0月7日 木曜日    天気は晴れ 

 朝9時に動物検疫所へ行く。この何週間か、何度も挫折しそうになりながらも、小鳥のピョンも連れて帰国するために努力してきた、検疫と出国許可がようやく下りることになった。係官から書類の内容の確認を求められ、英語で書かれた検疫証明と、農業省の名のもとにタイ語で書かれた動物携帯出国証明書に目を通す。完璧である。それから20分ほど待たされ、大きな丸いスタンプが押され、所長さんのサイン付きの書類を封筒に入れて手渡された。よおし、これで書類は完了したことになる。

 次に、この書類を持ってマンダリン航空へ向かう。マンダリン航空もこの書類を見て、OKだと言う。そして今度はマンダリン航空側の書類にサインを求められた。署名をした書類の内容とは、万が一、移送中に預託動物が死亡したり、損害が発生しても、補償を求めないと言う内容になっている。マンダリン航空の所長さんは、「ちゃんと小鳥の同意も確認しておけよ」と冗談を言いながらも、よくもこれだけの書類をそろえなれたと感心してくれていた。また、この所長さんはじめ、スタッフのミットさんにはずいぶんと手間をかけてしまった。たかだか小鳥1羽の搭乗で、航空会社本社の了解と、搭乗便貨物室の調整手配など複雑な処理をやってくださった。私もよく知らなかったのだが、小鳥を載せる貨物室の区画に対して、通常の貨物とは別に、空調による温度調節や、酸素の供給、さらに気圧の調整などをおこなわなくてはならないのだそうで、そのことを搭乗便の機長にも徹底しないと行けないらしい。しかも、今回は台北で中華航空への乗り継ぎまである。
 まぁ、正直なところ、これで一安心した反面、チェンマイほどではないが、台湾の飛行機だって、100%信頼できるわけではない。温度、酸素、気圧とどれかひとつでも、機長さんが他のことに気を奪われて疎かにしてしまったら、ピョンは確実に死んでしまう。そう考えると、やはりなんとか客室への搭乗を認めてくれる航空会社を探すべきだったのでは、、と思えてしまう。8年前に野良猫を韓国へ連れていく時に乗った大韓航空は、野良猫の客室への搭乗を簡単に認めてくれた。

 大きな仕事をやり終えた安堵感で、気分がすこぶる良い。昼には、同じアパートに住む韓国人の奥さんが昼食に呼んでくれた。私があまり韓国の料理が好きではないことを知っていて、ニンニクを控えた料理を中心に用意をしてくれて、このあたりの心配りも嬉しかった。
 食後のコーヒーを飲んでいたら、携帯電話のベルが鳴った。マンダリン航空からであった。
 「さっき、テレックスが入って、台湾の政府は鳥インフルエンザの拡大と、その影響を食い止めるために、タイからの鳥類の台湾上陸を一切禁止することになった」と言った。確かに、私たちの乗る飛行機は台湾経由ではあるが、それはあくまでも飛行機の乗り継ぎによるもので、入国をするものではない。が、「と言うことで、残念ながら、当社としては小鳥の搭乗を認めることができなくなった」と言ってきた。私たちは乗り継ぎなので台湾へは入国しないんだから、問題無いはずではないかと食い下がったが、これは入国と、上陸との違いで、入国しなくてもダメなのだそうだ。そして、「どこか別の航空会社をあたってみて欲しい」と言われてしまった。

 私は、急いでK.K.トラベルへ行った。スタッフたちにもこの情報は入っていたようで、同情してくれる。私はスタッフの協力を得ながら、他の航空会社でピョンを運んでくれそうなところを当たってみる。その中でもっとも協力的だったのは日本航空であった。予約課の日本人女性スタッフの方はとても親身になって相談に乗ってくれた。日本航空では貨物室内にペット室と言うのを用意してあり、その利用は搭乗の1週間前までに申請するようにとのことであったのだが、ピョンの農業省から発行された出国許可証には、「本日7日から10日までに航空機で出国すること」と記載されている。日本航空のスタッフの方は、「規定ではそうなっていますが、本社に掛け合ってみます」とまで言ってくれた。
 ところがである。日本航空への小鳥の搭乗申し込みには、鳥の種類を示すラテン名が記載された出国許可証が必要だと言う。私の持っている許可証には英語名しか記載されておらず、確認をしてもらうために私は書類一式を日本航空の予約課へファックスしてみた。
 ゴール直前で、ゴーストタウン(貧乏農場だったかな?)行きを宣告される人生ゲームのように、「バンコク空港の税関では、森林局の通達により、現在タイからの鳥の連れ出しを認めていないことになっているそうで、、でも、お客様はちゃんと携帯出国許可をお取りになっているのですから、書類上は問題無いのかもしれませんが、最終的にはバンコク空港の税関係官が判断することなので、許可書を出されたチェンマイの農業省出先機関の方から、森林局と税関へ話をしてもらって、了解を取り付けておいてください」と言われてしまった。
 この国の縦割り行政は、日本に劣らない。しかも個人の裁量範囲が広く、そして個人はものすごくプライドが高い。このように、ある課の長が許可を出しいて、別の課が禁止令などを出していたりすると、とても複雑なことになる。これは困ったことになった。それに、もう木曜日の夕方である。私は大急ぎで、出国許可を発行してくれている農業省の出張所へ走ってみた。時刻は5時を過ぎており、既に事務所内は無人であった。

 今日はラジオ番組の最終出演日だったが、とても番組でマイクを前にできるような精神状況に無い。私はアパートから日本酒と焼酎を持ち出し、K.K.トラベルへ戻り、そこの男性スタッフたちと飲み交わした。2本の瓶は瞬く間に空になってしまった。ちょっと自棄酒的な飲み方であった。

 なお、昨日のアパートでの警察沙汰だが、なぜ警察が大騒ぎして、室内のものを押収していったのか判明した。通報を受けて警察が家宅捜査したところ、なんと室内で禁制薬物を製造していた証拠が見つかった。また、西洋人本人も薬物を常習していたそうで、新聞にも記事となって出ていたそうだ。まったく、平穏に見えるチェンマイも色々なことが裏で起こっているものである。

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