旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月21日 日曜日    天気は昼過ぎまで雨

 バンコクまで汽車で行ってみようと思った。それも3等座席車で。夜行列車ではちょっと辛そうなので、昼行の快速列車に乗ることにした。チェンマイ出発は朝6時25分でバンコク着は夜8時45分とチェンマイのフリーペーパーに時刻が出ていた。早起きをしなくては、、もし乗り遅れたら、やっぱりいつものソンバットの夜行バスで行こう。

 昨夜は一晩中雨だったようで、朝になっても雨が降っている。そのため窓の外がいつまでたっても暗いままだ。目覚し時計を見ると6時ちょっと前。スワ、寝坊をしてしまった。大急ぎで着替えをしてアパートから飛び出す。アパート前で乗合ピックアップトラックを拾い鉄道駅へ。駅に着いたら6時15分。大丈夫、間に合ったようだ。バンコクまでの快速列車3等運賃は161バーツ。安い。とても安い。たしか、20年ほど前に来た頃と大して値上がりしていないのではないだろうか?当時も鉄道の3等運賃とほぼ同額の3等バスの運賃が、チェンマイからバンコクまで120バーツほどであった。打ち出された切符を見ると出発時刻は6時40分となっている。バンコク到着も夜9時過ぎだ。

 列車は、バンコクから走ってきて今朝5時過ぎに到着した夜行列車から寝台車だけを切り離したもので、8両編成。2等車が1両とキッチンカーが1両連結されている。私の指定された席は最後尾の8両目の34番と言う席であった。乗車率は20パーセント以下だろうか、早朝の出発のためかガラガラである。外国人観光客の姿も見えない。現代のタイ人にとってもこの金額は高い金額ではないだろう。14時間半もかけて3等車でバンコクまで乗り通す客などいるのだろうか?いるとしたら3等車に乗る何か事情でもあのだろうか?見まわしてみたが、みんな普通のタイ人たちであった。食い詰めてバンコクへ出ていくような家族とかも見当たらないし、ひょっとして、みんな近郊まで出降りてしまうのだろうか?

 チェンマイ周辺の田んぼの田植えの最中であった。クンタンの峠を越えて、ランパンに入ると、少しずつ乗り込んで来る客が増えてきた。それと段ボール箱などを持ち込む客の姿が目立ち始め来た。このあたりから乗る客がバンコクまで行くのだろうか?

 タイの鉄道では、チェンマイ行きの北本線と先日乗った南本線にトンネルがあると聞いていた。北本線では、クンタンのトンネルとランパンとデンチャイの間にトンネルがあって、南本線はトンソンの近くに1箇所トンネルがあったから、タイにはトンネルが全部で三つだと思っていた。特にデンチャイまで鉄道が通ったのは第一次世界大戦前で、そこから先はトンネル工事が難航して、だいぶ後になってからだと本で読んだことがあった。だから、バンコクからデンチャイまでの間にはトンネルがないものと思いこんでいた。しかし、なんとデンチャイからウタラディトまでの間に2箇所もトンネルがあった。これで全国で5ヶ所と言うことになる。昼の汽車に乗らなくては解らないことだ。まぁ別に解っても何の役にも立たないが、、。

 3等車に乗るにあたって一番の気がかりは居住性の悪さと汚さであった。以前の記憶だと、座席は木のイスで、4人と6人のボックス席で構成されていた。客車は日本の電車よりやや細身で、座ると狭いなぁと感じた記憶がある。それとエアコンがなく、窓を開け放つと、ディーゼル機関車からの煤煙で入ってきて、目が痛くなり、また汗の浮いた膚にススが付着して、長時間乗っていると髪の毛はゴワゴワ、顔はススだらけと言う惨状になった。さらに、客車の便所は垂れ流し式で、ときどき列車が巻き上げる風で、便所からの飛沫が飛んでくるのである。臭いし汚いし、だからエアコン無しは敬遠したいのだが、今回は覚悟を決めて乗り込んだ。
 しかし、居住空間は悪くなかった。座席も4人のボックス席だけで構成され、薄っぺらだがクッションのある座席になっている。掃除も行き届いていて、車内は汚くない。垂れ流し便所はそのままながら、外は雨が降っていて、肌寒いくらいだ。窓を開ける必要がないので、窓から煤煙や埃、飛沫なども飛び込んで来ない。汗もかかないから、3等でも思ったより快適であった。

 ウタラディトの手前で、客車を増結して長い編成となった。それと乗客も増えて60パーセントほどの乗車率になった。このあたりはハイウェイからも遠く、鉄道が便利なのか、バンコクとの間にもかなりの本数の列車が運行されている。私の向かいにも5歳くらいの男の子を連れた妊婦が座った。

 ピサヌロクを過ぎると、田んぼは稲刈りの真っ最中となった。同じタイでも農耕シーズンと言うのはずいぶんと差があるものだ。午後になったがここで全線750キロの距離の約半分まで来たことになる。このあたりから車内の通路を行き交う売り子の数が増え始めた。売り物で一番多いのは、缶入り清涼飲料である。大きなバケツに氷水を入れ、その中に缶入り飲料を詰めて売り歩くのだから、バケツひとつの重さも相当なものだろう。それを手にぶら下げて通路を何往復もするのだから重労働だ。

 さすがに14時間半は長かった。特に午後からは日差しが出てきて、暑くなり、汗をかき始めた。それでも、窓を開けたくないので、窓を閉めきったまま、辛抱しながら日が暮れるのを待った。バンコクにはほぼ定刻の夜9時15分に到着。吐き出されるように長いホームを歩いて、駅前へ出て、オート3輪タクシーの呼びこみを掻き分けるように真っ直ぐステーションホテルへ向かった。今晩は6階の部屋だ。このホテル、漢字で書くと集成旅社となることを知る。集成とは、ステーションの音から来た中国語の当て字であるが、良く考えたものだ。はやくシャワーを浴びたい。

朝食
車内販売から買った豚挽き肉のバジル炒めライス目玉焼き付き。
昼食
タックリーあたりから乗り込んできた売り子から卵焼きのせご飯を買う。
夕食
ロッブリーあたりから乗り込んだ売り子から鶏挽肉のバジル炒めライスを買う。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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