ピョン子がいなくなって3日目の朝となった。K.K.の後任者からは、未だ見つからないが、一生懸命探していると言っている。しかし、社内のタイ人スタッフたちがまるで協力的ではなく、むしろ邪魔であるとも不満を訴えてきた。確かにそうであろう。そんな中で、ピョン子を探し続けてくれていることには、感謝してもし足りない。一方タイ人である経営者からもメールが入ってきた。「スタッフに探させているが見つからない」と言って来ている。しかし、私も彼らの性格を知っているので、見えないところで誤魔化しをするのは日常茶飯事。探しに行くと称して、その辺へ遊びに行っているのだろう。そのあたりのことは後任者からのメールでお見通しなのだが、、。
今朝も朝から冷たい雨が降っている。今日は実家の母親のところへ行く。実家は電車の駅で二つ目、そこからバスに乗っていくのだが、日曜日と言うこともあってバスの本数が少ない。1時間に3本程度しかない。しかも、生憎駅を降りた時刻の少し前にバスが出たばかりらしい。冷たい雨の降るバス停で延々とバスを待つ。次のバスまで約20分と表示されていたが、予定時刻になってもバスは来ず、結局延々と40分も待たされる事になってしまった。これなら歩いた方が早かったかもしれない。
母親のところでは、私の弟も来ており、まぁ私も弟も、家の中ではほとんど無口なのだが、その分、お母さんと母親が私のことをツマミに延々と話しつづけていた。3年半ぶりに日本へ戻ったのだから、向こうでの話などをするのかと言うとそうでもなく、ほとんどが「タロウさんは○○だからねぇ、まったくぅ」と言うほとんど私個人への非難の応酬である。まぁ、こちらとしては「どうぞお好きに」と言った態度を取る以外ない。優泰は私が子供の頃使っていた部屋の押入れから、これまた私と弟が子供の頃遊んでいたプラレールを引っ張り出してきて遊んでいた。
昼食には「ほうとううどん」の鍋を囲み、日本酒も冷で少し飲む。実は、小鳥のピョンがいなくなって以来、私の禁酒は事実上守られなくなってしまっていた。夜になるとピョン子のことで頭がいっぱいになり、とても酒の力無しには眠れない。そして、酔いに任せて寝たものの、見る夢はなぜか私はまだチェンマイにいて、どのようにして日本へ帰るかと悩んでいるのである。無意識のうちに、日本へどのようにして帰るのかと言うことが、私の中でとても大きな圧力となっていたのだろう。とっくに日本に帰っているのに、まだ、どうやって帰ろうかと夢の中で悩んだりしているのだから、、。
実家でチェンマイでの話題が出てこない理由の一つは、私がチェンマイで何をしていたかがウェブ上の公開日記ですべて母親に知られていたからで、その点でチェンマイと実家との距離はかなり近かったのだろうが、母親が言うには、「アンタの日記を見ていると、まったくハラハラばかりさせられたよ」とのことで、「嫌になっちまうけど、怖いもの見たさで読んでたよ」とのことであった。まぁ止めても聞くような私ではないことを母親も良く知っているから、こんな感想になるのだろう。
実家からの帰り道は、弟の運転するワゴン車に乗せてもらう。行く時に電車とバスを乗り継いで1時間以上かかったのに、車だと10分少々で帰りついてしまった。
寒いので本日、コタツとガスストーブを出す。これから光熱費に悩む日々が始まるわけかぁ、、。