旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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4月23日 火曜日    天気は夜明け前に雷雨、日中は晴れ 

優泰は学校が終わってからどうしてもプールに入りたいらしい。学校からの送りのバスではアパートに戻ってくるのが4時過ぎになってしまい、宿題をやるとプールに入る時間が無くなる。そのため今日はバスに乗らずに、車で迎えに来て欲しいと言う。ちょうど今日はお母さんのお菓子教室への送迎もあるから、ついでにビートルで拾って来てやる事にする。

午前中にタイ語の練習をする。サボっていたから辞書をひくときのタイ文字の順番さえいい加減になってしまっていた。少し本気を出して取り組むべきなのだろうが、すぐに気が散ってしまって、パソコンのキーボードのハングル化に取り組み始めてしまった。キーボードにはタイ語と英語の表示があるのだが、この上にハングル文字を油性のサインペンで書きこんで、ハングル対応にしてしまおうと考えた。アパートの部屋の中に油性のペンは黒しかなかったので、赤と青のペンを買いに出る。

隣の雑貨屋にあるだろうと思っていたが、置いていなかった。近所をあちこち捜しまわったが、油性のペンは置いていない。たまにあっても、芯の太いタイプのもので使い物にならない。教育大学前の大型文具店まで遠征してようやく赤と黒の油性サインペンを揃える。細字用の油性ペンは大半が日本やドイツからの輸入品で、ずいぶんと高い。そんな中からタイ製の18バーツのペンを探し出した。

ところが、いざキーボードに書きこもうとすると、青いペンからインクが出ない。不良品か、さもなければインクが揮発してしまったのだろう。再び自転車に乗って交換をしてもらいに文房具屋に向かった。しかし、簡単に交換できるだろうと考えていたのが間違えであった。その文房具屋にある同じタイプの青い油性ペンは全てインクが出なかったのである。だからと言って日本製を買うのは面白くない。店の人にも協力してもらいタイ製の安い油性ペンを探す。そしてようやく店の奥から1本10バーツのペンを探し出し、ペンと差額の8バーツを受け取る事ができた。

午後、お母さんをお菓子教室へ送りこみ、優泰を学校へ迎えるまでの空き時間に、ビートルのクラクションをいじくる。このビートルのクラクションはボンネットのフードの中に入っている。しかし、ボンネットにエンジンの無いビートルはフードでボンネット内が密閉されてしまい、クラクションの音が、車外へあまり伝わらないのである。そこで、クラクションをボンネットから取り出してバンパーの上に取り付けなおすことにした。作業は簡単であったが、はじめにクラクションをバンパー本体に固定してしまったところ、クラクションの振動がバンパーと共鳴してしまい、音がくぐもってしまった。そこで、バンパーとを継ぎ手を介して取りつけ直したら、今度は良い音が響くようになった。

夕方、以前YMCAのタイ語レベル3で一緒にタイ語を学んでいたT嬢が夕食を食べに来る。実は昨日自転車に乗っていて偶然再会したのである。そしてT嬢はタイマッサージをマスターしたとの事で、お母さんにマッサージをしてもらう代わりにお好み焼をご馳走する約束をしていたのである。T嬢は5時過ぎにはビール2本をぶら下げてやって来た。

お好み焼を食べ、ビールを飲み(シンハ、タイ(スーパーライオンからの改名)、チャーンの3本)、子供の事などについて話しこんでいると(T嬢は独身なのでもちろん子供はいない)、すっかり良いも回ってきてしまった。そして、そのままマッサージは「じゃ次回と言う事に」となった。それに専ら会話はお母さんとT嬢との間で交わされており、私は時々口を挟む程度であった。

朝食
もちを焼き、海苔を巻いて食べる。
昼食
小屋がけ食堂からお母さんにバジル炒めライスを、私にはハーブと唐辛子の効いた炒飯を買って来て食べる。
夕食
T嬢を招いてお好み焼をふるまう。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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