10月18日 月曜日

 帰国第一夜は、2階の6畳間に家族3人寄せ集めの布団などにもぐって寝た。我がオンボロ中古木造住宅は健在だったのだが、寝具類はほぼ全滅状態であった。押入れに入れてあったものは、カビが発生していた。敷布団の代わりにカーペットを畳の上に敷き、掛布団の代わりにバスタオルとコタツ布団を使った。

 まだ、チェンマイで発送した荷物は届いていない。あのとんでもない数のダンボール箱が届いたらどうなるか、想像しただけでケンナリしてしまうが、さりとてその荷物が届かないことには着替えすら満足にできない状態である。取り敢えず国際宅配業者で、荷物を依頼したUPS社のサービス・センターへ電話を入れる。係員の女性は、書類をファックスで送って欲しいと言ったが、我が家のファックスは引越し荷物の中に入っていて、今のところ自宅からファックスを送ることができない。そこで近所のコンビニまで行って書類をファックスする。

 チェンマイへ向かう3年半前に残しておいたものはほぼそのままに存在しているが、あれこれと買い足さなくてはならないものも多い、そして区役所への届出などに出かけるためにも、私の東京での足であるラビット・スクーターを走れる状態にすることが優先課題である。この3年半の冬眠(?)から無事にラビットは目覚めてくれるだろうか?確実にバッテリーはダメになっているだろうと考え、チェンマイでラビット用にバッテリーを買って来てある。チェンマイでは5.5Ahのバッテリーがひとつ300バーツもせずに買えた。日本だったらこの何倍もするし、このタイプのバッテリーを探すだけで大変な作業でる。ちょっと重たかったが手荷物にしておいて良かった。なお、バッテリーは電解液を入れない乾燥状態で手荷物にした。
 赤と青の2台のラビットとも、さして整備をすることもなく、スターターを回したら初めこそモクモクと白い煙を吐いていたが、やがてエンジンも始動しはじめた。何年も以前のガソリンなので品質も劣化していると思うが、ラビット・スクーターは改めてタフなスクーターだと感心する。

 赤いラビット・スクーターに乗って区役所へ向かう。役場でまず私と優泰の転入届を提出。これは簡単にできた。続いて教育委員会へ行って優泰の小学校入学手続きをする。係りの人からタイでの在学証明か何かを持ってきませんでしたか?と聞かれたが、私は何も準備してこなかった。その手のものであるとしたら、成績表程度であろうか、まぁそれも引越し荷物の中にあってまだ手元にないのだが、、しかし、別にそんな書類がなくても転入には差し支えないそうで、大泉第4小学校へ明日からでも入れることになった。役場の方から小学校へ連絡を入れてもらい、これからでもすぐ学校で面接をしましょうと言うことになった。
 私は健康保険の手続きもしておきたかったが、それは後回しにして、大急ぎで自宅に戻り、優泰とお母さんを連れて小学校へ行ってみる。小学校では教頭先生が対応してくださり、テキパキと話しが進んだ。まだクラスも決まってはいないが、明日の朝から来てもかまわないと言うことになった。上履きも何も学用品一切を持っていないが、すべて学校で備品を貸してくれると言う。なんて日本の学校と言うのはサービスが良いのだろうかと感動を覚える。
 この大泉第4小学校は、近年急激に児童数が増えていて教室が足りないのだと言う。このような学校は都内では珍しいのではないかと思うが、もともと23区とは言っても、外れのほうで、住宅地の中に畑も多く見られるような土地である。それが近年どんどん宅地開発されて売り出されているから、新しく引っ越してくる人も多いのだろう。それに土地価格の下落で新築一戸建てだって値段がかなり安くなっていて、小学生くらいの子供のいる家庭でも無理なく買える価格帯になってきているのだろう。我が家の場合は、購入後8年を過ぎたが、当時の購入価格と比べると、現在の価格は1000万円以上安くなってしまっている。一体この何年間か何のためにローンを払い続けてきたのか分からなくなってしまった。

 夕食に秋刀魚を焼いて食べる。日本の秋刀魚は美味しい。特に旬と言うこともあるが、タイのコチコチに凍った秋刀魚とは訳が違う。それに一匹100円にもならないくらいの金額で、無収入の我が家の味方のような魚である。ただし、大根は高くて買えなかったので、大根オロシは付かない。

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