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台湾一周旅行②
12月13日(水)
朝目を覚まして、そのまま温泉に浸かる。
昨晩は赤湯だったけれど、今朝は無色無臭のお湯。
外はまだ夜明け前。
この部屋のバスルームは広くて、そして大きなガラス扉でテラスに出られるようになっている。
2棟あるコテージで、私と和男・和女夫妻がどっちのコテージに入るかという段になった時、和女さんはバスルームが外から丸見えだから嫌だといわれて、私がこの大きなバスルームのあるコテージを使わせてもらう事になった。
このバスタブはほぼ正方形で、一辺の150cmくらいあるだろうか。
しかも源泉かけ流し。
のんびりとお湯に浸っているうちに、山の稜線が見えてきて、空の色が明るくなってきた。

贅沢な入浴
[こんな温泉を独り占めできるんだから贅沢なものだ]

朝食はまた食事場所まで下りなくてはならない。
下りは和男さんも問題ないけれど、また部屋まで戻ってくるときが上り坂になって苦労するから、荷造りを整えて、朝食会場からそのまま出発してしまうことにする。

朝食の内容は私好みで、ビーガンというか精進料理で、肉類が含まれていない。
その料理を皿の上に飾るようにきれいに並べてある。
ボリュームの面ではちょっと食べたりないのだけれど、和男・和女夫妻には適量とのこと。
この宿にはネコがたくさん住み着いていて、ネコ好きには居心地がよい。

ヘルシーな朝食
[このくらいが腹八分目]

宿のオーナーがふもとの埔里の町まで車で送ってくれることになった。
その車というのがアメリカ製の電気自動車のテスラのSUV。
大きな車で、ドアも横に開くのではなく、上に跳ね上がるようになっている。
車内も未来の車のようで、和男・和女夫妻ともスゴイねと感動している。
パワーもあって急な坂道も簡単に登ってしまう。
しかも、当然ながらエンジンが唸るなんて事もない。
オーナーはこれから台中まで所要で行く所だといっていた。

埔里からはバスに乗り換えて日月潭へ向かう。
バスはほぼ満席。
前日に乗ったバスも日月潭行きで満席になっていた。
平日なのに観光地へ向かう人が多いのには驚いてしまう。

日月潭で、和女さんはラルーへ行きたいと言っていた。
恥ずかしながら私はラルーが何なのか分かっていなかった。
和女さんの説明によれば、もと蒋介石の別荘で、リゾートホテルになっているとのこと。
なんのことはない涵碧楼のことではないか。
もともとは日本統治時代からある保養所だったものを接収して蒋介石の別荘にしたもの。
それが私の知らないうちにリゾートホテルに変わって、一般人も利用出来るようになっている。
一般人と言っても、高級リゾートで富裕層向け。
調べてみたらマネージメントは超高級志向のアマン・グループ。

日月潭のバス停にあるコインロッカーに荷物を入れて、湖畔沿いの遊歩道を歩いてラルーへ。
日月潭の湖畔などを歩くのは何十年ぶりだろう。
台湾にはずいぶんたくさん来ているし、埔里から日月潭はすぐだけど、あんまり日月潭へ行きたいという気にならずにいた。
台湾の人気観光地である九份も実は行ったことがない。
風光明媚と言われているけど、感動的というほどでもないように思えるし、それより観光地化しすぎていて嫌らしさを感じる。

でも、湖畔の「文学散歩道」みたいな演出がされている遊歩道は歩いていて気持ちがいい。
天気がよくて青空の下、湖水は緑色に見える。

文学散歩道
[文学とは縁がないので、これらはただのオブジェ]

遊歩道のまわりもよく整備されていて、足元が気になる和男さんでも問題なく歩いてもらえる。
さざなみがきらきら光る湖面を眺めながら、そろそろラルーの真下に来ているはず、どこかにラルーへの入り口はないものかと見回していたら、重厚で立派な入口の扉が目に入った。
この扉の向こうにはきっとエレベーターがあって、高台の上のラルーまで行けるだろうと思ったのだけれど、扉の前には「宿泊者専用」と書かれた札がある。
扉はオートロックになっているようで、どうやらルームキーでもかざさないと入れない構造のようだ。

少し霞んだ日月潭
[遊歩道からの景色は穏やか]

もと来た遊歩道を戻るのも悔しいので、そのまま先へ進んでいくことにする。
昼食時間にはまだ少し早いし、その先は遊歩道も湖畔から少し離れるが喰わず芋などの大きな葉が茂る緑のトンネルのような遊歩道も歩いていて気持ちがいい。
酸素の濃度が高いような気がしてくる。

やがて茂みの中から階段が見えてきた。
先遣隊として私一人まずはその階段の上に何があるかを偵察に出る。
およそ百段ほどの急な階段を上りきったところは教師会館という保養所になっており、その先にラルーへの入り口があることを発見。
二人が待つ遊歩道までもどり、和男さんの手を引いて階段を登る。

こうして苦労してたどり着いたラルーだけれど、やっぱり宿泊者以外はあんまり歓迎されていないような雰囲気も漂う。
たぶん私の身なりが貧乏くさそうなので、「あっち行けシッシッ」見たいになってしまっているのかもしれない。
「ランチを食べたいんだけど」と言ったら「ご予約はされてますか?」とちょっと慇懃に聞き返される。
予約なんてしていないと入れてくれないのだろうか。
それでも強引にレストランの場所を聞き出す。

ラルーからの眺め
[さすが高級リゾートは景観も違う]

が、ここで食べたいと思っていた中華料理のレストランでも門前払いを食らってしまった。
「予約で満席です」
時刻はまだ11時を少し回ったくらい。
店内には誰も先客など来ていない。
「ご予約のお客さんが来る前にさっと食べるからさ」と言ったものの相手にしてもらえない。
しかし、「洋食レストランなら1テーブルだけまだ予約できますよ」と教えてくれた。
全面的なシッシッではなかったようだ。

洋食レストランも店内に先客の姿は見られになった。
メニューはセットメニューからオーダーする。
和男さんはステーキを、和女さんは鴨を、そして私はビーガンを注文。
税金とサービス料合わせて一人前が二千元ほどになる。
「うーむ」と唸ってしまう。
先にも書いたけど、今回の旅費は和男・和女夫妻が全額出してくださっている。
それなのに、こんな贅沢をしてしまってよいのだろうか?
私はコースメニューではなく、スパゲティーの一皿でも良かったのではないかと反省。

レストランからの眺め
[レストランも日月潭に面して大きなガラス窓越しに景色が楽しめる]

レストランからの日月潭の眺めは美しかった。
レストランのサービスも良かった。
しかし、私のビーガン・コースは失敗だったようだ。javascript:pins(0);
料理の演出は見事なんだけど、ボリュームがステーキや鴨と比べると1/10くらいしかない。
全七品をいただいたけれど、ぜんぜん満腹とは程遠い。
一方、ステーキや鴨はボリュームがスゴイ。
「食べきれないわ」という和女さんから鴨を半分いただいてしまう。

小さな揚げ団子
[ゴマ団子の中にクリームシチュー]

石の上に花
[花びらも食べます]

バラの花
[皿の上のアート]

焼き石スープ
[原住民のスープだそうです]

メインディッシュ
[植物由来のハンバーグ]

コーヒー
[コーヒーはコーヒーだった]

フルーツ
[フルーツもふつうにフルーツだった]

高級レストランだからか、昼食に2時間近くも時間がかかってしまい、日月潭のバス停にあるコインロッカーで荷物を取り出そうとしたら時間オーバー(3時間ごとの計算)で、料金が倍額になっていた。
結構イイ金額になっているなと思いながらも荷物を取り出して大失敗。
次の目的地は台湾鉄道集集線の水里駅。
そこへ行くバスはあと1時間近く待たなくてはないなかった。
荷物を引き出さなかったら、また湖畔の散策でもして時間がつぶせたはずなのに、バス停のベンチでぼんやりとバスを待つしかなかった。

水里行きのバスは小さなマイクロバスで、ほぼ満席。
なんとか狭いながらも座る場所は確保できたけれど、荷物を持ち込んでだととても窮屈に感じた。
日月潭の西岸に沿ってしばらく走り、湖畔が遠のいたら山を下り始めた。
水里までの乗車時間は30分ほど。

水里駅は1999年の大地震の震源地に近い。
それまで水里駅の駅舎は戦前に建てられた木造建築で、高台の上に鎮座していたが、被災して現在はコンクリート製の四角い建物になってしまっている。
台湾でも赤字ローカル線はずいぶんと廃止になってきているけど、この集集線は廃止を免れている。
しかし、近年また自然災害が発生して、水里までは列車が通じておらず、隣の集集駅までバス代行となっている。
そのことは事前にネット情報で確認していたが、駅で切符を買おうとしたら駅員さんが一生懸命に不通になっている事を説明しようとする。

高台の上の水里駅
[コンクリート駅舎になった水里駅]

窓口から出て来てスマホを使って自動翻訳でしてシャトルバスに乗るようにと示す。
そのことは承知の上で、切符を買いたかったのだけれど、「嘉義までの切符」と私が言うと、また列車は来ないからシャトルバスに乗れと伝えようとする。
親切は嬉しいのだけれど、私は代行バスで隣の駅まで行き、そこから列車に乗る事を承知で切符を買いたいのだという事を伝えるのにちょっと苦労した。

水里駅のネコ
[駅のトイレ前で寝ているネコ]

隣りの集集駅までの代行バスは満員で、こんどは座ることができなかった。
和男さん、和女さんともバスの通路に立ってもらわなくてはならない。
隣り駅までだから15分くらいのものだけれど、荷物を持って満員のバスに揺られるのは楽ではない。

バスと列車を乗り継いで嘉義に到着したら5時半過ぎていた。
台湾は公共交通機関が発達していて便利という事になっているけど、乗換えや待ち時間で時間が結構かかる。
嘉義で和男さんと和女さんは駅近くのメガ・ホテルというビジネスホテルに泊まっていただく。
私はお金を節約する意味で、近くの旅社「義興旅館」という所に宿をとる。
メガホテルの半額以下。
義興旅館と書いて英語ではYes Hotelという事になっているらしい。
昔ながらの旅社に泊まるのは久しぶり。

嘉義駅前の安宿通り
[嘉義駅前には昔ながらの格安旅社が健在]

和女さんは夜店街を歩いて買い食いがしてみたいという。
ホテルの部屋に荷を卸してすぐに夜店街へ向かう。
歩けない距離ではないけど、和男さんも疲れているだろうからタクシーで向かう。

向かった先の文化路観光夜市は台北の士林や華西街の夜市と比べるとずっとローカルでにぎやかさに欠けていて、観光客向けというより地元住民の夜店街と言った感じ。
和女さんは串焼肉を食べてみたいと言う。
前回タイへ来た時にムーピンという豚肉の串焼きを食べて、感動してしまい、また食べたいと思っているらしい。
他にもピザのような蔥油餅を焼く屋台に行列ができていたので、並んで買い求める。
焼き上がりは円盤型でピザそっくりだけど、生地のこね方はタイのロティによく似ている。
そして、焼きあがったものは一口サイズに切り刻んでしまう。
なんとなく韓国のチヂミやお好み焼きにも似た食感。
さらにワンタンメン(饂飩麺)も食べてみたいと言う。
夫妻は横浜にある台湾食堂へワンタンメンをよく食べに行くそうで、その店は行列ができる店なのだそうだ。
それで本場(?)のワンタンメンに挑戦したいらしい。
屋台ではなく、ちゃんと建物の中に入っている大衆食堂風の店に入ってみる。
店内はお客さんでいっぱい。
従業員はテキパキとお客さんをさばいているし、店頭では大鍋で麺を茹でたりワンタンを包んだりと活気がある。
私はワンタンメンではなく麻醤麺というゴマたれ風味のヌードルをいただいた。
麺が白くて腰があり、讃岐うどんと良く似た麺だった。

食後に「台湾に来たらマンゴーカキ氷よね」と和女さんが希望されるが、この季節はまだマンゴーが出回っていない。ネットで調べるとちょっと歩いた先にコテコテのカキ氷を食べさせる店があるようだけど、もう歩きたくないので、夜店街の中のカキ氷屋に入ってしまった。
これが大失敗。
どこも混雑している夜店街にあって、この店はがらんとしている。
店員もやる気なし。
私と和女さんは氷アズキを注文したのだけれど、私と和女さんとでアズキの量がまるで違う。
和女さんのアズキは普通よりちょっと少な目と言った感じ。
そして私のは、アズキがスプーンでひとさじ分くらいしか入っていない。
ほとんど、無味な氷だけをひたすら食べる感じで、ちょっと食べただけで嫌になってしまった。
やっぱり台湾でも繁盛していない店には入るものではないようだ。

12月14日(木)
朝の7時に夫妻と待ち合わせて朝食を食べに行く。
向かった先はホテルから歩いてすぐにある庶民向け朝食屋。
既に事前に下見をしてあり、この店が朝7時にオープンすることも確認済み。
特に行列ができ長時間待ち有名店という訳ではなく、確かに店の前には行列ができているものの、それは持ち帰り注文の人たち。
そんな店にオープンと同時に向かったのは、店内にテーブルが一卓しかなかったから。
その一卓と言うのも、もともと店内での飲食用と言うよりか、作業台みたいなそっけないテーブル。

家族経営と思われる店内では、豆乳を絞り、肉まんを包み、卵を焼き、客さばきをすると言った大忙しの様相。
注文したのは肉まん、饅頭、餃子、煎餅など、搾りたての豆乳も飲んだ。
繁盛するはずで、値段は安くておいしい。
私が豆乳と一緒に食べたいと思っていた油条は店のメニューに入っていなかった。

豆乳絞り機
[大豆から豆乳が絞られていく]

さて、待望の阿里山鉄道に乗るため駅へ向かう。
数年前の災害で、嘉義から阿里山までの本線は、途中の十字路という駅から先が不通になっている。
今回阿里山鉄道を利用する目的は阿里山に行くためではなく、ただ阿里山鉄道に乗りたいだけなので、阿里山へ宿泊せずに途中までの日帰り。
終点は十字路駅だけれど、十字路駅周辺には何もないとのことなので、少し手前の奮起湖駅まで乗車する。
奮起湖は小さいながら老街と呼ばれる昔風の街並みが残っており、最近は奮起湖弁当という駅弁が人気になっている。
和女さんも奮起湖弁当を食べたいと企画段階からリクエストをしていた。
朝9時、赤い小さな客車を連ねた阿里山号に乗り込む。
エアコン、リクライニングシートの観光列車。

阿里山鉄道嘉義駅ホーム
[鉄オタでなくてもみんな写真を撮ろうとする]

乗客は観光客ばかり。
ゴロゴロゴロと車輪がレールの上を転がる感覚がわかるような車体で、周囲の軒先をかすめるようにして嘉義の住宅街の裏側を走る。
最初の停車駅は「北門」のはずだけれど、工事中とのことで通過。
竹崎を過ぎると田園風景、そしてやがて山の中へと入って行く。
車内は満席。
この切符を予約するのには苦労した。
発売と同時にオンライン予約を試みたけれど、復路の切符しか取れなかった。
それがたまたま数日後にダメもとでオンライン予約に空席が出ていることを見つけて、慌てて予約した。
乗客の大半がツアー客みたいだから、きっと団体予約のキャンセルでも出たのかと思う。

車内の様子
[通路を挟んだ反対側の方が景色が良いみたい]

車内ではアナウンスも入る。
中国語以外に英語や日本語でも案内が流れる。
森林鉄道としての役目を半世紀も前に終えてしまった阿里山鉄道も、観光列車としてはまだまだ現役でいるようだ。
しかし、平日は一往復しか走らず、切符の入手が困難では、観光客の誘致にも限界がある。
せっかく人気があるのだから、もっと増発すべきではないかと思う。

独立山のループ線を登り、標高を上げていく。
私が初めて阿里山鉄道に乗ったのは40年前の1983年の夏。
観光列車ではなく、木造の客車を使った普通列車で、エアコンもなく、窓を全開にしていた。
そんな車窓から竜眼の実がたわわに実っている光景が印象的だったけれど、今回乗ってみて竜眼の木を確認できなかった。
途中駅でもたまにハイカーが乗り込んでくる。
しかし、満席なので通路に立っての乗車となる。

独立山ループ線
[眼下にさっき通過した集落が見える]

2時間半ほどで奮起湖に到着。
阿里山号はまだこの先の十字路駅まで行くけれど、大半の乗客が奮起湖駅で下車したので、小さな駅は人でいっぱいとなる。

阿里山号
[機関車は後ろで、客車が前]

早速「奮起湖弁当」の店へ向かう。
弁当で有名になったので、駅前には何軒もの弁当を食べさせる店が並んでいるけど、せっかくなので本家の奮起湖大飯店に入る。
ここが一番人気のようで、本業の旅館業より弁当で賑わっている。
店内は弁当を求める人、弁当を食べる人で満員。
私たちは屋上へ登って食べるように指定される。
弁当はもともと駅弁で、日本の駅弁とは違って労働者が食べるような弁当。
楕円形をしたアルミの弁当箱に飯を詰め、その上に肉や野菜の炒め物、味付け玉子が無造作に乗っかっているというもの。
特別に美味しいというほどではないけど、ブームになっていて、阿里山鉄道で来た人たちだけでなく、車で登ってきた人も多そうだ。
そうな人気弁当のせいか、お値段もちょっと高めの設定となっている。

奮起湖弁当
[アルミの弁当箱は食べ終わったら回収される]

奮起湖の老街を散策するべきだったけれど、坂の多いところで、人も多い。
ちょっと和男さんに歩いてもらうには厳しそうだと判断。
それに帰りの切符は奮起湖より先にある始発駅、十字路から買ってある。
ちょうどうまい具合に奮起湖から阿里山へ迎うバスが十字路を通るので、そのバスに乗って十字路へ向かうことにする。
阿里山鉄道では不通区間があって、阿里山まで登れないけど、バスだと所要時間も短く、運賃も半額ほどで阿里山に到達できてしまう。
阿里山鉄道で奮起湖まで来た人もここでバスに乗り換えて阿里山へ向かう人も多いようで、奮起湖バス停からはたくさんの人が乗りこみ、バスは満席になった。
30分ほど乗って、十字路バス停に到着。
ここで下車したのは私たち3人だけ。
嘉義へ戻る阿里山鉄道の出発まで20分ほどあるけど、駅はバス停から急な坂道を上ったところにあるので、それほど時間に余裕はない。
それでも、バス停前の雑貨屋で客家伝統の餅菓子を売っていたので購入する。
和女さんによると、和女さんが買おうとしたら、先客が大量に買い占めてしまって、ほとんど残ってなかったのよとのこと。
この客家の伝統菓子、草仔粿というそうで、芋やピーナッツなどの餡を餅で包んで蒸したもの。
味は餅の表面に油っ気があるけれど、薄味で美味しかった。

赤い機関車
[十字路駅]

十字路駅からは車内に空席が目立ったけれど、奮起湖からまた満席となった。
やはり途中の駅から時々ハイカーが‐乗り込み、また途中の駅で降りて行く。
線路に沿ってハイキングコースがあるのかもしれない。

車窓が楽しい
[たぶん平均速度は 20km/hくらいか、この鈍さが面白い]

嘉義へ戻ってきて、その足でそのままタクシーに乗って檜意森活村と言うところへ向かった。
ここは戦前の木造官舎群が残っており、そうした建物を利用した日本統治時代へタイムスリップしたような場所になっている。
元の官舎はカフェや土産物店などになっており、日本の浴衣などを貸し出して、記念撮影なんかもできるようになっているらしい。

檜意森活村
[日本情緒を演出しているけど、日本にはないだろうなこんなの]

すでに日没時間が近く、薄暗くなっていたけれど、敷地内を少し歩き、和女さんは木彫りをするための檜材が売っていないかと探されたけれど、適当なものが見つからず、代わりに土産としてハチミツを買われていた。

夕食には町外れに近い小籠湯包を食べさせる店へ行くことにした。
嘉義で一番うまい店として紹介されていた豆豆湯包という店。
そこまでもタクシーを利用したが、その運転手、我々が日本人だと知ってなぜか大喜び。
一生懸命説明をしようとするし、車内で日本の懐メロ風歌謡曲を流したりする。
なんでそんなに歓迎されているのかよくわからないけど、嫌な気分ではない。
降りるときは運賃を5元値引きしてくれた。

豆豆湯包は人気店らしく、行列ができていた。
素直に行列に並び、順番が回ってくるのを待つ。
その順番もすぐには回ってきそうにないので、和夫妻に並んでもらい、私は列から離脱した。
離脱の目的は紹興酒を買いに行きたいから。
小籠湯包と一緒に紹興酒が飲みたいと思っている。
しかし、店の周辺を回ってみるけれどどこにも紹興酒は売っていない。
紹興酒とよく似た「黄酒」を置いているコンビニはあるけど、紹興酒が欲しい。
でも、探し回ってあんまり和夫妻を待たせても心細いだろうから、途中で紹興酒探しをあきらめる。

豆豆湯包は間口は狭いけれど、店の奥が倉庫のように広い空間となっており、そこに素っ気ないテーブルが並んでおり、みんな小籠湯包を食べている。
和夫妻は酸辣湯も注文。
醤油や酢、針生姜はセルフサービス。
湯気の立つ小籠湯包はあっさりとした薄味で美味しい。
と、食べている途中で大失敗。
小ぶりの肉まんに齧りついたら薄皮が裂けて、中のスープが弾けだしてしまった。
ズボンには小籠湯包のスープがシミを作っている。
あっさり味だけど、豚の脂が含まれているだろうから、履いているズボンの上から飲料水をかけてシミ取りを試みる。
今回の旅行で替えのズボンを持ってきていないので、小籠湯包のスープと水でズボンがビショビショになっているけど履き替えることもできない。

豆豆湯包は町はずれにあるため、駅前のホテルへ戻ろうにもタクシーが捕まえられそうにない。
路線バスの方が確実かと思いバス停までしばらく歩く。
その途中で酒屋を見つけたけれど、最初に入った酒屋にも紹興酒は置いてなかった。
2軒目に入った店ではかろうじて紹興酒の瓶を見つけたけれど、それは貯蔵期間の短い普及品の紹興酒。
私としてはせっかくなので、少し寝かせてある陳年紹興酒を飲みたかったのだけれど、陳年は置いてないとのこと。
店の主人は、息子らしい若主人に「日本人は紹興酒が‐好きだから」と説明しているのが聞こえた。
本当に今の台湾の人は紹興酒を飲まなくなってしまったようだ。

バスに乗る前、和女さんはスーパーに立ち寄って、キクラゲを土産用にと買い込まれた。
日本ではキクラゲが高級品で高いけど、台湾では安く手に入るとのこと。
タイでもキクラゲなんかは安食堂の野菜炒めにも入っているくらいの食材。
キクラゲが南国の特産品だからか、それとも中華食材だからなのかわからないけど、キクラゲが土産として喜ばれることを初めて知った。

バスの中はネコだらけ
[市内バスの車内、なんでネコなんだろ]

[つづく]

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