6月24日 火曜日 天気は曇り
朝一番にYと名乗る男性から電話がかかって来た。面識はなかったのだが、話を聞いてみるとバンコクのH部長から紹介を受けたそうで、私が昔勤めていた日本の大手旅行会社を最近定年退職し、現在は最大手旅行業界紙の顧問をされているそうで、今回はタイ政府観光庁の招きでチェンマイヘいらしたそうだ。滞在先はアマリリンカムホテルだと言うので、面会に伺った。
お会いして話をしているうちに古巣の旅行会社の話をする。やはり、イラク戦争とSARSウイルスの問題で、業績にひどい打撃を受けているそうだ。ほかにも支店の統廃合や人事異動で、社員たちが浮き足立ってしまっているらしい。話を聞けば聞くほど、社員たちの悲鳴が聞こえてくるようだ。こうした就労環境にあるのはこの旅行会社に限らず、日本の企業の多くの労働環境は同じような状況になっているのだろうが、他人事ながらとても悲しい気分になる。
話は、旅行会社の話から、徐々に私やタイでの生活に関する取材のような雰囲気になってきた。話をしているうちに、私はつい言わなくてもよい裏事情的なことにまで言及してしまった。相手はタイ観光局の招きで来られているわけだし、その招きの趣旨に沿った、パンフレット的模範解答をすべきだったような気があとになってしてきた。
アマリリンカムで1時間少々お話をしてから、労働局へ行き、労働許可期間の延長申請後の労働許可書の受け取る。すでに手数料も払い込んであり、簡単に許可書を受け取ることができた。その際に次回の延長用の申請書を受け取る。女性係員から「許可は12月31日までだけど、12月31日は休みだから、30日までに延長申請をしなさい。遅れると労働許可の再申請になりますよ」と注意を受ける。
午後からはワタノー学校で日本語を教える。本日もひらがなを「さ」から「と」まで教える。文字を教えるのは、会話を教えるのと違って、生徒たちの関心を引くことが難しい。すでに、教えた「あ」から「こ」までの文字と組み合わせて作れる単語で、少しでも生徒たちが興味を引くような単語を探す。そしてその単語をひらがなで書き、読ませる。そして、タイ語の訳を教える。後半は文法をこなす予定であったが、時間的に足りなくなり、本日用のプリントを半分もやれなかった。
2時からのクラスは、どのような理由かわからないが、生徒の集まりが極めて悪い。本日も生徒集会でもあるのだろうか、20分ほど待っても、生徒は10人ほどしか集まってこない。これで授業をしても良いものかどうか、とても気になるのだが、2週も続けて授業をまともにしなかったらば、1時からのクラスとの差が開きすぎてしまう。せめてひらがなだけでもやっておこうと、大急ぎで「あ」から「そ」までを教えてしまう。ピッチを上げすぎて、一人授業になりがちなのが自分でもわかる。それと、このクラスの生徒はすでに日本語を習った経験のある生徒が半数ぐらいいるため、ひらがな程度は読み書きできる生徒がいる。そんな生徒には今更「あいうえお」なんて退屈であろう。いったいこうした時はどうしたらよいのだろうか、、、。生徒たちが集まらないのは生徒の問題と言うよりもカリキュラムの問題である。教室を移動する時間がないし、前の授業の後片付けに時間がかかることもあるだろう。
夕食には優泰が台湾食堂へ行って餃子が食べたいと言う。餃子なら月曜日に食べさせたばかりなのだが、台湾食堂の餃子が美味しいのだと言う。優泰は餃子を焼いたものと茹でたものの二種類を食べた他にハム炒飯も食べた。本当に優泰は私と二人になってからよく食べる。お母さんとだと、お母さんが食が細いのでその影響を受けて小食になっているのだろうか、、。
朝食
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トースト(バター、ピーナツバター、チーズ)、優泰はドーナッツ。 |
昼食
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タイ式やきそば(パッタイ)。 |
夕食
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台湾食堂にて焼餃子、水餃子、ハムチャーハン、ジャージャー麺。 |
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