6月10日 木曜日    天気は曇り 時々雨 一時激しく

 身体が二つ欲しい事態。8時半に優泰のインターとワタノーの双方にアポイントが入ってしまっている。本当なら、ワタノーへ行って、先生の日のセレモニーに参加し、生徒たちから花輪でもいただきたいところだが、優泰を優先せざるを得ない。インターの学校へ優泰の私物を取りに行ったらば、ミニバイクの籠には入りきらないほどの私物を持ち帰ることになった。

 鳥のピョンへの餌やりだが、ようやくお母さんが当番を引きうけてくれた。これによって、私は日中帰宅することなく、K.K.トラベルで仕事が続けられるようになった。ちゃんと上げてくれているのか不安だが、まぁ何とかしてくれているのだろう。昼にお母さんから電話が入り「ちゃんとピョンにはご飯上げたから心配しなくてイイよ」と言って来た。うん、ちょっとは頼もしくなった感じ。

 このところ雨が多いせいだろうか、それとも私の営業努力が足りないせいだろうか、K.K.トラベルでの私の売上が極端に落ち込んでいる。航空券もさっぱり売れないし、日本人のお客様もパッタリである。メールでの問い合わせは相変わらずであるが、夏休みシーズンを前にして、このありさま。ちょっと困ったものである。特に今週はじめは体調不良を理由に仕事をサボっていたのも影響している。
 そんな中で、本日はちょっと懐かしい人からメールが入った。Hさんと言う方で、だいぶ以前、私がまだ日本で旅行会社に勤務していた頃のお客さんで、一緒にチェンマイへ来たことがある。そのHさんもその後すっかりチェンマイにはまってしまって、しばしばチェンマイを訪問しているそうである。もっと早く連絡が取れていれば、是非チェンマイでお会いしたかったものである。あれから何年になるのだろう。当時もチェンマイ・コカでタイスキ鍋を囲んでビールやメコン・ウイスキーのリポビタンD割を飲み交わしたものだが、その時サービスをしてくれていたコカのラーさんも健在で、今も私にリポビタンD割を作ってくれる。次回Hさんが来られたときも、当時と同じようにラーさんの作るリポビタンD割を飲みながら、チェンマイ四方山談義で花を咲かせたいものだ。

 夜、ラジオ局へ入る前に、一旦帰宅してピョンの様子を見る。どうやらちゃんとエサをもらえていたようだ。私の声が聞こえて、チーチーチーと騒いで餌をねだったりしたが、挽肉を少し食べると満足したのか静かになった。

 番組終了後、台湾食堂へOさんと行く。ここのご主人にちょっと面倒を見て欲しいことがあり、Oさん持参のレミーマルタンをぶら下げて、一献しながら相談事を持ちかける。店には、ご主人の台湾からのご友人が何人か来ていて、なかなか本題に切りこめなかったが、レミーのボトルが半分くらい空いたところで、単刀直入に依頼事を切り出した。まぁ、Oさんのお願い事ではあるが、Oさんは中国語がわからないので、ほとんどの会話は私が行うことになった。まぁ、タイ語と中国語は似ている部分もあり、話しているうちにゴチャゴチャになって収集がつかなくなる。しかし、最終的には、依頼事について、台湾食堂のご主人がちょっと骨を折って調べてみてくれることになった。
 なお、この話とは別に、チェンマイに住んで20年になる台湾食堂のご主人との雑談の中で、テレサテンの話に及んだ。テレサテンがチェンマイで急死したとき、新聞、テレビなどの取材記者は、台湾人よりも日本人が多かったのだそうだ。これは芸能ネタが日本では諸外国に抜きん出てニュースバリューがあると言う証明ではないだろうか?レミーをすっかり飲み干して、台湾食堂を後にする。「明日にでも調べておくからまた来てよ」とご主人は言われた。あぁ、また明日も台湾式の乾杯攻めかぁ、、、。病み上がりの身体にはちょっとキツイなぁ。

朝食

ご飯と韓国海苔、白菜のナムル。

昼食

豆腐入り野菜炒め。

夕食

台湾食堂にて餃子。

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