体調は、徐々にだが回復傾向にある。今朝から通常食に切りかえる。しかし、刺激物は極力排除して食べる。ここ1年ほどの私の食生活は、常に刺激物との共存であった。日本にいた時から、普通の人の倍以上唐辛子を振りかけていたが、こちらに来てしばらくは、ピッキーヌーと言う小粒唐辛子に打ちのめされ、これは食べ物などではなく、一種の地雷と心得、ヤムと言う和え物などは、一生懸命この地雷撤去をしてからでないと食べられなかった。それが、最近ではまったく平気である。むしろナムプラーに浮いているピッキーヌーを更に振りかけて食べる習慣までついてしまっていた。それと毎晩のビールとそれに続く焼酎やウイスキー、、そんな生活をしていたので、胃腸にも相当無理がかかっていたのだろう。この3日アルコールも控えていたし、胃腸もきれいになっているはずである。でも、まだ何か食べた後は、やたらと胃に異物感と、時として刺すような痛みを感じるから、まだ本調子ではないのだろう。刺激物はまだ無理らしい。
鳥のピョンの方もますます元気になってきている。しかし、まだ雛鳥だからなのか、自分で餌を突ついて食べたり、水を飲んだりしてくれない。毎食毎食クチバシの奥に牛挽肉を放り込んでやらなくてはならない。そして、元気になってきたからか、クチバシをこじ開けようとすると、抵抗するのだが、この抵抗力もずいぶんと強くなってきた。とりあえずこちらも忙しいので、朝昼晩の1日3食と言うことにし、日中私はK.K.トラベルから一旦帰宅してピョンに餌を与える。お母さんにしても、ピョンに触ることさえできないでいるし、優泰などは、はじめのうちこそ、興味津々だったのが、今ではまったく無関心、「ちょっと、優泰も餌やりくらい覚えて手伝えよ」と言っても、「ううん、いいよ」と、まったくやる気がない。あぁ、私はもう少し動物好きの家庭を持ちたかった。
その点、ほんの少しだが助っ人が登場。同じアパートの10階に住む韓国人の奥さんだが、この方はちっとも動物好きではない。まぁ、一概に韓国人で動物好きの比率は諸外国と比べて低いと思っているのだが、、。この奥さん、鳥の雛が、口をぱっくりあけて餌をねだる姿を見てみたいと、午後3時にやってきて、見事餌を与えてくれた。与えたものがなんとハエであったそうだ。お母さんによると「だって、鳥は虫を食べるんでしょ」と言われていたそうである。
優泰の水疱瘡も、昨夜あたりが峠だったようで、新規のブツブツはだいぶ減ってきた。それでもまだ顔面に化膿しかかったブツブツが沢山残っていて、とても人前に出せる顔ではない。私は自分の体調も回復してきたことだし、今晩あたりタイスキでも食べに行きたいところなのだが、優泰の回復待ちである。でも、あと数日もすれば、優泰も全快するであろう。
K.K.トラベル社内のことだが、今週はトゥム君がいない。先週の土曜日に「あのぉ、サタケさん、私は明日バンコクへ行きます」と切り出された。何しに行くのかと確認すると、バンコク近辺の日系企業へ就職面接を受けに行くと言った。どんな会社かと聞いたが、本人は「インターネットで応募しただけだからわかりません。どこまでできるか、挑戦したいです」と言っていた。名前だけ確認できたが、まったく聞いたことのない会社である。まぁ、わざわざ「挑戦してみたくて」バンコクに行くのはトゥム君の自由だが、もう少し実務で使う日本語を覚えてもらってから挑戦した方が、彼のためになりそうな気もする。「んで、バンコクへ行って、いつ帰ってくるの?」と聞くと「バンコクから、コラートへ行きます」と答えた。「それは、答えではないよ」と言ったのだが、実際のところ、本人にも見当がつかないのかもしれない。いずれにしても、せっかくバンコクまで就職面接に行くのだから、イイ結果が出るに越したことがない。「採用に適さず」では、本人も面白くないだろう。と言うことで、いつ帰ってくるかも知れないトゥム君の席は空席のまま置いておくことにする。できれば、仕事のできる旅行業経験者を会社として採用して欲しいのだが、、。
本日は7時には退社する。優泰が起きているうちに帰宅したので、優泰とチェスで対局する。優泰は学校でチェスクラブに入っているそうだが、私はチェスなどのやり方をすっかり忘れていて、いちいち優泰にコマの動かし方を習わなくてはならなかった。それでも、私はなんとか優泰のキングを落としたのだが、優泰は負けっぷりが悪く、負けを認めない。あんまりカタガタ言うものだから、「わかったよ、じゃキング取るのやめるから」と、落としたキングを返して、続けたのだが、そのうち私の形勢が悪くなり始め、とうとう最後は、ビショップとキングの駒ひとつずつしか残らなくなって、負けてしまった。