チェンライ2泊3日ツアーの2日目。ドミトリーと言うのは、やはり寝辛い。深夜まで相客の出入りがあるし、私のベッドは入り口に近いので、音も聞こえるし、気になる。また、夜明け前から荷造りをするのかバッグに荷物を詰めたりチャックを引いたりする音が聞こえてくる。うーん、寝不足である。
朝食でも食べようと市内を歩いたが、この周辺は朝が遅いのか、朝食を売る屋台などがほとんど無い。あっても豚肉粥の店ばかりで、私は朝から豚肉をモリモリ食べる習慣が無い。できればあっさりとパートンコーと豆乳で済ませたいのだが、その屋台が見当たらず、街中を30分以上も放浪してしまった。ようやくたどり着いた市場の端にあったパートンコー屋も豆乳が売り切れであった。
お客さまと一緒にメーサイのイミグレーションへ向かう。本日も薄曇り、曇って見えるのは水蒸気のせいか、それともスモッグのせいかわからないが、こんな田舎に来ても薄曇と言うのは、スモッグではなく水蒸気のせいだと考えることにしよう。空気はとても乾燥しているが、それでも水蒸気が上空には水蒸気が立ち込めていると言うことは、そろそろ雨が降り出すのではないかと言う期待を持たせてくれる。
イミグレーションは閉まっていた。どうしたのだろうか、また国境でも閉鎖されたのだろうか、そうすると困ったことになるのだが、、。と一応建物の扉の前まで歩み寄ってみた。すると、休みなどではなく、出入国業務は国境ゲートに移転したのだと書かれている。それもつい1週間ほど前に移転したばかりらしい。でも、出入国審査を国境ゲートでやってもらえるようになったことは、便利になったことだから歓迎すべき改善点であろう。従来バスなどでメーサイへやってきた人は、バスターミナルから国境へ向かう途中にこのイミグレーションに立ち寄らなくてはならなかったのが、これで国境ゲートまで直行できるようになったのだから。
ミャンマーのタチレクに入ると3輪バイクタクシーの運転手たちに取り囲まれる。我も我もと市内観光の写真をかざしながら売りこみがすごい。どうせ、乗るのだし、料金はどれも一緒なのだろうから、もう少し整然としてくれたほうが利用しやすいし、印象も良いのだが、とにかく取り囲まれ、付きまとわれる。タイでもこの手の客引きがあるのかもしれないが、私はほとんど体験したことが無い。この手のはインドや中国的に感じられる。私は別に交渉することもせず、勝手に「じゃキミのに乗るよ」と、一番先に声をかけてきたアンちゃんを指名した。下手に交渉でも始めたら、この殺気立った連中から開放してもらえないだろう。
タチレクの市内観光は、お寺を2箇所とレジーナ・ホテルの首長族を見て回る程度にとどめた。3輪バイク・タクシーは最後に国境市場裏の宝石屋に止まったが、私は「通過!通過!」と運転手を催促して先に進ませた。確かにミャンマーは宝石の産地だが、こんなバイクタクシーが連れこむような店を、私が結託して連れこんだようにお客さまに思われたら心外なので、立ちよらさせなかったのである。
宝石屋に寄らなかったのが面白くなかったのか、運転手はちょっと膨れっ面である。私たちは国境市場でこの3輪バイクタクシーを捨てて、市場見学をすることにした。80バーツの約束だったが、100バーツ札を渡すと、つり銭もよこさずさっさと行ってしまった。まぁチップとして20バーツくらいやろうかと思っていたからかまわないが、この手のやり方はこちらとしても面白くない。やはり、小さな川一本を隔てただけだが、明らかに両岸の人心の隔たりは大河以上のものがある。
ゴールデン・トライアングルを見学した後、私一人先にチェンマイへ帰らせてもらう。チェンライのバスターミナル近くで鯛焼き風のものを売っていた。鯛焼きと比べるとちょっと形は異なるが魚の形をしている。看板には韓国語でポンオパンと書いてある。日本語に直すと「金魚パン」である。鯛とは形が違うけど、それは鯛焼きではなく金魚パンだったからだったのかと一人納得して、土産を含めていくつか購入する。味は、鯛と比べるとさすがに金魚はだいぶ劣っていた。それにしても日本オリジナルの鯛焼きが韓国に渡り、そして韓国の菓子としてタイの田舎町に上陸してくるとは、韓国の台頭が著しい証拠だろうか、、。