カンボジア国境のポイペト近くを素通りして、国境沿いに北上。
ブリラム県へと登る峠道でパッションフルーツとソムオーを買い求める。
この峠道では近所で採れるのか知らないけれどパッションフルーツをたくさん売っている。
パッションフルーツも日本へ帰ったらまず食べられないだろう。
タイにいてもめったに食べたりしない果物だったけれど、嫌いという訳ではなく、あんまり売っているのを見かけず買う機会がなかっただけ。
それに食べられる部分が少なくて、食べ応えがないので、ついほかの果物に走ってしまいがちだった。

ブリラムでの宿は、気に入っているプラコーンチャイにあるホテルデラムール。
ブリラム市内ではなく、ずっと離れたプラコーンチャイの国道沿いにあるホテルで、こんな田舎町にどうしてこんなリゾートホテルを作ってしまったのだろうかと思うようなちょっと豪華なホテル。
その「どうして」が現実にほとんど宿泊客のないホテルとなって、その晩は私たち以外に二組しか宿泊客がなかったようだ。

夕食にはホテル敷地内にあって、別経営のタイ式しゃぶしゃぶブッフェで食べた。
こちらの方は地元の若い人たちを中心に繁盛している。
しかし、閉店時間が早くて、夜8時すぎにはブッフェラインを下げ始められてしまった。
田舎は夜が早い。

ホテルにはプールもあり、誰もいないプールで少し泳いだのだけれど、その後着替えをしたときにどうも更衣室に塗れた海水パンツを置き忘れてきてしまったらしい。
もう長いこと履いてきた海パンで、何年も前にバンコクで毎土曜日に水泳をしていた時にも使い、相当酷使して布が薄くなって、尻のあたりには小さな穴まで開いてしままっていたので、どうやら清掃係にそのまま処分されてしまったようで、探しに戻った時にはもあなくなっていた。
レセプションにも忘れ物として届いていないとのことだった。

1月13日(土)、ブリラムからコンケーンへ
ホテルでの朝食は宿泊客が少ないのでブッフェではなく、セットメニュー。
ホテルのポリシーでは宿泊客が10組以上あればブッフェ対応とのことらしい。
以前宿泊したときはグループツアーたったのでブッフェラインがあり、この中にスパゲティ・クンジョムという一品があって、とても旨かった。
クンジョムは土地の名物で、小エビのペースト。
ちょっと辛くて、けっこうナマ臭いけど、クセになりそうな味。
ガピのようにドロドロのペーストではなく、小エビの姿がはっきり残っている和え物みたいな感じ。
それをスパゲティーに絡ませている。
今回はブッフェではなくセットメニューで、何種類かのセットから選べるようになっている。
アメリカンブレックファストもあるが、タイ料理のセットだけで4種類くらいある。
その中にはグンジョムがアレンジされているメニューもあった。
味もいいし、料理の盛り付けやサービスも良い。

朝食セット
[ホテルの朝食セットメニュー]

ブリラムにあるパノムルン遺跡は、丘の上に建つクメール時代の神殿遺跡で、ほぼ完全な形に復元され、見ごたえがある。
このパノムルン遺跡からオンライン・ライブツアーをすることになっており、その間お母ちゃんは足が痛くて私について歩くことが困難と予想されたのでビジターセンターで待っててもらう。
リハーサルから始まって約2時間の待ち時間の間ずっと英語の勉強をしていたそうだ。
こんなに熱心に勉強してても、上達しないのは、勉強の仕方に問題があるのか、または素質がないんではないかと思うけど、本人はそうは思っていないようで、いつも勉強道具を持ち歩いている。

パノムルン神殿
[東の参道からが最高]

パノムルンを出て、田舎道をコンケーンへ向かう。
田舎道では何度も牛たちに出会った。
牛たちは集団でのんびりと車道を占拠しながら歩いている。
車が来ても無関心。
バイクに乗った牛追いが声をかけるけど、なかなかどいてくれない。
肩に大きなコブのあるタイの牛たちは肝が据わっている。

牛
[牛たちは大胆だ]

コンケーンに着いたらすっかり暗くなっていた。
繁華街近くにあるローマホテルという古い建物の宿。
コンケーンではついものように市内最安値の宿を物色したらこの宿にたどり着いたわけで、部屋の中の調度や備品も相当にくたびれており、WiFiの電波もほとんど使い物にならないの焚けれど、宿泊者には韓国人が多かった。
彼らはグループで来ているようで、聞いてみるとキリスト教関連のミッションでの訪問らしい。
夕食に外へ出たら、宿の並びに屋台が並んでおり、その中で中華鍋を強い火力の中で振っている屋台があった。
なんとなくピサヌロークま空飛ぶ空芯菜食堂の調理法に似ていて、ここなら旨いものを食わせてくれそうな気がした。
事実注文したチャーハンはやたらと旨かった。
チャーハンはやっぱりこのくらいの火力で、中華鍋から放り投げるようにして一気に炒めたものが旨いようだ。
パラっとして、カラッと軽いチャーハンはタイでもなかなか出会えない。
その屋台は歩道にテーブルを並べ、かなり繁盛していた。
隣のテーブルは白人男性が家族で座っており、その嫁さんらしき女性はタイ人であった。
イサーンではよく見かける光景で、男性の方はほとんどタイ語を話せないようで、女性の方が料理を説明し、注文を入れている。
こちらは歩道に置かれたテーブルに着いているので、すぐ横を通行人が通る。
ここでも韓国人の男性グループを見かけた。
さっきのミッションで来ている若い人たちとは雰囲気が違って、アルコールがだいぶ入っている感じだ。
周りを見回したところ、この屋台は韓国料理店の前に店開きをしていた。
たぶん韓国人男性たちはこの韓国料理屋へ食事に来ていたのだろう。


1月14日(日)、コンケーンからウドンタニを経由してノンカーイへ
まだ朝暗いうちの午前6時にコンケーンの宿を出発。
国道を北上してタレーブアデーンへ向かう。
途中で太陽が顔を出し始めてきた。
初めてタイへ来た19歳の時も、このあたりから日の出を見た記憶がある。
あれはバンコクを前夜に出た列車の車窓だったはずだ。

日の出
[イサーンの大地に朝が来る]

まっすぐ北に延びるハイウェイの周りはところどころに木が生えているくらいで、土地の利用はあまりされていない印象。
牛の放牧くらいしか行っていないのか、畑はあんまりないし、田んぼなどは乾期ということもあり全く見当たらない。
畑はキャッサバとサトウキビ。
19の時に見た景色と、40年経ってもあんまり変わっていないように感じる。

タレーブアデーンには8時には到着。
まだ朝食も食べていないので、船着き場前の屋台でカオチーと呼ばれる棒に刺した焼きおにぎり風のものを食べる。
おにぎり風だけど、原料はもち米で、薄い円盤状に整形して串にさし、ナンプラーを少し垂らした溶き玉子汁に浸したものを炭火で焼いたもの。
これも私の好物で、初めて食べたときは薄味過ぎて、もう少し塩っ気があっても良さそうだと感じたけれど、いまはこの味になれてきて、もち米の甘さと卵が焦げた香ばしさが美味しいと感じられるようになった。
これもタイ東北部、イサーンの名物ではあるけど、メコン川を渡ったラオスでカオチーと言うのはフランスパンのこと。
もとは同じ民俗で文化圏でカオチーが別々のモノになってしまっている。

カオチー
[私の味覚としてはもう少ししょっぱい方がイイかな]

この時期のタレーブアデーンは赤く咲く睡蓮で有名。
たしかに感動的に美しく、何度来ても写真に撮りたくなってしまう。
小舟で大きな沼の睡蓮群生地へ。
タイ人にも人気のスポットになっていて、インスタやフェースブックが大好きなタイ人らしく、あちこちでモデル張りのポーズを決めている。
中にはボートを2艘雇って、カメラマンをボートに乗せて、写真を撮ってもらっている女性もいる。
お母ちゃんもここの景色は気に入ったようで、携帯電話のカメラで何枚も写真を撮っていた。

タレーブアデーン
[モデルになり切っている人が多い]

昼食にはウドンタニでお気に入りの飲茶屋へ行く。
町外れの住宅地にある普通のちょっとイイ感じの建売住宅の軒先を食堂にした飲茶屋で、美味しくて、しかも安い。
わかりにくい場所だし、本当に隠れ家的な食堂。
ウドンタニは中国系とベトナム系の住人が多く、街中でも彼らの食堂が多いけれど、こうした民家で食べられるような店を私は他に知らない。

飲茶
[これ全部食べきった]

朝も早かったので早めにノンカーイの宿にチェックインして少し休憩。
まだ1月、タイの冬に当たる季節のはずだけれど、ここノンカーイの午後は真夏のように暑かった。
宿の名前はホワイトインホテル。
まだ比較的新しい建物で、広い駐車場がある。
宿の向かい側には洋食を食べさせる食堂が2軒ある。
それだけでなく、宿のある路地は西洋人相手の飲食店がいくつもあり、年配の西洋人男性が店先のテーブルやカウンターでビールを飲んでいたりする。
ノンカーイはラオスとの国境の街と言うだけで、これといった観光名所があるわけではないけれど、西洋人が多くいる。
なんでもアメリカの退役者に住みたい世界の街の中でトップクラスに選ばれたこともあったようだ。
なにが魅力なのかはよくわからないけど、悪い街ではないし、チェンマイの外国人相手の店のようなケバケバしさもなく、静かで落ち着いてて、それでいて外国人にもなじみやすそうな街だと私も感じる。
でも、私だったらここで暮らすにはちょっと退屈に感じるだろう。

夕刻、暑さも峠を越して、少ししのぎやすくなったのでメコン川沿いの遊歩道を散策する。
遊歩道沿いにはペンションやベトナム料理屋、そして西洋人相手のバーが並んでいる。
インドシナマーケットと呼ばれる国境市場でお母ちゃんはタイの琺瑯びき弁当箱を買った。
小物入れにするのだそうだ。
展望台から夕陽を眺め、宿への帰り道の途中にある粥屋で夕食にする。

ノンカーイの夕陽
[メコンの川べりにて]

1月15日(月)、国境を渡ってラオスの首都ビエンチャンへ
お母ちゃんは朝食にパートンコーが食べたいという。
パートンコーは中国風揚げパンというか、中国で油条と呼ばれているもののタイ版で、油条は30cmくらいの中さがあって大きくて長いが、タイのパートンコーはずっと小さくて大福もちくらいのサイズ。
よく市場なんかで豆乳と一緒に売られていて、値段も安くて最下級の朝食みたいに考えられていたけれど、最近はどうも違ってきているらしい。
ピサヌロークにいたときから、パートンコーは他の物価と比べて値上がり幅が大きいなと感じていた。
最初は5個で10バーツくらいだったのが、3個で10バーツになっていた。
ここでもパートンコーは最低20バーツで、一袋6個入り。
もう安いとはあんまり感じない。

ノンカーイ発朝10時のバスでビエンチャンへ向かう。
車は宿の駐車場に留め置き。
最初は車を運転してそのままラオスへ入ろうか、そしてルアンプラバーンまで行ってみようかくらいに軽く考えていたのだけれど、調べてみるとラオスの道路事情はとても悪くなているらしい。
とても小型車でルアンプラバーンまでの悪路を進むのは無理らしいということがわかった。
ビエンチャンだけなら問題なさそうだけど、街中は駐車場を探したりするのも面倒だし、それにラオスまで陸続きと言っても別の国で、車の通関手続きや保険などで費用がかかる。
だったらバスで行った方が世話がないという結論に達していた。

ノンカーイからビエンチャンへのバスはたったの55バーツ。
国境の橋もそのまま渡ってくれて、ビエンチャン市内中心部まで運んでくれる。
途中はバスから降りて国境での出入国手続きをタイ側とラオス側でしなくてはならないけど、乗り換えの必要もない。
国境での出入国手続きも簡単に済み、すいすいとビエンチャン市内へ到着。
ホテルは市内バスターミナルから歩いて15分ほどのところにあるビエンチャンプラザホテル。
ビエンチャンでは比較的大きなホテルということになっていて三星クラス。
似たような名前でラオプラザホテルというがあるが、そっちはビエンチャンでも屈指の高級ホテルでランクが違う。
それでも三星クラスのホテルなど私にとっては破格の贅沢で、なんでそんなホテルにしたかと言うと、ここでは無料のレンタサイクルがあると書かれていたから。
しかし、いざホテルに到着してみると、レンタサイクルのサービスは現在やっていないという。
まだ、チェックインして部屋に入るには早すぎるので、私一人市内へレンタサイクル探しにでかける。

国境越え
[後ろのバスがノンカーイからビエンチャンへの国際バス]

ビエンチャンにはレンタサイクル屋などいくらでもありそうに考えていたけれど、探してみるとなかなか見つからない。
ずいぶんと歩き回ってやっと見つけた自転車屋は本業は自転車の販売で、副業に中古自転車のレンタルをしていると言った店だった。
夫婦二人でやっているような店なのだけれど、旦那の方は愛想がいいけど、奥さんの方は不愛想で、自転車の貸し出しなんて面倒くさいと言った感じでの対応をされる。
翌日までのレンタルで120,000キップだという。
だいたい180バーツくらいで、自転車の程度はあまりよくない。
さらに二人乗りをすると言ったら、割増料金だとも言う。
他にも選択肢があったら、パスしたいところだけれど、お母ちゃん一人をホテルのロビーに待たせたまま随分と時間がたち、そろそろお腹を空かせているころだろうから、5割増しと言うところを170,000キップにまけさせて自転車を借り出す。

昼食には借り出した自転車に二人乗りをしてPVOというビエンチャンで有名なベトナム風サンドウィッチの店に行く。
ベトナム風サンドウィッチと言うのはバゲットサンドウィッチなのだけれど、具材がベトナム風でハーブ類がたくさん入っている。
人気店で外国人がたくさん来ていたが、中でも韓国人客は何組も来ており、大声でおしゃべりをしているので目立つ。
ここのサンドウィッチはお母ちゃんも気に入ったようだ。

午後にはビエンチャンの街を自転車で走り回り、凱旋門やタートルアンなども回ってきた。
昔と比べて、車も増えたし、新しい車も多い。
緑色をしたマイクロバスも市内バスとして走っている。
以前はジャンボと呼ばれたバイク改造の3輪車はほとんど見かけなくなった。
その代わり電動の3輪車がチョロチョロと走り回っている。
車は韓国製、日本製が多いけれど、商用車は中国製の車が目立つ。
観光バスは韓国の中古バスを持ってきて走らせているようで、乗っている乗客も韓国からの観光客ばかり。
日本人は全く見かけない。
韓国ではラオス旅行が人気があるのだろうか。
そういえば、ビエンチャンプラザホテルにはJOICAという日本のJICAのような事務所が入っていた。

ラオスの凱旋門
[シルエットになったプラトゥーサイ]

ホテル周辺では夕食を食べさせるようなレストランはほとんどなく、少し歩いたところにある食堂に入った。
ラオビールとタイで言うところのヤムウンセンのようなモノや空芯菜炒めなどを注文したけれど、ラオス料理的なものはメニューにないようだった。
値段は高くもないけど、庶民的な店なのにあんまり安くもない。
そして、出てきた料理でヤムウンセン風のものは、牛の胃袋を刻んだものがふんだんに入っている。
私は自称俄か菜食主義で、特に4つ足は極力食べないようにしているし、内臓系はまったくNG。
こりゃ食えないと出てきた皿を下げるように言ったが、店の人は不満そうで、なぜだという。
私は内臓物は食べられないし、見ているだけで食欲がなくなると伝えたのだけれど、まだ納得してもらえない。
「そんなことは、注文するときに言ってくれなきゃわからない」というが、
タイで内臓系が入っているヤムウンセンなど食べたことがないから、まさか入っているとは思わなかった。
「食べなくても料金は払ってもらうよ」と言われて了承したが、皿をなかなか下げてくれない。
それ以外は感じの悪い店じゃなかったし、私がラオスの食堂での注文の仕方がよく解らなかっただけで、責任は自分にあると納得した。
そういえば、ラオスの料理には内臓物や動物の血を使った料理が多いらしい。
ひとつ勉強になった。

1月16日(火)、ノンカーイへ戻る
ホテルの予約は朝食付き。
朝一番に朝食会場へ下りて行く。
ここの朝食はブッフェスタイル。
洋風、ラオス風、ベトナム風とバラエティがある。
パンはバゲットで焼きたてらしく、皮がパリパリで香ばしい。
タイではなかなか美味しいパンに出会えない(安いパンしか買わないから)けれど、ラオスはパンが常に美味しいみたいだ。
ベトナム風にはフォーというかカオピアクというか、米粉のヌードルスープが美味しい。
おかゆも味付けがしっかりしていて、お代わりしたくなる。
オムレツはまあまあで、サラダの野菜は新鮮。
ハムやソーセージは食べない。
次々にいろんな種類のものをもらってきて食べていたら、ぞろぞろと韓国人観光団も入ってきた。
綺麗に並んでいた料理はあっという間に取り分けられて、見栄えが悪くなってしまった。

寝坊もせず朝一番に朝食にしたのは、この日の朝は凱旋門(プラトゥーサイ)からオンラインツアーの中継が入っていたから。
プラトゥーサイは戦勝門という意味だけれども、別に外国と戦争して勝った記念という訳ではないようだ。
外見はパリの凱旋門によく似ており、門からまっすぐにの大通りはシャンゼリゼがエリーゼ宮へ伸びているように、ビエンチャンでは大統領官邸へと繋がっている。
外観はパリの凱旋門に似ているけれど、細部はラオス風で、ヒンズーの神々が描かれた天井があったり、飾りつけの彫刻も仏教やヒンズー様式で、屋上にはやはり仏塔のような屋根を持つ建物が乗っている。
オンライン中継での解説のため下勉強をしたのだけれど、天井に描かれた4つの絵が、ヒンズーのなんという神様のモノか良くわからなかっつた。
そこで入場券売り場のスタッフに質問したけれど、スタッフはまるで関心がないのか、わからないとのことだった。
また、韓国人や中国人団体観光客を引率してきたガイドに訊ねたけれど、「ヒンズー教の神様だ」としか答えられなかったり、「お釈迦様の化身だ」と変な答えが返ってきた。

インドの神々
[プラトゥーサイの天井画]

仕方なく、自分で絵の特徴を確認しながら考察したところ、多頭の大蛇の上に座っている緑色の神様は手にほら貝とさすまた(三又鉾)を持ているので破壊の神であるシヴァ神と推測した。
片足を下げながら台の上に座っているのは、正面以外にも両脇に顔があり、腕は8本もあるところから、全能の神であるブラフマー神らしい。
3つの頭を持つ白いゾウに乗っているのは、日本で帝釈天と呼ばれるインドラ神だろう。
しかし、ヒンズー教の三大神のひとつビシュヌ神が見当たらない。
最後に残ったもう一面はタイでもよく見かけるラーフであろう。
食いしん坊で、太陽や月を食べてしまい、日食や月食を発生させると考えられている。

この天上絵画を調べるのに苦労したけれど、オンライン中継で取り上げたのはほんの一瞬。
大半をプラトゥーサイの塔の上へ登って、ビエンチャンの街並みの紹介に費やしてしまった。

プラトゥーサイ
[正面から]

昼食にはタートルアン裏へ移転したフランス料理店ナダオへ行く。
ここは昨日のうちに直接出向いて予約を入れておいた。
ビエンチャンでも人気の高いレストランで、オーナーシェフはロブションで修行を積んでいるということになっている。
ランチのメニューは、ビフテキや鴨などの肉料理やサーモンなどから選べるコース料理。
私は以前にビーガンのメニューを注文したことがあるけれど、残念ながら他のメニューと比べると内容的にちょっと劣っていた。
味付けが劣っていたというよりも、メインがパスタと言うのが残念な理由。
ということで、今回はサーモンにしてみた。

ナダオ店内
[ナダオとは星の田んぼという意味]

サーモンの味の方は印象に残るほど美味しいと感じさせてくれるものではなかった。
もちろん不味くはないけど、メインが出てくる前にテーブルに置かれたパンがやたらと美味しくて、パンばかりいくつも食べてしまっていたことも影響していたかもしれない。

以前、市内中心部にあった時と比べると店は大きく立派になっている。
スタッフの数も倍増しているけれど、研修生なのか新人なのか若いスタッフが多くなっており、彼女らはまだまだ修業が足りず、気配りができていない。
突っ立っておしゃべりをして、お客のテーブルの様子などに気を使っていない。
以前の店の方が、良かったかな。

サーモン
[サラダやスープそしてデザートにカラメルも付く]

ランチを食べて、自転車を戻してバスターミナルへ向かう。
ノンカーイ行きのバスまではまだ間があり、早く着きすぎてしまった。
バスターミナルは工事が中断したままのビル建設現場のようなところで、埃っぽくて暑い。
市内を走るバスやタイへの国際バスが発着するが、市内バスは緑色に塗られたものばかり。
日本から送られたマイクロバスもたくさん見かけるが、韓国からのバスも多い。
しかし、韓国からのバスはいずれも新車ながら使われている形跡がない。
バスターミナルの中に留め置きされたままになっている。

ビエンチャンの市バス
[今は日本の援助バスだらけだけど、そのうち韓国になるのだろうか]

ノンカーイでは一昨日と同じホワイトインホテルに宿泊。
夕食は屋台で簡単に済ませる。

屋台飯
[路上で晩御飯]

つづく

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=25 |
| | 10:38 AM | comments (0) | trackback (0) |
台湾一周旅行➂
12月15日 (金)
嘉義には2泊して、今日は南回りに台湾をぐるりと半周して東部の玉里まで鉄道旅。
早起きをして市場へ果物を仕入れに行く。
台湾ではこの季節にあまり果物の種類がないらしい。
日本でもこの時期の果物はミカン程度だろうけど、台湾でもそうらしくオレンジを少し買う。
昨日も来たけれど、昨日買ったのは梨と釈迦頭。
いずれもタイと比べると果物の値段が高い。

朝食は駅に向かう前に朝食屋でサンドウィッチを仕入れる。
テイクアウトの店で、サンドウィッチやハンバーガーなどを作りながら売っている。
若いスタッフ数人で回していて、きびきびとして手際がいい。
見ていて気持ちがいいくらいだ。
行列ができるほどの人気店のようで、出来上がりまで少し待たされたけれど、店員の動きを見ているだけで飽きない。

嘉義から乗り込んだ特急は台東までで、新型の自強号。
そんなに混んでないだろうと油断していたけれど、2週間くらい前に3人分の予約をしようとしたら既に一緒の並び席は確保できず、私だけ隣の車両となってしまった。
途中にいくつもの駅に停車し、そのたびに降りる人がいる。
空席ができてもすぐそこに乗り込んできた人が座ってしまう。
チケットの予約コントロールが上手くやっているのだろう。

私の隣の席は男性で、ノートパソコンで営業会議をやっていた。
電車の中から会議に参加するなど、時代が変わったようだ。
私は車窓を眺めていたけれど、台湾南部の南国らしい光景は減って、近代的な建物が増えている。
以前ならこの季節にサトウキビ列車が見られたりしたものなんだけど、まったく見られない。
そんな沿線風景のなかで、黒い貨車を見かけた。
昔の日本でもよく見かけた2軸の小型有蓋車。
日本ではワムとよばれた貨車。
台湾ではまだ現役でこのような旧型の貨物列車が現役なようだ。

和夫妻とは別々の車両であったけれど、台東に近づくにつれてようやく車内に空席が目立つようになった。
車窓には太平洋が青く見える。
特急は遅れもなく順調に走っている。
我々の目的地は玉里で、台東で乗り換える必要がある。
乗り換えようと思っている列車への乗り継ぎ時間は3分しかない。
しかも、和男さんの足も心配で、数分でも特急が遅れたら乗り継ぎに失敗しそう。
そんな心配があったので、台東から玉里までの切符は事前に予約してこなかった。
でも、台東まであと少しの距離に来たけど、特急に遅れは出でいない。
乗り継ぎできる可能性も高まっている。
ネットを使って台東から先の切符の予約を試みる。

3人分の予約は簡単にできたけれど、電子式の切符はスマホ一台に一人分しか対応していないらしく、和女さんのスマホにも急いで台湾鉄道のアプリをダウンロード・インストールする。
和男さんのスマホへも同じことをしようとしたけれど、どうもうまくいかない。
和男さんの分は私の予備スマホを使って対応させる。

慌ただしくバタバタしたのだけれど、台東駅に到着するまでには3人分の切符を確保できた。
そして、有難いことに乗り継ぐ列車は到着ホームのすぐ向かい側に停車しており、心配していた乗り換えも楽々だった。
台東からの列車は急行の莒光号。
電気機関車が引っ張る客車編成で、クリーム色とオレンジの車体。
昔はデラックスな車両として、ちょっと割高な印象だったけれど、今では一般の列車の運賃が高くなったからか、割安な印象。
台東から玉里まで一人119元。
古い車両だけれど車内は綺麗にしてあり、シートはさっき乗った最新式の特急と比べるとずっとゆったりしている。

車内はガラガラで、座席の予約が必要なかったんじゃないかと思えるほど。
3人一緒に座れるけど、台東から玉里までは海沿いではなく、両側を山に囲まれていて、特別景色が楽しいと言った感じではないのが残念。
そんな風景の中をのんびり走り、ときどき駅に停車。
池上と言う駅では、下り列車との交換でしばらく停車する。

池上駅で列車交換
[オレンジ色のが莒光号]

お昼過ぎに玉里駅に到着。
新しくて大きな駅だけれど、駅前は眠ったような街だった。
車もあんまり走っていない。
この玉里で昼食をとってから安通温泉に向かうわけだけれど、玉里には玉里麺という名物がある。
台湾の人以外には、玉里麺が普通の台湾の麺とどう違うのかよくわからないけど、口コミ評価の高い馬蓋先美食玉里麺という店を探して入った。
普通の食堂だけれど、眠ったような玉里の街の中にあって、この店内だけはほぼ満席と言うくらいにお客さんが入っていた。
一昨日の奮起湖での駅弁もそうだけれど、台湾ではこの手のB級グルメが流行らしい。
もっとも、この店のメニューは玉里麺一杯が70元とそれほど高くない。
太めの中華麺に煮卵とチャーシュー、青菜などが乗っている。
私は乾という汁なし麺にした。
丼の底に濃厚なタレがあり絡めていただく。

玉里駅前から安通温泉まで、宿に電話をしたら迎えに来てくれると思っていたけれど、電話をしても送迎サービスはないと言われる。
駅前で玉里温泉へ行くバスを待つけれど、バスがいつ来るのかよくわからない。
Google Mapでは、すぐにバスがくるように表示されるけれど、しばらく待ってもバスが来る様子がない。
そのうちに和男さんが痺れを切らして、「タクシーじゃダメなの」と不満を漏らす。
温泉までちょっと距離もあり、旅費を節約しようと思ったけど、タクシーに乗ったところでそんなに高いわけでもない。

タクシーの運転手は前回の嘉義での運転手に輪をかけたくらいに日本ビイキ。
日本語は単語をいくつかくらいしかわからないようだけど、一生懸命玉里の説明をしようとするし、日本のことを話題にしようとする。
玉里温泉まで255元をメーターが示していたけれど、250元でイイと言う。
そればかりかタクシーから荷物を降ろすときに「地元のオレンジ」と言って和女さんにオレンジを何粒か手渡した。

安通温泉は大きな温泉宿で、片言の日本語がわかる女性スタッフがおり、チェックイン開始時間は3時からだという。
部屋にはまだ入れないけれど、外にある露天風呂には入れるというので、荷物を預かってもらい露天風呂へ向かう。
露天風呂は宿泊者以外に日帰り客の利用もできるようになっている。
設備はメンテナンス不足のところはあるけれど、湯量は豊富。
遊戯施設みたいに滑り台なんかもある。
浴槽はいくつもあり、お湯の温度も熱いものから温いものまである。
ここでは水着着用で、男女一緒だから温水プールか小さめのサマーランドって感じ。
でも、椰子の木があったりして、野趣味もあり、雰囲気は悪くない。
脱衣所の横には内湯の大浴場もあり、こちらは男女別で水着不要。
ちゃんと洗い場もあり、ちょっと薄暗い銭湯みたいな感じ。

安通温泉の露天風呂
[椰子の木がある露店風呂は台湾情緒だね]

時間になり部屋へ通される。
夫妻の部屋は露天風呂に面したツイン部屋。
私の部屋は内部屋で、窓と浴槽がない。
夫妻からはお部屋にあるお風呂が凄くよかったからとお風呂に呼ばれたけれど、私は外の露天風呂だけで満足なので辞退する。

宿は街道に面しており、通りの反対側には公衆浴場があった。
ここも露天で地元の人だろうかたくさんの男女で賑わっていた。
脱衣所のような施設は見当たらなかったけれど、みんなどこで着替えてるのかと気になった。

夕食前にも露天風呂に入る。
夕方になり、少し薄暗くなってからの方が浴場利用者が多いようだ。
子供連れも目立ち、嬌声が響く。
この浴場にはネコもいて、浴槽の縁でじっとしている。
台湾も少し気温が下がってきたので、ネコも温泉のそばで暖を取っているのだろう。

観猫乃湯
[ネコを眺めながらの入浴なんて日本でも人気になりそう]

夕食は「鍋」。
台湾の温泉宿での夕食は鍋が定番なのだろうか?
この夕食会場へ移動する前に、和夫妻と日本時代の温泉宿当時の建物を見に行った。
木造の建物は和風のカフェ風に改装されており、その実そこでは豚骨ラーメンを食べさせるラーメン屋になっていた。
畳敷きの個室があったり、大正ロマン風の部屋があったり、なかなか趣向を凝らしている。
和女さんはこのラーメン屋がすごく気に入ったようだけれど、夕食は選べない。
予約するとき夕食なしのプランにしておくべきだった。

安通温泉の旧館
[もとは警察の保養所]

宿の夕食会場には団体客がいて、大騒ぎであった。
その片隅に案内されるが、まますます夕食はラーメンにしておくべきだったとまた感じる。
その鍋は豚肉のしゃぶしゃぶのようなもので、やはり一人ずつの個人鍋。
タレだのご飯だのはバイキング式のセルフサービス。
私は嘉義で買って飲み残していた紹興酒を晩酌代わりとする。

食後にもまた露天風呂に向かう。
温泉宿は、好きなだけ大きな風呂に入れるのは嬉しい。
しかし、裸で入れる内湯は日中だけの営業だそうで、入浴できなかった。
夜に入り屋外露天風呂利用者は家族連れやグループを中心にますます混雑してきて、騒がしくなっている。
露天風呂ビューの部屋になっている和夫妻は露天風呂からの騒音でうるさい思いをしていないだろうか。

戦前の安通温泉
[昔は川のすぐ近くにあったようだ]

12月16日 (土)
今日はのんびり、チェックアウトは10時までで、それまで宿にとどまる。
ただ残念なのは、昨日までずっと好天に恵まれていたのに、今朝は今にも泣き出しそうな空模様。
気温もぐっと下がって肌寒い。

朝食前に前日下見をしておいた川沿いにある公衆露天風呂へ行ってみる。
宿を出る前に水着を着こんでおく。
タオルは宿のモノを借り出す。
朝早くから利用者が集まっている。
年齢層は高め。
どうやら車で車中泊している人もいるようだ。
台湾の人がこれほど温泉好きだったとは知らなかった。

公衆露天風呂
[無料の公衆浴場としてはかなりレベルが高い]

お湯の温度は適温で、熱すぎず、ぬる過ぎず。
素っ気ない四角い大きな浴槽の縁にみんな並んで入浴しながら台湾語でおしゃべりしている。
台湾語なので何を話しているのかわからないが、常連同士のおしゃべりもあるようだし、見知らぬもの通しのちょっと遠慮がちなおしゃべりもあるようだ。

温泉は温かいが、外気温は冷たい。
河原でもお湯が湧いていて、河原の石を使って河原に自前の浴槽をこしらえようとしている人もいる。
わざわざ作らなくてもちゃんとした公衆浴場があるのに、キャンパーとしては自分専用の温泉を楽しみたいのだろう。
その気持ち、わからないでもないけど、できあがるころには身体が冷え切っているのではないだろうか。

風呂上り
[更衣室がないのがちょっと難点]

朝食は台湾式のバイキング。
パンもあるけど、おかゆ関連の方が充実している。
そして、朝食会場では昨晩の団体と一緒になり、空いている席へ適当に座るように指示される。
特別美味しいものもなく、印象に残るものもなかった。

チェックアウトは午前10時で、それまでまた宿の大露天風呂で入浴。
昨晩と同じネコがまた温泉脇にたたずんでいる。
ちょっと小雨も降りだしてきて、ますます肌寒い。

朝風呂
[小雨降る中で、ネコと入浴]

この日のスケジュールは、バスを乗り継ぎながら台湾東海岸沿いに花蓮まで出て、そこから特急で台北へ向かうというもの。
昼食は長濱と言うアミ族の村にある「一耕食堂」と言うところで予約を入れてある。
また、花蓮から台北への特急もグリーン車に相当する騰雲というシートを予約済み。
気になるのはバスで、どうやらGoogle Mapで示されるバスのスケジュールはあんまりあてにならないようだ。
以前は台湾のバスの動向をチェックできるアプリを入れていたけれど、いまは使えなくなっている。
温泉宿前にバス停があって、バスの時刻が掲載されているけど、始発のバス時刻だけで、何時にバスがやってくるかは記載されていない。
宿の人に聞くと10:50頃に来るはずと言う。

ジャンパーを着ても寒く感じるような、小雨降るバス停でバスを待つ。
本当に来るのか不安もある。
以前に台湾中部横貫公路にある大禹嶺というところでバスの待ちぼうけをしたという経験もあるので、バスの利用は半信半疑。
台湾東部の海岸線や青い太平洋は感動的にきれいだから和夫妻に是非とも見せたいと思って、わざわざ遠回りのルートで花蓮へ向かうことにしたけど、雨模様なので景色は期待できなさそう。

安通温泉
[宿の前でバスを待つ]
バスはやっぱり来なかったかな、仕方ないから昨日乗ってきたタクシーを呼ぼうかなと思ったところでバスがやって来た。
バスは小さなマイクロバス。
乗客は私たち以外に一人しか乗っていない。
しかし、このバスには運転手と乗客以外になんとバスガイドが乗っている。
このガイド嬢、残念ながら日本語はわからないそうだけど、韓国語のガイドもしているとかで韓国語は話せるそうだ。
そして、中国語と韓国語のチャンポンで沿道の説明をしてくれる。
山の高さが何メートルあるかとか、山を越えると花蓮県から台東県になるのだとか、我々三人に対して説明してくれる。
私はその通訳を担当する。

30分ほどで東海岸の寧埔と言う集落へ下る。
海岸線は寒々として、灰色をした大きな波が打ち寄せている風景は私が考えている台湾東海岸とは別物で、まるで冬の日本海かオホーツク海のようだ。
集落も小雨にけぶって色がなくモノクロームの世界。
そんななかにあって、ところどころに黄色い花を咲かせている畑が見える。
そこだけが色が着いている感じで印象的。
バスガイド嬢にこの黄色い花が何なのか教えてもらうと、「太陽麻」とのこと。
太陽麻とは言っても、麻の仲間ではなくマメ科だそうだ。
あとで調べてみたら、これを栽培して収穫を期待するものではなく、土地改良に使うもので、輪作の合間に植えるらしい。

長濱郷公所という村役場前でバスを降りる。
一耕食堂近くには安通温泉から乗ってきたバスは停車しないそうで、ここが最寄りのバス停となる。
最寄りと言っても食堂までは1キロ以上の距離があり、和夫妻に歩いてもらうにはちょっと遠い。
これもあてにならないけど、20分後くらいあとで一耕食堂近くへ行くバスが来ることになっている。
それまだの間にセブンイレブンを覗いたり、トイレを借りたりする。
バス停の隣に黒糖を売る小さな店があり、覗いてみる。
このあたりでサトウキビの栽培が盛んなのかどうかわからないけど、この店では手作りの黒糖を販売しているとのことで、和女さんは土産用にと黒糖を買う。
この店の女主人も愛想が良く、いろいろと話しかけてくる。
そして、我々がこれから一耕食堂へ行くためにバスを待っていると言ったらば、その食堂とは友達だから妹の車でそこまで送らせるという申し出を受ける。

その妹さんの車は小さい車で我々3人がなんとか乗り込める程度のサイズ。
荷物やカバンも抱えるようにして座らなくてはならない。
そんな車を妹さんは荒っぽい運転をする。
急発進して、タイヤを軋ませてUターン。
別に機嫌が悪くてそんな運転をしているのではなく、どうやらイキがっての沙汰のようだ。
「どうだ」と、つまりは自慢したいだけ。
そんな運転なのですぐに一耕食堂へ着いてしまう。

ところがどうしたことか、一耕食堂では予約してあるはずの私たちのテーブルが用意されていなかった。
前日にも予約の再確認をしていたのだけれど、どうしたことだろう。
どうもオーナーは私たちの予約を夕食での利用と勘違いしていたらしい。
スマホで予約のやりとりのメッセージを見せて誤解が解け、急遽テーブルをしつらえてもらう。

一耕食堂はアミ族の郷土料理をアレンジした創作お任せメニューで有名らしい。
値段はランチで一人600元と安くない。
店内には私たち以外に若いカップルが二組来ていた。
アミ族の料理素材として豚肉を漬けて発酵させたりしたものや、近海でとれるトビウオを使ったものなどが懐石風というかコースで供される。
一品一品運んでくる前にオーナーがその料理の由来などの講釈を述べる。

豚漬け握り
[お寿司みたいなお米の上に発行した豚肉がのっている]

残念ながら私の中国語力ではどんな説明をされているのか聞き取れない。
どれも珍しくはあるが特別美味しいという訳ではない。
そんな中で南蛮カラスウリのスープを和女さんは気に入られたそうだ。
特に南蛮カラスウリにはトマトの何倍ものリコピンが含まれているというのが響いたようだ。
昼食後にバス停近くの地域物産センターのようなところでバスを待つ間、和女さんは南蛮カラスウリの入った商品を探される。
食堂で袋入りの南蛮カラスウリ入りスナックが売っていたが、オーナーから「物産店に行っても売ってるよ」と言われていた。
しかし、店の中を探してみたけれど同じようなものは売っていない。
こりゃ私がひとっ走り食堂まで行って買って来るべきかと考え始めたところ、隣のセブンイレブンに売っていると店員さんが教えてくれた。
セブンイレブンなら全国チェーンで、台湾のどこでも買えてしまうものなのかもしれない。
和女さんは南蛮カラスウリ・スナックをまとめ買いされていた。
なお、南蛮カラスウリは台東の特産品で木虌果と呼ばれているらしい。
タイのピサヌロークでも時々見かけるが、スナックになっているものは見たことがない。

バスが来るまで霧雨が降り、風が吹く中、バス停に立って待つ。
気まぐれなバスを待つというのは、引率側として肩身が狭い。
早く来てくれよと願うばかり。
和男さんが「あ、あれバスじゃない」と遠くを指さすけど、それは団体観光バスなので止まってくれない。
じっと我慢の子で、ひたすらバスを待つ。
実際には15分程度しか待ってなかったかもしれないけど、とても長く感じた。

花蓮方向へのバスは二階建てのように大きなバスだったけれど、乗客はほとんど乗っていなかった。
そして、ローカルバスだからかバスの乗り心地はあんまり良くない。
このバスも乗車時間はそれほど長くなく、台東県と花蓮県の県境にある静浦という集落まで乗る。
この静浦でバスを乗り継ぐことになっていて、乗り継ぎ時間は一時間近くある。
バス停前には立派な建物の郷土資料館兼物産館がある。
事前情報では、この中でアミ族の織物の展示があったりカフェがあったりして、手工芸好きの和女さんに喜んでもらえるはずだった。
しかし、なんともケシカランことに、この建物が閉鎖されている。
どこからも中へ入れない。
開いているのはトイレだけ。
このあたり、秀姑巒渓という川の河口に面していて、もともとは景色の良いところ。
この川は急流でラフティングでも有名。
しかし、今日は赤いアーチ形の綺麗な橋が雨に濡れているだけ。
橋の上を水溜りの水を跳ねながら車が走り去っていく。
バス旅は天気が悪いととても惨めだ。
建物の軒先を借りて雨宿りする。

秀姑巒渓
[雨にけぶった景色も悪くないけど、とにかく寒い]

3時過ぎ、花蓮行きのバスがやってくる。
これも大きなバスだけど、我々以外に乗客がいない。
そして、やはり乗り心地は良くない。
小さな集落を抜け、海岸線に沿った峠道をクネクネと登る。
眼下に太平洋が見える。
相変わらずの時化模様。
並みが岩に砕けて、白い飛沫が飛び散るのが見える。
寒さから解放されたからか、和夫妻は揺れるバスの中で白河夜船。

花蓮の街に差し掛かるころにはもう暗くなっていた。
町中のバス停にもひとつひとつ止まり、乗客の乗り降りがある。
信号も多くて、花蓮駅前への到着はスケジュールより30分ほど遅れた。

台北へ向かう特急まで乗り換え時間はあまりなかったので、トイレだけ済ませてホームへ向かう。
以前の花蓮駅よりまた大きくなっていて、電車の乗り場がどこなのか少し迷ってしまう。
発着する電車の便数が多く、これまた昔の閑散とした花蓮駅とは印象が大きく変わっている。
ホームにも人が多い。
まるで都会の駅と変わらない。

台北へ向かう特急はまた新型自強号で、先にも書いたけど騰雲座艙というグリーン車相当の特別車両。
普通車よりも3割くらい割高だけれど、電車賃そのものが日本と比べたらまだまだ割安なので、台北までの切符代は796元ほど、日本円でも4,000円に満たない。
しかもお弁当と飲み物のサービスも付いている。
そのお弁当だけれど、これまた奮起湖弁当と似たような弁当で、どんぶり飯風にご飯の上におかずが何品か乗っかている。
メインは排骨と言う大きな豚のスペアリブ。
私のは素食と呼ばれる精進料理なので、豚肉の代わりに肉に似せた豆腐の加工品が乗っかっている。
飲み物は韓国製スターバックスの缶コーヒー。
味の方は、これまた特別旨いというほどではなく、また昔みたいに油の臭いで食べる前から胸焼けしてしまうということもなかった。

汽車弁
[素とあるのは精進料理のこと]

和男さんは「揺れる乗り物の中では良く消化ができないんだ」と言われて、弁当を半分くらい残された。
そのまま捨ててしまうのはもったいないので、「それ、私が食べていいですか」とお伺いを立てる。
人が食べてた食べ残しを、他人が食べるなんてNGを出されそうだけれど、「どうぞどうぞ」と快く弁当箱を回してくれた。
これで1週間ほど夫妻と一緒に旅してきたけれど、この弁当をいただいてもう家族の一員みたいに思ってもらえているのかなと嬉しくなった。

台北までの車中は、外は暗いから、車窓からは何も見えない。
トンネルも多いはずだけど、それもさっぱりわからない。
台北まで2時間足らず。
昔と比べると格段に速い。
騰雲座艙のシートはゆったりしていて快適だけど、むかしの汽車の方が情緒はあった気がする。

台北駅の一つ手前、松山駅で下車してしまう。
今夜の宿は、汐止区にある富信大飯店と言う大きくて新しいホテル。
汐止区は台北の東側にあり、汐止駅と言う電車の駅もあるけれど、この特急は停車しない。
その先の松山駅まで乗り越して、そこから通勤電車に乗り換えて南港駅まで戻った。
南港駅は地下駅になっていて、地下1階のようなところにタクシー乗り場があった。
台北もまだ雨が降り続いているからだろうけど、タクシー乗り場には行列ができていた。
和夫妻とは台北の夜市でも行こうかと電車の中で話したりしていたが、すでに時刻は8時になっているし、小雨も降り、荷物もありなので、駅からホテルへタクシーで直行となった。

富信大飯店は今回の旅行で唯一ホテルらしいホテルだった。
台北のホテルとしては比較的手ごろな金額だけれど、汐止という中心部からはちょっと離れたところにある。
今夜はここに寝るだけで、明日の朝早く空港へ向かうのだから、立地はあんまり問題ではない。
しかし、和男さんは駅弁をほとんど食べていないし、お腹もすいているだろうから何か食べさせたいのだけれど、ホテルの周辺には飲食店もない。
それに外は雨が降っている。
和女さんはチャーハンが食べたいというので、コンビニへ夜食になりそうなものを買い出しに行って届ける。

12月17日 (日)
朝6時にはチェックアウト。
ホテルらしいホテルで快適に眠れた。
今日が最終日で、あとは空港へ和夫妻を見送るだけ。
和夫妻は台北市内の松山空港からの羽田行き。
私は昼過ぎに桃園空港からのバンコク行き。

記念写真
[ホテルのロビーで和夫妻と一緒に]

松山空港まではタクシーに乗る。
昨日もタクシーに乗ったけれど、台北のタクシーは大型の車が多い。
昔は小さな車ばかりだったけど、台湾も豊かになって、大きな車があたり前になっているのかもしれない。
タクシーの色はどれも黄色。
ホテルから空港まで直線距離だと近いはずだけど、あちこちクネクネと曲がったりしながらで、運賃は300元少々。
このタクシーの運転手はずっと無言のままだった。

松山空港の国際線カウンターは小さくて、行先も羽田、ソウル、上海くらいしかないようだ。
それでも中華航空の羽田行きカウンターには行列ができている。
並んでいる人に日本人はいないみたいだ。

和女さんは空港内の土産物店でパイナップルケーキを何箱も買われていた。
いろいろなメーカーが並んでいるけど、だいたいどこもひと箱が数百元もする。
台湾土産として人気だからなんだろうけど、随分と高いなぁと感じる。

和夫妻とは手荷物検査場前で別れる。
そして私は桃園空港へバスで向かう。
1週間の台湾旅行、とっても楽しかった。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=23 |
| | 07:51 PM | comments (0) | trackback (0) |
台湾一周旅行②
12月13日(水)
朝目を覚まして、そのまま温泉に浸かる。
昨晩は赤湯だったけれど、今朝は無色無臭のお湯。
外はまだ夜明け前。
この部屋のバスルームは広くて、そして大きなガラス扉でテラスに出られるようになっている。
2棟あるコテージで、私と和男・和女夫妻がどっちのコテージに入るかという段になった時、和女さんはバスルームが外から丸見えだから嫌だといわれて、私がこの大きなバスルームのあるコテージを使わせてもらう事になった。
このバスタブはほぼ正方形で、一辺の150cmくらいあるだろうか。
しかも源泉かけ流し。
のんびりとお湯に浸っているうちに、山の稜線が見えてきて、空の色が明るくなってきた。

贅沢な入浴
[こんな温泉を独り占めできるんだから贅沢なものだ]

朝食はまた食事場所まで下りなくてはならない。
下りは和男さんも問題ないけれど、また部屋まで戻ってくるときが上り坂になって苦労するから、荷造りを整えて、朝食会場からそのまま出発してしまうことにする。

朝食の内容は私好みで、ビーガンというか精進料理で、肉類が含まれていない。
その料理を皿の上に飾るようにきれいに並べてある。
ボリュームの面ではちょっと食べたりないのだけれど、和男・和女夫妻には適量とのこと。
この宿にはネコがたくさん住み着いていて、ネコ好きには居心地がよい。

ヘルシーな朝食
[このくらいが腹八分目]

宿のオーナーがふもとの埔里の町まで車で送ってくれることになった。
その車というのがアメリカ製の電気自動車のテスラのSUV。
大きな車で、ドアも横に開くのではなく、上に跳ね上がるようになっている。
車内も未来の車のようで、和男・和女夫妻ともスゴイねと感動している。
パワーもあって急な坂道も簡単に登ってしまう。
しかも、当然ながらエンジンが唸るなんて事もない。
オーナーはこれから台中まで所要で行く所だといっていた。

埔里からはバスに乗り換えて日月潭へ向かう。
バスはほぼ満席。
前日に乗ったバスも日月潭行きで満席になっていた。
平日なのに観光地へ向かう人が多いのには驚いてしまう。

日月潭で、和女さんはラルーへ行きたいと言っていた。
恥ずかしながら私はラルーが何なのか分かっていなかった。
和女さんの説明によれば、もと蒋介石の別荘で、リゾートホテルになっているとのこと。
なんのことはない涵碧楼のことではないか。
もともとは日本統治時代からある保養所だったものを接収して蒋介石の別荘にしたもの。
それが私の知らないうちにリゾートホテルに変わって、一般人も利用出来るようになっている。
一般人と言っても、高級リゾートで富裕層向け。
調べてみたらマネージメントは超高級志向のアマン・グループ。

日月潭のバス停にあるコインロッカーに荷物を入れて、湖畔沿いの遊歩道を歩いてラルーへ。
日月潭の湖畔などを歩くのは何十年ぶりだろう。
台湾にはずいぶんたくさん来ているし、埔里から日月潭はすぐだけど、あんまり日月潭へ行きたいという気にならずにいた。
台湾の人気観光地である九份も実は行ったことがない。
風光明媚と言われているけど、感動的というほどでもないように思えるし、それより観光地化しすぎていて嫌らしさを感じる。

でも、湖畔の「文学散歩道」みたいな演出がされている遊歩道は歩いていて気持ちがいい。
天気がよくて青空の下、湖水は緑色に見える。

文学散歩道
[文学とは縁がないので、これらはただのオブジェ]

遊歩道のまわりもよく整備されていて、足元が気になる和男さんでも問題なく歩いてもらえる。
さざなみがきらきら光る湖面を眺めながら、そろそろラルーの真下に来ているはず、どこかにラルーへの入り口はないものかと見回していたら、重厚で立派な入口の扉が目に入った。
この扉の向こうにはきっとエレベーターがあって、高台の上のラルーまで行けるだろうと思ったのだけれど、扉の前には「宿泊者専用」と書かれた札がある。
扉はオートロックになっているようで、どうやらルームキーでもかざさないと入れない構造のようだ。

少し霞んだ日月潭
[遊歩道からの景色は穏やか]

もと来た遊歩道を戻るのも悔しいので、そのまま先へ進んでいくことにする。
昼食時間にはまだ少し早いし、その先は遊歩道も湖畔から少し離れるが喰わず芋などの大きな葉が茂る緑のトンネルのような遊歩道も歩いていて気持ちがいい。
酸素の濃度が高いような気がしてくる。

やがて茂みの中から階段が見えてきた。
先遣隊として私一人まずはその階段の上に何があるかを偵察に出る。
およそ百段ほどの急な階段を上りきったところは教師会館という保養所になっており、その先にラルーへの入り口があることを発見。
二人が待つ遊歩道までもどり、和男さんの手を引いて階段を登る。

こうして苦労してたどり着いたラルーだけれど、やっぱり宿泊者以外はあんまり歓迎されていないような雰囲気も漂う。
たぶん私の身なりが貧乏くさそうなので、「あっち行けシッシッ」見たいになってしまっているのかもしれない。
「ランチを食べたいんだけど」と言ったら「ご予約はされてますか?」とちょっと慇懃に聞き返される。
予約なんてしていないと入れてくれないのだろうか。
それでも強引にレストランの場所を聞き出す。

ラルーからの眺め
[さすが高級リゾートは景観も違う]

が、ここで食べたいと思っていた中華料理のレストランでも門前払いを食らってしまった。
「予約で満席です」
時刻はまだ11時を少し回ったくらい。
店内には誰も先客など来ていない。
「ご予約のお客さんが来る前にさっと食べるからさ」と言ったものの相手にしてもらえない。
しかし、「洋食レストランなら1テーブルだけまだ予約できますよ」と教えてくれた。
全面的なシッシッではなかったようだ。

洋食レストランも店内に先客の姿は見られになった。
メニューはセットメニューからオーダーする。
和男さんはステーキを、和女さんは鴨を、そして私はビーガンを注文。
税金とサービス料合わせて一人前が二千元ほどになる。
「うーむ」と唸ってしまう。
先にも書いたけど、今回の旅費は和男・和女夫妻が全額出してくださっている。
それなのに、こんな贅沢をしてしまってよいのだろうか?
私はコースメニューではなく、スパゲティーの一皿でも良かったのではないかと反省。

レストランからの眺め
[レストランも日月潭に面して大きなガラス窓越しに景色が楽しめる]

レストランからの日月潭の眺めは美しかった。
レストランのサービスも良かった。
しかし、私のビーガン・コースは失敗だったようだ。javascript:pins(0);
料理の演出は見事なんだけど、ボリュームがステーキや鴨と比べると1/10くらいしかない。
全七品をいただいたけれど、ぜんぜん満腹とは程遠い。
一方、ステーキや鴨はボリュームがスゴイ。
「食べきれないわ」という和女さんから鴨を半分いただいてしまう。

小さな揚げ団子
[ゴマ団子の中にクリームシチュー]

石の上に花
[花びらも食べます]

バラの花
[皿の上のアート]

焼き石スープ
[原住民のスープだそうです]

メインディッシュ
[植物由来のハンバーグ]

コーヒー
[コーヒーはコーヒーだった]

フルーツ
[フルーツもふつうにフルーツだった]

高級レストランだからか、昼食に2時間近くも時間がかかってしまい、日月潭のバス停にあるコインロッカーで荷物を取り出そうとしたら時間オーバー(3時間ごとの計算)で、料金が倍額になっていた。
結構イイ金額になっているなと思いながらも荷物を取り出して大失敗。
次の目的地は台湾鉄道集集線の水里駅。
そこへ行くバスはあと1時間近く待たなくてはないなかった。
荷物を引き出さなかったら、また湖畔の散策でもして時間がつぶせたはずなのに、バス停のベンチでぼんやりとバスを待つしかなかった。

水里行きのバスは小さなマイクロバスで、ほぼ満席。
なんとか狭いながらも座る場所は確保できたけれど、荷物を持ち込んでだととても窮屈に感じた。
日月潭の西岸に沿ってしばらく走り、湖畔が遠のいたら山を下り始めた。
水里までの乗車時間は30分ほど。

水里駅は1999年の大地震の震源地に近い。
それまで水里駅の駅舎は戦前に建てられた木造建築で、高台の上に鎮座していたが、被災して現在はコンクリート製の四角い建物になってしまっている。
台湾でも赤字ローカル線はずいぶんと廃止になってきているけど、この集集線は廃止を免れている。
しかし、近年また自然災害が発生して、水里までは列車が通じておらず、隣の集集駅までバス代行となっている。
そのことは事前にネット情報で確認していたが、駅で切符を買おうとしたら駅員さんが一生懸命に不通になっている事を説明しようとする。

高台の上の水里駅
[コンクリート駅舎になった水里駅]

窓口から出て来てスマホを使って自動翻訳でしてシャトルバスに乗るようにと示す。
そのことは承知の上で、切符を買いたかったのだけれど、「嘉義までの切符」と私が言うと、また列車は来ないからシャトルバスに乗れと伝えようとする。
親切は嬉しいのだけれど、私は代行バスで隣の駅まで行き、そこから列車に乗る事を承知で切符を買いたいのだという事を伝えるのにちょっと苦労した。

水里駅のネコ
[駅のトイレ前で寝ているネコ]

隣りの集集駅までの代行バスは満員で、こんどは座ることができなかった。
和男さん、和女さんともバスの通路に立ってもらわなくてはならない。
隣り駅までだから15分くらいのものだけれど、荷物を持って満員のバスに揺られるのは楽ではない。

バスと列車を乗り継いで嘉義に到着したら5時半過ぎていた。
台湾は公共交通機関が発達していて便利という事になっているけど、乗換えや待ち時間で時間が結構かかる。
嘉義で和男さんと和女さんは駅近くのメガ・ホテルというビジネスホテルに泊まっていただく。
私はお金を節約する意味で、近くの旅社「義興旅館」という所に宿をとる。
メガホテルの半額以下。
義興旅館と書いて英語ではYes Hotelという事になっているらしい。
昔ながらの旅社に泊まるのは久しぶり。

嘉義駅前の安宿通り
[嘉義駅前には昔ながらの格安旅社が健在]

和女さんは夜店街を歩いて買い食いがしてみたいという。
ホテルの部屋に荷を卸してすぐに夜店街へ向かう。
歩けない距離ではないけど、和男さんも疲れているだろうからタクシーで向かう。

向かった先の文化路観光夜市は台北の士林や華西街の夜市と比べるとずっとローカルでにぎやかさに欠けていて、観光客向けというより地元住民の夜店街と言った感じ。
和女さんは串焼肉を食べてみたいと言う。
前回タイへ来た時にムーピンという豚肉の串焼きを食べて、感動してしまい、また食べたいと思っているらしい。
他にもピザのような蔥油餅を焼く屋台に行列ができていたので、並んで買い求める。
焼き上がりは円盤型でピザそっくりだけど、生地のこね方はタイのロティによく似ている。
そして、焼きあがったものは一口サイズに切り刻んでしまう。
なんとなく韓国のチヂミやお好み焼きにも似た食感。
さらにワンタンメン(饂飩麺)も食べてみたいと言う。
夫妻は横浜にある台湾食堂へワンタンメンをよく食べに行くそうで、その店は行列ができる店なのだそうだ。
それで本場(?)のワンタンメンに挑戦したいらしい。
屋台ではなく、ちゃんと建物の中に入っている大衆食堂風の店に入ってみる。
店内はお客さんでいっぱい。
従業員はテキパキとお客さんをさばいているし、店頭では大鍋で麺を茹でたりワンタンを包んだりと活気がある。
私はワンタンメンではなく麻醤麺というゴマたれ風味のヌードルをいただいた。
麺が白くて腰があり、讃岐うどんと良く似た麺だった。

食後に「台湾に来たらマンゴーカキ氷よね」と和女さんが希望されるが、この季節はまだマンゴーが出回っていない。ネットで調べるとちょっと歩いた先にコテコテのカキ氷を食べさせる店があるようだけど、もう歩きたくないので、夜店街の中のカキ氷屋に入ってしまった。
これが大失敗。
どこも混雑している夜店街にあって、この店はがらんとしている。
店員もやる気なし。
私と和女さんは氷アズキを注文したのだけれど、私と和女さんとでアズキの量がまるで違う。
和女さんのアズキは普通よりちょっと少な目と言った感じ。
そして私のは、アズキがスプーンでひとさじ分くらいしか入っていない。
ほとんど、無味な氷だけをひたすら食べる感じで、ちょっと食べただけで嫌になってしまった。
やっぱり台湾でも繁盛していない店には入るものではないようだ。

12月14日(木)
朝の7時に夫妻と待ち合わせて朝食を食べに行く。
向かった先はホテルから歩いてすぐにある庶民向け朝食屋。
既に事前に下見をしてあり、この店が朝7時にオープンすることも確認済み。
特に行列ができ長時間待ち有名店という訳ではなく、確かに店の前には行列ができているものの、それは持ち帰り注文の人たち。
そんな店にオープンと同時に向かったのは、店内にテーブルが一卓しかなかったから。
その一卓と言うのも、もともと店内での飲食用と言うよりか、作業台みたいなそっけないテーブル。

家族経営と思われる店内では、豆乳を絞り、肉まんを包み、卵を焼き、客さばきをすると言った大忙しの様相。
注文したのは肉まん、饅頭、餃子、煎餅など、搾りたての豆乳も飲んだ。
繁盛するはずで、値段は安くておいしい。
私が豆乳と一緒に食べたいと思っていた油条は店のメニューに入っていなかった。

豆乳絞り機
[大豆から豆乳が絞られていく]

さて、待望の阿里山鉄道に乗るため駅へ向かう。
数年前の災害で、嘉義から阿里山までの本線は、途中の十字路という駅から先が不通になっている。
今回阿里山鉄道を利用する目的は阿里山に行くためではなく、ただ阿里山鉄道に乗りたいだけなので、阿里山へ宿泊せずに途中までの日帰り。
終点は十字路駅だけれど、十字路駅周辺には何もないとのことなので、少し手前の奮起湖駅まで乗車する。
奮起湖は小さいながら老街と呼ばれる昔風の街並みが残っており、最近は奮起湖弁当という駅弁が人気になっている。
和女さんも奮起湖弁当を食べたいと企画段階からリクエストをしていた。
朝9時、赤い小さな客車を連ねた阿里山号に乗り込む。
エアコン、リクライニングシートの観光列車。

阿里山鉄道嘉義駅ホーム
[鉄オタでなくてもみんな写真を撮ろうとする]

乗客は観光客ばかり。
ゴロゴロゴロと車輪がレールの上を転がる感覚がわかるような車体で、周囲の軒先をかすめるようにして嘉義の住宅街の裏側を走る。
最初の停車駅は「北門」のはずだけれど、工事中とのことで通過。
竹崎を過ぎると田園風景、そしてやがて山の中へと入って行く。
車内は満席。
この切符を予約するのには苦労した。
発売と同時にオンライン予約を試みたけれど、復路の切符しか取れなかった。
それがたまたま数日後にダメもとでオンライン予約に空席が出ていることを見つけて、慌てて予約した。
乗客の大半がツアー客みたいだから、きっと団体予約のキャンセルでも出たのかと思う。

車内の様子
[通路を挟んだ反対側の方が景色が良いみたい]

車内ではアナウンスも入る。
中国語以外に英語や日本語でも案内が流れる。
森林鉄道としての役目を半世紀も前に終えてしまった阿里山鉄道も、観光列車としてはまだまだ現役でいるようだ。
しかし、平日は一往復しか走らず、切符の入手が困難では、観光客の誘致にも限界がある。
せっかく人気があるのだから、もっと増発すべきではないかと思う。

独立山のループ線を登り、標高を上げていく。
私が初めて阿里山鉄道に乗ったのは40年前の1983年の夏。
観光列車ではなく、木造の客車を使った普通列車で、エアコンもなく、窓を全開にしていた。
そんな車窓から竜眼の実がたわわに実っている光景が印象的だったけれど、今回乗ってみて竜眼の木を確認できなかった。
途中駅でもたまにハイカーが乗り込んでくる。
しかし、満席なので通路に立っての乗車となる。

独立山ループ線
[眼下にさっき通過した集落が見える]

2時間半ほどで奮起湖に到着。
阿里山号はまだこの先の十字路駅まで行くけれど、大半の乗客が奮起湖駅で下車したので、小さな駅は人でいっぱいとなる。

阿里山号
[機関車は後ろで、客車が前]

早速「奮起湖弁当」の店へ向かう。
弁当で有名になったので、駅前には何軒もの弁当を食べさせる店が並んでいるけど、せっかくなので本家の奮起湖大飯店に入る。
ここが一番人気のようで、本業の旅館業より弁当で賑わっている。
店内は弁当を求める人、弁当を食べる人で満員。
私たちは屋上へ登って食べるように指定される。
弁当はもともと駅弁で、日本の駅弁とは違って労働者が食べるような弁当。
楕円形をしたアルミの弁当箱に飯を詰め、その上に肉や野菜の炒め物、味付け玉子が無造作に乗っかっているというもの。
特別に美味しいというほどではないけど、ブームになっていて、阿里山鉄道で来た人たちだけでなく、車で登ってきた人も多そうだ。
そうな人気弁当のせいか、お値段もちょっと高めの設定となっている。

奮起湖弁当
[アルミの弁当箱は食べ終わったら回収される]

奮起湖の老街を散策するべきだったけれど、坂の多いところで、人も多い。
ちょっと和男さんに歩いてもらうには厳しそうだと判断。
それに帰りの切符は奮起湖より先にある始発駅、十字路から買ってある。
ちょうどうまい具合に奮起湖から阿里山へ迎うバスが十字路を通るので、そのバスに乗って十字路へ向かうことにする。
阿里山鉄道では不通区間があって、阿里山まで登れないけど、バスだと所要時間も短く、運賃も半額ほどで阿里山に到達できてしまう。
阿里山鉄道で奮起湖まで来た人もここでバスに乗り換えて阿里山へ向かう人も多いようで、奮起湖バス停からはたくさんの人が乗りこみ、バスは満席になった。
30分ほど乗って、十字路バス停に到着。
ここで下車したのは私たち3人だけ。
嘉義へ戻る阿里山鉄道の出発まで20分ほどあるけど、駅はバス停から急な坂道を上ったところにあるので、それほど時間に余裕はない。
それでも、バス停前の雑貨屋で客家伝統の餅菓子を売っていたので購入する。
和女さんによると、和女さんが買おうとしたら、先客が大量に買い占めてしまって、ほとんど残ってなかったのよとのこと。
この客家の伝統菓子、草仔粿というそうで、芋やピーナッツなどの餡を餅で包んで蒸したもの。
味は餅の表面に油っ気があるけれど、薄味で美味しかった。

赤い機関車
[十字路駅]

十字路駅からは車内に空席が目立ったけれど、奮起湖からまた満席となった。
やはり途中の駅から時々ハイカーが‐乗り込み、また途中の駅で降りて行く。
線路に沿ってハイキングコースがあるのかもしれない。

車窓が楽しい
[たぶん平均速度は 20km/hくらいか、この鈍さが面白い]

嘉義へ戻ってきて、その足でそのままタクシーに乗って檜意森活村と言うところへ向かった。
ここは戦前の木造官舎群が残っており、そうした建物を利用した日本統治時代へタイムスリップしたような場所になっている。
元の官舎はカフェや土産物店などになっており、日本の浴衣などを貸し出して、記念撮影なんかもできるようになっているらしい。

檜意森活村
[日本情緒を演出しているけど、日本にはないだろうなこんなの]

すでに日没時間が近く、薄暗くなっていたけれど、敷地内を少し歩き、和女さんは木彫りをするための檜材が売っていないかと探されたけれど、適当なものが見つからず、代わりに土産としてハチミツを買われていた。

夕食には町外れに近い小籠湯包を食べさせる店へ行くことにした。
嘉義で一番うまい店として紹介されていた豆豆湯包という店。
そこまでもタクシーを利用したが、その運転手、我々が日本人だと知ってなぜか大喜び。
一生懸命説明をしようとするし、車内で日本の懐メロ風歌謡曲を流したりする。
なんでそんなに歓迎されているのかよくわからないけど、嫌な気分ではない。
降りるときは運賃を5元値引きしてくれた。

豆豆湯包は人気店らしく、行列ができていた。
素直に行列に並び、順番が回ってくるのを待つ。
その順番もすぐには回ってきそうにないので、和夫妻に並んでもらい、私は列から離脱した。
離脱の目的は紹興酒を買いに行きたいから。
小籠湯包と一緒に紹興酒が飲みたいと思っている。
しかし、店の周辺を回ってみるけれどどこにも紹興酒は売っていない。
紹興酒とよく似た「黄酒」を置いているコンビニはあるけど、紹興酒が欲しい。
でも、探し回ってあんまり和夫妻を待たせても心細いだろうから、途中で紹興酒探しをあきらめる。

豆豆湯包は間口は狭いけれど、店の奥が倉庫のように広い空間となっており、そこに素っ気ないテーブルが並んでおり、みんな小籠湯包を食べている。
和夫妻は酸辣湯も注文。
醤油や酢、針生姜はセルフサービス。
湯気の立つ小籠湯包はあっさりとした薄味で美味しい。
と、食べている途中で大失敗。
小ぶりの肉まんに齧りついたら薄皮が裂けて、中のスープが弾けだしてしまった。
ズボンには小籠湯包のスープがシミを作っている。
あっさり味だけど、豚の脂が含まれているだろうから、履いているズボンの上から飲料水をかけてシミ取りを試みる。
今回の旅行で替えのズボンを持ってきていないので、小籠湯包のスープと水でズボンがビショビショになっているけど履き替えることもできない。

豆豆湯包は町はずれにあるため、駅前のホテルへ戻ろうにもタクシーが捕まえられそうにない。
路線バスの方が確実かと思いバス停までしばらく歩く。
その途中で酒屋を見つけたけれど、最初に入った酒屋にも紹興酒は置いてなかった。
2軒目に入った店ではかろうじて紹興酒の瓶を見つけたけれど、それは貯蔵期間の短い普及品の紹興酒。
私としてはせっかくなので、少し寝かせてある陳年紹興酒を飲みたかったのだけれど、陳年は置いてないとのこと。
店の主人は、息子らしい若主人に「日本人は紹興酒が‐好きだから」と説明しているのが聞こえた。
本当に今の台湾の人は紹興酒を飲まなくなってしまったようだ。

バスに乗る前、和女さんはスーパーに立ち寄って、キクラゲを土産用にと買い込まれた。
日本ではキクラゲが高級品で高いけど、台湾では安く手に入るとのこと。
タイでもキクラゲなんかは安食堂の野菜炒めにも入っているくらいの食材。
キクラゲが南国の特産品だからか、それとも中華食材だからなのかわからないけど、キクラゲが土産として喜ばれることを初めて知った。

バスの中はネコだらけ
[市内バスの車内、なんでネコなんだろ]

[つづく]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=22 |
| | 04:02 PM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑