朝の日本語特訓の最終日。明らかに1人の生徒は集中力が持続できなくなっているのがわかる。教科書へ落書きをし始めたり、周辺のものに手を伸ばして気を紛らわそうとしている。このままでは脱落してしまいかねないので、30分くらいおきにレッスンから離れて雑談をしたり、大阪のOさんが持って来てくれた日本の学生服のカタログを見ながら日本の生徒たちの話題などをして脱落を防ぐ。雑談の中で彼女たちの学生生活についても少し教えてもらった。毎日学校へ持っていく小遣いは40バーツだそうだ。20バーツで昼食を食べ、残りのお金でお菓子を買うらしい。二人の生徒はそれぞれ通う学校が違い、ひとりはユッパラート学校と言うワタノーと同じ国立の学校。昼食には10バーツでおかずが3品付くらしい。もう1人が通うのはレジーナと言う私立の女子校。こちらも40バーツの小遣いを貰っているらしいが、10バーツではおかずが一品しか付かないらしい。
12階に入れたコードレス電話が使えないと言う。入居者によると、入居以来一度も使ったことも無いと言う。8月に買ったばかりなのでまだ保証期間内のはずである。購入元の巨大スーパー・ロータスへ修理を依頼に行く。前回もこの電話のことで具合が悪くクレームをつけ、その時の応対が非常に不愉快であったのだが、今回も不愉快な思いをすることになる。まだほとんど使っていないのに故障したと言ったところ、保証書を見せろと言う。保証書など最初から渡されてもいないし、レシートを持ってきているのだ。それから、どのような状態で壊れたのかと質問される。使ってもいないし、使おうとしたら壊れていたと説明しても、なぜ壊れたのかくどくどと聞いてくる。そして、説明を進めると、それなら係りは「俺じゃない」と何度もたらいまわしにされ、そのたびに同じ質問をされて、同じ回答をする。最終的には「修理は急ぐか」と聞いてくる。あたりまえじゃないか、電話が無くてどうする!と言いたかったが、私が口を開く前に「急ぎの修理はチェンマイでおこなうが、修理代は購入者の負担だ」と言われる。なら急ぎで無いならどうなのかと言うと、「バンコクのセンターに送る」と言う。交通の便の発達した現代だからバンコクの往復だって大して日数がかかるものではないだろうと考え、どのくらい日数が違うか聞いてみた。すると「まぁ2ヶ月くらいだろう」とふざけたことを言う。何でそんなに時間がかかるのかと聞くと、「センターには毎日沢山の商品が持ち込まれるからだ」と答えが返ってきた。つまり、一度売ってしまったものに対して、無料の修理はしたくない。むしろ修理も儲けの対象にしたいという魂胆が見え見えで気分が悪い。ならイイよ自分で修理するからと言いたかったが、変な好奇心が沸いてきて、バンコクに二ヶ月間も修理に出すとどうなるか知りたくなった。なんとなく、二ヵ月後には修理に出した電話など忘れられてしまっているのではないかと言う。そして、電話機がバンコクから戻ってこなかったとしたら、きっと「自分が無くしたんじゃない」って主張されるのではないだろうか。
例の自動車詐欺事件の加害者のタイ人女性Dとばったりナコンピンコンドのエレベーターホールで鉢合わせをする。たしかヨーロッパへ品物を運ぶ仕事をしに長期で出ていると聞いていたが、どうやら舞い戻ってきたようなだ。声をかけてきたのだが、顔はずいぶん疲れているが、やたらすごい剣幕である。「アタシはちっとも悪くないのに、アンタたちに金を巻き上げられた、訴えてやるから」と息巻いている。きっと、ヨーロッパへ出稼ぎに行って上手く行かなかったのだろう。それに、やたら早口のタイ語で捲くし立てるばかりなので、いったい何を激昂しているのかもわからない。「なんだか良く解んないけど、言いたいことがあったら、弁護士を通じて話してよ」と無視することにした。ナコンピンコンドに知り合いでもいて出入りしているのは知っているが、まったく、狭い日本人社会で、騙したり騙されたり、日本人のカラムところにロクなことはなさそうだ。クワバラクワバラ・・・
夕食にはO氏たちと我が家とでパーティーブッフェへ行く。メニューにシンハビールのナマがあったので注文したのだが、おぉ生ビールかぁと期待したのだが、期待はずれで、まるでビールの水割りのように気の抜けたビールであった。ジョグで一杯飲んだ後で、すぐにビン・ビールに切り替えた。本日も食べ過ぎてしまい、もう当分肉など食べたくないと感じる。でも、満腹で苦しいけど、ここの豚肉は他の豚鍋バイキングの店とは比べ物にならないくらい良い肉で美味い。
朝食
|
夕べの残りの五目炊き込み御飯。 |
昼食
|
パンにジャムとスライスチーズ。 |
夕食
|
パーティーブッフェにてバイキング。 |