0月17日  日曜日    天気は晴れ 

 昨夜、台北空港までのバスの切符を買っておいた。2時過ぎの飛行機で、12時半には空港に着いていたい旨を伝えたら、朝8時のバスに乗るように言われた。「ちょっと早過ぎるんじゃないの」と言ったら、「日曜日は高速道路が渋滞するわよ」と説明されて、8時のバスの切符を買った。
 ここもバス会社が複数運行しており、私が選んだのは民間のUバスと言うもので、台北までは290元と超格安運賃である。しかし、それより若干距離の近い空港までは380元とちょっと高い。でも、汽車賃と比べるとかなり安い。

 朝食は路地の朝食屋から肉まんや餃子、サンドウィッチなどを買い込んで来て、窓のないホテルの部屋で食べ、8時のバスに乗るべくホテルを出た。
 このUバスも豪華な座席であった。総統椅子と言う大型ソファーの椅子で、飛行機のファーストクラス並である。2階建てバス並の大型バスなのに定員が21人しかないのにも驚いた。バスの行先は台北市内行きだが、空港に向かう我々は途中でバスを乗り換えるように指示された。
 バスの中で、私は色々な思いがこみ上げてきた。しかし、それよりも疲労感が大きく、ウトウトと眠ってしまった。そして、日曜でも渋滞することなく、11時には空港に到着してしまった。搭乗手続きは12時過ぎからと言うことで、出発ロビーのベンチに座って待つ。

 2時過ぎに中華航空CI-104便の搭乗が始まり、2時半には離陸した。日本までは3時間とかからずに到着してしまう。機内食をいただき、ビールなどを飲んでいると、すぐに外が暗くなり、やがて成田空港に到着してしまった。機内にいる間も、気持ちの整理はつき切らなかった。そして、この1週間、メールも電話も使えず、チェンマイとも日本とも、連絡がつかない状態にあったため、色々と気がかりなことが溜まっている。中でも小鳥のピョン子は元気にしているだろうか?成田の通関を抜ける前に「ピョン子を連れ帰ることができなかったこと」が無性に悔しく感じられた。子供を一人外地に残したままの引き揚げである。やはり、ポケットに忍ばせて連れ帰るべきだったのではないだろうか、、。チェンマイでやり残したことは沢山ある。しかし、それらについては今更未練もない。やり残したと言っても、これ以上居残っていれば、「あれもやらねば」「これもやっておこう」と次々にやることが増える一方で、自分を更に追い詰めてしまっていただろう。

 成田空港から都内へ向かう電車で、乗っている人たちを見る。みんなタイの人たちと比べて、身なりがイイ。しかし、どの顔も明るさがない。日本はキレイだけど、暗いなぁと感じた。そう、チェンマイでの滞在も、この暗さを背負った人たちとの交わりが当初のように少なければ、もう少し気楽な滞在だったかもしれない。そして、それにも拘わらず、そうした暗い社会へ舞い戻って、暮らしていこうとしている自分自信の目指しているものが、一体どこなのか、分からなくなってきた。以前なら、いつかはチェンマイで暮らしたいと言う目標もあったのたが、その目標も到達したのか、挫折したのかわからないまま今日を迎えてしまった。帰国に当たり、私はチェンマイの記念なり、土産に相当するものを一切モノとしては持ち帰らなかった。それなものあってもし方がないとも思っていた。しかし、叶うならば、小鳥のピョン子だけは連れて帰りたかった。ピョン子がいれば、ピョン子を見ただけで、私の心の中のチェンマイ世界に戻れる気がするのである。
 さぁ、練馬の家に着いたら、早速K.K.トラベルへメールを打ってピョン子の安否を確認しよう。そう、たぶんピョン子がいる限り、チェンマイとの縁はまだ切れないであろう。そして、私のことだから、なんとかちゃっかりピョン子に遭いにチェンマイへ舞い戻るかもしれない。


 この公開日記だが、日本帰国後閉鎖をしようと思っていたが、K.K.トラベルのジョン君から、ネットでの注文の多くが、このホームページから来ているので、このサイトの閉鎖は死活問題だとの意見をいただいた。ジョン君はピョン子のある意味で里親でもあるし、K.K.トラベルまで連鎖的に閉鎖されては、大変である。
 ジョン君(通称)は、実にまじめな日本人だし、とてもお客様思いで熱心である。まだまだ経験不足なところもあるが、きっと彼の誠意を持って業務に当たれば、きっとK.K.トラベルはチェンマイで最も信頼される旅行代理店になってくれるものと思う。まぁ、彼以外のスタッフへの信頼は、相変わらず向上していないのだが、、。

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