12月24日 火曜日 天気は晴れ
昨夜は寝たのが12時であったが、今朝は3時には目を覚ましてバンコクへ向けて出発する準備をする。寝不足のまま長距離を運転するのは辛いが仕方が無い。4時過ぎにはまだ真っ暗な中で出発。優泰は後部座席で寝かせたままである。
チェンマイの町は寝静まって、通りを走る車も少ないと感じていたが、ターペー門近くを通りかかったら、夜遊びを終えた外国人観光客が沢山ウロウロしていた。チェンマイ随一の繁華街だけれど、街全体の調和からみると、かなり異質な感じがする。
真っ暗なスーパーハイウェイを快調に峠越える。早朝だし、標高もあるので窓を空けると寒い。優泰もお母さんも熟睡中である。私もつられて眠たくなってきてしまう。峠道なので適当にカーブがあるので何とか眠らずに運転できるが、カーステレオでもつけられれば、退屈を緩和できるのだが、優泰たちを起してしまうわけにもいかず、、ただひたむきにハンドルを握り、アクセルを踏みつづける。信号は無いので、ブレーキを踏むことは無い。そうそう、明るくなったら、ブレーキの調整をしなくては、、、。
6時半にトゥーンの町に到着。ここでガソリンを補給しトイレ休憩を取り、スタミナドリンクを一本買う。外も明るくなり始め、お母さんが起き出す。7時に再出発をする。外が明るくなったので、視界が良くなったのはイイのだが、その代わり、朝日が差し込んで目にまぶしい。まぶしいとツイツイ目を閉じてしまいがちなので、却って居眠り運転の危険性が大きい。いったん眼を覚ました優泰とお母さんだが、また寝始めた。8時にタークの街にさしかかる。ちょうど中高生の通学時間にぶつかり、沢山のモーターバイクの波に巻き込まれる。これまで信号待ちが一度も無かったが、ここへ来て始めて意識的にブレーキを踏んだ。
9時にカンペンペット近くのドライブインで朝食とする。ハイウェイ沿いで簡単に食事を取るのならば、ガソリンスタンドに併設された食堂が無難な気がする。道沿いには所々に食堂風の施設もあるが、地元民相手のカラオケ屋だったりすることがしばしばある。カラオケ屋でも食事を食べられないわけではないが、家族が一緒の場合どうしても安全パイを選択しがちとなる。簡単に朝食を済ませて、私はブレーキの調整を始める。十分に明るくなっているので、楽々調整を完了。ブレーキの効きが良くなった。この先、ナコンサワンからは交通量も増えるし、信号もある。ブレーキをベストにしておかないと、心配である。それに、大型トラックが多いせいか、走行車線側は路面の荒れがひどく、なるべく追い越し車線を走行するようになるので、必然的にスピードを上げざるをえない。ここからは時速100キロほどを保ったままで運転をする。もう車の流れに乗って運転するだけで、常に前の車のお尻と、バックミラーで後ろの車の接近具合を確認するだけの、味気ない運転となる。
午後1時には、バンコク郊外に達し、市内に入る手前から高速道路に入る。近年バンコクの高速道路網は良く整備されて来ているが、私にはどこをどう走っているのか分からなくなりがちである。高速道路だけでなく、地上の高層建築群も以前とはまるでバンコクの印象を変えてしまっているので、ますます地理不案内になってしまう。今晩泊まるのはシーロム通りのナライホテルなので、高速道路の表示板で最寄の「ダオカノン方面」を確認しながら運転する。
2時前にはホテルにチェックインし、お母さんと優泰はシーロムのセントラル下のフジで昼食を食べさせ、私は買い置きのパンを齧っただけで、H部長の事務所に向かう。ここで6時頃まで油を売って、日本の会社を取り巻く環境の悪さを嘆く。
夕食には、バンナーにあるゴールデン・ドラゴン(マンコン・ルアン)と言う巨大レストランへ行く。ホテル前からタクシー乗ったのだが、ひどい渋滞で、市内高速道路の入り口にたどり着くまでに、40分もかかってしまった。クリスマス・イヴと言うこともあってか、ほぼ満席の盛況であった。アトラクションなど、なかなか楽しいレストランなのだが、料理そのものは、味が今一つであった。特にチェンマイで普段地鶏を食べなれているせいか、ブロイラーと思われる鶏肉には、ちょっとがっかりした。チップや往復のタクシー代を含めて1000バーツ近い出費となってしまった。
夜中10時半過ぎに、メナム・チャオプラヤー川の方向で沢山の花火があがっているのがホテルの窓から見えた。チェンマイでは見られないほど豪華で、ふんだんな打ち上げ方である。さすがバンコクは大都会で、豊かなものだと感心した。
朝食
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カンペンペットのドライブインにてインゲンと豚肉の炒め物。 |
昼食
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パン1個。 |
夕食
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ゴールデンドラゴンにて蜂蜜漬けスペアリブのあぶりもの、鶏肉のバイトゥーイの葉包み揚げ、空芯菜の炒め物、タイ風おこげ。 |