旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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11月19日 火曜日    天気は晴れ

 日中は完全にお母さんお抱えの運転手役に甘んじることとなった。まずは10時前にゴルフ練習場に送り込み、私はそのまま練習場の駐車場で文庫本を読みながら練習が終わるのを待つ。次に昼食を食べて、お菓子教室に送り込む。ところが本日はお菓子教室主催されている奥さんが体調を崩されたとかでお休みであった。いったんアパートへ戻りかけ、これで私も開放されるかと思っていたら、アパートの駐車場に入ったところで「足のマッサージへ行く」と言うことになってしまった。

 足のマッサージは、城壁内側にある女子刑務所で、服役囚の社会復帰の施設の一つとして市民に開放されているものらしい。日本でも良く刑務所で散髪をしたり、家具などの市販をしているが、それと似たものらしい。女子刑務所内へ足を踏み入れられれば、もっと興味も沸くのだが、マッサージは刑務所の壁の外にあった。私は他人に体を触られるのが嫌いな性質なので、マッサージ類は全般に遠慮しており、今回も運転手役だけなのだが、エアコンの効いたマッサージ室へ入って待つことは許された。
 さて、お母さんの足をマッサージをしてくれる女囚とはいかなる出で立ちだろうかと、興味津々であったが、出で立ちそのものは割烹着のようなものを着て、普通のマッサージ師と変わらない。それに歳は20代前半くらいと若くて、おまけにたいそうな美人なのである。目が合うと微笑みかけてくれたりするので、こちらとしてはドギマギしてしまう。「エエエーどうしてあなたのような人が、、。」と言った感じだ。
 マッサージの技術については、私は云々できる立場にはないが、お茶のサービスもあるし、設備も清潔で、一般のマッサージ屋と比べても遜色はない。しかも、マッサージ代は1時間100バーツと安い。僅かながらだがチップを渡したらちゃんとワイ(合掌)をして受け取っていた。囚人でも金銭の受け取りができるのかぁ、、。情報として、毎日営業していて、朝から夕方まで。しかも、夕方は比較的早い店じまいなので、行ってみたい人は、午後3時頃までにどうぞ。片言ながら英語を話すし、お母さんの足を揉んでくれた人は日本語も本で独学中と言う。もちろん、女性刑務官付きのサービスである。
 日本同様に、刑務所内の作業場で作られた製品が売られており、お母さんはコットンのスカートとズボンも買い込んでいた。市価よりもかなり安いと言うわけではないが、品質は悪くなかった。

 優泰が学校から帰ってきたら、今晩のロイクラトン祭に備えて昼寝を7時までさせる。昨年の祭では、見に行く途中で優泰は眠ってしまい、花火も見られなかったのである。今年こそはと、昼寝をさせ、目を覚ましてからは、家族全員分のクラトン(灯篭)を作り万全を記した。
 メーピン川周辺は大渋滞と交通規制のため、だいぶ手前でビートルを乗り捨てて、川沿いまで歩く。川沿いの道には電飾や張りぼてでにぎやかな山車が続いていると、川面には蝋燭を灯した無数のクラトンが流れている。が、何よりもすごいのは、ロケット花火と爆竹と鼠花火である。ロケット花火は頭上を飛び交い、爆竹や鼠花火は足元で爆ぜる。クラトンに願いを込めて川に流すのは如何にもロマンチックながら、飛び交う火花と炸裂音は、市街戦並である。
 私たちのクラトンでは、お母さんのクラトンが進水後まもなく蝋燭の火が消え、私のはさっさと川を流れくだり、優泰のは岸から離れたと思ったらまた戻って来たりして、なかなか進まない。そのうちに優泰の眼前で何かが炸裂した。飛んできたロケット花火か、爆竹だと思うが、パーンと言う大きな音の後すぐに優泰も炸裂音に負けないくらい大声で泣き出した。驚いてないたのかと思ったら、目が痛いという。どうやら目の回りを火傷したらしい。また多分飛び散った花火の燃え滓でも目に入ったのだろう。私たちは人ごみを掻き分けて急いでアパートに戻ることにした。

朝食
ご飯と南京豆。
昼食
メーピン川沿いのそば屋にてワンタンメン。
夕食
ホットドック。

 

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(2015年5月からのブログ)

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