11月1日 土曜日    天気は晴れ

 午前3時にモーニングコールのベルで起こされる。なんだかさっきベッドに入って、キッチリとメイクされたシーツの圧迫感が嫌だなぁと感じていたのだが、、。タイ側にある駐車上までアクセスがあるか心配したのだが、客が来ればいつでもボートを出してくるようだが、ミャンマーを出る際には出国審査も荷物検査もなかった。

 午前3時半にゴールデントライアングルを出発。この時間帯はずいぶん冷え込んでおり、フロントガラスも水滴だらけである。前が見づらい。チェンセンの町の手前で検問があり、停車を命じられた。検問をしているのは警察ではなく兵隊であった。まだ若い兵士は、ミャンマーの係りと比べると身なりもよく、チェックは厳しいながらも、顔はニコヤカで、物腰も丁寧である。タイもミャンマーも似たような国に思われがちだが、一つ一つを比較すると、国のまとまり力が段違いのようだ。

 夜明け前の国道はやたらと霧が深い。ヘッドライトを上向きにすると、前が良く見えるどころか、真っ白にに光ってしまうばかりである。センターラインの反射を頼りに、細心の注意を払いながら、スピードを70キロ以上にキープしなくてはならないので、緊張して眠気を感じないで済んだ。もっとも、霧が晴れて、ヘッドライトで先まで照らし出せるようになると、かえって眠気を感じるようになる。途中、ウトウトしかけそうになったが、なんとか7時15分にはアパートにたどり着いた。

 アパートに戻ってから、疲れがどっと出てきた。優泰を補習校へ送り迎えをしたり、休む間もなかったのだが、午後からは日本語教師連絡会の研修に参加する。本日は「会話の教え方」についてである。参加された先生方は私のような俄かデモシカ先生ではなく、資格のあるプロなので発想がまるで違う。私などは単語の用法の分類など考えたこともなかったし、「○○てください」と言う使い方でも、依頼になったり、指示になったりと使われ方が違うなど思いもよらなかった。会話だって、正しい日本語文法での会話だけではなく、くだけた言い方のほうが自然であるなど、まったくの逆転の発想である。M先生はご自身は「天邪鬼だから」とおっしゃっておられたが、私は感心することしきりである。もちろん、くだけた言い方であっても、基本となる表現方法を身につけた上で、特に会話は話をよどませないテクニックとして、合いの手を入れたりするのも重要なのだろう。タイの学生が日本語を学ぶと言うことは、言語学としての日本語ではなく、別の目的があっての語学なのであろうから、学生たちも日本語の勉強ばかりをしているわけではないだろうが、こうした優秀な先生方の下で学べる学生たちは幸せだなぁと感じた。P大学のO先生が公開してくださった手作り教科書にある会話例も日本とタイの価値基準の違いを教えながらの編集になっており、どうしたら、ミスをした時に許してもらえるかなど、日本とタイとの謝り方の違いまで学べるようになっている。私が作っている、文法の例文を無理やり会話文を仕立て上げている不自然極まりないテキストとは大違いである。

 夕食にはコカでタイスキ鍋を囲む。ウエイトレスのチーフをしているラーさんの長女が1歳の誕生日を迎えたはずだからと、お母さんは小さなプレゼントを用意していた。ラーさんの長女はメーテン郡のメーホンソン県境に近い実家に預けているそうだが、店が忙しくて会いに行けないと言っていた。彼女と知り合ってもう7年位になるが、本当によく気の利くウエイトレスで、特に彼女がつくってくれるソーダ割はタイで一番美味しいと思う。

朝食

ご飯と納豆。

昼食
もち米と春巻き、豚肉の串焼き。
夕食
コカにてタイスキ。

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