10月18日 土曜日    天気は晴れ 

 寝つきは良かったのだが、寝たのが早すぎたようで、午前1時頃には目が覚めてしまった。目が一旦覚めてしまうとガタンゴトンと揺れる寝台車では良く眠れなくなってしまう。1時間おき位にどこかの駅に停車を繰り返しているようなのだが、私は二段ベッドの上段であり、外が見れる窓が無く、いったいどの辺なのか良くわからない。

 午前5時前になると起き出してくる人が多くなり、空港のあるドンムアン駅では外国人客が結構下車していき、ほぼ定刻の6時過ぎにバンコク中央駅に到着した。バンコクでは1時間半の待ち合わせで南部へ行くディーゼル特急に乗り換えることになっている。時間もたっぷりあるので、駅構内のフードコートに入って朝食とする。この駅は新幹線が乗り入れてくる前の上野駅と良く似ている。駅構内には出稼ぎ労働者風が多く降り立ち、広いコンコースを取り囲む商店や事務所も雑然としてちょっとセンスにかけている。食事を取れるこぎれいな店が無いところも共通していて、この時間に営業しているのはふた昔前くらいの学食を彷彿とさせるフードコートだけである。そこしかないのでそこを利用したが、ゴキブリの幼虫が徘徊し、一応エアコンがあるのだが、そのために締め切られたスペースには食べ物の匂いが充満し、ちょっとムッとした感じである。チェンマイのクーポン食堂などと比べると衛生面でかなり劣る。また料理の内容も劣り、大した食べ物がない。チェンマイのスーパーなどに入っているクーポン食堂の多くは、ファーストフード形式にはなっているが、実は結構市内の老舗の食堂が出店していることが多くて、味がいいのだが、バンコクの駅ではどうもそうではないようだ。米の質も今ひとつだし、おかずの盛りも悪い。味付けも砂糖でごまかされたような味である。それでも料金はチェンマイよりも二割方高く、野菜炒めのせライスで30バーツであった。

 朝食を取り終えてもまだ時間があったが、ホームで列車を待つことにする。朝のバンコクには各地から夜通し走ってきた長距離列車が次々と到着し、また各地へ向けて出発していくので、それらを眺めているとなかなか楽しい。この列車の出入りを見ながら気付いたことが二つ。ひとつは列車の車体に前面広告がなされていることだ。東京の都バスあたりも車体広告をしているが、この列車の広告は実にいただけない。たぶん広告業者に車体広告を担当するデザイナーが揃っていない事が原因なのだろうが、ほとんど折り込み広告の拡大版ではないかと思えるデザインが多くて、広告主の電話番号とか、商品説明などが書かれたものがある。走行する車両にこんなものを書いていった移動するつもりだろう。もっと商品イメージを強調したデザインにすればいいのに、、。それと何両もつながった広告車体は色使いに統一が取れていなくて汚らしく見える。
 もうひとつ気付いたことは、鉄道ファン的なことであるが、数年前から3等車のエアコン化のために日本から中古のディーゼルカーが多数輸入され、バンコク近郊を走っていたのだが、今回良く見てみると、ディーゼルカーの床下にぶら下がっていた自走用エンジンが取り払われている。そして一般の客車のように機関車に牽引されている。技術的な問題でそうなったのかもしれないが、自走が出来るディーゼルカーなのにずいぶんともったいない気がする。

 コタオ島への玄関口となるチュンポンへ向かうディーゼル特急は7:45発の予定が少々遅れて8時に出発。その後も特急らしからぬ鈍足で、ノロノロと走っては小さな駅に長々と停車する。たったの二両編成の短い特急ながら、それでも車内はほぼ満席で、外国人客は少なかったが黒いベールをすっぽりかぶったイスラム女性も乗っていた。

 この特急が遅いのはどうやら単線で列車の交換で遅れが出るらしい理解できた。その交換の列車も遅れていて、その遅れは洪水によるものらしかった。ペッチャブリーを過ぎたあたりから車窓を過ぎる風景は水浸しになった農村に変わった。どこが田んぼで、どこが畦なのかが解らなくなったし、道を歩く人も腰まで水に使っている。線路も所々冠水しているのか、列車は徐行しながら走るのだが、まるで船が航行するかのように列車は波を蹴散らしながら走る。きっと後ろには航跡さえひいているのではないだろうか。
 フアヒンを出るあたりからは空模様も曇よりとしてきた。車内サービスの電子レンジで暖めた簡易弁当を食べる。プラチゥアップキリカンを過ぎると雨になり、チュンポンまであと10分ほどの小さな駅では、延々と停車したまま動かなくなる。いや、一旦チュンポンへ向けて走ったのだが、数キロ走ったところで、また停車して、それからまたもとの駅へとバックをし始めた。どうやら前から対向する列車が来てしまった為らしい。この小さな駅では日本の中古ディーゼル機関車DD51型が何両も置かれており、バスをレールの上に載せたようなディーゼルカーも止まっていた。

 チュンポンへは1時間の遅れで到着。小雨の振る中をパラドンホテルまで歩き、チェックイン。お母さんがお風呂に入っている間にホテルの近くにあったショッピングセンターでサンダルを買う。私がチェンマイに来てから履き続けてきたサンダルも今朝、優泰に踵を踏まれた拍子に底が剥脱し、使い物にならなくなってしまったのである。長いこと履き続け、タイを駆け回ってきた戦友のようなサンダルであったが、思い途中にして、チュンポンと言う遠く離れた土地で、離別することとなってしまった。

 夕方からホテルの従業員にバイクを100バーツで借りてホタル見物に行く。ホタルのいる場所はフアタノン通りと言うコタオ島への船が発着する船着場に近い通りなのだが、そこから脇道へ少し入ったところである。ただし、夜の田舎道で、どこが脇道の入り口かわからない。フアタノン寺へ立ち寄ってみると、住職らしいオレンジ色の袈裟を着た年配のお坊様がいたので、「蛍が見られる脇道はどこですか」と尋ねてみたが、「昔はいたが、いまはもう蛍なんかいないよ」とつれない返事であった。しかし、7月にこの目で見ているのだから、いないわけは無い。しばらく通りを戻りながら、民家の縁台に座っているおばさん2人に蛍のことを聞いてみる。「そうそう、昔はこの辺一帯が蛍だらけだったねぇ」なんて言って、我々が蛍を見に来た事に関心を示した。どうやら相当に酒が入っているらしく、ご機嫌である。そして、よっしゃと、バイクを引っ張り出してきて道案内をしてくれると言う。脇道はこの民家のすぐ向かい側であった。
 水辺にせり出した木には無数の蛍がまるでクリスマスツリーの装飾ランプのように点滅している。初めて見るお母さんも、この光景に感動気味のようであったし、これが二回目の優泰は「ねえ、お母さんすごいでしょう」とまるで自分が案内してきたかのように鼻高々である。酔っ払っているおばさんも「スアイ(綺麗)」を繰り返していた。しかし、ちょっと残念だったのは、前回7月に見たときはホタルが群れている木が、水辺にもう二本ほどあったのだが、今回はたったの一本しかなかった。先日のニュースで日本のトキが絶滅したと言うのを思い出した。しかし、ここではホタルに関する地域住民の関心はそれほど高くないようである。

朝食
バンコク駅のフードコートにて野菜炒めのせライス。
昼食
車内サービスの弁当。鶏肉と野菜の煮込みライス。
夕食
チュンポンのベトナム料理食堂にてネーム(ベトナムの手巻きライスペーパー)。トムヤムクン。

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