8月20日 金曜日 天気は曇り ときどき雨
このトロピカーナ・リゾートは夕方6時から、朝6時までしか電気が供給されない。これはこれでなかなか良いのだが、やはり不便である。特にメールの返信を書いたり、公開日記を打つのに、パソコンが使える時間が限られてしまう。リゾートの裏にネット屋があり、そこへ行けば日中でも電力とインターネットが使えるのだが、1分間2バーツと恐ろしく高い。そのため、早朝早起きして、返信メールと公開日記を打ちこむ。ネット屋でネット接続をするのは、1回10分間の送受信だけとセコイことをする。
夜が明けて、明るくなってからは、優泰の朝の勉強を施設内の食堂のテーブルを使っておこなう。1年生から3年生の1学期までの漢字をひとつにつき50文字ずつ書かせることにしたのである。この課題を与えてから1週間。ようやく3年生の教科書までたどり着いてきた。タオ島に滞在中は、漢字を毎朝10個(つまり500文字)書かせることにした。朝の食堂で浜風に吹かれ、鳥のさえずりを聞きながら、私は漢字を書く優泰の監督を務める。小鳥のピョンも傍らにいる。
8時を過ぎ、食堂に宿泊客の姿が多くなってきた。テーブルもほぼ満席になる。しかし、私の監督不充分なのか、漢字を書かせて1時間たっても、まだ半分にも至らない。いつまでもこうしているのも迷惑と思い、我々も朝食を食べることにした。今朝はパッタイを注文。お母さんはクオッティオうどん、優泰はフルーツのヨーグルトかけ、コーンフレークのせとプレーンオムレツにトースト。どう見ても優泰は食べ過ぎである。リゾートの従業員たちからも「ウアン(デブ)」と言われている。私もお母さんも、家系的には肥満体質ではない筈なのに、どうして優泰ばかりはこうも太ってしまったのだろうか、、。
朝食後、雲間から太陽の光が差してきた。昨日に続いて今日も曇り時々雨と言った天気で、海の色も曇よりとしている。そのな中で明るい朝の日差しが差し込んできて、小鳥のピョンも翼を伸ばして気持ち良さそうにしている。私は鳥かごから出して肩にピョンを止まらせた。嬉しそうに私の肩の上でピョンは跳ね回っていた。テラスから太陽の光で色を変化させる海を眺めたり、餌をねだってテーブルの間を飛びまわる九官鳥のような鳥を眺めていたら、突然ピョンが私の肩から飛び立った。食堂の従業員が、砂で汚れたテラスを掃除し様と、バケツで水を撒いたのに驚いたらしい。海から浜に向かって吹く風は、上昇気流を発生させるのか、ちょっと舞いあがっただけのはずのピョンはグングンと高度を上げてしまう。羽ばたきもせず、翼で風を切って、どんどん高く遠くへ飛び去ってしまった。下から「ピョン、バカ、もどってこぉい」と叫んでも、全然聞こえていないようで、背の高いビンロウ樹のこずえにちょっと止まったが、また風に飛ばされて、飛んでいきやがて見えなくなってしまった。
まったくバカな鳥だ。自分じゃ餌も取れないクセして、こんなところでどうするつもりだ。私は飛んでいった方向へ、「ピョン」「ピョン」と叫びながら、探しに歩いた。トロピカーナと似たようないくつものリゾートの庭や敷地を横切り、探し回ったが見つからない。いつもなら、どこかへ飛んで行っても「ピョーン」と呼べば「チーッ、チーッ」と返事を返すのだが、今回ばかりは、丸でダメだ。耳を澄ましてみても、ピョンの鳴き声は聞こえない。静かな島だと思っていたが、耳を澄ませば澄ますほど、ずいぶんと騒音に満ちた島だと言うことが分かった。バイクのエンジン音、調子っぱずれの音楽、人の話し声、聞こえるのは人工的な音ばかりである。
「まったくバカな鳥だ、どうするつもりだ」と、つぶやきながら、でもこれからの帰国問題で、お母さんはピョンを日本へ連れて帰ることに反対しているし、どうせ別れなければならないのなら、こうしたキレイな南の島でピョンを放してやるのも悪くないのではないかとも考えようとした。食堂のテーブルを飛びまわる九官鳥に似た鳥たちや、椰子の樹間を飛びまわるツバメたち、緑に覆われた山に、美しい花、ここは鳥たちにとって楽園なのではないだろうか。
ヒナ鳥は成鳥になると巣立っていく。自分で試練を乗り越えながら行きぬこうとするもの、ピョンも遅れたが、ようやく巣立ち時が来たのかもしれない。そう、巣立ちなのだ。そう思うことにして、ピョンのこれからの幸せを祈ってあげようとした。
しかし、ピョンのことが気になる。親ばかと言うモノなのだろうか。
「ピョン、元気でいろよな」でも、寂しいなぁ
「ピョン、幸せになれよなぁ」でも、大丈夫かなぁ
「ピョン、ちゃんとエサをとれよ」でも、悲しいなぁ
「ピョン、カンバレよなぁ」やっぱり、探し出さなくちゃと、あちこちをうろつき「ピョーン」「ピョーン」と叫んで回った。
「ピョンのことは忘れよう、こんなに広い森でどうやって探し出すと言うすのだ」私はピョンのことが気になって、食欲が無いが、ビールを飲んで忘れてしまおうとした。大瓶のビールはあっという間に空になり、中国焼酎も、度の強いほとんど飲み干してしまった。私は酔ってしまった。そう、もうこの位よってしまえば、ピョンを探そうにも探せない。視点だって定まらないくらいだ。そう、このまま酔いつぶれて、寝てしまえばイイだけさ。
しかし、またも風雨が強まった。土砂降りである。風も強い。「あぁ、ピョンは雨に濡れてないだろうか」「軒先に入って雨宿りすることを知っているだろうか」、酔っても考えるのはピョンのことばかり、私は雨の中、酔った足でピョンを探しに出た。酔いで思考力は衰えたが、その分感情がもろくなったようだ。吹きつける雨に濡れた。好都合である。涙が流れても、誰かに気づかれることもない。しかし、酔っているので、ただ外を徘徊しているだけで、ピョンの手がかりなど何も見つからなかった。
シャワーを浴びて、部屋で寝てしまう。ディズニーの映画ならきっと、飼っていた小鳥が旅行先の島でいなくなり、何年か後に飼い主が再び島を訪れたとき、あのときの小鳥が、新しい鳥の家族を連れて飼い主のところへ挨拶に来るなんてストーリーになるのだろうが、そんなことが現実にあるわけがない。ディズニーの映画は子供に夢を与えるのかもしれないが、そんなのマヤカシ、ヤラセじゃないか(あたりまえかぁ)。ディズニーの映画なんて大嫌いだ。私にはちっとも夢など与えてくれない。目が覚めると、もう夜になっていた。そっと、部屋から外へ出て、裏山に向かって「ピョーン」と叫んだ。「ググー」とツチガエルが返事を返してよこした。ピョンはどんな夜を過ごしているのだろう。普段だった、夜寝る時に、私が手のひらで10分くらい抱いていてやらないと、なかなか寝付けない鳥なのに、、。
なお、ピョンが失踪してからの、家族の反応も少し書いておく。お母さんはピョンを心配してか、それとも私を心配してか分からないが、しばらく一緒にピョンを探そうとしてくれた。そして、その後も私のことをとても気遣ってくれたが、夕方から頭痛がすると言ってアスピリンを飲んで寝てしまった。
優泰は普段、「ピョンは自分の妹だ」と言って、よくピョンと遊んだりしていたが、失踪後はほとんど関心を示さない。もともと玩具でも壊れたらそれっきりにしてしまう性格なので、ピョンは妹ではなく、玩具的存在だったのだろうか、、。優泰の情操教育で、大きなあやまちをしていたのかもしれない。あとでお母さんから聞いた話だが、お母さんはピョンがいなくなったことで泣いたのだそうだ。そうしたら、優泰が「お母さん、泣かないでよ、お母さんが泣くと、僕も悲しくなるでしょ」と言ったそうだ。彼は一体何に対して悲しくなるのだろうか、、。