1月7日 月曜日 天気は晴れ
新年が始まり、優泰も新学期である。冬休みの間はさんざん遊びほうけていたから学校生活に戻れるかどうかちょっと心配したが、下校時の表情を見たところこれと言って問題はなかったようだ。日本語の補習校もちゃんとこなせたようだ。
私も今日からYMCAのクラスが始まる。今月も月水金の週3日がタイ語、火木の2日が英語である。タイ語は試験も何もなくレベル4に進級。教室は以前より広い教室となったが、生徒数は多くない。5人くらいだろうか、、。今日は類別詞を習う。タイ語は類別詞がやたらと多い。とにかく新しく単語を覚えるときには、その単語が名詞なら、その名詞の類別詞も合わせて覚えていかないと手におえないほどだ。もちろんそんな努力などしていないが、類別詞とは1匹、2匹の「匹」とか、3台、4台の「台」のようなもので、日本語の類別詞も複雑だが、タイ語はもっと裾野が広く、魑魅魍魎の世界のようだ。日本語なら鉛筆もボールペンも1本、2本だが、タイ語は鉛筆とボールペンで類別詞が違う。そして、この類別詞がタイ語の場合、とても行動範囲が広く、英語で言うところの代名詞的な働きまでしてしまう。あー頭が痛くなってきた。そして、帰りがけにタイ語の授業料が300バーツ値上げになったから差額を払うように言われる。先週払い込んで領収書をもらったばかりなのに、「値上げしたから差額をよこせ」とは如何にもタイ的である。しかし、今日は現金の持ち合わせがないので、来週と言うことにしてもらう。まぁ、来週も300バーツなどと言う大金を持っていない可能性が高いが、、。
昨日仕入れた情報で700年記念運動場でフェスティバルがあるというので、夕方から家族3人揃って行ってみる。会場は運動場ではなく、運動場の向かいにある広い空き地でおこなわれていた。普段はただの空き地で係員が誘導していて駐車料を20バーツ払い、いつのまにか鉄条網で囲われていたフェスティバル会場に入るのに入場料(大人20バーツ・子供10バーツ)を払う。入ったところがテントがけの露天になっており、100円ショップにありそうなものが並んでいる。更に進むと鉄道線路がひかれている。レールもしっかりしたもので、かなり疎ながら枕木で固定されている。どうやら観覧用の汽車も走っているようだ。会場内には地元の製品を展示即売するテントが沢山張られ、どことなく田舎の「商工会祭り」のような感じがした。もちろんタイだから食べ物の屋台も沢山出ている。まず、ハニーコーンをお母さんが食べ、ソーセージフライとカニカマボコもどきを優泰が食べ、私はヤキソバをほおばる。ミカンも買い、タコ焼きプレートで作ったようなココナツのプディング風も食べながら歩いたが、座って食べようと、チャーンビールののぼりの立つテーブルに着く。周りにはチャーンビールのキャンペーンガールが沢山いて、ビールを飲まずにテーブルを占拠するのが申し訳なく感じてしまう。そして、周りでは盛大にビールジャグが行き交い、注ぎまわられている。私もビートルの運転がなければ、是非ともジョッキでゴクゴクとノドを鳴らしたいものだ。テーブルについて、一口大の中華まんやカニチャーハン、バーベキューにおでん風の丼と手当たり次第に私は買い食いをした。
食後、優泰お目当ての移動遊園地の遊戯施設へと迎う。はじめに観覧車、直径が10メートルと小さい。お母さんと優泰をこれまた小さいゴンドラに押し込み、私は炭火焼のトウモロコシなどをかじりながら眺めていたが、この観覧車から一向に二人が降ろされる気配がない。グルグルし回りつづけている。いい加減ウンザリした頃ようやく2人はゴンドラから開放されて出てきた。二人も早く降ろして欲しかったそうだ。都合20分ほど回っていたから、一体何周回ったのだろう。その他にも回転飛行機や電動自動車などに優泰を乗せ、優泰も満足顔であった。時刻も8時半となり、優泰はもう何時もなら寝るべき時間である。駐車場へ急ぐと、会場内を走る汽車の駅があった。優泰がどうしても乗りたいと言うし、これなら家族3人で乗れそうなので、時間的には遅くなったが汽車に乗ることにした。そのためアパートへ戻ったのは9時を回っていた。
朝食
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ご飯と炒り玉子と海苔。 |
昼食
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お母さんはタイ式ヤキソバのパッタイ。最近お母さんはパッタイがお気に入りだ。私は五目野菜炒めライス。 |
夕食
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本文の中で書いたようにフェスティバルの会場の中で買い食いをする。もっともむさぼり食べていたのは私だけで、お母さんは小さなあんまんとコーンそしてチャーハンだけである。 |
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