10月8日 水曜日    天気は晴れ

 そろそろ来年の滞在許可と労働許可の手続きの延長申請手続きに取り掛かる。実質的にはこの作業は必要な書類を揃えることと、関係機関への根回しが大変で、私の手におえる作業ではない。このタイという国は自分が住みつづけたいという意志だけで滞在を認めてくれるような国ではない。自分がタイの国にとって如何に貢献する人間化をアピールする書類が求められる。私はその辺の面倒なところをチェンマイにあるキリスト教系の団体に委託している。そして、その団体のボランティアスタッフとしての地位を与えられることで、私の合法的な滞在が認められているに過ぎない。これは形式的なボランティアスタッフではなく、本当に私は無報酬でこの団体を通じて持ち込まれる依頼事項に対してあちこちの現場での作業に就いている。ラジオの番組もワタノー学校も、コンピュータ関連も、、。無報酬で引き受けているのだから、この団体にも、タイ国にも十分に貢献できていると思うのだが、キリスト教の信者ではない私は、それだけでは不十分で、年末にはこの団体へドネーション(寄付)をしなくてはならない。これが結構な額で、通常信者さんは収入の一割を教会に寄付するそうなのだが、私のような無収入のものは、別途のガイドラインがあるらしく、出身国によってか、まぁそれなりの寄付を求められる。本日はこの団体のパソコンの修理と合わせて、ドネーションについてと、今後の手続きについての話し合いをする。

 来月には日本でかけている生命保険の契約更新を迎える。契約年数の関係か、年齢の関係か確認していないが、自動更新すると月々の保険料がアップするらしい。更新をせずに減額扱いするには、保険証券など面倒な変更手続きが必要らしい。この保険料もバカにならない。日本にいたときはオンボロのラビットスクーターで駆け回っており、いつ事故や自爆をするか判らなかったので、それなりの金額の保険に加入していた。月給取りだったし、給料からの天引きでもあり、なおかつ団体扱いでもあったので、保険料は大して気にならなかった。しかし、現在は無収入であり、何もしていなくても、日本の銀行口座から住宅ローンと保険料は引かれていっている。正直なところ、保険など解約してしまいたいが、もしもの時の保証は、保険しかなくなっているし、それにその時の来る可能性はちっとも減っていないのだから、保険料が上がっても契約の更新をせざるおえまい。そのための手続き書類の郵送のために郵便局に立ち寄ったら、レスキュー隊員の制服を着込んだ2人組みに声をかけられた。事故で家族を失ってしまった人たちへの募金に協力してほしいと言うのである。チェンマイには119をまわせば最寄の消防署から救急車が派遣されると言ったシステムは無いようで、救急車は高級私立病院の専属である。一般の交通事故は慈善団体のレスキュー隊によって怪我人の搬送がおこなわれている。この土地での事故の多くがモーターバイクによるもので、事故は多くの場合が重大事故である。そうして稼ぎ手を失った世帯に対して、加害者側の保険から支払われる保険金は最大でも10万バーツほど、決して十分な金額ではない。明日はレスキュー隊のお世話になるかもしれないので、私も幾ばくかの寄付をさせてもらう。領収書を発行すると言っていたが遠慮した。領収書をもらうほどの金額でもないし、ましてや、税金の還付申告も必要の無い身である。

 来週末から一週間ほど優泰の学校は学期末の休みに入る。夕べ話し合って、この休みに家族でタオ島へ行こうということになった。お母さんがビートルでの長距離旅行は絶対嫌だと言うので、今回は汽車の旅となる。タイは陸上公共交通機関が安い国だが、家族3人での旅行ともなると結構な出費である。出発は来週の金曜日の夕方に出発する夜行列車と決めたが、駅で予約をしようと思うとすでに満員らしい。たぶん、優泰の通うインターナショナルスクールの休みに合わせて家族旅行する人たちが沢山いるのだろう。予約ができたのは、新型ではない急行列車の2等寝台で、しかも、二段ベッドの上段二つと下段ひとつである。もっと早く旅行の計画を立てて予約をしておくべきであった。

 午後から低学年の日本語補講を実施。今日はワタノー学校は何かの試験会場になっているらしく、ワタノー学校以外の見慣れない制服を着た高校生たちでキャンパスは埋め尽くされていた。日本だったら受験の模擬試験か何かだろうと見当がつくが、タイでもそんなものがあるのだろうか、、。ちょっと騒がしいので、教えるのにも大きな声をを出さなくてはならず、疲れて喉がかれる。私は低学年としているが、よくよく確認してみると14歳だそうで、中学校の3年生に相当する。そして、ワタノー学校の生徒ではなく私立のワタノー学校に通っているそうだ。その学校で一年生のときから日本語を習っていて、今年が3年目と言うが、日本語の実力は私が受け持っている正規授業の二年生よりも劣るようだ。一年目に挨拶言葉を習い、二年生でひらがなを習ったと言う。なるほど、親や学校経営者側の期待が大きい私立の学校でもこの程度のレベルであれば、私の教える日本語の進行状況も捨てたものではないかもしれない。来週には書き上げなくてはならない後期授業の授業計画案も、あまり高望みせずに、現実路線に則した内容を書けば良いのかもしれないと思い、だいぶ気が軽くなった。授業を引き受ける前に学校側から提示された授業計画は、一年目で簡単な日常会話のマスターとなっていたけど、他校での例をあげて、初歩的な構文の作成程度に格下げしても許してもらえそうである。と、勝手に解釈する。

朝食
夕べの残りのおかず。
昼食
スアンドーク門近くのファーイで豚肉の煮込み(ムーパネーン)ライス。
夕食
アパート近くに新しくオープンしたパブレストラン、テイクオフにてミックス・ヤム、野菜と牛肉のオイスターソース炒め、海老すり身団子の揚げ物、豚挽き肉と唐辛子の葉包み蒸し焼き。

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