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岩さんとプラチュアップキリカン
7月23日・24日、週末を利用して岩さんとプラチュアップキリカンへ行ってきた。
このブログ、実は書き直し版。
ほんとうは、かなり熱入れて長文のモノを書いていたのだけれど、ブログをアップする直前にディスクの空きがほとんどなくなっていることに気が付いて、ディスクの不要ファイルを一斉に削除したつもりだった。
それが、どうもボケていたようでアップ予定のブログ原稿まで完全消去してしまった。
もう8月も数日で終わるし、内容も7月のことだから、もうなかったことにしようかとも思ったけれど、今月分をまた書き始める気にもならないので、もう一度書き直してみることにした。

プラチュアップキリカンマナオベイ海岸
[プラチュアップキリカンの海岸]

このところこのブログにしばしば登場している岩さんも、7月末で帰任となり、バンコクを離れることになっていた。
以前から「タイでどこかオススメないですかね」と言われて、プラチュアップキリカンを推薦してきていたが、いまだに行けていないようなので、最後に一緒に行くことにした。
岩さんは以前より第二次大戦で日本軍のマレー半島上陸にこだわって、ソンクラーなどへ行ってきているようだが、どこにも記念碑とか資料館とかがなかったとぼやいていた。
そこで日本軍上陸ポイントで最北端に当たるプラチュアップキリカンには、記念碑かあると話したところ、行く気満々になっていた。

私は、以前ネコと一緒にプラチュアップキリカンヘ海水浴にやって来ていた。
海は静かで、景色も良く、街自体も気に入っていた。
数年前にバンコクからピサヌロークへ生活の拠点を移してからは、なかなか行く機会がなくなっていた。
何と言ってもピサヌロークからだとプラチュアップキリカンまで700キロもある。
それから、去年になってバンコクへも出ってからも、プラチュアップキリカンとは縁遠いままになっていた。
行きたいけど、行く勇気がなかった。
プラチュアップキリカンにはネコとの思い出がたくさんありすぎて、そこへ一人でノコノコと海水浴に行く気になれなかった。

朝早くバンコクを車で出発。
ペッカセム国道を南に向かう。
途中にはフアヒンへ行く観光客目当ての土産物を売るドライブインが目に付く。
ドライブインの中でも、タイの菓子を売る店が多い。
特にラチャブリ県はタイの菓子が有名なようだ。
私は菓子などあんまり食べたいとも思わないが、岩さんは甘党なので菓子に興味があり、大きなドライブインに立ち寄ってみる。
岩さんは菓子が好きと入っても、タイの菓子にどんなものがあるのかよくわかっていない、そこで私のお勧めであるモーゲーンというプリンのようなものを試食させてもらう。
そうしたら、一口食べただけで「こりゃあ旨い」と言って何箱も買い求めていた。
日本への本帰国まであと1週間ほどなのに食べきれないのではないかと思うほど買っていた。

他にも、果物にも目がなくて、途中でマンゴーを売っている露店が並んでいるところにも立ち寄った。
もうマンゴーの季節は終わっているはずだけれど、あるところにはまだあるようで、いろいろな種類のマンゴーが売られていた。
岩さんは果物好きで、当然マンゴーも好きなようだけれど、普段の買い物はバンコク市内のスーパーで済ませていることもあり、マンゴーといったらナムドクマイ種くらいしか食べたことがないらしい。
そこで、私はここでも"R2E2"という種類のマンゴーをお勧めして、試食してもらう。
これも気に入ったようで、いくつも買い込まれる。
R2E2と言うのは、たぶん近年出回り始めた種類で、まん丸くて赤いのでリンゴによく似ている。
そして、ここで売られているのは大粒ばかり。

昼にプラチュアップキリカンに到着。
宿はハードトーンという大きくて古いホテル。

ハードトーンホテル
[ハードトーンホテル]

もう何十年も前に作られたらしいデザインで、そしてリノベーションもほとんどされていないから、ロビーとかは古めかしく、部屋の中の調度品は相当に朽ちかけている。
それでも、宿泊料は私が泊まる宿としてはかなり高めの1,200バーツ。
たぶん、ひとりで来たらばこんな高い宿には泊まらないだろうけれど、このホテルは何といっても本当にオーシャンフロントで、特に朝焼けの景色が素晴らしいので、それを岩さんに見せたいと思っていた。

チェックインを済ませてすぐに昼食に出かける。
岩さんはバンコクの駐在員男性としては珍しく日本食に固執していない。
タイ料理、それも庶民価格のモノを好むので、その点で私としてはありがたいのだけれど、このプラチュアップキリカンでは、その意向に反して日本食の店に入ってみる。
店の名前は「富士山」。
経営者は最近までバンコク市内で日本食屋を出していた日本人で、バンコクの店を閉めて、タイ人の配偶者の故郷で新しく商売を始めたそうである。
私が注文したのは「カツ丼」。
ふだん、豚肉など極力食べないのだけれど、カツ丼だと食べたくなってしまう。
値段は140バーツほどと、これまた私の食事予算としては大幅にオーバーしているけれど、日本人の店なら通常価格といえそう。
丼物ではあるけれど、ボリューム的にはタイ人向けに少なめにしている感じ。
また、箸だけではなくレンゲを付けてくるところもタイ人向けらしい。
こんな田舎町で、この価格では商売が厳しそうに思うところだけれど、店内はほぼ満席の盛況。
家族連れでやって来て、テーブルいっぱいに料理を並べている。
我々のように寂しいテーブルは見かけない。
タイの人たちは、田舎であっても持っている人は、やっぱり持っているようだ。
岩さんはプラチュアップキリカンへ来る途中で買ったマンゴーを店の従業員に頼んで切ってもらい、食後のデザートとした。

昼食後、さっそく空軍基地内の日本軍上陸ポイントへ向かう。
プラチュアップキリカンでは1941年12月8日に日本軍が上陸。
ほんとうはタイ政府は日本軍のタイ領内通過を了解しており、上陸しても問題なかったはずだけれど、タイ国内の連絡不徹底で、上陸してくる日本軍とタイ側の軍と警察とで戦闘となってしまい多くの死傷者を出している。

戦闘記念碑
[戦闘記念碑]

その後、遅れて停戦命令が届き、お互い仲良くするということになっているところを石に刻んだモニュメントで示している。

ここには資料館もあり、入場料までしっかりとられたのだけれど、展示品は大したものはなかった。
あるのは、写真パネルと年表のようなものだけで、どのような戦闘だったかを伝える資料はほとんど見つけられなかった。
今回資料館を見て理解したことは、日本軍の上陸は、この空軍基地の先にある岬を挟むように、北側のプラチュアップキリカンの市街地と南側のマナオ湾側の二手に分かれて上陸作戦が行われたということくらいであった。

その岬の突端にはロムムアク山と言う急峻な山がそびえている。
年に何度か一般にも開放されて、登山ができるらしいが、クサリを使って這い上がるなど、なかなかハードな山らしい。
一度挑戦してみたいと思っているが、まだその機会を得ていない。

ロムムアク山の麓にオナガザルが生息している。
このオナガザル、なかなか珍妙な顔つきをしている。

オナガザル
[オナガザル]

岩さんもこのサルにはいたくお気に召したようで「オバQみたいだ」と喜んでいた。
ここのオナガザルたちは、気性もおとなしく、おっとりしている。
タイでよく見るカニクイザルとはまるで違う。
カニクイザルたちは、まったくエテ公と呼ぶのがふさわしいチンピラみたいな連中だけれど、オナガザルは愛嬌のある顔も然りで、性格が良さそうだなと感じさせる。

オナガザル
[オナガザル]

せっかく海に来たので、マナオ湾のビーチで泳ぐことにする。
ビーチには海水浴客は多くなかった。

波は穏やかで、泳ぎやすいが、雨季ということもあり海水の透明度は低い。
乾期などだと、透明度が高くて、魚が泳いでいるのが見えるほどだけれど、この日は一匹も魚を目にすることができなかった。
遠浅なので沖に向かって泳ぎ、ようやく海底に足が付かなくなるくらいのところで、仰向けになって浮かんだり、クロールで抜き手を切ってみたりする。
以前は、このマナオ湾のはずれにある岩場まで泳いで往復で来ていたけれど、体力が落ちているのか、とても岩場まで泳いでたどり着けそうにない。
岩場の近くまで行くと、巨大なウニが海底で針を動かしているのがたくさん見れたものだ。
このウニに気づかず、足にウニの棘を刺したら大変なことになるなと、以前は恐怖を感じたものだ。

マナオ湾
[海水浴場前のモニュメント]

海岸から離れたところで一人で泳いでいいるのは、海を独占しているようで気持ちがイイ。
弧を描く海岸線には椰子の木があり、プンプカと浮かびながら景色を眺めるのも悪くない。
しかし、嫌なのはモーターボートが時々行きかうこと。
向こうはまさか沖合で泳いでいるものがあるとは思っていないようで、エンジン音を響かせて、突っ込んでくる。
こんなのに巻き込まれたら洒落にもならないので、エンジン音が聞こえたら、緊張する。

岩さんは、全く泳ごうとされなかった。
波打ち際で、パチャパチャとはされていたようだけれど、泳いでいる姿は見かけなかった。
聞いたら、海でシュノーケルとかはするけど、泳ぐなんてことはしないのだそうだ。
それでも、高校のときは遠泳をやらされていたというから、泳げないというわけではなさそう。

泳がない岩さんを海岸で待たせっぱなしも悪いので、海から上がって、海岸沿いにあるミニ動物園へ水着のまま歩いていく。
ここにはヤギ、ダチョウ、シカなどが飼われていて、入園料はかからないが、動物たちのエサを買って与えることができるようになっている。
空軍内の施設なので、エサ売りを担当しているのも兵士たちである。
軍の中には動物園担当の小隊でもあるのかもしれない。
エサは固形のエサで、ダチョウもシカも同じものをもらって食べている。
岩さんはこの手のものが好きらしく、早速エサを買い与えている。
私は、この動物たちにエサを買い与えたいという気持ちがない。
要は、ケチなだけで、餌付けはしたいけど、お金は出したくないだけ。
私は地面に生えている雑草を引き抜いて、ダチョウやシカに与えてみた。
歓喜して食べてくれる。
乾燥した固形のエサよりも、緑色した天然ビタミンのある雑草の方が旨いのだろう。

ダチョウ
[ダチョウ]

ダチョウは、食べ方に節操がない。
差し出した葉っぱを突くようにして食べる。
あの長くて大きな頭がミサイルのように突っ込んでくるので、私の指先までもぎ取られてしまうのではないかと恐怖を感じさせる。
もっと、おとなしく、ゆっくりと食べてくれればいいのにと思う。
これは鳥たち全体に共通する習性なのかもしれない。
そのダチョウも、身体の羽が抜け落ちて、みじめな状態になっている。
ストレスによる脱毛症なのだろうか?

脱毛症
[シカたちとの生存競争によるストレスが原因かな]

宿の前には海岸線に沿って道路が伸びており、遊歩道も付いている。
海岸通りと言っても行き交う車はほとんどなく、静かで良い。
その海岸通りには何軒もの食堂や小さな宿屋が並んでいる。
食堂は海辺ということもあって、シーフードを並べている店が多い。
砕いた氷を敷いた台の上に魚や貝、エビなどが並んでいる。
バーベキューのようにして食べさせる店もあるし、タイ料理の炒め物やスープを作る店もある。
そんな中で、シティーシーフードという少し大きな店に入る。
店自体は、そんなに大きな建物ではないが、店の前にずらりとテーブルをたくさん並べている。
そのテーブルが満席となるほどの盛況ぶり。

岩さんは辛い料理が食べられないので、辛くないものを中心にオーダー。
だいたいどれも一品100バーツから150バーツ程度。
シーフードとしては手ごろな料金。
注文したものは、イカフライ、タイのさつま揚げと言った感じのトートマンプラー、カキの入った玉子焼きなど辛くないものばかり。
しかし、私としては辛いものも少しは食べないと、ビールの味が落ちるので、ヤムウンセンも追加する。
ウエイトレスが「唐辛子抜きだよね」と念を押すので、「いや、唐辛子入れてよ」と答えた。

出てきた料理は、いったいなんにも前なのかと思うような大皿に盛られている。
私はビールも軽ーく大瓶を飲み干した。
料理の味は良い。
が、ヤムウンセンはなかなか出てこない。
忘れられたのかな?
もう満腹だから忘れてもらってもOKなんだけどと思った頃にヤムウンセンが運ばれてきた。
それも超山盛り。
大皿からはみ出すくらい。
しかも、ものすごい量の唐辛子が入っている。
もう一本ビールを追加してヤムウンセンに挑むけれど、食べても食べても、まったく氷山の一角。
それにやたらと辛いので、ビールばかり飲んでしまう。
そのためますます腹が膨れて、とうとう三分の一も食べられずに残してしまった。
自分としては、食べ残しなどめったにしないのだけど、今回はギブアップ。
会計の方はこんなに食べたのにと思うくらいに安かった。

夜の海
[夜ホテルから海を眺めたら漁火が見えた]

<hr>

翌朝、5時半くらいから朝焼けが見え始めた。
ベランダにイスを持ち出して空の色が変わっていくのを眺める。
沖の方からは漁を終えた小舟が、戻ってくる。
シルクのような海にナイフを入れて切り裂くように、まるでジッパーのように小舟を頂点として、左右末広がりに波が伸び行く。

夜明け
[静かな夜明け]

たぶん隣の部屋のベランダでも岩さんはこの景色を見ていることだろう。
この老朽大型ホテル、この朝の景色だけで1200バーツを奮発する価値があると思う。
なお、まったく海の見えない裏部屋はシティービューということになっていて、100バーツ安い1100バーツ。
ということは、この景色の価値、本当のところは100バーツなのかもしれない。

入船
[入船]

100バーツでも、1100バーツでも、どちらにしろ夜明けのこの景色が見れてよかった。
天気予報では、南シナ海で台風が発生してベトナムに上陸したので、その影響で雨が降り続くとのことであったけれど、昨日も雨に降られることもなく、今朝もしっかりと日の出を拝ませてもらえた。
残念なのは携帯電話のカメラ機能が高くないので、写真には感動まで写すことができない。

日の出
[日の出]

この老朽ホテルで唯一リノベーションしているように思えるのはプール。
大きいプールではないけれど、きれいなプールがあり、朝食前に泳いでおきたいと思ったが、まだプールの係員が来ないので泳げないとのこと。
たぶん7時半ころには来るだろうといわれ、それまでホテル裏の公設市場をのぞいてみる。
私はふだん自炊をしているので、週末には市場で野菜などを買いだすことにしている。
今回はプラチュアップキリカンへ来ているのでいつもの買い出しができないので、そのぶんここで野菜を買っておこうと考えた。
地方ならば地場の新鮮野菜が安く手に入るのではないかと期待をしていたが、売られている野菜類はそれほど良い品ではなかった。
たぶん、良いものはバンコクへ送られてしまうのだろうか?
それに値段もバンコクの市場より高く感じた。
ひょっとして、このあたりではあまり野菜を生産していないのかもしれない。
野菜はダメだったが、魚は新鮮だった。
プラオーとよばれるカツオ、マナガツオ、カマスなどみんな澄んだ目をして、今にも跳ね上がりそうだ。
でも、魚はバンコクまで持ち帰れない。
市場の中でココナツの砂糖を見つけたので一袋購入。

プールは小さいながら深いところは水深2メートルもあり、水もきれいで気持ちよく泳げた。
係員云々と言われてたけれど、プールサイドに係員の姿など見かけなかった。
私以外にだれも泳ぐ人はいないようで、私一人のために係員は出てこないのだろう。

プール
[宿で一番新しく見えるプール]

朝食も楽しみであった。
以前ここへ泊まった時は、朝食ブッフェにも感動した。
特別豪華なメニューがあるわけでもないけれど、何種類も並んだ惣菜はどれも美味しかったと記憶していた。
辛いものが苦手な岩さんには、辛いタイ料理の惣菜ばかりでは朝から辛いかもしれないなと懸念をしていたが、私の期待も懸念も裏切られた。
朝食はブッフェではあったものの、メニューが少なすぎる。
赤カレー、スペアリブのスープ、粥、パートンコー、食パン、目玉焼き、ソーセージ、果物少々。
私はちょっとがっかり。
サラダなど野菜もなければ、ポテトもない。
パンもスーパーで売っている食パン。
コーヒーはちょっと美味しかった。

でも、赤カレーの味は良かったので、私はお代わりをした。
この赤カレーは椰子の若芽を使ったものだそうで、白くて細長く刻んだ椰子の若芽がコリコリ、サクサクと歯触りも良く美味しい。
カレーも南部タイ料理らしくさわやかな辛さ。
岩さんに「このカレーは旨いですよ」と言ったけれど、「いやぁ、私には無理ですね」との反応であった。

私が市場でココナツの砂糖を買った話をしたらば、岩さんも自分もほしいというので、朝食後再び市場へと向かう。
日本への土産に以前私はよくココナツの砂糖を持って行っていたという話をしたことがあり、それでほしくなられたらしい。
確かに日本ではココナツの砂糖は高級品だし、健康的で良いのだけれど、タイでは価格も安いし、市場なんかでいられているのはビニール袋に詰め込んだだけでそっけなく、土産物として進呈するにはちょっと安っぽく見えすぎる。
これはタイの土産全般に言えるけれど、もうすこし土産用に手の込んだパッケージにするとか工夫すれば、売れるような気もするのだけれど。

ガラス山
[ガラス山]

宿を出て、最初に向かったのは市内にニョッキリとそびえるガラス山。
この山にはたくさんのサルたちが住み着いている。
前日に見たオナガザルではなく、タイでよく見るカニクイザル。
まったくエテ公で、あんまり愛嬌がない。
こちらがサルを見ていると、ときどき目があってしまう。
すると不良高校生のガンツケ因縁のように威嚇してくる。
そんなサルたちに占領された山なのだけれど、タイの人たちはこんなサルでも餌付けの対象にしている。
山の周りにはサルのエサ売りがいて、しつこいくらいにエサを買えという。
タイではサルは神様の遣いということなのだろう。
またサルへのエサやりも功徳になるのかと思うが、ガラス山へ続く396段の階段の周りには、サルたちの食べ散らかしたものやフンがたくさんある。

サル
[ガラス山のサル]

サルを避けながら階段を昇りつめた頂上にはお寺があり、見晴らしが良い。
快晴の空で、空の青さを海が映して、鮮やか。
プラチュアップの海岸線も美しい。
この山からの景色も一級品だと思う。
しかし、あんまり知られていないからか、観光客の姿はほとんどない。

海岸線
[プラチュアップキリカン市街側]

そんな中で、中国語をしゃべる団体客が登ってきた。
まだゼロコロナ政策を行っている中国から観光客は来るはずないのにと思って、どこから来たのか訊ねてみたらマレーシアからとのこと。
マレーシアの華僑たちは北京語が日常会話になっているのだろうか?
タイの華僑系の人たちは日常会話はタイ語だし、昔のマレーシアへ行ったとき、土地の華僑たちが話す中国語は福建語や広東系の言葉であった。
東南アジアの華僑たちにも北京の影響力が浸透しているのだろう。

北側の海岸線
[北側の海岸線]

山の上には金色の仏塔を持つお寺があり、また山は石灰質なので洞窟のようなものもいくつかある。
洞窟の中には、観音様がいたり、孫悟空の像があったりする。
この辺にも中国の文化的影響が及んでいるのかもしれない。

孫悟空
[孫悟空と観音像]

ガラス山の次に行ってみたのは水族館。
プラチュアップキリカンの空軍基地を越えた先に、ワコーという海岸沿いに海洋センターのような施設があり、そこに水族館が併設されている。
以前来たときは改装中で、水族館の中の一部しか見学できなかったけれど、今回はすでに全面オープンしていた。
そのため前回は入場料無料であったけれど、今回はしっかり入場料を徴収された。
もっとも、そんなに高い金額ではない。
前日の空軍の資料館と同額くらいで、内容は何十倍も充実している。
規模の大きな水族館ではないけれど、トンネルになった水槽や巨大な水槽など、十分に楽しめる。
そんな水族館の魚たちの中で一番気になったのがエイ。

赤貝を食べるエイ
[愛嬌のあるエイ]

このエイの顔はなんとも愛嬌がある。
魚類と言うより、哺乳類のような感じがする顔つき。
そんなエイがエサとして赤貝をバリバリと食べている。
それも固い赤貝の貝殻ごと音を立てて食べているのだから、よっぼと丈夫な歯と強力な顎をもっているのだろう。
エイはサメの仲間だと聞いたことがあるけれど、こんなエイに海の中で襲われたら大変なことになりそうだ。
顔は愛嬌があっても、恐ろしい。

建物の中庭にタイル張りの水槽があり、大きなウミガメが2匹いた。
このウミガメは前回来た時にも見た記憶がある。
私は小学校の頃にミドリガメを飼っていた。
数年前に死んでしまったけれど、50年くらい生きていたことになるから、なかなかの長寿。
ミドリガメもカメなので甲羅の中に頭や手足を引っ込める。
尻尾は横に折り曲げて、甲羅の陰に隠れるようにして縮こまる。
しかし、この水槽でウミガメを観察して感じたのは、ウミガメは甲羅の中に頭や手足を引っ込められないのではないかと思った。

ウミガメ
[ウミガメ]

ウミガメは太りすぎているからなのか、甲羅から肉がはみ出すくらい身体がパンパンになっている。
ウミガメたちは甲羅の中に隠れるなんて習性はないのだろうか。
日曜日ということもあり、水族館には家族連れがたくさん来ていた。

水族館の次はシンコンというところにあるミャンマー国境へ向かう。
タイの国の国土は南側のマレー半島部が細く伸びている。
その中でもプラチュアップキリカンが最も国土の幅が狭い場所と言われており、海岸線からミャンマーとの国境まで10数キロしかないらしい。
その国境がシンコンで、以前行ったことがある。
国境市場があり、ミャンマーから運ばれてきた商品や蘭の鉢植えなどが売られていた。
しかし、今回行ってみたところ国境市場はまったく廃れてしまっていた。
ほとんどの店は閉まっており、空いている店も何年も前から並べたまま売れ残っている宝石類を並べて暇そうにしている。
コロナで国境が閉鎖されているから物流は止まっており、そのため国境を訪れる人もほとんどいなくなってしまったようだ。
廃墟ばかりが並ぶゴーストタウンではあるけれど、国境のタイ税関の建物だけは威容を誇っていた。
たぶんコロナ直前にでも建設されたものか、私が以前来た時にはこんな大きな建物など見た記憶がない。

税関
[あたらしい税関]

しかし、国境が閉鎖されているので、税関も閉まっていた。
係員は少しいるようだけれども、業務をしているよ様子は見えない。
バリケードや鉄条網まであってここから先へは進めないように見える。
しかし、税関の先にも立派な舗装道路が伸びている。
車では進めないが、歩いてならもぐりこめそうなので、脇道を進んでいったら、しっかりとバリケードの裏側へ出た。
そのまま急な坂道を登っていく。
振り向くと後ろに海が見える。

国境から
[ずいぶんと立派な道を付けたものだ]

山の中の国境から海岸線が見られるというのも珍しいのではないかと思う。
天気は快晴で、やたらと暑い。
道は身分不相応に立派だけれど、行きかう車は一台もない。
そして、とてつもなく急な坂道で、歩いて登るのでも息が切れる。

国境手前
[国境地帯]

しばらく歩くと、道は舗装されているものの車線が狭くなった。
そう、以前来た時はこんな道だった。
そして、この道をミャンマー側からモノを運んでくるバイクやピックアップトラックが行き来していた。
でもいまは誰もいない、
1キロほど歩いたところで遮断機が下りていて、ほんとうにここから先へは行ったらまずそうな雰囲気。

検問所

遮断機の傍らに国境警備の小屋があり、ハンモックで兵隊が昼寝をしていた。
寝ている最中に邪魔をして悪いが、いまこの国境を越えることはできないのかと質問したらダメとのこと。
コロナで国境は閉鎖していて、またこの先もう少し行ったところが本当の国境で、ここは国境の検問所だそうだ。
そして、国境には何にもないよとのこと。

岩さんは車を止めたところで、ずっと待っているらしく、「どこですかぁ」と携帯電話へメッセージが飛んできた。
あんまり待たせては悪いので、急いで車を止めた場所まで引き返す。
炎天下で待たされていた岩さんは開口一番「バリケードの先まで行ったりして、大丈夫だったんですかぁ」と言われた。
どうやら心配をかけてしまっていたらしい。

時刻は午後一時を回ってしまっている。
週末のペッチャカセム国道は遅くなると渋滞するので、バンコクへ向かって戻ることにする。
昼食はどこか途中で簡単にと考えていたけれど、適当な店が見つからないまま昼時を過ぎてしまい、昼食難民化してしまった。
結局は3時くらいに国道沿いでクイティアオをすすっておしまいとなる。

バンコクまでは目立った渋滞にも巻き込まれず、それでもすっかり暗くなってから到着した。
そして雨も降りだしてきた。
岩さんをアパートまで送り、お別れする。
バンコクで会うのは、これが最後ということになるようだ。

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