10月31日 金曜日    天気は晴れ

 朝7時半にアマリリンカムホテルへYさんを迎えに行き、そのまま2人でチェンライへビートルで向かう。チェンライへ向かう車内でYさんとタイ・オリエント航空の話をする。この航空会社、今ひとつよく解らない航空会社なのだが、チャーター便を主体に運航しているらしい。日本向けのチャーターにも積極的で、日本人の客室乗務員も採用を開始したらしい。かなり旧式ながらジャンボ機やトライスター機も保有し、カンボジアへの運行権もあるので、うまく立ち回れば、化ける可能性もありそうだが、今のところはやはりよく解らない航空会社だ。

 チェンライではSomさんの旅行社を訪問し、チェンマイの観光やロングステイに関するレクチャーを受ける。Somさんのところで計画中のミャンマー経由の中国ルートの件についても説明を受けるが、Yさんから、「ルート上に景色が素晴らしいとか、見所があるのか」との質問を受けた。これは、大きな盲点だったかもしれない。山道でも見晴らしが利く山道なのか、そうでないのかも、私は関心外で、ミャンマー経由で中国に入ると言う技術面ばかりに気を取られすぎていたようだ。アドベンチャー向けのフロンティア・スピリットを強調できると考えていたが、そんなもの、旅行会社でパッケージ化してしまった段階で冒険でもなんでもなくなってしまう。ただ山道を車に揺られているだけで、ツアーフィーも安くなかったら、お客を呼ぶのは難しいだろう。この手のツアーは、技術面ばかりではなく、また今後できるであろうハイウェイなどの情報よりも、沿道にはどんな見所があるかなどソフト面の開拓をしなくてはいけないだろう。

 昼食にはドゥシット・アイランド・ホテルの中華レストランで食べる。ここはチェンライ随一のリゾートホテルで、広い敷地に立派な建物を擁している。ホテルはメーコック川の中州にあり、メーコック川の流れが眺められるのだが、しかしメーコック川などちっとも景観が良くない普通の茶色い川で、面白みに欠ける。どうしてこんなところにこんな一流リゾートを誘致したのだろうかと疑問が湧く。チェンライ県の観光をするベースキャンプとしての位置付けなのだろうか、、。昼食として食べた飲茶はセットになっていて、単品のオーダーや巡回ワゴンから好きなものを選ぶと言った形ではない。で、味付けは不味くはないのだが、しかし日本で食べる香港式飲茶のイメージとはだいぶ異なり、どれも味が似たり寄ったりで蒸篭を三つも食べると食べ飽きてきてしまう。ちょうどチェンマイのオーキッド・ホテルの飲茶と一緒である。それにセットと言っても、別にスープやチャーハンが付く訳ではなく、ひたすら蒸篭で蒸された飲茶攻めであった。

 午後からはメーサイ・タチレクのミャンマー国境観光をする。ミャンマー側では三輪バイクを雇って見所をまわる。そんななかで、首長族の見学も含まれていた。チェンマイをはじめ北タイには首長族を観光客に見せる施設が何箇所かある。ここに住んで二年半になるが、私はいまだにこの手の施設へ入場したことがなかった。首長族はメーホンソンの市場を歩いているのを見かけたことがあるが、お金を払って見たいと思ったことがなかったからである。それが、タチレクのレジーナ・ホテルの一角で見世物として施設が存在して、観光ツアーに組まれていたのである。正直なところこれは「人間動物園」と思えて、あまり気分が良くなかった。人権上の問題だとも思えた。第一、ここにいる首長族は女性だけなのである。なぜ女性だけかと言うと、首長族の男性は首を長くしないし、服装も一般のタイ人と大差のない格好をしているから、見世物としての価値がないと、案内役は話してくれた。ちょっと暗い気分であったが、しかし、ここに集められている首長族の女性たちの表情に悲壮感はなかった。「さぁさぁ、珍しいでしょ、写真にとってね」と言っているかのようで、盛んに写真を撮れ撮れと身振りをする。しかし、シャッター料を請求するわけでもチップをねだるわけでもなく、ニコニコしているので、その点ではこちらの気分も多少慰められた。実際には私はそれでも写真を撮る気になれなかったのであるが、、。

 5時を過ぎてからゴールデントライアングルの船着場に行ってラオス領、ドンサオ村へ渡ってみる。夕暮れ時で、他に観光客の姿はなかった。土産物屋も店じまいの最中で、私はラオスの地酒を1本買う。ほこりを被った、少しだけ琥珀色した酒であったが、店の人に「これは何の酒か」と聞いたが、解らないと言われた。たぶん焼酎の類だろうと見当がつくが面白そうだ。今晩の晩酌用としよう。値段は70バーツと言っていたが、「売れ残りなんだから50バーツにしてよ」と言ったらあっさりと了解してくれた。

 Yさんは大阪のタイ総領事とプーケットで一緒になられ、そしてその総領事の奥さんがアナンタラホテルのセールスをしていて、チェンライへ行ったら是非アナンタラへ立ち寄ってほしいと言われていたそうである。もう、日没の時刻で暗くなっていたが、アナンタラホテルへ行ってみる。ここは以前のメリディアン・ホテルだったものをリノベーションして今月に新装オープンしたものであるが、これがまたとんでもない高級リゾートであった。まず通りに面したホテルのゲートをくぐると、そこからなだらかな丘を登るようになっている。道の両脇は蝋燭で明かりがともされ、建物の入り口までは500メートルほどもありそうであった。とにかくもうここは別世界である。レセプションで来意を告げ、GMと名刺交換をした後、施設を見学させてもらう。GMが言うには北タイでは、二番目に最高級のホテルだと言う。一番はチェンマイのリージェントだそうで、どうしてここが二番目と、謙遜するかと言うと、リージェントは全室スイートだが、ここはスイートでない部屋もあるからだそうだ。そして、さらにリージェントと同一の経営者によるものらしい。客室の広さは最近のリゾートの平均と比べるとやや狭いようだが、内装は豪華で、バスタブは家族で入れるくらい広く、またSPAやエステの施設などにも相当力を入れていることが感じられた。

 今晩の泊まりはミャンマー領のパラダスリゾートである。前回来た時はVIP扱いであったのだが、今回は一般並みの扱いで、ミャンマー側へ上陸すると手荷物検査があり、さらに入国審査(?)まである。このあたりの対応が実に不味く、係のミャンマー人は身なりも悪く、口はキンマを噛んでいるのか、真っ赤で気持ち悪い。タイ語も英語もほとんど通じないし、審査小屋には自動小銃まで立てかけてあって、リゾートへのゲストを歓迎すると言った雰囲気ではない。しかも、入国審査と言っても、我々はタイの出国審査もしていないし、ここでもパスポートに入国のスタンプを押すわけでもない。しかし、入国料だけは泊まりの客からは一人10ドルまたは500バーツを取っている。うーん、であったが、私は入国料として20ドル札を出したところ、釣の10ドルがないらしく、係りはなにやら話し合った末、私に釣と称して500バーツ札を返してよこした。現在の相場では500バーツは12ドル強の価値があるから、実際に私が払ったのは8ドル弱と言うことになる。

 パラダイスホテルにチェックインしてしまえば、きちんとゲストとして扱ってもらえ、私にも部屋を一室あてがってもらえた。前回のようなスイート・ルームてはないが、広くて豪華な部屋である。シャワーを浴びて、ホテルのレストランでバイキングの夕食を食べる。和洋中タイとバラエティがあり、よくぞこんな辺境の地で、これだけのものを揃えたと思える豪華版である。ウエイターのサービスも板についているし、それでいて値段も安い。まぁカジノが収益源なので、こんな付帯施設はサービスの一環に過ぎず、利益の還元用でしかないのだろう。ここで、ラオスの地酒の封を切ってみる。一口飲んでみてビックリ。すごく苦いのである。舌の先が痺れて縮み上がってしまいそうなほど苦い。始めは何が起きたのか解らなかったが、痺れが取れていくうちに、この苦味はホップから来ているものと察した。ボトルの貧弱なラベルにもホップの葉らしきものが印刷されていた。ウエイターたちも物珍しげに見ていた。
 このレストラン、雰囲気もサービスも悪くないのだが、店内に置かれた大型テレビが大きな音量とともにタイのテレビドラマを放映していた。我々の感覚からするとナンダコリャなのだが、タイ人にとってはこれもサービスのひとつなのだろう。ここの利用者はほとんどがタイ人で外国人客はほとんど見かけなかった。

 明日の朝はとんでもなく早く起きて私一人チェンマイへ帰らなくてはならないので、10時前にはYさんに挨拶をして部屋に戻った。その後しばらくして、ドアがノックされて、Yさんから「そう言えば、これを」と言って風月堂の菓子折りを差し出された。昨日も過分に頂戴しておき、またこんなにいただいてはまったく申し訳ないのだが、これを持ち帰ったらお母さんが喜ぶだろうなぁと思ってありがたく頂戴する。私のオンボロビートルに終日乗っていただき、恐縮するばかりだが、Yさんは実に思いやりのある方であった。私はK社在職中に直属の部下であったことはなかったが、こんな方の下で働けていたら、私の今はもっと別のものになっていたかもしれないなぁとも思ったし、その一方で、私の今があるからこそ、Yさんとこうして旅が出来たという現実にも感謝した。

朝食

ご飯と卵焼き。

昼食
ドゥシット・アイランド・ホテルにて飲茶。
夕食
パラダイス・ホテルのバイキング。

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