2月29日 日曜日    天気は晴れ 

 K.K.トラベルを休む。もともと勤務時間や出勤日を定められているわけではないので、出退勤自由のはずだが、それが裏目に出て毎日早朝から夜更けまでの勤務をしてしまっている。でも、今日は特別。ワタノーでおこなっていてる日本語の補講も試験直前のためお休みとし、私はK.K.トラベルさえ行かなければ、他のスケジュールが何もないという休みを取る絶好のタイミングであった。そして、休みを強行した。

 休みの日に何をしたかというと、仕事と家族サービスを兼ねて日帰りトレッキングツアーに参加した。もちろん自腹である。パンフレットに書かれているコースの内容は、象乗りと少数民族の村、竹イカダとなっている。もう既に何人ものお客さまにこのツアーを推薦して、ご参加いただいてきた。が、その実際がどんなものであるのか、参加してみないことには、責任ある販売もできない気がして、ツアーへ申し込んだのである。
 ツアー会社からは「9時頃にアパートまで迎えに行くから」と言われていて、私はたまの休みで、のんびりして朝シャワーを浴びようとしていた8時過ぎ、電話のベルがなって、担当のガイドさんから「もう迎えに来たから下で待ってるよ」と言ってきた。おやおや気の早いこと、お母さんや優泰をせかして8時半にはワゴン車に乗り込んで出発。他には西洋人のお客さんが3人いて、我が家と合計6人でドイインタノン山の麓にあるメーワン地区へ向かった。ワゴン車も6人くらいで乗っている分には、余裕で快適である。
 1時間ほどでちいさな橋のたもとでワゴン車から降ろされた。ここで象乗りをするのだと言う。パンフレット上にはゾウによるジャングルトレッキングを1時間とあったが、山の麓の農村のようなところで、ジャングルではない。橋の下には何頭もの象がいて、私たち6人のためには2頭の象が用意された。象の背には2人がけのベンチ風の座席があり、そこに座るのだが、私たち親子は、そこへ優泰を真中にして3人で座った。が、しばらく歩いているうちに、私の体重の重さから、イスは私の側へ傾き始めバランスが崩れ始めた。象使いは、私にイスから降りて象の首に跨がれと指示をする。何度も象に乗っているが、象の首にまたがったのははじめてである。首と言ってもキリンや馬と違って、象の頭はそのまま肩につながっているかのように首は短く、跨っていると象が歩くと前足の筋肉の動きが股間に伝わってくる感じであった。

 1時間の象によるジャングル・トレッキングはジャングルではなく、休耕田のようなところを1時間ほど象に乗っているだけであった。メーサー渓谷やランパーンの保護センターの象と比べ、ずいぶんと疲れ果てているようであった。そして、よほど空腹なのか、少し歩いては文字通り道草を食う。象使いも、道草を食っている象を叱るでもなく、そのままにしている。そのため、歩いているより道草に付き合っているほうが長いくらいで、1時間で歩いた距離は実際には1キロほどだったように思える。ちょっと期待外れであったが、象をたたいたりすることがなかっただけでも良かった。あまりに空腹そうだったので、バナナをはずんでやった。

 次に車で10分ほど山間部近くの集落へ向かった。カレン族の村だと言う。ガイドのワット君の説明によるとカレン族の娘は早婚で、15歳で子供がいるのは当たり前だと言う。そして、未婚の女性は白い衣装を身につけ、既婚者は華やかな衣装を身に着けるのだそうだ。私の記憶では年頃のカレン族の娘さんが白い衣装を着ているのを見たことがない。まぁ15歳で子持ちならば、年頃の未婚者などいないはずで、だから年頃の白服を見かけなかったのだろう。この集落の動物たちはみんな黒い色をしていた。犬も黒いし、ニワトリも黒い、そして豚も黒いのである。集落自体は農業を正業にしているのだろうが、織物などの土産も盛んに売られている観光集落の印象もうけた。もっとも、ドイステープの裏の山岳民村よりはずっとスレておらず、まだまだ素朴である。
 集落の次は20分ほど林道のようなところを歩いて、滝に向かった。滝の規模は大した事がないが、滝壷では泳げるようになっていて、ガイドのワット君も滝壷でひと泳ぎをしていた。私は木陰で一休みし、優泰は水辺でオタマジャクシと戯れていた。気温は30度を大きく越えていると思えるが、水温はとても冷たく、木陰で休んでいると滝からの水飛沫が快かった。他のツアーで来ている西洋人たちは、高さが10メートル以上もある崖から次々に滝壷に飛びこんで遊んでいた。私にはとても真似のできないことである。中には若いツーピースの水着を着た女性も果敢に飛び込んでいた。

 滝から先のトレッキングコースは少し険しい道があった。大体30分ほどの道のりで、後半は用水路伝いに歩くコースなのだが、全体に下り道を歩くのが中心で、身体は楽である。景色も美しい。棚田が広がる集落に降りてきて、緑豊かに見えた棚田は、実は水はなくて大豆畑であった。タイでこれほど大豆が栽培されているとは知らなかった。山の斜面は山焼きをしたばかりか、下草もなく、大地が真っ黒になっていたり、倒木がまだくすぶっていたりと、楽しませてくれる。このハイキング、お母さんはだいぶ気に入ったようで、良いコースだねェと口にする。まぁ「上り坂がなくて」と言うのが省略されての発言とも思えるが、誰でもタイの山の自然や山里に触れられると言う点では、優れたコースだと思う。そして、たどり着いた先はメオ族の村だと言う。まだできたばかりの村なのか、広場に簡易建築の小屋が並ぶだけの集落で、カレン族の高床式と異なり、土間の家であった。この村では夜店の射的屋のようなボーガン(ライフルの形をした弓矢)があり、2メートルほど先のバナナの花を射かけるようになっている。矢が3本で5バーツであり、家族3人でひと弓ずつ引くことにした。優泰は的外れであったが、「オンマぁあたったでしょ」とお母さんに言うものだから、お母さんも仕方なく、「当たってたよ」と答えて、優泰を有頂天にさせた。

 昼食は、簡易食堂で作り置きのチャーハンとタイ風焼きうどんのパットシーイウであった。量はたっぷりだが、ちょっと内容的に寂しい昼食であった。冷えかかっていたが、味付けは悪くなかった。そしてキュウリのスープはとても美味しかった。
 昼食後に竹イカダの乗った。これはぜんぜん期待していなかったのである。以前にも2回ほどメーピン川の上流やメーテン川で体験しており、のんびりした川下りは情緒はあるが、1時間は長すぎる気がしていた。ところが、ここメーワン渓谷のイカダ下りは情緒を楽しませてくれるゆとりはなかった。まず、川が渓流である。東京で言ったら秋川渓谷ほどであろうか。水の流れが速く、岩場も多い、私は頼みもしないのにイカダの後ろにたって、竿で舵取りをする役に回された。優泰とお母さん2人が客席である。
 先行している日本人の若者の乗ったイカダは、岩場のカーブを曲がりきれず、転覆していた。その先でも多くのイカダが転覆したり座礁したりしている中を、我らが家族の乗ったイカダは順調に難所を越えて、下流へと進む。河原のあるところでは、遊びに来ているタイ人グループと水の掛け合いである。まだ4月のソンクラン水掛祭りには1ヶ月以上もあるというのに、もうこの渓谷では水掛をやっている。そのイカダ下りにお母さんも優泰も大満足であった。私はなれないイカダの舵取りをしたために、肩から腕にかけて筋肉が張って痛くなった。

 帰宅後、自転車の修理をおこなう。今年になって一度も自転車に乗っておらず、タイヤの空気も抜けたままになっていた。それを直していたら、チューブの虫ゴムが劣化してだめになっていた。近所の修理屋に持ちこんで、直してもらうと2バーツだと言う。ずいぶんと安いことを言うなぁと思いつつ、50バーツ紙幣を差し出すと、「お釣りがない」と言う。私もコインを持っていないので、「小銭がない」と答えたら、「じゃイイよ今度来たときで」と言う。今度って、前回来たのはもう半年も前のことだったし、まったく欲のないひとである。タイにはやたら欲の張った人と、欲の無い人が極端である。

 

朝食

釜揚げうどん。

昼食

ツアーのランチでタイ風焼きうどんとチャーハン、キュウリのスープ。

夕食

コカにてタイスキ。

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