水疱瘡の優泰は学校への登校も禁止である。今週の水曜日が終業式(式などあるのかな)なのだが、それも出れそうにない。が、まずは、学校の担任の先生へ優泰が水疱瘡で欠席することと、他の生徒にも校内で水疱瘡が発生したから、注意するようにして欲しい旨連絡しに、私一人学校へ向かう。英語で水疱瘡をなんと言うのか知らないが、俗語では「チキン・ポップ」と言うらしい。私は、チキン・ポップの和訳をずっと「鳥肌」のことと思いこんでいた。こんなところで、英単語の誤解をひとつ解いてしまった。
午前中。近畿日本ツーリスト主催ツアーの「ロングステイセミナー」のレクチャーを引きうけている。ずっと、食事をしていないし、約2時間半のセミナーをこなせるだけ体力が持つのか心配であったが、40人以上の人たちが日本から来るので、「具合が悪いから、、」とは言いだせない。やるしかない。やるなら、できるだけのことをやらなくては、、。
9時半からのセミナー、前半戦は私一人で、レクチャーを行い、後半は事前にお願いしてある長期滞在中の日本人の方3人にお入りいただき、座談会的に進行させた。日本から来られた参加者の方たちの海外ロングステイに対する関心は高く(まぁ、わざわざ日本から見に来られるくらいだから当然だろうが)、最後の個別質問は、時間がいくらあっても足りない気がした。
が、ここでも非常に強く感じたのは、海外ロングステイ、それもチェンマイをはじめとしたタイでの滞在が、相当意図的に作り上げられた虚像を日本では情報提供されているらしいと言うことである。「タイでは夫婦2人で1ヶ月12万円(4万バーツ)で十分に暮らせます」と言った宣伝文句が、変に踊り出てきすぎている印象である。嘘ではない。4万バーツで十分生活できる。食べることにも不自由はないだろう。しかし、それだけであって。それ以上ではない。家電製品を買い整える、車を買う、趣味にお金を使う、滞在の事務手続き費、医療費、帰国費用、交際費、、、。いくらでも、海外での生活には食べ物と家賃以外の出費がかかる。これが、観光旅行との大きな違いである。
そして、「さぁ、さぁ、みなさんタイで暮らしましょうよ」と日本で宣伝しているかどうかは知らないが、私の見る限り、一部の利権業者を除いて、イミグレーションにしても、決して日本人のために協力的であるとは思われない。
午後に、K.K.トラベルに入って事務作業をしばらくこなすが、5時くらいには限界となり、帰宅してしまう。それと、セミナー後にリンカムホテルでの昼食会で、少しだが消化の悪いものを食べてしまい、これがまだ良くなかったようで、再び酷い腹痛を起こしてしまった。
夜、あるフリーペーパーを読んでいたら、ある投稿記事で、バンコク空港でイミグレーションでの滞在スタンプ押し間違えをめぐるものが掲載されていた。他人事なので、私が口を挟むことではないが、その方は、ビザなしでタイへ入国され、通常はビザなしでも30日間の滞在が認められるので、入国スタンプに関して、気にもされていなかったそうだが、いざ出国時に押されたスタンプが30日分でないことが発覚、不法滞在として罰金を払うことになるのではないかと心配されるのだが、土壇場でこの投稿者は開き直られていた。「押し間違えたのは、そっちだから、そっちが悪い」と言う主張を大声で通されて、見事罰金を免れたらしく、しかも、「相手は謝りすらしなかった」と、満額の賠償を得られなかったことに不満を述べられていた。
しかし、果たして、それでイイのだろうか?ビザがある無しにかかわらず、何日間の滞在を許可するかは、入国係官の権限であるわけで、ビザ無しで来たら無条件で30日いられると考えるのは、適当ではないはずである。もし、30日の滞在が必要なら、入国時、スタンプが押された時点で、指摘すべきであったと思う。翻ってみて、もしこれが日本のイミグレーションだったらと考えてみたらどうだろうか?タイ人が観光ビザを持って日本の成田空港に到着したとする。観光ビザは最大で90日間の滞在が出きることになっている。にもかかわらず、入国係官は3週間分の滞在許可スタンプしか押さなかったとする。それが、90日後の出国時に発覚して、そのタイ人がイミグレーションで大声で騒いだとして、入国係官が「あぁ、それはごめんなさいネ、押し間違えたこちらが悪かったです」と謝るだろうか?まず、そんなことはないと思う。そして、タイとは比べ物にならない厳しい処置が待っているはずだ。
バンコク空港のケースは本当に係官の押し間違えが原因だった気がする。しかし、それを正面から否定をされたりしたら、相手の係官の面子を潰しかねない。私は、このような記事を読んだ読者が「そうか、トラブったら、大声でゴネればイイのか」と誤解するのではないかと、とても気になる。そして、それによって、日本人の印象を落とし、タダでさえ厳しくなっている日本人の滞在許可審査が、より過酷なものになるのではないかと、心配になってしまう。