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出直しタイ北部ドライブ
3月24日(日)、前回の失敗に懲りずにまたタイ北部へ向けて出直しの出発となる。
これまでの三日間の間で車とバイクの売却手続きを進めてある。
売却にはパスポートや労働許可書のコピー以外に領事館からの在留証明も用意しなくてはならない。
この在留証明が結構高いのに車とバイクそれぞれに一枚ずつ必要ということらしい。
それともうタイでの時間が限られているので、タイ北部と言っても行ける場所は限られている。
前回はメーホンソン県を南部のメーサリアンから北部のパーイまで縦断したかったのが、その手前のターク県メーソットから濃き返す羽目になってしまった。
メーホンソン県の縦断に未練はあるけれど、メーソットとタークの間、ミャンマーとの国境伝いのドライブを優先して、3月27日までの3泊4日というコンパクトな日程となってしまった。
ルート的には、バンコクからナコンサワン経由でピサヌロークで1泊目、その後スコータイからトゥーン、ホートと山道を走ってメーサリアンで2泊目、メーサリアンからミャンマー国境のモエ川は右手に見ながらメーソットを抜けてタークで3泊目、最後はまっすぐバンコクへ南下して、夕方には車を中古車屋へ持ち込んでお別れと言う次第。

今回はナコンサワンからのビデオ中継も組まれており、朝早めにバンコクを出発する。
もうなんどこの北へ向かうハイウェイを走ったことだろう。
思い返せば、チェンマイに住んでいた時も、バンコクとの間をビートルで往復していた。
まだ、ハイウェイの拡張工事中で、渋滞したり路面の悪いところがたくさんあったりしていた。
それが今では片側4車線の区間もあって、制限速度も120kmになっている。

ナコンサワンの入り口近くにタイ陸軍の駐屯地があり、その門前に小さな戦車が置かれている。
この戦車は旧日本軍の95式軽戦車で、戦中、戦後とタイ軍で起用された後、この門前に展示されているのだと思うけれど、ナコンサワンには終戦後に日本兵が集められた場所であり、そして日本軍の軍馬たちが見せしめのように殺されたのもこの場所。この駐屯地の裏にある寺院にはそうして死んでいった軍馬たちの慰霊碑があるけれど、もう参拝に訪れる人もほとんどなくなってしまったようだ。

95式軽戦車
[ハイウェイの交差点からも見える]

ナコンサワンの北側にはちょっとした丘があり、丘の上にはスコータイ時代に建立されたとされる寺院がたち、また展望台もあって、タイ中北部の平原を見渡すことができる。
今回のビデオ中継はこの丘の上の寺院、ワットキリウォンから行う。
番組開始前にやって来て即興でロケハンをして、ストーリーを考える。
ここは見晴らしがいいので、ここから下界を見せようとか考えても、スマホアプリのビデオだと下界が小さくなりすぎ、また細かなものはボヤけて良く写らない。
ズームなどの機能もないから、ピン川とナーン川の合流してチャオプラヤー川になる地点を見せたくても、肉眼でははっきり見えるのに、スマホのスクリーンには映っていない。

それでも何とか中継を済ませた。
ちょうど中継中にも紹介したのだけれど、この寺院から少し下ったところにミャンマーの人たちが集まってお祭りのようなことをしている。

ミャンマー人のお祭り
[タイでこんなに楽しそうにしているミャンマー人を初めてみた]

ミャンマーの偉いお坊さんも来ているようで、タイの祭り同様ににぎやか。
歌や踊りがあり、お坊さんへの寄進式があったり、食事がふるまわれたり。
これでも神聖な仏教行事なのでお酒などは出ない。
私もこのミャンマー人たちに招き入れられて、いっしょにミャンマーの料理をご馳走になる。
豪華ものなどないけれど、モヒンガーやミャンマー・カレーなどを食べさせてもらった。

モヒンガー
[モヒンガーはミャンマーのソウルフード]

午後、ピサヌロークへ入る。
日本へ帰るにあたり、私のネコを火葬してくれたお寺にもお参りしておきたかった。
この寺の隣にあるアパートにいたときにネコを死なせてしまった。
アパートの部屋の窓からはいつもこの寺の黄金色をした屋根が見えていた。
毎朝、このお寺で手を合わせるのが日課だった。
これでしばらくはこのお寺へお参りに来ることができなくなってしまう。

ワットチャンタワントク
[大伽藍はまだ完成していない]

アパートにも立ち寄ってみた。
女主人はいたけれど、アパートのネコたちには会えなかった。
とくにウォッカと呼ばれていたオスネコには会っておきたかった。

3月25日(月)、ピサヌロークのリタイ・ゲストハウスでお気に入りだった塩魚のチャーハン(カーオパットプラーケム)を食べる。
このチャーハンは本当にうまい。
よその食堂で塩魚のチャーハンにはめったに出会わないけれど、他店でこれまでに旨いと感じるものを食べたことがない。
このチャーハンに限らず、ここの食事は何を食べても美味しかった。
こんな朝食が付いてシングル一泊が380バーツと言うのもとてもお値打ち価格だと思う。
当世400バーツ以内の安宿だって珍しくなっているのに、朝食まで付くなど、もう他にはないのではないだろうか。

塩魚のチャーハンを食べてすぐに出発。
西に走ってスコータイの遺跡を迂回するバイパスからトゥーンへと入って行く。
スコータイ遺跡をもう一度見ておこうと言う気にはならなかった。
あんまりにもたくさん行き過ぎて、今更一人で遺跡を見て回っても白けた感じになりそうだった。

コガネノウゼンの並木
[バイパスにはコガネノウゼンの並木]

トゥーンへの道も拡張工事があちこちで行われている。
こんな田舎に4車線道路など必要なのだろうかと思ってしまうが、この手の物流インフラへの投資は大切なはず。

トゥーンで国道1号を横切り、旧街道をリーへ向けて走る。
いまのスーパーハイウェイができる以前は、この峠道がチェンマイへのメインルートだったことは梅棹忠夫の東南アジア紀行に描かれている。
メインルートとは言っても、いまから70年前は川にも橋が架かっていないような道だったそうだ。
今でも峠道は九十九折れの険しい道で、どうしてトンネルで抜かないのだろうと思ってしまうような道。

リーからは旧道からも別れてホートへ向かう。
このルートはむかしチェンマイに住んでいた時に通ったことがあるはずで、途中でドイターオという湖があり、家族で来て遊んだ記憶がある。
しかし、道そのものに関してはまったく記憶から消えている。
それでGoogle Mapを頼りにハンドルを握ったのだけれど、マップの指示に従って走っていたらなんだか変なところで行き止まりになったりする。

ドイタオあたりで
[ドイターオ周辺でのスナップ]

ホートからはチェンマイとメーホンソンを結ぶ国道で、一本道だからもうマップに頼らなくても問題ない。
メーチェム川沿いの道は川遊びをさせる場所が続く。
清流ではないけれど、海から遠いこのあたりでは、この暑い季節はこうした川沿いが人気の行楽場所になっているのだろう。
水遊び場所ではないが、沿道にはオップルアンという渓谷があり、タイ人はタイのグランドキャニオンと呼んでたりする。
このオプルアンにも家族で遊びに来たことがある。
そにな回想をしながら先に進むと、道端の草むらが燃えている。
乾期によく行われる焼き畑なんかではなく、外気温が暑すぎての自然発火のようで、白い煙が立ち上っている。
3月も末となり、タイが1年で最も暑い季節を迎えている。

PM2.5
[この煙で気管支を傷める人が多い]

メーホンソン県に入ると見事なライステラスが見えてきたりする。
しかし、それも一瞬で通り過ぎ、森林の中を走る。
木々は葉っぱを落としているし、下草は乾燥し、そして燃えて灰となっているので、森林の中でも薄暗いということはない。

道路上の看板に温泉ありと言うものがあった。
国道から10kmほど逸れたところに温泉があるらしい。
ハンドルを右に切って温泉へ向かってみる。
山の中に無理やり筋を引っ張ったような道で、簡易舗装はされているものの、急カーブと急こう配のアップダウンが続く10kmだった。
そしてドンづまりのようなところに小川が流れ、吊り橋が架かっている。
車で渡れるような橋ではないが、対岸の斜面が温泉施設になっているようなので車から降りて吊り橋を渡ってみる。

秘境の湯
[吊り橋の向こうに温泉がある]

誰もいないようだったけれど、管理人の男性がやって来たので入浴したい旨を伝える。
時刻はもう4時半だし、日も陰り始めている。
携帯電話の電波も届かなくなっている。
電気だって通じているかわからない。
でも、お湯は湧いている。
浴室は木造の建物だけれど、浴槽はセメントと石で作られたちょっとしたプールくらいの大きさがある。
浴槽の内側にはタイルが張られている。
この大風呂にお湯を貯めるのにしばらく時間がかかった。
お湯と水の太いバルブがあり、熱いお湯が盛大に流れ出てくる。
そのまま入るには暑すぎるので水のバルブも開くが、もともと外気温が40℃近くもあるので、水のバルブから噴き出すのはぬるま湯であった。

もったいないくらい大きな湯船
[浴槽は深さもあって、プールみたいだ]

ここも単純泉だけれど、こんなに大きな風呂に入れるとは嬉しい限り。
お湯が暑いので数分も入っているとのぼせてしまう。
洗い場とかはない。
風呂場の床も木製。
しばらくベンチに腰掛けて一休みし、また熱い風呂に入る。
先日のメーソットの温泉も良かったけれど、このメーサリアン奥地の秘湯も良かった。
バンガローもあり、宿泊もできそうだけれど、車と言う足がなかったらとても来れるような場所ではないから、もと2度と来ることはないのだろう。

設備は超質素
[西洋人のオフロードバイクツアーで立ち寄ることがあるようだ]

ふたたびおんなじ道を走って、国道に抜けてメーサリアンへ向かったけれど、後になって地図を確認したら、吊り橋のかかる小川沿いに道は続いていて、そのまま行けばやはり10キロほどで直接メーサリアンの町へ出られたようだった。

ライステラスの夕焼け
[空気が埃っぽい方が夕焼けは赤くなる]

メーサリアンの宿ではドミトリーという相部屋で予約したけれど、その晩は私以外に宿泊客がいなかったようで、2段ベッドが並ぶ部屋を個室として独占することができた。
今回のドライブでは、調理器具と食材を車に積み込んできたので、ご飯を炊き、キャベツを炒めて夕食とした。
宿の女主人から「味はどうか」と尋ねられたので、「美味しいよ」と答える。

メーサリアンの入り口
[メーサリアンの町はミャンマー色が濃い]

夕食後に外をフラフラと歩く回る。
小さな町だけど、夜市のようなものがあった。
田舎の夜市らしく、売っているものは生活用具が中心。
古着や携帯のアクセサリーなんかも売っている。
でも、賑わいはほとんどない。

川沿いにはゲストハウスなど外国からのツーリスト向けの施設があり、また少し高級感のある宿もあった。
以前と比べてメーホンソン県を訪れる観光客はだいぶ減っている印象。
昔は県都のメーホンソンまでチェンマイからの飛行機が何便も飛んでいたし、メーホンソンの首長族居住地を訪ねるツアーは人気があった。
でも、今では首長族にはチェンマイ近郊の観光施設でも会えるし、バンコク周辺へも進出しているらしい。
ゾウに乗ってのトレッキングも敬遠されている。
動物愛護優先で、ゾウ乗りは虐待とみなされている。
しかし、もっと大きな要因は、格安航空便が影響しているのではないだろうか?
バンコクからチェンマイへは、多数の航空会社が就航し、安売りの切符も出回っている。
そのため、タイ北部のチェンマイへは以前より多くのツーリストが手軽に訪れるようになった。
そして、それは手軽過ぎて、お手軽ではないメーホンソン県が相対的にも、絶対的にも、ツーリストから関心を持たれなくなってしまったのではないだろうか?
タイ人も車を持つようになり、バスなどの公共交通機関を利用する人が減って、バスの便が不便になっている。
チェンマイとメーホンソンを結ぶ飛行機もなくなってしまっている。

3月26日(火)、早朝の路上に托鉢僧の姿があった。
朝もやの中にオレンジ色の袈裟が進んでいく。
ときどき立ち止まって喜捨を受ける。

メーサリアンの托鉢風景
[木造の家並が続くメーサリアンの朝]

宿の前に米屋があったので、米を少し買う。
おと数日のタイでの暮らしだけど、数日間を食つなぐには米が足りなくなってていた。
いつものようにタイ米にもち米を買ったけれど、陸稲も売られていたので、陸稲も1キロほど買う。
このあたりの陸稲は、食感も味も日本米によく似ていて、美味しい。
そして、タイ米よりも値段が安く売られているのが嬉しい。
たくさん仕入れたいところだけど、数日間では食べきれない。

ミャンマー風の寺院
[メーホンソン県の寺院はミャンマー風のものが多い]

メーサリアンからメーソッドへ向かうルートは、モエ川を国境としてミャンマーに接している。
そして、20年前に通った時の経験では、モエ川の浅瀬を渡って簡単にミャンマー側へ越境できた。
そうして渡ったところの丘の上に水さな寺があったのを覚えている。
それとミャンマーからの難民キャンプが道沿いに延々と続き、鉄条網で居留地は囲まれていたけれど、難民が外へ出るのは比較的自由だったようで、路上を歩く難民が目についたものだった。
そうした沿道風景がどうなっているのか楽しみだ。

メーサリアンを出て、モエ川近くに至るまでは、峠道になっており、急な坂道が連続する。
アクセルを深く踏み込まなくては登れない。
ノロノロ運転、時速30キロくらいで進んでいると、次々にピックアップトラックに追い抜かれる。
中には国連のマークを付けた4輪駆動車もある。
沿道はジャングルのような密林が続き、やはり野火でくすぶり、煙が立ち込めているところがあるけれど、新しくできた開拓村もある。
そうした開拓村では山肌の木々は消えて、丸裸になっている。
土がむき出しの斜面にはトウモロコシが栽培されているようだ。
ときたま、すっかり禿げ上がった丘の上に寺があったりする。

はげ山
[雨が降ったら表土は簡単に流出しそう]

カレン族であろうか、道端を歩く人の姿もあった。
薄汚れているけど、独特の色遣いをした衣装を着ている。
荷物の背負い紐は肩ではなく、額に回していて、カレン族の特徴を見せている。
むかし、初めてタイへ来て、チェンマイからメーサリアン回りのメーホンソンへ向かうバスの車窓から、こうして道を歩くカレン族の姿が印象的だったことを思い出す。
最近では山岳少数民たちも、お祭りとか特別な時以外に民族衣装を着ている姿を見かけなくなり、視覚的にはタイ人に同化してしまっているけど、やっぱり辺境には昔ながらの生活習慣の中で暮らす人がまだ残っているようだ。

道端で出会ったカレン族
[小さな子供も荷物を運んでいる]

長い峠を越えてモエ川沿いに出た。
タイ側からモエ川を渡って、ミャンマーへ越境できそうな雰囲気ではない。
その代わり、ビューポイントのような施設ができていて、モエ川の景観を眺められるようになっている。
川を渡ることこそできないけれど、川沿いにミャンマーの人たちの姿を時々見かけた。
何人もの人が集団で川の中に入って作業をしている。
魚を取っているようにも見えなくはないけれど、なんとなく違う。
砂金を取っているのかもしれない。
でも砂金が良くとれるのなら、タイ側の人も砂金取りをしていそうなものだけれど、川に入っているタイ人の姿は見られない。
タイ人にとっては、ここで砂金を探すよりほかに現金収入を得る道があるのだろうけど、ミャンマーの人にはこれ以外に現金を得る道がないということなんだろう。

モエ川に入って作業をする人たち
[砂金取りだろうか]

昼食はこのあたりでは比較的大きな集落のターソーンヤーンという町で探した。
田舎町ということもあって、食事ができそうな店がなかなか見つからない。
蚤の市のような屋台が集まった広場もあったけれど、売っているものは日用品が中心で、あとは串焼肉や練り物のフライなどの食べ物か名前だけのカフェで冷たい飲み物を売っているくらい。
ここではミャンマーから川を渡って買い物に来る人も多いようで、ミャンマー語の表示が目立つけど、ミャンマー料理を食べさせるような食堂があれば、立ち寄ってみたかったけれど、結局ありきたりのタイ屋台飯しかありつけなかった。
町の名前、ターソーンヤーンは「2本のゴムの木の港」とい言う意味だから、きっとミャンマー側とを結ぶ渡し船でもあるのかとモエ川沿いをたどってみたけれど、渡し場のようなところはなかった。
ここのミャンマー人たちは、きっと渡し場とか関係なく、自由に川を渡ってきているのかもしれない。

この町から先は少しモエ川から離れたところの道となる。
その道沿いにはミャンマーからの難民が暮らす居留地が現在も続いていた。
むかしと比べると規模は少し小さくなったような気もするが、枯れ葉で葺いた屋根の家屋が道沿いに密集している。
鉄条網で仕切られているがところどころに通用門のようなところがあり、監視小屋で係員が暇そうにしている。
難民キャンプではあるけれど、もう何十年も経ているので、居留地内には学校や教会などがあり、コミュニティーとして自立しているらしい。

難民キャンプ
[たぶん数万人は暮らしていると思われる]

再びメーソットの街の入り口まで来て、温泉へ立寄る。
先日も来てとても気に入ったのだけれど、これでバンコクへ戻って車を売り払ってしまうと、もうタイで温泉巡りを気軽にできなくなってしまうだろう。
乾期で刈り入れが終わった田んぼを眺めながら、木の風呂桶に入浴はとても気持ちが良かった。

ポーンカムラーム温泉
[日本人に好まれそうな温泉だ]

最後の晩はタークのメーピン川沿いの宿に泊まった。
宿の部屋に冷蔵庫がなかったので、コンビニで氷を買ってきてビールを冷やして飲む。

3月27日(水)、宿は宿泊料に朝食が含まれていたので、簡単なブッフェ朝食をいただく。
パンと粥はあるけれど、サラダなどの野菜は並んでいない。
日本ではタイ料理にヘルシーな印象を持っている人もあるようだけれど、タイ人一般の食生活はあんまりヘルシーではないと思う。

タークからのスーパーハイウェイを順調に走り、夕方前にはバンコクへ戻る。
アパートに荷物を降ろしたらそのまま中古車屋へ車を持ち込んで、16年も足として貢献してくれたヤリスを手放す。
最近は中古車がだぶつき、また中国製の電気自動車の割引販売が盛んなので、あんまり良い値段はつかなかったけれど、16万キロ近く走った車でも、買い取ってもらえるのは助かる。
こうして売れるということは、また次のオーナーの手に渡ってかわいがってもらえるという事だろう。

タイでの愛車ヤリス
[こいつにはたくさんの思い出を作ってもらった]

車と併せて、バイクも一緒に売り払う。
当初提示されていた金額から、さらに半額に負けさせられてしまったけれど、もう交渉している時間もないので、妥協する。
クラッチの交換が必要になっていたし、あちこちからオイル漏れを起こしていて、ほとんどジャンク級の状態だったから引き取ってもらえただけでも儲けもの。
日本へ持ち帰れたら、レーシング・レプリカモデルなので、もう少し良い金額でさばけたかもしれないけど、これも時間切れ。

NSR150
[こいつも良く走ってくれた メーターは10万キロ近くまで回ってた]

という訳で、車とバイクを中古車屋へ持ち込むためにアパートから2往復した。
しかも、中古車屋からアパートへは、歩いて戻らなくてはならず、ラマ9通りを汗を流しながら2度も歩いた。

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