先週末にバンコクの旅行会社へ送った日程表に基づいて見積もりも提出しなくてはならなくなった。と言っても、私はチェンマイで旅行会社を経営しているわけではないし、ホテルの料金、貸しきりバスの料金などさっぱりわからない。調べたくてもライセンスを持ち合わせていないので、ホテルやバス会社と料金交渉さえできない。そこで、ホームページを作成しているチェンマイの素人集団旅行会社へ話を持ち込む。素人集団で大丈夫であろうかと心配はあるが、逆に素人集団であるから、仕事のやり方などを仕込めば、私のやり方で仕事が進められるのではないかとの打算も働いている。
が、その前に一仕事、昨日あった夫婦をヴィアンクンカム遺跡へ案内する約束をしていた。朝7時半に会う約束をしていたのだが、本日必要となる資料を印刷しようとしていたのだが、プリンターの状態が良くない。プリンターというよりUSBの具合が良くない。ジタバタしているうちに約束の時間になり、20分近く遅刻をしてしまった。
狭いビートルに乗り込んでもらい、ヴィアンクンカム遺跡へ案内する。ご夫婦はチェンマイの寺には見飽きてしまったという。特にアユタヤと比べるとおもしろくないと言う。日本人の目から見るとそうかもしれない。アユタヤは確かに見ごたえのある「遺跡」である。それに対して、チェンマイは今も信仰の対象となって善男善女を集める寺院であり、日々改築されていて、歴史の重さを感じにくい。そこで、日本人が喜ぶのは、遺跡だろうと考えてチェンマイの古い時代の遺跡群であるヴィアンクンカムへ案内することにした。
ヴィアンクンカムではワット・タート・カーオと言う寺院跡にビートルを止めて見学を開始する。するとここの遺跡を管理している人であろうか、タイ語しか話せないのだが熱心にヴィアンクンカム遺跡について説明をしてくれる。自分が子供の頃は、この遺跡のある場所は田んぼでった。それを発掘して現在の形にしたという。また、現在では55カ所に点在する遺跡群のうち7ヶ所から10ヶ所程度を見学させてくれる輪タク(三輪自転車の人力タクシー)や象(背中にお客を乗せる)、ランパーンにあるような花馬車をチャーターすることができるらしい。またレンタ・サイクルもあったりして、見学には不自由しないらしい。しかし、象については、採算が合わないらしい。お客がいてもいなくても、餌代がかかるかららしい。
ご夫婦には輪タクに乗って見学してもらっている間、私は遺跡群の中を散策した。遺跡も良かったが、それ以上にチェンマイ近郊の明るく平和な農村風景がすばらしかった。朝早いせいか、観光客の姿はまるで見かけず、崩れかかったレンガの遺跡と果樹園の多い田園風景が実に良く調和していた。ちょっとのんびり散歩をしすぎて、輪タクでの遺跡見学を終えられたご夫妻をずいぶん待たせてしまったようであった。
その後、旅行会社に出向き、見積もりを作ることになったから前面強力をしてもらい、会社の仕事として取り組んでもらうように依頼する。まず、見積もりを作るための素材パーツの値段を調べる作業に取り掛からせる。何をどのように調べるかをひとつずつ指示しなくてはならないから、自分で調べるよりも手間はかかる。しかも、指示した内容の先を読んで行動できるスタッフではないので、期待通りの結果が得られるかは、きわめて不安である。けれでも、いつもならパソコンでゲームばかりしているだけのスタッフが、電話の受話器を握り締めて、メモを取っているところなどは、旅行会社らしくなってきたなと思える。ひょっとしたら、これはビジネスとして取り組むに値するのではないかとさえ感じさせてくれる。
夕方からはワタノー学校に呼ばれている。本日は堅苦しい内容ではないようである。これも内容が良くわかっていないのだが、何かの式典らしい。判っていないのは先生方の説明不足ではなく、私の努力不足で、私は正式な招待状を受け取っているにもかかわらず、辞書を引かなかったために、一体何がかかれているのかさっぱりわからなかったのである。特にこの手の公文書は普段馴染みの無い単語が多くて、チンプンカンプンであった。
この式典は要するに学校の上級職の先生で定年退職される先生が3人いらっしゃり、そのお別れの式典らしい。それと学校の創立記念もかねているらしい。来賓の祝辞や挨拶、そして先生たちの功績をたたえるビデオまで上映される。料理も出て、数少ない男性教員たちの丸テーブルではウイスキーのボトルを持ち込んで、まるで宴会状態である。私は女性教員の丸テーブルに座らさせられていたので、ウイスキーのおそうばんに預かれなかった。この手の丸テーブルと言うのは食事をしながら歓談するのに最適なのだが、残念ながら延々と続く式典の間中を歓談していられるほど私はタイ語能力が無い。男性テーブルでウイスキーを飲み交わしていれば、言葉など通じなくても、あうんの呼吸が簡単に確立され、もっと学校の先生たちと親しくなれたのになぁと残念にも感じた。もっとも、今晩は帰宅後にロスのHさんへ韓国語の翻訳原稿を送る約束をしているので、酔っ払ってなどいられなかったのであるが、、。
この式典(パーティー)の給仕役は生徒たちである。私のクラスの生徒も2人ほど混ざっていた。生徒たちは食堂のウエイトレスなどよりもずっとキビキビとよく働いている。やっぱり、生徒たちに給仕を受けながらウイスキーなどを煽っていたら、新学期から生徒たちの私に対する評価が変わってしまうかも知れなかったので、結果オーライであろう。式典の最後は、歌謡ショーである。このショーのバンドもバックダンサーもそして歌手も全員生徒たちである。ダンサーたちは派手な衣装をつけ、くっきりと化粧を施して踊っており、ふだん白いシャツに紺のスカートで清楚なイメージの女生徒たちが、こうも変身してしまうのかと驚いてしまった。
朝食
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ご飯とピーナツ入りの炒り玉子。 |
昼食
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パッシーイウという甘ったるい醤油味のタイ風焼きうどん。 |
夕食
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ご飯とナスの野菜炒め、トン汁。 |