旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月23日 火曜日    天気は晴れ

 宿泊させてもらっている家は、ラマ4世通りから路地に入ったところにある。近くにキックボクシングのルンピニスタジアムがある。日本人にはこのあたり「マレーシアホテル界隈」として有名なようだ。格安のゲストハウスなどがあり、日本語の表示も目に付く。しかし、最近のケチケチ旅行者はマレーシアホテル界隈よりもカオサン通り周辺へ移ったようで、少しさびれた感じがする。でも、ラマ4世通りに出ると、地元の人や通勤の会社員目当ての屋台が出ていて、とてもにぎやかではある。8時半にH部長と共に出社する。昨日の続きの企画書をまとめ始める。

 午後から、企画書に挿入する写真を撮りに出かける。撮影ポイントはチャイナタウン、カオサン通り、市内寺院、水上バス、ノンタブリの輪タク。2時過ぎに事務所を飛び出したが、まだ昼食を取っていなかったので、昨日と同じ食堂に入る。野菜を食べたかったので、五目野菜炒めライスを注文した。しかししばらくして運ばれてきたのは、チャーハンであった。普通のチャーハンと比べると野菜も多いのは確かだ。キャベツやトマトまで入っている。実感としては野菜炒めと一緒にご飯も炒めた感じである。

 4番のバスで中華街へ。香港をイメージさせるような大きな看板が通りにせり出している構図でシャッターを切る。路地裏の雑踏も写したが、後で見てみると、バンコクのどこにでもある雑踏と一緒になってしまっていた。中華街の次ぎはプーカウトーンへ行ってみることにした。プーカウトーンとは黄金山の意味で、ここは人工的に作った山で、つい30年ほど前まではバンコクで一番高いところで、ここに登ればバンコク中が見渡せたと言う。山の山頂部は金色に塗られた寺院になっている。この周辺はバンコクの下町にあたるのか、周囲にはまだそれほど背の高いビルは建っていない。そのため少し離れたところから見ると、正に「黄金山」であった。バンコク市民には有名な場所だが、日本人にはあまり知られていない。私もここに登るのは今日がはじめてだ。

 カオサン通りも今回始めて足を踏み入れた。もともと、地球の歩き方やロンリープラネットを手にしたバックパッカーなどあまり好きではないので、敬遠してきたが、それでもどんなところかは目で見ておかなければとやって来た。で、実際に見た感想は、チェンマイのロイコー通りと横田基地脇の国道16号線沿いを合わせたようなところであった。西洋人も多いし、ちょっと汚れた感じの日本人旅行者も目に付いた。ワイシャツ姿の私は完全に浮いた存在であった。

 メナム(チャオプラヤー)川を水上バスに乗って、終点のノンタブリまで行く。ノンタブリの町にはまだ人力の輪タクが残っている。輪タクに向けて何度かシャッターを押してから、バンコク市内までバスで帰ることにする。97番のバスに乗れば、王宮前広場あたりまで行くはずであった。しかし、乗ったバスは途中のバンスーと言うところで運転打ち切り、引き返すから降りろという。ちょうど5時を回り、ラッシュが始まる時刻だ。渋滞する市内に入りたくないからなのだろうか、、。しかし、後続の97番バスも引き返していく。事務所もそろそろ閉まる頃だ。電話で「今日は直帰する」と伝えて、気長にバスを待つことにする。そして50番と言うバスの行き先表示を見たらばルンビニ公園となっている。ルンビニ公園なら、家まで歩けるところだ。これはラッキーと50番バスに乗り込む。

 家の前まで辿り着いた時、チェンマイのマッサージ学校でマッサージを習っていたトモコ嬢から電話が入る。トモコ嬢とはYMCAでタイ語を学んだ仲である。うちに来てもらってお母さんにマッサージをしてもらったこともあるのだが、そのトモコ嬢がバンコクに出てきていることは知っていた。しかし、なんと今電話をかけている公衆電話と言うのが、私の立っている場所から100メートルほどしか離れていないコンビニの公衆電話からだったので、とても驚いてしまった。

朝食
ラマ4世通りに出てパートンコーやたこ焼き風のお菓子などを買う。
昼食
昨日と同じラマ4世通りの簡易食堂でチャーハン。
夕食
H部長の家で奥さんの手料理。インゲンとベーコンの炊き合せ、ニガウリのスープ、青菜と小海老の炒め物。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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