7月8日 火曜日 天気は曇り
企画書作成のために、昨夜は午前2時近くまでかかってしまった。特別大したものを作成しているわけではない。ただ作業がのろいのと、構成がまとまらないだけのことである。それでも朝は6時過ぎにはしっかり起きられるのは、最近朝の運動を再開しており、体調が良くなっている証拠であろう。以前は、別に身体を動かすわけでもないのに、昼間から眠くなったり、朝も起きられないくせに、夜の寝つきが悪かった。きっと、極度の運動不足で、睡眠が浅くなってしまったためではないかと、勝手に解釈し、運動のおかげで、夜ぐっすり眠れて、昼間眠くならないのだろうと思う。
そんなこんなで、今朝も朝から企画書作りである。毎度思うことながら、私は北タイをかなり走り回ってきたほうである。しかし、ほとんどカメラのシャッターを切るということがなかったので、いざチェンライ県の資料を作ろうと思っても、資料に挿入できるような写真がまるでないのである。たまに該当するような場所の写真があっても、そこには優泰が被写体として大きく入っているので使い物にならない。今後ともこのような依頼を受けることもあるだろうから、もう少し資料として活用できそうな写真を集めることにしよう。
午後からのワタノーハイスクールに教えに行く。優泰を留守番させておくことが心配なので、一緒に連れて行った。以前から学校の先生たちは、「かまわないから連れておいでよ」と言ってくれていたが、日本なら確実にお愛想として聞き流さなくてはいけない状況だと思うが、ここチェンマイでは、本当に連れて行っても良いらしい。が、連れて行ったことによる負担は、やはり私に跳ね返ってきた。授業時間中に優泰には職員室で算数の問題をやるように指示しておいたのだが、周りの先生たちが気を使ってくださってか、チヤホヤして下さり、終いには、先生の一人にアイスクリームを買ってもらって、アイスを舐め舐め、口の周りをベトベトにさせながら、私の教室に見学にやってきた。こっちは遅れがちな授業を少しでも早く前へ進めようと奮闘しているところへ、こんなガキに飛び込まれ、生徒たちの関心は黒板から優泰へ飛んでしまった。
授業終了後、職員室の片隅で、軽食を優泰と2人でご馳走になった。出されたものベトナム料理である。ベトナム風の生春巻きや各種のハーブ、豚肉などはライスペーパーに包み、甘辛いタレでいただくとなかなか爽やかな味である。ライスペーパーは日本や香港のベトナム料理屋でいただくものと比べると2周りくらい小さく、サイズはワンタンの皮くらいしかない。しかし、優泰はこの初めて食べる料理が気に入ったらしく、パクパクと良く食べた。ただしタレは辛いらしく、タレをつけないままで食べていた。あんまりにもたくさん食べてくれたので、夜になっても腹がすかないようで、結局夕食は即席ラーメンで済ませてしまうことになった。
夜、12階に部屋を持っていて売りたいと言う男性と会う。以前からエレベーターの中でよく顔をあわせていたのだが、聞けばシンガポール出身だそうだ。部屋はリノベーションをしたばかりと言う。壁紙は青竹の絵がかかれていて、なんとなくシェラトンワイキキホテルの廊下を思い出させる。竹など、ほんの少し飾りでアレンジすれば良いものを、西洋人の東洋趣味のように部屋全体が竹模様である。悪趣味だなと思ったが、彼はこの壁紙が自慢らしい。張り替えたばかりだと言う。部屋の内容的にはキッチンセットがなく、ベランダに給水設備もないので、仮に買ったとしたら大工事が必要になる。物件としては魅力に欠ける部屋であった。値段的にも提示価格が高すぎた。
突然のことながら、明日の夜にはチェンライに入らなくてはならなくなってしまった。明後日の朝一番にメコン川沿いの町チェンセンで人と会わなくてはならない用事が舞い込んできた。相手は台湾人らしく、電話口でバンコクのH部長の紹介だと名乗り、こちらの語学力に関係なく北京語で用件を伝えてくる。まさに私が今手がけている企画書に関する打ち合わせと下見をかねてくると言うので、こちらも会わないわけにいかない。しかし、ここからチェンセンまで250キロ。朝8時に会いたいというだから、こっちも泊りがけである。と言うことは、明日の昼までに企画書を仕上げないといけない訳か、、、。今晩も徹夜だなぁ
朝食
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パンを蒸してカスタードクリームをつけて食べる。 |
昼食
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春巻きとモチ米。
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夕食
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タイ製の即席麺。 |
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