7月19日 土曜日    天気は晴れ

 朝食込みの宿泊料金で、ざら紙の食事券を渡された。そこには「朝食はバイキングで好きなものを好きなだけ食べられます」と書かれていたが、その下には「バイキングがない場合は以下のメニューからお選びください」となっていた。そして、実際にバイキングではなかった。で、アラカルトと言っても、食べられますものはトースト、目玉焼き、ハム、ソーセージ、コーヒー、紅茶、麦芽飲料となっている。これでは選べる範疇は飲み物しかないではないか、、。そしてジュースや果物の選択肢はない。で、この朝食が実にさびしかった。ハムは薄い三角形に切られた一枚。卵は小さいのが1個、ソーセージは長さ5センチほどの極めて小さいもの。そして極めつけは、これは多くのタイで食べる安ホテルのトーストと同じで、一辺の長さが10センチほどの正方形をした薄切りパンが2枚だけである。パンの量からすると日本の食パン1枚よりも少ないのではないだろうか、、。私などこんなの10枚位食べても腹の足しになりそうにない。

 ホテルを出発したのは8時半。これからバンコクを目指して国道をひた走る。チュンポン周辺はマレー半島でももっとも幅の狭いあたりで、マレー半島部の特徴がよく出ている。それほど高い山はないのだが石灰岩の山であろうか、ニョキニョキとした山がポコポコとまるで特大の竹の子が地面から生えているように突き出している。そして道の両脇は椰子畑である。南国ムード溢れるハイウェイは峠と言うほどの坂道もなく、快適である。チェンマイ周辺の山道も魅力的なハイウェイが多いが、周りの風景はどちらかと言うと日本的で、このマレー半島部のような南国ムードはあまりない。国道4号線を北上するスピードは90キロ前後で走れて、窓を開けていればエアコンをつけなくても暑くない。たぶん緑が濃いからだろうか、燃費も良いようで、ガソリンタンクのメーターの減り具合がゆっくりだ。

 昼食を兼ねてガソリンスタンドに立ち寄って、昼食中にオイル交換をしたいと思っていたのだが、12時近くなっても、いつもオイル交換で利用しているシェルのスタンドがない。やっと見つけたのはもうバンコクも程近いサムットソンクラームあたりであった。ここのスタンドではあまり美味しそうな食堂はなく、コンビニで出来合いのピザやホットドックを買って食べる。しかし、ここのスタンドの工員はオイル交換がなれていないのか、もともと規定量が3リットルほどのエンジンオイルの注入量に対して、4リットルの容器のほとんど全部を流し込んでしまった。まぁ、注ぎ方も下手で、注ぎ口からかなりの量をこぼしていて、車体の下には大きなオイルの水溜りを作っていた。ギアのオイルの点検も依頼したが、「ギアが入りづらいのか」と聞いてきて、そんなことはないがと答えると、ならば大丈夫とオイル量の確認もしようとしない。タイらしいと言えばタイらしいが、ギアが入らなくなってからでは致命的なような気もするのだが、、。やはり、多少交換までの距離が伸びても、いつもチェンマイで利用しているスタンドでオイル交換をすべきであった。そこでなら、ギアオイルもステアリングのグリスも、エアフィルターの清掃までしてくれる。それでいて料金は同じ395バーツなのだから、、。スタンド脇の売店で近くの塩田で作ったという天然塩を買う。1キロ強で20バーツほどがビニールに入れられて売られていた。売店のおばさんは「3キロなら50バーツでお得だよ」と言ってくれたが、3キロも塩など買ってもしかたがない。1キロ入り一袋だってもてあましかねないのだから、、。

 バンコクまでもう目と鼻の先と言うところで、渋滞に巻き込まれた。ほとんど車が動かない。バンコクに近づいて気温も上昇。南国のドライブの快適さはなくなり、ただの熱帯の渋滞となって、エアコンはつけっぱなしである。しかし、こうした動きもしない渋滞でエアコンをつけているとエンジンの負担が大きい。特に空冷エンジンのビートルではなおのこと辛いようで、アイドリングも不規則になってくる。たぶんそれまで炎天下で走りつづけてきて、オーバーヒート気味だったところへ来て、この渋滞だからエンジンも相当にダメージを受けていることだろう。そして、バッテリー上がりも気になる。対向車線は車が一台も走っていない。これは事故渋滞だろうか、、。先ほどもペッチャブリー近くで大型バスの事故があって対向車線が通行止めになっていたから、今度も何か大事故でもあるのかと思っていたら、しばらくして対向車線を警察関係の車が数台走り抜け、それは事故現場へ向かうパトカーなどではなく、露払いだったようで、その後からクリーム色の大型高級乗用車が数台続き、さらに高級ワゴン車が数台続いた。どうやら王室関係者の移動にぶつかったらしい。バンコクは渋滞のメッカであるが、ことに王室関係の移動とぶつかると交通が遮断されるので身動きが取れなくなる。結局渋滞を抜け出すのに1時間を要して、バンコクの宿泊先であるマンダリンホテルに到着したのは午後4時になってしまった。

 夕食にはチェンマイからバンコクへ移られたPさんと一緒に中国人街のテキサスと言う老舗のタイスキ屋に行く。私も優泰もバンコクへ出たらばテキサスでタイスキを食べることが定例となっている。Pさんとは3ヶ月ぶりくらいの再会となる。現在バンコクにあるタイ語学校に通われていると言うが、話を聞いてみると、バンコクへ出てからと言うもの付き合う人は日本人ばかりで、タイ人の友人知人がいないらしい。それでも、日本語で話しているとタイ語が身につかないので平日は日本人との接触を絶っているそうだ。が、しかし、逆にタイ人の話し相手もいないとすると、平日は誰とも言葉を交わしあう人がいなくなるのではないだろうか。ちょっと、内気なPさんなのでその辺がちょっと心配である。

 夜、10時にホテルを出て、ドンムアン空港へお母さんを迎えに行く。バンコクはまったく夜になっても暑い街である。こんな時間帯でもカーエアコンをつけないと汗が出る。それと整備不良の大型ディーゼル車やバイクが多くて窓を開けるとひどい排ガスで目や喉が痛くなる。
 お母さんは、便到着後30分以上経ってから大きな荷物とともに税関から出てきた。日本へ向かう時には、小さなバッグ1つで「なにも持ってこないから」なんて言っていたのに、バッグまで移民用かと思う巨大なものに変わっているし手提げもいくつもぶら下げている。空港からホテルへ向かうビートルの中で話を聞いてみると、日本で義姉からやたらゴテゴテと「あれもこれも持ってけ」と持たされてこんな大荷物になったと言う。しかも、内容を聞いてみるとウンザリするような代物ばかりである。大半が優泰のご機嫌取りのようなものだし、それ以外はチェンマイでも簡単に手に入りそうなものや、あってもなくても構わないもの、また、「こんなもの持ってきてどこに置くんだ」と首を傾げたくなるようなものばかりで、肝心の生活に日本から持ってきて欲しいようなものは何一つ託されていなかった。どうせなら、チェンマイでは手に入りにくいような調味料やインスタントやレトルト食品などでも持って来てくれれば、多少は気が効いていると思うのに、、。そして、さらに私を愕然とさせたのは、荷物の重量が40キロもあり、航空会社からオーバーチャージを請求されたそうだ。半額くらいまで負けてもらったと言うことだが、それでもバンコクから東京への今回の航空券代よりも高い金額であった。爪先に火を灯すような生活をしながら、家計費をやりくりしている私としてはなんともやりきれない。

朝食
ホテルの朝食。ものたりないアメリカンブレックファスト。
昼食
ガソリンスタンド付設のコンビニにてピザとホットドック。
夕食
バンコク中華街のテキサスにてタイスキ。

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