7月20日 日曜日    天気は晴れ

 昨夜寝たのは遅かったが、今朝はちゃんと起き出して、優泰を誘ってホテルのプールへ行く。このマンダリンホテルのプールは広くはないが深さは充分にあり、日本のプールのように混雑していないところが良い。朝食前からプールに入るのは優泰の泳ぎがどの程度上達したかをお母さんに披露するためである。もう、優泰は足が立たないプールでも怖がることなく泳げる。まぁ泳ぐといってもクロールだって、傍からもたら「イヌカキか?」と首をかしげるものだが、それでも多少はおだててやり、本人をその気にさせて、練習を積ませる。その甲斐あってか、10メートルくらいまでなら何とか泳げるようになった。

 ホテルの、まるで修学旅行客用かと思われるような巨大で味気のないボールルームでの朝食をいただく。バイキングではあるが、メニューは多くはない。ただし、大好きなタバスコが置かれていたので、ベークド・ポテトにたっぷりと振りかけて食べることができて満足である。このホテルでのチェックイン時に朝食券は私とお母さんの2人分しかもらえなかったが、今朝朝食会場に入っても優泰分について伝票を切られるようなことも無かった。ホテルの従業員にはインド系の顔立ちをした人が多く。客層は家族連れの西洋人、中国系の団体客、そして現地調達と思われる若いタイ人女性を連れた日本人男性の小グループ、また、若い日本人女性の小グループが目立った。まぁ、バンコクの値段の安い大衆ホテルらしい雰囲気である。

 とんでもない量の荷物をビートルの屋根に載せたり、フロントフードに収容したりして、なんとか車内に人間の居留空間を確保し、お母さんの朝風呂が終わって、ホテルを出発したのはすでに正午近い11時半であった。往路もチェンマイを出たのは確かこのくらいの時間であったから、たぶん夜10時頃にはチェンマイへ帰りつけるだろうと考えていた。ところが、それは甘かった。まず、日曜日でもバンコク市内は結構渋滞している。渋滞を抜けてバンコク郊外のアユタヤに到着したのが、午後1時。ここで昼食を食べるのに1時間を要し、さらにガソリンスタンドに立ち寄って、お母さんのコーヒーブレイクで30分停車。ハイウェイを走っても、3人乗車に重たい荷物を屋根上にまで積み、エアコンもつけるという大変エンジンの負担の大きなことをしているのでスピードも70キロ以上で走るとノッキング音が聞こえてくる。外気温も高く、アスファルトの照り返しもあるからエンジンはオーバーヒート気味であろう。それと路面はパッチワーク状態の継ぎ接ぎだらけ、穴ぼこと亀裂だらけで、車体へのダメージが大きい。ナコンサワンを過ぎる頃には助手席側のドアロックが半分馬鹿になって、ロックをしていてもすぐに半ドアになってしまう。

 ビートルを転がしながら、お母さんから韓国や日本での話を聞くが、お母さんが言うには韓国と日本に滞在中は色々と忙しくて大変だったと言うが、忙しかったと言う内容を聞くと知人や友人、家族と「食事に出かけたりしなくてはならない」ので忙しかったそうで、他にデパートめぐりをしたり、本屋を見てまわったりで、ちっとも自分の時間がなかったと言うのである。が、それらが、自分の時間でないというのなら、いったい自分の時間と言うのは「昼寝をする時間」と解釈すべきなのだろうか、、。実は、今朝ほど、朝食時に、今まで優泰の躾でできていなかったことを、この一ヶ月間に一気に叩き込むことで、私としても相当神経を使い、大変だったけど゜、ようやくお母さんも帰ってきたし、これで開放されるかなと思ったとたんに、急に今までの睡眠不足と疲労が出てきてしまったのだが、お母さんからの話を聞いていて、私は大きな誤解をしていたことに気がついた。つまり、これからは、優泰だけではなく、もう一人手の焼ける扶養家族が増えたと言うことで、私の責任荷重はさらに増大していたのである。しかも、優泰と異なり、頭ごなしに怒鳴りつけることもできず、ビンタで教え込むこともできないような家族が戻ってきたのである。そう思うと、なんだか、フルマラソンを走り終わったところで、うさぎ跳び校庭10周を言いつけられたような疲労感がジワジワとでてくる。お母さんはソウルでバイクにはねられたそうで、足と腰が痛くて歩けないし、長いこと座っても要られないと言って、後部シートに横になった。

 タークと言う、チェンマイへのだいたい中間地点で2回目のガソリン補給をおこない、ここでトイレ休憩とスタンドの売店でのお菓子類の物色をする。時刻は7時に近づいている。バンコクから約400キロを7時間もかけているわけだ。いくらなんでも遅すぎる。急がないと到着が明日になってしまう、、。ここでも30分間の休憩をし、私はその間にバカになった助手席のドアロックを修繕して、7時半に出発。が、ハイウェイ本線に入ってすぐに、「晩御飯はどうするの、、どこかきれいなレストランにしてよ」とリアシートから声がかかる。このタークの街を出たらば、チェンマイまでは山岳道路で、沿道にきれいなレストランはおろか、大きな街などまるでない。私はハンドルを切ってユーターンをし、タークの市街地に入った。タークも観光客が立ち寄るような町ではないらしく、きれいなレストランなど見当たらなかったが、ヴィアン・ターク・ホテルという比較的大きくて立派な構えのホテルがあり、そこのレストランに飛び込んだ。田舎のホテルだし、ホテルレストランと言ってもそれほど高いこともないだろうとの打算も働いていた。
 結果的には、料理は想像していたよりもずっと美味しく、サービスも良かった。レストランにもホテルのロビーにも客の姿はほとんど見当たらなかったが、8時を過ぎた頃からレストランのステージにはドレスを着飾ったステージ歌手たちが何人も立ちタイの間延びしたような、犬の遠吠えか寝言のような歌謡曲を歌いだした。値段も私の打算とは裏腹に、それなりの金額ではあったが、とくにホット・オードブル盛り合わせと言う150バーツの料理と、優泰が注文したスパゲティー・ボロネーズがとても美味しかった。

 ステージの女性歌手の歌を聴きながら、なんだかこのホテルに1泊してからチェンマイへ向かってもイイんじゃないか、このまま水割りでも注文してなんて気分にもなったが、もう散財などしていられない。9時少し前にハイウェイにもどる。日没後の山間部は窓を開ければエアコンなど要らないくらい涼しい。気温が涼しくなり、エアコンも消したので、もうオーバーヒートの心配もない。登り勾配でもアクセルが床に着くくらい踏み込んでも、エンジンはへこたれない。そのまま一気にチェンマイを目指す。メーターは上り坂でも90キロをさし、平坦な道では110キロで走りぬけた。もう、優泰もお母さんも寝ているので、気兼ねなく走れる。チェンマイのアパートまでの約280キロを3時間かからず走り抜けて、11時半にはアパート駐車場にビートルを止めた。バンコクからずっとこのくらい速く走ったら、きっと夜8時には帰りつけていただろう。 

朝食
ホテルの朝食。素材の安そうなものばかりを集めたバイキング。
昼食
アユタヤの巨大スーパーに入っている「すかいらーく」にてカツどん。
夕食
タークのホテルにてホットオードブル盛り合わせと五目野菜炒め。

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