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台湾一周旅行①
12月11日(月)~17日(日)にかけての一週間、台湾へ行ってきた。
コロナ後にも何度か台湾へ立ち寄っているけれど、本格的に旅行したのはこれが最初。
今回の旅費は同行の5Linesさん(仮名)夫妻が全額負担してくださっているので、私はその分を案内役兼荷物持ちとなる。
しかし、5Linesさんでは、なんだかしっくりこないので、ご主人を和男さん、奥さんを和女さんとさせてもらうことにしよう。
もちろんこれも仮名。

夫妻とは成田空港での待ち合わせ。
私は始発電車で向かったけれど、横浜からリムジンバスを利用されてきた夫妻の方がずっと先に到着されていて、私が成田に着いた時にはすでにチェックインまで済まされていた。

空港バス
[午前6時過ぎには東京駅からバスに乗っていた]

台北まで夫妻はビジネスクラス、私はエコノミーなのだけれど、メンバーの特権でラウンジが利用できる。
しかも、ファーストクラス用のラウンジ。
だけど中華航空はちょっとしけてて、私と一緒のラウンジを利用できるのは同伴一名までとなっているそうで、三人一緒にファーストラウンジは使えないそうだ。
もっとも、成田空港の中華航空ラウンジではファースト用では食べ物などをテーブルに係が運んできてくれるサービスがあるくらいで、食べ物のメニューはビジネス用と何ら変わらない。
むしろ自分の目で見て好きなものを好きなだけ皿に盛ってくることのできるバイキング式の方が私の好みにあっているとも言える。
好物の稲荷寿司を食べ、紹興酒や生ビールもいただく。

台北までの4時間、機窓から富士山が少し見えたり、映画「ラーゲルより愛を込めて」を見て過ごす。
夫妻の席への行き来ははばかられたのだけれど、後で聞いたら機内食で「中華と洋食のセット」を希望したけど、品切れで和食になったとのことだった。
朝早い便だからか機内では半分くらいが日本人だった。
こんなに日本人の多い飛行機は久しぶりな気がする。

台北、桃園空港に到着し、優先レーンを使わせてもらったので、スムースに入国。
更にそのまま台中行きの高速バスにも好接続。
和女さんはこのバスが気に入られた模様。
3列シートだからゆったりしているし、乗り心地も良い。

今夜は台中で一泊。
ホテルはパークシティーホテルというビジネスホテル。
荷物を降ろして、さっそく街歩き。
和男さんは最近だいぶ足腰が弱くなってしまって、あんまり歩けない。
台湾の街も以前と比べて随分とモダンになってきているけど、ホテル周辺は街の中心に近いとはいえ、まだまだ古い建物も多い。
そうした場所では歩道が歩きにくい。
段差は多いし、バイクが歩道をふさいでいたりする。
注意しながら歩いていたつもりだけど、和男さんが転んでしまった。
脛を打ってしまったようだけれど、「大丈夫」と言う。
それからは段差があるごとに手を取るようにして歩く。

和女さんが足つぼマッサージを受けたいという。
台中駅へ向かっている途中でマッサージ屋を見つけたが、マッサージ師が一人しかいないという。
和男さんは私と同じ体質でマッサージが好きではないから、マッサージ師が一人しかいなくても、自分は待っているから構わないという。
しかし、マッサージ屋の看板には「足裏マッサージ」と書かれていたけれど、このマッサージさんは足裏はできないという。
それでもせっかく来たからと和女さんは全身マッサージを受けることにする。
その間に私はひとり台中駅へ走って、こんかいの台湾旅行で乗る電車の切符を受け取りに行く。
電車の予約と支払いはすでにインターネットで済ませてあったので、窓口で受け取るだけ。

切符も受け取り、マッサージ屋へ戻って、また3人で台中駅まで歩いてみる。
好奇心旺盛な和女さんは新しくなったモダンな台中駅に興味津々。
大きくてすごいという。
そんな駅のコンコースから夕陽が見えた。
夕陽の写真を撮っていたら「何しているんですか?」と日本人の男性グループに声をかけられた。
夕陽が綺麗だから写真を撮っていたんだと答えたけれど、こんどは「あっ、テレビかなんか、この方は女優さん?」などと言ってくる。
なんか、随分となれなれしい男性たちだけれど、和女さんはニコニコ。

台中駅での夕陽
[尖がり屋根は旧台中駅の時計塔]

夕食は台中駅近くの「宮原眼科」という店で予約してある。
ここは台中の観光名所にもなっているところで、1階はお菓子を売る店、上の階はレストランになっている。
台湾土産で人気のパイナップルケーキで成功した「日出」という企業が、戦前の建物を改装したものなんだそうで、戦前は宮原眼科と言う本当に眼科医の建物だったらしい。
以前にもちょっと立ち寄ったことがあるけど、大きくて高級感のある菓子屋で観光客であふれており、店の周辺でもアイスクリームを食べている人がたくさんいた印象が残っている。

今回来てみると、店内はクリスマスの装飾であふれていた。
以前の印象と異なり、店内の広さはそれほど広いとは感じなかった。
上の階に通されてテーブルに案内される。
日本人客も多いのかメニューは日本語も用意されているし、スタッフにも日本語で通じる。
前菜から選び始めて、魚料理、鶏料理、豆腐料理、それにチャーハンなどあれこれと注文してしまう。
だいたいどれも一品が300元くらいのものばかり。
特別豪華なメニューは注文していない。
基本は台湾料理らしいけれど、創作料理的な感じも受けるし、盛り付けも洒落ている。
店内の印象やスタッフの服装も金色と赤のコテコテな中華料理屋とは違って、西洋料理の店のようなスマートさがある。
来店客は普段着のままの人が多い。

宮原眼科
[クリスマスの雰囲気を出している宮原眼科]

料理の味の方は、超美味で感動と言うほどのことはなく、味付けはあっさり系で、麻婆豆腐などもあんまり辛くなかった。
それよりも、料理を注文し過ぎて、デザートなどを注文することができなかった。

2日目、12月12日。
朝食会場はホテルの2階でバイキング。
料理の種類は充実している。
会場内には日本人が半分くらい占めている。
若い学生風が多いので、聞いてみたら大学の研修旅行で滞在しているそうだ。
タイだったら卵をオーダーで料理してくれるコーナーがあったり、ヌードルを茹でてくれる模擬店風があったりするけど、ここでは料理が綺麗に並んでいるだけ。
台湾に来たら棍棒みたいな油条を豆乳と一緒に食べたいと思っていたけれど、このバイキングの中に油条はラインナップされていなかった。

8時過ぎにホテルを出て、埔里へ向かうため駅前のバス停からバスに乗る。
バスは埔里経由の日月潭行き。
観光ルートを走るバスで、途中で新幹線の台中駅にも立ち寄る。
乗車したときは空席があったけれど、新幹線の台中駅で満席となり、積み残しも発生。
乗客はほとんどハイキングルック。
平均年齢は比較的高くて夫婦ものが多い。
平日の火曜日に遊びに行こうというのだから、仕事をしている世代が乗っていないのは当然かも。

埔里からは今晩の宿を通じて車を手配してある。
一日借りて、5,500元。
ちょっといい金額。
ドライバーは王さんという退役軍人。
日本語はわからない。
聞けば外省人で両親は山東省から台湾へ渡ってきたのだそうだ。

こちらの希望ルートは埔里から武界、萬大、霧社、武陵、合歓山、清境農場、蘆山温泉、宿と回ってもらうように伝えてあった。
車はレクサスのSUV。
新車ではなく、あちこち傷が付いているけど、ドライバーの王さんの自慢の車らしい。
台湾は高級車に乗っている人の割合が日本より高いような気がする。

埔里の街から武界へ向かう途中、王さんはなんどか車を止めて道を尋ねたりしている。
どうも武界へ行ったことがないようだ。
私も武界へは足を踏み入れたことがない。
しかし、武界へは一度行ってみたいと思っていた。
山地民の蜂起事件である昭和5年霧社事件よりさかのぼって、領台初期のころ日本官憲の策動により霧社のセイダッカ族が当時カンタバンと呼ばれていた武界のブヌン族により多数殺害された事件があった。
姉妹が原という場所におびき寄せられた未帰順のセイダッカをブヌンが襲撃したもので、日本官憲によりブヌン族を使ってセイダッカの勢力を削ごうとしたもので「毒をもって毒を制する」とされた。
その武界は交通の便が悪くて、一度行ってみてみたかったけれど、ずっとかなわなかったけれど、こんかいやっと行けることになった。
和男・和女夫妻には、武界に行くとこの季節に川の苔が紅葉して川が赤く見えるらしいと言って誘ってあった。

埔里から武界へは舗装こそされているけれど急な峠道。
峠を越えて下り坂となり、あと少しで武界というところで和男さんが車酔いをしてしまった。
車を止めてしばし具合が良くなるのを待つ。

武界の濁水渓では苔の紅葉がまだ始まっていなかった。
そして、この先で道路工事をしているので萬大方面へは通行止めとなっているとのこと。
せっかくここまで来たけれども、ふたたび同じ道を埔里へ向けて引き返す。
戻り路でもまた和男さんは酔ってしまい、埔里へ戻ったところで薬局に立ち寄って酔い止めを買う。
和女さんはあちこちにあるビンロウ売りに関心を示して、ビンロウを作っているところを見てもらう。
好奇心にあふれているということは、若さを保つ秘訣かもしれない。

武界の橋より
[濁水渓の紅葉はまだ早かったようだ]

だいぶ時間をロスしてしまった。
埔里から霧社へ入った時には、もう12時を回っていた。
霧社の町の簡易食堂で、簡単な昼食を済ませたいと思っていた。
学生のころによくここの簡易食堂で玉子チャーハンと豆腐のスープを昼食に食べたものである。
あれは霧社飯店というなの店だったように記憶している。
その店はすでにないが、隣の名蘭飯店はまだGoogle Mapに表示されている。
そこで玉子チャーハンと豆腐のスープを食べてみたかった。

しかし、名蘭飯店のシャッターは閉まっていた。
似たようなほかの店でも構わないと思ったけれど、ドライバーの王さんはこの先に安くていい店かあるからそこへ行こうという。
霧社を過ぎるとリゾートのような場所ばかりで、大衆食堂のような店は周辺に集落がないこともあって、ありそうにない気がする。
そして車が止まった店は、私の志向するような大衆食堂ではなく、観光客向けの飲食店。
伊拿谷景観餐飲天。
王さんの知り合いの店らしい。
大きな水槽には鱒が泳いでおり、最近このあたりで名物としてどの店でも看板にしている甕缸鶏という甕焼きローストチキンの甕が並んでいる。
景観餐飲と言うだけあって、テラスに出ると春陽や蘆山の集落が眼下に見える。
しかし、テーブル席からは景観など何もない。
メニューを見たが、昨晩の宮原眼科とほぼ同じくらいの価格帯が並ぶ。
そのなかでもなるべく低価格の料理を選んだら、切り干し大根のオムレツ、キャベツ炒め、豆腐のスープなどとなった。
他のテーブルは、鱒やチキンを盛大に食べている。
店の人や王さんも進めてくれたけど、頑として簡単なものだけを注文。
和男さんにも和女さんにも、この手のメニューは好評だった。

食後はさらに山へ登っていく。
薬が効いているのか和男さんの車酔いは止まっているようだ。
このあたりは民宿と呼ばれる宿泊施設が多い。
民宿と言っても日本の民宿とはだいぶイメージが違う。
高級ペンションと言った感じ。
なかでもイギリス・チューダー様式のまるで貴族の館のような宿泊施設なんかもある。
その辺のホテルなんかよりずっと値段も高いようだ。
ほかにもヨーロッパ風やスイスの山小屋風など台湾とは思えないような宿屋が並ぶ。
昔からこのあたりは風光明媚で、観光客に人気があったけれど、宿泊施設はあんまりなかった。
それがいまや一大リゾートになっている。

松岡、翠峰と登り、標高は2,000メートルを超えたところで、霧に包まれて視界が悪くなった。
合歓山からの絶景を和男さんと和女さんに見せたいと思っているのに、まったく真っ白の世界になってしまった。
標高が高くなってきているので、周囲の木々も針葉樹が目立ってきた。
道は一車線のところもあったりするけど、対向車も多い。
大型バイクで登っている人もいれば、自転車の人もいる。
車はやはり高級車が多い。
鳶峰あたりまで来たら雲の上に出たのか、霧は消えて青空が広がった。

青空
[雲の上に出たら空が近くなった]

台湾山脈の山岳美。
一大パノラマが見渡せる。
前方には荒々しい山肌を見せる奇莱山が聳え、また道はこんもりとした三角形の峰が続く合歓山へと横一文字、少し斜めに切り込みを入れたように続いているのが見える。
空は青く、透明感があり、太陽が白銀色の光を放っている。
空と言うより手を伸ばせば宇宙空間に届いてしまいそうだ。

奇莱峰
[荒々しい山肌を見せる奇莱峰]

午後3時前に合歓山の駐車場に到着。
標高は3,000メートルを超えている。
空気が薄いためか和男さんは展望台への階段を登るのにも苦しそう。
和女さんは元気で、階段も楽々。
展望台からの絶景を楽しんでもらった。
下界は雲海に包まれて、一面の銀世界。
この景色を見せることができて良かった。

山岳美
[下界には雲海が広がっているのが見える]

標高が高いので、日影に入ると寒い。
風も冷たい。
12月なんだから当然で、ここでは雪も降る。
かつてはスキー用のリフトまであったけれど、地球温暖化のせいだろうか、最近はほとんど雪も降らないらしい。

山から下りる途中で、和女さんが烏龍茶をお土産に買って行きたいという。
このあたりは高山茶の産地。
品質の良いお茶が栽培されている。
茶畑も多いけれど、むかしと比べると茶畑が減って果樹園が増えているように感じられる。

松岡あたりまで来るとお茶を売る店がポツポツと現れてきて、そのなかの一軒に立ち寄ってみた。
若い奥さんが点茶をたててくれて、烏龍茶の入れ方や飲み方を説明してくれる。
すこし日本語もわかるようで、高校生の時に勉強したという。
お茶の葉はくるくると丸めて正露丸の粒のようになっているけれど、これをお湯に浸すと開いてきて、きれいな茶の葉に戻る。
もどった葉は欠けているところもない。
手作業で一粒ずつ作っているのだそうだ。
そのぶん値段も高い。
このあたりの霧社高山茶と山の裏側にある梨山のお茶の二種類を和女さんは買われた。

烏龍茶
[烏龍茶は香りも大切]

蘆山温泉まで来た時にはもう夕方5時半近くになっていた。
この夏に蘆山温泉はまたも大水害に襲われて、川沿いは壊滅的な被害を受けていた。
以前から蘆山温泉は温泉街の閉鎖が決められており、移転して廃業した宿が目立っていた。
さらに追い打ちをかけるようにコロナで私の定宿だった蘆山園も廃業。
コロナ後も残っていたのは殆どなかったところへ大水害で、温泉宿の建物ごと押し流し、水没させてしまった。
写真や動画などでその様子は見てきたけれど、実際の眼前に展開する被災した様子を見たらば悲しくなってしまった。
私が通っていた蘆山温泉もとうとう止めを刺されてしまった感じである。
そんな中で、吊り橋のたもとで粟餅を打売っていた店は、まだ廃業もせず、いつ来るかともわからない観光客を待って店頭で粟餅を並べていた。

水害の爪痕
[土砂を埋め尽くしてしまった]

さて、今夜は温泉のある宿なので、温泉で暖めた紹興酒を飲みたいと思って、山から下ってくる途中でコンビニに立ち寄ったけれど売っていなかった。
寂れてしまった蘆山温泉でかろうじて店を開けている土産物屋兼雑貨屋で聞いてみたけれど紹興酒は置いていないという。
これはどういうことだろうか。
ここ南投県は台湾で一番の紹興酒を産する土地。
しかるに、売られていない。
紹興酒を買えずにそのまま宿へと向かう。

今夜の宿は戦前には桜温泉と呼ばれたところで、タロワン大地を下ったところにある森之秘湯というロッジ風の宿。
山の斜面にロッジ式の建物が点在していて、フロントやレセプションなどと言ったものはない。
ドライバーの王さんは勝て知ったるが如く私たちを道端のコテージへ案内した。
そこには宿の従業員だという林さんと言う男性がいて、「夕食は6時半まで」という。
時刻はすでに6時を回っている。
そして、食事はこの先の谷の方へ歩いたところだという。
しかし、すでに夕闇の中で、道は真っ暗。
食事は温泉から出た後でと考えていたけれど、急がなくてはなるまい。
ドライバーの王さんが食事場所まで車で送ってくれるという。

夕食場所には先客が2組いた。
そして夕食のメニューは鍋。
台湾の流儀で、鍋は一人鍋が、私たち3人に3つの鍋が用意されている。
私は失礼して缶ビールをいただくことにする。
3人で食事をしていると一人の老人が現れて日本語で話しかけられた。
昭和5年生まれで、長く電力会社で働いてきたという。
日本語はしっかりしており、また年齢とは思えないくらい話し方もしっかりしている。
先年図書館で転んで足を怪我してから、歩くのが困難になったとも言っていた。
その老人が和女さんの年を聞いて、「信じられない、そんな年には見えない、いゃ、とってもかわいいのに」と言うものだから
和女さんはまたまた上機嫌。
台湾に来て女優と言われたり、アイドルみたいにかわいいと言われたり、、、

宿舎は二棟続きのコテージで、リビングがドア一つでつながっている。
2階建てで1階にはリビングとバスルーム。
2階が寝室になっている。
とても広くて私には贅沢すぎる空間。
お風呂も巨大で、ちょっとした旅館の浴場くらいあり、数人が一度に入浴できるくらい。
ここの湯は、2種類あって、真夜中までは赤い色をしたお湯で、夜中過ぎからは透明な湯に変るそうだ。
赤い湯は鉄分でも入っているのかよく温まり、温泉に浸かったらまたビールが飲みたくなって、食事場所に併設されているキッチンまで真っ暗な中を缶ビールをもらいに行く。

森之秘湯の部屋
[こんな部屋に一人で占有するなんて身分不相応]

つづく


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